行ってみて初めて知った真実!世界遺産も素晴らしいけど、実はこんな話が歴史の中に埋もれていた!!!あのトルコがど~うして親日国家なのか?そしてペリー来航の62年前にすでに来ていた黒船?超B級観光地だけど『ヘェ~ボタン』連打!!!
2014/11/09 - 2014/11/10
1位(同エリア424件中)
多良さん
和歌山県、マジ!マジ!マジ! 恐 る べ し ~ !(@_@)(@_@)(@_@)
世界遺産観光に行ったつもりが、道中、「 不思議 な 案内板 」に引き寄せられましてね~(^_^;)
正直、行った先で「驚きの真実」に直面!!!
あたしゃ、もうその『 国 家 的 重 大 秘 密 』を知っちゃって、
驚くやら、嬉しいやら、そりゃ~もう大変!
あ”~ 誰かに言いた~い! 聞いて欲し~い!
そう思いながら帰ってきましたw。
だから、この記事、書きたくて書きたくて タ マ ラ ナ カ ッ タ デス^^ハイ!
でもね、今回の訪問地のように、メジャーじゃない隠れた観光地って、やっぱ、観光客 少 な ~ い(笑)。
って言うより、やってる? って言う感じ!
なんだかそれが妙~に可笑しくって、クク~ッって笑えちゃいましたけどね~♪
でも、しか~し!!!
事実は事実!
真実は真実!
時の為政者によって、歴史は そ う と う 塗り替えられてる! うんうん!
和歌山県さ~~ん!
もっと、もっと、一生懸命世界に向かってアピールすべきじゃないですかぁ~(^_^;)
トルコまんじゅう?もアメリカ最中?も販売して大儲けしなくちゃ~~~(爆)
あ、下世話な話ですみませんね~~~(^_^;)
さてさて、なぜなぜ?ど~して?などの詳し~い話は、どうぞ本題をご覧くださいませ。
いずれも江戸時代末期と明治初期の 古~~~~~い お 話 。。。
*写真は トルコアイスを売る トルコ人商店主
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
PR
-
写真ピンボケですみません<(_ _)>
まずは、案内板から・・・(汗)
書いてある事は・・・
ここはペリーの黒船来航(1853年)より 62年前 の寛政3年(1791年)3月、米国籍の商船2隻が紀伊大島と古座川沖の九龍島との間に来航し、通商を求めた事実を記念するために建てられました。
ね!、ね!、ねっ!
ビックリ!!!でしょ〜〜〜(*^_^*)
いやござった(1853)ペリーさん
って覚えていたのにぃ〜〜〜(苦) -
ココが日米修好記念館です。
駐車場すぐ横に目立つ茶色いオリジナル性抜群の建物が・・・(^_^;)
所在地 和歌山県串本町樫野1033
アクセス JR紀勢本線串本駅よりバス35分 「樫野」下車、タクシー20分
駐車場 あり(無料 )40台
営業時間 9時〜16時
休業日 年中無休
入場料 250円(小学生以下120円)
電話番号 0735−65−0099
-
駐車場には、
たぶん、ココの職員さんの車が一台止められているだけ。。。
どこにも私たち以外、観光客の姿は見えません。。。
まるで、今から異次元世界の扉を開ける気分で。。。(^_^;) -
ほよよよ〜〜〜♪
幕末に、いろんな国が日本にやってきているんですね〜^^。
ペリーさんが最初じゃなかったんだぁ〜〜〜・・・ナ ル ホ ド
コレマタ、ピンボケですみませんねェ〜★ -
館内、アメリカだらけ〜♪
日米初の修交に関する文献(観光パンフレット及び串本町史より)
・米国文献
1791年、ボストン船籍の「レディ・ワシントン号」(ケンドリック船長)がニューヨーク船籍「グレイス号」(ダグラス船長)とともに中国からの帰路、ラッコの毛皮を交易しようと南日本の港に入港した。この時日本は初めて米国旗を見た。しかし住民は、毛皮の使用方法を知らなかったので商売にはならなかった。(マサチューセッツ海事史) -
そうそう、漏れ聞いたところによりますと、
カリブの海賊に出て来た帆船はこの
「レディ・ワシントン号」(ケンドリック船長)
がモデルだとか・・・^^ -
◆◆◆結局のところ◆◆◆
幕府の役人が大阪から騒ぎを聞いて駆けつけたのですが、すでにその時船は帰国の途に。
実は、話には裏があって・・・・・
事なかれ主義の江戸幕府のお役人が、面倒なことに巻き込まれたくないので、わざと、ゆ〜っくりやってきたって話。
しかも、これば『開国』ではなく『漂着』だとして幕を引いちゃった(>_<)
お侍さ〜ん!そりゃないでしょ〜〜〜!
