五條旅行記(ブログ) 一覧に戻る
五條観光の中心はやはり、旧紀州街道でもある新町筋。この一角は、旧紀州街道沿いに江戸時代・明治時代に建てられたまち家がいくつも残っているレトロな街並み。五條駅からは入口まで、歩いて15分くらいです。施設としては、五條市まちなみ伝承館や五條市まちなみ伝承館といった無料開放されているのですが、結局はべたなところで、餅商一ツ橋でしょうか。強烈な印象の店構えに、手作りの素朴な焼き餅が有名です。 <br /><br />せっかくなので、橋本でも途中下車して、少しウロウロ。三法師の墓があったのには驚きました。<br /><br />そして、最後は大阪に帰って、法善寺横丁へ。法善寺そばの小さな石畳の路地を入ると、両側には、小料理屋、バーが軒を並びます。ただ、この一角だけはごちゃごちゃした南の喧騒とは違って、ちょっとステータスを感じるような特別な雰囲気があって、ここからは大人の時間。今回、喜川にお邪魔しましたが、店に入る時から気分良し。期待通りの浪花の神髄を楽しませてもらいました。

五條からミナミ・枚方の大阪界隈手探り旅(一日目)~明治維新のさきがけとは片腹痛しですが、五條の渋い街並は見応えあり。最後は法善寺横丁で大人の時間です~

35いいね!

2014/12/05 - 2014/12/05

19位(同エリア127件中)

0

113

たびたび

たびたびさん

五條観光の中心はやはり、旧紀州街道でもある新町筋。この一角は、旧紀州街道沿いに江戸時代・明治時代に建てられたまち家がいくつも残っているレトロな街並み。五條駅からは入口まで、歩いて15分くらいです。施設としては、五條市まちなみ伝承館や五條市まちなみ伝承館といった無料開放されているのですが、結局はべたなところで、餅商一ツ橋でしょうか。強烈な印象の店構えに、手作りの素朴な焼き餅が有名です。

せっかくなので、橋本でも途中下車して、少しウロウロ。三法師の墓があったのには驚きました。

そして、最後は大阪に帰って、法善寺横丁へ。法善寺そばの小さな石畳の路地を入ると、両側には、小料理屋、バーが軒を並びます。ただ、この一角だけはごちゃごちゃした南の喧騒とは違って、ちょっとステータスを感じるような特別な雰囲気があって、ここからは大人の時間。今回、喜川にお邪魔しましたが、店に入る時から気分良し。期待通りの浪花の神髄を楽しませてもらいました。

PR

  • 関西空港に到着。ここから五条に向かいます。ラピートで天下茶屋まで出て、南海高野線に乗り換え、その後。、橋本でJRに乗り換える。結構時間がかかるんですよね。

    関西空港に到着。ここから五条に向かいます。ラピートで天下茶屋まで出て、南海高野線に乗り換え、その後。、橋本でJRに乗り換える。結構時間がかかるんですよね。

  • 走り始めてすぐが、りんくうゲートタワービル。りんくうタウン駅に直結した高層ビルです。 高さは、256.1mで、あべのハルカス、横浜ランドマークタワーに次いで日本で3番目の高さです。<br />かつて、橋本知事が大阪府庁をここに移転しようとしたのですが、東日本大震災の時、長期周波動でこのビルが被害を受けたので立ち消えとなりました。そういう意味だとまだ赤字ビルなんでしょう。雄姿の一方で、ちょっとさみしいビルではあります。

    走り始めてすぐが、りんくうゲートタワービル。りんくうタウン駅に直結した高層ビルです。 高さは、256.1mで、あべのハルカス、横浜ランドマークタワーに次いで日本で3番目の高さです。
    かつて、橋本知事が大阪府庁をここに移転しようとしたのですが、東日本大震災の時、長期周波動でこのビルが被害を受けたので立ち消えとなりました。そういう意味だとまだ赤字ビルなんでしょう。雄姿の一方で、ちょっとさみしいビルではあります。

  • そして、まずは橋本駅に到着。橋本は高野山への入口といった位置づけの街ですよね。これまで通ったことはあっても、降りたことはありませんでした。五條までのJRの乗り換えで、待ち合わせ時間があるので、少し周辺を歩きます。

    そして、まずは橋本駅に到着。橋本は高野山への入口といった位置づけの街ですよね。これまで通ったことはあっても、降りたことはありませんでした。五條までのJRの乗り換えで、待ち合わせ時間があるので、少し周辺を歩きます。

  • <br />で、竹虎堂は、橋本駅から歩いて5分。市街に入る入口にある小さな和菓子さんです。


    で、竹虎堂は、橋本駅から歩いて5分。市街に入る入口にある小さな和菓子さんです。

  • 高野やきもちをいただきました。高野やきもちは、この辺で時々みるんですが、ちょっと薄いお餅なのにしっかり餡を包んで、焼き目があるのでお餅の香ばしさと中の餡がちょうどいいバランス。ほっとするような味わいに、女将さんの笑顔にも癒されます。<br />

    イチオシ

    高野やきもちをいただきました。高野やきもちは、この辺で時々みるんですが、ちょっと薄いお餅なのにしっかり餡を包んで、焼き目があるのでお餅の香ばしさと中の餡がちょうどいいバランス。ほっとするような味わいに、女将さんの笑顔にも癒されます。

