西表島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
【黒島・仲本海岸にて。2014年4月10日】<br /><br />旅の始まりは、いつものごとく大義名分から始まります。<br />私にとって、旅は”日常のマンネリ感”を解消する”特効薬”なるものなり。決して揶揄されるべくものではないことをここに気持ち新たにして旅立つものなりけり。<br /><br />まぁそんなこと言っても仕方がないので、第3段現実逃避行八重山へ行っちゃいました!<br /><br />こちらでは、家を出てから関西空港~石垣島、そして初めて訪れた黒島での3日間の滞在について書いています。<br /><br />今回の飛行機の足は、前回同様”Peach航空”の3月3日発売”バースディーバーゲン”でgetした片道2,000円の料金を4月9日と4月15日の関西~石垣線往復にあてるところからはじまります。<br /><br />【2014年4月9日水曜日】<br />自宅 05:30<br />駅  06:07《はるか3号》<br />関西空港 07:41<br />シャトルターミナル 07:52<br />関西空港第2ターミナル 07:58<br />関西空港 08:45《MM231》<br />石垣空港 11:10【向かい風のため11:32着】<br />11:45【混んでたので12:00】《東運輸》<br />バスターミナル 12:32 【12:40】<br /><br />はるか往復割引キップ・・・\5,200<br />MM231・・・\3,985<br />東運輸バス・・・\540<br />石垣~黒島往復・・・\2,080<br />民宿あ~ちゃん・・・\12,000【じゃらん手配×2泊】<br /><br />旅立つ朝はいつものことながら、徹夜して出発です。朝5:30に自宅を出発し、送ってもらいます。某田舎の駅には5:45到着、仕事の時と変わらずコンビニで”ドリンク”をイッポン!”気合”を入れた後、6:07発”はるか3号”に乗ります。私は関西空港を利用するときはほとんど”リムジンバス”を利用します。安いし寝て行けるんで。でも9年前に中国に行ったときと今回は、フライトの時間の関係で”はるか”を利用します。でも昔”はるか”の往復割引キップって、京都発で¥6,240だったような…。今は滋賀の田舎駅からの往復で¥5,200(今は\5,350)・・・。安くなったもんだ!<br /><br />電車では寝られないんで、ぼ~っとしたまま関西空港駅7:41に定刻到着。前回はバスで来たので”第2ターミナル”まで直行でしたが、今回はシャトルバスを使います。南海バスが運行しているシャトルバスの”乗り場”迄歩きます。初めてなんで”どうしよう…”なんて思いましたが、この時間”第1ターミナル”に行かれない方は”皆さん一緒”、なんでついて行きました。<br />7:52出発、7:58第2ターミナル到着。すぐに見慣れた”ピーチ航空”のチェックイン機に行って手続きを完了。8:05余裕のチェックインでした!<br /><br />いつものごとく”ヒヤヒヤ”しながらセキュリティーを通り、ゲートの前に陣取ります。順調なスタートで、MM231便は8:45定刻石垣へ向かってTAKEOFFしました。<br /><br />気象条件には詳しくありませんが、どうも風向が向かい風のようで到着は”11:30を予定しております”とのアナウンス。とにかく寝たいので”まぁそんなこともあるさ~”ってzzz。気がついた時にはすでに着陸体制に入っていました。<br /><br />新石垣空港着11:32、予定より22分遅れで到着しました。その後は”空港シャトルバス”でバスターミナルへと向かいます。予定していた11:45も乗ろうと思えば乗れたのですが、ギリギリに行ったんで”立席”っぽかったので一本遅らせ12:00の便に乗ることに。それでも15分しか変わらない点は非常に便利です。ただ”乗れない”んではなく、”ノンステップ”の普通のバスなんで、”荷物”の収納スペースがほとんどなく”通路”に置くしかないんで、運転士が止めているみたいです。<br /><br />ただ、乗ったバスの運転士が途中から乗った地元の人に言った言葉は、「飛行機が着いた時なんで混んでても仕方がない」と。プロ意識がないと言うか「言い訳け」をする前にお客さんになんで”謝れないんでしょうかね“?日曜日にスーパーに買い物に行って、レジ係が「こんな日に買い物に来るお客さんが悪い」なんて言ったらどうします?”腹が立ちますよね?”地元のお客さんにはまず謝って、車内放送で「1歩ずつ奥に詰めてください」、その一言だと思います。運輸業界の台所事情はわかっているつもりですが、空港シャトルとして「ノンステップ」車両での運行は、人的キャパは増えても、バゲッジスペースがゼロに近いことくらいわかりそうなものですが…。常時ただ運行をするのではなくって集客状況によって増便させて対応するなど考えて貰いたいです。まぁそれは東運輸さんの話としておいといて、バスは12:40定刻にバスターミナルに到着します。そこから徒歩3分、4ヶ月ぶりの石垣離島ターミナルです。<br /><br />いつも私が離島ターミナルにつくと”儀式”をします。まず”シークァーサージュース”を買います。そしてお決まりの一服(-.-)y-゜゜゜。これが終わってからの行動になるのですが、今回は違います!皆さん誉めてやってください(笑)。先に切符を買いました。石垣~黒島往復です。13:00発ですが、15分くらい余ったので儀式をして、黒島行き高速艇に乗船しました。ちなみに八重山観光フェリーの高速艇は初体験です♪<br /><br />所要25分はあっという間です。13:25黒島港桟橋に到着、事前に連絡していた、2泊お世話になる”民宿あ~ちゃん”のご主人(独身)がお出迎え。お世話になります♪<br /><br />それでは黒島についてのうんちくといきましょうか!<br /><br />座標:北緯24度14分22秒<br />東経124度0分53秒<br />面積:10.02平方キロメートル<br />海岸線長:12.6km<br />最高座標:15.3m<br />所属海域:太平洋<br />所属諸島:八重山列島<br />アウトライン:沖縄県八重山郡竹富町にあり、石垣島より南南西17kmに位置する。人口226人(2010年1月1日現在)に対し牛2,987頭(2010年1月1日現在)と人口の10倍以上の牛がいる“牛”の島として有名である。また島の形が“ハート”型をしていることから、別名“ハートアイランド”とも呼ばれる。また“ウタキ”が多いことでも知られ、10ヶ所以上の“ウタキ”が存在するが廃村等で既に廃止されたものもあります。その中で“黒島八嶽”と呼ばれる主要な“ウタキ”があります。これは、首里王府時代には“公儀御嶽”として信仰の中心を形成していたものですが、場所は“二嶽”を除きほとんど海岸の近くにあるのが特徴となっています。