あ〜ぁ、なので、62年後にやってきたペリーさんが歴史の主役に! -
すぐ近くに太平洋が見下ろせる絶景の地があると職員さんが教えてくれたので行ってみました〜♪
一人旅の女性の場合、ココ、誰もいないからチョッとコワイかも〜(^_^;) -
絶景を見ながら、下の文をお読みください。チョッと楽しい話かも〜♪
・和歌山藩砲術師の記録
「大島の沖へ、13段に帆をかけた、異国船が来て、和歌山藩砲術師の李俊が住んでいる高芝村からも、見えたから、どこの港へ船を入れるのだろうと 、見ていると、大島の沖へ暫く船を留めて、銅で造った伝馬船へ、23人乗り、大島の内海へ、重りをつけた縄で深さをはかり、やがて大島の、内海 へ船を入れかかったから、村人達が驚いて、文字を知った者がないので、急に李俊を船で迎えに来た。
急なことで、李俊も筆紙を持って船に乗り、5里ばかりあるこの処へ来て見ると、先ず船の造りが珍しい。船は2艘だが、1艘のみよしには、背丈1 丈ほどの男が甲胄をつけ、長剣を横たえ、其の剣を半分抜きかけた形の造り物で、金銀朱の色が日に映えてさも勇壮な形である。他の1艘には、長さ 8尺ばかりの美婦人で頭に朱翠をかざり、辨髪を長くたれて、汐に届くばかりに綾羅(あやうすもの)をひいて、釣竿を持って、一心に魚を釣るところの造りものである。
船中の人は、6尺余りで、鼻の先が炎って高く、眼中が赤く、手足も長い様に思われる。村人は漁船で、見物に行った者を船の中へ招き入れて酒をのませ、ごちそうを食わせ紙を与えなどして、にぎわって居る所へ、李俊も船を近づけ、異国船へ乗移ろうとしたら、船から李俊を見て3人舷に出て巾の如き物を振って「上がって来るな」というらしいから、控えていたら、小船に乗っていた、村人1人が船から下げた梯の中段まで上がって、船の中 の様子を伺っていたら、猛犬が走って来て右の物の右袖を喰切った。その勢に怖れて村人は早々に梯を下りたのです。
李俊が筆談を贈ったら「本船はアメリカ船也、入港して東風を待つだけ」と返事が来た、その他の事を書て贈っても、受け取らず、それで1町ばかり退いて、見物していると、鳶が多く飛んでいるのを、船中の人が舷に並べた鳥銃を1挺片手で振廻し、ねらいもせず火縄もつけず「ドン」と発したら 3度に2度は、鳥が飛んでいるのにあたって、空から海に落ちる、すると猛犬が海に飛びこんで鳥を喰わえ帰って船頭に餞る。その有様は何と、不思議な事と李俊が感じた」と和歌山藩砲術師の李俊は書き残しています。
寄港地は、現在の雷公の浜(ナルカミ)とされています。「水有之所にて..」とあるのは、雷公神社脇を流れる小川と思われます。この付近は、紀伊風土記などによると、古くから集落があったようで、当然の事ながら、当時も集落があり、この人々が最初の交流の当事者になります。
この時、漢文の書簡の他にオランダ語の書簡も手渡したようで、後の報告書に「蛮船二隻は亜蘭蛇、..(外国船はオランダ船)」と誤解してしまい、近年米国の資料が見つかるまで、ペリーの浦賀来航が日本で最初と言われることとなります。
-
で、次は『トルコ記念館』
TVなどでの紹介で『トルコは親日国』とよく言われますが、その理由がわかりました!!!
読めます?・・・・・・・読めませんよねェ〜〜〜〜〜〜ゴメン!
お話の由来は^^
オスマン皇帝の特使を乗せて日本に派遣されたエルトゥールル号が、帰国の途にあった1890年(明治23年)、樫野埼灯台近くで座礁したことにある。犠牲者587名という大惨事であったが、地元大島村(現串本町)の人々はトルコ人の遭難者に温かい対応を行ったことが、日本とトルコの友好の始まりとして有名なエピソードになっている。 -
現在閉館中のトルコ記念館
エエッ!
