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招き猫 と 将門/平将門は江戸の守護神だったのか【豪徳寺・今戸神社・将門の不思議を探る旅】

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    旅行時期 2015/04/18 - 2015/04/18 (2015/04/20投稿

    高校生だったころ、社会科の授業で日本史を選択しました。
    教えて下さった先生の授業はお世辞にも上手とは言えませんでしたが、ごく稀に生徒の興味を引き付ける事をポロっと話される事がありました。
    その話の一つに、【平将門】の話がありました。

    京の朝廷に逆らい日本の北端でクーデターを起こした平将門。
    北関東の広い大地を生かし、馬を育てその馬を利用し騎馬戦の初期の戦法を作り出した将門。
    彼は国司を敵に回し、瞬く間に下総国・常陸国・下野国(現在の千葉・茨城地方)をその支配下へと置いた。
    そして、桓武天皇の血筋を引く将門は新皇(しんのう)と名乗り、朝廷にとっては逆賊となった。

    その将門の成敗を命じられたのは、平定盛(さだもり)。
    平定盛は、将門のいとこに当たる人物で将門にとっては身内だ。
    その身内の定盛君が、なぜ将門を討つことになったのか。
    此処の話はちょっと複雑なのだが、女性が絡む話で、将門の許嫁であった女性を定盛君のお父様が横取りしてしまった…らしい。
    そんなこんなで、将門は定盛君とは仲が悪かった。

    人望や戦法で行けば、将門に有利であった定盛君との戦い。
    将門が勝つ…と誰もが思っていた。
    しかし、金銭面や戦闘員の数で勝っていたのは朝廷をバックに持つ定盛君側。
    2週間にも及ぶ戦いの末、将門軍は疲弊し、そして敗れた。
    将門軍が敗れた最大の敗因は将門の死。
    鋼鉄の体を持ち、矢が刺さる場所がない…と噂されていた将門にも弱点があったのだ。
    その弱点とは、こめかみ。
    将門はこめかみに矢を撃ち込まれ、あっけなくその命を落としてしまった。

    敵である定盛君サイドに将門の弱点情報をリークしたのは誰なのか。
    それは、将門の寵姫であった桔梗の方。
    彼女はこともあろうに敵方に寝返り、将門の死を招いたのだ。

    命を失った将門の屍は首を切り取られ、その首を槍の先に突き刺され京都まで運ばれてさらし首となった。
    ところが、将門はさらし首になってもまだ生きていた。
    そしてある晩、その首は宙に跳ね上がり、自分の国がある関東地方をめざし飛び去った。

    しかし生首の力にも限界があり、国に到達する一歩手前、現在の東京都の周辺で力尽き、落下した。
    現在、将門の首が落ちたとされる場所には【将門の首塚】があり、将門塚と呼ばれ、粗末に扱うと禍が起こる…と云われている。

    日本史の先生のお話は、眠そうにしていた生徒の頭を覚醒させるには効果てきめん。
    その授業の後の休み時間は将門の首塚の話で盛り上がり、図書館に走る生徒もいたほどでした。
    私も図書館に走った生徒の一人で、暫くは将門の本の虜となっていました。

    大人となり、いつか訪れてみたいと思っていた将門の首塚。
    しかし、将門塚の周辺で実際に起きていることを考えるとなんだかオカルトじみていて、行くことを躊躇していましたが、百聞は一見に如かず。
    読むだけでは真実は分からない…と思い、新緑の芽吹く四月、東京都内の将門ゆかりの地を巡る旅に出てきました。

    そして、せっかく都内へ出るならばもう1か所(正確には2か所)行ってみたい場所もあったので、そこも合わせて都内の新緑散歩となりました。

    写真 63枚

    交通手段 : 
    • 現地移動 :  JRローカル / 私鉄 / 徒歩
    エリア:
    東京 | 三軒茶屋・駒沢
    エリアの満足度:
    4.5
    • 今回の将門散歩の始まりは浅草から。
      浅草駅に朝9時に降り立ち、スカイツリーを右手に見ながら歩き出す。