ちなみに黒島八嶽とは、”喜屋武御嶽(キャンワン)”・”仲盛御嶽(ナハムリワン)”・”北神山御嶽(ニシハメマワン)”・”南神山御嶽(パイハメマワン)”・”南風保多御嶽(パイフタワン)”・”保慶御嶽”・”保里御嶽(ワン)”・”迎里御嶽(ンギシトゥワン)”を指します。八重山諸島のほぼ中央にある黒島は、隆起珊瑚礁からなる典型的な“野国(ヌングン)島:山も川もない、平らで水田の全くない島”です。このため黒島には古くから海と関わる文化があり、御嶽についてもそのほとんどが航海安全に関係したもので、海との深い繋がりを有する由来が残されています。また黒島には造船に関する伝説も残されており、航海の始まりの島とも言われています。<br /><br />http://www.zephyr.justhpbs.jp/kuroshima_utaki.html<br /><br />はしょる訳ではありませんがこの後私は、日がくれるまで寝ていました。なんせ徹夜明けなもんで。日が暮れて外から喋り声が聞こえてきたことでやっと目を覚まし、2泊とも”唯一の観光客” のはずが、1人増えたことを知ったのはしばらくしてからです。天気の良い中、旅先で寝られるというのは、私には贅沢すぎる贅沢です♪<br /><br />と言う訳で三重から来られた私より1つ下の男性と一緒に食事を頂きます。私は喋りベタなので(誰ですか?苦笑しているのは!)、なかなか上手く会話に乗れませんでしたが、”あ~ちゃん”含め独身2人と嫁さんホッてひとり旅の計3人の中年男子の話は…ご想像におまかせ致します♪<br /><br />食事後”ヤシガニ”探しに連れて行って頂きました。残念ながら見つかりませんでしたが…。帰ってきてもまた話は尽きず、結構話して流れ解散になりました。と言うのが初日です。寝ても寝ても寝られる環境なんでお言葉に甘えてzzz。<br /><br /><br />【2014年4月10日木曜日】<br />程々の時間に目が覚め、朝食を頂きます。昨日飛び込みで来られた方は、今日のピーチ便で関西空港に戻られます。まぁ名残惜しいですが仕方ないです。8:35の船に乗られるとのこと。でものんびりしています、確か8:15頃に黒島港に送って行くのを見送りました。”あ~ちゃん”は今日から与那国だそうです。ホントは”休業”の予定が”私”が連泊で”予約”を入れてしまったようで…、と言うことで今晩は、”おじ~”&”おば~”が私の相手をして下さるとのこと。お世話になります~!<br /><br />しばらくスマホで行く場所をチェック!そして出かけようとしたところ、お母さんに会います。このお母さんとは話が合います!なにかと話が盛り上がって気が付くとお昼前。お母さん「何処かに行くんじゃなかったの?」と申し訳なさそうに言われましたが、そんなことないです。話している方が楽しかったです!こちらこそ仕事の手を止めてしまい申し訳けなかったです。<br /><br />今日のアッシー君は“あ~ちゃん10号”。チャリンコです。黒島は“何もない”と言われますが、探せばあります。まずは港に向かい、そこから右回りに島を回ります。<br /><br />“あ~ちゃん”を出て港へ向かう途中に、自転車に乗って逆方向に走ってくる“日帰り旅”と思しき女性とすれ違います。島生活の良いところ、出会う人とはすべて“あいさつ”を交わします。お互い“こんにちは~!”そのひとことが気持ち良いんですね。今の時間にすれ違ったなら会うことはありませんが、ちょっと朝から“いい気分”です。<br /><br />とにかくスタート地点の“黒島港”にまずは到着。ぐるっと見回すと、なぜか数が多い“ウタキ”を見つけます。“保利御嶽”ですが、確かそちらの方に進むと“西の浜”に行くはずです。でも今日の最終目的地の予定なんで、逆方向へと進みます。<br /><br />最初の目的地は“重要文化財伊古桟橋”です。港から一番手前の道を時計回りに行くのですが、その道の分岐点になぜか時期外れの“黒島牛祭り”の宣伝の“ウキ”がありました。その横には“黒島観光案内板”と“牛のモニュメント”があったので、情報収集のため、写真にパシャリ!それからスタートします。<br /><br />東方向へ進んで行くと“黒島名物牛さん”が草を食べておられました。場所場所で“違ったイメージ”を持つと聞いたことがあったんで、写真に収めてからまた走ります。道沿いにあるのは“仲盛御嶽”、確か鳥居が折れていたような…。それからほんのちょっと行くと石敢當のあるT字路に着きます。これを右に曲がり森の小道を抜けると“重要文化財伊古桟橋”に到着します。さすがにここには“観光客”はいましたが、まばら…。もう行っちゃえ~ってことで桟橋の端っこまでちゃりんこで走ります。2005年12月26日に国の登録有形文化財に指定された“伊古桟橋”は、1924年(大正13年)に建設された木造の桟橋に始まり、1933年(昭和8年)に台風で破壊され、1935年(昭和10年)に現存する石積みおよびコンクリート造りで表面はモルタル塗のものが、延長354m、幅員4.25m、高さ1.8mで作られた。先端部分には4本の係船柱と荷置き場、荷揚げ場があり、かつては漁業に使用されていた。数年前は桟橋としては使用されていない上、桟橋の途中に台風などによる2箇所の崩落箇所がありましたが、2013年6月に修復工事が終わり先端まで歩いて行けるようになりました。元々この場所は遠浅で“干潮時”は沖に船を駐留させ、“牛車”で荷物や人を運んだらしいです。戦前の話だそうですが…。また“カップル”のご用達の場所で、特に夜ここへやってくると“石垣のビル明かり”が大変きれいでした。でも真っ暗な場所なんで“個人”で夜に訪れるのは危ないんではないか…とは思います。連れて行ってもらったんだけどカメラを忘れた…。まぁそんなこんなで“伊古桟橋”と“海”をしばらく楽しんでから次へと向かいます。<br /><br />今来た道を戻って“島一周道路”まできました。目安は写真の石敢當(いしがんとう)。日本でも沖縄なんかでは普通に見られるはずですが、ここ黒島では結構目につきます。<br /><br />伊古桟橋の後は、普通は“東筋集落”へと行くのでしょうが、途中で“ウタキ”の表示を見つけ、“ウタキ”の先に“海”があるということで、また森の小道へと入ります。“北神山御嶽”、“阿名泊御嶽”のわきを走って行くと“、“阿名泊展望台”へと着きます。ただ…だいぶお疲れモードのようで…、特に見るものもなくはしょりましたが、ひとつあまり見かけないものが…。NTTの海底ケーブルです。石垣に向かうものが“こちらから”敷設されているようでした。いっとき前までは“天気が荒れると電話が使えない”ってことが結構あった話は聞いたことがありましたが、今はケータイの時代…、NTT回線を使う方ってどれくらいいらっしゃるのかな?っとは思いましたが…。そんな感じで島一周道路へと戻って行きます。途中であった牧場で、何やら石碑のようなものを“発見”、ちゃりんこの“行動力”を生かし、見に行きます。“獣魂の碑”をありました。さすがに“人”より“牛さん”の方が多い島、なんとなくわかる気がします。と言うことで写真に収めた後、やっと周回道路に戻り、やっと“東筋集落”へと向かうことにします。