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北関東群馬県赤城山麓を走る上毛電鉄新谷駅から線路に沿って東進、現在では見事に整備され「おなぶち公園」と称される公園の中に女渕城(おなぶちじょう、群馬県前橋市粕川町)があり、上野国では珍しく周囲の湧き水を引いた水城です。<br /><br /><br />二の丸に立てられた説明板によれば次のように紹介されています。<br /><br />「 女 渕 城 跡<br /><br />戦国時代、赤城山南麓にあった城の一つで、要害に広く水濠を用いた平城である。<br /><br />築城年、築城者は不明だが、越後の上杉氏、甲斐の武田氏、小田原の北条氏などの侵略を受け、城主の変遷が多かった。<br /><br />城跡は東西200m、南北450mの規模で、主要部は南北320m、最大幅90mの水濠の東側にあり、低い土居と堀をめぐらして、北から北曲輪、本丸、二ノ丸、三ノ丸(御霊曲輪)、龍光寺曲輪が並んでいる。北曲輪と本丸の東に帯曲輪がある。<br /><br />本丸は東西40m、南北30mあり、広くて深い水濠で囲まれている。本丸に接する帯曲輪、北曲輪、二の丸とは土橋で通じ、西曲輪は本丸の西側の広い水濠を隔ててあり、堀をめぐらしており、その先に外濠となっていた。<br /><br />天正18年(1590)小田原の北条方の城だったので豊臣秀吉の軍勢に攻められ、小田原城落城と同じく落城し廃城となった。<br />                    前橋市文化財保護課 」<br />

上野粕川 上杉・武田・小田原北条覇権争いの舞台となった計略要地に梯郭式城郭を備え北関東では珍しい水城『女渕城』訪問

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2015/01/10 - 2015/01/10

204位(同エリア377件中)

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滝山氏照

滝山氏照さん

北関東群馬県赤城山麓を走る上毛電鉄新谷駅から線路に沿って東進、現在では見事に整備され「おなぶち公園」と称される公園の中に女渕城(おなぶちじょう、群馬県前橋市粕川町)があり、上野国では珍しく周囲の湧き水を引いた水城です。


二の丸に立てられた説明板によれば次のように紹介されています。

「 女 渕 城 跡

戦国時代、赤城山南麓にあった城の一つで、要害に広く水濠を用いた平城である。

築城年、築城者は不明だが、越後の上杉氏、甲斐の武田氏、小田原の北条氏などの侵略を受け、城主の変遷が多かった。

城跡は東西200m、南北450mの規模で、主要部は南北320m、最大幅90mの水濠の東側にあり、低い土居と堀をめぐらして、北から北曲輪、本丸、二ノ丸、三ノ丸(御霊曲輪)、龍光寺曲輪が並んでいる。北曲輪と本丸の東に帯曲輪がある。

本丸は東西40m、南北30mあり、広くて深い水濠で囲まれている。本丸に接する帯曲輪、北曲輪、二の丸とは土橋で通じ、西曲輪は本丸の西側の広い水濠を隔ててあり、堀をめぐらしており、その先に外濠となっていた。

天正18年(1590)小田原の北条方の城だったので豊臣秀吉の軍勢に攻められ、小田原城落城と同じく落城し廃城となった。
                    前橋市文化財保護課 」

旅行の満足度
4.0
交通手段
JRローカル 私鉄

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  • 女渕城本丸<br /><br />二の丸から橋を経て本丸方向を捉えます。水堀はコンクリートで護岸工事されて城郭の雰囲気はありません。<br /><br />

    女渕城本丸

    二の丸から橋を経て本丸方向を捉えます。水堀はコンクリートで護岸工事されて城郭の雰囲気はありません。

  • 女渕城西宿沼<br /><br />同様に北方向まで伸びている「西宿沼」方向を眺めます。

    女渕城西宿沼

    同様に北方向まで伸びている「西宿沼」方向を眺めます。

  • 駐車場<br /><br />公園化の中には駐車場が完備され、逆に戦国時代の城郭遺構は土塁ぐらいしかありません。

    駐車場

    公園化の中には駐車場が完備され、逆に戦国時代の城郭遺構は土塁ぐらいしかありません。

  • 多目的広場<br /><br />縄張図では五角形の大掛かりな沼地は埋め立てられ広場となっています。

    多目的広場

    縄張図では五角形の大掛かりな沼地は埋め立てられ広場となっています。

  • 女渕城址見取図<br /><br />当該城跡はすっかり公園化されています。

    女渕城址見取図

    当該城跡はすっかり公園化されています。

  • 女渕城跡説明

    女渕城跡説明

  • 土塁跡<br /><br />二の丸の隅部にはかつては立派な土塁であったと思われる跡が僅かに残されています。

    土塁跡

    二の丸の隅部にはかつては立派な土塁であったと思われる跡が僅かに残されています。

  • 本丸土橋<br /><br />城郭の中央部の本丸に向かうため土橋を渡ります。<br /><br />

    本丸土橋

    城郭の中央部の本丸に向かうため土橋を渡ります。

  • 十の字沼<br /><br />土橋から東方向に造られた「十の字沼」方向を一望します。

    十の字沼

    土橋から東方向に造られた「十の字沼」方向を一望します。

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 本丸跡柱標<br /><br />本丸跡の片隅に本丸跡を示す柱標が立っています。

    本丸跡柱標

    本丸跡の片隅に本丸跡を示す柱標が立っています。

  • 「女渕城本丸跡」柱標

    「女渕城本丸跡」柱標

  • 女渕城跡説明

    女渕城跡説明

  • 女渕城縄張図<br /><br />北曲輪・本丸・二の丸・三の丸を北から南に繋ぐ連結式城郭であることが判ります。<br /><br />

    女渕城縄張図

    北曲輪・本丸・二の丸・三の丸を北から南に繋ぐ連結式城郭であることが判ります。

  • 北曲輪跡<br /><br />本丸の北側には北曲輪がありましたが現在では農地となっています。

    北曲輪跡

    本丸の北側には北曲輪がありましたが現在では農地となっています。

  • 土塁<br /><br />二の丸跡から三の丸跡にかけて保存状態の良い土塁が残されています。

    土塁

    二の丸跡から三の丸跡にかけて保存状態の良い土塁が残されています。

  • 土塁跡<br /><br />公園から三の丸(現在御霊神社)方向への道路脇にも土塁跡と見られる姿があります。

    土塁跡

    公園から三の丸(現在御霊神社)方向への道路脇にも土塁跡と見られる姿があります。

  • 境内風景<br /><br />境内の二の丸境界にも土塁が見られます。<br />

    境内風景

    境内の二の丸境界にも土塁が見られます。

  • 御霊神社裏手<br /><br />

    御霊神社裏手

  • 鳥居<br /><br />公園内部の説明板によればこの神社一帯はかつては三の丸であった由です。

    鳥居

    公園内部の説明板によればこの神社一帯はかつては三の丸であった由です。

  • 第二鳥居<br /><br />第一鳥居を進めば第二鳥居、そしてその先には拝殿が待ち構えています。

    第二鳥居

    第一鳥居を進めば第二鳥居、そしてその先には拝殿が待ち構えています。

  • 御霊神社拝殿

    御霊神社拝殿

  • 神楽殿<br /><br />拝殿右手には神楽殿があります。

    神楽殿

    拝殿右手には神楽殿があります。

  • 「太々神楽」説明

    「太々神楽」説明

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