2014/10/17 - 2014/10/17
3位(同エリア307件中)
ねんきん老人さん
- ねんきん老人さんTOP
- 旅行記97冊
- クチコミ14件
- Q&A回答2件
- 381,284アクセス
- フォロワー237人
女房が友達数人とパッチワークをやっています。 気分次第で場所を変えているようですが、今回は我が家で。
パッチワークと言ったって、正真正銘のオバタリアンの集まりですから、手よりも口が動いているに違いありません。 となればどうせ亭主の悪口で盛り上がっているのでしょう。
そんな所で私がうろうろしていたら邪魔になるのは見えていますから、出かけることにしました。
どこへ行こうか? そうだ、鹿島神宮に行こう!
なんの脈絡もなくそう思い立ち、朝の8時に家を出ました。 高速道路を使えば2時間足らずで行ける筈ですが、年金生活なので通行料をケチり、一般道で行こうというせこい話です。
千葉までは国道16号線を北上し、そこからはひたすら51号線を走ります。
51号線は大型トラックが多く、抜いても抜いても次のトラックが視界を遮ります。結局トラックの“ケツ”だけを見ての退屈なドライブとなりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
【 これが鹿島神宮? 】
思いのほか時間がかかり、神宮には11時過ぎに着きました。
大きな案内標識は右折を示していましたが、なぜかナビは直進を指示。 そのとおり行くと、道がどんどん狭くなり、Uターンもできなくなりました。 仕方なくそのまま進んで行くと、なにやら丸太を積み上げた貯木場のような所に。 鹿島神宮には昔々2度ほど来たことがあるのに、全然様子が違います。
それでも何台か車があったので、ままよとばかりそこに停め、歩き出すと最初に出遭ったのがこの社です。
あとで判ったのですが、これは鹿島神宮の末社で、「御厨社」というのだそうです。 神様に食物を供えるための社だということですが、ちゃんと御祭神がおわして、御食津神(みけつかみ)というのだそうです。 いかにも食物に関係のありそうな御名ですね。 -
【 こんなトコ、あったっけ? 】
昔来たときの記憶と全く重なりません。
これもあとで判ったのですが、これは弓道場へ続く小路のようです。弓道場があるということも初めて知りました。
そういえば、鹿島神宮での流鏑馬って、ときどきテレビで見ていました。 弓道場があって当たり前ですね。 -
【 むき出しになった木の根 】
気根ではなく、土中にあるべき普通の根です。 ということは、元あった土がなにかの事情で流されて根が露出したのだと思います。
そう思って見ると、同じような木が何本かあり、根から幹に変わる高さが皆同じです。そこが地表だったのですね。 -
【 祖霊社 】
氏子の祖霊と氏子の中で戦没した人を祀っているそうです。
一応、二礼二拍手一礼はしましたが、我ながら形式的な参拝でした。
お賽銭? 上げませんでした。 -
【 祈祷殿・社務所 】
まったく見覚えのない建物がありました。見るからに新しいので、最近できたものだろうと思ったら、本当にできたばかりで、実際に使われるのは明日からだそうです。 -
【 仮殿(かりでん) 】
元和5年に造営された仮殿です・・・なーんちゃって。
元和っていつなのか、仮殿って何なのか・・・実はワカリマセン。 そこで調べてみました。
元和5年というのは1619年のことだそうです。 ということは江戸幕府が開かれて間もないころですね。
仮殿というのは、本殿建て替えの際に神様が一時的にお住まいになるための建物だそうですから、本殿造営に先だって建てることになります。
我々シモジモの者は家を建て替える間、アパートを借りたり親戚の家に居候したりして待つものですが、さすが神様となると違います。
そうそう、これを建てたのは徳川第二代将軍秀忠だそうです(本当は大工さんでした・・・古いジョークですね)。 ということは、やっぱり江戸時代初期です。 -
【 仮殿と高房社 】
高房社の御祭神は建葉槌神(たけはづちのかみ)で、タケミカヅチノオオカミが葦原中国を平定したときに、最後まで抵抗した天香香背男(アメノカガセオ)を説得(?)して従わせた神様です。 つまり国土平定の功労者ということですね。
鹿島神宮では、まずこの社を参拝してから本宮を参拝するのが習わしになっています。
