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10月18日と19日に岡山を訪れました。<br /><br />旅の行程<br />10月18日 矢掛宿、下津井、鷲羽山、水島<br />10月19日 倉敷、足守、環太平洋大学<br /><br />岡山県小田郡矢掛町は、江戸時代、幕府直轄の五街道に次ぐ重要な幹線道路として、大坂から西に51の宿場が置かれた山陽道の18番目の宿場町で、多くの人、物、情報、文化が行き来しました。<br /><br />山陽道の宿場として「やかげ」の名が登場するのは、「備中屋蔭という里で一夜の宿をとった」と記されている室町時代初期の武将の紀行文が最初で、江戸時代になり諸大名の参勤交代が制度化されると、矢掛が幕府領となった寛永19年(1642年)以降、当時の領主によって備中屋蔭から現在の地にその機能を移し、宿場町として整備されたと伝えられています。<br /><br />元禄2年(1689年)の「矢掛町地子御免間数并絵図」によると、延長約750mの町並みには、いわゆる「鰻の寝床」と呼ばれる、間口2間から4間の敷地が並んでおり、その後、敷地の統合や分割が行われたようですが、さほど大きな変化はなく、おおむね当時の地割のまま今日に至っています。<br /><br />現在の矢掛宿には、本陣の石井家や脇本陣の高草家をはじめ、本瓦葺の妻入りに通り土間のある伝統的な町家が軒を連ね、宿場町として繁栄した当時の姿を今に留めています。<br /><br />寛永12年(1635年)から本陣を務めた石井家は、矢掛町の庄屋で、屋号を佐渡屋という造り酒屋を営んでいた旧家で、優に3000?を超える広大な敷地には、主屋や御成門をはじめとして十数棟の建物が建てられています。<br /><br />安政2年(1855年)に建てられた現在の主屋は、本瓦葺の入母屋屋根に白漆喰塗り込めの中二階建てで、虫籠窓、ナマコ壁、千本格子、出格子、犬矢来などがしつらえられています。<br /><br />主屋の西側には、天保3年(1832年)に建てられた座敷棟があり、本陣としての中核的機能を持つ建物として、重要な役割を果たしていました。<br /><br />庄屋も務めた旧家で、天保年間から脇本陣として使われ始めたと云われる高草家は、2000?余りの敷地に、主屋、表屋、蔵屋敷などが建ち並び、天保14年(1843年)から2年間かけて建てられた主屋と表屋は、本瓦葺の入母屋屋根に白漆喰塗り込めの建物で、虫籠窓、格子、駒寄せなどがしつらえられています。<br /><br />なお、表門は明治初年に矢掛陣屋の正門を移築したものだそうです。

2014 岡山の旅 1/8 山陽道 矢掛宿 (1日目)

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2014/10/18 - 2014/10/19

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nao

naoさん

10月18日と19日に岡山を訪れました。

旅の行程
10月18日 矢掛宿、下津井、鷲羽山、水島
10月19日 倉敷、足守、環太平洋大学

岡山県小田郡矢掛町は、江戸時代、幕府直轄の五街道に次ぐ重要な幹線道路として、大坂から西に51の宿場が置かれた山陽道の18番目の宿場町で、多くの人、物、情報、文化が行き来しました。

山陽道の宿場として「やかげ」の名が登場するのは、「備中屋蔭という里で一夜の宿をとった」と記されている室町時代初期の武将の紀行文が最初で、江戸時代になり諸大名の参勤交代が制度化されると、矢掛が幕府領となった寛永19年(1642年)以降、当時の領主によって備中屋蔭から現在の地にその機能を移し、宿場町として整備されたと伝えられています。

元禄2年(1689年)の「矢掛町地子御免間数并絵図」によると、延長約750mの町並みには、いわゆる「鰻の寝床」と呼ばれる、間口2間から4間の敷地が並んでおり、その後、敷地の統合や分割が行われたようですが、さほど大きな変化はなく、おおむね当時の地割のまま今日に至っています。

現在の矢掛宿には、本陣の石井家や脇本陣の高草家をはじめ、本瓦葺の妻入りに通り土間のある伝統的な町家が軒を連ね、宿場町として繁栄した当時の姿を今に留めています。

寛永12年(1635年)から本陣を務めた石井家は、矢掛町の庄屋で、屋号を佐渡屋という造り酒屋を営んでいた旧家で、優に3000?を超える広大な敷地には、主屋や御成門をはじめとして十数棟の建物が建てられています。