      でも、最初に向かう場所は平将門ゆかりの地ではない。
      そこは、招き猫発祥の地とも云われている神社だ。
      実は東京都には招き猫発祥の地といわれる寺社が2か所(今戸神社と豪徳寺)あり、将門散歩と併せて、訪れてみようと思っていた。

      そして浅草駅から歩くこと徒歩15分、一つ目の招き猫神社【今戸神社】に到着した。

    • 今戸神社は縁結びや婚活のパワースポットとも云われる場所で、パワスポ女子に大人気と聞いていたので、混雑する前の朝一でやって来た。
      私自身はパワースポットにはさして興味がある訳ではなく、興味のポイントは神社の云われ。
      何故、今戸神社が招き猫の発祥の地と云われているのかを知りたかった。

      招き猫がこの地に初めて登場したのは16世紀。
      貧しさゆえに愛猫を手放した一人の老婆の夢枕に猫が立ち「白猫の今戸焼き人形を作れば福が授かる」と云うと、消えてしまった。
      信心深い老婆は猫の言うとおりに右手を挙げた招き猫を焼き、浅草寺の参道で売り出したところ、大評判となった…。

      という事らしい。
      とりあえず、この神社のある地域が今戸焼きの招き猫発祥の地だという事が分かったが、でもなぜ、神社が発祥の地と云われているのだろう。
      少し疑問が残る。

    • イチオシ

      社殿の中にはオスとメスの招き猫が仲良く並び、その横には生首!かと思いきや七福神の福禄寿様。

      今戸神社は、浅草七福神めぐりの寺社としても知られている。

    • 境内には可愛い招き猫が並んだデザインの絵馬が鈴なりにぶら下げられている。

      女子に人気なのも納得。

    • そして、撫で猫なる石造りのネコも境内にいる。
      説明書きによると、心を込めて撫でた後、携帯の待ち受け画面に取り込み、毎日祈ると願い事が叶う…とある。

      神社の方には申し訳ないのだが、私はこういうのが一番苦手。
      携帯の待ち受画面にして祈る…って、それっていったい…。
      神仏のありがたみが一切なくなった気がした。

    • 境内にはミニ・ガーデンもあり、猫の置物やディズニー柄の椅子・ベンチ・テーブル席が置かれている。

      きっと神職のご家族の方がガーデニング好きで、歩き疲れた参拝者へ休憩場所として設置してくれたのだろう。

    • 撮影場所の地図

      浅草まで来たので、雷門へも立ち寄ってみた。
      前回、浅草寺へ来たのは職場にいらした海外からのゲストの方のエスコートで。
      あれはもう20年位前の話だが、その時のゲストの方は浅草の神社仏閣よりもプリクラに興味津々で、何枚か一緒に撮ったりもした。

      雷門の大提灯前は、写真を撮る人で大賑わい。

    • 仲見世通りも朝9時台とは思えない混雑ぶり。
      修学旅行の生徒の方の姿も多いが、此処に居て聞こえてくる言語の大半は中国語。
      日本だが、外国みたいだ。

    • イチオシ

      撮影場所の地図

      浅草寺の五重塔はいつ見ても素敵だ。
      朱色と白塗りの壁のコントラスト。

      シンプルな色の塗り分けだが、白と朱が交互に並ぶように配置された垂木、美しいと思う。

    • 本堂にお参りする前に常香炉の煙を体に浴びる。
      最近、気になっているのは視力。
      ゆっくりだが着実に近視とは異なるメガネが必要な方向に変わってきている。

