2015/04/16 - 2015/04/16
51位(同エリア212件中)
玄白さん
今年最後の花見は北上する桜前線を追いかけ、福島県へ。福島県中通り地方には、日本3大桜の一つ、三春の滝桜を筆頭に桜の名木・古木が散在している。そんな風格ある桜たちを巡る一泊ドライブ旅行へ。
2日間で訪ねた桜は
1日目:霞ケ城公園→合戦場の枝垂れ桜→小沢の桜→芹ケ沢桜→雪村桜→天神夫婦桜とデコ屋敷→三春滝桜(夜桜)
2日目:朝の三春滝桜→上石不動桜→紅枝垂れ地蔵桜→中田忠七桜→今出川・北須川桜並木
とテンコ盛りのスケジュール。
旅行記は4部構成です。
・福島の桜名木巡り(1)~霞ケ城公園の雨上がりの桜~
・福島の桜名木巡り(2)風格ある枝垂れ一本桜たち その1
・福島の桜名木巡り(3)桜の女王、滝桜、~妖艶な夜の姿と艶やかな朝の姿~
・福島の桜名木巡り(4)風格ある枝垂れ一本桜たち その2
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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二本松城址、通称霞ケ城。現在は県立の公園として整備され、桜と秋の菊人形が有名である。
二本松城の築城の歴史を紐解くと、室町時代に幕府より奥州探題に任ぜられた畠山高国が、この地を二本松と改称し、7代目当主二本松満泰が最初に築城した。戦国時代に入り、伊達政宗の侵攻により、二本松氏は滅亡。江戸時代になると、いくつかの大名が入れ替わりここを居城としたが、最後は丹羽秀長の孫、光重が入り、石垣を増強するなどの大改築を行い、丹羽氏のもとで幕末を迎えることになる。
この城の歴史上、著名な出来事が戊辰戦争のときの二本松少年隊の悲劇であろう。会津の白虎隊ほど知られてはいないが、幼い少年兵が官軍との戦いで命を落としたのである。城の入り口に二本松少年隊群像が建てられている。 -
イチオシ
城の三の丸に通じる箕輪門の櫓。
二本松城は戊辰戦争で破壊され、残った建物も明治5年の廃城令によって撤去されてしまったため、当時の建物は現存していない。現在の箕輪門は昭和57年に復元されたもの -
天気予報では晴天のはずだが、朝からぐずついた天気で、ここに到着したときも、時折小雨がぱらつくあいにくの天気。
しかし、雨にしっとり濡れた桜も良いものだ。
箕輪門の前の千人溜という広場から石垣を見上げる。 -
復元された箕輪門
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三の丸の跡地の広場。ソメイヨシノは満開となり、一部散り始めている。
広場の隅に、山田脩という人物の銅像が建てられている。この人物は、明治6年、この三の丸跡地に日本最初の製糸工場を創設し、さらに明治18年には政府からの借り入れを返済して完全民営の機械製糸会社を発足させ、二本松の経済発展に大いに貢献した郷里の偉人ということらしい。 -
イチオシ
城址公園内には約4500本の桜があり、かなたまで桜の花で埋め尽くされ、霞がかかったようである。霞ケ城とは、言い得て妙である。
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雨で出来た水溜りに映り込んだ桜
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雨に濡れたソメイヨシノ。
マクロレンズを持ってくればよかった。 -
三の丸跡の西側に霞が池という造園のために作られた池がある。
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霞ケ池の東側に立派な藤棚が設えられている。その中のひときわ目を引く藤の大木。詩人・彫刻家の高村光太郎の妻、智惠子の生家に植えられていたものだという。
5月の藤の開花の頃に訪れたら、見事な藤が見られそうだ。 -
霞ケ池に流れ込む霞ケ滝。城内の地形を利用して作られた小さな人工の滝。
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霞ケ池を見下ろす西側の斜面に洗心亭という茶室がある。ここで抹茶を頂けるというので行ってみよう。
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霞ケ池の北側にるり池というもう一つの小さな池がある。小さいながらも回遊式庭園になっている。
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池の片隅には、小さな花筏。
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るり池にも小さな人工滝が作られている。布袋滝という。
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るり池を優雅に泳ぐ錦鯉。
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霞ケ池北岸から南側の桜並木遠望。
このころになると、青空が戻ってきた。 -
洗心亭がある斜面の麓にある井戸? 茶をたてるのに使ったのだろうか。
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洗心亭。
唯一、現存する江戸時代の建物。崖崩れのため、阿武隈川沿いの地に移築されていたため、戊辰戦争のときに破壊を免れた。明治になって、管理を任されていた、かの製糸工場を設立した山田翁が、ここに移築したという。 -
桜越しの洗心亭。
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洗心亭
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洗心亭内部。
茶室とはいえ、茶道のためではなく、城主の丹羽氏がくつろぐための茶屋であり、6畳の座敷のほかに2室あり、東と北にぬれ縁を回し、背面にトイレ、浴室などを備えている。