ナンデヤネ〜ン! こんな立派な施設、モッタイナイ!!!
見せてくれェ〜〜〜!!!!! -
納得できませんが、「トルコ記念館」は現在工事中なのだそうで、休館中でした★
(そんな風には見えなかったけどね〜〜〜←まだ言うか!)
近くの無料駐車場から、テクテク歩いて三分ぐらいで外観を見るのはOKです(汗)。来年5月くらいまでダメだそうで・・・
所在地 和歌山県串本町樫野1025-26
アクセス JR紀勢本線串本駅よりバス37分、タクシー20分
駐車場 あり(無料)84台
営業時間 9時〜17時
休業日 年中無休 ※平成26年10月14日〜リニューアル休館
入場料 250円(小学生以下120円)
電話番号 0735-65-06280735-65-0628 -
トルコっと言えば『トルコアイス』
道路に看板があったので撮影〜♪
どこにあるのかな〜〜〜キョロキョロ〜☆
おっ!40メートル先なのね〜♪ -
あ!そうそう、カーナビ付きの車でないとちょっと簡単に行けないと思います。
車一台がやっと通れる曲がり道がたくさん!★
こんな出来事でした^^
◆明治22年オスマン帝国皇帝アブデュル・ハミット二世は、オスマン・パシャ特派大使海軍少将を特派使節として日本に派遣した。巡洋艦「エルトゥールル号」(2,344トン)の乗員は、下士官及び水兵、その他合わせて650余名であった。翌23年6月7日横浜港に到着し熱狂的な歓迎を受けた。日本に滞在すること3ヶ月、日本帝国の国賓として扱われ、9月14日横浜港を出発し、イスタンブールへの帰路に就いた。
明治23年9月16日、エルトゥールル号は熊野灘に差しかかった。その日は朝から曇りがちで風が激しく、海もひどく荒れ模様であった。やがて、山のような怒濤に揉まれ揉まれた木造艦エルトゥールル号は、同日午後すでに進退の自由を失い、風濤に翻弄されてぐんぐん樫野埼灯台下の岩礁「船甲羅」へと押されていった。この船甲羅は数百年来、海の難所として知られ、艦長以下乗組員全員は死力を尽くして荒れ狂う魔人と闘ったが、かかる絶望的な状況下ではなす術もなく、同夜9時頃、船甲羅の岩礁に乗り上げ、同10時半頃には沈没してしまいました。
地元住民の献身的な救助活動にも、オスマン・パシャ特派大使海軍少将以下580余名が遭難、69名が救助された。かくして、トルコと旧大嶋村樫野(串本町)との友情と友好関係が現在まで続くこととなるのです。 -
乗員580名のうち助けられたのは69人・・・
いや〜悲惨な事件だったようで。。。
で、コレマタB級重大ニュース こんな後日談が!!!
◆日本人216名を救ったトルコ航空機
イラン・イラク戦争が始まった、1985年3月17日、イラクのサダム・フセインが「今から40時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」ということを世界に向かって発信した。イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かったが、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したが、日本政府はすばやい決定ができなかったため空港にいた日本人はパニックに陥った。
そこに1機のトルコ航空の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、成田に向かって飛び立った。タイムリミットの、1時間15分前であった。なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」
※この事は、あまり日本人に知られていません。 -
トルコアイスを買いに来ました\(^o^)/
え!
さっきの看板のお兄さんがこんな姿に!?
看板作った時期が相当昔のようで(爆)
看板に300円っと書いてありますが、今は400円です(@_@)
このトルコ人のおじさん、よくTVに出ているらしいです^^
日本語ペラペラ〜〜〜\(^o^)/ -
しか〜し!
