2015/05/21 - 2015/05/22
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montsaintmichelさん
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横浜の近代建築の特徴は、「海上から見られること」を意識してデザインされた建物が多いことです。それを顕著に表すのが「キング・クィーン・ジャック」と呼ばれる『横浜三塔』や「クイーンズタワー」、「横浜グランドインターコンチネンタルホテル」等々です。これらの建物の鑑賞ポイントは、すばりスカイラインです。建物のプロフィール、つまり屋根や塔が織り成す輪郭の魅力です。空を切り取る塔などのスカイラインを楽しむのが、横浜の景観を鑑賞する最大のポイントです。みなとみらい21中央地区のランドマークタワー~クイーンズスクエア~パシフィコ横浜が形成するスカイラインも見られることを意識したデザインとして知られていますが、ビル群とは一線を画す近代建築のプロフィールは一種独特のエレガントかつエキゾチックな雰囲気を漂わせています。
横浜市開港記念会館は、多種多様な形態を持つドームや尖塔で飾られた複雑なスカイラインが魅力です。神奈川県庁は、ごつごつして猛々しい力強さが帝冠様式の中に漲っています。横浜税関は、女性的な柔らかく優美なラインが気をそそります。
それでは、横浜近代建築鑑賞の旅にご案内いたしましょう。
今回お世話になったマップです。
http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/570236.pdf
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 徒歩
PR
-
浜菱
横浜市のマークである浜菱は、1909(明治42)年にカタカナの「ハとマ」を上下に組合わせてデザイン化したもので、開港50周年を記念して制定された意匠です。
かつては横浜の名産品だった醤油に浜菱が沢山使われていたそうですが、現在では唯一「横浜醤油株式会社」だけになったそうです。
伝統のある浜菱を背負った名産品を絶やさないでいただけたらと思います。 -
横浜市開港記念会館(重文)
赤煉瓦の時計塔(ジャックの塔)が建つ場所は、横浜商工会議所発祥の地であり、横浜町会所跡であり、岡倉天心が生れた生糸売込商「石川屋」があった場所でもあります。
旧き佳き時代を彷彿とさせる会館は、1916(大正6)年、横浜開港50周年を記念し、市民の寄付金を募って建設された横浜モダン建築のシンボルであり、大小62室、1200人収容の市民の集会施設です。建設経緯と共に、時計塔をシンボルとした建築形姿が市民に深く愛される要因となっています。 現在も公会堂として利用され、大正期の公会堂としては希有な存在であり、大阪市中央公会堂と共に大正期の公会堂建築の双璧とされています。 -
横浜市開港記念会館
外観デザインは、赤煉瓦に白い花崗岩をボーダー状に巡らせ、どことなく復元された東京駅舎を彷彿とさせるノスタルジーを帯びた雄姿です。化粧タイルや天然スレート、銅板、白花崗岩、赤煉瓦など多彩な素材が使われた外装の真骨頂は、こうした様々な要素を組合わせたハーモニーにあります。また、内部や装飾様式も、ゴシックやローマンカトリック、ギリシア、日本などの意匠を混在させ、美しいものを貪欲に取り込みエネルギッシュです。建物の様式は、日本では「辰野式フリークラシック」と呼ばれ、19世紀後半にイギリスで流行した様式です。設計原案者の福田重義氏は東京駅舎を設計した明治の名建築家 辰野金吾氏の薫陶を受け、辰野金吾氏は明治政府が招いた英国人建築家ジョサイア・コンドル氏の一番弟子に当たります。因みに、実施設計は、山田七五郎氏を中心に行われ、後に横浜市建築課佐藤四郎氏が当たり、市役所営繕の力量を示すに相応しい作品に仕上げていることも注目される点です。
3つの隅部に、時計塔や角塔、8角塔を配し、ドームを架けた複雑な建築構成は、赤煉瓦建築における最終到達点を示す作品とも讃えられています。高さ36mの時計塔は、大正期の鉄骨煉瓦造という類例のない構造技術の極みを示すと共に、石材装飾のディテールにはセセッションの反映が窺われ、大正期独自の造型も兼ね備えた味わい深い建物です。 -
横浜市開港記念会館 エントランス
関東大震災後に修復されたものの、次なる危機が1945年に訪れました。第二次世界大戦末期の5月29日午前、横浜市は米軍の大空襲に晒されたのです。街は火の海と化し、逃げ惑う人々をその炎が容赦なく襲いました。たった1日で3650人もの尊い命が奪われたそうです。この会館がある関内や桜木町地区も多くの家々が焼け、一帯は焦土と化しました。しかし、この会館だけは奇跡的に戦禍を逃れました。
何故、会館だけが焼けなかったのか?
