2015/06/02 - 2015/06/02
32位(同エリア512件中)
ベームさん
6/2(火)、15日目。
旅はまだ続きますが5月19日ヴュルツブルクから始まったロマンチック街道の旅は今日で終わりです。
フュッセンはロマンチック街道の南の終点、ノイシュヴァンシュタイン城やリンダーホーフ城、オーバーアマガウなどへの拠点として人気のある町です。バイエルン最南部に位置しオーストリアと境界を接しています。標高808mはドイツで最も高く、レヒ川が流れる人口1万5千人の町。
イタリアからアルプスを越えてアウクスブルクに至るヴィア・クラウディア・アウグスタ街道が通り、この重要な交易路を守るため260年頃にはローマ軍の駐屯施設がありました。
8世紀中頃聖マングがこの地で活動し、修道院も造られ交易都市として発展。16世紀には当時ヴァイオリン製作の中心地となっています。14世紀にはアウクスブルク司教領になり、司教がホーエス城を建築しました。
写真は祝祭劇場からフォルッゲン湖の眺め。対岸に小さくノイシュヴァンシュタイン城が見えます。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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メインストリートライヒェン通りにある宿泊したホテルルートヴィヒ。
ヴィース教会編で書いたように5段階評価で1のホテルでした。おまけに昨夜、夜中にカチリとドアの鍵が回りドアが開いたような”気配”がする。”誰だ!”と怒鳴るとそのまま静かになった。何とも気持ちの悪い話。こんなホテルに4泊もしたとは情けない。 -
ライヒェン通り。
昔のローマ街道ヴィア・クラウディア・アウグスタと重なっています。 -
ホテルの前に由緒あるらしいシュタット・アポテーケ/市薬局。
シュタットとかライオン、マルクトと名の付く薬局の多くはは町の老舗です。
チェックイン後フォルッゲン湖畔の祝祭劇場に行くバスに乗るため駅の方に行きます。 -
途中ライヒェン通りの聖ニコラウス教会。
入口に若者がたむろしていましたがすり抜けて中に入りました。すこし怖かったですが、好奇心の方が勝りました。 -
小さく綺麗な教会でした。
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穏やかな色彩の天井画です。
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ロバに乗ってエルサレムに入城するキリスト。
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フュッセン駅前からバスで向かったのはフォルッゲン湖畔の祝祭劇場。
バス停フェストシュピールハウスB16で下車。10分足らずでした。 -
祝祭劇場。
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ミュージカル「ルートヴィヒ2世」を上演するミュージカル専用劇場です。
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建物を回り込むとフォルッゲン湖側に出ました。
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フォルッゲン湖の湖畔に建っています。
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素晴らしい眺望です。対岸にはノイシュヴァンシュタイン城。
城の左の山塊はテーゲルベルクだと思います。 -
こうして眺めるとノイシュヴァンシュタイン城は周りの山々のずっと麓にあるのが分かります。
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ノイシュヴァンシュタイン城。
そのおとぎ話めいたイメージ、神秘性がやや減殺されます。 -
ホーエンシュヴァンガウ城もちらりと。
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シュヴァンガウの教会と思います。
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フォルッゲン湖。
静謐な眺めです。 -
公演予告。
ケーニヒスガラ。豪華キャストによるミュージカルガラ。2015年9月5日。 -
ソフィア・オペラ「ニーベルンゲンの指輪」。2015年9月。
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バスでフュッセン市内に戻りホーエス城に向かいました。
ライヒェン通りのテラスは客で一杯です。左の方に小さく町の噴水、聖マグヌス像が立っています。 -
シュタット・アポテーケ。
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ライヒェン通りの賑わい。
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ライヒェン通りからのホーエス城の時計塔。
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別の時間帯、朝の時計塔。
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市庁舎。
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聖マング市教区教会の横を登って行きます。
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朝の聖マング教会。。
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ホーエス城。
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時計塔の下から城内へ。
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ホーエス城中庭。
アウクスブルク司教の夏の離宮として1500年頃建てられました。
今は州立絵画館になっています。 -
壁の絵はだまし絵です。
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中央の階段が絵画館入口。
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出窓。
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でも下から見ると出てない。
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出窓。
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でも下から見ると、出てない。