  • その前に、はしもと広域観光案内所。事前に調べたところだと、橋本駅の周辺では目ぼしい観光地がなかったのですが、ここで聞けば何とかなるのではと思い立ち寄りました。<br />しかし、結果とすると、やはり乏しいなあと言う感じはそのとおり。唯一、織田秀長(三法師)の終焉の地というのを教えてもらい、これは帰りに訪ねてみることにします。

    その前に、はしもと広域観光案内所。事前に調べたところだと、橋本駅の周辺では目ぼしい観光地がなかったのですが、ここで聞けば何とかなるのではと思い立ち寄りました。
    しかし、結果とすると、やはり乏しいなあと言う感じはそのとおり。唯一、織田秀長(三法師)の終焉の地というのを教えてもらい、これは帰りに訪ねてみることにします。

  • で、この時間は應其寺へ。橋本のごちゃごちゃした市街の真ん中です。<br />

    で、この時間は應其寺へ。橋本のごちゃごちゃした市街の真ん中です。

  • 應其上人という人物が再建したという寺ですが、この應其上人というのは、橋本の町の恩人。紀の川に橋を架けて、高野山への通行をしやすくし、塩市も開きます。橋本の地名もここからきているのだそうです。境内には、本堂の前に應其上人の像がありました。

    應其上人という人物が再建したという寺ですが、この應其上人というのは、橋本の町の恩人。紀の川に橋を架けて、高野山への通行をしやすくし、塩市も開きます。橋本の地名もここからきているのだそうです。境内には、本堂の前に應其上人の像がありました。

  • そして、五條に到着。<br />

    そして、五條に到着。

  • 五條駅を出てすぐの五條市観光案内所。見るとレンタサイクルをやっているではありませんか。榮山寺や金剛寺を回るのは半分あきらめていたのですが、これなら回れますよ〜。<br />

    五條駅を出てすぐの五條市観光案内所。見るとレンタサイクルをやっているではありませんか。榮山寺や金剛寺を回るのは半分あきらめていたのですが、これなら回れますよ〜。

  • まずは、新町通りに向かいます。<br /><br />昭和50年の調査で、江戸時代の建物が77棟、明治時代の建物が19棟と確認されてるほど、多くの古い建物が残っているのですが、その中で唯一の国の重要文化財が、この栗山家住宅。江戸時代の初期である1607年に建てられたものであることが分かっています。新町通りの入口にあって、外観を眺めるしかありませんが、塀に囲まれたその威容ははっきり確認することができます。

    まずは、新町通りに向かいます。

    昭和50年の調査で、江戸時代の建物が77棟、明治時代の建物が19棟と確認されてるほど、多くの古い建物が残っているのですが、その中で唯一の国の重要文化財が、この栗山家住宅。江戸時代の初期である1607年に建てられたものであることが分かっています。新町通りの入口にあって、外観を眺めるしかありませんが、塀に囲まれたその威容ははっきり確認することができます。

  • さて、新町通りに入ります。

    さて、新町通りに入ります。

  • これが餅商一ツ橋。五條の新町通りでも、とびきりの名物店。

    これが餅商一ツ橋。五條の新町通りでも、とびきりの名物店。

  • 高野やきもちのお店で、午前中に行かないと売り切れのリスクがあるのでも有名です。

    イチオシ

    高野やきもちのお店で、午前中に行かないと売り切れのリスクがあるのでも有名です。

  • 私は、お昼ギリギリでしたが、何んとかゲットできました。<br />いただくと、あれっというほど餡の甘みが抑えめですねえ。意外にインパクトはあまりないですよ。<br />ところが、食べ終わってみると、徐々に甘さが浸みてきて、結局はちょうどいい。そんなところも計算されているのかいないのか。素朴だけど、飽きない味わいがあるようです。

    私は、お昼ギリギリでしたが、何んとかゲットできました。
    いただくと、あれっというほど餡の甘みが抑えめですねえ。意外にインパクトはあまりないですよ。
    ところが、食べ終わってみると、徐々に甘さが浸みてきて、結局はちょうどいい。そんなところも計算されているのかいないのか。素朴だけど、飽きない味わいがあるようです。

  • 餅商一ツ橋のすぐにあって、これも趣のある景観のアクセントになっているのが宝満寺。小さな橋の傍らに、浄土真宗本願寺派の寺だけに豪壮な雰囲気ももち合わせながら、街並みに溶け込んでいます。

    餅商一ツ橋のすぐにあって、これも趣のある景観のアクセントになっているのが宝満寺。小さな橋の傍らに、浄土真宗本願寺派の寺だけに豪壮な雰囲気ももち合わせながら、街並みに溶け込んでいます。

