2015/04/12 - 2015/04/12
248位(同エリア1591件中)
mahaさん
カイロの歴史地区はほとんどが徒歩で歩くしかなく、やはり2日に渡っての散策になってしまいました。元々が日本からの観光客も少ないこのところのエジプト、カイロの歴史地区は観光客がほとんどいませんでした。
ピラミッドもいいけど、歴史地区巡りをしないと、エジプトの中世が見えてきません。ちょっと汚いのが、玉にきず。。。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 2.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
日を変えて、地下鉄「サイイダ・ゼイナブ」駅からサイイダ・ゼイナブ・モスクに行きます。駅から徒歩10分ほどで着きます。イスラーム地区の端になります。
-
サイイダ・ゼイナブは、預言者ムハンマドの孫娘で、ウンム・ハーシムとして崇められており、そのモスクにあるランプの油は、万病に効くと信じられているそうです。
-
中は装飾も清掃も綺麗な、女性的なモスクでした。
-
アツサイイダ・ゼイナブからイブン・トウルーン・モスク迄は歩くにはちょっと離れているので、タクシーで移動しました。4ポンド
-
「アハマド・イブン・トウルーン・モスク」
カイロに現存する最古のモスクです。
バグダッドのアッバース朝カリフの支配下から独立して、エジプトにトウルーン朝を開いたアハマド・イブン・トウルーンによって879年に完成しました。 -
イブン・トウルーンは一代でエジプトからシリアに広がるトウルーン帝国を建設したので、「復活したファラオ」とさえ言われますが、トルコ人です。
884年、シリアの北部で赤痢の為50才直前に亡くなりました。
彼は土木と建築に人一倍の興味を持っていて、876年から3年がかりで建てたこのモスクのデザインは彼のものだそうです。ただし、現在のイブン・トウルーン・モスクは、1296年にスルタンになったラージーンがアンダルシアのムスリムつまりスペイン人の建築家に修復させたもので、メソポタミア、エジプト、中世スペインが入ったユニークなイスラーム建築ということができます。イスラム都市カイロ (カイロ旧市街) 旧市街・古い町並み
-
みな、この様な袋を靴の上に被せられるので、現在は現役のモスクとしては使われてはいないようです。靴カバー1ポンド、入場料30ポンド。細かいのが無いと、お釣りくれます。
-
高さ40メートルのミナレットは、外側に螺旋階段が付いた形状で、これはイブン・トウルーンが青春時代を過ごしたイラクのサーマッラーの大モスクを真似たもの。
建設を担当したのはコプトの建築家で、この建築家にはローマ風の水道橋を作らせ、873年にはローダ島のナイロメーターの大改修も行ないました。
サマッラーの空も、今日のカイロの空のように青かったのでしょうか…
自分の国になったとは言え、生まれ故郷から遠く離れた地での暮らしの中でイブン・トウルーンはこの塔に安らぎを見出していたのでしょうか。 -
300年過ぎたマムルーク朝の最盛期、ラージーンが政争に敗れて追われてこのミナレットに隠れ、「もし生きてこの塔を出られたら、これを修復します」と誓って、実行しました。
-
アンダーソン博物館は同じ敷地内にあります
-
アンダーソン博物館の中に入ったところ。
-
夏に使用していた部屋。なるほど、涼しそうです。
この部屋は、映画007の場面にも使われたそうです。アンダースン博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
冬に使用していた部屋
-
窓の格子
左の穴が開いているところから、飲み物を受け取るようです。だからSRB(飲む)が語源のマシュラビーヤ。
真ん中が、SRF(見る)が語源のマシュラフィーヤ。少し窪んだところに肘などをついて外を見ていたのでしょうか。
というように名称が分かれているらしいです。アンダースン博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
アラバスターのコースター。
確かにこれなら水滴が落ちてきても、部屋が汚れませんね。
でも、いちいちここまでコップを取りに来たのかしら…使用人に申しつけていたのでしょうが、好きな時に直ぐ飲めないですよね〜
この時代の興味深いものがたくさんありました。アンダースン博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
