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「靖国神社」は、大村益次郎の発案のもと明治天皇の命により、明治2年(1869)戊辰戦争の官軍の犠牲者を祀る目的で建てられた「東京招魂社」が始まりです。<br />戊申戦争とは1868年(慶応4)年に始まった官軍と幕府軍と戦いで、鳥羽・伏見の戦いから、江戸城開城、上野の彰義隊との戦い、奥州列藩同盟との戦い、会津戦争など翌年5月の箱館五稜郭まで続いた戦いです。<br />後に、戊辰戦争だけでなく、幕末の嘉永6年(1853)以降の、各地の戦いや西南戦争などの官軍の殉職者も祀るようになりました。明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて、日清・日露戦争から太平洋戦争までの犠牲者が祀られ、現在246万6千余人が祀られています。<br /><br />ここで注意しなければならないのは、同じ国家に殉じながら、幕府軍(賊軍)は祀られていないことです。<br /><br />1978年、靖国神社が東条英機元首相らA級戦犯14名を合祀しました。A級戦犯とは極東国際軍事裁判で侵略戦争を計画・実行したとして「平和に対する罪」で起訴された28名の政治・軍事指導者のことで、このうち14名を靖国神社に合祀しました。<br /><br />戦犯14名の合祀が、明らかになったのは翌年の1979年でした。その後歴代の首相らが参拝していましたが、中国は目立った反発は見せませんでした。<br />1985年、中曽根首相の靖国神社公式参拝を契機に、中国は「A級戦犯を祀る靖国神社への参拝は侵略戦争の肯定につながると反発しました。<br />その後、韓国も歴史認識問題で日本と対立する中で、靖国参拝への批判を強めました。<br />中曽根首相は、中国の反発を受けて、その後の参拝をやめました。<br /><br />中国が、A級戦犯にこだわる理由は、中国が1972年の日中国交正常化時、中国国内向けの説明として、「日本の侵略戦争は一部の軍国主義者によるもので、一般の日本国民は犠牲者」と説明し、異論を抑えた経緯があります。A級戦犯を祀った靖国神社を日本の政治指導者が参拝すれば、国交正常化の説明が揺らぎかねないといった中国国内の事情があります。<br /><br />A級戦犯合祀について、日本でも大きく異論を唱えているVIPがいます。<br />昭和天皇の靖国参拝は、1975年を最後に途絶えています。富田朝彦元宮内庁長官の残したメモによると、昭和天皇はA級戦犯合祀に強い不快感を示し「だから私はあれ以来参拝していない」と語られたようです。<br />今の天皇陛下も即位以来、一度も靖国神社に参拝しておられません。<br /><br />靖国問題を打開するために次のような動きがありますが、一向に進展していません。<br />(a)A級戦犯分祀論<br />靖国にA級戦犯を祀るのをやめ別の所に祀る分祀論です。公式参拝で中国の反発を招いた中曽根政権や小渕政権で取り沙汰されましたが、靖国神社は、いったん祀った霊を分離することは神道の教義から認められないと反発しています。<br />(b)新しい戦没者追悼施設構想<br />靖国神社に代わる新しい戦没者追悼施設を国がつくる構想もしばしば持ち上がっていますが、遺族や自民党保守派には「靖国で会おうと言って亡くなった戦没者を追悼するのは、やはり靖国神社しかない」といった声が強く、具体的な動きにはなっていません。<br /><br />靖国神社・・・・これまで、幾度か訪れましたが、靖国問題を考えながら、改めて訪ねました。<br /><br />写真は、靖国神社の中門鳥居と拝殿です。

