2014/10/26 - 2014/11/10
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eimeiさん
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不本意ではあるが、エジプトへバイクを持って渡る方法が見つからなかったので、バックパッカーとして東アフリカを旅することにした。バイクは、レッドバロンに代金を払い、来年の夏まで預かってもらうことにした。
予定では、ブタペスト (飛行機) →カイロ→ルクソール(飛行機)→ケニア→タンザニア→ザンビア→ジンバブエ→ボツワナ→ナミビア→南アフリカの予定。スーダンとエチオピアは交通の便がよくないし、ビザ取りが大変な上、行きたい場所がないので、パス。期間は2〜3ヵ月を予定している。
サハラ以南のアフリカの国々は、貧しい国が多いと言われているが、実際どうだうか?エイズの関係で平均寿命が40歳以下の国もある。
ただ唯一の心配事は、西アフリカで猛威をふるっているエボラ。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 自転車 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エジプト航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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エジプトといえば、「ピラミッド」、「クレオパトラ」など、過去のことばかりが有名だが、現在のエジプトの一部を見てみたい。6年前に一度訪れたエジプトだが、どう変わっているか比べてみたい。4年前、チュニジュアから始まった「アラブの春」は、多くの犠牲を払いながらもうまくいっていない。
エジプトではムバラク政権の崩壊後、大統領に就任したモルシ氏は、イスラム色の強い非民主的な憲法草案を打ち出したことで国民が反発。今度は逆に、軍部がクーデターを起こし、モルシ派を一掃するとともに民主主義者も弾圧し、現在、軍事独裁政権に逆戻りするという皮肉な結果になっている。
カイロ滞在のとき、ツァーで白砂漠・黒砂漠へ行く予定。本当は、バイクで行きたかったが……。
ルクソールでは、観光業の現状を見ながら、マッタリしたい。 -
10月26日朝、トルコへ飛ぶ若者とタクシーをシェアして、ブタペスト国際空港へ行った。空港で時間をつぶし、午後のエジプト航空の便でカイロへ向かった。予定通り、カイロ国際空港へ着いた。
空港の銀行で25$のビザシールを買い、パスポートにペッタンコ。無事、エジプトへ入国。 -
4泊する「ホステルLUNA」の無料送迎の車でホステルへ到着。ビルの5階にあるが、古いエレベーターが使える。ドミトリーは無く、個室が中心で、1泊11$の朝食付きの共同バス・トイレの個室を予約したが、追加料金なしで、バス・トイレ付の部屋にしてくれた。観光客が以前の状態に戻っていないかもしれない。しかし、エアコンもあり、なかなか快適。「地球の歩き方」にも載っている。
写真は翌朝のもので、黄色の看板が目印。 -
日曜の夜だが、夕食がてら街を歩いてみたが、前日にシナイ半島で襲撃戦があったとは思われない賑やかさ。
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10月27日、日本人宿「ベニス細川ホステル」へ行って、30日〜31日の1泊2日の砂漠ツアー(白砂漠・黒砂漠)を75$で申し込んだ。宿泊は砂漠でテント泊で、トイレはないので砂漠で野○○○。
この日本人宿へ後日移る予定でいたが、ビルの5階にあり、エレベーターが故障していて、上り下りが大変なので諦めた。
それと、この日本人宿を出たところには、写真のように果物の屋台が何件もあり、環境的にも今一歩。
その足で、カイロ駅へ行き、11月2日のルクソール行きの一等切符を買おうとしたら、売ってくれなかった。外国からの観光客は、100ドルもする寝台列車しか切符を売らないようだ。従って、長距離夜行バスに変更。バスがだめなら飛行機。 -
その後、地下鉄を使って、タフリール広場へ行った。今は何の変哲のないローターリーだが。
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考古学博物館の方面のタフリール広場は、現在工事中で立ち入り禁止。
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4年前、このような状態だった。あの熱はどこへ行ってしまったのだろうか?