<br /><br />ぐるっと回っているはずですが、“目的地”と“目的地”の間はそんなに離れておらず、しばらく進むと“たま商店”さんを見つけます。今朝ライターをなくし慌てて買いに来た場所です。今回は当面の“飲み物”を調達します。そして一服(-.-)y-゜゜゜した後、まずは“集落散歩”です。黒島には5つの集落があります。その中で“中心的”なところがここ“東筋(あがりすじと読みます)集落”です。また色々な施設もあります。“黒島伝統芸能館”、“八重山舞踊勤王流ゆかりの地”の碑、“日本の道100選”の碑、“黒島郵便局”、その他“黒島診療所(建替え中)”、“黒島小中学校”などがあります。一通り見た後北上し“比江地御嶽”まで来ました。“うんどうや”さんの前と言った方がわかるかもしれませんが、その斜め前にある“ウタキ”になります。ここから北上すると“黒島灯台”に続きますが、一旦“東”方向に進みます。途中“南神山御嶽”や、牧場の中を通って行くとなにやら“看板”がかかっている様子、しかし字が読めません。あとで調べたところ“キャングチ海中公園”の場所のようです。“ようです”とは“写真”を見て頂くとわかりますが、“廃墟”になっています。以前は珊瑚礁が大変きれいな場所だったみたいですが、“オニヒトデ”や“海水温の上昇”等の被害でほぼ全滅してしまったようです。1970年代のきれいだった頃の写真は“黒島ビジターセンター”で見ることができますが、現在(2014年4月10日)では…、写真の通り“廃墟の桟橋”・“白化したサンゴ”、朽ちるままの“ウタキ”から当時を想像するしかありません。残念ですがこれも現実なんでしょう。<br /><br />まぁ気を取り直して“東筋集落”へと戻り、“比江地御嶽”前を左折して“黒島灯台”へと向かいます。ひたすらまっすぐの道を行くと“灯台は右”の看板があります。そこを一旦直進して行けるところまで行ってみます。しかし牧場のど真ん中で行き止まり・・・。そんなわけで戻ります。“灯台矢印”まで戻って、しばらく周回道路を走ったあと左折すると“黒島灯台”に着きます。実際のところ“黒島灯台”こそ黒島の最も高い標高だとは思いますが…、当然中は立ち入り禁止です。なので灯台の“足元”をうろうろしましたが、まぁそんな感じです。そしてちょっと進むと、“黒島灯台下の浜”に着きます。こちらも“竹富町指定の海水浴場ではありません”表記がありました。でも意外な風景が・・・、写真のように“波照間島”に向かう“船”が見えます。何もないところですが、“黒島”の場所を知るには良いところだと思います。まだ“陽が沈む”まで時間はあるので先へと急ぎます。<br /><br />先へ進むと “南風保多御嶽(ぱいふたわん)”、黒島灯台から仲本海岸に向かう途中にありました。そして着いたは“仲本海岸”、“黒島イチ”有名なところですが、こちらも“竹富町指定海水浴場ではありません”表記。いったい“竹富町の指定海水浴場”ってどこなのかしりたくなりました!もしかして今まで訪れた“竹富町の島”にはないのかも・・・。石垣島は石垣市なんで、“竹富島・与那国島・波照間島・黒島”になりますが。今回の旅行記のまとめに書こうとしましょう。<br /><br />仲本海岸は、八重山諸島を紹介する“絵はがき”には必ず載っている場所です。なので、そのアングルってすぐにわかるだろうとたかをくくっていました。でもでも・・・、どこでしょう?わかりません。草木が入っているんで“浜”に下りてはいないはず。結局“一番それらしい”のがトップの写真です^_^;。その他お店なんかもあったりするんですが、なんせ時間も時間…、一組のカップルが来ていただけのような感じです。看板と隣の“東屋”なんかを写真に収めて先を急ぐことにします。次の目的地は“宮里海岸”“黒島ビジターセンター”“プズマリ”です。ちなみに石碑には“フズマリ”とありました。今さらの話ですが、この“宮里海岸”ってネーミングって…集落の名前なんですよね。つまりお世話になっている“民宿あ~ちゃん”のすぐわきにいたってことに…なります。気づきませんでした。<br /><br />手前から順に・・・と言うことで“宮里海岸”から回ります。“自転車”が一台止まっていたので、先客がおられるはずですが・・・、見あたりません。どこに行かれたのかわかりませんが、とにかく浜辺へと行ってみます。こちらも“竹富町指定海水浴場ではありません”と書いてあります。確かに口コミで書かれているように“こじんまり”としたところです。仲本海岸から宮里海岸までは、干潮時に巨大なプールに早がわり!ってところらしいですが、竹富町指定の海水浴場ではないことを踏まえ、”自己責任”にて楽しんで下さいって言うことですね!!ただ海水浴場ではないことから”シャワー”や”トイレ”等の設備はありません。<br /><br />そして黒島ビジターセンターに行きます。こちらは、黒島の豊かな自然と独自の文化を、島を訪れる人に、より深く理解し、親しんでもらうための施設です。内部には、地形模型・カラーコルトン・標本・民具が展示され、パネルやスライドによって黒島の自然や文化、サンゴ礁の生物などがわかりやすく解説されています。<br />ここで、島を探勝するための情報や島の周辺に広がるサンゴ礁の景観を正しく・安全に楽しむための予備知識などを得ることも出できます。と看板には書いてありましたが、確かに中の展示物なんかは”黒島”を知るのにいい材料だと思います。ただ・・・スタッフの方ですが、”挨拶くらいはして欲しい”ものです。なんか”そんなつまらないこと”で雰囲気を壊すのはもったいない・・・と思います。ちなみに”名物てっちゃんおじぃ~”の姿は見かけなかったような・・・、それか”野郎”と知って”雲隠れ”(笑)。<br /><br />そして敷地内の”番所跡”へ。こちらは竹富町指定の史跡です。八重山群島が薩摩藩の支配下におかれていた時代に、蔵元(行政庁)の末端機関として、当時の黒島を統治するために置かれた村番所跡(役所跡)のことで、当時の番所には首里王府派遣の役人(与人・目差等)が常駐し、村からも一年交代で協力人が選出され、人頭税の徴収や島に出入りする船舶の荷役の管理・統制等を行っていた場所だそうです。それに付随する場所が”プズマリ”、昔海上を行く貢船異国船を監視するため、遠見台として琉球王府時代に使われた、黒島で一番高い場所です。八重山の島じまにこのような遠見台があり、船が見えると日や煙を使って遠見台から遠見台へ次々と合図が送られ、石垣島の蔵元(琉球王府の役所)へ通報されました。八重山諸島に見られる”物見台”のひとつですね!ただしここでひとつ注意事項、”説明文”には”登れる”ように書いてありますが、本日2014年4月10日現在、”崩壊の危険性”があり登れません、悪しからず。ちなみに“プズマリ”が黒島で一番高い場所と言うのはその時代の話です。今は“黒島灯台”であり、“黒島展望台”です。<br /><br />一通り見物した後、島周回道路”地道”区間を”あ~ちゃん10号”で走っていきます。途中うわさでは聞いていた”野生のクジャク”さんに遭遇したりしていたら”黒島研究所”を通過してしまいました。と言うわけで”島一周の最終目的地”西の浜”へと着きます。