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須賀川 芭蕉の奥の細道を歩きます。

軒の栗(芭蕉の道を歩く 11)

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2014/06/14 - 2014/06/15

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hide-bach

hide-bachさん

須賀川 芭蕉の奥の細道を歩きます。

同行者
カップル・夫婦
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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  • (須賀川1)<br />白河から翌々日には須賀川に至り、<br />相楽等躬(さがらとうきゅう)を訪ね、<br />芭蕉は一週間も滞在している。<br /><br />曽良の旅日記には、<br />「・二十二日 須賀川、乍単斎宿、俳有。<br /> ・二十三日 同所滞留。晩方へ可伸二遊、帰に寺々八幡を拝。」<br />とある。<br />これは、<br />(二十二日は須賀川の相良等躬(乍単斎)宅に泊まる。<br />そこで「風流の初めやおくの田植えうた」を発句とする、<br />芭蕉、等躬、曽良の三人で歌仙を吟じた。)<br />(二十三日は同じく等躬宅に滞留する。夕方には栗の木陰に世を厭う僧 <br />可伸の庵を訪ね、その後、お寺を二、三か所回り、八幡神社のもお参りした。) <br />と言うことのようです。<br /><br />そこでボクは須賀川市役所を目指して、国道四号線を進む。<br />須賀川市役所には、庁舎のほかに芭蕉記念館があるはずだからだ。<br />しかし、芭蕉記念館は看板があるだけで、記念館は影も形もない。<br />その奥にあるはずの体育館は、屋根が見るからに崩れそうで、<br />養生シートが覆われて残っているだけだ。<br />市庁舎は跡形もなく、その跡に土埃が立つ駐車場があり、<br />その隣に公民館が残っているだけだ。<br />3・11の大地震でなくなってしまったのであろうか?<br />あるいはどこかに移転したのであろう。<br />無くては市民生活が成り立たない。<br /><br />地図を頼りに、軒の栗がありそうな場所を探して歩く。<br />公民館から南に延びる道路を進むと、(本町軒の栗通り)の看板が目につく。<br />よくよく注意してみると、商店の軒先に置いてある常夜灯に<br />(江戸や 本町 軒の栗通り)の文字が入っている。<br /><br />(本町軒の栗通りの看板)<br />

    (須賀川1)
    白河から翌々日には須賀川に至り、
    相楽等躬(さがらとうきゅう)を訪ね、
    芭蕉は一週間も滞在している。

    曽良の旅日記には、
    「・二十二日 須賀川、乍単斎宿、俳有。
     ・二十三日 同所滞留。晩方へ可伸二遊、帰に寺々八幡を拝。」
    とある。
    これは、
    (二十二日は須賀川の相良等躬(乍単斎)宅に泊まる。
    そこで「風流の初めやおくの田植えうた」を発句とする、
    芭蕉、等躬、曽良の三人で歌仙を吟じた。)
    (二十三日は同じく等躬宅に滞留する。夕方には栗の木陰に世を厭う僧 
    可伸の庵を訪ね、その後、お寺を二、三か所回り、八幡神社のもお参りした。) 
    と言うことのようです。

    そこでボクは須賀川市役所を目指して、国道四号線を進む。
    須賀川市役所には、庁舎のほかに芭蕉記念館があるはずだからだ。
    しかし、芭蕉記念館は看板があるだけで、記念館は影も形もない。
    その奥にあるはずの体育館は、屋根が見るからに崩れそうで、
    養生シートが覆われて残っているだけだ。
    市庁舎は跡形もなく、その跡に土埃が立つ駐車場があり、
    その隣に公民館が残っているだけだ。
    3・11の大地震でなくなってしまったのであろうか?
    あるいはどこかに移転したのであろう。
    無くては市民生活が成り立たない。

    地図を頼りに、軒の栗がありそうな場所を探して歩く。
    公民館から南に延びる道路を進むと、(本町軒の栗通り)の看板が目につく。
    よくよく注意してみると、商店の軒先に置いてある常夜灯に
    (江戸や 本町 軒の栗通り)の文字が入っている。

    (本町軒の栗通りの看板)

  • <br />(江戸や本町 軒の栗通りの常夜灯) <br />


    (江戸や本町 軒の栗通りの常夜灯)

  • その道を進むとすぐ十字路に出る。 <br />出た右手に小公園があって、(軒の栗庭園)の看板があり、 <br />可伸庵跡の地図も描いてある。 <br />その横の木の下に、相良等躬の坐像が置かれている。 <br />本町々内会が作った説明板では、この辺りは等躬の住まい跡であったらしい。 <br />そこでここに軒の栗庭園を残したという。 <br />(軒の栗庭園) <br />

    その道を進むとすぐ十字路に出る。
    出た右手に小公園があって、(軒の栗庭園)の看板があり、
    可伸庵跡の地図も描いてある。
    その横の木の下に、相良等躬の坐像が置かれている。
    本町々内会が作った説明板では、この辺りは等躬の住まい跡であったらしい。
    そこでここに軒の栗庭園を残したという。
    (軒の栗庭園)