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ホーエス城からの眺め。
フォルッゲン湖。 -
右端にレヒ川。
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城内の絵画館の収蔵品です。宗教画が中心でした。
聖ジッペの祭壇。
上聖アガタと聖ドロテア。
下聖ウルズラの殉教。
1520年頃。 -
受胎告知。
1510年頃。 -
カオフボイレンの画家:受胎告知。
1490年頃。 -
カオフボイレンの画家:キリストの神殿奉献。
イエス誕生40日後、清めが終わったマリアはエルサレムの神殿に赴いた。
1490年頃。 -
アルゴイの画家:磔刑を待つキリスト。
1570年頃。 -
聖カタリーナ。
1498年。 -
聖カタリーナ。
1515年頃。
2枚ともアトリビュートの車輪が描かれています。 -
騎士の間の格天井。
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ホルバインとその工房作「皇帝ハインリヒと皇妃クニグンデの伝説の8場面」。
1505年頃。
左上:悪魔が若い男の姿でクニグンデの部屋に現われる。
左下:クニグンデ、ハインリヒに不義を責められる。
右上:ハインリヒ、クニグンデに神の裁きを受けることを宣告。
右下:焼けた鋤の刃の上を歩くクニグンデ。 -
左上:クニグンデは無実と判りクニグンデに許しを求めるハインリヒ。
左下:ハインリヒの死。
右上:大工に賃金を支払うクニグンデ。
右下:悪魔が隠者に、皇帝の魂を取ることが出来なかった、と伝える。
ザクセン朝最後の皇帝ハインリヒ2世(973?1024年)と皇妃クニグンデのことでしょう。二人の結婚は肉の交わりを持たない神聖なもので、為に世継ぎが無くザクセン朝は断絶しました。共に聖人に列せられバンベルク大聖堂に眠っています。その棺はティールマン・リーメンシュナイダーの作によるものです。 -
ゼバルト・ボップ:聖エリーザベト。
1495年。
衣の下に覗いているのがバラの花ならバラの奇跡の聖エリーザベトです。
チューリンゲン方伯妃エリーザベトは貧しい人たちに施すため禁制のパンを衣の下に隠して城の外に持ち出そうとしました。夫に見とがめられて衣を開くとそこにあるのはバラの花でした。 -
ゼバルト・ボップ:大天使ミヒャエル。
1495年。
死者の魂を天秤にかけて計っています。 -
ウルムの画家:聖マルタンと乞食。
1465年。
ある冬の寒い日震える乞食にマルタンは自分の衣を切り裂いて半分与えました。
その乞食はキリストだったのです。ローマの軍人だったマルタンはそれを機に信仰の道に入りました。 -
バルトロメオス・ツァイトブロム:最後の晩餐。
1506年。 -
ウルムの画家:聖フランチェスコの伝説による126場面の三つ折り祭壇画。
1500年頃。 -
街なかに戻りました。
楽器を奏でて一家の団欒、楽器の町らしい壁画です。 -
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値段は小さな人形の10ユーロ位から立派な家の100ユーロ位まで。
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レヒ川に来ました。
オーストリアアルプスを源にフュッセン、ショーンガウ、ランツベルク、アウクスブルクを経てドナウヴェルトの近くでドナウ川に合流しています。 -
レヒ川の橋の上から聖マング修道院教会を眺める。
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レヒ川からの眺め。
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聖マング修道院。
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修道僧マング/マグヌス(フュッセンの守護聖人)が748年に小さな庵を造ったのが起源。その後9世紀にアウクスブルクの司教によりベネディクト派聖マング修道院が設立された。今の建物は1717年改築されたもの。
この中には修道院付属聖マング教会、アンナ礼拝堂、フュッセン市博物館があります。 -
この美しい部屋は図書館です。
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美麗な吹き抜け。
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図書室です。
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世界一美しい図書室ではないでしょうか。。
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アンナカペレ。
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祭壇。
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アンナカペレ/アンナ礼拝堂。
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カペレの天井。
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天井のフレスコ画。
三位一体のテーマ。代願者としてのマリアと死と悪魔により鎖で縛られた世界。
18世紀中頃。 -
マリアの無原罪の宿り。
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マリアの神殿への入場。
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祭壇の向かいには有名な20枚の「フュッセンの死の舞踏」の絵があります。
1602年ヤーコプ・ヒーベラー作。 -
「死の舞踏」とは14~15世紀ころ主にヨーロッパで流行した、死者/死神と生者が手を取り合って踊る場面を描いた絵画や彫刻の様式。
死者は普通骸骨で示され、生者は王侯貴族、聖職者、士農工商から子供まであらゆる階層の人間が登場する。 -
人はどんな階級、身分のものでもある日必ず死を迎えすべて平等に無に帰す、という当時の死生観を表しているという。常日頃死を忘れるな、という警告ともいう。
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以下は説明用のパネル写真です。
この種の様式が流行したのは中世後期、特に14世紀にヨーロッパ中を席巻したペストに起因するとも言われる。地域により3割から5割の人が犠牲になったという。
荒れ狂うペストの前にはどんな身分のものでも無力だとし、実際死の恐怖から逃れるため踊り狂う人々も現れたらしい。 -
ドイツ各地にペスト記念柱があり、どんなに人々がペストを恐れ、その終焉を祈り喜んだかが分かります。
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上:死と教皇、死と皇帝。
