2014/11/23 - 2014/11/23
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たびたびさん
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金剛山は、ロープーウェイで登ろうと思っていたのですが、バスで一緒になった人たちは皆さん歩いて登るのだそう。それを聞いたのも何かの縁、私も歩いて登ってみることにしました。金剛山登山口から早い人だと1時間かからないということでしたが、写真も撮りながらということもあって私は2時間近くかかったかと思います。階段がきちんと整備されていますが、けっこうしんどい山道です。
観心寺は、河内長野駅から金剛山ロープーウェイ行南海バスで15分ほど。年に一度公開される国宝如意輪観音像と楠正成の首塚があることでも知られています。
で、今回は見事な紅葉を楽しみました。石畳の参道脇や参道脇の庭の紅葉の感じは、永観堂を彷彿とさせるような雰囲気。紅葉はこれでもかというくらい赤く色づいていて、まさに見頃。思わず目を見張る美しさでした。
富田林には寺内町というエリアがあります。富田林駅から歩いて数分。寺内町自体も、隅から隅まで歩いても1~2時間くらいの限られた範囲です。
この寺内町は、浄土真宗の興正寺別院の寺内町。奈良だと今井町が有名ですが、雰囲気はこちらも負けてないような。街の案内人のような人もたくさんいて、団体さんを前に熱っぽい説明をしている光景をあちこちで見かけました。
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南海高野線でなんばから一路河内長野まで。始発電車に乗って出発です。外はまだ暗いです〜
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河内長野駅に到着。まずは、長野神社へ。河内長野駅から歩いて5分です。
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本殿は室町期に建てられた国の重要文化財だそうで、それなりの雰囲気がありますが、それより目立っていたのは境内の見事な大いちょう。今が盛りで、真黄色に色づいていました。
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金剛山へはここからバスになります。とここで、まだこの時間はロープーウェイは動いていないとのこと。乗っている人たちは皆さん、歩いて登るんだそうです。そうですかあ。では、これも何かの縁。予定とは違いますけど、私も歩いて登ることにしてみましょう。
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登山口で降りて、地図を確かめます。
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ここが登山道の入口です。
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その前に。
まつまさは、金剛山登山口にある豆腐のお店です。山の豆腐がやっているお店で、販売所の向かいです。 -
登山の前に、ここで朝飯代わりの冷奴をいただきました。ご主人は、堅い豆腐が好きなんだそう。なかなかないので、それなら自分が作ると言って始めたんだとか。そういうほどには固くはないのですが、職人気質の匂いのする、きっちりした豆腐のように感じました。黒豆豆腐というのもあって、こっちは柔らかです。
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さて、ここからですね。
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階段がどうとか言ってましたが、これって普通の山道ですね。これなら、歩きやすいでしょう。
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で、金剛山山頂を目指して歩いていたのですが、歩いてすぐに、千早城跡への分れがありました。少し迂回するルートになりますが、これなら寄れそうです。
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鎌倉幕府の大軍をここで迎え撃ったという山城のすごさが、
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急な傾斜道を登りながらだと、
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ちょっと実感されたような気になります。
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ほどなく、
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ここが千早城跡ですね。
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そして、本丸跡に建つのが千早神社。楠正成を祀ります。後醍醐天皇の呼びかけにいち早く応じ、鎌倉幕府を倒す流れを作った功臣中の功臣です。
楠正成の評価は戦後もさほど落ちていないのですが、新田義貞の方はどうにも振るわない。この差は湊川で散った楠正成と越前国藤島の灯明寺畷という小さな戦場で打ち取られた新田義貞。最後の華々しさが違うからでしょうか。 -
さて、千早城と千早神社を確認したので、
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金剛山への登山ルートに戻りましょう。
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細い山道を抜けて、
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登山ルートに戻りました。
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ここから先はどれくらいあるんでしょうか。
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階段がどうとか言ってましたが、なるほどこのことですね。
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よく整備されているので、これなら安全です。
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あれれ。ここまででもだいぶ登ってきたと思うんですが、まだ3合目って???
