2014/10/17 - 2014/10/19
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ka-keikoさん
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島根県の石見銀山へ(2007年7月にユネスコの世界遺産に登録された)。
高速道路の尾道松江線が開通していると思ったら 世羅ICで終わっていて 吉舎ICまでは184号線を北上。
吉舎ICから出雲ICまでは高速道路。
高速道路が一部無料なので安く行けた(開通は来年の3月末との事)
銀山では 世界遺産センターに駐車して、遊歩道を登り、仙ノ山展望台から銀山集落跡経由で 佐毘売山神社へと下り、 龍源寺間歩, 福神山間歩、清水寺、清水谷製錬所跡などを見学し展望台経由で世界遺産センターに戻った。
石見銀山の後は 物部神社に立ち寄り1日目は終了。
2日目は鬼の舌震、立久恵峡に立ち寄り松江に泊まり、翌日は松江城近辺を散策後 香川に戻った。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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家を朝6時10分に出発し、瀬戸大橋を走り 福山サービスエリアで休憩(7時30分)。
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10月17日、朝6時45分の瀬戸大橋。
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瀬戸大橋
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道の駅 「キララ多伎」で休憩(10時27分)
その前に 福山サービスエリアと 高速道路の尾道松江道の高野でも「道の駅 たかの」で休憩した。
「道の駅 たかの」は高速道路を下りると すぐに道の駅があるので とても便利だった。
高速道路が無料区間は 何処でも好きな所で出入りでき便利。。 -
石見銀山世界遺産センターに駐車し、遊歩道を仙ノ山展望台へと登った(11時46分 出発)
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遊歩道のあずまやより 三瓶山をバックにパチリ(11時53分)
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檜林を抜けた所に展望台があり、1126mの三瓶山を見ることができ、反対方向には かつて銀山支配の拠点となった山吹城跡も見えた。
展望台に登って(12時8分)写真を撮った後、ここで昼食。 -
展望台から見える山吹城跡
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展望台から見える大森の町並み。
大森の町並みには 武家屋敷や町家、社寺が並ぶ。 -
展望台を12時20分に出発し、仙ノ山線(舗装された道路)を上り(約1.5 Km) 鉱山集落跡へ向かった。
写真は集落地跡で平坦地(13時8分着) -
集落跡の説明
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集落跡は埋められていたが 周囲に間歩も見る事ができた。
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集落地跡より下山して佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)
国指定史跡
鉱山の守り神である金山彦神(かなやまひこのかみ)で、別名では「山神社」(さんじんじゃ)といい、鉱夫や村人からは「山神さん」(さんじんさん)と呼ばれ親しまれていた。
1434年、室町幕府の命によって 周防国(山口県)守護大内氏が現在の島根県益田市から分霊を移し祀ったと伝えられいる。
1818年の大火で焼失したが 翌年には代官所の援助を得て本殿、幣殿、拝殿、神楽殿などが再建され、特に拝殿の重層屋根は天領特有なものとされている。 -
佐毘売山神社(13時52分)
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山から下った側は 龍源寺間歩の出口側になるので 橋を渡って向こう側へ。
正面の建物が高橋家。 -
高橋家
1839年ごろ、当家の高橋富三郎が町年寄山組頭を勤めた事が分かっている。
山組頭は、代官所と鉱山経営者である銀山師たちとの取次などを勤める役職で、
銀山師の中から選ばれた。
建物は通りに面して主屋があり、北側に茶室、南側に離れ座敷を設けている。 -
龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)の中(料金は410円)
間歩(まぶ)とは 銀鉱石を採掘するための坑道。
人ひとりが やっと通れるほどの坑道が何処までも続く。
石見銀山には大小600余り点在。
龍源寺間歩は 1715年に開発された代官所直営の坑道で600mある。 -
龍源寺間歩の中で。
龍源寺間歩は江戸時代前期、大久保間歩(870m)に次ぐ大坑道で、昭和18年まで稼働していたとの事。
堀子(ほりこ)は たがねをハサミで固定し、鎚(つち)でたたき鉱石を掘る。
暗闇・油煙・石塵の中で大変な労働であった。 -
龍源寺間歩の中で。
堀子が鉱石を カマスに入れて背負い運ぶ。
狭い坑道の中を サザエの殻のランプの明かりだけが頼りだった。 -
龍源寺間歩の中で。
落盤防止のための坑木を組むのが留山師(とめやまし)の仕事。
坑道内が崩れるのを防ぐ重要な仕事であった。 -
龍源寺間歩の中で。
深く掘れば水が湧く。
坑内の排水作業部会は 鉱石を掘る事以上に大変な仕事であった。
角樋(かくひ)のポンプ、桶(おけ)を使用した。 -
車の通らない のどかな市道。
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市道沿いにある福髪山間歩(ふくじんやままぶ)
入口から斜坑となり 川の下を横切って延びる特殊な坑道(14時22分)
説明によると---福神山間歩(坑道)は、採掘にあたった山師個人が経営した「自分山」のものだが、一時期、代官川崎市之進(かわさきいちのしん)のころ(1767〜78)には、代官所直営の「御直山」の坑道になった事もあった。