安政2年(1855年)に建てられた現在の主屋は、本瓦葺の入母屋屋根に白漆喰塗り込めの中二階建てで、虫籠窓、ナマコ壁、千本格子、出格子、犬矢来などがしつらえられています。

主屋の西側には、天保3年(1832年)に建てられた座敷棟があり、本陣としての中核的機能を持つ建物として、重要な役割を果たしていました。

庄屋も務めた旧家で、天保年間から脇本陣として使われ始めたと云われる高草家は、2000?余りの敷地に、主屋、表屋、蔵屋敷などが建ち並び、天保14年(1843年)から2年間かけて建てられた主屋と表屋は、本瓦葺の入母屋屋根に白漆喰塗り込めの建物で、虫籠窓、格子、駒寄せなどがしつらえられています。

なお、表門は明治初年に矢掛陣屋の正門を移築したものだそうです。

同行者
一人旅
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 矢掛宿にやって来ました。<br /><br />矢掛宿は、江戸時代、大坂から西に51の宿場が置かれた山陽道の18番目の宿場町です。<br /><br />では、「やかげ町家交流館」の駐車場に車を停めさせてもらって、町歩きを始めます。

    矢掛宿にやって来ました。

    矢掛宿は、江戸時代、大坂から西に51の宿場が置かれた山陽道の18番目の宿場町です。

    では、「やかげ町家交流館」の駐車場に車を停めさせてもらって、町歩きを始めます。

  • やかげ町家交流館のすぐ西側には、矢掛宿の本陣を務めた石井家があります。<br /><br />寛永12年(1635年)から本陣を務めた石井家は、屋号を佐渡屋という造り酒屋を営んでいた旧家で、優に3000?を超える広大な敷地には、十数棟の建物が建てられています。

    やかげ町家交流館のすぐ西側には、矢掛宿の本陣を務めた石井家があります。

    寛永12年(1635年)から本陣を務めた石井家は、屋号を佐渡屋という造り酒屋を営んでいた旧家で、優に3000?を超える広大な敷地には、十数棟の建物が建てられています。

  • 大名や幕府の役人などが出入りした御成門。

    大名や幕府の役人などが出入りした御成門。

  • 本瓦葺にナマコ壁の、矢掛宿の伝統的な町家です。

    本瓦葺にナマコ壁の、矢掛宿の伝統的な町家です。

  • 虫籠窓や格子のあるこの町家は、本陣を務めた石井家の分家で、明治42年創業の醤油店です。

    虫籠窓や格子のあるこの町家は、本陣を務めた石井家の分家で、明治42年創業の醤油店です。

  • 「醤油店に杉玉とは?」と思いますが、酒造業を営んでいた本家との関係があるのかも知れません。

    「醤油店に杉玉とは?」と思いますが、酒造業を営んでいた本家との関係があるのかも知れません。

  • 塀の上の鬼瓦。

    塀の上の鬼瓦。

  • 1階は今風の店舗に改装されていますが・・・

    1階は今風の店舗に改装されていますが・・・

  • 2階などは伝統様式そのままのたたずまいを守っておられます。

    2階などは伝統様式そのままのたたずまいを守っておられます。

  • 1階建具の枡格子とナマコ壁が相まって、「枡目模様の家」とでも呼びたくなるような町家です。

    1階建具の枡格子とナマコ壁が相まって、「枡目模様の家」とでも呼びたくなるような町家です。

  • ここに、大工さんの技量の高さが窺い知れる2軒の町家があります。

    ここに、大工さんの技量の高さが窺い知れる2軒の町家があります。

  • どちらの町家も、2階建て主屋の部分と、道路に面する1階下屋の部分が平行ではなく、微妙に角度が付いているので、部材の使い方や屋根の納まりがとても複雑になるんです。