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でも、もう降りてくる人もいて、どうなってるんでしょうか。
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そして、なんとか4合目。
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あれれ、まだまだですよ〜
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やっと5合目。ここか出来て帰るわけにもいかないし。。
私はもう1時間近く歩いているかも。 -
頂上まで1時間という人はかなりの達人でしょう。
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少し見通しの甘かったことを反省しつつ、6合目。
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いやー、ここもきついですねえ。
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それを知ってか知らずか。6.5合目が書いてあって、がんばれと勇気を与えてくれているような。ありがたいです。
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7合目から、
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さらに先は続きます。
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ちょっとは紅葉も眺めたいんですが、余裕はないですねえ。
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8合目。もうかなりへとへと。
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少し日が差してきて、
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それを最後の励みにしながら登りつづけます。
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そして、9合目。もうすぐですね。
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少し緩やかな坂になって、
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最後の踏ん張り。
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これが頂上の展望所。向こうに見えているのは富田林の市街です。
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イチオシ
看板はそれなりなんですが、景色としてはどうなんでしょう。登ってきた苦労を考えると、絶景というには程遠いし、正直あまりバランスはしないような気もします。まあ、史跡を訪ねてきたわけですから、景色は二の次ではありますが。。
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転法輪寺は、金剛山山頂から歩いてすぐ。金剛山には、修験者の史跡がたくさんあって、ここもそのひとつ。いかにも修験者の寺と言った趣があります。
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役小角は16歳の時、金剛山に登って修業し、ここに転法輪寺の前身、金剛山寺を建立しました。楠木正成が金剛山の中腹に築いた千早城に籠り、鎌倉幕府の大軍と戦いますが、転法輪寺の支援も大きかったと伝わります。
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ここから、帰りのロープーウェイ駅の方に向かいます。
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しかし、すぐかと思ったら、地図だと歩いて20分。ありゃりゃ。帰りも楽勝ではないようです。
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途中にある岩屋文殊を見て、
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ひたすらロープーウェイ駅を目指します。
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けっこう遠いですねえ。
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全然近づいている気配なし。
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結局、ロープーウェイで登ってもこの道を登らないといけないんですね。
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イチオシ
それなら、始めから登山の方がすっきりしていてよかったかなあ。登山を選んだのは正解だったような気もしてきました。
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やっと、金剛山ロープウェイの駅です。
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ここを下りるんですね。
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ところで、ゴンドラの窓はめちゃめちゃ曇っていて、残念ながら写真はこんな具合にしか撮れません。うーん、イマイチです。
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ふもとに到着。で、ここからバスかと思いきや。ここからバス停までも歩く、歩く。まったく、ここはどうなっているんでしょうか。手軽に山登りできるような場所じゃないことがはっきりわかりました。朝一番できたので何とかなりましたが、知らずにゆっくり来たらえらいことになっていたかもしれません。危ない危ない。
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ここから、バスで観心寺に向かいます。これは、元来たルートを帰るようなことになるんですが、観心寺はまだ開いている時間ではなかったので、このダブりは仕方がありません。
