2015/05/05 - 2015/05/05
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たびたびさん
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今の時代だと、鈴鹿というと鈴鹿サーキットを連想してしまうのですが、古来有名なのは古代三関の一つ、鈴鹿の関の鈴鹿です。ちなみに、古代三関の残りは、不破関(関ケ原町)と愛発関(敦賀市)または相坂関(大津市)のこと。そして、何んとこの関を境にして、西日本と東日本が分かれているんですから、そう考えると、関宿ってとんでもなく意味を持った場所なんじゃないでしょうか。
また、東海道本線は名古屋から旧中山道の方を通ってしまうので、分かりにくいのですが、名古屋からの東海道は桑名からこの亀山宿や関宿を通っていました。米原・彦根や近江八幡は中山道にあたります。
つまり、かつては東海道の表街道だったのに、鉄道の敷設とともに裏街道になったことで、価値ある伝統的な遺産が残りやすくなったということもあるかもしれません。それが理由かどうかは分かりませんが、いずれにしても、街並みは、伝統的街並み保存地区に指定されていて、かつては旅籠だったという雰囲気ある建物がしっかり残っているし、志ら玉や深川屋といった和菓子の名店も健在。うなぎの人気店なども含めていろんな楽しみ方ができる場所だと思いました。
四日目後半は、信楽の陶器まつりを予定しているので、例によって駆け足の旅となりましたが、それでも十分にこの地の素晴らしさは感じれたのではないかと思います。
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早朝、亀山のホテルを出発して、そのまま亀山宿の散策です。
道から参道の先に立派な鐘楼門が見えて、これがこの寺、遍照寺のシンボルでしょう。そこから、坂を少し下ったところが本堂です。全体として、山の斜面に建っているので、境内は広くありませんが、この本堂は旧亀山城二之丸御殿の玄関と式台を移築したものだそう。ただ、鐘楼門の方がずっと目立っているとは思います。 -
旧亀山宿を早朝歩いていたら、街道沿いにもう開いているお店がありまして、見ると奥では支度の真っ最中。こういう朝早いお店はうれしいですよね。
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「出来立てなので柔らかいですよ〜」という餡子のお餅をいただきましたが、確かにふわふわです。逆に、もうちょっと固くてしっかりしてもいいのではと思うくらいでしたが、これがこちらの主義なんでしょう。本当にふわふわです。
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亀山市には旧東海道の宿場町が複数あって、一番有名なのは関宿なのですが、旧亀山城の城下町だったこの亀山宿もそれに次ぐと思います。
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東海道46番目の宿場町で、約2.5kmの街並みは、城下町だったこともあって、坂道や曲がりくねった道が多くて、それも特徴の一つ。ただ、武家屋敷門や青木門などの史跡もありますが、やはり、関宿のような賑やかさはないので、観光客にはすこし寂しいかもしれません。
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旧亀山宿で亀山城に次いでの観光スポットは、この侍屋敷遺構。亀山藩石川家6万石の家老職加藤家の長屋門と土蔵だったもの。ナマコ塀とかは傷んでいないし、それなりに維持の手が入ってきているのでしょう。当時の立派だった姿がそのままに感じられます。
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亀山藩は、藩主の交代が頻繁だった藩のよう。石川・板倉の交代について説明されていましたが、両家の交代は二度行われていて、出戻りと言った感じで戻ってきた石川家が幕末まで続きます。また、これにより備中松山との関係もできたようですね。石高は5〜6万石です。
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そして、メインの亀山城跡は、亀山宿とほとんど一体になったロケーション。
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石垣とその上に建つ多門櫓は、亀山宿のポスターなどにも使われていて、亀山を代表する景色になっています。
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多門櫓自体は下から登ると間近で見れるんですが、
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むしろ、下から石垣を見上げる方が迫力はあるような気がします。
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隣りにあるのは、亀山神社。たぶん、他でもあるように、藩主の祖先を祀ったりした神社かと思います。詳しいことは、よくわかりません。
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亀山公園は亀山城跡の石垣の近くに児童遊園のような公園があって、これが中心かと思ったら、少し離れた場所に開けた菖蒲園があって、これはいいじゃないですかあ。こっちがむしろ見所でしょう。花の時期はまだでしたが、それでも十分雰囲気は感じられます。
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もう一度、旧東海道に戻ってきて。
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中ほどにある森家住宅は、国の登録有形文化財。旧亀山宿には、亀山城跡のほかあまり見どころがないので、そういう意味でこの住宅は貴重な見どころと言ってもいいかもしれません。外観を見るしかできませんでしたが、切妻造瓦葺のどっしりとした構え。町家の雰囲気が濃厚な建物だと思います。
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慈恩寺は、浄土宗の寺。