家を焼かれた市民が必死に防火活動をしたおかげだと言われています。家を焼かれ、街を壊されたにもかかわらず、否それ故に「横浜の顔」だった会館だけは焼かれてなるものかという思いで必死に守り抜いたと伝えられています。
つまり、会館は、寄付によって創建そして再建され、市民の手によって守られてきました。その意味で、この会館は横浜を象徴する建物と言っても過言ではありません。ですから今でも市民公会堂として連綿と歴史が受け継がれ、市民に親しまれ、大切にされているのです。 -
横浜市開港記念会館 マンサード屋根
玄関の上部には「大バラ窓」、その上には三角ぺディメントを擁した重厚なマンサード屋根が載せられています。また、両脇には斜塔を従えています。
設計原案では上部に大きなドーム屋根を載せていたそうですが、実施設計ではやや小規模なマンサード屋根に改められたそうです。 -
横浜市開港記念会館 時計塔
関東大震災でも倒壊しなかった時計塔です。この会館のランドマーク的存在の時計塔は、「ジャックの塔」の愛称で親しまれ、高さは36mあります。「市民が全員見られるように」と4面に時計が設置され、多くの市民から好感を持って迎え入れられたそうです。
会館に使用された煉瓦は、日本煉瓦製造のものが良質であったことから採用され、相当量の煉瓦が血洗島(現埼玉県深谷市)の同工場から運搬されたそうです。1000℃以上の高温で焼いた赤煉瓦は、雨が浸み込みにくいそうです。 -
横浜市開港記念会館 ドーム
竣工時に載せられていたドーム部分は、1985年に往時の設計図が発見されたことにより、1989年に大正時代の姿に復元されています。
それまでは、パラペット装飾が数個載せられていたそうです。その姿は、後ほど館内の資料写真を引用して紹介いたします。 -
横浜市開港記念会館
ドーム側から見た全景です。鮮やかな色彩とデザインが存在感を顕にしています。どこから見ても絵になる実に美しい会館です。
往時の使用材料記録には、外壁に有田産化粧タイルと茨城県稲田産の花崗岩、高塔のバラストレード(手摺り)の装飾には国産テラコッタ、屋根を葺いた天然スレートは宮城産の玄昌石と記されており、往時の我が国の最高水準の煉瓦建築意匠であったことを偲ばせます。 -
横浜市開港記念会館 8角搭
ドームを載せた8角搭は、1階が貴賓用玄関で2階が貴賓室になっています。
設計原案では円筒形だったそうですが、実施設計に際して風水などを鑑みて8角形に改められたそうです。
8角搭の均整の取れたシルエットは「日曜画家」の心を捉えて離さないそうです。 -
横浜市開港記念会館 ドーム
王冠を彷彿とさせる威厳のある8角ドームです. -
横浜市開港記念会館 岡倉天心生誕の碑
会館の東側の道路に面した所に、岡倉天心のブロンズ製レリーフを嵌め込んだ生誕碑があります。「岡倉天心生誕之地」のプレートは、前田青邨氏と並ぶ歴史画の大家 安田靫彦(ゆきひこ)画伯の筆になります。天心は、1862年にこの地に生まれ、やがて美術家や美術評論家として名を馳せ、東京美術学校(現東京藝術大学)の設立に大きく貢献した日本美術院の創設者です。
この地には開港期から明治初期まで天心の父親が支配人を務めていた生糸店「石川屋」があり、その後に町会所が建てられました。この碑は、日本の美術文化に偉業を残した天心を顕彰し、開港100年事業として1959年に完成したものです。
石碑や建造物を眺めながら、歴史を肌で感じることができる場所だと思います。 -
横浜市開港記念会館 エントランス
竣工当時は貴賓室やビリヤード場も備え、 政財界のサロンとしても用いられました。 また、演奏会が催されるなど文化施設としての役割も担っていたそうです。
玄関の庇もラグジュアリーそのものです。 -
横浜市開港記念会館 玄関ロビー
玄関ロビーにはイオニア式柱頭を載せたオーダーが見られます。
現在は中区公会堂として利用され、講堂や会議室以外は自由に見学できます。
内部は関東大震災で外壁と時計塔を残して焼失したため、現在の姿のほとんどは1927(昭和2)年に修復されたものです。落成後わずか5年で遭遇した未曾有の震災に、創建に携わった人々の心痛はいかばかりだったでしょう。
1999年には内外装の補修工事が行われ、震災復旧当時の美しさが蘇っています。
内部を見学できることを知らない方が多いのですが、外から眺めるだけでなく、ぜひ建物の中にも入ってみてください。「ジャック・サポーターズ」というボランティアさんが常駐され、建物内を無料でガイドしていただけます。 -
横浜市開港記念会館 玄関ロビー
入口は3連のアーチ状になっており、その上部には摺りガラスのファンライトが設けられています。 -
横浜市開港記念会館 玄関ロビー
アーチは大理石製の角柱で支えられ、その上部には華麗な金色の装飾が施されています。玄関ロビーから見所満載です。 -
横浜市開港記念会館 玄関ロビー
玄関ロビーの床タイルに描かれている絵は、ボランティアの方の説明では宝相華とのこと。
丁度、玄関ロビーの中心部に描かれ、その中心から四方を見やるとその先にも小さな宝相華が描かれて直線で繋がっています。
ダン・ブラウン著『ダ・ヴィンチ・コード』に登場したサン・シュルビス教会の子午線に近い発想のものかもしれません。 -
横浜市開港記念会館 講堂入口
扉の上にある格調高い装飾に目が点になります。 -
横浜市開港記念会館 「港史」
1階玄関ホールの左側には、洋画家 猪瀬踏花画伯から寄贈された作品「港史」が展示されています。大桟橋付近にあった税関の姿を描いた作品だそうです。背後には大型客船も一部見えます。
猪瀬踏花画伯の情報は少ないのですが、1907年に生まれた方で、横浜市に住まれていたようです。
ボランティアの方によれば、近々取り外されるようなことをおっしゃられていました。特別展示かと思いましたが、ネット情報では2007年に展示情報がありますので、新しい絵画に交換されると言うことかもしれません。 -