  • 小川も流れて、ここは通りの中間地点です。

    小川も流れて、ここは通りの中間地点です。

  • このまちや館は、

    このまちや館は、

  • かつては米屋を営んでいたという

    かつては米屋を営んでいたという

  • 旧辻家の住宅をリニューアルしたもの。

    旧辻家の住宅をリニューアルしたもの。

  • 江戸時代末期ごろの建物ということで、火災や水害の教訓から、重厚な造りとなった建物ですが、縁が広いくとってあって、明るい開放感も兼ね備えています。<br />

    江戸時代末期ごろの建物ということで、火災や水害の教訓から、重厚な造りとなった建物ですが、縁が広いくとってあって、明るい開放感も兼ね備えています。

  • 司法大臣や法務大臣を歴任した木村篤太郎氏の生家でもあり、

    司法大臣や法務大臣を歴任した木村篤太郎氏の生家でもあり、

  • ゆかりの品もいくつか展示されていました。

    ゆかりの品もいくつか展示されていました。

  • なるほど。。

    イチオシ

    なるほど。。

  • さらに進んで。

    さらに進んで。

  • 五條市まちなみ伝承館も新町通りにあって、

    五條市まちなみ伝承館も新町通りにあって、

  • 無料公開されている町家のひとつ。

    無料公開されている町家のひとつ。

  • 明治期に建てられた建物です。<br />

    明治期に建てられた建物です。

  • 新町通りのいわれ、歴史が説明してあったり、

    新町通りのいわれ、歴史が説明してあったり、

  • 工芸品の展示も

    工芸品の展示も

  • あったのですが、

    あったのですが、

  • 特に目を引いたのは、

    特に目を引いたのは、

  • 川村たかしの児童文学作品に、

    川村たかしの児童文学作品に、

  • 人形浄瑠璃の赤根屋半七関連資料。

    人形浄瑠璃の赤根屋半七関連資料。

  • 大和五條で染物屋を営んでいた赤根屋半七と大夫の三勝が心中する事件をベースにした演目のようですが、事件を起こしたことも含めて、こうしたゆかりの作品があること自体、五條の文化度の証のような気がします。

    大和五條で染物屋を営んでいた赤根屋半七と大夫の三勝が心中する事件をベースにした演目のようですが、事件を起こしたことも含めて、こうしたゆかりの作品があること自体、五條の文化度の証のような気がします。

  • そして、こちらが近くにある赤根屋半七宅跡。石の標識が建っているだけのものですが、赤根屋半七というのは、実在の人物だったことがはっきりします。<br />この新町通りで染物屋を営む半兵衛の息子で、大阪千日寺の墓地で遊女の三勝と心中して果てます。それを基にして、「艶容女舞衣」という人形浄瑠璃の演目が作られ、悲恋の物語として好評を博しました。

    そして、こちらが近くにある赤根屋半七宅跡。石の標識が建っているだけのものですが、赤根屋半七というのは、実在の人物だったことがはっきりします。
    この新町通りで染物屋を営む半兵衛の息子で、大阪千日寺の墓地で遊女の三勝と心中して果てます。それを基にして、「艶容女舞衣」という人形浄瑠璃の演目が作られ、悲恋の物語として好評を博しました。

  • 新町通りの町家は火災や水害にあった経験が生かされているとのことですが、その新町通りからすぐの土手を上がると、この吉野川の河原が見渡せます。穏やかそうな景色ですが、これだけ近いと氾濫すれば街はひとたまりもないでしょう。<br />なお、和歌山に入ると吉野川は紀の川と名前を変えるそうです。

    新町通りの町家は火災や水害にあった経験が生かされているとのことですが、その新町通りからすぐの土手を上がると、この吉野川の河原が見渡せます。穏やかそうな景色ですが、これだけ近いと氾濫すれば街はひとたまりもないでしょう。
    なお、和歌山に入ると吉野川は紀の川と名前を変えるそうです。

  • お昼は、奈良の名物で柿の葉すしにしましょうか。<br />このたなかは、五條に本店があって、かなりメジャーなお店。せっかくなので本店に寄ってみましたが、大きな店構えで立派です。

    お昼は、奈良の名物で柿の葉すしにしましょうか。
    このたなかは、五條に本店があって、かなりメジャーなお店。せっかくなので本店に寄ってみましたが、大きな店構えで立派です。

  • さば、たい、さけの寿司を買って、店内でいただきました。

    さば、たい、さけの寿司を買って、店内でいただきました。

  • 丁寧に包んである寿司を一つ一つ。

    丁寧に包んである寿司を一つ一つ。

  • ただ、食べ慣れている柿の葉すしだし、

    ただ、食べ慣れている柿の葉すしだし、

  • 特別な味ではなかったかもしれません。

    特別な味ではなかったかもしれません。

  • つづいて、五新鉄道へ。これは、幻の鉄道。元々の計画では、五條駅と紀勢本線の新宮駅を結び沿線の木材の輸送が期待されていたのですが、結局は実現しませんでした。ただし、立派な高架の跡が残っていて、幻の計画があったことを今に伝えています。

    つづいて、五新鉄道へ。これは、幻の鉄道。元々の計画では、五條駅と紀勢本線の新宮駅を結び沿線の木材の輸送が期待されていたのですが、結局は実現しませんでした。ただし、立派な高架の跡が残っていて、幻の計画があったことを今に伝えています。