アンダーソン博物館を出て、シャイフウ通りをシタデル方面に向かいます。
右に見えるのは、アミール・シャイフゥのハーンカー。左側がモスク。 -
手前の道を左折して「アミール・タズ宮殿」に行きましたが、シャンム・ネシームの休日でお休みでした。宮殿の外側は装飾が何もない、とても宮殿とは思えない質素なものでした。
明日からは開館しているということですが、う〜んここだけのためには・・・ -
シャイフゥ通り、アミール・シェイフのハーンカー
外側もそれほど大きくないし、管理人のおじさん「40ポンドね」なんて欲張りなこと言うし、入った時はふーんって感じでした。 -
ハーンカーというより、複合施設タキーヤに近いのでしょうか。
-
「塔に登ってみなよ」って言うから、ちょっと登ってみよっかな…
歴史地区巡りをしていると塔が多いので、そのたびに登っていると、結構足に来ます。 -
塔の上から。意外に大きい建物なんだね。
-
通りを挟んで同じアミール・シェイフのモスクが建っています。
-
屋上から見ていたら、「手前の丸いところはハンマーム(お風呂)、シャガラトルドッルも来たんだよ〜」とおじさんの説明。
「えつ!何!? シャガラトルドッルだって?」と思わぬ名前が出てきて私一人大興奮!!しました。 -
「あそこの丸いところはシャガラトルドッルのお墓だよ。でも入れないし、何にも残ってないよ。彼女には親族はいないからね」と、思いがけない凄いことをさらっと言う。
私はこの旅1番の驚きで、頭の中がシャガラトルドッルで一杯になってしまいました。 -
シャジャラトルドッル(シャガラトルドッル)とはイスラーム世界で唯一のスルタナ、女王です。生い立ちも年齢も定かでなく、バグダッドのアッバース朝のカリフからアイユーブ朝のスルタン・サーリフに贈られた、奴隷出身のトルコ系の才色兼備の女性だったらしいです。彼女は、第7回十字軍のフランス王ルイ9世の侵略からエジプトを守りましたが、サーリフ亡き後結婚させられたアイバクを城内の浴室内で謀殺したとして、アイバクの親衛隊に捕まります。アイバクの先妻は彼女を木靴で殴り殺させ、遺体をシタデルの下の堀に投げ捨てさせて放置したといわれています。
彼女はサーリフとの間にハリールという息子をもうけましたが、若くして亡くなったので、親族はいないというおじさんの話はその通りです。 -
シャジャラトルドッルは、もはやこれまでと観念した時、所有する限りの宝石、真珠の類をかき集め、それらを石臼で挽き潰したといわれています。女性の執念は凄いですね。シャジャラとは「木」、ドッルは「真珠」という意味です。
もしここが本当にシャジャラトルドッルのお墓だとしたら、あまり悲しい状態になっています。 -
この建物の前で、シャンム・ネシーム(春香祭)で食べるレンガという魚を売っていたおじさんは、シャガラトルドッルのお墓だとは知らないと言っていました。
イブン・トウルーン・モスクから300メートル程のところにあるというのは知っていたのですが、それがどこかわからなかったので、もしこれがシャジャラトルドッルの本当のお墓でなかったとしても、私はそうだと信じていたいと思いました。 -
シャイフゥ通りをもう少しシタデル方面に歩いていくと、サビールクッターブ・カイトベイがあります。
ここまでにいろいろなサビール・クッターブを見てきているので、あまり感動もせずに見てしまいました。というより、シャジャラトル・ドゥッルのお墓のことで興奮していたのかもしれません。 -
1年に2回、ナイルの水を引いてきて貯水していたらしいです。
-
建物の外側には、近所の人に水を配っていた窓口がありました。
-
止まっていたタクシーのボンネットにパンを並べて何をしているのでしょう…と見ていたら、向かい側のパン屋さんで買った、パンの枚数を確認しているようでした。そんなところに広げなくても〜…って日本人なら思いますよね。
-
前日歩いたスルギーヤ通りから、アズハル方面を目指します。この通りは商店が立ち並ぶ下町のような雰囲気の通りでした。鳥が嫌いな私はところどころにある鳥かごをよけながら歩く、ちょっとスリルのある散策。
-
ターミーヤ(豆のコロッケのようなもの)屋さんがあったので、サンドイッチのお昼にします。入り口(中央)のところで揚げていて、右の人がいるところで、中に入れるものを言って、サンドイッチにしてもらいます。
中で食べると云ったら、椅子に新聞紙敷いてくれました。ありがとう! -
食べかけで、失礼します。
これが街中で売っているターミーヤサンドです。
パンの中に、揚げたての豆のコロッケ「ターミーヤ」とサラダ、タヒーナと呼ばれるものを入れたサンドイッチ。1.5ポンド(24円位)