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運動場のように広い境内にポツンと建った本堂前に案内板があって、聖武天皇の勅願によって行基自作の薬師如来を安置したことが始まりという説明。たぶん、その薬師如来が現在の本尊の木造阿弥陀如来立像だと思いますが、国の要文化財となっているようです。
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亀山宿の最後は宗英寺。ただ、旧亀山宿の中心部からはちょっと離れているので、訪ねるには不便かもしれません。
境内に大きな銀杏の木があって、樹齢約600年だとか。太い幹がまっすぐに天に向かって伸びていて、その堂々とした形から、何かが伝わってくるような。一見の価値はあるように思いました。 -
さて、これで亀山宿はおしまい。関宿に移動します。
JR関駅内に亀山市観光協会の事務所があって、列車の待ち合わせの時間にちょっと雑談をしていたのですが、面白い話が二つ。京都に亀岡市というのがありますが、元々はこちらも地名は亀山。こちらの亀山とダブるというとで、京都の亀山は亀岡市に改名されたんですよという話をしたら、実はと。。岡山にも亀山城という城があって、こちらの亀山城が破却されたのは岡山の亀山城と間違えられたからなんだそうです。たぶん、備中松山の城なんでしょうが、それはまったくひどい話ですよね。
もう一つは、亀山というのは食べるぜんざいの意味もあるそうです。亀山=ぜんざい。どういうことでそうなのかは分かりません。 -
関駅に到着。
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関宿へは、ここから歩いて数分。
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この道を上がったところです。
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なるほど。
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亀山宿と比べると、こっちはよく街並みが残っていますねえ。これはテンションあがってきましたよ〜
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まずは、延命寺。東海道からは少し脇に入った場所です。
山門の前に、白い杭があって、延命寺山門が旧川北本陣の門であったという説明が書かれていました。
川北本陣は、関宿にあった本陣の一つ。17世紀後期に作られた薬医門で、屋根の鬼瓦には川北家の家紋である三蓋松が彫られています。 -
関神社は、旧関宿の端っこ。規模はそうでもないのですが、一段高い場所に境内があって、ちょっとした格式も感じます。
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関氏の祖、実忠という人物がが紀伊国熊野坐神社の分霊を勧請したと伝えられ、夏まつりは賑やか。神輿渡御や山車曳きも行われるそうです。
関氏の一族では、関一政。関ヶ原の戦いで東軍に寝返り、亀山に復帰したのですが、ほどなく、伯耆黒坂藩に5万石で移封となり、この地との関係は途切れています。 -
関宿の施設はまだ開いてなさそうだし、国の史跡ということで気になった正法寺山荘跡を訪ねてみることにしました。
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山荘跡は、関宿から歩いて20分くらい。ちょっと離れています。
これは山荘辺りから流れてくるという渓流。これもなんか雰囲気ありますね。 -
さらに山道を少し登って、それらしい場所が見えてくると、これは素晴らしいじゃないですか。
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涼しげな木々の間に青い芝生と
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石積みされた排水溝や井戸跡がしっかり残っています。
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イチオシ
鎌倉から戦国時代にかけてこの辺りで勢力を誇っていた関氏の砦をかねた山荘だったということですが、
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羽黒山を背景にした山懐から清流も流れ出ていて、本当にいい場所にあるもんです。桜の名所でもあるということですが、これは確かに桜も映える場所でしょう。
それにこんな山の中なのに、ちゃんときれいに整備されていて、地元ではちゃんと大事にされているんでしょう。津で津城が荒れていたこととかまた思い出してしまいましたが、やはり歴史的なものに対する地元の方の意識の高さの違いということかと思います。 -
イチオシ
ではこれくらいにして、関宿へ帰ります。
山荘跡は、この羽黒山のふもとにあったんですね。ここから見えても新緑がとても美しいです。 -
遠かったけど、確かに得るものはあったでしょう。
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とても、いい気分です。
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街に戻って。
福蔵寺は、織田信長の三男である織田信孝の菩提寺。 -
イチオシ
本能寺の変の後のことですが、信孝は、秀吉との後継争いに敗れ、自害することとなってしまいます。
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織田信孝のお墓も探したのですが、説明板によると墓はなく位牌があるだけのようでした。
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街の中心部、徳川家康の茶屋御殿跡という場所に高札場跡という遺跡があります。しっかりとした姿で建っているので後になってから復元されたものだとは思いますが、旧宿場町でこんなに往時の姿をとどめている例は少ないのではないかと思います。