今はこんな集会は、法律的にも、民衆の意識的にも、不可能だろう。
その代償が、今のエジプトにどのように表れているのだろうか? -
タフリール広場近くの壁に描かれた壁画の一部。
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さらに街を散策していると、政府関係の建物と思われるが、このような状態。爆弾テロ用の防御塀の後ろには装甲車が警備している。ただし、この写真は望遠で隠し撮り。
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リビアエアラインの事務所が家宅捜索され、封鎖状態。これも望遠で隠し撮り。街を少し散策するだけで、緊張状態にあることが分かる。日本人宿の人に聞いたら、「カイロの治安はほとんど問題ない」と言っていたが……。
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ハンガリーと違って、カイロには野良ネコがたくさんいて、「岩合光昭の世界ネコ歩き」状態。
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親子のペア。猫は平和でいいね。
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宿への帰りにエジプト名物「コシャリ」テイクアウトした。7ポンド(100円)。
明日は、6年前にも訪れたピラミッドへ行く予定。 -
10月28日、考古学博物館前からピラミッド行きのバスに乗っていった。入場料80ポンド(1200円)払い入場。後ろに見えるのは、クフ王のピラミッド。入場後、入場券の半券を係員のふりをして取り上げようとする者がいたが、偽係員と思われる。半券がないと、スフィンクスのところに入れない。
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外国人の観光客は6年前より少ないが、エジプト人は沢山来ていた。
悪名高い客引きをすべて振り切り、スフィンクスへ向かった。髭は大英博物館にある。 -
夜に、スフィンクス・ピラミッドの光と音のショーを見る観客席より。
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半券を見せ、スフィンクスのところへ入場し、撮った写真があまりにも有名な構図。他の観光客は、ピラミッドをつまむポーズなどをして記念撮影をしていた。
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一番小さいメンカウラー王のピラミッド近くより、カフラー王のピラミッドを望む。なかなか美しい。気温も少し汗ばむ程度。
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一番奥のパノラマポイントよりギザの三つピラミッドを望む。後ろにはギザの街並みが見える。
ギザのピラミッドは、世界七不思議のひとつとされているが、4500年も前のものが、こんなに完璧に残っていること自体、奇跡。現在の普通のエジプト人を見ている限り、「本当に今のエジプト人の祖先が造ったの?」と思ってしまう。
歴史的に見て、イスラム教がエジプトを支配してから、科学技術などが停滞してしまったように思われる。社会基盤、生活基盤まで宗教が入り込み、その規範から飛び出し、新しいことにチャレンジする者がいなくなったと思われる。それは現在も続いている。新しいことにチャレンジしたいと思えば、国外へ出るしかない。その現状を変えようとしたのが、「アラブの春」だが、社会基盤、生活基盤まで変えることができず、その代償だけが大きく残った。
政教分離のトルコ、「宗教とビジネスは別」のドバイ・カタールは、成功している。 -
ラクダには乗らなかったが、カフラー王のピラミッドを背景にラクダを撮ってみた。
すべて歩いて回ったので、足が棒のようになった。久しぶりに、こんなに歩いた。 -
歩いている途中で、スマホを持っているのに「写真を撮ってくれ」と言ってきた若者3人組。エジプトの普通の若者といった感じ。
帰りは、タフリール広場へのバスがなかなか来ないので、ギザの地下鉄駅まで小型バスで行き、地下鉄で宿へ帰った。
明日は、考古学博物館とバスターミナルへ行く予定。 -
10月29日、まず歩いて一番近いバスターミナルへ行った。行ってみたら6年前にも使ったバスターミナルであった。11月2日の夜9時発のルクソール行きの夜行バスの切符が100ポンド(1500円)で買えた。
何人もの若い兵士が、赤い紙(バスチケットと交換できる用紙)でバスチケットをもらっていた。 -
買った後、出発ゲートを確認しに奥へ行ったら、この有様。6年前は出来たばかりで、一部工事をしていたが、テナントが入っても、採算が合わず、すぐ撤退したものと思われる。
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次に、考古学博物館へ向かって歩いていたが、平日の昼間にも関わらず、お茶を飲んでいる者、麻雀のようなゲームをしている者、水煙草を吸っている者などの溜まり場。人口の割に仕事が少ないので、暇そうにしている男が多い。
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やっと、考古学博物館へ到着し、チケット売り場へ行ったら、75ポンド(1200円)もするし、6年前にじっくり見学したので、パスした。庭で記念撮影のみ。
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どの道路も両側が駐車場状態なので、一方通行ばかりで、道路の真中を車は走っている。街が古いのと車の急激な増加でどうにもならない状態。また、信号が全くないので、歩行者を含め、交通ルールがないカオス状態。それでも大きな交通事故はないようなので、これでもいいか?