下:死と医者、死と商人。
夫々の絵には死神と死にとりつかれた者の問答が書かれています。
キリスト教界の最高者ローマ教皇も、俗世界の王者皇帝も例外ではありますん。 -
上:死と司教、死と侯爵。
下:死と高利貸、死と高官。 -
上:死と貴婦人、死と司祭。
下:死と乙女、死と子供たち。 -
上:死と侯爵夫人。
下:死と農夫。農夫でも豪農ですね。 -
上:死と客引き。
下:死と画家(この絵の作者ヒーベラー)。 -
死と貴婦人。
絵葉書。 -
死と侯爵。
絵葉書。 -
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これから先は博物館です。
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発掘された修道院の地下。聖マングが埋葬されていたといいます。
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古い弦楽器の展示。
フュッセンは16世紀から18世紀にかけてリュート、ヴァイオリンの主要生産地でした。 -
リュート。
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ヴァイオリン製作工房。
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博物館の窓から。
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レヒ川。
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次は聖マング市教区教会です。
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入口に横に聖マング像。
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主祭壇。
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身廊の天井。
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ズーム。
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聖母子。
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ホーエス城。
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聖マング修道院をでてレヒ川の方に下ると聖霊シュピタール教会が建っています。
1749年。 -
ファサードのフレスコ画。
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下の左は消防の守護聖人聖フロリアン、右筏の守護聖人聖クリストフォロス。
いずれも水に関係があり、レヒ川の岸に建つ教会にふさわしいフレスコ画です。 -
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車軸のように見えるのは人物像です。
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レヒ川の水の色、乳白色をしています。
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アルプスを源とする川はいずれも滔々と流れています。
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レヒ川の遊歩道沿いにフランチスカーナー修道院の方に歩きました。
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竜を退治する聖ゲオルク。
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彼方にホーエス城と聖マング教会。
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フランチスカーナー修道院。
1629年創設、1986年改築。 -
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修道院付属聖シュテファン教会。
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聖痕を受ける聖フランシスコ。
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聖母被昇天。天上では神とキリストがマリアに戴冠せんものと待ち構えています。
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キリスト復活。
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ピエタ。
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カオフボイレンの聖クレセンチア。
カオフボイレンの織工の娘。1682~1744年。 -
修道院の庭。
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ヴュルツブルクから始まったロマンチック街道の旅も漸く終わりです。
修道院の横に回り込むとその先に、 -
その先にあるのが「ロマンチック街道終点」の門。
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エンデ・デア・ロマンティッシェン・シュトラーセ。
スタート当初はDBのストライキに悩まされ、途中ではバスの時刻の情報不足など
予定通りに行かないこともありましたが無事縦断することが出来ました。 -
プルヴァー塔。
ささやかな満足感を持ってホテルに戻りました。 -
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シュランネン広場。
ガストホーフ・クローネ。 -
ブロート/パン広場のリュート職人の泉。
明日はメミンゲンからオットーボイレンに回りミュンヘンまで行きます。
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この旅行記へのコメント (3)
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- frau.himmelさん 2015/11/16 16:05:10
- 遅れ馳せながら・・・
- ベームさん、本当に遅ればせながら、ロマンティック街道踏破の旅おめでとうございます。
DBのストライキ、また土地柄大変交通の便の悪いところを、お一人で旅をなさったベームさん、巡礼者のようです。
「ロマンティック街道終点の門」ってあるのですね?