法度や宿場町の決まりごとを掲示したものだそうですが、複数の板が架かっていて、当時の様子はよく分かります。 -
イチオシ
すっかりいい天気になってきました。青空に街並みがよく映えています。
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これは、関宿を代表する観光施設の玉屋です。
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江戸時代の旅籠とはどんなものだったのでしょうか。
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具体的にイメージできる人は意外に少ないかもしれませんね。
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旧関宿を代表する旅籠だった建物を保存したもので、
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玄関から土間が
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奥までずっと続きます。
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うなぎの寝床のように奥が深くて、さらに進んだ土蔵の方には、歌川広重の浮世絵もありました。
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さて、座敷に上がると、これは東海道53次の屏風。
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東海道に関する資料もそれなりに展示されています。
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こちらは、離れの座敷。
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主人が使っていた部屋か、
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上客の部屋のように思います。
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座敷から見るお庭も小さいですが、とっても風情があるじゃないですかあ。
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イチオシ
二階に上がると、布団が敷かれた部屋など当時の様子を再現した展示。こんなの初めて見たような。。
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こちらは、続きの宴会場。けっこう当時の気分が伝わってきて、新鮮な感じで拝見いたしました。予想外に見応えがありました。
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これは、伊藤本陣跡。関宿には川北本陣と伊藤本陣の二つの本陣がありました。
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百六里庵は、関宿の中ほど。
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かつての町家の敷地が小さな公園のように整備されていて、なあんだそれだけかなあと思ったのですが、
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イチオシ
ふと気づくと入口の脇に旧関宿を二階から眺める展望所のようになっている建物があって、そこから街並みを眺めるとこれがけっこうな眺望。これは気が付きにくいので、お見逃しないよう。
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まちなみ資料館は、玉屋資料館と並んで、江戸時代の宿場町がどういうものだったかを偲べる施設だと思います。
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狭くて薄暗い入口を入っていくと、ここも奥が深い。当時の建物の独特の雰囲気がよく分かります。
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これはお祭りの道具でしょうか。たぶん、こうしたものは、楽しみの少なかった時代だと胸をときめかせるものだったんでしょうね。今でもそんな感じはしますけどね。
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床の間には、欄間に違い棚の付いた純日本建築。ここが奥の間です。
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伊藤本陣、川北本陣の二つの本陣の解説など、
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関宿の概要や町並み保存の取り組みなどの資料もありました。
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瑞光寺は、関氏ゆかりの寺。
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山門を入ると境内はよく整備されていて、建物もそれぞれ立派です。本堂の前に権現柿という柿の木があって、これは徳川家康がこちらに立ち寄った際に食べたと伝わる柿の木だそう。東海道の宿ですから、家康に限らずいろんな人が行き来したことだと思います。
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あれ、甲冑を着ている人がいるじゃないですか。なんでも、こちらは、橋爪家といって、江戸時代には両替商を営み、江戸にも出店を持っていたという豪商だそうです。その後、江戸時代の末期は芸妓の置家でもあったようですが、今でも町興しに貢献したいということで、こうして甲冑の貸出も行っているということなんですね。