ちなみに、ガソリンはリッター50円ほど。 -
一昨日の続きで、別のリビアエアラインの事務所へエジプト人が押し掛けているところをテレビスタッフがインタビューしながら撮影していた。エジプトの相当数の若者が、リビアへ出稼ぎに行っているので、そのことが関わっているようだ。
また、シリア・イラクで活動している「イスラム国」がリビアでも活動し始め、エジプト国内にも影響が出てきているようだ。
今のエジプトは、国内からはイスラム原理主義の組織、国外からははイスラム国の脅威にさらされているようだ。国内の民主化どころでないかも? -
壁画を二つ見つけたので。紹介。
教会の塀に描かれた壁画。一部、消された跡がある。 -
もう1枚は、考古学博物館近くの塀に描かれた壁画。
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エジプトの煙草のパッケージは、6年前と同様、強烈。JTも真似すればいいのに!
それでも男性の喫煙率は、日本より相当高い。女性の喫煙者はほとんど見かけない。
値段は外国ブランドで25ポンド(380円)ほどし、国内ブランドだともっと安い。 -
最後は、やはり猫。教会前にいた猫ちゃんたち。
明日から、1泊2日の砂漠ツアー(白砂漠・黒砂漠)へ出かけます。 -
10月30日早朝、チェックアウトし、余分な荷物を預け、日本人宿「ベニス細川ホステル」へ行った。相変わらずエレベーターは故障中なので、5階までの階段が老体には堪える。日本人宿の人の案内で、昨日行ったバスターミナル内のバスの席まで案内され、行きのバスチケットを渡された。
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途中でトイレ休憩した際、バスをよく見たら、韓国製の中古バス。エアコンは効くので多少壊れていても問題ない。ただ、満員のバスで5時間の移動はきつい。
日本人宿からのツアー客は私1人だが、若い日本人男性、若い韓国人女性、西欧人が数人乗っていた。他はすべてエジプト人の一般客。 -
カイロ郊外では、一般大衆向けのアパートをバンバン建てていた。道路の反対側には、塀に囲まれた「グリーンバレー」という高級住宅街がある。その近くには、大きなショッピングモールが建設中。
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更に走ると砂漠になり、このような風景が延々と続く。道路沿いには電波塔が立っており、携帯電話はバスの中でも使える。軍の検問所が何箇所かあったが、チェックなし。5時間後、オアシス(単なる砂漠の中の小さな町)に着いた。
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ツァー客は係員の指示で、車に分乗し、私と韓国人女性とフランス人親子(母と子)が同じ 車(ランクル)になった。遅い昼食をとり、ガイド2名と計6人で砂漠ツアーに出発。
風で砂が道路上を流れていても4WDのランクルなら全く問題ない。 -
1時間ほどして、地面に白いものが見えるようになり、白砂漠に着いたようだ。
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見えてきたぞ!なかなかよいではないか。
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石灰岩が風と砂で削られたとは思われない造形美。
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この程度のものは、いっぱいある。ただ、日が傾きすぎて、上手く写真が撮れない。
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フランス人親子も夢中で記念撮影。韓国の若いねえちゃんはセルカ棒で自分撮り。
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一番大きなもの。高さは5mほどある。左下の物がニワトリに見える。
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少し離れて逆光で撮ってみた。ニワトリに見えるかな?