      メガネを持ち歩くのは不便なので、出来るだけ進行が遅くなりますように…。

    • 本堂でお参りをし、ふと天井を見上げると、そこには天女の姿。
      私以外には誰も天井なんて見上げていないのだが、心落ち着く優しい絵だ。

      寺社の本堂の場合、撮影禁止の事も多いので社務所で撮影の可否を尋ねる。
      天井画は撮っても構わないが、本堂の祭殿内や社務所内部は禁止とのこと。

    • 天井には竜の絵もあった。
      炎を纏う竜の姿は迫力満点。

      浅草寺は大提灯も凄いが、天井画も素敵だ。

    • 再び宝蔵門を抜け仲見世通りへ。

      そして、途中から横道へと入る。

    • 横道へ一歩入ると仲見世通りの喧騒が嘘のような空間だ。
      お昼のピーク時間帯へ向け、食べ物屋さんは準備に余念がない。

      これから向かうところは、将門ゆかりの地巡りの1カ所目である【日輪寺】だ。

      日輪寺は昔から浅草にあった寺ではなく、もともとは武蔵国豊島郡柴崎村、現在の東京都千代田区大手町にあったお寺だ。

      京で獄門に架けられた将門の首は3日後に白く光りながら、体を求めて東へと飛び立った。
      そして、目的地に達する手前で力尽きて落ちたという。

      その場所が、かつて日輪寺が存在した武蔵国豊島郡柴崎村だ。

      村人は将門の首を丁寧に葬り塚を築いたが、時が経つにつれ塚の意味は忘れられ、塚は荒廃し、それと反比例するように将門の怨霊が持つ力は増大し、村に疫病をもたらした。
      困り果てた村人が旅の僧に将門の首供養を依頼し、旅の僧は板石塔婆を建て将門の怨霊を日輪寺に供養した。
      その板石塔婆が当時の柴崎村の日輪寺にあったと云う。

    • 日輪寺は別名【神田山日輪寺】という。
      神田山…といえば思いつくのは神田明神。
      実は、日輪寺は神田明神とも深いつながりを持っている。

      将門の首塚の供養を行った僧は、時宗の真教上人であると云われている。
      上人は将門の霊を日輪寺の傍にあった神社に合祀し、その神社は後に神田明神となった。
      そして、上人はそのまま柴崎村の日輪寺にとどまり、将門の供養をしたという。

      現在の浅草にある日輪寺には、その時に真教上人が書いた板石塔婆の写しから作った石碑がある…らしい(ここで“らしい”と書いたのは、寺の説明書きに一切そのような記述がなかった為。真偽は不明)。

      その石碑がこの写真だ。

    • 日輪寺を出ようとした時、右手に小さなお堂があった。
      膝をつき、中を拝見すると、ふくよかなお顔の阿弥陀如来像がいらした。

      仏像には全く詳しくない私だが、なんだかほっとする様なお顔の如来像で、心落ち着く場所だった。

    • 次に向かったのが、蔵前にある【鳥越神社】。
      この神社は、表向きは将門とは縁もゆかりもない神社だ。

      しかし、一説によるとこの神社の名前は将門伝説から由来しているとする説もある。
      この神社は将門の首が飛び越えて行ったところから、とびこえ神社→とりごえ神社となったとする説だ。

    • また、鳥越神社社殿の紋は七曜紋だ。
      将門自身の紋は九曜紋だが、将門ゆかりの一族には九曜紋・七曜紋を使うことが多く、鳥越神社が将門と縁がないとは言い切れない部分がある。

      また将門が殺されたとき、将門の体はバラバラにされ各地に埋葬されたのだが(バラバラ殺人事件となった理由は、朝廷側が将門が死後に再生することがない様にわざとバラバラにした…という説が有力)、手の部分は秘密裏に鳥越神社に埋葬された…とも云われている。

    • イチオシ

      将門の時代の話は半分神話の話の様でもあり、現代に生きる私たちがその痕跡を捕まえようとするのはなかなか難しい…と神社の境内の木陰で休憩をしていたら、社殿の中から白無垢の花嫁さんと花婿さんの姿。
      どうやら、花婿さんは外国の方らしい。

      八重桜の花吹雪が舞う中での、結婚式。
      きっと両家にとって想い出深い結婚式となっただろう。

      お二人とも、お幸せに♪

    • 鳥越神社の次は浅草橋を渡り、兜町へと向かう。
      浅草橋の上から神田川を眺めると、色とりどりの遊覧船、屋形船…かな。

      この景色って、なんだか東南アジアっぽいかも。

    • 日本橋兜町といえば、日本のウォール・ストリート、金融街だ。
      東京証券取引所もここにある。

      そんなところに何をしに…という感じなのだが、この金融街の真ん中にある小さな神社【兜神社】へと向かう。

    • 兜神社の境内には兜岩と呼ばれる大きな石が安置されている。
      この兜岩の名前の由来には2つの説があり、ひとつは源義家が戦の際に必勝祈願のため兜をこの岩に置いたとする説。
      もう一つは、将門の首を槍先に付けて京に持ち帰る途中のこの地で兜がポロリと落ち、その兜を供養のために埋めたとする説だ。