「御直山」は天保15年(1844)には23か所まで増えるが、
「自分山」は、享保14年(1730)に55箇所もあったものが、
天保15年には9箇所となってしまった。
石見銀山には、主な鉱脈が32本あったと伝えられており、
そこから岩盤の亀裂に沿って30cm前後の幅で鉱石を含んだ支脈が延びていた。
この間歩は坑口が3箇所あって、上段の坑は空気抜き坑、下段の2坑は中でつながり、説明板のある道路のした2m程の所を通って銀山川の下をくぐり、後ろにそびえる銀山の最高地点「仙ノ山」の方向に掘り進んだと伝えられ、
「仙ノ山」の逆方向へ向かって坑口が開いている珍しい間歩。 -
清水寺(せいすいじ)
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清水谷(しみずだに)製錬所(14時44分)
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蔵之じょう坑(15時13分)
トロッコ道など見学。
金生坑から蔵之じょう坑まで800mのトロッコ道があったとの事。 -
遊歩道を登ると舗装された道路に出て、右に上ると最初の展望台に戻り、
展望台から駐車場へと下った。 -
展望台に戻って(15時41分)
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物部神社。
「春日造りでは日本一の大きさであり、古来より文武両道、鎮魂、勝運の神として崇拝されている石見一宮。戦国時代には銀山争奪の舞台となった場所。
大田市川合町にあり、石見国一宮として知られます。本殿は島根県指定文化財でその他多くの文化財があります。
出雲大社に負けない荘厳な造り(春日造り)で、境内の空気が張りつめる霊験あらたかな神社。御神紋の「ひおい鶴」は全国唯一。」---島根県大田市の銀の旅路より。 -
道の駅「キララ多伎」にて。
行きも帰りもこの道の駅に立ち寄った。 -
道の駅「キララ多伎」にて。
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鬼の舌震(おにのしたぶるい)。
「鬼の舌震」一帯の地質は、中国山地を形成する黒雲母花崗岩からなっている。
花崗岩は表面が風化し易いため、長い間の流水の浸食によって深いV字谷と、約2Kmにもわたって蛇行する流れを作った。
両岸は断層が表面に露出し、岩石も長年の風化によって生じた板状・柱状等の規則正しい節理と呼ばれる割れ目に沿って浸食が進み、垂直な断崖となって川に落ち込んでいる。
谷底には巨石が累々と堆積しており、川の浸食によって様々な形の巨岩、奇岩や、岩のくぼみに固い小石が入り、水の流れで回転して岩を削る事によってできる「おうけつ」と呼ばれる円筒形の穴も見られる。
昭和2年(1927)に国の名勝・天然記念物に指定され、
昭和39年(1964)には島根県立自然公園に指定された。 -
160mもある「恋」の吊橋。
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鬼の舌震にて。
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鬼の舌震にて。
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鬼の舌震にて。
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鬼の舌震にて。
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鬼の舌震にて。
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バリアフリー遊歩道
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鬼の舌震にて。
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鬼の舌震にて、小天狗岩を見て。
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鬼の舌震にて、恋の吊橋をしたから見て。
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鬼の舌震にて。
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鬼の舌震にて。
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鬼の舌震にて。
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立久恵峡。
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立久恵峡。
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立久恵峡。
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立久恵峡。
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立久恵峡にて、立久恵薬師。
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立久恵峡にて、立久恵薬師。
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立久恵峡。
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立久恵峡。
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立久恵峡。
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立久恵峡。
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翌日の松江市。
秋祭りの太鼓の行列を見て香川に戻った。
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