2014/10/16 - 2014/10/16
349位(同エリア497件中)
ムッシュさん
須賀川宿を出発し、次なるビッグな宿場郡山を目指す。その間、途中には笹川→日出山→小原田→郡山宿へと続きます。
- 旅行の満足度
- 4.5
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多量の石碑、石塔が集められていた。
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屋根囲いの中の板碑は、鎌倉時代に官道であった東山道の路傍に建てられたもので「双式阿弥陀三尊来迎浮彫供養塔」である。
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「双式阿弥陀三尊来迎浮彫供養塔」。これに隣接して沢山の石塔。
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進むと更に石塔。
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東北本線に沿って700mほど進むと、清陵情報高校の敷地に接して雷神社がある。
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東北本線の踏み切りを渡る。
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史跡篠川城址
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日出山宿を進むと、「おくのほそ道」の真新しい石碑
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日出山二渡神社である。
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日出山二渡神社。
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「水無月橋」と名付けられた新しい橋を渡る。そして、橋には、6月(水無月)の万葉歌として、
「をみなえし 咲く沢に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 恋もするかも」 中臣女郎
と彫られていた -
橋を渡って進むと「小原田(こはらだ)宿」である。旧奥州街道40番目の宿場で入口付近に小原寺(しょうげんじ)がある。この辺りは、宿の中心で枡形の痕跡も残っており、門構えの立派な家も残っている。ふと門の中を望見すると、茅葺の家も残していた。
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小原寺(しょうげんじ)には、茅葺の家も残していた。
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長い参道の「香具山神社」がある。由緒は定かでないが、境内の手入れが行き届いており、タイプの異なる大きな常夜燈が2つある。
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東北本線の踏切。もう郡山駅は近い。
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善導寺
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郡山駅構内に、こんな人形が。
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郡山駅構内に、こんな人形が。
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郡山駅構内に、こんな人形が。
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郡山駅構内に、こんな人形が。
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夜の郡山駅に、こんな人形が。
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夜の郡山駅
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安積国造神社(あさかくにつこじんじゃ)
江戸時代の木造建築を残す古社。 -
安積国造神社。市街地にありながら緑につつまれた閑静な神社。
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安積国造神社の狛犬
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安積国造神社
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安積国造神社
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安積国造神社
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安積国造神社
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阿邪訶根神社(あさかねじんじゃ)由緒によると、平安時代・康平年間(1058〜1065)、伊勢国阿邪詞より勧請して、はじ めは道祖神社として猿田彦命を祀る。その後、寛治3年(1086)、源義家の副将軍として、前九年・後三年の役に出征した平忠通の霊を合祀し、御霊宮と改 称された。さらに、明治2年(1869)には、忠通神社に改称され、明治22年(1889)3月に阿邪詞根神社に改称して現在に到るとある。
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逢瀬川
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日吉神社には、猿が赤いべべ着てる。
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「日吉神社」がある。16基の石造塔婆が県指定重要文化財となっている。
また、境内には、仙台仏と呼ばれる伊東肥前守碑があり、郡山市指定史跡である。
天正16年(1588)、伊達政宗はここに本陣を築き佐竹、蘆名、二階堂、結城、相馬、田村など当時の奥羽南部のほとんどの連合軍と戦った。伊達政宗の生 涯で最大の戦いの郡山合戦である。このとき、政宗の危機を救って死んだのが伊藤肥前で、仙台藩4代藩主の伊達綱村が碑を建立した。その後、参勤交代の仙台 藩主は、この碑を参拝するのが慣例だったという。 -
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