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白砂漠から砂漠の夕日を撮ってみた。
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この古いランクル(80型)でもよく走る。16万キロも走っているのに、軋み音もしない。
《本当は、バイクで来て、ここでキャンプする予定だったのに!》 -
日が暮れ、幹線道路に戻り、少し走ったと思ったら、砂漠の道なき道へランクルは入っていく。周りは真っ暗で何も見えない。どこへ連れて行かれるだろうか?全く何もないところで止まり、「ここでキャンプをする」という。少し手伝って設営し、夕食の準備をしているところ。
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午後9時、夕食の準備ができ、「いただきまーす」。予想していたより豪華で美味しい。
寝袋と毛布が配られ、満天の星を見ながら、おやすみなさーい。 -
10月31日早朝、高台に登って、日の出を撮ってみた。
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こんな所にキャンプしていたと初めて知った。
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もっと離れてみると、何もない、誰もいない所。
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質素な朝食をとり、シベリア以来の野○○○に出かけた。少し離れれば、誰もいないので、野○○○し放題。そこから自分の影を入れ、撮ってみた。
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その後、キャンプを撤収し、黒砂漠へ向かった。黒砂漠に着いたら、ガイドは「岩山へ登れ」という。
韓国のねえちゃんは頂上まで登ったが、フランスの親子は中腹まで、私は麓から少し上の所まででダウン。写真は降りてくる時。 -
黒砂漠の一部。山の表面が風化して黒くなったので黒砂漠?
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別の角度で幹線道路の方を撮ってみた。黒砂漠の中を幹線道路が走っており、現在、拡張工事をしている。
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次に、サンドスキー(サンドボード)をするために、砂の砂丘に出かけた。当然、砂まるけになるのは嫌なので、ランクルの近くで傍観。こんな砂ばかりの砂丘(低い場所)を走破できるランクルの走破能力に驚いた。
これなら、中古のランクルを日本で買い、シベリア・中央アジアを走ってみたいな! -
最後に、ツァー客3人とガイドの1人を望遠で撮ってみた。この後、オアシスへ戻り、握手をして別れた。私1人バスに乗り、午後4時頃カイロに着いた。しかし、バスから降ろされた場所が、バスターミナルでなく、ギザ近くの路上。仕方なく、地下鉄まで歩き、5時過ぎにLUNAに到着。
明日は、カイロ市内をブラブラする予定。 -
11月1日、昨日までの衣類の洗濯をしたりしていたら、昼近くになってしまい、動物園にでも行こうと思ってホテルを出た。ナイル川の橋のモニュメントとカイロタワー。
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ナイル川。水はそんなにきれいではない。両岸には高層ビルが並んでいる。今日は土曜日でアベックもナイル川を見ながら、語らっていた。
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地下鉄に乗り、動物園に行ったら、エジプト人の四倍も入場料を取るので、頭にきて、入場しなかった。
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動物園のすぐ隣にあるカイロ大学は、4年前の民主化運動の拠点であったが、今は見る影もなく、学生が大学構内に入るのに、正門横に男女別に並び、軍人に学生証を見せて、チェックを受けてから校内へ入っていた。
遠くからカイロ大学の正門を撮ったら、私服警察官が来て、職務質問とカメラのチェックを受けたが、画像は消されなかった。