戦跡・防衛⑦ 靖国神社および靖国問題

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2013/06/16 - 2013/06/16

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元カニ族

元カニ族さん

「靖国神社」は、大村益次郎の発案のもと明治天皇の命により、明治2年(1869)戊辰戦争の官軍の犠牲者を祀る目的で建てられた「東京招魂社」が始まりです。
戊申戦争とは1868年(慶応4)年に始まった官軍と幕府軍と戦いで、鳥羽・伏見の戦いから、江戸城開城、上野の彰義隊との戦い、奥州列藩同盟との戦い、会津戦争など翌年5月の箱館五稜郭まで続いた戦いです。
後に、戊辰戦争だけでなく、幕末の嘉永6年(1853)以降の、各地の戦いや西南戦争などの官軍の殉職者も祀るようになりました。明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて、日清・日露戦争から太平洋戦争までの犠牲者が祀られ、現在246万6千余人が祀られています。

ここで注意しなければならないのは、同じ国家に殉じながら、幕府軍(賊軍)は祀られていないことです。

1978年、靖国神社が東条英機元首相らA級戦犯14名を合祀しました。A級戦犯とは極東国際軍事裁判で侵略戦争を計画・実行したとして「平和に対する罪」で起訴された28名の政治・軍事指導者のことで、このうち14名を靖国神社に合祀しました。

戦犯14名の合祀が、明らかになったのは翌年の1979年でした。その後歴代の首相らが参拝していましたが、中国は目立った反発は見せませんでした。
1985年、中曽根首相の靖国神社公式参拝を契機に、中国は「A級戦犯を祀る靖国神社への参拝は侵略戦争の肯定につながると反発しました。
その後、韓国も歴史認識問題で日本と対立する中で、靖国参拝への批判を強めました。
中曽根首相は、中国の反発を受けて、その後の参拝をやめました。

中国が、A級戦犯にこだわる理由は、中国が1972年の日中国交正常化時、中国国内向けの説明として、「日本の侵略戦争は一部の軍国主義者によるもので、一般の日本国民は犠牲者」と説明し、異論を抑えた経緯があります。A級戦犯を祀った靖国神社を日本の政治指導者が参拝すれば、国交正常化の説明が揺らぎかねないといった中国国内の事情があります。

A級戦犯合祀について、日本でも大きく異論を唱えているVIPがいます。
昭和天皇の靖国参拝は、1975年を最後に途絶えています。富田朝彦元宮内庁長官の残したメモによると、昭和天皇はA級戦犯合祀に強い不快感を示し「だから私はあれ以来参拝していない」と語られたようです。
今の天皇陛下も即位以来、一度も靖国神社に参拝しておられません。

靖国問題を打開するために次のような動きがありますが、一向に進展していません。
(a)A級戦犯分祀論
靖国にA級戦犯を祀るのをやめ別の所に祀る分祀論です。公式参拝で中国の反発を招いた中曽根政権や小渕政権で取り沙汰されましたが、靖国神社は、いったん祀った霊を分離することは神道の教義から認められないと反発しています。
(b)新しい戦没者追悼施設構想
靖国神社に代わる新しい戦没者追悼施設を国がつくる構想もしばしば持ち上がっていますが、遺族や自民党保守派には「靖国で会おうと言って亡くなった戦没者を追悼するのは、やはり靖国神社しかない」といった声が強く、具体的な動きにはなっていません。

靖国神社・・・・これまで、幾度か訪れましたが、靖国問題を考えながら、改めて訪ねました。

写真は、靖国神社の中門鳥居と拝殿です。

同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩

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  • 写真は、靖国神社の境内にあった東京九段ライオンズクラブ寄贈の「靖国神社境内案内図」です。

    写真は、靖国神社の境内にあった東京九段ライオンズクラブ寄贈の「靖国神社境内案内図」です。

    靖国神社 寺・神社・教会

    靖国神社には、芝公園から明治36年(1903)に移築した能楽堂があります。 by 元カニ族さん
  • 地下鉄半蔵門線の「九段下駅」を降りて、靖国神社に向かいました。大きな「第一鳥居(大鳥居)」が見えてきました。高さは25mあります。<br /><br />