巡礼の旅人がサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指したように、ベームさんは終点の門を目指して進み続けられた・・。
達成感は如何ばかりだったか、私たち凡人には計り知れません。
ところがせっかくの達成感を喜びたいホテルが最低とは?
全くついていませんでしたね。
実は私もまだ4トラに登録する前に3泊したフュッセンのホテル酷かったことを思い出しました。
日本人の口コミではまあまあだったので、ブッキング・コムで申し込んだのですが、部屋に入ってみると、ベッドの下、部屋の隅などほこりがフワフワ。そして朝食付きで申し込んだのに、宿の主人らしい老婆が出てきて、今一人で管理しているから明日は朝食はできない、外で食べてくれと。
結局3泊とも朝食なし、なら朝食代を返してと交渉したらノラリクラリと雀の涙ほどを返してくれました。その後どうしたんだったかしら。
「死の舞踏」ご覧になったのですね。詳しい説明ありがとうございます。
私は、調査不足だったため帰ってからその存在を知って悔しかったこと・・。
さすがにすごい絵ですね。
私がもう一度フュッセンに行くとすれば、お城でもなく、この絵を見るためだけに行きたいと考えています。
himmel
- ベームさん からの返信 2015/11/17 11:05:11
- RE: 遅れ馳せながら・・・
- himmelさん、
有難うございます。
しかし巡礼者になぞらえるなんて、それもサンチャゴ・デ・コンポステラの巡礼になぞらえるなんて大仰すぎます。信心心もないただ興味本位の私にはその資格はありません。でもそう仰っていただいて嬉しいです。動機は清らかでないにしてもようやくたどり着いたという満足感はありました。
さてインスブルックですね。
インスブルックカードは他と比べても確かに高いと思いました。私もhimmelさんと同様元を取るのに貪欲です。でもハーフレカー展望台とか幾つかの施設で利用すればそれは簡単でした。ペットボトルの話、himmelさんの面目躍如で微笑ましいです。
リベンジ好きのhimmelさん、たしかフライブルクのレストランでも果たされましたね。ホテル・アドラーの著名人の宿泊者リストで一人見つけましたよ。ハイネの下に1790年ザクセン・ヴァイマール公妃アマーリエとあります。あのゲーテをヴァイマールに招聘したカール・アウグストの母だと思います。
私の行った時期6月初めも見かける東洋人はその国の人ばかりでした。辺りをはばかることなく街なかを闊歩していました。
インスブルックは2泊されたのですか、まだまだ続きますね、楽しみです。
ベーム
- ベームさん からの返信 2015/11/17 11:11:38
- RE: RE: 遅れ馳せながら・・・
- > himmelさん、
>
> 有難うございます。
> しかし巡礼者になぞらえるなんて、それもサンチャゴ・デ・コンポステラの巡礼になぞらえるなんて大仰すぎます。信心心もないただ興味本位の私にはその資格はありません。でもそう仰っていただいて嬉しいです。動機は清らかでないにしてもようやくたどり着いたという満足感はありました。
>
> さてインスブルックですね。
> インスブルックカードは他と比べても確かに高いと思いました。私もhimmelさんと同様元を取るのに貪欲です。でもハーフレカー展望台とか幾つかの施設で利用すればそれは簡単でした。ペットボトルの話、himmelさんの面目躍如で微笑ましいです。
>
> リベンジ好きのhimmelさん、たしかフライブルクのレストランでも果たされましたね。ホテル・アドラーの著名人の宿泊者リストで一人見つけましたよ。ハイネの下に1790年ザクセン・ヴァイマール公妃アマーリエとあります。あのゲーテをヴァイマールに招聘したカール・アウグストの母だと思います。
> 私の行った時期6月初めも見かける東洋人はその国の人ばかりでした。辺りをはばかることなく街なかを闊歩していました。
> インスブルックは2泊されたのですか、まだまだ続きますね、楽しみです。
>
> ベーム
追伸。
アマーリエ公妃、himmelさんの記事にありましたね。赤印が付いていなかったので見落としていました。
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