横浜市開港記念会館
否応にも長い歴史の重みを感じさせる、往時の雰囲気を湛えた階段です。飾窓から差し込む柔らかな心地よい陽光が階段の足元を照らしています。
NHK TVドラマ『坂の上の雲』では、この飾窓を背景に白い軍服を纏った「秋山好古」役の阿部寛さんが逆光でシルエットとなり、颯爽と階段を下りてくるシーンが映されていたのが印象的でした。 -
横浜市開港記念会館 飾窓
西洋風デザインのバラ窓です。
円に混じって横浜市の市章「浜菱」もそれとなく配置されているのがポイントです。 -
横浜市開港記念会館 2階ホール
西洋の宮殿の広間にでも迷い込んだような雰囲気です。
半円アーチ状ロマネスク様式の張り出しや木の実を彷彿とさせる球体シェードの天井ランプが何とも優雅です。天井ランプの漆喰装飾も見所のひとつです。
また、コーナーに設けられた扇形をモチーフにした通風孔もお洒落です。
細部にまで拘った実施設計者 山田七五郎氏の真骨頂と言えます。 -
横浜市開港記念会館 2階講堂
講堂は、毎月15日(土日の場合は、月曜日)の一般公開でしか見ることができません。講演中でしたが、運良く扉が開けられていたので撮影することができました。
講堂内全体が丸みを帯びたデザインになっています。舞台は、まるで絵画の額縁の様な感じで金色の装飾で縁取られています。ヴォールト天井や豪華なシャンデリアの列なども息を呑む素晴らしさです。ギャラリー部分を含めて481席あるそうです。往時は長椅子だったため、600名ほど入れたそうです。
この会館は、欧米諸国をはじめとする外国文化の窓口だった横浜を象徴する建物でもありました。往時、この講堂で公演を行った面々は錚々たるメンバーです。日本人初の国際派プリマドンナとして欧米各地のオペラハウスで活躍したソプラノ歌手 三浦環や日本を代表するテノール歌手であり藤原歌劇団の創始者 藤原義江、日本クラシックバレエの育ての親 エリアナ・パヴロバ、20世紀の最も偉大なバイオリニストのひとりのミッシャ・エルマン等々…。世界的演奏家や歌手がこぞって同会館のステージで公演を行っています。こうしたことから、会館は「文化の殿堂」と呼ばれていたそうです。
戦後〜開港100周年に当たる1958(昭和33)年までは米軍に接収され、「メモリアルホール」と呼ばれてGHQ向けの映画館として利用されていました。
長崎 グラバー邸にある三浦環像は、次のサイトを参照してください。
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=32663557 -
横浜市開港記念会館 2階ホール ステンドグラス
ステンドグラスに描かれているテーマが奇抜です。ある意味、ステンドグラスらしくない、「呉越同舟」(左)と「箱根越え」(右)です。中央は、「鳳凰」。
2階ホールや中央階段の壁面にあるステンドグラスは、本場ドイツでステンドグラスの技術を学んだ日本のステンドグラスの開祖 宇野澤辰雄氏が率いたステンドグラス製作所の手による由緒正しいものです。
ステンドグラスの特質が活かされ、精巧で繊細かつ多彩なデザインと色彩に目を奪われます。1923(大正12)年の関東大震災により焼失しましたが、1927(昭和2)年に当初の意匠を尊重して復元しています。宇野澤氏は44歳で亡くなられたため、元々作品の数は多くなく、また大部分が震災や戦災で失われたため、これらの珠玉の作品は美しいと言うだけでなく、希少な存在だそうです。
この時代、日本ではステンドグラス自体が非常に珍しく、国会議事堂のステンドグラスでさえも外国製のものだったそうです。ですから、日本のステンドグラスの歴史を語る上でも貴重な存在と言えます。作品には職人の気概と矜持が漲っているように感じます。 -
横浜市開港記念会館 2階ホール 「鳳凰」
復元時に取り付けられた正面ファンライトには、一対の鳳凰の姿が見られます。このステンドグラスや階段の装飾窓には、開港50周年を記念して制定された横浜市のマークの「浜菱」が入れられています。その浜菱が、同じく開港記念50周年に建設が決定した建物の各所に隠れているというのも感慨深いものがあります。 -
横浜市開港記念会館 2階ホール 「呉越同舟」
何故「呉越同舟」かと言えば、渡し船に乗っているのは対岸で行われるお祭りに参加する大道芸人たちで、舟から下りればお互いに客を取り合う好敵手になるからだそうです。
2階ホールのステンドグラスは、主として米国Kokomo社製のガラスを使用して制作され、全部で2046ピース、400kgもあるそうです。このステンドグラスは1927年に復元されたものですが、経年劣化で歪や汚れが目立ったため、2008年に平山健雄氏の手によって修復され、かつての色合いを蘇らせたそうです。 -
横浜市開港記念会館 2階ホール「箱根越え」
「箱根越え」は、外国人たちが狭い駕籠に乗っている様子を描いています。往時、箱根は外国人保養地として人気があり、外国人が多く訪れたと言われています。
ただし、富士山の位置関係が不自然なため、もっと横浜に近い権太坂や街道筋を描いたものではないかとも言われています。 -
横浜市開港記念会館 2階ホール「咸臨丸帰航図」
勝海舟が米国渡航時に乗船した咸臨丸(かんりんまる)の帰航図です。海国日本の心意気を画面一杯に漲らせた傑作で、横浜市出身の海洋画家 飯塚玲児画伯の寄贈品です。
咸臨丸は、1860年、勝海舟以下96名の乗組員の手によって日本軍艦として初の太平洋横断に成功しました。通訳として福沢論詰や中浜万次郎などが乗船し、37日間かけてサンフランシスコに到着、無事大任を果たして帰国しました。