    地下鉄半蔵門線の「九段下駅」を降りて、靖国神社に向かいました。大きな「第一鳥居(大鳥居)」が見えてきました。高さは25mあります。

  • 参道を進みますが、右の石碑がありましたので、少しそれてみます。

    参道を進みますが、右の石碑がありましたので、少しそれてみます。

  • 大きな「田中支隊忠魂碑」がありました。これは「シベリア出兵」時の忠魂碑です。

    大きな「田中支隊忠魂碑」がありました。これは「シベリア出兵」時の忠魂碑です。

  • アート的な記念碑の「慰霊の泉」がありました。説明板によると、戦没者に水をささげる母の像で、東京キワニスクラブが寄贈したものです。

    アート的な記念碑の「慰霊の泉」がありました。説明板によると、戦没者に水をささげる母の像で、東京キワニスクラブが寄贈したものです。

  • 参道に戻って、進むと「大村益次郎像」がありました。

    参道に戻って、進むと「大村益次郎像」がありました。

    靖国神社 寺・神社・教会

    靖国神社には、芝公園から明治36年(1903)に移築した能楽堂があります。 by 元カニ族さん
  • 大村益次郎は、近代日本陸軍の創設者で上記の通り「靖国神社」の前身「東京招魂社」の発案者です。

    大村益次郎は、近代日本陸軍の創設者で上記の通り「靖国神社」の前身「東京招魂社」の発案者です。

  • 「大村益次郎像」を迂回して進むと、「第二鳥居」と、その向こうにある「神門」が見えてきました。

    「大村益次郎像」を迂回して進むと、「第二鳥居」と、その向こうにある「神門」が見えてきました。

  • 「第二鳥居」の手前で、参道が一般道と交差していました。

    「第二鳥居」の手前で、参道が一般道と交差していました。

  • 参道がと一般道と交差た向こうに「大灯籠」がありました。

    参道がと一般道と交差た向こうに「大灯籠」がありました。

  • 大灯籠の土台に、レリーフがはめ込まれていました。

    大灯籠の土台に、レリーフがはめ込まれていました。

  • 日露戦争時の東郷元帥の図です。

    日露戦争時の東郷元帥の図です。

  • 日清戦争の黄海海戦の図です。

    日清戦争の黄海海戦の図です。

  • 第二鳥居の先の、神門です。

    第二鳥居の先の、神門です。

  • 神門の扉には大きな「菊の御紋」がついていました。<br />

    神門の扉には大きな「菊の御紋」がついていました。

  • 「中門鳥居」に着きました。その向こうに「拝殿」が見えました。<br />

    「中門鳥居」に着きました。その向こうに「拝殿」が見えました。

  • 拝殿です。この先は撮影禁止です。

    拝殿です。この先は撮影禁止です。

  • 拝殿の奥を先ほどの案内図で見てみます。拝殿は赤い印の所で、この奥に「本殿」があり、さらにその奥には「霊璽簿奉安殿」があります。「霊璽簿奉安殿」には和紙に合祀されている人々の名前が書かれた「霊璽簿」が納められています。<br />

    拝殿の奥を先ほどの案内図で見てみます。拝殿は赤い印の所で、この奥に「本殿」があり、さらにその奥には「霊璽簿奉安殿」があります。「霊璽簿奉安殿」には和紙に合祀されている人々の名前が書かれた「霊璽簿」が納められています。

  • 参拝を終えて、中門鳥居の外に出ました。女子学生が楽しそうに歩いていました。<br />

    参拝を終えて、中門鳥居の外に出ました。女子学生が楽しそうに歩いていました。

  • 中門鳥居の両側には、各地の戦友会が寄贈した桜がたくさん植えられていました。気象庁の「桜の開花宣言」はここの桜が基準となっています。<br /><br />

    中門鳥居の両側には、各地の戦友会が寄贈した桜がたくさん植えられていました。気象庁の「桜の開花宣言」はここの桜が基準となっています。

  • 先ほどの、案内図に従って境内を歩きました。<br />写真は「靖國神社 遊就館」です。この中にはさまざまな展示がなされていますが、今回は入場しませんでした。<br />