    • 公式な神社の案内板に描かれているのは一つ目の必勝祈願説のみだが、首塚との距離(徒歩20分)を考えると、首が兜を求めて近くに落下した…とも考えられなくはない。

    • 兜神社が建つのは首都高の江戸橋ジャンクションのほぼ真下。
      神社の上の高速道路を車が昼夜を問わずひっきりなしに走る。

      こんな場所で奉られている神様もこれでは不眠症になりそうだ。

    • 兜神社の手水鉢。
      その兜の文字か象形文字の様で面白い!

    • 撮影場所の地図

      次に向かうのは、本日の大本命の将門の首塚なのだが、せっかく日本橋を通過するので麒麟を見ていく。

      日本橋は江戸五街道の起点となる場所で、その橋の上には守護と発展を表す像がある。
      守護を表す像は獅子、そして発展を表すのは麒麟。

      麒麟の顔はドラゴンみたいだ。

    • 将門塚は簡単に見つけることが出来る。
      大手町ビルの交差点には、官公庁名と並んで将門首塚の案内看板がある。
      ただの塚なのになんて丁寧な扱いなんだ。
      公共の案内看板に名前が載ってしまうなんて…。

      首塚に対するこの丁寧な扱い。
      多分、これには理由があるのだと思う。

      将門の首塚は、江戸時代に現在の皇居に江戸城を建てた徳川家により、約270年もの間、祀られてきた。
      徳川がなぜ将門を祀ったのかについても様々な説があるが、一説として朝廷との対立論がある。
      将門は朝廷に対し反発し、その結果、朝廷によって殺された。
      しかし、将門の強い意志は死後もその地に残り、大きな影響を及ぼした。
      徳川初代将軍であった家康はその将門の強いダークな力を、将門を祀ることで江戸の守護神として(朝廷パワーに対抗するもの)として利用した。

      そして時は移ろい、1867年の大政奉還により、日本の政治の実権は徳川幕府から明治政府へとバトンタッチした。
      朝廷寄りの新政府にとっては徳川が庇護していた将門は朝敵にも等しく、霊地として崇められてきたその土地を軽んじ粗末に扱った。

      その結果、何が起きたのか。

    • 将門の祟り…といわれる事象が次々と起こるようになった。

      中でも有名なのが、首塚の地をつぶして大蔵省の建て替え工事を行おうとした時に起きた不審死。
      工事関係者や大蔵大臣が、次々と謎の死を遂げたという。

      また、第二次世界大戦後にGHQが首塚のある土地を造成しようとしてブルドーザーを入れたところ、ブルドーザーが故障したり横転するといった事故が相次ぎ、死傷者が続出したと云う。

    • 撮影場所の地図

      そんな土地へと足を踏み入れる。

      現在の将門の首塚がある区域は【将門塚(しょうもんつか)】と呼ばれ、ちいさな坪庭のような日本庭園風に整備されている。

      様々な怖い事象が起きたところだから、訪れる人も少ないのかと思いきや首塚の前には幾人かの方が並び、お参りの順番待ちをしていた。

      首塚には真新しいお花が活けれら、全然怖い雰囲気では無い。

    • 塚の周りには大小様々のカエルの置物。
      これは、京から飛んで戻ってきた将門の首にちなんで無事帰る…の意味があるらしい。

      海外赴任する役所の方や希望しない部署に異動になられた方が、元いた場所に無事に帰れますように…と祈願するそうだ。

    • イチオシ

      首塚の周りは背の高いビルに囲まれて、見える青空はほんの少しだけ。

      将門が生きていた時代とはかなり様変わりしてしまった風景だ。
      将門さんも首塚の中からこの景色を見上げ、苦笑いしているに違いない。

      将門の首塚の周りに建つオフィスビルには、ある有名な噂がある。
      その噂とは、首塚に面した部屋の机は首塚に背を向ける方向に設置してはならない…。
      背を向けて座った場合、何かが起こる…と。