観光客少なっ!!!(>_<)
空家の出店にかいてある『ふれんど』が妙に物悲しい〜〜〜★
エルトゥールル号が遭難した明治23年当時、地元樫野の島民は献身的な救助活動を繰り広げ、引き揚げられた遺体は、救出され一命を取り留めたハイダール士官立ち合いのもとに、遭難現場である船甲羅岩礁を真下に見下ろす樫野埼の丘に埋葬されたと伝えられています。
翌、明治24年3月、和歌山県知事はじめ、有志の義金により、墓碑と追悼碑が建立され、併せて追悼祭が行われました。
後に、昭和天皇の樫野埼行幸(昭和4年)を聞いたトルコ共和国初代大統領のケマル・アタチュルクが新しい慰霊碑を建立するこ事を決定し、和歌山県が委託を受け、現在のような立派な弔魂碑に改修されましたが、墳域設定に際して、大島村民は樫野埼灯台南東約300?のこの広場(面積746?)を提供いたしました。そして、天皇行幸8周年記念日に当たる昭和12年6月3日、除幕の日を迎え、今日もなお熊野灘沖を行き交う船舶を見守るかのように、樫野の丘にそびえ立っているのです。(HPより抜粋) -
草ぼうぼうのトルコ記念館前食堂
人いません(>_<)
◆トルコ乗組員(生存者)の帰国
69名の生存者は神戸で治療を受けた後、同年10月5日、比叡、金剛の2隻の軍艦により帰国の途につき、翌明治24年1月2日、無事イスタンブールに入港、トルコ国民の心からの感謝に迎えられました。 -
通りを歩く人もいないトルコ記念館前
どういう事!? 少しくらい人居たって良いんじゃ〜ないのぉ〜♪
串本町では、エルトゥールル号の遭難以来、第2次世界大戦中には一時的に中断したものの、トルコ共和国との共催で5年ごとに慰霊の大祭を催し、現在に至っているとか。。。
エ、 エ ラ イ ! ! ! -
あまりに人がいなかったので、人恋しくて(笑)メジャーな潮岬灯台へ〜♪
ココは、本州最南端です\(^o^)/
この灯台は明治初期の江戸条約によって建設された8基の洋式灯台(条約灯台)の一つで、歴史的・文化的価値が高いAランクの保存灯台に指定されているほか、「日本の灯台50選」にも選ばれている。 -
こっちは偽物。
観光用の灯台風タワー♪
やるね〜〜〜!遠方から来た観光客はこっちが灯台だと勘違いしちゃうかも〜((+_+))
およしなさいってば〜〜〜!!! -
その後、時間があったので、
串本海中公園・水族館などを見学(有料) -
切符売り場
海中観光船を含むすべての施設を回れるチケットを購入。
2600円 高っ! -
船底から海中が見える観光船。
約20分の船旅?^^ -
悲しいかな、都会から離れているため、観光客が異常に少ない。
説明してくれる船員さんとお話しできちゃいます\(^o^)/ -
ほらっ!
ガラガラ〜〜〜\(^o^)/
素敵な拉致風景?って言うか、ま、船内に閉じ込められた人みたいで。(汗)
だから・・・入場券・・・高い???
悪循環!
皆さま、行ってあげて下さ〜い -
ほら!?
ハリセンボン君も大歓迎してくれますよ〜\(^o^)/ -
風光明媚な海中展望塔付近
天気も良いし、最高〜♪
でも・・・
観光客、少なっ!(まだ言うか?-汗) -
同 水族館のクラゲ君も大歓迎してくれます!
クラゲ君がおっしゃるには・・・
時々、何を間違ったか、団体の中国人観光客様がやってきて、うるさいほどにぎやかになって・・・1時間ほどでスーッとお帰りになられます^^。
中国人団体様、大歓迎〜♪
ココで、お土産いっぱい買ってね〜^^ -
この水族館の自慢は
海中トンネルのバックステージを無料開放しているところ。
海中トンネルの上はこんなになっていますよ〜♪
って言うけど、
・・・魚、見えないし・・・(^_^;) -
あ〜楽しかった!