    先ほどの、案内図に従って境内を歩きました。
    写真は「靖國神社 遊就館」です。この中にはさまざまな展示がなされていますが、今回は入場しませんでした。

    靖国神社遊就館 美術館・博物館

    靖國神社 遊就館では、歴史を語る「零式艦上戦闘機」と「錦の御旗」が必見です by 元カニ族さん
  • 遊就館の周りにはいろいろな記念碑がありました。<br />まず入口に「特攻勇士之像」があり、「特攻勇士を讃える碑」がありました。<br />

    遊就館の周りにはいろいろな記念碑がありました。
    まず入口に「特攻勇士之像」があり、「特攻勇士を讃える碑」がありました。

  • 安政元年(1854年)に造られた「青銅80封度(ポンド)陸用加農砲」がありました。

    安政元年(1854年)に造られた「青銅80封度(ポンド)陸用加農砲」がありました。

  • 嘉永2年(1849年)に薩摩藩で造られた「青銅150封度(ポンド)陸用加農砲」がありました。

    嘉永2年(1849年)に薩摩藩で造られた「青銅150封度(ポンド)陸用加農砲」がありました。

  • 写真は「護国 海防艦」の記念碑です。輸送船団を護衛する役割の海防艦すべての船名が背面の壁に書かれていました。<br />

    写真は「護国 海防艦」の記念碑です。輸送船団を護衛する役割の海防艦すべての船名が背面の壁に書かれていました。

  • 「母の像」です。

    「母の像」です。

  • 「ビルマ戦線の遺品」です。ガラスに反射してうまく撮れません。

    「ビルマ戦線の遺品」です。ガラスに反射してうまく撮れません。

  • 「パール博士顕彰碑」です。パール博士は極東軍事裁判でインド代表判事を務め、裁判官の中でただ一人、被告団全員無罪を主張した人物です。<br />

    「パール博士顕彰碑」です。パール博士は極東軍事裁判でインド代表判事を務め、裁判官の中でただ一人、被告団全員無罪を主張した人物です。

  • 写真は左から、軍犬慰霊像、戦歿馬慰霊像、鳩魂塔です。

    写真は左から、軍犬慰霊像、戦歿馬慰霊像、鳩魂塔です。

  • 昔の大砲があって、その向こうに靖国偕行文庫がありました。

    昔の大砲があって、その向こうに靖国偕行文庫がありました。

  • 靖国偕行文庫は、平成11年(1999)10月7日に開館したこの図書館で、靖国神社の御祭神に関する資料や日本近代史研究のための資料約10万余冊が収蔵されています。

    靖国偕行文庫は、平成11年(1999)10月7日に開館したこの図書館で、靖国神社の御祭神に関する資料や日本近代史研究のための資料約10万余冊が収蔵されています。

  • 招魂斎庭です。

    招魂斎庭です。

  • 相撲場です。明治2年(1869)、靖国神社の鎮座祭に際して大相撲が奉納されて以来、春の例大祭には、横綱をはじめ全力士による奉納相撲が執り行われます<br />

    相撲場です。明治2年(1869)、靖国神社の鎮座祭に際して大相撲が奉納されて以来、春の例大祭には、横綱をはじめ全力士による奉納相撲が執り行われます

  • 到着殿です。

    到着殿です。

  • 参集殿です。平成16年(2004)に建て替えられたもので、個人や団体で昇殿参拝する方々のための受付や控え室があります。<br /><br />

    参集殿です。平成16年(2004)に建て替えられたもので、個人や団体で昇殿参拝する方々のための受付や控え室があります。

  • 能楽堂です。明治14年(1881)に東京・芝公園に建てられたもので、明治36年(1903)に靖国神社に奉納、移築されました。<br />この舞台では神霊を慰めるための能や日本舞踊などの芸能が行われます。<br />

    能楽堂です。明治14年(1881)に東京・芝公園に建てられたもので、明治36年(1903)に靖国神社に奉納、移築されました。
    この舞台では神霊を慰めるための能や日本舞踊などの芸能が行われます。