  • 近くにある五條史跡公園ですが、「明治維新発祥の地」と書いた大きな看板の入口を少し上がったところ。

    近くにある五條史跡公園ですが、「明治維新発祥の地」と書いた大きな看板の入口を少し上がったところ。

  • ここは、文久3年(1863)、天誅組が義挙により五條代官所を襲う事件が起きたその場所。

    ここは、文久3年(1863)、天誅組が義挙により五條代官所を襲う事件が起きたその場所。

  • しかし、これを明治維新の先駆けと宣伝するのはどうなんでしょう。私に言わせれば、中山忠光は明治天皇の従弟という高貴な身分であるにはあるのですが、盲信的な尊王攘夷思想に走っただけの人物。かなり思い切った宣伝文句ではないかと思います。<br />ただ、どういう考え方であれ、急進的な思想がエネルギーとなって明治維新を実現させたとするならば、それは水戸藩が先駆け。幕藩体制をものともしない底知れぬエネルギーが生まれました。水戸藩士が実行した桜田門外の変は天誅組事件より3年も前のこと。徳川幕府の権威はガタガタになってしまいます。<br />しかし、水戸の人は明治維新の先駆けと言われるとたぶんいやでしょう。佐幕の立場は持っていたので、素直な気持ちにはなれないはずです。<br />

    しかし、これを明治維新の先駆けと宣伝するのはどうなんでしょう。私に言わせれば、中山忠光は明治天皇の従弟という高貴な身分であるにはあるのですが、盲信的な尊王攘夷思想に走っただけの人物。かなり思い切った宣伝文句ではないかと思います。
    ただ、どういう考え方であれ、急進的な思想がエネルギーとなって明治維新を実現させたとするならば、それは水戸藩が先駆け。幕藩体制をものともしない底知れぬエネルギーが生まれました。水戸藩士が実行した桜田門外の変は天誅組事件より3年も前のこと。徳川幕府の権威はガタガタになってしまいます。
    しかし、水戸の人は明治維新の先駆けと言われるとたぶんいやでしょう。佐幕の立場は持っていたので、素直な気持ちにはなれないはずです。

  • どっちにしても、天誅組は、急進的な尊王攘夷の思想に固まった武装集団。態度の煮え切らない幕府への憤懣から天領であった五條の代官所を襲撃したということでしょうが、そこで討幕の考え方が明確にあったのか。勢い余っただけのようで、それはちょっと疑問です。<br />長州藩ですら、まだその時点ではどうやったら幕府を追い詰めて攘夷の先頭に立たせられるかということを考えていただけだったと思います。そして、その長州も8月18日のクーデターによって、京都を追われ、天誅組も朝敵となって自壊してしまいます。なお、失地回復を狙った長州が仕掛けた禁門の変は翌年のこと。薩摩はこの時、公武合体の考えで動いていて、1867年の大政奉還ですら、建白した土佐藩には徳川家の力を温存しようとする意図が濃厚でした。大政奉還には領土返還が含まれるとする岩倉具視や大久保の執拗な攻撃で、その後流れは一気に討幕に傾いていくことになります。

    どっちにしても、天誅組は、急進的な尊王攘夷の思想に固まった武装集団。態度の煮え切らない幕府への憤懣から天領であった五條の代官所を襲撃したということでしょうが、そこで討幕の考え方が明確にあったのか。勢い余っただけのようで、それはちょっと疑問です。
    長州藩ですら、まだその時点ではどうやったら幕府を追い詰めて攘夷の先頭に立たせられるかということを考えていただけだったと思います。そして、その長州も8月18日のクーデターによって、京都を追われ、天誅組も朝敵となって自壊してしまいます。なお、失地回復を狙った長州が仕掛けた禁門の変は翌年のこと。薩摩はこの時、公武合体の考えで動いていて、1867年の大政奉還ですら、建白した土佐藩には徳川家の力を温存しようとする意図が濃厚でした。大政奉還には領土返還が含まれるとする岩倉具視や大久保の執拗な攻撃で、その後流れは一気に討幕に傾いていくことになります。

  • 民俗資料館は、 その文久3年(1863年)に起きた天誅組の変を伝える資料館。

    民俗資料館は、 その文久3年(1863年)に起きた天誅組の変を伝える資料館。

  • 文久3年は、尊王攘夷の機運が最もピークを迎えた時期。孝明天皇の神武天皇陵参拝、攘夷親征の詔勅が発せられ、幕府を追い詰める長州の策略は成功するかに見えます。天誅組の大和国五条代官所襲撃もこれに同調するもの。

    文久3年は、尊王攘夷の機運が最もピークを迎えた時期。孝明天皇の神武天皇陵参拝、攘夷親征の詔勅が発せられ、幕府を追い詰める長州の策略は成功するかに見えます。天誅組の大和国五条代官所襲撃もこれに同調するもの。

  • しかし、公武合体派による8月18日のクーデターが起きると、天誅組は朝敵となってしまいます。<br />討幕の思想が明確となった動きは後のことであり、この時点で、明治維新の走りとするのは、私は無理があるように思います。

    しかし、公武合体派による8月18日のクーデターが起きると、天誅組は朝敵となってしまいます。
    討幕の思想が明確となった動きは後のことであり、この時点で、明治維新の走りとするのは、私は無理があるように思います。