歴史の言ってはいけない、秘密話、裏側を覗き見させていただいた気分。
覗き見最高〜♪ 秘密の部分大好き〜〜〜\(^o^)/
さぁ〜て、旅館に帰って 美味しいご飯食べて、覗 き 見 するかぁ〜♪
エ、エエ〜〜〜〜〜ッ(@_@)(@_@)(@_@)
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この旅行記へのコメント (14)
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- ちどり OYAJIさん 2015/01/28 21:56:29
- 串本PRありがとうございます
- 多良さん
お邪魔します。
そうなんです、日本とトルコの間にはそんな歴史があったのです。そして義理人情に厚いトルコ人は昔の日本人と似た気質なんですね。私は1985年テヘランからトルコエアーで救助していただいた215名のうちの一人です。
ご存知かと思いますが、今エルトゥールル号の遭難と串本町の皆さんの献身的救助、そして1985年の飛行機の安全が保障されないから飛ばなかった日本の航空会社に対して、日本人の安全が保障されないから救助に飛んできてくれたトルコエアーのお話が映画になるんです。今年12月東映から封切りです。タイトルは「海難1890」です。是非ご覧ください。 そして串本町では5年ごとにエルトゥールル号の犠牲者を悼む式典を開催しています。今年が日本トルコ友好125周年です。6月3日を中心に今年も行われるはずです。良かったらどうぞ尋ねてください。この期間は寂しい串本ではありません。
長々と失礼しました、先週串本へ行ってきました。私の4トラも見ていただけると幸いです。
- 多良さん からの返信 2015/01/29 09:33:21
- RE: 串本PRありがとうございます
- ちどり OYAJIさ〜ん♪
なんと!嬉しいコメントをいただきありがとうございました〜♪
ちどり OYAJIさんが215名のうちのお一人だったとは!!!
ワタクシ、実は、このトルコエアーのお話に感動しまくり、言い方が変ですが「アチコチで言いふらして」おります\(^o^)/
で、そのたびに、お恥ずかしいですがなんだか、涙ぐんでしまうんですよ〜(^_^;)
「海難1890」楽しみです!今から、12月が待ち遠しいです(^_^;)
-
- はじめのいっぽさん 2015/01/06 17:29:25
- トルコと串本町は、本当に純粋につながっていると思います。
- 新年、明けましておめでとうございます。
訪問と投票、ありがとうございました。
付け加えさせていただければ、あのイ・イ戦争の時、在イランの日本人のために航空機をとばしてくれました。詳細は、くぐっていただければわかると思います。私も、夏にイランに行き、巡りめぐってこのことを知りました。串本町に訪れたいと思っていたところでこの記事に出会い、うれしくて書き込みをさせていただきました。ぜひ、トルコと日本のつながりはたくさんの方に知っていただきたいと思います。エルトゥール号からの絆の大切さを。
今年も多良さんにとってすばらしい年でありますように。
- 多良さん からの返信 2015/01/08 15:35:58
- RE: トルコと串本町は、本当に純粋につながっていると思います。
- > 新年、明けましておめでとうございます。
> 訪問と投票、ありがとうございました。
こちらこそ、コメントまでいただき嬉しい限りです\(^o^)/
> 付け加えさせていただければ、あのイ・イ戦争の時、在イランの日本人のために航空機をとばしてくれました。詳細は、くぐっていただければわかると思います。私も、夏にイランに行き、巡りめぐってこのことを知りました。串本町に訪れたいと思っていたところでこの記事に出会い、うれしくて書き込みをさせていただきました。ぜひ、トルコと日本のつながりはたくさんの方に知っていただきたいと思います。エルトゥール号からの絆の大切さを。>
ほんとうに、そう思います!
ワタシもこの事実を知った時、感動で、不覚にも涙が止まりませんでした。
その後、知り合いが居れば、いつでも、どこでも迷惑を顧みず、この話をしています(^_^;)
> 今年も多良さんにとってすばらしい年でありますように。
素敵な、嬉しいコメントをいただき、南紀に行って、この記事が書けて、本当によかったなァ〜♪ っと思っています^^。
はじめのいっぽさんも、どうぞ今年も素敵な旅をなさってくださいね〜♪
ではでは〜〜〜
多良
-
- わんぱく大将さん 2014/11/25 09:16:36
- トルコの親日
- 多良さん
その後、あちらの方はお元気になられました? (ここでは敢えて書きませんが)
トルコの親日という理由は前から知ってましたよ〜。
アイスクリーム屋のおっちゃん、子孫の一人? がんばってましたね。
大将
- 多良さん からの返信 2014/11/25 09:52:15
- RE: トルコの親日
- > 多良さん
>
> その後、あちらの方はお元気になられました? (ここでは敢えて書きませんが)
> トルコの親日という理由は前から知ってましたよ〜。
> アイスクリーム屋のおっちゃん、子孫の一人? がんばってましたね。
>
> 大将
大将さ〜ん、すごい!\(^o^)/
親日の理由を以前から御存じだったとは〜♪
トルコ人の方が聞いたら、きっと喜ばれ、ますます親日になってい只けるでしょうね〜\(^o^)/
アイスクリーム屋のおっちゃん、子孫の一人かどうか知りませんが、お土産屋さんもやっていました。
で、現在、トルコ記念館を含め、周辺道路も工事中で、観光客も少なく、商売あがったりでチョッと元気なかったです、ハイ。。。
いつも、嬉しいコメントありがとうございます!