1858年 に調印された日本修好通商条約の批准書交換が米国ワシントンで行なわれることになり、幕府は新見豊前守を正使とする遣米使節国一行17名を米国軍艦ポーハタン号で送りました。しかし、この時、幕府の海軍操練所の教授方頭取 勝海舟らは、一国の使節団が外国軍艦に便乗することを快しとせず、ポ号の護衛随行という名目で練習艦「咸臨丸」の派遣を決めたのです。
現在は米国の顔色を窺いながら国政を操作している日本政府ですが、往時はこのように分不相応なストレッチをしてまで諸外国から見下されないようにしていたのです。往時の人々の気概と矜持がストレートに伝わってきます。 -
横浜市開港記念会館 2階資料室
大バラ窓から眺める神奈川県庁本庁舎「キングの塔」の雄姿です。 -
横浜市開港記念会館 2階資料室
天井のランプにも意匠が凝らされています。 -
横浜市開港記念会館 2階資料室
8角搭ドームの変遷の写真が展示されています。
真ん中の写真は、ドームの代わりにパラペットが載せらています。大震災で屋根が焼け落ち、1927(昭和2)年の修復で鉄筋コンクリート造の陸屋根となり、その際に時間的余裕がなくドームの代わりにパラペットが載せられました。 -
横浜市開港記念会館 2階資料室
関東大震災で時計塔や外壁を残して崩壊した会館の生々しい姿です。(左端) -
横浜市開港記念会館 2階 螺旋階段
資料室の左奥には時計塔に続く美しいフォルムの螺旋階段があります。
1年に2回、6月2日の開港記念日と3月10日三塔の日(語呂合わせ?)に登ることができるそうです。先着300名限定で、入搭料100円を支払えばOKだそうです。
因みに、時計塔頂上への階段は117段あるそうです。目が回りそうですね! -
横浜市開港記念会館 2階 貴賓室
年季の入ったドアノブです。
うねった曲線のフォルムと繊細な装飾に見とれてしまいます。 -
横浜市開港記念会館 2階ホール「開港前の横浜風景」
この絵画が掛けられている部屋は、元は食堂だったそうです。
和田英作画伯が1927(昭和2)年、現東京藝大教授として最も充実していた頃の2枚の絵画が向い合わせで掲げられています。開港前の横浜風景と明治期の横浜港の風景です。この絵は、現在の本町4丁目辺りから山下町方面を、東から見て描かれたものだそうです。
美術館ではないので照明の映り込みなどに配慮されていないため、何が描かれているのか良く判らないのが残念です。 -
横浜市開港記念会館 2階ホール「明治期の横浜港」
過去の風光明眉な漁村、横浜村の風景と明治後期の横浜の隆盛した絵画とを見比べさせることによってその変遷と人々の力の偉大さを後の市民に知らせることを目的に描かれたものだそうです。西洋画で言えば、風刺画に近い性質の絵画と言えるかもしれません。日本画では珍しいのでは?
因みに、和田画伯は、黒田清輝門下で学び、明治〜大正〜昭和期にまたがる日本洋画界の雄と称されています。 -
横浜市開港記念会館 2階 エレベータホール
明治時代の煉瓦造における最高の耐震構造である碇聯鉄(ていれんてつ)構法を見ることができます。エレベーター新設工事で現れた外壁の断面をそのまま展示し、垂直方向には1.8m間隔に直径40mmの鋼鉄棒を通し、水平方向には各階毎に幅100mmの帯鉄を敷いて連結補強しています。
歴史的建造物と言えども、現在も利用されている建物ですからエレベータ新設というバリアフリー化は避けて通れません。その結果が副次的な産物を生み出したということのようです。 -
横浜市開港記念会館 2階エレベータホール
廊下もエレベータ新設に伴いバリアフリーに改修されていますが、往時の6角タイルの床面が現在の床の下に少しだけ見られる設定になっています。
この6角形のタイルは珍しいものだそうです。 -
横浜市開港記念会館 2階廊下
中庭を見下ろせる廊下にあるアーチ窓です。十字架を思わせる桟が気になるところです。往時は大きなガラスが高価だったことで、9ピースに分割しただけかもしれませんが…。
天井から吊り下げられたペンダントライトも優美です。 -
横浜市開港記念会館 2階廊下
中庭に置かれた、かつての8角塔の屋上に載せられていたパラペット装飾です。
1989年にドームを復元した際に取り外されたものです。再建後、ドームが載るまではこのパラペットが代わりに載せらていました。 -
横浜市開港記念会館 2階貴賓室
大隈重信や皇族が利用したとされる8角形の貴賓室には、8角形の机と8脚の椅子が置かれています。オペラやバレエを鑑賞する際、待合室として利用されたそうです。
また、この建物の窓の多くは3連窓と呼ばれる3個セットの意匠が随所に見られます。これは、キリスト教の三位一体(=父なる神+子なる神+聖霊)を隠喩したものとも言われています。8角搭の風水と三位一体のキリスト教のハーモニー。ここはまさに、洋の東西が高いレベルで融合された部屋と言えます。 -
横浜市開港記念会館 2階貴賓室
戦後、GHQが横浜から東京の日比谷に司令部を移した後、横浜税関には米第8軍司令部が置かれました。8角塔はオクタゴンタワー、8角形の特別室はオクタゴンホールと呼ばれ、第8軍と8角形という8繋がりもあり、マッカーサー元帥がいたく気に入っていたそうです。 -
横浜市開港記念会館 2階貴賓室
唐草をモチーフとしたモダンな唐草風の模様が施された8角形の電灯です。 -
横浜市開港記念会館 2階貴賓室(展示パネル)
創建時の天井は、このような鳳凰の刺繍が施されていたそうです。
「震災前の内装は、寄木貼りの床に暖炉、柾板の腰壁と絹緞子貼の壁、中央に木象嵌の鳳凰(後藤仙之助 作)を施した板張り天井であった」。(展示パネルより) -
横浜市開港記念会館 2階貴賓室
目線を少し下げると、壁には小さく可愛らしいライトが取り付けられています。このライトは「クレマチス」を象ったものだそうです。
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横浜市開港記念会館 2階貴賓階段室ステンドグラス
