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弘法大師の学問所<br /><br />弘法大師が真魚と呼ばれた幼少の頃、天応1年(781)から延暦5年(786)まで寺院の前身である蓮華院八国寺(八王山)で勉学に励んだと伝わり、唐から帰国した大師が大同2年(807)に再度獅子窟に籠り千座の護摩を修したとされ、満願の日、五柄の剣と唐にて恵果和尚より授かった金銅の五鈷鈴(金銅四天王五鈷鈴)を納め、山号を剣五山、寺名を弥谷寺に改め霊場に定めたとされます。 <br /><br />宥沢法印によれば八国寺は、三院六坊(一説によると十二坊)を備へ東院・西院・中尊院及び弥之坊・谷之坊・独鈷坊・龍華坊・安養坊・海印坊・納涼坊ありと記され、当時としては非常に大きな寺院であった事が分かりますが、天正の兵火により現在は中尊院のみとなっています。<br />

四国霊場七十一番札所 剣五山 千手院 弥谷寺

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2014/02/15 - 2014/02/15

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吉備津彦

吉備津彦さん

弘法大師の学問所

弘法大師が真魚と呼ばれた幼少の頃、天応1年(781)から延暦5年(786)まで寺院の前身である蓮華院八国寺(八王山)で勉学に励んだと伝わり、唐から帰国した大師が大同2年(807)に再度獅子窟に籠り千座の護摩を修したとされ、満願の日、五柄の剣と唐にて恵果和尚より授かった金銅の五鈷鈴(金銅四天王五鈷鈴)を納め、山号を剣五山、寺名を弥谷寺に改め霊場に定めたとされます。 

宥沢法印によれば八国寺は、三院六坊(一説によると十二坊)を備へ東院・西院・中尊院及び弥之坊・谷之坊・独鈷坊・龍華坊・安養坊・海印坊・納涼坊ありと記され、当時としては非常に大きな寺院であった事が分かりますが、天正の兵火により現在は中尊院のみとなっています。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
自家用車

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