<br /><br />夕暮れには少し早い時間、とはいえ“炎天下”の黒島を“あ~ちゃん10号”で走り回って来ましたのでちょっと“お疲れモード”です。ただ“竹富町指定海水浴場ではありません”ビーチを巡って来たため、“やっと着いた”って感じでした。でもでも~っ、ここもやはり“竹富町指定海水浴場ではありません”表示です。発想の転換ではありませんが、ようは“黒島”で泳ぎたければ“自己責任でど~ぞ!”ってことなのか~と思うしかないのかな?そう思うと気楽になりました、ハイ!<br />一応“黒島研究所”で“ライフジャケット”の貸し出しを行っているそうです。ただ条件等は確認してから行くようにして下さい。黒島では年に数回海難事故が起こっています。せっかくの思い出を“悲劇”にしないためにも・・・。<br /><br />私は今回泳ぐ予定はなかったので、“西の浜散策”だけにします。たまたま“セメントビーチ”でくつろいでた方とお話ししていたら、やはり“石垣”拠点の日帰りとのこと。今日石垣に着いてそのまま黒島入りして“最終の高速艇”で戻るらしく、いきさつは覚えていないんですが、黒島港までご一緒して、決まり文句の“またどこかで~!”って感じでお別れしました。<br /><br />只今18:00、いまだ明るい黒島なんで、もう一度“西の浜”まで戻り、“陽の入り”を見に行きました。ただ若干雲がかかっているため、“ちょっと厳しいかな?”と思い、今一度黒島港まで戻った後県道213号線を南下します。途中にある“黒島展望台”を急いで駆け上り、周りの“黒島小中学校”“小池百合子大臣記念植樹”“乾震堂”をさっと見学し、東筋集落まで来てちょうど“陽の入り”の時間になります。<br /><br />ここが黒島巡りの旅の終着点となり、日暮れまでに“民宿あ~ちゃん”に戻る予定でした。それが・・・、トラブル発生!地図で“どう走れば”早く着けるか~?なんて考えながら“あ~ちゃん10号”をこいでいたところ、まさかの“ここはどこ?私はだれ?”状態、つまり“迷子”になりました。日は暮れてくるから余計に焦ります。そういう時にこそ“スマホナビ!”のはずが、“道がありません”(;゚д゚)。“文明のリキが~~~ぁっ~~!”と路頭に迷った時、ガラケーの着信音が。そう言えば、田舎に強い“地図ナビ”、起動させると・・・出ました“地図”が!よく見ると隣の集落まで来ており、残り200mというところ。ラストランのヒトこぎをしようとした瞬間、ケータイが鳴りました。日が暮れても帰って来ないことを心配して“あ~ちゃんお母さん”からでした。はなしながら“もう着きます~”って切るのが早いか着くのが早いかでした。聞けば“海に入るとは言ってなかったけど・・・”、でも仲本海岸まで“チャリンコ”を見に行って頂いたとのこと。大変お騒がせいたしました~。<br /><br />というわけで、最後はちょっと取り乱しましたが、無事今回の第一目的地“黒島”の“ミッション”をクリアしました。昼間はとにかく先に進まないと・・・、という気持ちが先走っていたため、食事を忘れていました。なのでオナカペコペコです。<br />贅沢にもまた食事を出して頂き、また昨日とは違う“お食事”、ホント美味しかったです!そしてごはんを頂いたあと、おじぃに“ヤシガニ”探しにまた連れて行って頂きました。結果は“残念”でしたが、昨日とは違い“昼間走った道”、なんとなく道のつながりがわかります!頭の中で“次はここ”!ってのがわかるとなんか“にわか島人”になった気分です。もしかすると前日も連れてきて頂いたのかもしれませんが、伊古桟橋から見る“石垣の夜景”のきれいなこと!一生忘れません!!島一周12kmくらいと言われていますが、多分この距離は“島一周道路”の距離ではないかと思います。今回はその道から無数に枝分かれしている道を通って海辺まで走りましたが、多分倍くらいの距離は走っています。ここまでやろうとすると、やはり日帰りでは不可能ですね。<br /><br />宿に戻ってからも“おじぃ”にいろいろ話を聞くことができました。戦争のことをはじめ、八重山諸島の宿泊事情、宿泊サイトの良いところ悪いところなどなど。ホント話は尽きず“徹夜”も良いかな~なんて思ったりもしましたが、やはり迷惑なんでほどほどにさせて頂きました。またいろんなはなし聞かせて下さい!というようにして、シャワーを浴びて、明日の予定を確認し、フトンに入るとzzz。そして黒島をたつ朝が来ます。<br /><br />【2014年4月11日金曜日】<br />朝は7:00過ぎに起きましたが、なんかまだ眠い・・・、しばらくウダウダしたあと意を決し“一服(-.-;)y-~~~”へ。お母さんと挨拶し、しばらくして“朝食”を頂きます。美味しかったです!ご馳走さまでした!!<br /><br />ホントもっとはなしをしたかったんですが、仕事もあるだろうし、私は次の予定へ。そして9:40頃、お母さんの運転で港へ送って頂きました。しばらく港でお話ししていたら、“おや?船遅れてる?”ってことになっちゃいました。石垣で15分の乗り継ぎで次の目的地“鳩間島”に向かいます。絶妙のタイミングゆえに“ちょっとした遅れ”が命取りになってしまうんで、まぁどうしようもないか~と思いながらもお母さんに“そういうときってどうなるんですか~?”って聞いたところ即座に“船員さんに言いなさい”と。そんなもんかなぁ~って思いながら“船員氏”に伝えたところ、万全の自信を持って“大丈夫です!”と。さすがに面食らってしまいましたが、私にはどうすることもできないので、お母さんに挨拶して石垣行き“安栄観光高速艇”の乗客となりました。<br /><br />2日前に乗った25分間、どうこう思う前に着いてしまいます。ホントに間に合うのかな~?って気持ちをよそに、船は6番乗り場に到着します。あれ??、そうなんです。6番乗り場って鳩間島行きの乗り場です。つまり~黒島発石垣行きが鳩間島経由西表上原行きになるわけです!船員氏の自信に満ちた答えはここにあった訳ですハイ!おまけに遅れてると思っていた船は定刻に出航しています。私の勘違いでした。<br /><br />ヒヤリとしましたが、石垣で“石垣~鳩間島”、“鳩間島~西表上原”、“西表上原~石垣”のチケットを無事発券し、改めて鳩間島行きの乗客とあいなりました。<br /><br />今回石垣でのチケット発券で、ひとつわかったこと。それは“予約”を入れている行程の発券を一度にまとめてしてくれないってことです。多分天候不順などで欠航になったときの“払い戻し”の手間を考えて、最小限の区間のチケットしか発券してくれないみたいです。つまり私の場合、石垣~黒島の往復のみ発券し、あとの石垣~鳩間、鳩間~西表上原、西表上原~石垣の発券は使う寸前にとなりました。しかし船が遅れたりして“石垣”での滞在時間がほとんどない場合、“命取り”になる可能性があります。なのでそういう微妙な場合はカウンターで言って、まとめて発券してくれるように言った方が良いと思います。<br /><br /><br />これで第3弾現実逃避行八重山諸島の旅~黒島・鳩間島・西表島・石垣島~《その①関西~石垣島~黒島編》は終わりです。<br />

第3弾現実逃避行八重山諸島の旅~黒島・鳩間島・西表島・石垣島~《その①黒島編》

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2014/04/09 - 2014/04/15

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

【黒島・仲本海岸にて。2014年4月10日】

旅の始まりは、いつものごとく大義名分から始まります。
私にとって、旅は”日常のマンネリ感”を解消する”特効薬”なるものなり。決して揶揄されるべくものではないことをここに気持ち新たにして旅立つものなりけり。

まぁそんなこと言っても仕方がないので、第3段現実逃避行八重山へ行っちゃいました!

こちらでは、家を出てから関西空港~石垣島、そして初めて訪れた黒島での3日間の滞在について書いています。

今回の飛行機の足は、前回同様”Peach航空”の3月3日発売”バースディーバーゲン”でgetした片道2,000円の料金を4月9日と4月15日の関西~石垣線往復にあてるところからはじまります。

【2014年4月9日水曜日】
自宅 05:30
駅  06:07《はるか3号》
関西空港 07:41
シャトルターミナル 07:52
関西空港第2ターミナル 07:58
関西空港 08:45《MM231》
石垣空港 11:10【向かい風のため11:32着】
11:45【混んでたので12:00】《東運輸》
バスターミナル 12:32 【12:40】

はるか往復割引キップ・・・\5,200
MM231・・・\3,985
東運輸バス・・・\540
石垣~黒島往復・・・\2,080
民宿あ~ちゃん・・・\12,000【じゃらん手配×2泊】

旅立つ朝はいつものことながら、徹夜して出発です。朝5:30に自宅を出発し、送ってもらいます。某田舎の駅には5:45到着、仕事の時と変わらずコンビニで”ドリンク”をイッポン!”気合”を入れた後、6:07発”はるか3号”に乗ります。私は関西空港を利用するときはほとんど”リムジンバス”を利用します。安いし寝て行けるんで。でも9年前に中国に行ったときと今回は、フライトの時間の関係で”はるか”を利用します。でも昔”はるか”の往復割引キップって、京都発で¥6,240だったような…。今は滋賀の田舎駅からの往復で¥5,200(今は\5,350)・・・。安くなったもんだ!

電車では寝られないんで、ぼ~っとしたまま関西空港駅7:41に定刻到着。前回はバスで来たので”第2ターミナル”まで直行でしたが、今回はシャトルバスを使います。南海バスが運行しているシャトルバスの”乗り場”迄歩きます。初めてなんで”どうしよう…”なんて思いましたが、この時間”第1ターミナル”に行かれない方は”皆さん一緒”、なんでついて行きました。
7:52出発、7:58第2ターミナル到着。すぐに見慣れた”ピーチ航空”のチェックイン機に行って手続きを完了。8:05余裕のチェックインでした!

いつものごとく”ヒヤヒヤ”しながらセキュリティーを通り、ゲートの前に陣取ります。順調なスタートで、MM231便は8:45定刻石垣へ向かってTAKEOFFしました。

気象条件には詳しくありませんが、どうも風向が向かい風のようで到着は”11:30を予定しております”とのアナウンス。とにかく寝たいので”まぁそんなこともあるさ~”ってzzz。気がついた時にはすでに着陸体制に入っていました。

新石垣空港着11:32、予定より22分遅れで到着しました。その後は”空港シャトルバス”でバスターミナルへと向かいます。予定していた11:45も乗ろうと思えば乗れたのですが、ギリギリに行ったんで”立席”っぽかったので一本遅らせ12:00の便に乗ることに。それでも15分しか変わらない点は非常に便利です。ただ”乗れない”んではなく、”ノンステップ”の普通のバスなんで、”荷物”の収納スペースがほとんどなく”通路”に置くしかないんで、運転士が止めているみたいです。

ただ、乗ったバスの運転士が途中から乗った地元の人に言った言葉は、「飛行機が着いた時なんで混んでても仕方がない」と。プロ意識がないと言うか「言い訳け」をする前にお客さんになんで”謝れないんでしょうかね“?日曜日にスーパーに買い物に行って、レジ係が「こんな日に買い物に来るお客さんが悪い」なんて言ったらどうします?”腹が立ちますよね?”地元のお客さんにはまず謝って、車内放送で「1歩ずつ奥に詰めてください」、その一言だと思います。運輸業界の台所事情はわかっているつもりですが、空港シャトルとして「ノンステップ」車両での運行は、人的キャパは増えても、バゲッジスペースがゼロに近いことくらいわかりそうなものですが…。常時ただ運行をするのではなくって集客状況によって増便させて対応するなど考えて貰いたいです。まぁそれは東運輸さんの話としておいといて、バスは12:40定刻にバスターミナルに到着します。そこから徒歩3分、4ヶ月ぶりの石垣離島ターミナルです。

いつも私が離島ターミナルにつくと”儀式”をします。まず”シークァーサージュース”を買います。そしてお決まりの一服(-.-)y-゜゜゜。これが終わってからの行動になるのですが、今回は違います!皆さん誉めてやってください(笑)。先に切符を買いました。石垣~黒島往復です。13:00発ですが、15分くらい余ったので儀式をして、黒島行き高速艇に乗船しました。ちなみに八重山観光フェリーの高速艇は初体験です♪

所要25分はあっという間です。13:25黒島港桟橋に到着、事前に連絡していた、2泊お世話になる”民宿あ~ちゃん”のご主人(独身)がお出迎え。お世話になります♪

それでは黒島についてのうんちくといきましょうか!