2014年4月と10月に、カイロ大学の正門前で爆発事件があり、死傷者が少し出た。この2件の事件に関しては、「エジプトの兵士たち」と称する過激派が犯行声明を出したが、どうも軍の自作自演の可能性が高い。
国内の反対勢力のうち、民主化勢力はカイロ大学を抑えれば済むからだ。
戦前の日本のような軍・警察国家になりつつあると感じた。ただ、観光産業があるので、軍・警察も外国人には寛容に対応しているようだ。 -
職務質問にも懲りず、陸橋から大学構内を盗撮。何の変哲のない大学内風景であった。
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ホテルへの帰りの地下鉄で、よく見ると吊皮がすべてない。パイプはあるが、高い所にあるので、子供や女性は届かない。初期の車両で「近畿車両」製で、電気関係は「東芝」製。まだ少ないが、新しい車両にはすべて吊皮が付いている。「近畿車両」の方、中古品でもいいので吊皮をエジプトのメトロ会社へ送ってやってください。私も「近畿車両」にメールするつもりです。
また、メトロの運賃は1回1ポンドなので、コイン1枚で済む。大人が窓口で売っているので、いつも窓口は大混乱。自動販売機を数台置けば混乱もなくなるが、それは先進国の人の考え方? -
地下鉄駅から上がり、幹線道路から少し路地に入ったら、こんな状態ばかり。いらなくなったその場でゴミをポイポイ捨てる人が相当数いるので、店のある大通り以外はこのような状態になってしまう。ゴミ箱は、街路灯にくくり付けてあり、毎日、回収している。意識ある人は「奴らはどうしようもない」と言い放つだけ。しかし、それを数年で乗り越えた国がある。オリンピック候補地としては東京に負けたが、それは、○○コ。
成功した理由は、女性教育の成果だと私は思っている。 -
毎日2回はアイスクリームを食べに行っているお菓子・アイスクリーム屋で、女性客が多い。私がカイロで見る限り、女性のスカーフ着用率は90%以上。スカーフしていない女性は、ほとんどムスリム以外の女性。6年前よりスカーフ着用率は上がっている。保守化している証拠?
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やはり、最後の〆は猫。岩合さんのように、猫を見たらシャッターを押しまくっている私。
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もう一匹子猫を紹介。
明日は、昼まで荷造りなどをし、夜行バスでルクソールへ移動する予定。 -
11月2日、昼まで荷造りなどをし、昼にチェックアウトし、荷物を預け、買物や日本人宿へお礼に行ったりして、時間を潰した。
夕方、バスターミナルまで歩いて行き、3時間ばかり待ち、ルクソールへ向かった。バスは、中国製の新車。 -
バス内は、定員の半分ほどしか乗客はおらず、海外からの観光客は私1人。
中国製バスの乗り心地・室内設備の向上ぶりに驚いた。これなら、発展途上国では、中国製バスで充分。照明もLEDだし、椅子の造りもしっかりしている。トラック・建設機械と同様に、バスも中国製の性能が上がり、日本製・韓国製・ヨーロッパ製の必要性が薄れてきている。発展途上国では、数年のうちに、低価格乗用車も中国製になっていくだろう。中国も造る製品を変化させていかないと、生きる道が残されていない。それは、日本・韓国・台湾が通ってきた道でもある。 -
11月3日、朝5時ルクソールの辺鄙なところでバスを降ろされた。駅まで2キロもあるので、タクシーで渡し船乗り場まで行った。西川岸では、バルーンが上がっていたが、2個しか見かけなかった。6年前は、もっと沢山見かけたが。
そういえば、2年前に墜落事故を起こし、日本人にも4人犠牲者が出た。
今は、1人100$程で乗れるらしいが、それでも私には無縁。 -
渡し船でナイル河の西川岸へ渡ったら、朝日が出てきた。
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ホテルはBooking.comで3泊予約した「アルハンブラホテル」。なかなかよいではないか。朝食付きで1泊16$。西川岸なので、周りは民家しかなく、静か。
向かいに「クレオパトラホテル」がある。 -
施設は新しく、日本女性でも不満が出ないレベルで、エアコン・バスタブ・トイレ・ベランダ付のホテル。しかし、40部屋あるのに、今日は5部屋しか埋まっていないという。最近はこんな状態だという。余りにかわいそうになって、更に、5泊することにした。