  • 本町々内会の説明によると、 <br />(−前略― <br />等躬は本名相楽伊左衛門といい問屋の仕事をしながら、 <br />その商業活動のために江戸へ度々出かけていました。 <br />その間に江戸での俳諧活動も持たれ、芭蕉との関係が生まれました。 <br />等躬は奥州俳壇の宗匠としてその地位にあり、 <br />芭蕉に多くの情報を提供し、「みちのく歌枕の地」探訪の旅を助けました。 <br />・風流の初めや奥の田植哥(うた)     芭蕉 <br />・覆盆子(いちご)を折て我もうけ草    等躬 <br />・水せきて昼寝の石やなをすらん      曽良 <br />ここ「軒の栗庭園」は等躬の住む本町に芭蕉が逗留し、 <br />・世の人が見つけぬ花や軒の栗  芭蕉 <br />と詠まれたことから名づけられました。)とある。 <br /><br />(等躬の石の坐像) <br />

    本町々内会の説明によると、
    (−前略―
    等躬は本名相楽伊左衛門といい問屋の仕事をしながら、
    その商業活動のために江戸へ度々出かけていました。
    その間に江戸での俳諧活動も持たれ、芭蕉との関係が生まれました。
    等躬は奥州俳壇の宗匠としてその地位にあり、
    芭蕉に多くの情報を提供し、「みちのく歌枕の地」探訪の旅を助けました。
    ・風流の初めや奥の田植哥(うた)     芭蕉
    ・覆盆子(いちご)を折て我もうけ草    等躬
    ・水せきて昼寝の石やなをすらん      曽良
    ここ「軒の栗庭園」は等躬の住む本町に芭蕉が逗留し、
    ・世の人が見つけぬ花や軒の栗  芭蕉
    と詠まれたことから名づけられました。)とある。

    (等躬の石の坐像)

  • 軒の栗庭園にあるベンチにはKeep outの黄色のテープがしてあり、 <br />座って休憩することが出来ないのは何故だろう。 <br />後ろの植え込みにある芭蕉と曽良らしき石像が、 <br />恨めしそうに立っているのが印象的であった。 <br />何ミリシーベルトなのか知らないが、 <br />基準を超える放射線量が残っているに違いない。 <br />この小公園を見渡すと、周りにある家というか、 <br />真新しい土蔵つくりの建物が何軒も建っている。 <br />不審に思って家に近づくと、表札があって、 <br />どうやら住まいのようだ。 <br />イタリヤのアルベロベッロにある三角帽子の家を思い出すが、 <br />こちらの土蔵造りの家は、地震に備えた作りであるに違いない。 <br /><br /><br />(Keep Outのテープが張られたベンチ) <br />

    軒の栗庭園にあるベンチにはKeep outの黄色のテープがしてあり、
    座って休憩することが出来ないのは何故だろう。
    後ろの植え込みにある芭蕉と曽良らしき石像が、
    恨めしそうに立っているのが印象的であった。
    何ミリシーベルトなのか知らないが、
    基準を超える放射線量が残っているに違いない。
    この小公園を見渡すと、周りにある家というか、
    真新しい土蔵つくりの建物が何軒も建っている。
    不審に思って家に近づくと、表札があって、
    どうやら住まいのようだ。
    イタリヤのアルベロベッロにある三角帽子の家を思い出すが、
    こちらの土蔵造りの家は、地震に備えた作りであるに違いない。


    (Keep Outのテープが張られたベンチ)

  • <br />(土蔵の家)


    (土蔵の家)

  • 軒の栗庭園の看板にある、可伸庵跡やNTTの地図をたよりに、 <br />可伸庵跡を訪ねる。 <br />今来た道を戻ると、軒の栗・可伸庵跡左と長松院右の案内看板があるので、 <br />案内に沿って左折する。 <br />少し狭い道を行くと左側に可伸庵跡はあった。 <br /><br />(軒の栗・可伸庵跡の案内看板) <br />

    軒の栗庭園の看板にある、可伸庵跡やNTTの地図をたよりに、
    可伸庵跡を訪ねる。
    今来た道を戻ると、軒の栗・可伸庵跡左と長松院右の案内看板があるので、
    案内に沿って左折する。
    少し狭い道を行くと左側に可伸庵跡はあった。

    (軒の栗・可伸庵跡の案内看板)

  • <br />(可伸庵跡の碑)


    (可伸庵跡の碑)

  • (小さな可伸庵) <br />

    (小さな可伸庵)

  • <br />(軒の栗の木) <br />


    (軒の栗の木)

  • (栗のイガ)

    (栗のイガ)

  • 可伸庵は思ったより小さな所であった。 <br />と言うのも、 <br /><br />「おくのほそ道」で芭蕉は、 <br />(おおきなる栗の木陰をたのみて、世をいとう僧有。 <br />橡ひろふ太山もかくやと静に覚えられて・・・) <br />とあるからだ。 <br /><br />その可伸庵は、一寸した休憩所と栗の木と芭蕉の句碑があり、 <br /><br />・世の人が見つけぬ花や軒の栗 <br /><br />が刻まれている。 <br /><br />(可伸庵にある芭蕉の句碑) <br />

    可伸庵は思ったより小さな所であった。
    と言うのも、

    「おくのほそ道」で芭蕉は、
    (おおきなる栗の木陰をたのみて、世をいとう僧有。
    橡ひろふ太山もかくやと静に覚えられて・・・)
    とあるからだ。

    その可伸庵は、一寸した休憩所と栗の木と芭蕉の句碑があり、

    ・世の人が見つけぬ花や軒の栗

    が刻まれている。

    (可伸庵にある芭蕉の句碑)

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