  • 天誅組が本陣を構えたのが、この寺です。

    天誅組が本陣を構えたのが、この寺です。

  • 本堂などは現代的な建物ですが、

    本堂などは現代的な建物ですが、

  • 境内には、その際、打ち取った代官の首を洗ったという井戸もあって、生々しい記憶を留めていました。

    境内には、その際、打ち取った代官の首を洗ったという井戸もあって、生々しい記憶を留めていました。

  • ここで、例によって少しスイーツチェックです。<br />千珠庵きく川は、新町通りに向かう手前の本陣交差点のところにある和菓子屋さん。

    ここで、例によって少しスイーツチェックです。
    千珠庵きく川は、新町通りに向かう手前の本陣交差点のところにある和菓子屋さん。

  • どらやきをいただきました。卵のたっぷり入ったようなカステラ生地が香りが良くていい感じ。餡子は、ちょっと時間をおいて甘さが分かるような。これって、奈良の特徴的な餡子だと思うんですが、どうでしょう。老舗の味わいです。

    どらやきをいただきました。卵のたっぷり入ったようなカステラ生地が香りが良くていい感じ。餡子は、ちょっと時間をおいて甘さが分かるような。これって、奈良の特徴的な餡子だと思うんですが、どうでしょう。老舗の味わいです。

  • 向かいにあるのは、ここが街道であったことを示す道しるべですね。

    向かいにあるのは、ここが街道であったことを示す道しるべですね。

  • 鶴萬々堂は、新町通りの入口、栗山家住宅の隣りにある小さな和菓子屋さん。

    鶴萬々堂は、新町通りの入口、栗山家住宅の隣りにある小さな和菓子屋さん。

  • 酒まんじゅうをいただきました。酒まんじゅうは、平たい形が多いのですが、ここのは山になった本当のお饅頭型。全体として、しっとり。落ち着いた甘さが特徴的でした。

    酒まんじゅうをいただきました。酒まんじゅうは、平たい形が多いのですが、ここのは山になった本当のお饅頭型。全体として、しっとり。落ち着いた甘さが特徴的でした。

  • 森月堂は、新町通りの入口近くなんですが、裏通りに入った場所なので、たぶん、観光客はほとんど来ないのではと思います。

    森月堂は、新町通りの入口近くなんですが、裏通りに入った場所なので、たぶん、観光客はほとんど来ないのではと思います。

  • 小さな店だし、品数もさほど多くないのですが、田舎饅頭おいしいです。奈良の饅頭は、甘さがちょっと遅れて伝わって来るけど、存在感を秘めた甘さを持つ餡子に出会うことがありまして、ここの餡子はそれ。砂糖の種類なんだと思うんですが、奈良らしい味わいで、けっこうでございました。

    イチオシ

    小さな店だし、品数もさほど多くないのですが、田舎饅頭おいしいです。奈良の饅頭は、甘さがちょっと遅れて伝わって来るけど、存在感を秘めた甘さを持つ餡子に出会うことがありまして、ここの餡子はそれ。砂糖の種類なんだと思うんですが、奈良らしい味わいで、けっこうでございました。

  • ここからは自転車を活用して遠くのスポットへ。<br />如意寺は、五條の名刹、金剛寺と一緒に回りました。辯天宗の総本山と言うのですが、その辯天宗は、昭和27年の開宗。

    ここからは自転車を活用して遠くのスポットへ。
    如意寺は、五條の名刹、金剛寺と一緒に回りました。辯天宗の総本山と言うのですが、その辯天宗は、昭和27年の開宗。

  • 五條市の十輪寺住職の妻が大辯才天女尊の天啓を受けたのが始まりだそうです。塀が長く囲っていて、なかなか入口が分かりませんでした。大きなお寺です。

    五條市の十輪寺住職の妻が大辯才天女尊の天啓を受けたのが始まりだそうです。塀が長く囲っていて、なかなか入口が分かりませんでした。大きなお寺です。

  • 金剛寺は、平清盛の嫡男、小松殿と呼ばれた平重盛の創建による古刹。<br />ちなみに、重盛は清盛より早くなくなってしまいます。重盛亡き後は、時子腹の宗盛が重盛の代わりを務めることになるのですが、イマイチの出来だったようで、総帥としての気持ちを新たにした清盛は福原に遷都を強行したり、行動がちょっとおかしくなったような気がします。重盛が生きていれば平家の運命も少し違っていたような気もしますが、歴史にたらればはせんないことですね。

    金剛寺は、平清盛の嫡男、小松殿と呼ばれた平重盛の創建による古刹。
    ちなみに、重盛は清盛より早くなくなってしまいます。重盛亡き後は、時子腹の宗盛が重盛の代わりを務めることになるのですが、イマイチの出来だったようで、総帥としての気持ちを新たにした清盛は福原に遷都を強行したり、行動がちょっとおかしくなったような気がします。重盛が生きていれば平家の運命も少し違っていたような気もしますが、歴史にたらればはせんないことですね。

  • 関西花の寺二十五霊場23番で、牡丹が有名。

    関西花の寺二十五霊場23番で、牡丹が有名。

  • そういう意味では季節はずれでしたが、訪ねると、おばあさんが建物の戸をあちこち全開にして、建物から見える前庭の景色をどうぞ見てくださいと精いっぱい見せてくれました。

    そういう意味では季節はずれでしたが、訪ねると、おばあさんが建物の戸をあちこち全開にして、建物から見える前庭の景色をどうぞ見てくださいと精いっぱい見せてくれました。