貴賓階段踊り場にあるステンドグラス(縦5.5m、横2.7m)は、ペリー乗船の米国旗艦ポーハタン号(蒸気外輪フリゲート)が来航する様子をモチーフとしています。
1854年、ペリーはこの船を旗艦として来航し、横浜村に上陸して日米通商条約を締結しました。また、1858年、神奈川県沖に停泊中のポーハタン号の船上で日米修好通商条約が米国総領事ハリスの下で調印されました。更に、1860年に幕府の遣米使節団一行がこの船に乗り、日米修好通商条約の批准書を交換するために太平洋を横断して米国へ出航しました。船の向こうには日本を象徴する富士山が覗き、そのすぐ隣の艦尾には星条旗が揺らいでいます。
ステンドグラスは筆舌に尽くし難い美しさですが、もうひとつの見所は十字架のような桟が組込まれていることです。ステンドグラスでこうした桟を設けるのは珍しいと思います。貴賓室の3連窓などとの合わせ技でキリスト教の影響があるのではないでしょうか? -
横浜市開港記念会館 貴賓階段室ステンドグラス
ポ号の艦尾に星条旗が描かれていたことから、戦時中このステンドグラスを民衆の敵意から守るため、全体を布で覆って見えないようにしていたそうです。
それにしても、往時の日本軍がこのステンドグラスを「敵性」として破壊しなかったのは、どのような判断によるものだろうかと思いを馳せてしまいます。国産ステンドグラスという事実を知り、星条旗への嫌悪以上にその技量に敬服の念を持ったのかもしれません。
因みに、「ポーハタン」とは、アメリカ先住民族のある部族の首長の名前だそうです。 -
横浜市開港記念会館 貴賓階段室ステンドグラス
表面に加工された独特の畝や溝が、見る角度によって色彩のニュアンスを変えるのも魅力的です。
このガラスの一部には、ティファニーのものが使用されているそうです。白系統のティファニーホワイトやティファニーオパールは、高価な色ガラスだったそうです。
戦後、この施設を接収した米軍は、星条旗をあしらったステンドグラスの保存状態に対して敬意を顕し、会館を勝手に改修することなく、とても丁寧に使用したそうです。つまり、このステンドグラスの星条旗が会館を米軍の手から守ったのです。 -
横浜市開港記念会館 貴賓階段室
階段の親柱などには、港町らしく波と貝殻をモチーフにした意匠が刻まれています。 -
横浜市開港記念会館 貴賓階段室
気品に満ちた階段です。
貴賓玄関から入って、この階段を登って貴賓室へと向かったのでしょう。 -
横浜市開港記念会館 貴賓階段室
無意識にステンドグラスに目が向いてしまうのですが、この貴賓階段もなかなかのものです。登り口を広げることで温かく迎え入れる気持ちが伝わってきます。こうしたちょっとした気遣いが、日本人固有の「おもてなし」の本質なのかもしれません。
見学順路ではこの階段を降りるのですが、登って行く方が断然気分が高揚すると思います。
時空を超えた優雅なひと時を愉しませていただきました。 -
横浜市開港記念会館 貴賓階段
階段の茶色と白色の境界部のラインをよく見てください。
階段の側面には波型の美しいカーブが施されているのが判りますか?
港のモチーフとして採用された意匠ではないかと思います。 -
横浜市開港記念会館 1階貴賓玄関
昔は貴賓専用だった横浜公園側の入口です。
バラの花をモチーフにした六角形のモザイクタイルの手の込んだ床面や天井の漆喰装飾から、往時の貴賓を「おもてなし」する心が伝わってきます。
大理石製の扇状をした階段も格調高いものになっています。 -
横浜市開港記念会館 1階貴賓玄関
1階南端の8角塔にある玄関の内部です。
外扉と内扉がある格式高い造りとなっており、来賓専用の出入口として使われていました。天井も一段と豪華な造りになっています。
こうした8角塔は、法隆寺の夢殿などに象徴される和の建築意匠であり、風水に準拠した建築物に見られる形態です。8角形の建物は、日本建築においては、真円すなわち完全を意味する性質のものです。 -
横浜市開港記念会館 1階玄関
表玄関の階段には、このように地下室の明り取り用のガラスブロックが見られます。壁なら明かり取りの窓が付けられますが、階段はこうした苦肉の策を講じたようです。
サクッと内部見学するつもりで立ち寄ったのですが、ステンドグラスや階段などの美しさや秘話に魅せられてすっかり長居してしまいました。震災や戦争と言う歴史に翻弄されながらも見事に再生を果たした名建築は、「ジャックの塔」の名に恥じないドラマチックな宮殿でした。
次に目指すは、「キングの搭」です。 -
神奈川県庁本庁舎
昭和初期のナショナリズムの台頭と共に日本古来の美を表現するのが流行った時代背景を投影した建物です。井桁を組んだような斬新なデザインの屋根には、頂に五重塔等に見られる相輪を持つ和風の塔が載せられています。
3代目庁舎が関東大震災で焼失後、コンペで小尾嘉郎(おび よしたか)氏のデザインが採用されました。鉄骨鉄筋コンクリート造、地上5階、地下1階建で、その中央部に塔を建て、全体で9階建として1928(昭和3)年に竣工しました。洋風建築に和風の搭を載せた景観は、帝冠様式の魁と称されています。帝冠様式は、一目で日本のものと判ることから、戦時下の満州や中国などで流行し、「軍服を着た建物」との異名を持ちました。まさに「キングの塔」と呼ばれるに相応しい、重厚長大な佇まいです。
因みに、国登録有形文化財と近代化産業遺産に指定されています。 -
神奈川県庁本庁舎
この建物はライト様式とも言われます。世界3大近代建築家の巨匠のひとりであるフランク・ロイド・ライト氏が先鞭を付けた様式で、表面に溝を刻んだスクラッチタイルと大谷石を用いた幾何学的な装飾模様が特徴です。原案者 小尾氏はライト氏に心酔していたそうですから、「さもありなん」と言ったところでしょうか?