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値段が安いので、中庭側の部屋ではなく、外側の部屋。隣の家には、モー君、アヒルさん、ニワトリさんが飼われている。ホテル側とは別世界。朝は「コケコッコー」、「モー」で起こされそう。
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睡眠不足なので、仮眠をとり、午後、ナイル川を渡り、東川岸へ行った。渡し船は2階建で、1回1ポンド(15円)で、頻繁に出発し、5分ほどで着く。
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渡し船が着くのが、ルクソール神殿の裏側なので、表へ回って、有名なマックへ行った。ここのマックは三階に特等席があり、その関係で注文の際、席料として4ポンドとられる。しかし、三階の特等席どころか、三階に誰もいない。6年前は、三階の特等席がなかなか空かなかったのに。三階の特等席でビックックセットを食べながら、写真撮り放題。
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マックの三階から撮ったルクソール神殿。観光客をたまに見かけるだけで、かわいそうになるぐらい観光客がいない。治安は、田舎町なので、カイロより良いと思われる。ただ、ルクソールは観光しか産業がないので、観光客が少ない分、馬車・遊覧船・タクシーの呼び込みがしつこい。しかし、当事者にとっては、死活問題だが。
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もたもたしていたら、日が落ちてしまった。少し、街を散策して帰ろうとしたら、ルクソール神殿がライトアップされていた。柵の外から写真を撮っている間も、馬車・遊覧船の呼び込みがしつこい。
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ルクソール神殿の門には2本のオベリスク(表面に絵や文字が彫られた塔)が立っていたが、右側の1本は、半分騙されたような恰好でフランスに持ち去られ、今、パリのコンコルド広場に立っている。
明日は、どこか観光地へレンタル自転車で出かけるつもり。雨の心配は全く不要なのは助かるが、カイロから500キロ以上南へ移動したので、昼間は、気温も高く、日光が強烈。 -
11月4日、西川岸の桟橋近くの店でレンタルサイクルを借りようとしたら、35ポンド(5$)と吹っ掛けてきたので、私が去ろうとしたら、追っかけて来た。私が「15ポンド!(2$)」と言ったら、すんなりOK。
しかし、6年前よりマシだが、ボロ自転車で、ヨルダン製らしい。「自国でマシな自転車も作れないの!」と思ってしまう。自国で作れない部品は、世界中から調達すれば、性能が良く、乗りやすい自転車が安くできることは中国人が証明したのに。相変わらず、他国が作った物を運んできて、使うことしか考えない。従って、輸出できるような製品をいつまでたっても作れないし、メンテナンス意識も育たない。このことは、トルコ・湾岸小国を除いたイスラム圏全般にいえる。 -
両替がてら、大型ホテルが何件もある東川岸の西の方に、自転車で行ってみた。何百室もある大型ホテルが何件もあるのに、観光客がほとんどいない。その近くで両替をしたが、両替所の人が「客室の稼働率は、よくて2〜3割程度ではないか」と言っていた。
昼近くになったので、両替所の近くのケンタッキーへ入ったが、食事の間、エジプト人のお客3人しか来店しなかった。ケンタッキーを出て、自転車の鍵を外していたら、馬車の若いにいちゃん2人が、「馬がハングリーなのでエサ代2$めぐんでくれ!」と何度も言ってくるではないか。私が「ポリス呼ぶぞ!」と叫んだら、ケンタッキーの人が外へ出てきたので、馬車に乗って去って行った。しかし、嘘半分としても、そこまで追い込まれている現状がここルクソールにはある。
ルクソールの治安は、田舎の上、ポリスが街中にいるので、カイロより良いぐらい。警官もカイロほどピリピリしていなく、観光客に話しかけてくるほど、のんびりしている。 -
ナイル川沿いには、遊歩道がきれいに整備されているが、観光客の姿はゼロ。
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ナイル川には、プール付の大型ナイルクルーズ船(ルクソール←→アスワン)が40〜50隻ほど停泊したままになっている。後で、ホテルの人に聞いたら、「ヨーロッパから客が来なくなり、ナイルクルーズは商売にならない」と言っていた。従って、アスワンも観光産業は壊滅的だろう。