今は、ここで抹茶のサービスをしてもらえる。¥500也 -
イチオシ
ぬれ縁に腰掛け、満開の桜と雨に濡れてみずみずしさを増したもみじの若葉をめでながらの至福の一服。
連れ合いによると、お茶を出してくれるオバサマたちは表千家だそうだ。 -
茶室の付近に自生していたヒナスミレ
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抹茶をいただきながら、茶道のオバサマとの会話。
「茶屋の裏手の斜面にカタクリが咲いていますよ」
行ってみたが、カタクリはどこにも咲いていない。これはどう見てもカタクリではない。花の心得をある茶道家が、間違えるはずはないと思うのだが・・・?? -
茶屋の裏手の道をさらに進む。竹林の緑と桜のピンクのコントラストが美しい。
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小さな祠があった。歴代城主、丹羽氏を祀っている丹羽神社。
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笠松。別名八千代の松。樹齢300年超の赤松で、二本松市指定文化財。
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笠松の近くの洗心滝。三脚は車に置いてきてしまったが、柵の支柱にカメラを固定してスローシャッターを切った。
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ヤブツバキ
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二本松少年隊顕彰碑。
ここで、戊辰戦争直前まで、13〜17歳の少年たちが鉄砲の訓練をしていた場所。大河ドラマ「八重の桜」では、会津藩砲術指南の山本家の娘、八重が、ここで少年隊に鉄砲訓練を施したことになっているが、史実はどうだったのだろうか?
飯盛山で自刃した白虎隊少年戦士が20名だったのに対し、二本松少年隊の戦死者は明治期の調査では16名。しかし、昭和に入ってからの調査研究では61名に増えている。戊辰戦争では、二本松攻城戦は、会津の戦いにも勝る激烈は戦いだったが、わずか一日で落城したという。
現代における認知度の違いはあっても、白虎隊にしろ、二本松少年隊にしろ、幕末、明治初期の悲しい歴史の一コマであることに違いはない。 -
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少年隊の奮戦の様子を描いたレリーフもある。
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搦手門跡の石垣
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ウッドチップが敷かれ、よく整備された遊歩道を通って本丸跡に向かう。
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本丸跡の大石垣。平成5年に復元されたそうだ。この辺りには桜はない。標高345mの白旗ケ峰の頂上にあり、城主の居館だった三の丸との標高差が結構ある。足の不自由な年配者にとっては、下からここまで上がってくるのは大変だろう。本丸跡近くにも駐車場はあった。
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三の丸方面の桜をバックに土筆の群生を一枚。
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本丸天主台。後方の雪を被った山は安達太良山かな? 雲の切れ目からかろうじて山容が見えた。
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天主台からの城内の桜と二本松市街の眺望。
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イチオシ
東側に目を向けると、桜のピンクの海が広がっている。
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思いのほか、広い公園で、予定より時間を使ってしまった。駐車場に戻ることにする。
ユキヤナギも満開。 -
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緑の広場まで降りてきた。
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イチオシ
緑の広場にも桜の古木がある。
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このあたりは夜桜も楽しめるようだ。
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広場の端にある相生の滝。これは昭和9年に作られた比較的新しい人工の滝。
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イチオシ
三の丸から箕輪門に戻る途中の石垣と桜。やはり、桜には青空が似合う。
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箕輪門
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箕輪門
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帰る頃になって青空が広がってきた。
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石垣と枝垂れ桜、霞ケ城公園最後の一枚。
これから、合戦場の枝垂れ桜に向かう。
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