2014/11/23 - 2014/11/24
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HIT-Oさん
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偶然にも十和田市と盛岡市にいく行程で、これまた二箇所にある新渡戸稲造関連施設、新新渡戸記念館(十和田市)と新渡戸記念館(花巻市)の両方を訪問しました。十和田市で仕事の合間があったことが幸いしました。新渡戸氏3代に連なる二箇所の功績展示を知ることで、多分東北最古の灌漑事業も知ることが出来ます。
三本木地区の肥沃な米作地帯がどのようにして出来上がったのかも、初めて知りました。水を制するものは国をも制するの言葉を思い出しました。先達の凄さに合掌。
写真は左が稲造、真ん中は父親の十次郎、左は祖父の三代に渡る新渡戸氏の像。十和田の記念館の庭にありますが、この地は新渡戸家の墓所でもあると説明されています。其の意味では、とても奇異な気分を感じますが、鳥居がある墓所も地元の方々の感謝が創りだした場所なのだと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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十和田の新新渡戸記念館の入り口。正直言って、ここが記念館の場所である想像力は僕にはなかったので、小さな案内板を見るまでは認識できませんでした。
巨大な鳥居はまさに三本木灌漑水路に対する感謝の念が浄財によって建立されたと説明があります。稲造よりも、その祖父がいかに偉かったかを感じました。川の下にトンネルで川を通すなどのサイフォン式水管も利用しており、当時の技術の高さも大変なものです。南部藩時代に作られた灌漑水路技術を思い知った時間でした。館内内部は写真禁止のためありません。
稲生川の詳細な灌漑マップは
http://www.towada.or.jp/nitobe/map%20pdf/back.pdf
で公開されています。 -
その鳥居の脇に設置された碑文。稲造の有名な言葉です。
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灌漑水路の説明文。会館の外にあったものです。
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ここに記念館ができた由来の説明文。稲造は三男坊なのでこの開拓事業には参加していない。
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古いけれども、感謝に満ちた碑文。地元の人々に取ってこの水路の恩恵を感じる。
脇に写っている建物が記念館。 -
その灌漑水路の取り水口。ここからトンネルで実際の川の本流よりも高い場所にある台地へ水路が始まります。水路に沿って道路があり、車で下って見れるようになっているのも、水路作りに道が必要だったのが理由なのだと思います。
最後は稲生川の本流と合流して、この水路の役目である、台地に水を供給する水路は終わります。見事な土木工事です。 -
そのトンネルの出口と水路。現在も営々と稼働している水路路の維持には、補修を含む長い地元の点検修復作業を経ていることが分かります。
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そして、花巻にある新渡戸記念館。広大な敷地はこれも新渡戸家の土地だそうです。見事に管理されており、館内は音響技術も駆使した立派なものでした。
ここは十和田とは違って、稲造の生涯を中心に展示されています。 -
花巻の記念館へ自力でいく方に参考です。なにせ新幹線駅からも遠いので、手っ取り早いのはタクシーです。写真は記念館から駅へ行くバス停の時刻表です。特に休日は財政難なのか、えっというくらい本数がありません。
乗ったバスでは今後の継続運行のための協力の案内が流れていました。乗る人がいないとバス会社も営利企業なのですから辛い所かもしれません。 -
新渡戸氏が建立したのらしい神社の案内板です。記念館の右奥に有りました。せっかくだから参拝させて頂きましたが、整備が大変なのか、痛みもあるようです。
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館内は写真禁止ですが、この胸像だけは係の方の承諾を得た上で撮影させてもらいました。例の台灣で二体制作されて一体を関係する日本の各地へ送付しているその胸像です。
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その鏡像の根本に記載された銅板。台灣の偉人である、稲造への感謝の気持ちが日台のつながりとなっていくことに感動します。
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