    靖国神社 寺・神社・教会

    靖国神社には、芝公園から明治36年(1903)に移築した能楽堂があります。 by 元カニ族さん
  • 斎館です。

    斎館です。

  • お茶室「行雲亭」の入口です。

    お茶室「行雲亭」の入口です。

  • お茶室「靖泉亭」です。

    お茶室「靖泉亭」です。

  • 「神池庭園」です。

    「神池庭園」です。

  • 池側から見た「靖泉亭」です。

    池側から見た「靖泉亭」です。

  • 「神池庭園」に橋がかかっていました。橋の先にあるのがお茶室「洗心亭」です。

    「神池庭園」に橋がかかっていました。橋の先にあるのがお茶室「洗心亭」です。

  • 池の周りにはベンチがあり、休んでいる人が居ました。重苦しい雰囲気の靖国神社のあって、神心庭園は一息つける所でした。<br />

    池の周りにはベンチがあり、休んでいる人が居ました。重苦しい雰囲気の靖国神社のあって、神心庭園は一息つける所でした。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • 横浜臨海公園さん 2015/06/26 12:41:57
    靖國神社特別奉賛会会員として
    元カニ族さま、こんにちは。


    旅行記、謹んで拝見させて頂きました。

    戦犯戦犯と言う人々がおりますが、勝てば官軍負ければ賊軍の例えとして、東条英機元総理を初め、少なくとも、大東亜戦争開始直前に於いて、英米と戦争を欲していなかったのは歴史的事実で、現在では明らかにされている、アメリカ国務省内に存在したソ連スパイ工作に依る、ハルノートの提示で、我が国は追い詰められてしまい、東条元総理も止むに止まれず開戦に同意せざるを得なかったと言うのが真相です。
    戦後になり、東京裁判で一方的に悪人にされたものの、我が国の神道とは赦しの世界であり、亡くなれば神として、奉られて然るべきだと小生考えます。

    それから、旧幕府軍将兵や、西郷隆盛が祀られていない事実と共に、意外なのは、戦死した山本五十六海軍元帥の後任として連合艦隊司令長官に赴任した古賀峰一海軍大将は殉職故に、靖國に祀られていない事実は、常々矛盾に感じております。



    横浜臨海公園

    元カニ族

    元カニ族さん からの返信 2015/06/26 13:58:02
    RE: 靖國神社特別奉賛会会員として
    横浜臨海公園

    また、終戦の8月が近づいてきましたので、古い写真を整理して旅行記にまとめました。

    少なくとも、昭和天皇、今上陛下がお参りしない靖国神社に、政治家が100人も、誇り気にぞろぞろそろって参拝するするのはいかがなものでしょうか?
    あれを見るたびに、私は今の政治家のレベルを疑います。

    今回の私のレポートは、私情を抑えできるだけ客観的に書いたつもりで、ご批判は、読む人にお任せする方針で書いたつもりです。

    至らぬ点は、私の不徳のいたすところです。

    元カニ族

  • たびたびさん 2015/06/26 11:21:17
    政治的なことではあるのですが、敢えて
    遊就館を見なかったのは残念でしたね。太平洋戦争は正しい戦争だったという主張が堂々と述べられていて、本当にびっくり仰天しましたが、ただ、日本の知識人でもそれをちゃんと知っている人はむしろ少ないのではないでしょうか。これだけ問題になっているのに、実際のところはあまり知らない。日本人のおめでたいところかなあと思います。
    A級戦犯については、実態として、戦争はプロパガンダはあったにしても、国民のほとんどが浮かれたように戦争を積極的に容認していたのであって、特定の人だけが戦争に導いたわけではない。だから、なんで東条英機とかA級戦犯だけが悪いんだという心情もわからないではありません。しかし、誰かが日本の責任を負わないと日本の国際社会への復帰もできなかった。その犠牲となることがリーダーの最後の役割であってとても大きな意味があることだったのに、遺族の人の主張はいわばそれを台無しにするもの。私としてはとても残念でなりません。責任を負うことで日本を救ったのであって、それに対してひそやかに胸を張ってもらいたいのですが、いかがでしょうか。