ではでは、また楽しい旅を〜♪
多良
-
- haidiさん 2014/11/19 18:46:36
- トルコ!
- 多良さん、いつも訪問ありがとうございます!
私も、トルコと日本のこと、トルコ航空の話を聞いていました。
ほんと、トルコ航空のお話は涙が出ますね。
先の方も書かれていらっしゃいますが、
2006年に1年ほどトルコに滞在していた時の10月に
私がMIXI日記に書いていた内容です。
旅行記を拝見して若干数が違っているようですが、
参考までに読んでいただければと思いました。
「29日、24時で時間を1時間戻しました。
これから急に夕暮れが早くなります〜昨年のさびしいウンブリアの山の中を思い出します・・・・
で、トルコ共和国宣言記念日でもあります。
一昨日の夜、テレビのフィルムで「ラストサムライ」が放送されました。
昨日の晩、記念日前夜とのこともあり1920年代当時のトルコとオーストリアの戦争のドキメントの放送あり。
と、テレビの画面右上にトルコ国旗とアタトゥルクの顔が出ていました〜バイラム(祝日)の意味を表している〜トルコらしいと思いました。
トルコ建国の父と言われ初代大統領。今のトルコをまとめた人だそうです、今のトルコ語もそうです。
トルコは至る所にアタトゥルクの像、写真、そして名前も使われています。
戦前の日本で天皇の写真を飾っていたように・・・
小学校の教科書の初めはまず国旗とアタトゥルクの顔です。
トルコに来た当初ある文章でトルコと日本そしてアタトゥルクのつながりを知りました。
1890年日本を訪問したトルコ軍艦が熊野灘で台風で遭難。乗員600人余り死亡、生き残り岸にたどり着いた乗員は地元、大島の人々に助けられる。明治天皇は日本軍の最新鋭戦艦「比叡」「金剛」軍艦で生存者68名をトルコへ送る。
山田寅次郎という青年が遺族の為に義援金を集めトルコへ同行。オスマン帝国皇帝アブドゥル・ハミド2世に提出。
皇帝はその義援金で山田に日本学校の設立を希望、山田はトルコに残りトルコの陸海軍の士官になり日本語、日本精神文化について教える士官学校の教師になった。
アタトュルクは当時の山田の教え子であった。
こんな歴史があったのです。
トルコが親日感を抱いているのは目に見えないこんな先祖の繋がりがあったのだと。。。
トルコ人にとってアタトゥルクは大きな存在です。
が、またその裏には恐ろしく権力を持った人だったと感じました。」
すっかりトルコとご無沙汰してしまっていますが・・・
沢山の温かい思い出です。
トルコ旅行記も続きがあったのにすっかりブランクになってしまいました。
(汗)・・・
- 多良さん からの返信 2014/11/20 10:33:36
- 義理と人情のこの世の世界〜♪
haidiさんコメント&参考文、本当に本当にありがとうございました!<(_ _)>
いや〜知らなかったです、アタテュルクさんの話!
漠然とトルコの「王様」だと思っていました。
そして、山田寅次郎さんの話!
トルコの駐日大使みたいな重要な立場の方だったんですね〜。
んで、ワタシもウィキペディアで調べさせていただきました。
茶道の家元で1957年にお亡くなりに。ナント!90歳まで生きられたとか^^。
いやはや、トルコと日本、映画化されても全然おかしくない話ですね〜\(^o^)/
偶然の通りがかりの「観光客」だったワタシですが、今回この記事で多くの事を学ばせていただきました。
南紀の狭っ苦しい路地を運転して行った甲斐がありました(笑)
・・・っていうか、haidiさん、なんでまた1年もトルコに?(汗)
多良
-
- mochanさん 2014/11/17 17:53:37
- 串本!!
- 串本を橋杭岩をほぼ無視した目線で紹介されるとは素晴らしい!