ライト様式の代表的作品が、旧首相官邸です。
正面にたなびく3本の旗は、中央が県旗で神奈川の「神」を図案化したものです。右側がシンボルカラー旗と言い、神奈川県の気候や風土、県民性を象徴した「かながわブルー」の旗です。 -
神奈川県庁本庁舎
正面玄関車寄せの柱に施された装飾や矢印模様の連続装飾など、直線のみで構成したアール・デコ風の装飾が随所に見られます。エントランスの先にあるレトロ感溢れる玄関ホールも、幾何学的なアール・デコ装飾と和風意匠とが調和し、荘厳さを感じさせます。
ホールや階段は、昭和時代を描いた映画やTVドラマの撮影などによく使われているそうです。 -
神奈川県庁本庁舎
エントランスも歴史を感じさせます。
この庁舎の竣工が1928年。ホテルニューグランドもその翌年に建てられ、氷川丸も1930年に進水し、丁度チャップリンが新婚旅行も兼ねて横浜からシアトルに向けて乗船した頃になります。想像するだけでもワクワクします。 -
神奈川県庁本庁舎
アール・デコと和の要素を組合わせたデザインが随所に見られます。
戦後のある意味無機質な建築デザインとは異なり、自然に温かみが感じられホッとします。
早速「宝相華(ほうそうげ)」模様がありました。 -
神奈川県庁本庁舎 玄関
玄関のシャンデリアです。
カップの所とその上にあるカバーには、小さいながら県樹のイチョウの葉があしらわれています。 -
神奈川県庁本庁舎 玄関ホール
玄関ホールから階段室にかけての玄関ホールは、鉄筋コンクリート建築ながら和のエッセンスも散り嵌められています。天井には、梁を支える瑞雲を象った肘木(ひじき)や扇形の電灯など和の意匠が取り入れられています。
列柱の先には、母子像が佇んでいます。ここは県庁ですが、この像を見て横浜市の政策とその対比となる大阪都構想を思い出しました。
大阪都構想にストップがかかり、ホッとした方も多かったと思います。賛否拮抗しましたが、126年の歴史を誇る大阪市が地図から消えてしまう現実を直視した結果となりました。次は、反対した人たちが、大阪市を良くするために何をするかが問われる番です。
ひとつのヒントが横浜市にあります。林市長は、待機児童問題解消などの政策を進め、「子育てしやすい街」と言う横浜ブランドを確立しました。街にはそれぞれ文化や歴史があり個性がありますが、それだけでは暮らし易い街にはなりません。市民が抱える課題に正面から向き合い、市長や自治体が具体的な打ち手を講じることで新たな個性が創出できるというロールモデルだと思います。
橋下氏は、初めは直轄事業負担金制度など、タブーに切り込んで改革の旗手として輝いていましたが、人をバッシングして衆目を集める手法は「橋下バブル」と揶揄され、いつの間にかはじけてしまいました。また、市長と府知事が身近な関係という絶好の環境にありながら、二重行政というお互いの牙城に切り込もうともせず、仕組みが変わらなければ何もできないとエネルギーを集中してきたのです。仕組みを変えるエネルギーがあるなら、まず市民が抱える目の前の課題解決に費やすべきです。例えば「生活保護受給者数が日本一少ない街にする」といった政策を打ち出して実行していけば、ブランドになると思います。全国の市町村が抱えている少子高齢化に伴う人口減少を如何に食い止めるかが、喫緊の課題ではないでしょうか?大阪市はその先駆者になって欲しいと思います。 -
神奈川県庁本庁舎 玄関ホール
エントランスを抜けると重厚な大理石製の階段が出迎えます。
階段の踊り場には、草原にいる白馬の絵画がかけられています。
平日は限られた場所のみ自由見学できますが、土日は知事室や旧貴賓室など普段見られない場所を一般開放されています。 -
神奈川県庁本庁舎 玄関ホール 陶製球形照明
中央階段の両サイドに置かれた陶製球形照明は、旧帝国ホテルにあるライト氏のものと類似していますが、極楽浄土に咲く幻の花「宝相華」をモチーフにした模様をあしらった宇治平等院のものによく似ているそうです。
宝相華は、仏教書にある唐草模様の一種で、奈良時代や平安時代に装飾として用いられ、牡丹や蓮花、葡萄などから合成された模様が花のように見えるためこの名があります。 -
神奈川県庁本庁舎 階段
手摺りのグリルや階段ホールの梁や壁に埋め込まれた装飾タイルにも「宝相華」を反映し、内部意匠を統一しているのも特徴です。 -
神奈川県庁本庁舎 屋上
6階の展示コーナー入口の横から屋上へ出ることができます。横浜ベイブリッジや日本大通り、みなとみらい21地区など、「これぞ横浜」といった風景が一望できます。こんな所にこんな心地よいオープンエアスペースがあることはあまり知られていないようです。
海岸通り沿いには、緑青のドームを冠した「クイーンの塔」が聳える横浜税関。右奥には赤レンガ倉庫が見られます。 -
神奈川県庁本庁舎 屋上
日本大通り側から海側を見れば、大桟橋が海へと延びています。
はるか遠くには華麗な姿のベイブリッジも見えます。 -
神奈川県庁本庁舎 屋上
ここから横浜開港記念会館を俯瞰すると屋根の形状を確認することができます。
欲を言えば、8角ドーム屋根が見える所まで立ち入りを許可していただけたらと思います。
ドーマー窓の並んだ寄棟屋根やマンサード屋根の上部に載せられた越屋根が見られます。
「ジャックの塔」の奥に見える高層ビルは、横浜メディア・ビジネスセンターで、神奈川新聞社やテレビ神奈川(TVK)などが入居しています。 -
神奈川県庁本庁舎 屋上
横浜三塔はいずれも関内地域の海寄りに位置し、愛称で呼ばれています。
「キング:神奈川県庁」は、五重塔をイメージさせるスタイルで、昭和初期に流行した帝冠様式の魁と言われています。「クイーン:浜税関」は、イスラム寺院風のエキゾチックなドームが特徴です。「ジャック:横浜市開港記念会館」は、北東隅に時計塔、南東隅に8角ドーム、北西隅に角ドームを配しています。
これらの愛称の由来については、昭和初期に外国人船員達がそれぞれをトランプのカードになぞらえて命名したとか、チェスの形からなど諸説あり一致を見ません。 -