    どちらの町家も、2階建て主屋の部分と、道路に面する1階下屋の部分が平行ではなく、微妙に角度が付いているので、部材の使い方や屋根の納まりがとても複雑になるんです。

  • 角度が付いている場合は、数学の三角関数が関係するんですが、大工さんは永年の経験から、何事もなかったかのように納めてしまっています。

    角度が付いている場合は、数学の三角関数が関係するんですが、大工さんは永年の経験から、何事もなかったかのように納めてしまっています。

  • 文章で説明するのは難しいですが、この写真を見れば一目瞭然ですね。<br /><br />百聞は一見に如かずです。

    文章で説明するのは難しいですが、この写真を見れば一目瞭然ですね。

    百聞は一見に如かずです。

  • 大きなガラス窓が入った町家。

    大きなガラス窓が入った町家。

  • 私の地元では、こんな状態だと不用心極まりないんですが・・・。<br /><br />矢掛の町は安全なんですね。

    私の地元では、こんな状態だと不用心極まりないんですが・・・。

    矢掛の町は安全なんですね。

  • 2階は使っておられないのか、窓がブリキの建具で閉め切られています。<br /><br />この辺りが町並みの西端になるので、ここで引き返します。

    2階は使っておられないのか、窓がブリキの建具で閉め切られています。

    この辺りが町並みの西端になるので、ここで引き返します。

  • 矢掛町の汚水枡の蓋。<br /><br />大名行列でお馴染みの奴さんがモチーフになっています。<br /><br />なお、毎年11月には矢掛の宿場まつりが開催され、大名行列が町並みを練り歩くそうです。

    矢掛町の汚水枡の蓋。

    大名行列でお馴染みの奴さんがモチーフになっています。

    なお、毎年11月には矢掛の宿場まつりが開催され、大名行列が町並みを練り歩くそうです。

  • 白漆喰塗の壁とナマコ壁の共演です。

    白漆喰塗の壁とナマコ壁の共演です。

  • この町並みには、正面を洋風にしつらえた町家がちらほら見受けられます。

    この町並みには、正面を洋風にしつらえた町家がちらほら見受けられます。

  • 左の町家は、ナマコ壁のように見えますが、大判のタイルを貼ってあります。

    左の町家は、ナマコ壁のように見えますが、大判のタイルを貼ってあります。

  • こちらの町家は、腰の下見板張りと白漆喰塗を組み合わせた外壁になっています。

    こちらの町家は、腰の下見板張りと白漆喰塗を組み合わせた外壁になっています。

  • 出格子の付いた2階の窓。

    出格子の付いた2階の窓。

  • 入母屋の2階の屋根と1階下屋との、僅かな隙間に窓を採っています。

    入母屋の2階の屋根と1階下屋との、僅かな隙間に窓を採っています。

  • 本陣まで戻って来ました。

    本陣まで戻って来ました。

  • 安政2年(1855年)に建てられた主屋は、本瓦葺の入母屋屋根に白漆喰塗り込めの中二階建てで、虫籠窓、ナマコ壁、千本格子、出格子、犬矢来などがしつらえられています。

    安政2年(1855年)に建てられた主屋は、本瓦葺の入母屋屋根に白漆喰塗り込めの中二階建てで、虫籠窓、ナマコ壁、千本格子、出格子、犬矢来などがしつらえられています。

  • 1階と2階の窓は、基本的に同じデザインになっています。

    1階と2階の窓は、基本的に同じデザインになっています。

  • 「この屋根のムクリは遠くからでもよく目立つんだよ。」と、写真右端に写っているお隣のご主人が教えてくれました。<br /><br />確かに、すごくムクっています。

    「この屋根のムクリは遠くからでもよく目立つんだよ。」と、写真右端に写っているお隣のご主人が教えてくれました。

    確かに、すごくムクっています。

  • この2軒、酒屋さんでもないのに軒下に杉玉を吊り下げています。<br /><br />何か意味ありげなんですがね〜・・・。

    この2軒、酒屋さんでもないのに軒下に杉玉を吊り下げています。

    何か意味ありげなんですがね〜・・・。

  • 右端が、車を停めさせてもらっている「やかげ町家交流館」です。<br /><br />そういえば、ここにも杉玉が・・・。

    右端が、車を停めさせてもらっている「やかげ町家交流館」です。

    そういえば、ここにも杉玉が・・・。

  • この町家は、破風までナマコ壁模様が施されています。

    この町家は、破風までナマコ壁模様が施されています。

  • こちらは和菓子屋さん。<br /><br />虫籠窓のある伝統的な町家です。

    こちらは和菓子屋さん。

    虫籠窓のある伝統的な町家です。

  • こちらの町家も、大きな虫籠窓があけられています。

    こちらの町家も、大きな虫籠窓があけられています。

  • こちらの町家の敷地は、間口の狭い、鰻の寝床と呼ばれる形状をしています。<br /><br />この町は、宿場時代とそれほど大きな変化はなく、おおむね当時の地割のまま今日に至っているそうです。