涙が出るほど、懐かしくて美味しかった…今回どこのレストランで食べたものより、一番美味しかったのがこれでした。 -
お店の右側に置いてあるステンレス製の台のところで、ターミーヤを揚げています。
-
近くのジュース屋さんで、ジュースを飲もう。1杯に4個分のオレンジを絞ってくれて、1杯2ポンド(32円ほど)
-
本当の絞りたて、生ジュース。2ポンドなら、10杯でも飲んだっていいよ…と思ったけど、量が多かったので、1杯で充分だった(≧∇≦)
お兄さんがコップに入れているのは、サトウキビジュース(アシール カサブ)1杯1ポンド(16円ほど) -
ムハンマド・アリーのサビール
-
スルギーヤ通りからテント生地やタペストリーなどを売っているヒヤミーヤ通りへ。
カーニー・ベク・モスクかな? -
ここだけは屋根がある、カサバ・ラドワーン・ベイ
残念ながら、今日はほとんどのお店がお休みでした。 -
スルタン・ゴーリーのマドラサ
-
エジプトのグアバ。
1個でいいの…1ポンドでいいよね…本当はもっと安いでしょ。
「エジプトも最近物価上がってんだよ〜」と、おじさん。
その場で食べて、芯はおじさんのごみのところに捨てさせてもらいました。
あ〜叫びたい! 「エジプトのグアバ、大好きだ〜〜〜!!!」 -
スルタン・ゴーリー廟
-
アズハルからアタバ迄ミニバスで、1・5ポンド(25円程)
別に安いもの、安いものと求めている訳じゃないんですが、タクシーだと交渉したりするのが面倒なんです。近いと断られたりするし、遠回りされてイライラするより、ミニバスの方が気が楽です。 -
2日目に行った
「アムル・イブヌルアース・モスク」
アフリカ大陸で1番古いモスクで、642年建設。
建設当時は椰子の葉の屋根の簡単なものでしたが、広さは827年に拡張、建物は13世紀以降に再建されたものです。 -
中央入り口。ここは男性用の入り口でした。
-
礼拝をしていたので、内部の撮影はしませんでしたが、素朴な大きなモスクで、カイロのモスクの中では1番好きなモスクです。
-
女性用入り口の前には、女性物の衣類、スカーフなどを売っています。
-
モスクの前には市が立っていて、礼拝の帰りに買って帰るようです。
-
モスクでも、お寺でも、教会でも、人が集まるところには市が立つ。どこの国でも世界中同じですよね。
-
夕食は、有名なコシャリ屋さんの「アブー・ターレク」で。
中心街のそのまた中心通りのような、タラアト・ハルブ通りからちょっと曲がったところにあります。 -
コシャリ屋のくせに派手だね
-
ガイドブックではエジプトの国民食なんて書かれているけど、昔は貧乏人の食べ物だったんですよ。洗面器みたいなものに入ってきてたんだから…あまり女性が食べるものじゃなかった。
ご飯、マカロニ、豆、ふにゃふにゃのパスタの上に、トマトソースと揚げ玉ねぎが乗っています。
私はコシャリが大嫌い。
年数が経っていれば変わっているかな…と思ったけど、嫌いなものはやっぱり嫌いでした。 -
口直しにホテル近くの「アブド」というスイーツ屋さんでアイスクリームを。
5ポンド(80円位)
アブドは何軒かありましたが、シャンム・ネシームの休日だったせいかすご〜く混んでいました。ケーキやお菓子類の支払いも、アイスクリームの支払いも同じところなので、レジが混んでいて、エジプシャンをかき分け、支払いするにも体力いります。 -
本日のホテルは中心街にある「タリスマン・ホテル」
手続きを終えた後も、かなり不安だったのが、このホテルでした。
値段は中心街にしては少々高めでしたが、地図上の位置も間違っているし、部屋も今一、ほとんどペンションのようなホテルでした。完全に選択失敗なホテルでした。 -
ホテルではなく、ホステルですね。
-
写真で見ると綺麗っぽいですが、ホステルを少々綺麗っぽく飾り付けただけのペンションでした。
しかもこの日、苦情を言ってもお湯が出ず、暑い日だったのにシャワーも浴びられない悲しい日でした。
まあカイロだから仕方ないか… -
100年位たっているんじゃないかとさえ思わせられるエレベーター。
でもすぐ来るし、多少ドアーがぴったり閉まらなくてもちゃんと動きます。
ドアーは自分で開けるので、荷物を持っているときは乗りにくいです。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
mahaさんの関連旅行記
この旅行で行ったスポット
カイロ(エジプト) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
58