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石巻市は、牡鹿半島を含む大きな町で、2011年3月11日の東日本大震災の被害が全国一大きかった自治体で、大震災の全犠牲者の5分の1にのぼりました。石巻市の人口は、160,826人(平成22年の国勢調査)で、津波による浸水範囲内人口が112,276人、死者・行方不明者が3,708人、家屋倒壊数は33,378棟でした。家屋の全壊が多かった地域は、JR仙石線から南側の石巻港(外港・内港)に至る地域と石巻漁港・渡浪海岸地域、釜谷地区を含む北上川(追波川)河口地域です。<br /><br />石巻市立門脇小学校と石巻市立大川小学校の、津波に対する対応とその被害は、きわだって分かれました。<br /><br /><br />石巻市立門脇小学校は、旧北上川河口(石巻港内港)から約1kmのところに位置しています。学校の校舎は津波に飲み込まれ、火災も発生しています。学校にいた児童約275人は、地震発生直後の津波警報を受け、避難訓練通り、すぐ裏の日和山に避難し全員無事でした。学校に避難してきた約40人の住民も、教頭などの誘導で津波の接近で校舎3階へ避難、1階の浸水と火の手が迫る中、2階から校舎裏の斜面に教壇を渡し橋として、日和山へ脱出し無事でした。<br /><br />石巻市立大川小学校は、北上川(追波川)の河口から約4.3km上流の釜谷集落にありました。学校にいた児童78人中、死者・行方不明者74人、教職員11人中、10人が死亡しています。釜谷集落の人口は393人で、死者・行方不明者197人、実に住民の半数が犠牲になっています。震災時に仕事などで集落を離れていた人も多く、その犠牲者の多さはきわだっています。釜谷集落は、明治以降も顕著な津波被害はなく、宮城県作成の津波浸水予想図にも、釜谷集落は含まれていませんでした。その油断が大きな被害をもたらしたといえます。<br /><br />石巻市立大川小学校では、地震発生後、校舎の倒壊も考え校庭に児童全員を集めています。過去の地震での津波被害がなく、第1次避難場所であるこの校庭に、留まり続けました。地震から津波が到達するまで約50分間ありました。学校に避難する住民の対応や保護者への児童引き渡しに手間取る中、先生たちは学校の裏山へ逃げるべきか、新北上川大橋近くの三角地帯に逃げるべきか、議論が続き決められないでいました。校長は不在、亡くなった教頭は裏山に逃げることを主張したようですが、裏山は急斜面で小学生低学年の避難は無理との意見が通ったようです。新北上大橋の三角地帯をめざし高学年を先頭に移動を開始、その直後に北上川と富士川から溢れ出た津波が、児童・先生を飲み込んでいきました。<br /><br />当日なぜ校長は不在だったのか、なぜ第2次避難場所が決められていなかつたのか、なぜ宮城県作成の津波浸水予想図に金谷集落は含まれていなかったのか、なぜ教頭をはじめ先生たちは裏山の避難を決断できなかつたのか・・・。そして地震後の校長と教育委員会の対応のまずさが加わり、2014年3月10日に、死亡・行方不明の児童23人の19家族が、石巻市と宮城県に対して1人当たり1億円合計23億円の提訴にふみきりました。<br /><br />

岩手宮城追悼・復興祈願・・南三陸町~石巻市~女川町~東松島市、祈りの地をめぐります。

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2014/07/22 - 2014/07/23

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旅行記グループ 岩手宮城追悼の旅

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YAMAJI

YAMAJIさん

石巻市は、牡鹿半島を含む大きな町で、2011年3月11日の東日本大震災の被害が全国一大きかった自治体で、大震災の全犠牲者の5分の1にのぼりました。石巻市の人口は、160,826人(平成22年の国勢調査)で、津波による浸水範囲内人口が112,276人、死者・行方不明者が3,708人、家屋倒壊数は33,378棟でした。家屋の全壊が多かった地域は、JR仙石線から南側の石巻港(外港・内港)に至る地域と石巻漁港・渡浪海岸地域、釜谷地区を含む北上川(追波川)河口地域です。