とかなんとか知った風な書き方をしましたが、実はこれすべて後から知ったことで、私は仮殿を違う方角から撮っただけです。自分で撮った写真を見て、これは何だろうと思って調べたら、そういうことが載っていたわけです。
ですから、参拝もしていません。
こんなことではご利益は望めませんね。 -
【 授与所 】
おっと! 出ました、見覚えのある場所に。
御守り、御札、御神籤を売っています。 年金生活なので買いませんでしたが、きれいな巫女さんがいて、見とれてしまいました。
昔、同級生がある結婚式場で偽巫女のアルバイトをしていて、式のあとなどに新郎新婦をネタに下品なことを言って笑い転げていたので、以来巫女には偏見を持っていますが、ここの巫女さんは立ち居振舞いに品があって、とてもすてきでした。 やはり本物は違いますね。
授与所の右側には宝物館があり、日本最古で最大の直刀を展示しているとのこと。入館料300円と書かれていました。年金生活なので入りません。 -
【 拝殿 】
授与所の斜め向かいに、これも見覚えのある拝殿があります。
作法にのっとって参拝しました。願い事はしませんでしたが、心の中で神様へのご挨拶は申し上げました。
「名もない役立たずの老人でございます。 広く民百姓をお見守りくださいまして、ありがとうございます。 わたくしめ、毎年ねんにんを減らされておりますゆえ、お賽銭はお許しください。 なに、ご利益などもとより望んではおりませんので、なにとぞ、なにとぞご寛恕を・・・」 -
【 本殿 (重要文化財) 】
拝殿の奥に本殿があります。
徳川2代将軍秀忠が建てたということですが、初代家康が建てた本殿がまだ築14年でちゃんとしているのに、なぜ新しいものを建てたのでしょうか。
もしかしたら「親父の匂いがする本殿なんてまっぴらだ!」ということかも知れません。(安っぽい想像ですね)
御祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)だそうです。 よく聞くお名前で、なんだか戦いに関係のある神様だと思うのですが、それ以上のことは知りません。
そこで本殿脇の説明板に頼ることとし、その写真を載せます。 -
【 御祭神の説明 】
やっぱり分かりません。
なにやらいろんな御神徳をお持ちの神様らしいことだけは分かりました。 つまりご利益を期待できるということですから、これからお参りなさる方は、お賽銭をケチらない方がいいと思います。
-
【 奥参道 】
本殿前から奥宮まで300mの杉並木を奥参道と呼ぶそうです。
NHKのTVドラマ 『塚原卜伝』 の撮影が行われた場所だそうですが、そういう番組があったことすら知らない私には「ふーん」という感想しかありません。
ただ、凛とした空気が漂い、神聖な場所だという思いはします。 -
【 奥参道と森 】
周りは600種以上の植物が混在する森で、極相林として茨城県の天然記念物に指定されているとか。
極相林? また知らない言葉が出てきました。 インターネットの解説をそのまま転記します。
「コケ ⇒ 一年生の草 ⇒ 低木 ⇒ 高木というように、植生は自然のまま放置しておくと、群落として生活のパターンを次々に発達させる。そして最後は、適度の湿り気をもった豊かな土壌の上の木の群落(森林)に落ち着く。 このように生活パターンを変えていった最終段階のことを極相といい、この段階に達した森林は自然の完成した姿といえ、極相林と呼ばれる」
なるほど。この年になっても知らないことだらけです。 -
【 鹿園 】
己の記憶力の乏しさは常々自覚しているところですが、またまた思い知ることになりました。
奥参道の右側にあったと思っていた鹿園が参道の左側にありました。
奈良の春日大社、広島の厳島神社、宮城の金華山神社など、鹿のいる神社はあちこちにありますね。
それぞれ由来が違うようですから、なぜ神社に鹿がいるかということは一概には説明できないようですが、ここ鹿島神宮の鹿については説明板があります。
あるとき鹿島神宮の武甕槌大神のところへ天照大御神の使いがやってきましたが、その方は天迦久神(あめのかぐのかみ)という名で、鹿の霊だったそうです。 そのため鹿は鹿島神宮の使いと考えられているとか。
それに鹿島神宮の所在地は「鹿嶋市」です。そうそう、神宮から車で数分の所にある鹿島サッカースタジアムは鹿島アントラーズの本拠地ですよね。
