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 横須賀市芦名にある浄楽寺は浄土宗のお寺で金剛山勝長寿院大御堂浄楽寺という。文治5年(1189年)に鎌倉幕府初代侍所別当和田義盛が建立した寺と伝えられているが、院号からも分かるように、源氏の氏寺であった鎌倉・勝長寿院を移したともされている。義盛は、三浦大介義明の孫で、源頼朝の挙兵に従った武将で、鎌倉幕府では、侍所別当として活躍したが、頼朝亡き後の建暦3年(1213年)、北条義時と対立し、由比ヶ浜で最期を遂げている(和田合戦)。<br /> 鎌倉時代後期に浄土宗の僧寂恵(じゃっけい)が中興し、浄土宗に改宗して鎌倉・光明寺の末になったのであろう。<br /> 阿弥陀三尊像・不動明王像・毘沙門天像は、運慶の真作とされているが、運慶工房(運慶一派)の作と見るべきである。奈良・円成寺の大日如来坐像(国宝)のように運慶が直接手を下したということはないであろう。この頃になると大仏師運慶は源頼朝や御台所・尼御台(後世の政子)から依頼された像でもないと自らは作像しなかったとされる。<br /> 車で逗子から南下しようかとも思ったが、寺の駐車場の広さが分からなかったので電車でJR逗子駅に行きそこからバスで向かった。逗子市・葉山町を越えてようやく横須賀市となり、程なく浄楽寺に着いた。リュックには湧き水を汲むポリ容器を入れ、買い物袋に8号鉢とポリポットのシロバナタンポポ(カマクラ(鎌倉)タンポポ)3株を手に提げて行った。庫裡で寺の奥さんにカマクラ(鎌倉)タンポポを渡したら、檀家総代の方がいらして、「昔、三浦でシロバナタンポポを取って栽培していたがとっくに枯れてしまい、久し振りに花を見た。」と言っている。やはり、三浦にはシロバナタンポポが自生していたようだ。<br /> 本堂裏手高台に宝物庫があり、阿弥陀三尊像・不動明王像・毘沙門天像の5体を展示していた。その中に「平政子 敬白」と刻まれた「伝北条政子奉納銅鏡」(承久2年(1220年)銘)があった。鎌倉・勝長寿院を移したともされている根拠ともなり得る鏡である。しかし、本堂前に座っていた「先生」と呼ばれていた郷土史家の老人は(、おそらくは高校の歴史教師上がりか何かで)、「懸仏の出来ばえが悪く、室町時代の作とも言われている。」という。鎌倉・長谷寺の宝物館に収蔵している懸仏と比べてのことだというので、「長谷寺の梵鐘(重文)は鋳造ミスの出来損ないを納めており、決して国宝には成り得ないことを学芸員から聞きましたが、必ずしも鋳造技術が高かったとは限らないでしょう。」と言っておいた。鎌倉史といい鎌倉仏といい、この分野には確かな専門家など存在せず、博士であっても怪しい東大教授(、後に名誉教授)も何人かいるくらいであるから、地元の郷土史家などは信用できないというのが正直な気持ちである。それにしても、この「伝北条政子奉納銅鏡」が何時の鋳造なのかははっきりさせないと運慶仏とこの銅鏡とではどちらが価値があるのかは判然としない。私にはこの銅鏡は銘にある通りで運慶仏よりもはるかに価値の高いもののように思えた。宝物庫には運慶作の真作とされている仏像は全国で18体だけとの貼り紙があったが、伝運慶作の仏像などは鎌倉にはゴロゴロしており、もしも3代将軍徳川家光奉納の栄勝寺本尊が運慶作の仏像の偽物だなどとしたら、徳川幕府の恥晒しになってしまおう。歴史的には鎌倉時代の初めには運慶はその一派を従えて鎌倉に下向し、多くの仏像を作造したとされているから、そうした仏像が数知れず残っていても不思議なことではなかろう。寄木作で短期間で作像していたのであるから、運慶工房の作品は取り分けて数が多かったはずだ。あるいは、伝承はなくても、それぞれ1体づつある頼朝や政子自刻像(自作像)が本当は運慶作という可能性も高いのではなかろうか?<br />(表紙写真は浄楽寺本堂)