神奈川県庁本庁舎 屋上
横浜三塔は幸いにも戦禍を免れて建ち続けたため、何時の頃からか船員達が航海の安全を祈り、これらを目印に入港したと伝えられています。実は今では地上から三搭を同時に望める場所は限られており、4ヵ所しかありません。
その内の3スポット(①赤レンガパーク、②県庁分庁舎前、③大桟橋国際客船ターミナル)を一日で巡ると願いが叶うという都市伝説があり、「横浜三塔物語」と言われています。カップルで巡ると結ばれるという噂もあります。因みに.②県庁分庁舎前は、冬季でないとイチョウの葉が視界を遮り、見ることが叶いません。
また、もうひとつの象の鼻パークにある横浜三塔スポットは、 他よりも後にできたため「恋愛祈願の新スポット」とされています。
都市伝説の由来は2つあります。ひとつは「外国の船乗りが、横浜三塔に航海の安全を願掛けした」という言い伝え、もうひとつは「三塔が震災などの試練を乗り越えてきたことから、カップルも困難を乗り越えて結ばれる」というものです。どちらの説からも、横浜三塔が昔から特別な意味を持っていたことが判ります。
都市伝説スポットのマップは、次のサイトを参照ください。
http://www.osanbashi.com/santou/2012y3towers.pdf#page=3 -
神奈川県庁本庁舎 屋上
どこから見ても絵になる会館です。 -
神奈川県庁本庁舎 屋上
屋上から見上げる「キングの塔」です。屋上から見た塔は、独立した建物のようにも見えます。
設計コンペ1等当選案には、なんと塔のてっぺんに観音様の立像が描かれていたそうです。パンフレットには、「『穏健質実且つ厳然として冒し難き我国風』を表現したという1等当選案の塔は、五重塔がモチーフで、最頂部には観音像が据えられていました」と記されています。
原案者 小尾氏は、直接的に五重塔をビルに載せることはせず、近代様式風にデフォルメさせています。そして海上からの眺望に配慮するとの設計要領に合わせるため、観音像を塔頂部に載せたのです。観音像は言わばニューヨークの「自由の女神」のアナロジーといったところでしょうか…。とにかく海上から眺めて、日本に到着したことを知らしめるシンボルマークとしたかったようです。
現在のキングの塔に観音像が存在しないことから判るように、佐野利器(さの よしたか)氏が顧問を務めた神奈川県庁舎建築事務所の実施設計において観音像案は葬られ、五重塔の相輪のようなものが取り付けられました。結局、日本においては、西欧の建築物のように最頂部に聖人やマリア像などを載せるような荒業は悪趣味と一蹴されたようです。確かに、車窓などから巨大な観音像が見えたりすると、ありがたい気持ちになるよりも嫌悪感が先立ちます。日本人の性でしょうか?外国人にはうけたかも???
尚、塔屋内部は、かつては神社などが置かれていたそうですが、現在は階段部分の強度上の問題から非公開になっています。 -
神奈川県庁本庁舎 屋上 テラコッタ
かつて軒先を飾った荒い縦溝でデザインされた外装用の粘土を焼いて作ったテラコッタの装飾が保存展示されていました。1963(昭和38)年に取り外してここに復元したものだそうです。
現在、かつてテラコッタのあった部位は銅板で覆われていますが、一部にテラコッタが使われた部位もあり、キングの塔の厳しい印象を造り上げているひとつの要素と言えます。
テラコッタとは、イタリア語で「テラ=土」+「コッタ=焼く」という意味を持ち、片手では持てない大きさの外装用の焼き物の総称で、彩色されたものもあります。屋上に往時のテラコッタを展示しているのも心憎い演出です。 -
神奈川県庁本庁舎 4階
4階には旧正庁の装飾タイルが壁に嵌め込まれて保存展示されています。
これは、この壁の裏にあった儀式を行う部屋「正庁」の正面壁だそうです。「宝相華」をモチーフに浮彫りにして焼き込んだ装飾タイルです。
この壁の裏手の部屋には、天皇陛下の御真影が飾られているそうです。現在では庁舎の1室となっていますが、格天井などにその名残が見られるそうです。(非公開) -
神奈川県庁本庁舎 階段踊り場
加藤敏夫画「昇華」。
リングの中で蝶々が舞う幻想的な絵画です。 -
神奈川県庁本庁舎
室内には外壁とは違ったスクラッチタイルが施され、釉薬(ゆうやく)をかけたものや光沢のあるものが貼られています。間近で見ると「焼き豆腐」を彷彿とさせます。
ライト様式と和様式の融合が建物の内外に展開された独自の世界観が広がる空間です。ディテールを観る時間はあまりなかったのですが、奥が深い建築物であることは実感できました。ここも想定外に長居してしまいました。
次に向かうのは「クイーンの搭」です。 -
横浜税関
「クイーンの塔」という名称がしっくりくるエキゾチックかつ優美な姿を呈しています。ロマネスク様式を取り入れたイスラム寺院を彷彿とさせる緑青色のドームをベージュ色の磁器タイルが覆う様が印象的な建物です。
1859(安政5)年、開港と同時に横浜税関の前進となる「神奈川運上所」が開設され、1872(明治4)年には「税関」と改称されました。1923(大正12)年の関東大震災で2代目庁舎が倒壊し、その後、財政窮乏の続いた時代は、税関の仕事は平屋のバラック建で行われていたそうです。そんな折り、大蔵大臣 高橋是清が「失業者救済のため土木事業を起こすべき」と提案し、第22代税関長に就任した金子隆三氏は、この意を受け失業者救済を兼ねて3代目税関庁舎(現庁舎)の建設に着手し、1934(昭和9)年に竣工させました。 -
横浜税関
設計は、大蔵省営繕部管財局工務部。東宮御所の装飾意匠や実質的な国会議事堂の設計者とされる吉武東里氏が設計主任で、内装は総理大臣公邸を設計した下元連氏と伝えられていますが、詳細は不明だそうです。