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天気も良くなってきて、
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観心寺の紅葉きれいです。
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赤も
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イチオシ
黄色がかった色合いも、
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イチオシ
背景の緑があるんで、くっきりと鮮やか。それに、もしかして、今年の色づきはいいような気がしますねえ。
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イチオシ
この参道の両側に紅葉って、
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なんだか京都の永観堂の雰囲気にも似ていなくもないような。。
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これが本堂で、ここに有名な如意輪観音が安置されています。本堂も国宝ですが、同じく国宝の如意輪観音がなんといっても有名。ひざを立てた姿は、朝鮮の影響のようにも思いますが、ちょっとなまめかしい雰囲気が印象的。公開は年一回ですが、写真で確認するだけはできました。
なお、寺は役小角によって開かれ、その後、空海もこちらを訪れています。 -
その横からは
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イチオシ
こちらも見事な紅葉です。
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さらにお堂を過ぎて
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これが楠木正成の首塚。楠正成は湊川の戦で足利尊氏に敗れ、討ち死。この寺は楠木氏の菩提寺であり、こちらに首が届けられました。
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ここから下って、庭の方に。
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イチオシ
このスタイルも、永観堂に似ています。
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見事な紅葉で、
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イチオシ
まさに今が盛り。
金剛山の紅葉はイマイチでしたが、これで溜飲をさげました。結局、自然の紅葉の美しさは限界があって、人が手入れしないと、こんな美しさにはならないんですよね。 -
観心寺から、河内長野駅まで戻ってきました。
目の前にあるノバティながのは、地場のショッピングセンター。商店街につながっていて、商店街と一体なんですが、逆に、商店街の方にはほとんどお店がなくて、ノバティながのが商店街そのものになっているような。店内の雰囲気が緩い感じで、もしかしたら、商店街のお店がここに移転したのかもしれません。そんなショッピングセンターです。 -
河内長野観光案内所は、河内長野駅からノバティの方に少し歩いた場所。駅の周辺の街歩きをしようと思って、いろいろ尋ねたのですが、観心寺や金剛寺など、情報は遠い場所のことばかり。しかし、食い下がって聞くと高野街道酒蔵通りの天野酒の情報。では、そこに行ってみましょう。
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でも、その前に。。
友井堂は、河内長野駅ビルにも入っているんですが、駅から少し離れたところにある独立店舗が本店です。 -
高野街道というお菓子をいただきました。きめ細かな薄緑色の表面が美しい。白餡も程よい甘さで、老舗の味わいだと思います。
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河内長野の市街の高野街道酒蔵通りというのは、今朝、あることはチェックしていたんです。
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で、その中心にあるのがこの天野酒の西條合資会社。通り沿いに長く続く建物の風景はとても情緒あるもの。ちょっと意外な感じがするくらいの一角です。
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お店に入ると毎年の新酒の時期に造った杉玉が天井にいくつもぶら下がっていて、年季を感じる趣向。ちょっとした御菓子類なども置いてありました。
いいじゃないですか。観光案内所の人はもっとここをちゃんと勧めてもいいと思いますよ〜 -
今朝から、ほとんど食べていないので。
河内長野でパン屋さんを探したんですが、駅ビルにあるHOKUOを見つけました。チェーン店でがあるのですが、地元の人気店だけに、人気の売れ筋商品がはっきりしていて、買いやすい。 -
迷わずクインシーピーナッツをいただきました。
ここから、富田林に移動します。 -
富田林駅に到着して。
富田林観光案内所は、富田林駅を出て道路を挟んだ向かい側。富田林には、寺内町が駅からすぐの場所にあって、そのまわり方とかの情報をいただきました。一方で、B級グルメのことも聞いたのですが、この辺りは赤目芋が特産なんだとか。京都のいもぼうの芋のことですね。しかし、芋ですから、お店はどこと特定できなくて、情報をいただいただけになりました。 -
さて、ここから今度は金剛バスで、弘川寺に向かいます。
この金剛バスは、富田林駅を起点とする路線。これに対して、河内長野を起点とするのが、今朝乗った南海バスです。この二つは、ともに金剛山まで行っているのですが、南海バスのバス停名は「金剛山ロープウェイ前」で、金剛バスのバス停名は「千早ロープウェイ前」。非常に紛らわしい。これを知っていたら、金剛山、観心寺、弘川寺とかもっとスムーズに回れたかもしれません。バス会社はお互いに何とかした方がいいでしょう。 -
弘川寺は、富田林から、河内行金剛バスで20分ほど。バス停から住宅地の中をちょろっと上がるとお寺がありました。
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イチオシ
境内は、紅葉が見事に色づいて、ここも紅葉の名所ですね。
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石段を上がって、