  • 香木に植え込みは直線的な刈込で、爽快な構成。なるほど、歴史は隠せないものだなあと言う雰囲気が漂っているように思いました。

    香木に植え込みは直線的な刈込で、爽快な構成。なるほど、歴史は隠せないものだなあと言う雰囲気が漂っているように思いました。

  • 次に回ったのも人気スポット。<br />榮山寺は、藤原不比等の長男であり、藤原南家の祖である藤原武智麻呂により創建された古刹です。

    次に回ったのも人気スポット。
    榮山寺は、藤原不比等の長男であり、藤原南家の祖である藤原武智麻呂により創建された古刹です。

  • 国宝、八角堂は、藤原武智麻呂の子、藤原仲麻呂が父の菩提を弔うために建立したもの。

    国宝、八角堂は、藤原武智麻呂の子、藤原仲麻呂が父の菩提を弔うために建立したもの。

  • ただ、一番の見どころは、本堂。

    ただ、一番の見どころは、本堂。

  • 裏手に、

    裏手に、

  • 本堂内部の壁画の写真展示があって、

    本堂内部の壁画の写真展示があって、

  • 極彩色の美人画や装飾文様が見事。

    極彩色の美人画や装飾文様が見事。

  • 奈良時代の中国風のデザインが素晴らしいと思いました。

    奈良時代の中国風のデザインが素晴らしいと思いました。

  • 本堂の奥にある

    本堂の奥にある

  • これが八角堂。均衡のとれた美しさが光ります。

    イチオシ

    これが八角堂。均衡のとれた美しさが光ります。

  • ここで、また市街に戻ってきました。<br />五條には、柿の葉すしのメジャーなお店が二つありまして、たなかとこちらのヤマト。どちらも敷地の広い大きな店舗が本店です。さっき、たなかで柿の葉すしを食べたところだったのですが、こちらではバラもあるというのでバラをいただきまして、食べ比べ。

    ここで、また市街に戻ってきました。
    五條には、柿の葉すしのメジャーなお店が二つありまして、たなかとこちらのヤマト。どちらも敷地の広い大きな店舗が本店です。さっき、たなかで柿の葉すしを食べたところだったのですが、こちらではバラもあるというのでバラをいただきまして、食べ比べ。

  • ところが包んである柿の葉がこちらは二枚。小さな葉ではないのですが、うまく包んでありますねえ。<br />

    イチオシ

    ところが包んである柿の葉がこちらは二枚。小さな葉ではないのですが、うまく包んでありますねえ。

  • 柿の葉すしあちこちで食べてますが、こんなのは初めて。何か理屈はあるんでしょうが、ちょっとインパクト大でした。<br />

    柿の葉すしあちこちで食べてますが、こんなのは初めて。何か理屈はあるんでしょうが、ちょっとインパクト大でした。

  • 最後にもう少し、お菓子屋さんへ。<br />指月堂では、「若鮎」をいただきました。カステラ生地に甘い求肥を詰めたもの。

    最後にもう少し、お菓子屋さんへ。
    指月堂では、「若鮎」をいただきました。カステラ生地に甘い求肥を詰めたもの。

  • しかし、この求肥がとっても柔らかでクリームみたいですね。カステラにクリームを詰めたような感覚で、その一体感が素晴らしい。これは銘菓ではないかと思います。

    しかし、この求肥がとっても柔らかでクリームみたいですね。カステラにクリームを詰めたような感覚で、その一体感が素晴らしい。これは銘菓ではないかと思います。

  • 五條は、幕末に天誅組が代官所を襲撃した事件があり、これが明治維新の走りであるとしてアピールしているのですが、

    五條は、幕末に天誅組が代官所を襲撃した事件があり、これが明治維新の走りであるとしてアピールしているのですが、

  • 金時堂にはその首謀者の一人に因んだ寅太郎饅頭というのがありました。シナモンの香りがする栗饅頭のような饅頭ですが、これにアーモンドの薄片を散らして、もう少し洋風にしたもの。餡子もちょっと洋風な感じで、なにげにうまい。いい饅頭です。

    金時堂にはその首謀者の一人に因んだ寅太郎饅頭というのがありました。シナモンの香りがする栗饅頭のような饅頭ですが、これにアーモンドの薄片を散らして、もう少し洋風にしたもの。餡子もちょっと洋風な感じで、なにげにうまい。いい饅頭です。

  • 西尾老舗では、「吉野川の鮎」をいただきました。

    西尾老舗では、「吉野川の鮎」をいただきました。

  • 五條には、鮎型のお菓子がいくつかあるようです。カステラ生地に甘い求肥を組み合わせたもの。求肥の塊りに存在感があって、これにカステラ味が絡んでいく感じ。優しい味わいです。<br />ここで、五條はおしまい。これから大坂に帰るのですが、まずは橋本に向かいます。

    五條には、鮎型のお菓子がいくつかあるようです。カステラ生地に甘い求肥を組み合わせたもの。求肥の塊りに存在感があって、これにカステラ味が絡んでいく感じ。優しい味わいです。
    ここで、五條はおしまい。これから大坂に帰るのですが、まずは橋本に向かいます。