      誰かが話を面白くするために流した法螺話だとは思うが、全てのビルの机が将門の首塚の方を向いて設置されていたとしたら、それってなんだかシュールな光景だ。

    • 将門塚には神田明神の案内もある。
      神田明神(神田神社)も将門ゆかりの神社で、“かんだ”という名前は体(からだ)が訛ったとする説がある。
      つまり、神田神社には将門の体が眠っている!?ってことになるのかな。

      浅草の日輪寺の説明でも触れたが、現在神田にある神田明神は、その昔はこの将門塚のあった武蔵国豊島郡柴崎村にあり、徳川の時代に現在の神田の地へと移っている。
      そんなコトを考えると、将門の体の一部が祀られてる…という話もなんだか信憑性を帯びてくるのかもしれない。

      今回は神田神社へは行く時間がとれなかったので、そこら辺の考察はまた、次回に持ち越したい。

    • 撮影場所の地図

      次に向かうのは、この日に訪れる将門ゆかりの寺社の最後の地である筑土神社だ。
      筑土神社があるのは九段下。

      ここからは、皇居のお堀を巡る散歩道となる。
      お堀の周りはちょうど八重桜が満開で、風が吹くと桜の花びらが舞っていた。

    • 撮影場所の地図

      今年は皇居の桜は2回目。

      思いがけず2回目の観桜ができ、なんだか嬉しい。

    • 撮影場所の地図

      皇居沿いに何だか古めかしい煉瓦造りの建物を見つけた。
      官公庁かと思いきや、九段会館という昭和9年に建てられた建物で、二・二六事件では戒厳司令部が多かれた場所だそうだ。

      現在は老朽化により使用されていないという事だが、歴史を感じさせる重厚な建築物だ。

    • 扉の模様も手が込んでいる。
      その昔は結婚式場としても使われた場所だったということ。

      建物の内部を見てみたかった。

    • 皇居を半周し、九段下にある【筑土(つくど)神社】へと到着した。
      現在の筑土神社は、商業ビルの1階に埋め込まれる様にしてその社がある。

      この神社も神田明神や日輪寺と同様、江戸時代に神社の場所が変わったお宮だ。
      筑土神社がもともと存在していたのは、武蔵国豊島郡上平河村津久戸村…今でいう大手町だ。つまり、首塚のすぐ傍…の場所に社があった。

      そして筑土神社には、空を飛んできた将門の首説とは異なる言い伝えが残されている。
      将門の首は空を飛んできたのではなく何者かにより密かに持ち帰られ、蔵国豊島郡上平河村津久戸の観音堂に祀られ、その観音堂を津久戸明神と称して江戸時代には江戸城の鎮守神として厚く崇拝を集めた。
      そして、津久戸明神は江戸城の外堀拡張工事に伴い現在の地に移り、筑土神社という名になった…とのことだ。

      また、筑土神社のホームページによると、その昔の筑土神社には将門の首桶が実際に保管されていたのだが、その首桶は戦火により焼失してしまい、現在は見ることは出来ない。とある。

    • 撮影場所の地図

      筑土神社の屋根の雰囲気は、昨年秋に訪れた伊勢神宮の神明造の社と非常によく似ている。

      でも、私にはこの類似が非常に不可解だった。
      神明造といえば伊勢神宮…伊勢神宮といえば天照大御神(アマテラスオオミカミ)。
      そして、天照さんは朝廷方の神様…なわけで、将門との関係から見たら敵に当たる神様。
      どうして、将門の首を祀る神社が、敵方の神社の造りを真似て社を作ったのか。

      その理由は帰宅して調べてみて分かった。(多分だが)
      神社の社の建築スタイルにも時代により流行り廃りがあり、明治以降は神明造が時代の最先端を行く建築様式としてもてはやされていたそうだ。
      きっと神社の建て替えの際、当時の神職さんが流行りものが好きで、ついつい流行に乗ってしまったのかもしれない。

    • 筑土神社には将門にまつわるモノがまだある。

      それは「繋ぎ馬」と呼ばれる紋様。
      「繋ぎ馬」は将門が戦の際の陣幕や家紋に使用していた文様で、神社の天水桶にその模様が刻まれている。
      そして、「繋ぎ馬」は絵馬の図柄にもなっている。