愉快痛快です☆
これからの旅の紹介も楽しみにしています♪
- 多良さん からの返信 2014/11/17 20:14:29
- 「トルコ」で泣いちゃいました(^_^;)
- mochanさ〜ん、コメントありがとうございました。
いつも『あいのり旅行記』楽しく読ませていただいています^^。
「橋杭岩」無視してスミマセン^^
あ、そう言えば「白浜」も「パンダ」も無視しちゃいました。
重ねてお詫びを〜(^_^;)
隠された「歴史」?を知ることが出来て、超〜満足な南紀旅行でした^^。
では、また、楽しい旅を〜〜〜♪
多良
-
- konomiさん 2014/11/16 13:12:39
- 日本人216名を救ったトルコ航空機
- いやいや、このお話、読んでいて涙がこぼれそうになりましたよ。
なんて人情厚いんだろう〜〜。
こんな昔のことをおぼえてくれて、恩返ししてくれたとは・・。
感激しました。
エルトゥールル号で遭難した遺族の方々に募金を募って届けた日本人、山田寅二郎さんのお話をTVの番組でやっていたのを思い出しました。
そういえば、トルコでは、日本人?中国人?と尋ねられて、日本人だと答えると、表情が和やかになったことがしばしばありました。
こういう下地があったからなんですね。
- 多良さん からの返信 2014/11/16 15:18:26
- 行って良かったっと思うマイナー観光地(汗)
- konomiさ〜ん!超超〜嬉しいコメントをありがとうございました〜<m(__)m>
しかも、詳しく旅行記を読んでいただき、本当にありがとうございました。
konomiさんの世界一周旅行記を以前読ませていただき、確かギリシャから上陸してトルコにチョイの間いらっしゃったのを思い出しました(^_^;)。
だから、トルコでの出来事は本物の「実感」ですね〜♪
トルコへ行ったことが無いワタシですが、旅行記を書くにあたり、色々と調べていましたら、『日本人216名を救ったトルコ航空機』の事を初めて知りました。
元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏のお話を読んで、ワタシの場合、正直、PCの前で泣いちゃいました〜(*_*;
世界遺産もいいですが、こういう人と人との繋がりを感じることができる小旅行もまた素敵だなぁ〜っと思っています^^。
ではでは、また楽しい旅日記、読ませてもらいに行きますね〜♪
konomiさんのように世界一周が出来ればどんなにか幸せだろうと思う「貧乏ヒマなし」な 多良
-
- 横浜臨海公園さん 2014/11/14 15:40:30
- トルコと日本
- 多良さま、こんにちは。
旅行記を篤と拝見させて頂きました。
和歌山県潮岬沖には、トルコ軍艦遭難に関する歴史が存在しております。
因みに、救助者は日本海軍のコルヴェット艦に便乗し、トルコ帝國に送還されましたが、該艦艇艦長は薩摩藩出身の日高壮之丞でコンスタンチンオープル到着後、一艦長の身でありながらトルコ皇帝謁見が許され、当時のヨーロッパでは破天荒な事態を経験されます。後に、日露戦争勃発直前まで、日高は連合艦隊司令長官間違い無しと自他共に認められた存在でしたが、当時の海軍大臣 山本権兵衛から解任され舞鶴鎮守府長官となり最終的には海軍大将になり
代わりに連合艦隊司令長官に東郷平八郎が就任し数々の海戦で勝利を得ましまた。
また、トルコは第一次世界大戦では枢軸国側として我が国とは敵対関係になりましたが、第二次世界大戦では中立国だった事から、イスタンブールに我が国の公使館が戦争終結まで設置され、欧州各国対日本間中継として外交管などの経路地となり、情報収集の地となっておりました。
横浜臨海公園
- 多良さん からの返信 2014/11/15 09:35:16
- 島国ならではの温かい配慮だったのでしょうか?それとも深い計算のうえでの・・・(^_^;)
- 横浜臨海公園さん、大変貴重なお話をいただきありがとうございました。
お話の中の日本海軍のコルヴェット艦、「比叡」と「金剛」という船名だそうですね。
今BSで放送しているNHKドラマ「坂の上の雲」に出てくる『秋山真之さん』ら海兵17期生が少尉候補生として乗り組んでいたそうですね〜♪
なので、ある意味、なんだか余計にこの出来事が身近に感じます。
いや〜和歌山県、細かいところまで足を延ばすと、ホント、面白いです。
ではでは、また楽しい旅を〜♪
多良
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