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天保2(1831)年、渡辺崋山は、相模川を渡って厚木宿に入り、旅籠「万年屋」に宿泊しました。そしてここで二泊し、厚木の著名人たちと交流を深めました。また後に初代厚木町長になった斎藤鐘輔に懇願され、厚木の景勝を描いた「厚木六勝図」を残しています。<br /><br />図は渡辺崋山が描いた「厚木六勝図」です。図は佐野博正氏蔵(金子勤著「大山道今昔 渡辺崋山の游相日記から)より拝借しました。<br /><br /><br />そして、渡部崋山は、人々に別れを惜しまれながら、厚木から数百メートル上流の「金田の渡し」から舟に乗って相模川を下っています。ここで「游相日記」は終っていますが、平塚からその後は、江ノ島、藤沢、浦賀を回って江戸に戻っています。<br /><br />前回の私の旅行記は、厚木宿の旅籠「万年屋」で終わりましたが、今回は「本厚木駅」をスタートして「愛甲石田駅」までを綴ります。<br /><br />

大山街道⑧ 本厚木駅(厚木市)~愛甲石田駅(厚木市)

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2015/05/14 - 2015/05/14

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元カニ族

元カニ族さん

天保2(1831)年、渡辺崋山は、相模川を渡って厚木宿に入り、旅籠「万年屋」に宿泊しました。そしてここで二泊し、厚木の著名人たちと交流を深めました。また後に初代厚木町長になった斎藤鐘輔に懇願され、厚木の景勝を描いた「厚木六勝図」を残しています。

図は渡辺崋山が描いた「厚木六勝図」です。図は佐野博正氏蔵(金子勤著「大山道今昔 渡辺崋山の游相日記から)より拝借しました。


そして、渡部崋山は、人々に別れを惜しまれながら、厚木から数百メートル上流の「金田の渡し」から舟に乗って相模川を下っています。ここで「游相日記」は終っていますが、平塚からその後は、江ノ島、藤沢、浦賀を回って江戸に戻っています。

前回の私の旅行記は、厚木宿の旅籠「万年屋」で終わりましたが、今回は「本厚木駅」をスタートして「愛甲石田駅」までを綴ります。

同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩

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