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こちらが本坊。奥にに西行記念館があって、このエリアは有料となります。
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上がってすぐに、弘川寺のカイドウです。これは、大阪府の天然記念物。本坊の縁側すぐにあって、日本一の老木だそうですが、意外に細い感じがしました。春にはピンクの花を咲かせるようですが、紅葉の季節はなんのことはない景色。ただ、周囲には皐月の老木もあって、春の季節はこれと併せて楽しめるのではないかと思います。
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奥に進んで、
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広間では、
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弘川寺の四季をパネル展示しています。
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そして、これが西行記念館。
一番奥にある施設で、西行に因む絵画や書などを展示してあります。文人墨客が愛してやまない西行は、芸術作品のテーマとしても好まれたもの。美しい作品群は、「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」とここで最期を迎えた西行に相応しい格調があるように思いました。 -
これは、記念館から
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振り返ってみた眺め。
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イチオシ
右手の庭の紅葉です。
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いわゆる裏紅葉というやつですね。紅葉の間に光が遊んで、これも美しい紅葉の一つでしょう。
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本坊を出て、本堂の方へ。こっちも雰囲気ありますねえ。
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鎌倉の谷のような地形に、
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コンパクトな整った境内。この裏山に西行の墓があるのですが、もういく元気はありません。これで終了としましょう。
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弘川寺から富田林駅に戻ってきて。それにしてもお腹が減りました。
この昭和レトロな看板の目立つ開屋本舗は、富田林駅のすぐ近く。B級グルメのお店で、焼きそばなんかもあるようですが、いただいたのはたこ焼き。 -
このたこ焼きは、出汁がよく効いていて、旨味がありますねえ。さりげなく、うまい。富田林では名物店ではないかと思います。
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柏屋葛城堂もその並び。立派な構えの和菓子屋さんです。
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いただいたのは、みかんが丸ごと入った、みかん大福。以前、三ケ日で同じような大福があったのですが、売り切れで食べられず、図らずもこちらで初体験となりました。
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みかんは、ちょっと甘く煮てあるんですね。みかんの酸味は残っていますが、ちゃんと大福のお餅と相性が良くて、まったく違和感なし。広島にははっさく大福。博多には、ぶどう大福もありますけど、大福のバリエーションは広い。改めてそんなことを思いながら、おいしくいただいた次第です。
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で、もう一軒寄ったのは、から揚げの専門店KAWAKARAです。
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街歩きのお供にしようと、少し買ったのですが、ただ、単独で食べるにはちょっと味付けが濃いかなあ。おかずとして食べるような味付けだと思いました。
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ちょっと落ち着いたところで、これから寺内町を散策します。
まずは越井家住宅。こちらは、重要伝統的建造物群保存地区にの寺内町にある明治時代末期の建物。代々「平尾屋庄兵衛」を名乗り、家柄でもあります。 -
北側に大きな米蔵があって、通り沿いに長く続く空気窓の付いた建物ですが、寺内町でもこの眺めは圧巻。正面から見るだけでは、ここを見たことになりませんので、ご注意を!
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寺内町は限られた範囲なんですが、それにしても往時の街並みがよく残っています。
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こちらの田守家住宅は、富田林の寺内町では18世紀前半の建築で、杉山家住宅に次いで古いということですが、外観の白壁は汚れていないし、さほどの古さは感じません。
説明板によれば、当家の屋号は「黒山屋」。明治中期頃まで代々木綿商を営んでいた家だということです。 -
続いての杉田家住宅は、妙慶寺の近く。18世紀後期に建てられたようで、屋根の上に付いた煙出しのための櫓がワンポイントになっています。
説明板によれば、当家の屋号は樽屋。代々「樽屋善兵衛」と称し、油屋を営んでいた家で、油蔵であった土蔵があるようです。 -
これが寺内町のメインストリートでしょうか。
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富田林の寺内町は、富田林御坊 (興正寺別院)の寺内町ですが、同じ寺内町にある妙慶寺も浄土真宗のお寺です。
建立は1603年。限られた敷地の中に建物がコンパクトに収まっていて、周囲の建物と調和がとれているように感じます。 -
そして、寺内町はこの興正寺別院の寺内町ということ。
