2014/02/15 - 2014/02/16
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RAINDANCEさん
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岩手県南西部の町である平泉を訪れました。平安時代の末期(11〜12世紀)、当時の平安京に次ぐ栄華を誇った奥州藤原氏による寺院や遺跡群が残り、それらは「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として世界遺産に登録されています。
★奥州藤原氏が築いたみちのくの中心として尊ばれる寺、中尊寺をぶらり。
★浄土庭園としての世界遺産なら、むしろ中心は毛越寺?ここもぶらり。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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花巻温泉郷からJRで平泉へ向かいます。
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花巻~平泉間は40分ほど。
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平泉駅に到着です。
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この日の宿、「平泉温泉元湯・平泉ホテル武蔵坊」にチェックイン。
平泉ホテル武蔵坊 宿・ホテル
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平泉近辺では数少ない大型ホテルです。そのエントランス。
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ラウンジ。
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周囲の山々も雪景色。チェックインを済ませ、まずはやはり「中尊寺」へ。
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ホテルから1キロほど歩いたでしょうか、中尊寺の入口付近に着きました。ここに、武蔵坊弁慶の墓と伝えられている碑があります。
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ここから中尊寺へ向かいます。
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「月見坂」と呼ばれる坂を登ります。
中尊寺 寺・神社・教会
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雪で滑らない様に注意。
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八幡堂。
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弁慶堂。
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地蔵堂。
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薬師堂。
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観音堂。
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中尊寺の本堂。
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中尊寺は、12世紀に奥州藤原氏の初代清衡が釈迦如来と多宝如来を安置する「多宝寺」を建立したのが始まり、とのこと。現在の本堂は、1909年 (明治42年) に再建されたそうです。
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丈六釈迦如来坐像。
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峯薬師堂。
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その傍らには、目の絵馬やお守りが売られている札所があります。
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不動堂。
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讃衡堂。奥州藤原氏の文化財を所蔵する宝物館。
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鐘楼。
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弁財天堂。
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そして金色堂(新覆堂)。清衡が天治元年(1124年)に建立し、平等院鳳凰堂と共に平安の浄土教建築の遺産として国宝に指定されています。内部の撮影は不可。
中尊寺 寺・神社・教会
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経蔵。
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旧覆堂。現在の新覆堂が出来るまで、金色堂を風雪から守ってきた建物だそうです。その傍らには芭蕉象と句碑。
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能舞台。嘉永2年(1849年)の焼失し、その4年後に再建されたとのこと。
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白山神社に属するこの舞台は、正統的かつ本格的な規模と形式の舞台が近世能舞台の遺構として東日本で唯一とされ、古刹中尊寺で続く芸能の場として貴重なのだそうです。
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さて、中尊寺をほぼ周り終えたところで、「かんざん亭」にて休憩です。
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ちょっとしたスイーツで。
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周囲の連山を眺めながら。(なんと、店のウインドウにマジックで山の解説が…)
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休憩後、雪に包まれた新覆堂を見て、ホテルへの帰途につきます。
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帰途の最中、ホテルと中尊寺の間にある「平泉文化遺産センター」に寄ってみました。
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平泉の文化遺産を紹介するビジターセンターです。
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世界遺産認定書(のコピー)。
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「中尊寺」という名の由来は、白河の関(北緯37度)、現青森の外の浜(北緯41度)の中間にある(北緯39度)ことから、みちのくの中央ということで名づけられたそうです。
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ホテルにほど近いところに金鶏山の入口があります。奥州藤原氏の三代秀衡が、無量光院の西に一晩で築かせたとの伝説が残る山です。
金鶏山 名所・史跡
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この麓の入り口に、源義経妻子の墓とされる遺構があります。
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毛越寺の一院「千手院」境内に残る五輪塔は、義経の妻子の墓と伝えられるものです。義経を取り巻く女性の中で最後まで付き添い、22歳の生涯を高舘で義経の手により終えたとのこと。
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こちらがその五輪塔です。
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ホテルに戻ってきました。
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客室。
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洗面所。
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温泉に入り、その後夕食です。
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すき焼きが付いたこのようなメニュー。
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地酒が並んでいます。
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ではでは、この純米酒「関山」で。中尊寺の山号である関山(かんざん)から命名されたお酒の様ですから。
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ナミナミと…。
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釜飯も美味しそうです。
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お吸い物。
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デザート。料理はまずまずかと思います。
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翌朝...。
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朝食ビュッフェ。
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朝食の後には、まず「観自在王院跡」へ。
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藤原氏二代基衡の妻によって建立されたと伝えられる阿弥陀堂の跡地です。跡地ですので、こうなってしまうとただの雪原。
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続いて「毛越寺(もうつうじ)」へ。
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毛越寺の入口。
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毛越寺は、中尊寺と同じく嘉祥3年(850年)慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられ、その後藤原氏二代基衡が造営に着手し、三代秀衡の時に完成したとのこと。こちらは本堂。
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本堂の内陣。
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慈覚大師円仁をまつる開山堂。
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堂内にある、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像。
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常行堂。享保17年(1732年)に仙台藩主伊達氏によって再建されたそうです。 -
鐘楼。
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当時はお堂や塔や僧の宿舎が沢山有ったそうですが、焼失してしまいました。
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池に水を引き入れる「遣水(やりみず)」。毛越寺の遣水は平安時代の唯一の遺構で、全国的にも極めて珍しいそうです。雪で埋まっちゃってますが。
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この遣水を舞台に毎年新緑の頃「 曲水(ごくすい)の宴」が開催されるそうです。
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ですが、毛越寺といえばやはりこの大泉が池を中心とした浄土庭園でしょう。池は東西約180メートル、南北約90メートルもの広大さです。
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平安時代の日本最古の庭園書である作庭記に基づいて造られたという庭園。
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玉石が敷かれた岸。藤原清衡は、戦や様々な理由で罪なく命を落とした者を極楽浄土へ導くことを考えていたそうです。
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そんな思いを具現化したのが、この浄土庭園だったのでしょうか。
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東南岸にある荒磯(ありそ)風の出島。この庭園のクライマックスである風情を堪能し、毛越寺を後にします。
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さて、旅の最後に一関に寄ります。
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駅から徒歩数分の「三彩館ふじせい」。
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ここで「ひと口もち膳」をいただき、旅を締めくくります。
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奥州藤原氏が出羽を含む東北地方一帯の広大な地域に勢力を広げ栄華を誇ったその中心である平泉、もし当時の建物の佇まいが残っていれば、京都や奈良に匹敵する見応えがあったに違いない...と思ったりもします。
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