これだけ鹿に縁があるのですから、鹿がいるのもむべなるかなというところですが、上に挙げた3社と違って、ここは金網の中で飼われているので神の使いという感じがしません。
それに、広い草地と違って狭い囲いの中の砂地では糞が分解されないのか、その臭さは尋常ではありません。 -
【 まだ続く奥参道 】
奥参道では毎年5月に流鏑馬神事が行われるそうです。
さすがに中国人観光客もここまでは来ないとみえて、静寂な空間が保たれています。
私は神道には縁遠い生活をしていますが、それでもこういう空気を吸うと、自然と気持ちが引き締まり、歩き方まで普段とは違ってきます。
こういうのを日本人のDNAって言うんでしょうか。 -
【 奥宮 (重要文化財) 】
関ヶ原の合戦に勝った徳川家康がそのお礼に建てたもので、その後現在の本殿を建てるにあたって300mほど遷移したのだそうです。
『塚原卜伝』 で、幼少時の卜伝が神様に会いに行くシーンがあったそうですが、その場所が遷移前の(つまり本殿だった)この建物で、撮影もここで行われたとか。
でも・・・? 塚原卜伝って、関ヶ原の合戦よりも何年も前に死んでいると思うのですが・・・。 -
【 武甕槌大神の石像 】
タケミカヅチノオオカミというのはお名前からして荒々しく武勇に優れた神様のようですが、ここでは地震を起こす大鯰を踏みつけています。
この地方は昔から地震が多く、大鯰を退治してくれる神様はありがたい存在だったに違いありません。 -
【 戦いの神の形相 】
なるほどこの険しいお顔なら大鯰ならずともひれ伏すしかありません。
イザナギノミコトが火の神(お名前は忘れました)の首を切り落とした際に飛び散った血から生まれたとかいうことを聞いたことがありますが、出生からして既に戦いの中におわしたのですね。 -
【 アントラーズ? 】
さすが鹿島アントラーズの本拠地、境内の木もアントラーズ(牡鹿の枝角)のようです。 -
【 芭蕉句碑 】
芭蕉の句碑がありました。
枯枝に
鴉(あ)のとまりけり
穐(あき)の暮
鴉はカラスのこと、穐は秋のことだと教えてもらいました。 「鴉」も「穐」も読めなかった私は少し落ち込みました。 まったく、知らないことばかりです。
ところでこの句、鹿島には何の関係もないそうです。 なんじゃそれ! -
【 ? 】
鳥居がありました。その奥には石の柵があるだけで、社らしいものはありません。
何だろうと思って近づいてみます。 -
【 要石(かなめいし)】
柵の中を覗いてみると、何の変哲もない小さな石が砂利に埋もれていました。
お賽銭のつもりか、誰かが1円玉や10円玉を投げ入れているようです。 -
【 要石(かなめいし)】
アップにするとこんな感じです。直径2cmの1円玉と比べると、石の直径はその10倍から15倍くらいでしょうか。 私の家の庭にもちょうど同じような石があって、踏んづけて歩いています。
ところがこの石、境内の案内板やパンフレットの案内図にも必ず出てくる、たいそうなものらしいのです。
小さな石のようですが、土に埋まった部分が限りなく大きくて、水戸の黄門様が7日7晩にわたって掘らせたものの、とうとう掘り切れなかったという話です。ご老公も物好きですね。
それはともかくとして、この大きな石で地震を起こす鯰の頭を押さえているそうですから、確かにありがたい石ではあります。
ちなみに私の家のものは、スコップで一刺ししただけで簡単に動かせます。 -
【 御手洗池 】
一日に40万リットルの水が湧くという池です。
深そうですが、底まで透き通っています。 地味な鯉が数匹泳いでいました。
この池は大人が入っても子供が入っても水位が乳を越えないということで「鹿島神宮の七不思議」に数えられているそうです。 茶店の人に訊いたら、入る人によって瞬時に深さが変わるのだということでした。
では大人と子供が一緒に入ったらどうなるのか、と思いましたが、何も買わずにそこまで訊くのは申し訳ないのでやめておきました。 -
【 湧水 】
御手洗池の畔に湧水があります。
柄杓も置いてあったので、飲んでみました。 我が家の水道水と何ら変わらない味でした。
そのあと気づいたのですが、近くに立札があり、「飲用の際には必ず煮沸して下さい」と書いてありました。 え!? 今さら・・・。 だったら柄杓は何のため?