    こちらの町家の敷地は、間口の狭い、鰻の寝床と呼ばれる形状をしています。

    この町は、宿場時代とそれほど大きな変化はなく、おおむね当時の地割のまま今日に至っているそうです。

  • 2階に出格子の付いた町家です。

    2階に出格子の付いた町家です。

  • 東の方の町並みを見たところです。

    東の方の町並みを見たところです。

  • 町並みを外れたところに、面白い形をした町家を見つけました。

    町並みを外れたところに、面白い形をした町家を見つけました。

  • 大きな斜め屋根の部分は階段でしょうか・・・。

    大きな斜め屋根の部分は階段でしょうか・・・。

  • そんな面白い町家を見ていると、近づいて来たのがこの子。<br /><br />なかなか凛々しい振る舞いで去って行きました。

    そんな面白い町家を見ていると、近づいて来たのがこの子。

    なかなか凛々しい振る舞いで去って行きました。

  • この町家は、2階の虫籠窓のような出格子と、両側の手すりの組み合わせが特徴的です。

    この町家は、2階の虫籠窓のような出格子と、両側の手すりの組み合わせが特徴的です。

  • こちらの自転車屋さんは格子窓です。

    こちらの自転車屋さんは格子窓です。

  • この辺りには、妻入りの町家が集中しています。

    この辺りには、妻入りの町家が集中しています。

  • こちらの玄関戸は、木製の重厚な建具が使われています。

    こちらの玄関戸は、木製の重厚な建具が使われています。

  • 左手の町家は、腰の羽目板がアクセントですね。

    左手の町家は、腰の羽目板がアクセントですね。

  • 玄関両横の壁を朱色にして、ちょっとすまし顔です。

    玄関両横の壁を朱色にして、ちょっとすまし顔です。

  • この辺りは、重厚な町家が連なっています。

    この辺りは、重厚な町家が連なっています。

  • 重厚で、個性豊かな虫籠窓のある町家です。

    重厚で、個性豊かな虫籠窓のある町家です。

  • その町家の路地側の壁には、焼き杉の板壁が使われています。

    その町家の路地側の壁には、焼き杉の板壁が使われています。

  • 平入りの町家の一部に、妻面を見せた2階が載っています。

    平入りの町家の一部に、妻面を見せた2階が載っています。

  • こちらは脇本陣を務めた高草家です。<br /><br />重厚な石の基壇で、敷地を一段高く造ってあります。

    こちらは脇本陣を務めた高草家です。

    重厚な石の基壇で、敷地を一段高く造ってあります。

  • 高草家は庄屋も務めたほどの旧家で、2000?余りの敷地に、主屋、表屋、蔵屋敷などが建てられているそうです。<br /><br />路地から見た姿も別格です。

    高草家は庄屋も務めたほどの旧家で、2000?余りの敷地に、主屋、表屋、蔵屋敷などが建てられているそうです。

    路地から見た姿も別格です。

  • 天保14年(1843年)から2年間を費やして建てられた主屋と表屋は、本瓦葺の入母屋屋根に白漆喰塗り込めの建物で、虫籠窓、格子、駒寄せなどがしつらえられています。