このように追い詰められた状態になっても、観光業に携わる人々が協力して何とかしようという雰囲気も感じられない。皆、個々に「どうにもならない」と嘆いているだけだ。
活動的な中国人の「嘆いている暇があったら、先のことを考え、すぐ行動する」精神を見習ってもらいたいものだ。
そんなことを考えていたら、カルナック神殿へ行く時間がなくなってしまった。 -
ルクソールは雨が降ることはほとんどなく、天気予報を見る必要がないくらい毎日晴れ。前日に着た衣類をシャワーの際、バスタブで洗い、ベランダに干しておけば、朝までに乾いてしまう。
明日も自転車を借り、どれか1つ観光施設に入場したい。 -
11月5日、深夜、日本からの電話で起こされ、寝不足気味。
しかし、10時過ぎ、レンタサイクルを借りて、片道3Kmほどある王家の谷の一角にあるハトシェプスト女王葬祭殿へ向かった。
遠くに見えるはげ山が、王家の谷があるところ。その手前は畑で、トウモロコシ、サトウキビなどが栽培されている。 -
途中にあるメムノンの巨像に寄り、一休み。
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王家の谷が見えてきた。王家の谷は、ツタンカーメンの墓で有名だが、重要なものはカイロの考古学博物館へ持っていかれている。穴倉見学してもしょうがないのでパス。
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王家の谷の前で、何か復元しているようだ。また、その近くでは発掘調査も行われている。何か失業対策事業のような感じがする。
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やっと、ハトシェプスト女王葬祭殿に着いた。ルクソールでもイチニを争う観光地なので、観光バスも何台か来ていた。入場料は750円程度。
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内部には見るべきものはないが、建築物およびその立地条件が素晴らしく、余りにも完璧すぎる。
ピラミッド同様に、このハトシェプスト女王葬祭殿を見ても、「本当に、今のエジプト人の祖先が造ったの?」と思ってしまうほど完璧。 -
もっと近づいても、シンメトリーな完璧さは失われない。
しかし、1997年にイスラム原理主義過激派によって、外国人観光客に対して無差別殺傷テロがあった。日本人10名を含む外国人観光客61名が殺害された悲しい歴史がある。 -
一応、柱のところに像があるが、お飾り程度。皆、手をクロスして記念撮影をしていた。当然、私も。
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一番奥は、こんな程度で、見るべきものは、何もない。
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一番上の段から駐車場の方を望むとこんな感じ。入場してから、アスファルトの部分は、トロッコ車が無料送迎してくれる。
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ハトシェプスト女王葬祭殿近くの道路沿いに、土産物屋兼工房があるが、ただでさえ少ない観光客が、バスで来て、バスで帰ってしまうので、開店休業状態。
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一旦、ホテルへ帰り、休憩した後、夕食がてら夕日を撮りに、東川岸へ自転車で行った。コシャリを食べながら夕日を撮っていたら、台湾の若者2人が話しかけてきた。ヨーロッパに留学しており、休みを利用して、エジプトへ10日間の旅行へ来ているとのこと。まだ、5時過ぎだが、日が暮れてしまうので、慌てて渡し船に乗り、自転車を返却し、ホテルへ帰った。
明日の予定は未定。 -
11月6日、昼過ぎまで、ブログの整理などし、その後、カップ麺の昼食。運動不足なので、歩いてホテルから出かけた。ホテルの外には、民家ばかりで、馬、ロバ、牛、ニワトリ、アヒルなどが飼われている。豚は、ムスリムが多いので、飼われていない。私が路地を歩いていたら、ロバ君が道端にいたので、ナデナデしてあげた。痩せているので、餌がほしかったのかな?