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今でも寺内町の中心部にあって、古くていかめしい山門がその歴史を伝えているようです。山門が閉まっていたので、外から見るだけだと思ったのですが、実は脇の木戸から中に入れます。
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建物は、
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それぞれ人が住んでいらっしゃいます。なので、基本は外から外観を見るしかありません。
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主要な建物には、丁寧に説明板が付いているので、それを確認しながら、拝見します。
この中井家住宅は、19世紀後期の建物。
案内板によれば、屋号は、「布屋」。呉服商を営む家だったそうです。
周囲は仲村家や木口家。建物がきちんと区割りに従って建っていて、整った景観となっています。屋根は低くて、ちょっと古風な感じが特徴です。 -
富田林の寺内町には、火の用心の刻字がある道標があります。寺内町は建物が密集しているので、やはり一番怖いのは火事だったでしょう。日ごろの防火の意識の高さがこんなところにも違和感なく出てくるのだと思います。
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地元の案内ボランティアの方。熱心な説明に皆さん引き込まれているようです。
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私も、建物チェックを続けます。
仲村家住宅は、18世紀後期の建物。寺内町では古いし、規模も比較的大きな建物だと思います。
屋号は「佐渡屋」。初代徳右エ門は富田林八人衆の子孫に当たるそうで、後に、酒造株を取得して、大いに栄えたということです。ただし、明治になって酒屋は廃業しています。 -
上野家住宅は、19世紀初期の建物。
明治40年に呉服商を創業。元来は仲村家の分家新宅だったものを上野家が買い取ったもの。なので、仲村家の家紋「三階菱」が入った丸瓦が残っています。
虫籠窓の木爪型の形状が特徴的です。ここも非公開で、外から眺めるしかありません。 -
そして、富田林の寺内町には旧家がたくさんあるのですが、
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この旧杉山家住宅は、唯一の国の重要文化財。
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江戸時代は、家屋の大きさなどは幕藩体制の中で制約があったはずなのですが、
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この広さや間取りから思うに自由に建てた感じ。
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寺内町であればこそ、そうした制約がなく建てられたのかもしれないと想像しました。
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使用人が他家から引き抜かれないように、梯子で上がる部屋は夜には梯子を外してしまうといったこともあったようで、
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係りの人がいろんな説明をしてくれます。
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障壁画もちょっと傷んでいますが、
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豪壮な雰囲気です。
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すべての部屋を
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回って、
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これは裏に回ったところです。
なるほど、ここは富田林に来たなら寄らないと話になりませんね。 -
葛原家住宅は、19世紀初期の建物。
案内板によれば、屋号は、十津川屋。葛原家は奈良県吉野郡十津川村の元郷士で、後に、当地で酒屋を始めた大商人ということです。
外観は、親子格子や虫籠窓の意匠が美しいと思います。 -
奥谷家住宅は、19世紀初期の建物。
案内板によれば、屋号は、岩瀬屋。材木商を営み、かつては、村役を務めていた家だとか。
奥谷家と分家の南奥谷家が並んで建っていますが、南奥谷家の方も敷地内の松の木が塀の上に顔をのぞかせて、立派な屋敷であることが想像されました。 -
これで、だいたい全域を回ったような
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感じです。
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と、これはじないまち交流館。観光案内所と休憩室を兼ねたような施設です。内部は、木の香りがまだ匂うような感じで、休憩所としてみるととても立派なものです。寺内町では内部の公開は杉山家と田中家だけなので、こうした施設はありがたいと思います。
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最後は旧田中家住宅。ここは、富田林の寺内町では、杉山家と並んで公開をしている住宅。こちらは無料ですが、杉山家と比べるとどうしても見劣りがしてしまう。
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その分、うえに上がって、気軽に休憩できると考えるといいかもしれません。
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ところで、これは金剛山からも見えていた真っ白な塔。
一種異様な感じのする塔なのですが、これはPL教団が作った超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔という塔。金剛山の山頂からも、この白い塔はよく見えて、富田林の位置がこれで分かったくらい。しかし、周囲の景色と調和がとれているかと言えばそうでもないような。私は少し、なんともいえない圧迫感があって、地域の人にとっては微妙な存在かもしれないと思いました。
以上で、二日目は終了。お疲れ様でした。これから京都の定宿へ。明日は枚方辺りを巡ります。
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