浄楽寺(横須賀市芦名)

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2015/02/03 - 2015/02/03

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 横須賀市芦名にある浄楽寺は浄土宗のお寺で金剛山勝長寿院大御堂浄楽寺という。文治5年(1189年)に鎌倉幕府初代侍所別当和田義盛が建立した寺と伝えられているが、院号からも分かるように、源氏の氏寺であった鎌倉・勝長寿院を移したともされている。義盛は、三浦大介義明の孫で、源頼朝の挙兵に従った武将で、鎌倉幕府では、侍所別当として活躍したが、頼朝亡き後の建暦3年(1213年)、北条義時と対立し、由比ヶ浜で最期を遂げている(和田合戦)。
 鎌倉時代後期に浄土宗の僧寂恵(じゃっけい)が中興し、浄土宗に改宗して鎌倉・光明寺の末になったのであろう。
 阿弥陀三尊像・不動明王像・毘沙門天像は、運慶の真作とされているが、運慶工房(運慶一派)の作と見るべきである。奈良・円成寺の大日如来坐像(国宝)のように運慶が直接手を下したということはないであろう。この頃になると大仏師運慶は源頼朝や御台所・尼御台(後世の政子)から依頼された像でもないと自らは作像しなかったとされる。
 車で逗子から南下しようかとも思ったが、寺の駐車場の広さが分からなかったので電車でJR逗子駅に行きそこからバスで向かった。逗子市・葉山町を越えてようやく横須賀市となり、程なく浄楽寺に着いた。リュックには湧き水を汲むポリ容器を入れ、買い物袋に8号鉢とポリポットのシロバナタンポポ(カマクラ(鎌倉)タンポポ)3株を手に提げて行った。庫裡で寺の奥さんにカマクラ(鎌倉)タンポポを渡したら、檀家総代の方がいらして、「昔、三浦でシロバナタンポポを取って栽培していたがとっくに枯れてしまい、久し振りに花を見た。」と言っている。やはり、三浦にはシロバナタンポポが自生していたようだ。
 本堂裏手高台に宝物庫があり、阿弥陀三尊像・不動明王像・毘沙門天像の5体を展示していた。その中に「平政子 敬白」と刻まれた「伝北条政子奉納銅鏡」(承久2年(1220年)銘)があった。鎌倉・勝長寿院を移したともされている根拠ともなり得る鏡である。しかし、本堂前に座っていた「先生」と呼ばれていた郷土史家の老人は(、おそらくは高校の歴史教師上がりか何かで)、「懸仏の出来ばえが悪く、室町時代の作とも言われている。」という。鎌倉・長谷寺の宝物館に収蔵している懸仏と比べてのことだというので、「長谷寺の梵鐘(重文)は鋳造ミスの出来損ないを納めており、決して国宝には成り得ないことを学芸員から聞きましたが、必ずしも鋳造技術が高かったとは限らないでしょう。」と言っておいた。鎌倉史といい鎌倉仏といい、この分野には確かな専門家など存在せず、博士であっても怪しい東大教授(、後に名誉教授)も何人かいるくらいであるから、地元の郷土史家などは信用できないというのが正直な気持ちである。それにしても、この「伝北条政子奉納銅鏡」が何時の鋳造なのかははっきりさせないと運慶仏とこの銅鏡とではどちらが価値があるのかは判然としない。私にはこの銅鏡は銘にある通りで運慶仏よりもはるかに価値の高いもののように思えた。宝物庫には運慶作の真作とされている仏像は全国で18体だけとの貼り紙があったが、伝運慶作の仏像などは鎌倉にはゴロゴロしており、もしも3代将軍徳川家光奉納の栄勝寺本尊が運慶作の仏像の偽物だなどとしたら、徳川幕府の恥晒しになってしまおう。歴史的には鎌倉時代の初めには運慶はその一派を従えて鎌倉に下向し、多くの仏像を作造したとされているから、そうした仏像が数知れず残っていても不思議なことではなかろう。寄木作で短期間で作像していたのであるから、運慶工房の作品は取り分けて数が多かったはずだ。あるいは、伝承はなくても、それぞれ1体づつある頼朝や政子自刻像(自作像)が本当は運慶作という可能性も高いのではなかろうか?
(表紙写真は浄楽寺本堂)