  • 橋本では、朝の続きの散策。<br />紀の川製菓は、橋本市街の路地を入ったところにある小さなおせんべいのお店です。外観は何でもないお店なんですが、一歩店内に入ると、なにやら名店のただならぬ雰囲気がありました。

    橋本では、朝の続きの散策。
    紀の川製菓は、橋本市街の路地を入ったところにある小さなおせんべいのお店です。外観は何でもないお店なんですが、一歩店内に入ると、なにやら名店のただならぬ雰囲気がありました。

  • せんべいは、小麦のせんべい。優しい甘さと程よい固さが絶妙です。和歌を書いたような包装の文様も高雅な感じだし、ポイントは高いでしょう。

    せんべいは、小麦のせんべい。優しい甘さと程よい固さが絶妙です。和歌を書いたような包装の文様も高雅な感じだし、ポイントは高いでしょう。

  • 橋本駅から歩いて行ける範囲の観光スポットは限られるですが、そのうちの一つが日本聖公会橋本基督教会旧礼拝堂。住宅が密集したエリアの一角です。これは、吉野にあった明治初期建築の民家を教会に転用したもの。ただ、扉はしまっていて内部の見学はできませんでした。

    橋本駅から歩いて行ける範囲の観光スポットは限られるですが、そのうちの一つが日本聖公会橋本基督教会旧礼拝堂。住宅が密集したエリアの一角です。これは、吉野にあった明治初期建築の民家を教会に転用したもの。ただ、扉はしまっていて内部の見学はできませんでした。

  • 火伏医院は、橋本の市街地。應其寺から坂を下ったところです。<br />木造板貼りの青い洋館を併設した建物で、地元では「火伏の洋館」と呼ばれるそうですが、すぐにそれと分かりました。<br />ちなみに、火伏家は江戸時代には、醤油の醸造や塩問屋を営んでいたとのことですが、母屋の方を見ると確かにそういう感じ。江戸時代中期(1721年)の建物だそうです。

    火伏医院は、橋本の市街地。應其寺から坂を下ったところです。
    木造板貼りの青い洋館を併設した建物で、地元では「火伏の洋館」と呼ばれるそうですが、すぐにそれと分かりました。
    ちなみに、火伏家は江戸時代には、醤油の醸造や塩問屋を営んでいたとのことですが、母屋の方を見ると確かにそういう感じ。江戸時代中期(1721年)の建物だそうです。

  • 寺本菓子舗は、橋本市街の端っこ。ざっとした構えのお菓子屋さんで、品数はそんなにないのですが、

    寺本菓子舗は、橋本市街の端っこ。ざっとした構えのお菓子屋さんで、品数はそんなにないのですが、

  • いかにも手作りと言った田舎饅頭が目に止まって、それをいただきました。餡子が大胆に皮を突き破って、豪快と言うか奔放な姿。皮も餡子も一緒に構わず食べちゃいなさいと言う饅頭は、しっかりした味わい。素朴だけど、ワイルドなうまさです。

    いかにも手作りと言った田舎饅頭が目に止まって、それをいただきました。餡子が大胆に皮を突き破って、豪快と言うか奔放な姿。皮も餡子も一緒に構わず食べちゃいなさいと言う饅頭は、しっかりした味わい。素朴だけど、ワイルドなうまさです。

  • 中西菓子舗は、橋本市街。国道24号線沿いにある和菓子屋さん。ショーケースを見ると串団子なんですが、

    中西菓子舗は、橋本市街。国道24号線沿いにある和菓子屋さん。ショーケースを見ると串団子なんですが、

  • きな粉の串団子です。これは珍しいですねえ。それをいただきましたが、もっちりしていて、基本がしっかりした団子ですよ〜。きな粉は味が繊細ですが、これもなくはない。地味な味ですけど、面白いと思います。

    きな粉の串団子です。これは珍しいですねえ。それをいただきましたが、もっちりしていて、基本がしっかりした団子ですよ〜。きな粉は味が繊細ですが、これもなくはない。地味な味ですけど、面白いと思います。

  • 橋本駅前の観光案内所で、この辺りで観光するところはないか尋ねたら、勧められたのが織田秀信終焉の地でした。

    橋本駅前の観光案内所で、この辺りで観光するところはないか尋ねたら、勧められたのが織田秀信終焉の地でした。

  • 織田秀信って、誰だっけ?と思ったら、幼名は三法師。清州会議で、秀吉が貢献となって天下取りへの道を開いたという信長の直系の孫でした。その後、関ヶ原の戦いで西軍についたことで命脈が尽きるのですが、ここが最期の地だったとは。

    織田秀信って、誰だっけ?と思ったら、幼名は三法師。清州会議で、秀吉が貢献となって天下取りへの道を開いたという信長の直系の孫でした。その後、関ヶ原の戦いで西軍についたことで命脈が尽きるのですが、ここが最期の地だったとは。