座標:北緯24度14分22秒
東経124度0分53秒
面積:10.02平方キロメートル
海岸線長:12.6km
最高座標:15.3m
所属海域:太平洋
所属諸島:八重山列島
アウトライン:沖縄県八重山郡竹富町にあり、石垣島より南南西17kmに位置する。人口226人(2010年1月1日現在)に対し牛2,987頭(2010年1月1日現在)と人口の10倍以上の牛がいる“牛”の島として有名である。また島の形が“ハート”型をしていることから、別名“ハートアイランド”とも呼ばれる。また“ウタキ”が多いことでも知られ、10ヶ所以上の“ウタキ”が存在するが廃村等で既に廃止されたものもあります。その中で“黒島八嶽”と呼ばれる主要な“ウタキ”があります。これは、首里王府時代には“公儀御嶽”として信仰の中心を形成していたものですが、場所は“二嶽”を除きほとんど海岸の近くにあるのが特徴となっています。ちなみに黒島八嶽とは、”喜屋武御嶽(キャンワン)”・”仲盛御嶽(ナハムリワン)”・”北神山御嶽(ニシハメマワン)”・”南神山御嶽(パイハメマワン)”・”南風保多御嶽(パイフタワン)”・”保慶御嶽”・”保里御嶽(ワン)”・”迎里御嶽(ンギシトゥワン)”を指します。八重山諸島のほぼ中央にある黒島は、隆起珊瑚礁からなる典型的な“野国(ヌングン)島:山も川もない、平らで水田の全くない島”です。このため黒島には古くから海と関わる文化があり、御嶽についてもそのほとんどが航海安全に関係したもので、海との深い繋がりを有する由来が残されています。また黒島には造船に関する伝説も残されており、航海の始まりの島とも言われています。

http://www.zephyr.justhpbs.jp/kuroshima_utaki.html

はしょる訳ではありませんがこの後私は、日がくれるまで寝ていました。なんせ徹夜明けなもんで。日が暮れて外から喋り声が聞こえてきたことでやっと目を覚まし、2泊とも”唯一の観光客” のはずが、1人増えたことを知ったのはしばらくしてからです。天気の良い中、旅先で寝られるというのは、私には贅沢すぎる贅沢です♪

と言う訳で三重から来られた私より1つ下の男性と一緒に食事を頂きます。私は喋りベタなので(誰ですか?苦笑しているのは!)、なかなか上手く会話に乗れませんでしたが、”あ~ちゃん”含め独身2人と嫁さんホッてひとり旅の計3人の中年男子の話は…ご想像におまかせ致します♪

食事後”ヤシガニ”探しに連れて行って頂きました。残念ながら見つかりませんでしたが…。帰ってきてもまた話は尽きず、結構話して流れ解散になりました。と言うのが初日です。寝ても寝ても寝られる環境なんでお言葉に甘えてzzz。


【2014年4月10日木曜日】
程々の時間に目が覚め、朝食を頂きます。昨日飛び込みで来られた方は、今日のピーチ便で関西空港に戻られます。まぁ名残惜しいですが仕方ないです。8:35の船に乗られるとのこと。でものんびりしています、確か8:15頃に黒島港に送って行くのを見送りました。”あ~ちゃん”は今日から与那国だそうです。ホントは”休業”の予定が”私”が連泊で”予約”を入れてしまったようで…、と言うことで今晩は、”おじ~”&”おば~”が私の相手をして下さるとのこと。お世話になります~!

しばらくスマホで行く場所をチェック!そして出かけようとしたところ、お母さんに会います。このお母さんとは話が合います!なにかと話が盛り上がって気が付くとお昼前。お母さん「何処かに行くんじゃなかったの?」と申し訳なさそうに言われましたが、そんなことないです。話している方が楽しかったです!こちらこそ仕事の手を止めてしまい申し訳けなかったです。

今日のアッシー君は“あ~ちゃん10号”。チャリンコです。黒島は“何もない”と言われますが、探せばあります。まずは港に向かい、そこから右回りに島を回ります。

“あ~ちゃん”を出て港へ向かう途中に、自転車に乗って逆方向に走ってくる“日帰り旅”と思しき女性とすれ違います。島生活の良いところ、出会う人とはすべて“あいさつ”を交わします。お互い“こんにちは~!”そのひとことが気持ち良いんですね。今の時間にすれ違ったなら会うことはありませんが、ちょっと朝から“いい気分”です。

とにかくスタート地点の“黒島港”にまずは到着。ぐるっと見回すと、なぜか数が多い“ウタキ”を見つけます。“保利御嶽”ですが、確かそちらの方に進むと“西の浜”に行くはずです。でも今日の最終目的地の予定なんで、逆方向へと進みます。

最初の目的地は“重要文化財伊古桟橋”です。港から一番手前の道を時計回りに行くのですが、その道の分岐点になぜか時期外れの“黒島牛祭り”の宣伝の“ウキ”がありました。その横には“黒島観光案内板”と“牛のモニュメント”があったので、情報収集のため、写真にパシャリ!それからスタートします。