    • 撮影場所の地図

      筑土神社の境内には力石と呼ばれる二つの石が置いてあった。

      これも将門絡みか…と思ったが、こちらは江戸時代に使われていた神石で、若者の力比べ神事に用いられていた石だそうだ。

    • この筑土神社で、この日の将門散歩はおしまい。

      浅草駅から歩き始めて、約12km。
      普通に歩けば2時間半で歩ける距離だが、道に迷ったり、神社を観察したりで歩いた時間は約5時間。

      足はかなり疲れたが、将門の世界にタップリと浸ることが出来た。

      都内には将門が関係する神社がまだまだあり、この日に訪れたのは以下の5か所。
      ・日輪寺
      ☆鳥越神社
      ☆兜神社
      ☆将門塚
      ☆筑土神社

      この5か所以外に次の寺社が将門関係だと云われている。
      ☆鎧神社
      ☆神田明神
      ☆水稲荷神社

      また、別の機会に今回行けなかった3社もじっくりと訪問してみたい。

    • これで、将門散歩編は終わりになるのだが、最後に都市伝説のようなお話を一つだけ紹介したい。

      ひとつ前の説明で将門にゆかりのある寺社を紹介したが、その中で名前の前に☆印がついているもの---これらを一筆書きの線で繋ぐとある図形が浮かび上がってくる。
      浮かび上がってくるもの…それは北斗七星。

      北斗七星は妙見菩薩の象徴とも云われる星で、平将門はその妙見菩薩を信仰していたと云われている。
      将門に縁のある寺社が北斗七星(妙見菩薩)の形に並んでいる…これは偶然なのか。

      多分、偶然では無い。
      これらの寺院のいくつかは徳川家康の命によりそれぞれの場所に作られた(移された)寺社で、この北斗七星の形状は家康によって意図的に作られた形だ。
      では、なぜ家康はこのような事をしたのか。
      朝廷と対立していた家康は将門の力を利用し、将門の負のパワーを江戸を守護する力として利用したかった。
      だから、将門に江戸に留まってもらうための器として将門が信仰していた妙見菩薩の北斗七星の形を利用した。
      そして家康が作った一種の呪(しゅ)により、将門は神として奉られ、江戸の守護神となった。

      これで、めでたし・めでたし…となるのだが、都市伝説は此処では終わらない。

      江戸幕府崩壊後、新政府は関東の守護神となった将門が目障りだった。
      だから、将門がこれ以上力を蓄えない様にある策略を練った。

      新政府がとった策略とは、鉄の利用。
      古来から、鉄には霊力を蓄える性質と相反する霊力を妨げる性質があると云われていた。
      新政府はそんな性質を持つ鉄を利用したあるモノを作る計画を立てた。

      それは、鉄道。
      将門ゆかりの7つの神社を結んでできた北斗七星を切る様に鉄道を走らせる計画…山手線計画だ。
      山手線を環状に走らせることで、鉄を用いて北斗七星の間に流れる将門の霊力を太刀切ろうとした…という話だ。

      しかし、将門も霊になったとはいえ、ただ手をこまねいていたわけではない。

      山手線があと一歩で環状線になる…という1923年(大正12年)9月。
      将門の怒りは大地のうねりとして関東地方を襲った。
      そう、関東大震災だ。

      しかし、将門の怒りの後にも着々と線路工事は再開され、現在に至る。

    • ちょっぴり怖い話は此処まで。

      九段下駅から地下鉄と小田急に乗り、都内2つ目の招き猫のお寺である豪徳寺を訪れる。
      豪徳寺があるのは、世田谷区。
      最寄駅は小田急の豪徳寺駅または東急世田谷線の宮の坂駅となる。

      豪徳寺駅から豪徳寺までは徒歩15分と若干遠く、Google Mapを頼りに歩いたら住宅街の中の道で、見事に道に迷った。
      方向感覚に自信がない場合は、宮の坂駅(徒歩5分)利用の方が分かりやすいと思う。