  • 崖の上にあったのは、小さな、本当に小さなお墓でした。

    崖の上にあったのは、小さな、本当に小さなお墓でした。

  • 近くには、お堂もあって、大切にされているのがよく分かります。<br />さて、これで橋本も終了。これから大阪に向かいます。

    近くには、お堂もあって、大切にされているのがよく分かります。
    さて、これで橋本も終了。これから大阪に向かいます。

  • 大阪では、晩飯を食べるんですが、

    大阪では、晩飯を食べるんですが、

  • 難波から向かったのは

    難波から向かったのは

  • 法善寺横丁。

    法善寺横丁。

  • 法善寺横丁は、法善寺そばの小さな石畳の路地です。両側には、小料理屋、バーが軒を並びますが、この一角だけはごちゃごちゃした南の喧騒とは違って、ちょっとステータスを感じるような特別な雰囲気があります。

    法善寺横丁は、法善寺そばの小さな石畳の路地です。両側には、小料理屋、バーが軒を並びますが、この一角だけはごちゃごちゃした南の喧騒とは違って、ちょっとステータスを感じるような特別な雰囲気があります。

  • 晩飯は浪花割烹 喜川です。この喜川は、大阪市内にいくつかお店があって、ここで修業した弟子たちが開いたお店なんだそうです。大阪ではそれなりの位置にある名店です。<br />

    晩飯は浪花割烹 喜川です。この喜川は、大阪市内にいくつかお店があって、ここで修業した弟子たちが開いたお店なんだそうです。大阪ではそれなりの位置にある名店です。

  • 店内のカウンターに座ると調理をする大将や弟子たちがきびきび動く姿が目の前に見えて、小気味いいですね。

    店内のカウンターに座ると調理をする大将や弟子たちがきびきび動く姿が目の前に見えて、小気味いいですね。

  • まあ、法善寺横丁から暖簾をくぐって、お店に入るところからして、もうセレブな感じがたまらないんですけど。。<br />

    まあ、法善寺横丁から暖簾をくぐって、お店に入るところからして、もうセレブな感じがたまらないんですけど。。

  • お任せの三品に加えて、お好みをオーダー。

    イチオシ

    お任せの三品に加えて、お好みをオーダー。

  • この盛り合わせがすごい。写真では分かりませんが、超ミニサイズなんです。料理も大変でしょうが、器も飾りの葉っぱもそれに合わせて超ミニサイズ。まさに芸術品ですよ〜

    イチオシ

    この盛り合わせがすごい。写真では分かりませんが、超ミニサイズなんです。料理も大変でしょうが、器も飾りの葉っぱもそれに合わせて超ミニサイズ。まさに芸術品ですよ〜

  • 鯛の荒炊きなんかは生姜と梅干で炊いたというのですが、玄妙な味わい。お店の技が光りまくってました。

    イチオシ

    鯛の荒炊きなんかは生姜と梅干で炊いたというのですが、玄妙な味わい。お店の技が光りまくってました。

  • 焼き物に

    焼き物に

  • 煮物。

    煮物。

  • からすみも、器との色合わせがいいですねえ。

    からすみも、器との色合わせがいいですねえ。

  • 焼きめしと

    焼きめしと

  • デザートも、少ないみたいですが、いつの間にか、もうお腹がいっぱいになってます。<br /><br />以上で終了。期待に違わず、大阪の心意気をとことん感じさせてくれるお店でした。

    イチオシ

    デザートも、少ないみたいですが、いつの間にか、もうお腹がいっぱいになってます。

    以上で終了。期待に違わず、大阪の心意気をとことん感じさせてくれるお店でした。

  • 今日の宿は、いつもの京都。近くを少し回って、クールダウンしましょう。<br />この法善寺の水掛不動は、夜遅くなってもいつもだれかがお参りしています。繁華街で明るいのもあるし、苔で覆われた不動さんは、陰気なところがないので、ほろ酔い加減でお参りしても何の違和感もないんですよね。<br />ただ、法善寺は寛永14年(1637年)の建立。かつては、刑場や焼き場、墓地があった場所で、刑に処された人などの霊を慰めるために千日念仏回向が行われたということです。

    今日の宿は、いつもの京都。近くを少し回って、クールダウンしましょう。
    この法善寺の水掛不動は、夜遅くなってもいつもだれかがお参りしています。繁華街で明るいのもあるし、苔で覆われた不動さんは、陰気なところがないので、ほろ酔い加減でお参りしても何の違和感もないんですよね。
    ただ、法善寺は寛永14年(1637年)の建立。かつては、刑場や焼き場、墓地があった場所で、刑に処された人などの霊を慰めるために千日念仏回向が行われたということです。

  • 織田作之助文学碑は、織田作之助の小説 「夫婦善哉」を記念するもの。法善寺横丁にあって、小説の中でも紹介された正弁丹吾亭の前に建っています。字が読みにくくて、これがその文学碑かどうかちょっと分かり辛いですが、「行き暮れてここが思案の善哉かな」と書いてあるようです。<br />さて、一日目はこれでおしまい。京都の定宿に向かいます。

    織田作之助文学碑は、織田作之助の小説 「夫婦善哉」を記念するもの。法善寺横丁にあって、小説の中でも紹介された正弁丹吾亭の前に建っています。字が読みにくくて、これがその文学碑かどうかちょっと分かり辛いですが、「行き暮れてここが思案の善哉かな」と書いてあるようです。
    さて、一日目はこれでおしまい。京都の定宿に向かいます。

この旅行記のタグ

関連タグ

35いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP