2014/08/13 - 2014/08/13
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ドクターキムルさん
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生麦の商店街から国道15号に出る信号で信号待ちのバイクのお巡りさんがいたので、生麦事件参考館の場所を尋ねてみた。すると、「この右の小路にあったのだが、最近になって閉めてしまった。」という。「生麦事件の碑は国道を渡って右に行ったところに移設されている。」とのことだ。
移設された生麦事件の碑の前にも生麦事件参考館の場所を示す案内図があった。高速道路の建設工事で、生麦魚河岸通と第一京浜(国道15号線)との辻にあった碑をこの地に退避させるのに尽力したのだろう。せっかくだったので帰りに寄ってみた。
小路にあるひときは立派な洋館が見えるが、思った通り、そこが生麦事件参考館跡だった。入口ドアに張られた「閉館」の貼り紙を眺めていると、向かいからおばさんが出てきて、「生麦事件参考館の見学ですか?」と声を掛けられた。生麦事件参考館の浅海さんから頼まれているのだという。「今日は留守ですが。」というが、80過ぎのお爺さんさんなので閉館したが、口はまだまだ元気で、訪れた人たちに1時間以上はお話をしていたのだという。私は、宗教の違い(キリスト教)なのか、山手町の石川町境にある生麦事件の人たちのお墓(http://4travel.jp/travelogue/10789627)が公開されない理由と、近くにあるオランダ人船長(ヴェッセル・デ=フォス(Wessel de Vos))のお墓のように立派なお墓が建てられなかった理由が知りたかった。しかし、浅海さんとてオランダ人のお墓が立派である理由は答えられないかも知れない。こうしたお墓は、幕末に日本と外交を始め(、日本のことを良くは知らないために大名行列の前を横切っ)たイギリス人と江戸時代初めから長崎・出島に来航して(いて大名行列のことを知って)いたオランダ人との外交史の長短を如実に示しているかのようだ。
なお、外国人墓地には、最近になって建てられた生麦事件(文久2年(1862年))で負傷した2人の墓(向かって右がW.チャールズ・クラーク(1867年没)、左がウィリアム・マーシャル(1873年没)))が並んでいる。墓石の後ろにこれまた真新しい「生麦事件犠牲者の墓」の石碑があるが、生麦で落命した犠牲者であるチャールズ・レノックス・リチャードソンの墓は見られない。新しい鉄柵の中に古い石柵が見え、桜の大木が植えられているが、この桜の後ろに見える大きな石碑がチャールズ・レノックス・リチャードソンの墓なのであろうか?生麦事件ではマーシャルとクラークも深手を負い、血を流しながらも馬を飛ばし、神奈川宿のアメリカ領事館として使われていた本覚寺へ駆け込んで助けを求め、ヘボン博士の手当を受けた。また、ボロデール夫人は一撃を受けていたが無傷であった。しかし、事件に遭遇し、精神的な後遺症が残り、間もなく帰国したために横浜には墓はない。
(表紙写真は閉館した生麦事件資料館跡)
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