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西川岸のバイク置場は、中国製のバイクばかり。ほとんどが150cc前後のバイク。多少スタイリッシュな200ccバイクもあったが、インドのBAJAJ製。
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インド製のオート・リクシャーも、タクシーより安い乗り物として使われている。ミニバスはトヨタのハイエースがよく使われている。
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珍しく、ナイルクルーズ船がアスワン方面へ上って行った。しかし、船上に人影をほとんど見かけなかった。
本当にナイルクルーズに行ったのかは疑問。 -
渡し船で東川岸へ渡り、街を散策し、ルクソール駅に到着。また、子供の数は2〜3人が多い。
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エジプトには、教会もそこそこあり、キリスト教徒はその大多数がコプト正教会を信仰している。女性の信者はスカーフをしていない。
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更に歩いていたら、魚(川魚)屋に猫がいついており、おこぼれにむしゃぶりついていた。
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塀の上にいた猫。この不細工さがたまらん。しかし、すぐ逃げられた。
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夕方、昨日同様、ナイル川に沈む夕日を見ながら、コシャリ+ファンタの夕食。コシャリにはファンタがよく合うんだわな。
街を歩いている観光客が皆無だから、午後の3時間ほどの散策で、馬車、タクシー、ボート、土産物屋などに数え切れないほど声をかけられた。
あと残り4日もこんな感じで過ぎていく。 -
11月8日、ナイロビからケープタウンまでのコースを検討していたら、昼過ぎになってしまった。
午後3時過ぎに、東川岸のマックへ食事に出かけた。今日は金曜日でお休みのためか、多少混んでいた。
マックで働いているのは全員男。3階の窓から広場を見ても、働いているのは全て男。それでも、仕事がないので、先進国では仕事にならないことまで仕事にして、男が働いている。《ただし、先進国にも「こんな仕事必要なの?」と思う仕事は沢山あるが》
特に、イスラム圏の国々(トルコ・ドバイなどは除く)では、世界に通用する製造業やサービス業を育てることができなかったので、女性が本格的に働くと、男の失業者が増え、社会不安になってしまう。それで、宗教にかこつけて、女性の教育や仕事を制限し、本格的に働けないようにしている。それに真っ向から対決しているのが、ノーベル平和賞をもらったパキスタンのマララ。イスラム圏の男どもも、自分たちの仕事や生活が関わってくるので、簡単には引かない。ノーベル平和賞をもらったものの、マララの前途も多難だろう。
いろいろ考えさせてくれるエジプトだ。 -
11月9日の午前中、ナイロビからケープタウンへのコース及び日程の検討をしていた。12月下旬に、ケープタウンへ余裕で着けそうだ。しかし、東アフリカは宿泊代・交通費など全てが高く、東欧・エジプトの方が安いぐらい。
今日の午後、カタール航空へチケットの確認と残金をドルに再両替しに東川岸へ行った。
学校の塀に描かれた壁画が気になったので、2枚写真を撮った。
1枚目は、いかにもエジプト的な絵。 -
2枚目は、イスラム的な絵だが、これを解説できるほどの知識を持ち合わせていない。
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建設が止まったままのホテル。近くにもうひとつ建設が止まったままのホテルがあった。現状では、完成してもお客が来ないので、建設中止も仕方ない。
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ナイル川沿いの土産物通りは、日曜日にも関わらず、観光客がほとんど通らず、8割以上の店が閉っている。
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エジプト最後の猫になるかな?
明後日の午前中の便でナイロビへ飛ぶので、明日はエジプト最後の日だが、買物・荷造り・調べものをしていると1日過ぎてしまうような感じがする。 -
11月10日、荷物の整理や調べものをしていたら昼過ぎになってしまった。昼食兼夕食と買物をしに東川岸へ出かけたら、アスワン方面から一隻クルーズ船が下ってきた。乗客がパラパラ乗っている程度。
8泊もしてしまったルクソールから、明日、やっとケニアのナイロビへ移動。呼び込みの誘いがしつこいが、ルクソールの治安は、全く問題なかった。エジプトの観光産業は、「アラブの春」以降、かわいそうなぐらい大打撃を受けていた。特に、ルクソール(多分、アスワンも)の打撃が大きい。
それと、エジプトで、ヨーロッパからのライダーを全く見かけなかった。好奇心・冒険心旺盛なヨーロッパの二輪・四輪ライダーがエジプトへ来ていないということは、ヨーロッパからエジプトへ渡るすべてのコースが閉ざされている証拠。道理で、いくら探してもバイクでエジプトへ渡る方法が見つからなかったはずだ。
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