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  • バス停に「浄楽寺仏像 特別開帳」の立看板。

    バス停に「浄楽寺仏像 特別開帳」の立看板。

  • 「国宝三尊佛」碑。

    「国宝三尊佛」碑。

  • 浄楽寺石柱にも「浄楽寺仏像 特別開帳」の立看板。

    浄楽寺石柱にも「浄楽寺仏像 特別開帳」の立看板。

  • 門前の出店。帰りに野菜を買って帰った。

    門前の出店。帰りに野菜を買って帰った。

  • 「浄楽寺駐車場」看板。

    「浄楽寺駐車場」看板。

  • 浄楽寺駐車場。まだ空いていた。

    浄楽寺駐車場。まだ空いていた。

  • 浄楽寺駐車場奥には井戸が。

    浄楽寺駐車場奥には井戸が。

  • 「市制施行七十周年記念 横須賀風物百選 浄楽寺阿弥陀三尊像」看板。

    「市制施行七十周年記念 横須賀風物百選 浄楽寺阿弥陀三尊像」看板。

  • 駐車場。

    駐車場。

  • 浄楽寺本堂。

    浄楽寺本堂。

  • 石仏。

    石仏。

  • 萬霊三界碑。

    萬霊三界碑。

  • 浄楽寺永代供養墓。

    浄楽寺永代供養墓。

  • 倉庫と地蔵堂。

    倉庫と地蔵堂。

  • 地蔵堂。

    地蔵堂。

  • 地蔵堂の延命地蔵尊と六地蔵。

    地蔵堂の延命地蔵尊と六地蔵。

  • 浄楽寺本堂。

    浄楽寺本堂。

  • 浄楽寺本堂屋根に上がる飾り瓦。初めて見る飾り瓦だ。浄土宗のお寺の伽藍に飾り瓦が上がることは珍しいだろう。

    浄楽寺本堂屋根に上がる飾り瓦。初めて見る飾り瓦だ。浄土宗のお寺の伽藍に飾り瓦が上がることは珍しいだろう。

  • 浄楽寺本堂屋根に上がる飾り瓦。

    浄楽寺本堂屋根に上がる飾り瓦。

  • 庫裡。玄関先にカマクラ(鎌倉)タンポポの鉢が置かれている。

    庫裡。玄関先にカマクラ(鎌倉)タンポポの鉢が置かれている。

  • 「前島密翁の墓」道標。

    「前島密翁の墓」道標。

  • 浄楽寺本堂。

    浄楽寺本堂。

  • 浄楽寺本堂。

    浄楽寺本堂。

  • 「国指定重要文化財 木造阿弥陀三尊像」看板。

    「国指定重要文化財 木造阿弥陀三尊像」看板。

  • 「国指定重要文化財 木造不動明王立像・木造毘沙門天立像」看板。

    「国指定重要文化財 木造不動明王立像・木造毘沙門天立像」看板。

  • 石仏群。

    石仏群。

  • 「若葉けり 三尊の弥陀 照りたまひ」。

    「若葉けり 三尊の弥陀 照りたまひ」。

  • 儀宝珠。

    儀宝珠。

  • 浄楽寺宝物庫。

    浄楽寺宝物庫。

  • 浄楽寺宝物庫入口。中に阿弥陀三尊像・不動明王像・毘沙門天像の5体を展示しているが、これほど真近で運慶仏を見られるところはないのでは?

    浄楽寺宝物庫入口。中に阿弥陀三尊像・不動明王像・毘沙門天像の5体を展示しているが、これほど真近で運慶仏を見られるところはないのでは?

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