そうか! 手を洗うためか。 だって、御手洗池ですものね。 -
【 苔 】
御手洗池の近く。 古い木の根を守るように苔が密生していました。 -
【 苔 】
その苔のアップです。なんという種類でしょうか。
植物図鑑で調べたら 「ヒノキゴケ」 というのに似ていましたが、写真が似ているというだけで、確かなことは分かりません。
最近はコケガールとかいう人種が増殖しているようで、うら若い女性が地べたに這いつくばってルーペでコケを観察しているそうです。
私はコケよりも、そういう女性を観察してみたいです。 -
【 ツワブキとセンリョウ 】
茶店で御手洗団子を売っています。 勧められましたが、年金生活なので食べませんでした。
その店の先の小路にツワブキが咲いていました。 千両はまだ青い実をつけています。
(ツワブキは漢字で書けないのでカタカナにしました。辞書を見たら「石蕗」となっていました。それだけ見たら、読むこともできません)
どちらも和風の庭に映える好きなものですが、我が家ではツワブキの横にナスが植えてあって、風情も何もあったものではありません。 -
【 奥参道 】
奥参道を戻ります。
その先に楼門が見えます。 -
【 熱田社 】
末社の熱田社(あつたのやしろ)です。
御祭神はスサノオノミコト(漢字は難しくて書けません)だそうです。
スサノオノミコトといえば、あの天照大神の弟で、高天原でせっかく実った稲穂の上にウンコをしたりして、とうとう天照大神が天の岩屋に隠れてしまうほどの悪さをした神様ですよね。
それがこんな小さな社に祀られて、おとなしく入っているものでしょうか? -
【 絵馬 】
絵馬というのは生活感があって、面白いですね。
書いている人は真面目でしょうが、読んでいる方は笑ってしまいます。
1枚の板に十数項目の願い事を書いたものがありましたが、さぞかしお賽銭を沢山入れたのでしょうね(???) -
【 絵馬 】
私は絵馬に払うお金がないので奉納しませんでした。
願い事ですか? 無いこともないですが。
発泡酒ではなく、本物のビールで晩酌をすることです。 -
【 再び授与所の前に 】
拝殿の鳥居の下に立っている女性。スタイル抜群で、シンプルなファッションがよく似合うステキなお嬢さんです。
立ち居振舞いも上品で、作法にのっとった拝礼を済ませると、風の如く去って行きました。
キモチの悪いジジイが見とれていると知ったら、もっと早く立ち去ったでしょうが。 -
【 楼門(重要文化財)】
寛永11(1634)年に水戸藩主徳川頼房が奉納した随身門だそうです。
本来なら最初にここをくぐるべきであったのに、ナビが変な所に誘導したお蔭で、逆にくぐってから振り返ることになってしまいました。 -
【 大鳥居 】
これも逆にくぐってから振り返ります。立派な鳥居ですが、なにか私の記憶と違うような漠然とした感じがしました。 そしてふと気が付きましたが、扁額がありません。 それどころか額束もありません。
これは私にしてはよく気がついたことですが、その理由が分かりません。お賽銭を上げていない身で神官にそれを尋ねる度胸はなく、家に帰ってから調べました。
この鳥居は東日本大震災で倒壊した鳥居に代わって、今年の6月に再建されたものだそうです。以前のものは御影石製、現在のものは木製。それで違った印象を受けたのだと思います。
額のない理由は分かりませんでしたが、この鳥居は鹿島鳥居といって独特な形をしているということでした。 具体的なことは長くなるので書きませんが、なるほどかなり変わった形です。 その特徴の一つが額束がないことだそうで、扁額がないのはそのせいでしょうか。
さらに境内にいくつもある鳥居がすべてその形式で作られているということも分かりました。 そうと知っていればもっとちゃんと見たものを・・・。
予備知識がないということは、折角の見学をかなり浅いものにしてしまいます。 -
【 参道わきに鹿が 】
参道の脇に鹿の石像がありました。
台座に「むつみ」と書いてありますので、鹿の家族でしょうか。 -
【 参拝者を迎える大木 】
改めて鳥居をくぐります。
鳥居の右側に椎の木の大木が、さながら門柱のように立っています。 -
【 大鳥居から楼門に至る参道 】
大鳥居から楼門までの道は、このように寄進者の名前がずらりと掲げてあります。