東方向へ進んで行くと“黒島名物牛さん”が草を食べておられました。場所場所で“違ったイメージ”を持つと聞いたことがあったんで、写真に収めてからまた走ります。道沿いにあるのは“仲盛御嶽”、確か鳥居が折れていたような…。それからほんのちょっと行くと石敢當のあるT字路に着きます。これを右に曲がり森の小道を抜けると“重要文化財伊古桟橋”に到着します。さすがにここには“観光客”はいましたが、まばら…。もう行っちゃえ~ってことで桟橋の端っこまでちゃりんこで走ります。2005年12月26日に国の登録有形文化財に指定された“伊古桟橋”は、1924年(大正13年)に建設された木造の桟橋に始まり、1933年(昭和8年)に台風で破壊され、1935年(昭和10年)に現存する石積みおよびコンクリート造りで表面はモルタル塗のものが、延長354m、幅員4.25m、高さ1.8mで作られた。先端部分には4本の係船柱と荷置き場、荷揚げ場があり、かつては漁業に使用されていた。数年前は桟橋としては使用されていない上、桟橋の途中に台風などによる2箇所の崩落箇所がありましたが、2013年6月に修復工事が終わり先端まで歩いて行けるようになりました。元々この場所は遠浅で“干潮時”は沖に船を駐留させ、“牛車”で荷物や人を運んだらしいです。戦前の話だそうですが…。また“カップル”のご用達の場所で、特に夜ここへやってくると“石垣のビル明かり”が大変きれいでした。でも真っ暗な場所なんで“個人”で夜に訪れるのは危ないんではないか…とは思います。連れて行ってもらったんだけどカメラを忘れた…。まぁそんなこんなで“伊古桟橋”と“海”をしばらく楽しんでから次へと向かいます。

今来た道を戻って“島一周道路”まできました。目安は写真の石敢當(いしがんとう)。日本でも沖縄なんかでは普通に見られるはずですが、ここ黒島では結構目につきます。

伊古桟橋の後は、普通は“東筋集落”へと行くのでしょうが、途中で“ウタキ”の表示を見つけ、“ウタキ”の先に“海”があるということで、また森の小道へと入ります。“北神山御嶽”、“阿名泊御嶽”のわきを走って行くと“、“阿名泊展望台”へと着きます。ただ…だいぶお疲れモードのようで…、特に見るものもなくはしょりましたが、ひとつあまり見かけないものが…。NTTの海底ケーブルです。石垣に向かうものが“こちらから”敷設されているようでした。いっとき前までは“天気が荒れると電話が使えない”ってことが結構あった話は聞いたことがありましたが、今はケータイの時代…、NTT回線を使う方ってどれくらいいらっしゃるのかな?っとは思いましたが…。そんな感じで島一周道路へと戻って行きます。途中であった牧場で、何やら石碑のようなものを“発見”、ちゃりんこの“行動力”を生かし、見に行きます。“獣魂の碑”をありました。さすがに“人”より“牛さん”の方が多い島、なんとなくわかる気がします。と言うことで写真に収めた後、やっと周回道路に戻り、やっと“東筋集落”へと向かうことにします。

ぐるっと回っているはずですが、“目的地”と“目的地”の間はそんなに離れておらず、しばらく進むと“たま商店”さんを見つけます。今朝ライターをなくし慌てて買いに来た場所です。今回は当面の“飲み物”を調達します。そして一服(-.-)y-゜゜゜した後、まずは“集落散歩”です。黒島には5つの集落があります。その中で“中心的”なところがここ“東筋(あがりすじと読みます)集落”です。また色々な施設もあります。“黒島伝統芸能館”、“八重山舞踊勤王流ゆかりの地”の碑、“日本の道100選”の碑、“黒島郵便局”、その他“黒島診療所(建替え中)”、“黒島小中学校”などがあります。一通り見た後北上し“比江地御嶽”まで来ました。“うんどうや”さんの前と言った方がわかるかもしれませんが、その斜め前にある“ウタキ”になります。ここから北上すると“黒島灯台”に続きますが、一旦“東”方向に進みます。途中“南神山御嶽”や、牧場の中を通って行くとなにやら“看板”がかかっている様子、しかし字が読めません。あとで調べたところ“キャングチ海中公園”の場所のようです。“ようです”とは“写真”を見て頂くとわかりますが、“廃墟”になっています。以前は珊瑚礁が大変きれいな場所だったみたいですが、“オニヒトデ”や“海水温の上昇”等の被害でほぼ全滅してしまったようです。1970年代のきれいだった頃の写真は“黒島ビジターセンター”で見ることができますが、現在(2014年4月10日)では…、写真の通り“廃墟の桟橋”・“白化したサンゴ”、朽ちるままの“ウタキ”から当時を想像するしかありません。残念ですがこれも現実なんでしょう。

まぁ気を取り直して“東筋集落”へと戻り、“比江地御嶽”前を左折して“黒島灯台”へと向かいます。ひたすらまっすぐの道を行くと“灯台は右”の看板があります。そこを一旦直進して行けるところまで行ってみます。しかし牧場のど真ん中で行き止まり・・・。そんなわけで戻ります。“灯台矢印”まで戻って、しばらく周回道路を走ったあと左折すると“黒島灯台”に着きます。実際のところ“黒島灯台”こそ黒島の最も高い標高だとは思いますが…、当然中は立ち入り禁止です。なので灯台の“足元”をうろうろしましたが、まぁそんな感じです。そしてちょっと進むと、“黒島灯台下の浜”に着きます。こちらも“竹富町指定の海水浴場ではありません”表記がありました。でも意外な風景が・・・、写真のように“波照間島”に向かう“船”が見えます。何もないところですが、“黒島”の場所を知るには良いところだと思います。まだ“陽が沈む”まで時間はあるので先へと急ぎます。

先へ進むと “南風保多御嶽(ぱいふたわん)”、黒島灯台から仲本海岸に向かう途中にありました。そして着いたは“仲本海岸”、“黒島イチ”有名なところですが、こちらも“竹富町指定海水浴場ではありません”表記。いったい“竹富町の指定海水浴場”ってどこなのかしりたくなりました!もしかして今まで訪れた“竹富町の島”にはないのかも・・・。石垣島は石垣市なんで、“竹富島・与那国島・波照間島・黒島”になりますが。今回の旅行記のまとめに書こうとしましょう。

仲本海岸は、八重山諸島を紹介する“絵はがき”には必ず載っている場所です。なので、そのアングルってすぐにわかるだろうとたかをくくっていました。でもでも・・・、どこでしょう?わかりません。草木が入っているんで“浜”に下りてはいないはず。結局“一番それらしい”のがトップの写真です^_^;。その他お店なんかもあったりするんですが、なんせ時間も時間…、一組のカップルが来ていただけのような感じです。看板と隣の“東屋”なんかを写真に収めて先を急ぐことにします。次の目的地は“宮里海岸”“黒島ビジターセンター”“プズマリ”です。ちなみに石碑には“フズマリ”とありました。今さらの話ですが、この“宮里海岸”ってネーミングって…集落の名前なんですよね。つまりお世話になっている“民宿あ~ちゃん”のすぐわきにいたってことに…なります。気づきませんでした。

