2014/05/31 - 2014/06/01
37位(同エリア509件中)
naoさん
「白米の千枚田」は、能登半島外浦沿岸の輪島と曽々木の中間部に位置し、高州山の裾野の国道249号線と日本海に挟まれた斜面に沿って、1000枚もの小さな水田が海岸線まで続いており、大海原と棚田が織りなす千変万化の表情は、数ある棚田の中でも有数の景観美と称えられています。
日本海へ滑り落ちる斜面に沿って等高線を描く畦、キラキラ輝く大海原と行き交う小舟、背後の山や棚田のそこかしこで木陰を作る木々、水を張った水田を赤く染める夕日、そして黄金色に頭を垂れる稲穂など、見る時間、場所、季節に応じてさまざまに表情を変える棚田の美しさは、見る者に感動を与えてやみません。
一般的に、「千枚」は数が多いことを例える言葉として使われるのがほとんどで、実際に水田が千枚に満たない場合でも「千枚田」と呼ぶ所が少なくありませんが、ここ「白米の千枚田」は1004枚を数えることができ、正真正銘の「千枚田」です。
狭くて複雑な地形ゆえ耕運機の通行もままならない棚田の農作業は、昔ながらの手作業に頼らざるを得ず、平地の数倍もの労力を必要とするため、日本各地の棚田がそうであるように、白米の千枚田でも後継者不足は深刻な問題で、この素晴らしい棚田を後世に残そうと取り組んでおられる保存活動の一環として、2007年春からオーナー制度を導入されています。
今回、田植え直後の畦道を歩き、十数株の苗しか植わっていない、猫の額も無いくらい小さな水田を見て感じたのは、「白米の千枚田」の美しさは、農作業の困難さと引き換えに得た、かけがえのないものだと云うことでした。
この様に美しい棚田を舞台に、地元の皆さんによりいろんなイベントが行われています。
稲刈りが終わった後の棚田に30,000個の蝋燭を灯す「あぜの万燈」、11月〜3月の冬の棚田に21,000個のペットボタル(ソーラーLED)を灯す「あぜのきらめき」などの「灯り」のイベントや、秋の稲刈り時には、輪島市長ご夫妻のお仲人のもと、新郎新婦が最初の共同作業として稲刈りを行うなどの大変ユニークな結婚式も執り行われます。
この日は、田植え後の水を張った棚田に映える夕焼けも見たいと思っているので、日没までの時間を利用して、能登に残る史跡、時国家を訪れます。
時国家は、源平合戦の壇ノ浦の戦いに敗れ、能登に流された平家の武将・平時忠の子、時国が起こしたもので、平家の子孫である時国はしばらく山中に身を潜めていましたが、源頼朝の手が及ばないことを悟ると、平家の姓を捨て、実名の時国を姓として時国家を興し、町野川の地(現在の輪島市町野町)に館を構えたと云われています。
その後、廻船業や製塩業の主導権を握り、次第に勢力を伸ばした時国家は、困窮する近隣農村の救済にも努め、この地を治める豪農として長きにわたり繁栄し、江戸時代には天領、大庄屋として名字帯刀を許されました。
寛永年間(1624年〜44年)に、時国家は上時国家(本家)と下時国家(分家)に分立しますが、現存する上時国家は、1831年から28年もの年月をかけて建てられた大規模な建物で、豪華な内装に当時の面影を見ることができます。
下時国家は、壇ノ浦の戦いで命を落とした安徳天皇(時国の従兄妹の子)を祀っており、本家とともに約800年に亘る歴史を積み重ね現在に至っています。
では、道の駅「千枚田ポケットパーク」に車を停めて、棚田歩きを始めます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「間垣の里」の次に訪れたのは「白米の千枚田」です。
「白米の千枚田」は、能登半島外浦沿岸の輪島と曽々木の中間部に位置し、高州山の裾野の国道249号線と日本海に挟まれた斜面に沿って、1000枚もの小さな水田が海岸線まで続いています。 -
一般的に、「千枚」は数が多いことを例える言葉として使われる場合がほとんどで、実際に千枚に満たない場合でも「千枚田」と呼ぶ所が少なくありませんが、ここ「白米の千枚田」は1004枚を数える正真正銘の「千枚田」です。
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日本海の大海原と棚田が織りなす千変万化の美しさは・・・
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数ある棚田の中でも有数の景観美と称えられています。
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この日は朝から黄砂の影響が強くて、見る物全てぼんやりと霞んでいたんですが、お日様は出ているので、一応夕焼けが期待できそうです。
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畦道に植えられているカラー。
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国道249号線と棚田の間の法面には・・・
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一面にマーガレットのお花畑ができています。
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春の畦道の定番、タンポポも生えていて・・・
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綿毛のある種が今にも飛び立ちそうです。
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狭くて複雑な地形ゆえに耕運機の通行もままならない棚田では、昔ながらの手作業に頼らざるを得ず、日本各地の棚田がそうであるように、ここ「白米の千枚田」でも後継者不足が深刻な問題となっています。
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この素晴らしい棚田を後世に残そうと取り組んでおられる「白米の千枚田」では、保存活動の一環として、2007年春からオーナー制度を導入されています。
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十数株の苗しか植わっていない、猫の額のように小さな水田があります。
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こんなに小さな水田も大切にする「白米の千枚田」の美しさは、手作業の困難さと引き換えに得た、かけがえのないものだと思います。
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棚田のすぐ足元の海岸を波しぶきが洗っています。
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日本海へ滑り落ちる等高線が描く美しさは・・・
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棚田の原点であり、見る者に感動を与えてやみません。
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ここ「白米の千枚田」には、「ほほ〜っ」と思わせるオーナーさんがおられます。