石巻市立門脇小学校と石巻市立大川小学校の、津波に対する対応とその被害は、きわだって分かれました。


石巻市立門脇小学校は、旧北上川河口(石巻港内港)から約1kmのところに位置しています。学校の校舎は津波に飲み込まれ、火災も発生しています。学校にいた児童約275人は、地震発生直後の津波警報を受け、避難訓練通り、すぐ裏の日和山に避難し全員無事でした。学校に避難してきた約40人の住民も、教頭などの誘導で津波の接近で校舎3階へ避難、1階の浸水と火の手が迫る中、2階から校舎裏の斜面に教壇を渡し橋として、日和山へ脱出し無事でした。

石巻市立大川小学校は、北上川(追波川)の河口から約4.3km上流の釜谷集落にありました。学校にいた児童78人中、死者・行方不明者74人、教職員11人中、10人が死亡しています。釜谷集落の人口は393人で、死者・行方不明者197人、実に住民の半数が犠牲になっています。震災時に仕事などで集落を離れていた人も多く、その犠牲者の多さはきわだっています。釜谷集落は、明治以降も顕著な津波被害はなく、宮城県作成の津波浸水予想図にも、釜谷集落は含まれていませんでした。その油断が大きな被害をもたらしたといえます。

石巻市立大川小学校では、地震発生後、校舎の倒壊も考え校庭に児童全員を集めています。過去の地震での津波被害がなく、第1次避難場所であるこの校庭に、留まり続けました。地震から津波が到達するまで約50分間ありました。学校に避難する住民の対応や保護者への児童引き渡しに手間取る中、先生たちは学校の裏山へ逃げるべきか、新北上川大橋近くの三角地帯に逃げるべきか、議論が続き決められないでいました。校長は不在、亡くなった教頭は裏山に逃げることを主張したようですが、裏山は急斜面で小学生低学年の避難は無理との意見が通ったようです。新北上大橋の三角地帯をめざし高学年を先頭に移動を開始、その直後に北上川と富士川から溢れ出た津波が、児童・先生を飲み込んでいきました。

当日なぜ校長は不在だったのか、なぜ第2次避難場所が決められていなかつたのか、なぜ宮城県作成の津波浸水予想図に金谷集落は含まれていなかったのか、なぜ教頭をはじめ先生たちは裏山の避難を決断できなかつたのか・・・。そして地震後の校長と教育委員会の対応のまずさが加わり、2014年3月10日に、死亡・行方不明の児童23人の19家族が、石巻市と宮城県に対して1人当たり1億円合計23億円の提訴にふみきりました。

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  • 震災遺構、南三陸町防災対策庁舎です。

    震災遺構、南三陸町防災対策庁舎です。

  • 献花台です。

    献花台です。

  • モアイの説明板です。

    モアイの説明板です。

  • モアイ像です。<br />初代モアイ像の頭部が大震災で流失、「松原公園」の一角で発見され志津川高校に移設されます。このモアイ像は2代目で、復興の希望として、チリのイースター島から贈られたものです。

    モアイ像です。
    初代モアイ像の頭部が大震災で流失、「松原公園」の一角で発見され志津川高校に移設されます。このモアイ像は2代目で、復興の希望として、チリのイースター島から贈られたものです。

  • モアイ像です。

    モアイ像です。

  • 南三陸町のさんんさん商店街です。

    南三陸町のさんんさん商店街です。

  • 天皇皇后両陛下がお立ち寄りの日で、ほとんどが店を閉めており、キラキラ丼(ウニを使った丼)は食べられず。交通規制中の国道398号線で、天皇皇后両陛下のお車待ち、覆面パトカーに先導された我々の車が、日の丸を掲げた両陛下の車とすれ違い、思い出の1コマが出来ました。<br />

    天皇皇后両陛下がお立ち寄りの日で、ほとんどが店を閉めており、キラキラ丼(ウニを使った丼)は食べられず。交通規制中の国道398号線で、天皇皇后両陛下のお車待ち、覆面パトカーに先導された我々の車が、日の丸を掲げた両陛下の車とすれ違い、思い出の1コマが出来ました。