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これは本物だよとおっしゃっていましたが、甲冑を身に着けた人も皆さん大満足の様子。これは楽しい企画です。
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街角には、こんな手描きの絵葉書もあちこち飾られていて、これなんかも街を盛り上げようとする地元の人たちの思いが伝わってきます。
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イチオシ
そして、こちらの深川屋は旧関宿の中心にあって、旧関宿を代表する和菓子のお店。
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寛永年間創業以来370年以上の歴史を持つという銘菓「 関の戸」が看板商品。餡子を薄い求肥で包んで、それに和三盆をまぶしたお菓子。小さいんですが、餡子のねっとりした甘さと和三盆の爽やかな甘さのハーモニーが素晴らしくて、とても上品だし重厚感のある味わいです。求肥の方は積極的な役割はしていないかもしれませんが、いずれにしても、掛け値なしのうまさだし、これだけの存在感。めったにお目に掛かれるものではありません。
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イチオシ
関宿にはいくつかのお寺がありますが、街道からも大きな本堂が丸見えだし、この地蔵院が一番目立っているのではないかと思います。始まりは奈良東大寺を建てたことで知られる行基が地蔵菩薩を安置した寺ということで、歴史も古い。
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この鐘楼なんかも、石垣に乗っかったすごい造り。赤と黒のコントラストも素晴らしいデザインだと思います。
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これは西の追分。少し、道幅が狭くなっているんですが、それがまたいい感じですね。
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少し行くと、これは誓正寺。
境内に入ると、本堂の前に石灯籠のような形をした筆子塚。江戸時代のことですが、法瑞先生という子供に習字などを教えた住職のことが紹介されていました。 -
もう一度中心部に戻って、これは志ら玉屋。楽しみにしていたのに、朝9時半になっても開かないので心配したのですが、10時前になってやっと開店してくれたんですね。おばちゃんが店先でみたらし団子を焼き始めたのを見つけて安心しました。
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イチオシ
ただ、ここの名物は何と言っても志ら玉団子。少し噛みごたえもあるお餅の固さが、体の疲れを癒してくれるような感じで絶妙ですねえ。餡子の伸びやかな甘さも素晴らしいし、これは関宿に来たら食べないと話になりません。緑と赤と黄色の点は、春、夏、秋を表していて、そうなると冬は白いお餅ってことかもしれませんね。
いずれにしても、あちこち歩いた後に、志ら玉団子を食べてちょっと一息つきました。 -
小萬の湯は、関宿の地蔵院辺りから少し坂を登ったところ。駐車場に隣接した足湯施設です。
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この日も、地元の人でしょうか。何人もの人が湯につかっていて、おしゃべりをしていました。少し濁った湯はちょうどいい加減の温かさ。塩分も含んでいるようです。
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以上で関宿は終了。
道の駅 関宿に寄ってみます。
ここは、旧関宿から近いのですが、関駅からはもっと近い。鉄道で来た観光客にもとっても便利でしょう。 -
例によって、野菜やいちご、甘夏などの柑橘類も揃っていて、量は限られていますが、内容は充実しています。駐車場も広くて、たくさんのお客さんで賑わっていました。
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そして、これがどうしても気になっていたうなぎ屋さん。
うなぎの初音という超人気のうなぎ屋さんです。
実は、1時間前に予約を取っていたんです。お店の前には名簿が用意されていて、それに記入します。連休中だったこともあるかもしれませんが、もうけっこうな数の予約でした。 -
もうすぐ開店です。私の予約は12番目なので、安心です。しかし、こうしている間にも、お客さんが次々やって来ますね。
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第一陣で入店しましたが、それでも、注文した品が出てきたのは30分以上たってから。
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イチオシ
さて、いただいたうな丼の方は、ガツンとくるようなうなぎを想像していたのですが、 意外にあっさり系。上品というような繊細さもないことはないのですが、むしろ、なぜここまでの人気なのかはよく分からない。敢えて言えば、客の捌き方が上手?というのが正直な感想です。
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もう一軒気になったのが鈴鹿亭。関駅を出てすぐにあるお寿司屋さんです。
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最近注目されているという巻寿司がうまそうだったので、一本買ってみました。
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なるほど、これはうまいですね。
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卵焼きのボリューム感とかも含めて、温かな家庭の味わいといった仕上がり。評判通りの巻寿司だと思います。
ということで、これで亀山はおしまい。このまま四日目後半は紫香楽に向かいます。
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