    元カニ族

    元カニ族さん からの返信 2015/06/26 13:46:23
    RE: 政治的なことではあるのですが、敢えて
    たびたびさんさん

    おっしゃる通りだと思います。
    東京裁判において、戦犯が決まり、それにより世界中が納得して、講和が結ば、日本は平和国家を目指して頑張れたので。
    それを今更、東京裁判は間違っておたとか、言うことこそ、国際秩序を乱すものと思います。


    「しかし、誰かが日本の責任を負わないと日本の国際社会への復帰もできなかった。その犠牲となることがリーダーの最後の役割であってとても大きな意味があることだったのに、遺族の人の主張はいわばそれを台無しにするもの。私としてはとても残念でなりません。責任を負うことで日本を救ったのであって、それに対してひそやかに胸を張ってもらいたいのですが、いかがでしょうか。」

    まったく同じ思いです。

    元カニ族

    たびたび

    たびたびさん からの返信 2015/06/30 12:18:54
    RE: RE: 政治的なことではあるのですが、敢えて
    ついでに申しあげると。
    靖国神社の問題が中国や韓国から言われると、日本には日本の歴史があり、伝統文化があるというような反論がされることが多いのですが、その説明では靖国神社が日本の歴史や文化の代表みたいなことを言っているように思えて、非常に違和感があります。
    冗談じゃないと思います。日本書紀や古事記もありますけど、縄文時代や弥生時代は大陸とのつながりがあってのこと。日本文化芸術の最高峰の一つは正倉院の御物ですが、これはシルクロードに代表される唐の文化の影響を受けたものです。いわゆる日本的なものといわれるものは、異文化との交流があって、初めて形となっているのが真実。小堀遠州の庭は典型的な日本庭園と言われてますけど、その特徴である直線の多用は西洋の庭園技術を取り入れたものです。織部焼きの緑も南蛮文化や東南アジアの影響を色濃く受けています。円山応挙だって、写真を見て、遠近法を学びました。
    幕末に鎖国は日本の伝統であると息巻いていた尊王攘夷派ですが、鎖国なんか、徳川家康だって御朱印船貿易をやっていたし、ちょっとの間だけのこと。遣唐使が終わったのも、鎖国しようということではなくて、新しいニーズがなくなっただけのこと。最澄や空海で仏教改革ができたので、十分に役割は果たしていたのです。
    幕末から明治になって、国学が流行し、神道を国是とする風が一世を風靡しますが、廃仏毀釈とか、津和野のキリスト教弾圧とか。むしろ恥ずべき事象もたくさん起きてしまいました。
    つまり、日本文化は純粋ではなくて、いろんな要素を含んだ多面的で、柔軟なものだという特徴があるのです。そして、中国や朝鮮半島からそうした文化を取り入れて育まれてきたのです。なんで、そのことを言わずして、靖国神社が日本の伝統の代表選手みたいな言い方をするのか。まったくわかりません。また、それにまったく違和感を持たない人が多過ぎる。つまり、それだけ日本人は自分のことが分かっていない。国際化は、外国のことを知るのも大事ですが、それ以上に日本のことを知ることが大事なんですが、本当に嘆かわしい。靖国のことはその一端に過ぎないのですが、とにかく、残念でなりません。

    元カニ族

    元カニ族さん からの返信 2015/06/30 19:04:27
    RE: RE: RE: 政治的なことではあるのですが、敢えて
    たびたびさま

    日本の文化と世界のつながり・・・・同感です。
    「井の中の蛙」では、わかりません。
    旅行をして、世界を見て、初めてわかります。

    旅行は「タイムマシーン」に乗っているようなものと思っています。
    折角「旅行」をするのですから、しっかり目を開き、歴史、風土、その他もろもろ見ていきたいと思っています。

    これからもよろしくお願いします。

    元カニ族

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