設計段階では塔高は47mしかなかったそうですが、税関長の「日本の表玄関たる横浜港の税関庁舎とするなら、横浜で最も高くすべき」との鶴の一言で搭高51.5mの横浜税関が誕生しました。 この辺りも国:横浜税関>県:神奈川県庁>市:横浜市開港記念会館といった力学が作用したのかもしれません。ユニークなエピソードです。
終戦後、庁舎は連合軍総司令部に接収されました。税関長室は司令官マッカーサー元帥が執務したとされる部屋で、レトロなインテリアが置かれているそうです。 -
横浜税関
正面玄関の装飾は、様々な建築様式がブレンドされています。玄関と5階のアクセントにもなっている見事な造形美を見せる3連アーチは、ロマネスク様式の基本要素であり、庁舎全体の主要なモチーフとなっています。また、玄関アーチを支える円柱はインド古代建築風、アーチ周りの装飾はスペインのアルハンブラ宮殿にならった数種類のタイルを蜘蛛の巣状に組合わせたムーリッシュ風、ねじれ柱はクラシック系と税関や国際都市 横浜に相応しいエントランスとなっています。日本とは思えないエキゾチックな風情があり、ファッション誌の背景としてよく見かけます。
正面玄関にある表札は、庁舎新築当時の大蔵大臣 高橋是清の直筆と伝えられています。 是清は、不況対策として税関庁舎の復興工事を進めた人物でもあります。
左端にある旗は「日の丸」ですが、その手前の旗は見たことがありません。赤い丸は「日の丸」と同じですが、背景の斜め半分が白と青に分かれています。この旗は「税関旗」です。青は、昔は海を、最近では空港も税関の管轄となったため海と空の青を意味しているそうです。そして白は陸を意味し、その間にあるのが税関ということらしいです。 -
横浜税関
ドームは、銅板の一文字葺きで、創建当初は赤銅色でしたが長い歳月を経て美しい緑青色へと変色しています。暖かみのあるベージュの外壁は「クイーン」の名に相応しく、柔和で女性的な雰囲気を感じさせます。海に向かって建ち、現在も横浜の港を見守り続け、横浜市認定歴史的建造物と近代化産業遺産に指定されています。
外壁の上部には、パルメット(棕櫚:シュロ)とハニーサックル(忍冬:スイカズラ)を象った波型の棟飾りが巡らされています。扇状のパルメットは、ギリシア時代の神殿装飾にも使われています。パルメットの棟飾りは大小合わせて461個あり、下から眺めた時に同じ大きさに見えるように6階テラスのものはやや大き目になされているそうです。
コーナーに付けられた端柱は、塔の灯りと同じデザインをしており、上階に9本、2階に7本立てられています。 -
横浜税関
塔屋のある横浜港側が建物の正面ですが、玄関は背面に置かれています。左右対称を重視する往時の官庁建築としては変則的な構成となっています。恐らく、港から建物の正面が見られることを重視したデザインだと思われます。
ライトアップが無かった時代に、白熱灯が灯す塔のシルエットは、長い航海をしてきた外航船の船員にとって魅力的な港ヨコハマを演出していたに違いありません。 -
横浜税関 資料展示室「クイーンのひろば」
入口に佇むのは、税関のマスコット「カスタム君」です。麻薬探知犬をモデルとしたゆるキャラで、洋ナシ型の安産体型をした税関のイメージキャラクターを務めています。
予定外ですが、せっかくなので一般解放されている展示室を覗いてみることにします。
作家 有島武郎の父親は、かつて横浜税関長を長きに亘って務めていたそうです。思春期の頃に読んだ横浜を舞台にした『或る女』の人間描写には、驚愕した覚えがあります。しかし、その後、この作家がクリスチャンにもかかわらず婦人記者との不倫の末に心中したことを知り、暗い気持ちになりました。
心象描写を得意とする執筆家の裏の顔だったのか、いくら立派なことを書いていても結局は行為そのものがその人を表現するものだと思います。
今では良い反面教師になっていただいたと感謝の気持ちでいっぱいです。 -
横浜税関 資料展示室「クイーンのひろば」 模造麻薬見本
ビジュアルにアピールすることに徹しており、とても判り易い展示内容になっています。修学旅行生と思しき中学生も熱心に見学し、メモをとっていました。
「覚せい剤」や「大麻草」、「アヘン」、「ヘロイン」、「コカイン」…と名前だけは良く聞くものばかりですが、実物を見るのはこれが初めてで、ある意味貴重な体験であり感動的でもあったりもします。
しかしその先には、ホッとする歴史が示されています。
「日米修好通商条約」には、「阿片の輸入厳禁」の文字が見られます。これは4ヶ国との条約にも盛り込まれています。この時以来、今日までずっ〜と我国では麻薬の国内持込を禁止していることを知りました。
歴史の教科書には「不平等条約」と言う文字が躍っていたのですが、国家の安全・安心を維持するために守るべき所は譲らなかった大老 井伊直弼は、往時では珍しい世界観を持った幕臣だったと新ためて感服させられました。
井伊直弼が青春時代を過ごした彦根「埋木舎」の旅行記はこちらを参照してください。
http://4travel.jp/travelogue/11009550 -
横浜税関 資料展示室「クイーンのひろば」
運上所と明治時代の税関職員の制服を纏ったマネキン人形もあります。ファッション用のマネキンなので、顔と衣装が完全にミスマッチなのはご愛嬌です。一瞬、往時は外国人が税関職員だったのかと納得してしまったほどです。
正直なところ、クイーンの塔にまつわる「県庁よりも高く」というエピソードは幼稚な見栄の張り合いと嘲笑していました。しかし、こうして実際に訪ねて観て、建物のデザインに国際都市として相応しいグローバルな建築様式が採用されていることを知りました。往時、日本では「高さ」は気高さの象徴の筆頭であり、国の威信をかけた税関としての気概と矜持を、「高さ」というビジョンに込めて職員ならびに国民に知らしめるためだったと気付かされました。
この続きは、問柳尋花 横浜逍遥③山手西洋館<前編>でお届けいたします。
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