能登和倉にある、日本を代表する名旅館さんも名前を連ねています。 -
首相時代のこの方が、この地を訪れ「絶景だよ、絶景」と褒め称えたエピソードは、地元のマスコミで大きく取り上げられたそうです。
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この方はお父さんに頭が上がらないようです。
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最近、集団的自衛権でなにかと世間を騒がす方の奥さまです。
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左上に見える展望台が、車を停めた道の駅「千枚田ポケットパーク」です。
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これだけ複雑な地形ですから、耕運機を入れろって云ったって、無理な話ですよね・・・。
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畦道に咲く昼顔。
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海辺の岩場と棚田が溶け合って、独特の景観を生み出しています。
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棚田に植えられている松の枝に、漁に使うプラスティック製の浮玉が吊り下げられています。
この日は、水を張った棚田に映える夕焼けも見たいと思っているので、日没までの時間を利用して、時国家を訪れます。 -
入母屋造りに茅葺屋根の壮大な主屋のある下時国家へやってきました。
時国家は、源平合戦の壇ノ浦の戦いに敗れ、能登に流された平家の武将・平時忠の子、時国が起こした家で、廻船業や製塩業で成功を収めると、困窮する近隣農村の救済にも尽力し、この地を治める豪農として繁栄しました。
下時国家は、寛永年間に分立した時国家の分家にあたります。時國家 名所・史跡
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下時国家には、壇ノ浦の戦いで命を落とした安徳天皇(時国の従兄妹の子)が祀られています。
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次に、下時国家から少し南に下ったところにある上時国家にやってきました。
上時国家 名所・史跡
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下時国家の分家に対し、上時国家は本家になります。
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この主屋は、1831年から28年もの年月をかけて建てられた建物で、豪華な内装に当時の面影を見ることができるそうです。
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上時国家、下時国家とも、約800年に亘る歴史を積み重ね現在に至っています。
では、陽も西に傾いてきたので、「白米の千枚田」へ戻ります。 -
「白米の千枚田」へ戻ると、陽は傾いているとはいうものの・・・
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赤くなるまでにはまだ時間がありそうです。
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漁師さんが、漁の仕掛けを見に来ておられます。
陽が暮れる前の一仕事ですね。 -
朝からの黄砂の影響がこの時点でも残っているようで、お日様の輪郭がぼんやりしています。
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そろそろお日様が赤くなってきました。
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定点撮影しているので時間の経過が判りにくいですが、お日様と船の距離が縮まっていることで何とか知ることができます。
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お日様の輪郭がはっきり見えるようになりました。
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普通なら空のもっと上の方まで赤くなるのに、やっぱり黄砂の影響でしょうか・・・。
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日本海へ向かって等高線を描く畦、輝く大海原と行き交う小舟、水を張った水田を染める夕日など、移ろいゆく時間の中で、棚田の最も美しい表情を見せています。
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輝きを放っていたお日様が・・・
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そろそろ日没を迎えようとしています。
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家路を急ぐ漁船が一艘、走り過ぎて行きます。
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日没を迎え、海の色と棚田の色がひとつになりました。
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春から夏にかけての「白米の千枚田」は・・・
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日本海に沈む夕日が水田を赤く染める・・・
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絶好の夕日ポイントです。
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畔道にたたずんで、夕日の名残を惜しんでいる方々がおられます。
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棚田も、名残を惜しむように赤い雲の姿を映しています。
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この日はいくぶん黄砂の影響があったとはいうものの、綺麗な夕日を見ることができました。
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では、この素晴らしい棚田に別れを告げて・・・
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今宵の宿に向かいます。
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