      豪徳寺の石門の前の八重桜はちょうど満開を迎えていた。

    • 豪徳寺が招き猫神社と云われるようになったのは、1600年代の事。

      鷹狩りに来ていた彦根藩主の井伊直孝が寺の前を通りかかったところ、寺の猫が片手を上げ、まるで井伊直孝を呼ぶかのようなしぐさをした。
      井伊直孝は猫に誘われるまま寺で一休みをしていると、空はにわかに掻き曇り土砂降りの雷雨となった。
      井伊直孝は、猫が招いてくれたおかげで濡れずにすんだと喜び、豪徳寺を井伊家の菩提寺とした。
      それが、招き猫の始まり…だということだ。

    • 私が豪徳寺でみたかったモノ…それは、願が成就したお礼として奉納されている招き猫たち。

      その猫たちがいるのが、この門の奥。

    • 大小様々な招福猫児(まねぎねこ)がいっぱい!

      縁起物に可愛い!なんて言ってはいけないのかもしれないが、純粋に可愛い!

    • イチオシ

      八重桜が満開を迎え、風が吹くと桜の花びらがハラハラと舞う。

      濃い桜色の花びらの絨毯の中の招き猫。
      この時期ならではの光景だ。

    • 豪徳寺の招き猫たちは、小判は持たない純粋な和の白猫だ。

    • 木々の間からの木漏れ日が天然のスポットライト。

      招き猫たちの顔に陰影の表情が生まれる。

    • 猫たちの中には、願が成就した持ち主により可愛く・逞しく化粧を施された猫ちゃんもいる。

    • イチオシ

      奉納堂の狭い空間一杯の猫たち。

      大小様々なネコたちがごちゃごちゃに並び、こちらを見ている。

      可愛らしすぎて…ここを動きたくないくらいだ。

    • 後姿はちょっぴり哀愁が漂うかも…。

    • 招き猫を見に来た小さな子供も、招き猫の可愛らしさに魅入られていた。

    • 勿論、豪徳寺は絵馬も招き猫だ。

    • 豪徳寺の境内は広く、桜・牡丹・藤等の春の花が咲いていた。
      境内のツツジも、もうすぐ見頃だ。

    • 常緑樹の木々も芽吹きの時。

    • 墓地の八重桜も見事に満開。

      新緑と桜を味わえる良い季節に此処に来たのかもしれない。

    • 夕方の光は、八重桜の花色をさらに柔らかく見せてくれる。

    • そして、豪徳寺の猫といえば、忘れてはいけないのが三重塔。

      この三重塔についてはノーマークだったのだが、小さな招き猫を買うために訪れた社務所の方が、三重塔のトリビアを教えてくれた。

    • 三重塔には一層目、二層目に模様が彫り込まれている。
      その模様の基本は干支なのだが、よく見ると…。

      三重の塔の一層目と二層目には干支の彫り物の間に、まるで干支であるかのような顔をして猫たちが隠れている。

      全部で5匹の猫が隠れている。

      写真の左上は一層目の招き猫で、他の猫たちは二層目にいる。
      猫たちは小さな彫刻なのでなかなか見つけにくいのだが、見つけられたらラッキーかも。

    • イチオシ

      招き猫と将門の足跡を辿ったこの日の散歩は、豪徳寺で終了。

      ちょっとドキドキしながら歩いた将門ゆかりの地だったが、巷で噂されるようなおどろおどろしい雰囲気は全くなく、どちらかというと、どこの寺社も明るい感じだった。

    • 朝廷に刃向ったことで非業の死を遂げた平将門、そして彼の首が飛んできて落ちたという首塚、その将門の力を利用し江戸の守護神として祀り上げた家康…。

      歴史に残る言い伝えや伝説には、必ず基となる裏付けがある。
      例えその歴史が後の世の権力者によりねじ曲げられていたとしても。

      何れが真実で何れが虚なのか、そんなことは分からない。
      ただ、将門は死に、その首塚が今も残る…というのは事実。

      あとは、想像力を逞しくするだけ…なのだろう。

    • 旅行記の最後に、今回のお散歩で入手した物を紹介♪

      招き猫のご朱印帳(今戸神社)1500円…朱印集めが好きな娘へのお土産。
      招福猫児(豪徳寺)500円…ちょっとした願を掛けてきたので、成就したらまた豪徳寺に納めに行こうと思っている。

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