浄財を寄進した人は神様に差し上げたのでしょうから、こうして俗界の参詣人たちに名前や金額を知らせる必要はないと思うのですが。
まあ、神社としては通りかかる人たちに 「ほらほら、こんなに寄進している人がいるんだよ。アンタもちょっと考えたらどうじゃ」 と催促する意図があるのでしょうが、なんだか敬神の念が薄れるような気がします。 -
【 授与所前 】
三たび授与所前の広場に。 広場の先を左に進むと車を停めた作業場(?)に出ます。
ナビが変な誘導をしたもので、裏から入って正面から出て、また正面から入って裏に出るという変則的な参拝になってしまいました。
でもナビを恨んではいません。 なぜなら、最初に正面に行ったら駐車場で300円取られるところだったのです。
かくして高速代をケチり、絵馬代をケチり、団子代をケチり、宝物館の入館料をケチり、境内各社のお賽銭をすべてケチり、偶然ではありますが駐車料金を浮かせた参拝は終わりました。
これで何かご利益を願ったらバチが当たるでしょう。 本当は年金が毎年減額される政治をなんとかしてもらいたいという “願い” があるのですが・・・。 -
【 大洗海岸 】
せっかく鹿島神宮まで来たのだからと思い、ついでに大洗海岸に行ってみました。
ついでと言っても神宮からは往復100km近くありますし、もう2時ですから、帰りが遅くなるのは覚悟の上です。
鹿島灘を右に見ながら国道51号線をひたすら北上。 ラーメンの看板がやたらと目につきますが、年金生活なので我慢して、コンビニで握り飯を買って食べながら走ります。
3時を少し回って大洗海岸に着きました。何度も来ているし、とりたてて絶景というわけでもないのですが、なぜかここが好きです。
-
【 大洗海岸
磯場もあり、この日は大洗の名もそのままに、打ち寄せる波が岩を洗っていました。
ここにある鳥居には額束がついています。 -
【 神磯顕彰の碑 】
手前の磯には「神磯顕彰の碑」という石碑が建っています。
「大洗磯前神社は大己貴命少彦名命二神を祀る 御鎮座の縁由は文徳實録に詳なる所なり ナントカナントカ・・・」と書いてありましたが、要するにここは大己貴命と少彦名命が降臨した場所であるということだろうと勝手に解釈して、あとは読みませんでした。
-
【 大洗海鮮市場 】
お賽銭は上げないし、顕彰碑は読まないし・・・なんとも罰当たりな老人ではありますが、最後に漁港前の大洗海鮮市場という所で家への土産を買いました。
生シラスは1000円のものを勧められましたが、3人家族だからそんなにいらないよ、と言って700円のものにしました。
サバの開きは1枚500円のものを2枚。
「3人家族だろ?」と言われてしまいましたが、「息子に1枚。俺と女房で1枚」と頑張りました。
「ケチくせえな、旦那!」
「仕方がないよ、年金生活だもん」
あーあ。最後まで情けない一日で、既に陽はすっかり傾いていました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- yamayuri2001さん 2023/08/11 09:53:13
- 古い旅行記にお邪魔しました。
- ねんきん老人さん、お久しぶりです。
カーナビのご機嫌が悪いのか、
そんなところに案内されてしまう事はありますね。
私も、使い慣れないレンタカーだと
本当に変なところに案内されてしまうことがあり、
四苦八苦したことが 数回あります。
しかし、そのおかげで、
明日から使うはずの社務所が見つかったりしたのは
瓢箪から駒というところでしょうか?
鹿島神宮は、遠い昔に息子たちを連れて
行った思い出があるのですけれど、
あの頃と全く違っているのかなと思いながら、旅行記を拝見しました。
地べたに這いつくばってルーぺでコケを観察していた女性は、
もしかしたら研究者だったのかもしれませんね。
その女性を観察なさった年金老人さんを想像して、
爆笑してしまいました。
大洗海岸は 大学生の時、何度か海水浴をしましたけれど、
意外と水が冷たいんですよね。
懐かしく思い出しました。
この旅行記も、ねんきん老人さんのユーモア爆発の旅行記で、
楽しく拝見しました。
オバタリアンという言葉が、とても懐かしいです。
yamayuri2001
- ねんきん老人さん からの返信 2023/08/11 10:50:17
- オバタリアン・・・もう死語ですか?
