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2/14 仙崎の金子みすず記念館より車で萩に向かい、4時過ぎに到着。ホテルにチェックイン後、日没までホテル近くを散策。<br /><br />(1)	吉田松陰誕生地/吉田松陰の墓及び墓所<br />誕生地は萩市内を一望できる高台にあり、眺めが良い。誕生地そばには、吉田松陰・金子重輔の銅像が建っている。萩の東側の高台にあります。<br /><br />墓前の水盤や花立は、前原一誠や久坂玄瑞、高杉晋作、入江九一ら門人17人と妹たちが名前入りで寄進したもの。当時、松陰は幕府から第1級の大罪人とされており、その松陰へ対し名前を刻んでの寄進は当時としては勇気のいる行動でした。それだけ松陰が門人たちから慕われていたということが伺えます。<br />この墓所には、杉百合之助、吉田大助、玉木文之進、久坂玄瑞など一族の墓のほか、門人の高杉晋作などの墓が立ち並んでいます。<br /><br />(2)	玉木文之進旧宅<br />松下村塾の創立者であり松陰の叔父である玉木文之進の旧宅<br /><br />(3)	伊藤博文別邸/伊藤博文旧宅<br />東京から大邸宅を移築旧宅に隣接する別邸。<br />伊藤博文が明治元年に兵庫県知事に赴任するまでの本拠となった家でもある。<br />旧宅そばには、萩焼でつくられた伊藤博文の陶像が建つ。<br /><br />2/14はここで日没となったため、おしまい!<br /><br />2/15、まずは宿泊先「萩本陣」近くの東光寺から…。<br />(4)	東光寺<br />毛利吉就が1691(元禄4)年に創建した大照院とならぶ毛利家の菩提寺。3代〜11代までの奇数代藩主夫妻が葬られている。重文の総門、大雄宝殿、鐘楼など、中国風の雄大な建築も見ごたえ満点。<br /><br />(5)	松陰神社<br />明治23(1890)年に吉田松陰を祀って建てられた神社。松下村塾改修時に松陰の実家である杉家により私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠が建立された。<br /><br />(6)	萩城跡<br />萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれています。山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていました。明治7年(1874)、天守閣、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、ここ一帯は国の史跡に指定されています。<br /><br />(7)	旧厚狭毛利家萩屋敷長屋<br />毛利家一門のひとつである厚狭毛利家の武家屋敷。<br />厚狭毛利家は、毛利元就の5男元秋を祖とし、毛利氏の萩移封後、厚狭(現山陽小野田市)に知行地を与えられたことから、このように呼称され、8371石余りを領しました。萩屋敷は約15500?の広大な敷地を誇っていましたが、主屋などは明治維新後に解体され、安政3年(1856)に建てられたこの長屋のみが残っています。<br />梁間5メートル、桁行51.5メートルの長大な入母屋造り本瓦葺きの建物は、萩に現存する武家屋敷のなかでも最大の規模を誇り、国の重要文化財に指定されています。<br /><br />(8)	城下町<br />高杉晋作立志像、高杉晋作誕生地、木戸孝允旧宅、田中義一誕生地、菊屋家住宅等があります。<br /><br />(9)	文と萩物語 花燃ゆ大河ドラマ館<br />お決まりな感じですが、平成27年大河ドラマ「花燃ゆ」のドラマ館として、文と萩物語 花燃ゆ大河ドラマ館へ。<br />ドラマ館では、ドラマで実際に使用された小道具や衣装の展示、ロケメイキング映像の上映、ストーリーやキャスト紹介のパネル等の展示、さらには松下村塾セット展示や記念撮影ポイントなど、大河ドラマの世界観を存分に体験。<br /><br />(10)	旧萩藩校明倫館<br />萩藩校明倫館は、享保3年(1718)に5代藩主吉元が毛利家家臣の子弟教育のために萩城三の丸(堀内)に建てた藩校です。それから約130年後、嘉永2年(1849)に城下の中心地(現在地)へと移転、規模を拡大しました。<br /><br />約1万5千坪(約5万?)もの敷地内に、宣聖殿と呼ばれた聖廟を中心に、西側に小学舎、手習所などを含めた主として学問習得のための建物、それも漢学中心の初等・高等の教育施設が配置され、東側には槍場、撃剣場、射術場などの武芸修練場、後方には水練池、北方には約3千坪の練兵場が設けられていました。吉田松陰や楫取素彦(小田村伊之助)もここで教鞭をふるいました。<br />創設より慶応3年(1867)廃館に至るまで、前後約150年の長期にわたって藩校としての教育が行われ、幕末の長州藩の中で大きな役割を果たしました。<br /><br />(11)	 野山獄跡/岩倉獄跡<br />野山獄には、安政元年(1854)海外密航に失敗した吉田松陰が投じられ、岩倉獄には従者だった金子重之助が投じられました。松陰は、そこで仲間の囚人たちに孟子の講義をするとともに自らも俳諧や書を学びました。また獄吏でさえも廊下で松陰の講義に耳を傾けたといわれており、前例のない教育活動を行いました。<br />

