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福島総鎮守と、春花の時期に花見山公園を散策した。<br /><br />

福島宿では、先ず総鎮守と花見山公園を参拝(奥州古道仙台道歩き No14--1)

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2015/04/16 - 2015/04/16

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ムッシュ

ムッシュさん

福島総鎮守と、春花の時期に花見山公園を散策した。

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4.5

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  • 仲興寺境内<br />境内には安永3年藤原宗興卿がこの宿場で倒れ亡くなる時に詠んだ歌「とても身の旅路に消えば塩釜の浦のあたりの煙ともなれ」という歌碑が、それよりずっと大きくて目立つ文政九年(1826年)の馬頭観世音の隣にある。

    仲興寺境内
    境内には安永3年藤原宗興卿がこの宿場で倒れ亡くなる時に詠んだ歌「とても身の旅路に消えば塩釜の浦のあたりの煙ともなれ」という歌碑が、それよりずっと大きくて目立つ文政九年(1826年)の馬頭観世音の隣にある。

  • 一里塚跡碑<br />

    一里塚跡碑

  • 「明治天皇伏拝御野立所」碑がある。

    「明治天皇伏拝御野立所」碑がある。

  • 共楽園

    共楽園

  • 「共楽園」の坂道を 下り出口付近左高台に「馬頭観世音碑」が祀られている。<br />共楽園から街道への出口の高台に馬頭観世音がある。案内標柱によると、文化二年(1805年)福島にあった飛脚問屋「島屋」が道中安全を願って建てたものだそうだ。

    「共楽園」の坂道を 下り出口付近左高台に「馬頭観世音碑」が祀られている。
    共楽園から街道への出口の高台に馬頭観世音がある。案内標柱によると、文化二年(1805年)福島にあった飛脚問屋「島屋」が道中安全を願って建てたものだそうだ。

  • 須川南宮諏訪神社<br />旧国道4号に合流してすぐ左手に「郷社 須川南宮諏訪神社」がある。<br />鳥居前に石仏石塔群がある。一番古いのは安永五年(1776年)の庚申塔だ。共楽園もそうだったが、案内板に逐一解説があるのがありがたい。石段を上った高台に森閑とした荘重な雰囲気の中に歴史を感じさせる立派な社殿がある。周囲にはやはり石仏石塔群があり、逐一解説がある。<br /><br />

    須川南宮諏訪神社
    旧国道4号に合流してすぐ左手に「郷社 須川南宮諏訪神社」がある。
    鳥居前に石仏石塔群がある。一番古いのは安永五年(1776年)の庚申塔だ。共楽園もそうだったが、案内板に逐一解説があるのがありがたい。石段を上った高台に森閑とした荘重な雰囲気の中に歴史を感じさせる立派な社殿がある。周囲にはやはり石仏石塔群があり、逐一解説がある。

  • 須川南宮諏訪神社の社殿

    須川南宮諏訪神社の社殿

  • 須川南宮諏訪神社参道口

    須川南宮諏訪神社参道口

  • 福島城と江戸口<br />「まちなか広場」のところに「福島城と城下町 本陣」と題する案内板がある。案内板に示された「1805年(文化二年)福島惣町絵図より(安斎家蔵)」による

    福島城と江戸口
    「まちなか広場」のところに「福島城と城下町 本陣」と題する案内板がある。案内板に示された「1805年(文化二年)福島惣町絵図より(安斎家蔵)」による

  • 常光寺<br />

    常光寺

  • 唐善寺山門<br />

    唐善寺山門

  • 唐善寺本堂

    唐善寺本堂

  • この先に、旅館  藤金  の表示がみえる。

    この先に、旅館 藤金 の表示がみえる。

  • 明治元年開業で、明治9年(1876)の明治天皇巡幸に同行した木戸孝允が宿泊し、大正時代には竹久夢二が泊まったという 「旅館・藤金」 があった。

    明治元年開業で、明治9年(1876)の明治天皇巡幸に同行した木戸孝允が宿泊し、大正時代には竹久夢二が泊まったという 「旅館・藤金」 があった。

  • 福島県の総鎮守である「福島稲荷神社」 <br />稲荷神社は、ずっと立派で、明治36年の地図にも「懸社稲荷神社」が描かれている。江戸時代には福島藩の鎮守とされ、藩主に崇敬されてきたそうだ<br />その左手にあるのが福島宿の総鎮守である福島稲荷神社だ。<br /><br />一條天皇の永延元年(987年)、従五位下安倍朝臣晴明が奥州下向の際、この地に一祠を建て、福島の郷の鎮守としたのが始まりである。祭神は豊受比売命、配神は大国主命、事代主命。<br />左正面の建物は旧拝殿で、現在は神社絵馬殿となっている。この建物は、昭和1<br />4年の拝殿改築にあたり、それまでの拝殿を絵馬殿としてここに移築したものだ。<br />旧拝殿は元禄5年(1692年)に福島藩主堀田正仲が造営したものといわれ、<br />現存する福島の建造物中、最古のもののようだ。<br />この裏に新しい拝殿が出来ている。

    福島県の総鎮守である「福島稲荷神社」 
    稲荷神社は、ずっと立派で、明治36年の地図にも「懸社稲荷神社」が描かれている。江戸時代には福島藩の鎮守とされ、藩主に崇敬されてきたそうだ
    その左手にあるのが福島宿の総鎮守である福島稲荷神社だ。

    一條天皇の永延元年(987年)、従五位下安倍朝臣晴明が奥州下向の際、この地に一祠を建て、福島の郷の鎮守としたのが始まりである。祭神は豊受比売命、配神は大国主命、事代主命。
    左正面の建物は旧拝殿で、現在は神社絵馬殿となっている。この建物は、昭和1
    4年の拝殿改築にあたり、それまでの拝殿を絵馬殿としてここに移築したものだ。
    旧拝殿は元禄5年(1692年)に福島藩主堀田正仲が造営したものといわれ、
    現存する福島の建造物中、最古のもののようだ。
    この裏に新しい拝殿が出来ている。

  • 【福島稲荷神社本堂.】<br />配神は大国主命、事代主命である。永延元年(987年)、安倍晴明が奥州に下向した際、信太明神を勧請したことに始まり、承安元年(1171年)晴 明の孫の安倍晴明が社殿を改築した。

    【福島稲荷神社本堂.】
    配神は大国主命、事代主命である。永延元年(987年)、安倍晴明が奥州に下向した際、信太明神を勧請したことに始まり、承安元年(1171年)晴 明の孫の安倍晴明が社殿を改築した。

  • 絵馬殿、神楽殿も立派な建物である。<br />【絵馬殿】は、元禄5年(1692)に時の福島藩主堀田正仲が造営したものと言われており、その後、昭和13年の新 拝殿竣工にあたり、それまでの拝殿を絵馬殿として移築したものである。

    絵馬殿、神楽殿も立派な建物である。
    【絵馬殿】は、元禄5年(1692)に時の福島藩主堀田正仲が造営したものと言われており、その後、昭和13年の新 拝殿竣工にあたり、それまでの拝殿を絵馬殿として移築したものである。

  • 花見山公園

    花見山公園

  • 花見山公園。桜も開花中。

    花見山公園。桜も開花中。

  • 花見山公園。

    花見山公園。

  • 花見山公園。黄と桃色のコンビ。

    花見山公園。黄と桃色のコンビ。

  • 花見山公園。桃源郷と呼ばれてる。

    花見山公園。桃源郷と呼ばれてる。

  • プロが撮った花見山。<br />

    プロが撮った花見山。

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