  • 新北上大橋です。

    新北上大橋です。

  • 北上川(追波川)と堤防です。

    北上川(追波川)と堤防です。

  • 堤防の右に石巻市立大川小学校、釜谷集落は消滅しています。

    堤防の右に石巻市立大川小学校、釜谷集落は消滅しています。

  • 震災遺構、石巻市旧大川小学校校舎です。

    震災遺構、石巻市旧大川小学校校舎です。

  • 旧大川小学校体育館です。<br />裏山がすぐ迫っています。悔やまれる光景が広がります。

    旧大川小学校体育館です。
    裏山がすぐ迫っています。悔やまれる光景が広がります。

  • 慰霊碑です。

    慰霊碑です。

  • 慰霊碑です。<br />犠牲者の全員の名前が刻まれています。

    慰霊碑です。
    犠牲者の全員の名前が刻まれています。

  • 女川町に向かう途中に咲く、ヤマユリです。

    女川町に向かう途中に咲く、ヤマユリです。

  • 女川町の被災・復興の様子です。<br />女川町の人口は、10,014人(平成23年3月)で、死者・行方不明者が847人でした。又、女川町の住宅総数は、4,411棟で、その74%の3,273棟が倒壊しています。

    女川町の被災・復興の様子です。
    女川町の人口は、10,014人(平成23年3月)で、死者・行方不明者が847人でした。又、女川町の住宅総数は、4,411棟で、その74%の3,273棟が倒壊しています。

  • 女川町の被災・復興の様子です。<br />女川交番が横倒しになっています。<br />女川町を襲った津波は、高さ17mを超え町の大部分を飲み込みました。東北電力の女川原子力発電所は、高さ13mの津波に襲われましたが、敷地が14.8mの高さにあり、重大な被害は免れています。

    女川町の被災・復興の様子です。
    女川交番が横倒しになっています。
    女川町を襲った津波は、高さ17mを超え町の大部分を飲み込みました。東北電力の女川原子力発電所は、高さ13mの津波に襲われましたが、敷地が14.8mの高さにあり、重大な被害は免れています。

  • 女川港です。

    女川港です。

  • シーパル女川汽船、離島航路を繋ぐ「しまなぎ号」です。

    シーパル女川汽船、離島航路を繋ぐ「しまなぎ号」です。

  • 女川交番の説明版です。

    女川交番の説明版です。

  • 震災遺構、旧女川交番です。

    震災遺構、旧女川交番です。

  • 震災前のマンホールはかなり低い位置です。

    震災前のマンホールはかなり低い位置です。

  • 江島共済会館の説明版です。

    江島共済会館の説明版です。

  • 震災遺構、旧江島共済会館です。

    震災遺構、旧江島共済会館です。

  • 七十七銀行女川支店跡の献花です。

    七十七銀行女川支店跡の献花です。

  • 震災写真です。<br />江島共済会館と七十七銀行女川支店の被災の様子です。七十七銀行女川支店では、津波が屋上を超え、12人の行員が犠牲になっています。高台になぜ避難しなかったのか、今も悔やまれています。

    震災写真です。
    江島共済会館と七十七銀行女川支店の被災の様子です。七十七銀行女川支店では、津波が屋上を超え、12人の行員が犠牲になっています。高台になぜ避難しなかったのか、今も悔やまれています。

  • 東松島市大曲浜の慰霊碑です。<br />東松島市の被災状況も甚大で、死者・行方不明者が1,087人、全世帯の約74%の11,073棟の家屋が倒壊しています。

    東松島市大曲浜の慰霊碑です。
    東松島市の被災状況も甚大で、死者・行方不明者が1,087人、全世帯の約74%の11,073棟の家屋が倒壊しています。

  • 滝山公園の慰霊碑です。<br />東松島市は、鳴瀬川の東部が仙台平野と同じで高台といえば、遥か離れた三陸自動車道の盛り土しかなく、一方鳴瀬川の西部は背後に小高い山が連なる野蒜地区だが、こちらも山裾まで津波が襲いかかり、沿岸全域で壊滅的な被害を受けました。

    滝山公園の慰霊碑です。
    東松島市は、鳴瀬川の東部が仙台平野と同じで高台といえば、遥か離れた三陸自動車道の盛り土しかなく、一方鳴瀬川の西部は背後に小高い山が連なる野蒜地区だが、こちらも山裾まで津波が襲いかかり、沿岸全域で壊滅的な被害を受けました。

  • 東松島市の被災記録碑です。

    東松島市の被災記録碑です。

  • 滝山公園展望台からの眺望、東松島市の被災・復興の様子です。<br />

    滝山公園展望台からの眺望、東松島市の被災・復興の様子です。

  • 航空自衛隊の松島基地が見えます。

    航空自衛隊の松島基地が見えます。

  • 滝山公園に咲く、ヤマユリです。

    滝山公園に咲く、ヤマユリです。

  • ヤマユリです。

    ヤマユリです。

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