201502-07_萩市内散策 / Hagi City in Yamaguchi

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2015/02/14 - 2015/02/15

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旅行記グループ 201502-島根・山口

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maikon

maikonさん

2/14 仙崎の金子みすず記念館より車で萩に向かい、4時過ぎに到着。ホテルにチェックイン後、日没までホテル近くを散策。

(1) 吉田松陰誕生地/吉田松陰の墓及び墓所
誕生地は萩市内を一望できる高台にあり、眺めが良い。誕生地そばには、吉田松陰・金子重輔の銅像が建っている。萩の東側の高台にあります。

墓前の水盤や花立は、前原一誠や久坂玄瑞、高杉晋作、入江九一ら門人17人と妹たちが名前入りで寄進したもの。当時、松陰は幕府から第1級の大罪人とされており、その松陰へ対し名前を刻んでの寄進は当時としては勇気のいる行動でした。それだけ松陰が門人たちから慕われていたということが伺えます。
この墓所には、杉百合之助、吉田大助、玉木文之進、久坂玄瑞など一族の墓のほか、門人の高杉晋作などの墓が立ち並んでいます。

(2) 玉木文之進旧宅
松下村塾の創立者であり松陰の叔父である玉木文之進の旧宅

(3) 伊藤博文別邸/伊藤博文旧宅
東京から大邸宅を移築旧宅に隣接する別邸。
伊藤博文が明治元年に兵庫県知事に赴任するまでの本拠となった家でもある。
旧宅そばには、萩焼でつくられた伊藤博文の陶像が建つ。

2/14はここで日没となったため、おしまい!

2/15、まずは宿泊先「萩本陣」近くの東光寺から…。
(4) 東光寺
毛利吉就が1691(元禄4)年に創建した大照院とならぶ毛利家の菩提寺。3代〜11代までの奇数代藩主夫妻が葬られている。重文の総門、大雄宝殿、鐘楼など、中国風の雄大な建築も見ごたえ満点。

(5) 松陰神社
明治23(1890)年に吉田松陰を祀って建てられた神社。松下村塾改修時に松陰の実家である杉家により私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠が建立された。

(6) 萩城跡
萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれています。山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていました。明治7年(1874)、天守閣、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、ここ一帯は国の史跡に指定されています。

(7) 旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
毛利家一門のひとつである厚狭毛利家の武家屋敷。
厚狭毛利家は、毛利元就の5男元秋を祖とし、毛利氏の萩移封後、厚狭(現山陽小野田市)に知行地を与えられたことから、このように呼称され、8371石余りを領しました。萩屋敷は約15500?の広大な敷地を誇っていましたが、主屋などは明治維新後に解体され、安政3年(1856)に建てられたこの長屋のみが残っています。
梁間5メートル、桁行51.5メートルの長大な入母屋造り本瓦葺きの建物は、萩に現存する武家屋敷のなかでも最大の規模を誇り、国の重要文化財に指定されています。

(8) 城下町
高杉晋作立志像、高杉晋作誕生地、木戸孝允旧宅、田中義一誕生地、菊屋家住宅等があります。

(9) 文と萩物語 花燃ゆ大河ドラマ館
お決まりな感じですが、平成27年大河ドラマ「花燃ゆ」のドラマ館として、文と萩物語 花燃ゆ大河ドラマ館へ。
ドラマ館では、ドラマで実際に使用された小道具や衣装の展示、ロケメイキング映像の上映、ストーリーやキャスト紹介のパネル等の展示、さらには松下村塾セット展示や記念撮影ポイントなど、大河ドラマの世界観を存分に体験。

(10) 旧萩藩校明倫館
萩藩校明倫館は、享保3年(1718)に5代藩主吉元が毛利家家臣の子弟教育のために萩城三の丸(堀内)に建てた藩校です。それから約130年後、嘉永2年(1849)に城下の中心地(現在地)へと移転、規模を拡大しました。

約1万5千坪(約5万?)もの敷地内に、宣聖殿と呼ばれた聖廟を中心に、西側に小学舎、手習所などを含めた主として学問習得のための建物、それも漢学中心の初等・高等の教育施設が配置され、東側には槍場、撃剣場、射術場などの武芸修練場、後方には水練池、北方には約3千坪の練兵場が設けられていました。吉田松陰や楫取素彦(小田村伊之助)もここで教鞭をふるいました。
創設より慶応3年(1867)廃館に至るまで、前後約150年の長期にわたって藩校としての教育が行われ、幕末の長州藩の中で大きな役割を果たしました。

(11)  野山獄跡/岩倉獄跡
野山獄には、安政元年(1854)海外密航に失敗した吉田松陰が投じられ、岩倉獄には従者だった金子重之助が投じられました。松陰は、そこで仲間の囚人たちに孟子の講義をするとともに自らも俳諧や書を学びました。また獄吏でさえも廊下で松陰の講義に耳を傾けたといわれており、前例のない教育活動を行いました。

旅行の満足度
5.0

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