    天保14年(1843年)から2年間を費やして建てられた主屋と表屋は、本瓦葺の入母屋屋根に白漆喰塗り込めの建物で、虫籠窓、格子、駒寄せなどがしつらえられています。

  • この表門は、明治初年に矢掛陣屋の正門を移築したものだそうです。

    この表門は、明治初年に矢掛陣屋の正門を移築したものだそうです。

  • 重い門扉を吊る丁番には、個性的な金物が使われています。

    重い門扉を吊る丁番には、個性的な金物が使われています。

  • こちらも石の基壇を積んで、一段高く敷地を設けた町家。

    こちらも石の基壇を積んで、一段高く敷地を設けた町家。

  • こちらの町家も、平入りの建物の一部に妻面を見せた2階が載っています。<br /><br />玄関先には、秋を告げるススキの穂が飾られています。

    こちらの町家も、平入りの建物の一部に妻面を見せた2階が載っています。

    玄関先には、秋を告げるススキの穂が飾られています。

  • 腰壁に下見板を張った町家。

    腰壁に下見板を張った町家。

  • 冠木門のある築地塀を回した大きな町家です。<br /><br />道路側には土蔵を従えています。

    冠木門のある築地塀を回した大きな町家です。

    道路側には土蔵を従えています。

  • この辺りが町並みの東端になるので、ここで引き返します。

    この辺りが町並みの東端になるので、ここで引き返します。

  • 街道筋からちょっと入ると、土蔵造り風の町家がありました。

    街道筋からちょっと入ると、土蔵造り風の町家がありました。

  • この辺りの妻入り町家も、見るべきものがあります。

    この辺りの妻入り町家も、見るべきものがあります。

  • 真ん中の小さな町家も、ディティールを観察するとキラッと光るものがあります。<br /><br />「山椒は小粒でも・・・」ってところですかね。

    真ん中の小さな町家も、ディティールを観察するとキラッと光るものがあります。

    「山椒は小粒でも・・・」ってところですかね。

  • 先ほどの、ススキの穂を飾っている町家が見せる妻面も、伝統的な様式が盛り込まれています。

    先ほどの、ススキの穂を飾っている町家が見せる妻面も、伝統的な様式が盛り込まれています。

  • こちらの町家も、基壇に石を積んで敷地を一段高くしています。

    こちらの町家も、基壇に石を積んで敷地を一段高くしています。

  • 脇本陣の高草家です。

    脇本陣の高草家です。

  • 高草家の表門を飾る細工瓦。<br /><br />縁起物の亀が彫られています。

    高草家の表門を飾る細工瓦。

    縁起物の亀が彫られています。

  • 高草家とお隣との間に、魅力的な路地が延びているので、気がつけば引き込まれるように入っていました。

    高草家とお隣との間に、魅力的な路地が延びているので、気がつけば引き込まれるように入っていました。

  • 路地を抜けた先まで、高草家のお屋敷が続いています。

    路地を抜けた先まで、高草家のお屋敷が続いています。

  • これを見ると、2000?もの敷地があると云うのも頷けます。

    これを見ると、2000?もの敷地があると云うのも頷けます。

  • 高草家の別の門に使われている扉の金物。<br /><br />ちょっとユーモラスな、宇宙人の顔のように見えます。

    高草家の別の門に使われている扉の金物。

    ちょっとユーモラスな、宇宙人の顔のように見えます。

  • 奥側から見た路地のたたずまい。<br /><br />魅力的ですよね〜。

    奥側から見た路地のたたずまい。

    魅力的ですよね〜。

  • この厄除けの注連縄を掛けてあるのが・・・

    この厄除けの注連縄を掛けてあるのが・・・

  • こちらの町家です。

    こちらの町家です。

  • こちらの町家は、1階全面に枡格子の建具が入っています。

    こちらの町家は、1階全面に枡格子の建具が入っています。

  • こちらも街道筋からちょっと入った所にある土蔵造り風の町家。

    こちらも街道筋からちょっと入った所にある土蔵造り風の町家。

  • 柿の実とツーショットにしてみました。

    柿の実とツーショットにしてみました。

  • こちらの町家の格子に掛けられた爽やかな一句が、この町を見事に言い表しています。

    こちらの町家の格子に掛けられた爽やかな一句が、この町を見事に言い表しています。

  • 矢掛宿には、とても優しい風が吹いていました。<br /><br />では、優しい風に吹かれながら、次の目的地へ向かいます。

    矢掛宿には、とても優しい風が吹いていました。

    では、優しい風に吹かれながら、次の目的地へ向かいます。

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  • ぺでぃまるさん 2014/12/09 16:14:44
    矢掛
    naoさん、こんにちは。

    矢掛は高校の同級生もいて、同じ岡山県でも通いにくいトコから通っているなーっていうくらいしか、高校時代の印象はありませんでした。
    通いにくい所=結果的に昔からの町が残るになっているのかもしれませんが、立派な宿場町ですね。
    備中のむかし町は、無名でも立派な場所もいっぱいですし、これは小藩が多かったことと関係しているのでしょうね。
    そんなむかし町は倉敷、玉島、備中高梁、吹屋、矢掛、足守、渋い所で庭瀬かな。
    小路に誘われるのには、激しく同意です。

    足守という渋いトコも攻めておられるようで、興味津々です。

     ぺでぃまる

    nao

    naoさん からの返信 2014/12/09 19:50:00
    地元の方の情報が一番!
    ぺでぃまるさん、こんばんは。

    いつもありがとうございます。

    ご出身は岡山県だったんですか。
    とすると、ここに挙げて頂いた町々は良い所なんでしょうね。
    やっぱり、地元の方の情報が一番信頼できますからね。
    まだ行ったことのない玉島、備中高梁、庭瀬なんか是非行かなきゃだめですね。

    足守は、規模といい中身といい、とても良い町でしたよ。

    nao

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