- yamayuri2001 さん、こんにちは。 古い旅行記なのにわざわざ立ち寄ってくださって、ありがとうございました。
yamayuri2001 さんも、鹿島神宮、大洗海岸に行かれたのですね。 同じ場所に実際に行かれたということを伺うと、なぜかとても嬉しくなります。 体験を共有できているという喜びでしょうか。 ただ私は大洗海岸では泳いだことがありません。 水が冷たいということも今回初めて知りました。
私は旅行・行楽のときにはナビを使わないという変なこだわりを持っているのですが、このときはなぜナビを使ったのでしょうか? 思い出せません。
なぜ旅行でナビを使わないかというと、これまたツマラナイ理由なのですが、ナビはデジタルの世界、旅行はアナログの世界という思い込みがあって、自分の五感を頼りに進むのが旅の醍醐味だという老人特有の意地を張っている面もあります。 旅行中は東西南北を意識して、自分で道を探して・・・というこだわりで、そのおかげで道を間違えて引き返すというような無駄なことはしょっちゅうしています。
yamayuri2001 さんのおかげで久しぶりに自分の過去の一日を振り返ることができました。
今読み返すと、あのころは自分が「やもめ」になることなど思いもよらなかったのだなあと、人生の不思議さをつくづく思います。
貴重な「振り返り」でした。 ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- ふわっくまさん 2022/01/18 07:36:15
- パッチワーク・・
- ねんきんさん、おはようございます。
奥様が数人のご友人と自宅でパッチワークを楽しまれている日に、鹿島神宮にお出かけになった旅行記に再訪しました。
既に「いいね」を押しているので、すみませんが書き込みだけさせていただきます。
まず鹿島神宮の末社から、参拝されたのですね。
それが駐車料の節約になるなんて、少しラッキーに思いました。
お参りはしてもお賽銭はご勘弁をって、ねんきんさんスゴク正直ですねー
広大な奥参道の凛とした空気を感じて、お咎めはないように思います。
また要石は水戸黄門様が7日7晩にわたっても掘り切れなかった、ありがたい石なのですね。
このご時世で「水戸黄門」=再放送された番組を、何度も観ています・・
もし鹿島神宮に行ける日が来たら、覚えておこう!と思いました。
鹿島神宮から往復100km近くある、大洗海岸に立ち寄られて・・
石碑と鳥居と打ち寄せる波も、ステキな景色でしたね(^_-)-☆
・・最後にオバタリアンという言葉、久々に聞きました(笑)
ふわっくま
- ねんきん老人さん からの返信 2022/01/18 11:18:36
- オバタリアン・・・死語ですか?
- ふわっくまさん、こんにちは。
小生の拙稿に2度もお立ち寄りいただき、その上書き込みまでしていただいて、ありがとうございました。
慌てて自分で読み返してみましたが、あまりの駄文に穴があったら入りたい気分です。
賽銭までケチった自分でしたが、最近は反省し、入れるようにしています。もっとも、入れるのはいつも10円玉ばかりなので、ご利益は期待しませんし、お願い事をしないのは今も同じです。
水戸黄門の再放送をご覧になっているのですか? 私は東野英治郎さんの黄門様がワッハッハと笑っていらっしゃるころは毎回観ていましたが、その後はどうもしっくりこないので、今は専ら「大岡越前」の再放送を観ています。
まあ、歳のせいでしょうが、最近のテレビは面白くなくて、時代劇の再放送かアマゾンプライムの西部劇ばかりです。
ところで、歳のせいといえば、「オバタリアン」という言葉はもう死語ですか!? 私は普通に使っていましたが、そういえば他の人からは聞きませんね。 こうして自分では気が付かないうちに徐々に時代から遅れていくのでしょうか。
もうこうなったら、開き直って今の人たちが私についてこられないのを笑ってやりましょうか。 先日、ある集まりの場で「たかじけない」と言って驚かれたことがありましたが、あとで自分でも古かったなと呆れました。
もう棺桶に片足突っ込んでいるどころか、すっぽり入って、あとは蓋をするだけになっていますが、もう少しお付き合いいただければ嬉しい限りです。
オミクロンとかいうのが猛威をふるって、大阪も大変なようですが、どうぞお気をつけてお過ごしください。
ねんきん老人
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
43