手前から順に・・・と言うことで“宮里海岸”から回ります。“自転車”が一台止まっていたので、先客がおられるはずですが・・・、見あたりません。どこに行かれたのかわかりませんが、とにかく浜辺へと行ってみます。こちらも“竹富町指定海水浴場ではありません”と書いてあります。確かに口コミで書かれているように“こじんまり”としたところです。仲本海岸から宮里海岸までは、干潮時に巨大なプールに早がわり!ってところらしいですが、竹富町指定の海水浴場ではないことを踏まえ、”自己責任”にて楽しんで下さいって言うことですね!!ただ海水浴場ではないことから”シャワー”や”トイレ”等の設備はありません。

そして黒島ビジターセンターに行きます。こちらは、黒島の豊かな自然と独自の文化を、島を訪れる人に、より深く理解し、親しんでもらうための施設です。内部には、地形模型・カラーコルトン・標本・民具が展示され、パネルやスライドによって黒島の自然や文化、サンゴ礁の生物などがわかりやすく解説されています。
ここで、島を探勝するための情報や島の周辺に広がるサンゴ礁の景観を正しく・安全に楽しむための予備知識などを得ることも出できます。と看板には書いてありましたが、確かに中の展示物なんかは”黒島”を知るのにいい材料だと思います。ただ・・・スタッフの方ですが、”挨拶くらいはして欲しい”ものです。なんか”そんなつまらないこと”で雰囲気を壊すのはもったいない・・・と思います。ちなみに”名物てっちゃんおじぃ~”の姿は見かけなかったような・・・、それか”野郎”と知って”雲隠れ”(笑)。

そして敷地内の”番所跡”へ。こちらは竹富町指定の史跡です。八重山群島が薩摩藩の支配下におかれていた時代に、蔵元(行政庁)の末端機関として、当時の黒島を統治するために置かれた村番所跡(役所跡)のことで、当時の番所には首里王府派遣の役人(与人・目差等)が常駐し、村からも一年交代で協力人が選出され、人頭税の徴収や島に出入りする船舶の荷役の管理・統制等を行っていた場所だそうです。それに付随する場所が”プズマリ”、昔海上を行く貢船異国船を監視するため、遠見台として琉球王府時代に使われた、黒島で一番高い場所です。八重山の島じまにこのような遠見台があり、船が見えると日や煙を使って遠見台から遠見台へ次々と合図が送られ、石垣島の蔵元(琉球王府の役所)へ通報されました。八重山諸島に見られる”物見台”のひとつですね!ただしここでひとつ注意事項、”説明文”には”登れる”ように書いてありますが、本日2014年4月10日現在、”崩壊の危険性”があり登れません、悪しからず。ちなみに“プズマリ”が黒島で一番高い場所と言うのはその時代の話です。今は“黒島灯台”であり、“黒島展望台”です。

一通り見物した後、島周回道路”地道”区間を”あ~ちゃん10号”で走っていきます。途中うわさでは聞いていた”野生のクジャク”さんに遭遇したりしていたら”黒島研究所”を通過してしまいました。と言うわけで”島一周の最終目的地”西の浜”へと着きます。

夕暮れには少し早い時間、とはいえ“炎天下”の黒島を“あ~ちゃん10号”で走り回って来ましたのでちょっと“お疲れモード”です。ただ“竹富町指定海水浴場ではありません”ビーチを巡って来たため、“やっと着いた”って感じでした。でもでも~っ、ここもやはり“竹富町指定海水浴場ではありません”表示です。発想の転換ではありませんが、ようは“黒島”で泳ぎたければ“自己責任でど~ぞ!”ってことなのか~と思うしかないのかな?そう思うと気楽になりました、ハイ!
一応“黒島研究所”で“ライフジャケット”の貸し出しを行っているそうです。ただ条件等は確認してから行くようにして下さい。黒島では年に数回海難事故が起こっています。せっかくの思い出を“悲劇”にしないためにも・・・。

私は今回泳ぐ予定はなかったので、“西の浜散策”だけにします。たまたま“セメントビーチ”でくつろいでた方とお話ししていたら、やはり“石垣”拠点の日帰りとのこと。今日石垣に着いてそのまま黒島入りして“最終の高速艇”で戻るらしく、いきさつは覚えていないんですが、黒島港までご一緒して、決まり文句の“またどこかで~!”って感じでお別れしました。

只今18:00、いまだ明るい黒島なんで、もう一度“西の浜”まで戻り、“陽の入り”を見に行きました。ただ若干雲がかかっているため、“ちょっと厳しいかな?”と思い、今一度黒島港まで戻った後県道213号線を南下します。途中にある“黒島展望台”を急いで駆け上り、周りの“黒島小中学校”“小池百合子大臣記念植樹”“乾震堂”をさっと見学し、東筋集落まで来てちょうど“陽の入り”の時間になります。

ここが黒島巡りの旅の終着点となり、日暮れまでに“民宿あ~ちゃん”に戻る予定でした。それが・・・、トラブル発生!地図で“どう走れば”早く着けるか~?なんて考えながら“あ~ちゃん10号”をこいでいたところ、まさかの“ここはどこ?私はだれ?”状態、つまり“迷子”になりました。日は暮れてくるから余計に焦ります。そういう時にこそ“スマホナビ!”のはずが、“道がありません”(;゚д゚)。“文明のリキが~~~ぁっ~~!”と路頭に迷った時、ガラケーの着信音が。そう言えば、田舎に強い“地図ナビ”、起動させると・・・出ました“地図”が!よく見ると隣の集落まで来ており、残り200mというところ。ラストランのヒトこぎをしようとした瞬間、ケータイが鳴りました。日が暮れても帰って来ないことを心配して“あ~ちゃんお母さん”からでした。はなしながら“もう着きます~”って切るのが早いか着くのが早いかでした。聞けば“海に入るとは言ってなかったけど・・・”、でも仲本海岸まで“チャリンコ”を見に行って頂いたとのこと。大変お騒がせいたしました~。

というわけで、最後はちょっと取り乱しましたが、無事今回の第一目的地“黒島”の“ミッション”をクリアしました。昼間はとにかく先に進まないと・・・、という気持ちが先走っていたため、食事を忘れていました。なのでオナカペコペコです。
贅沢にもまた食事を出して頂き、また昨日とは違う“お食事”、ホント美味しかったです!そしてごはんを頂いたあと、おじぃに“ヤシガニ”探しにまた連れて行って頂きました。結果は“残念”でしたが、昨日とは違い“昼間走った道”、なんとなく道のつながりがわかります!頭の中で“次はここ”!ってのがわかるとなんか“にわか島人”になった気分です。もしかすると前日も連れてきて頂いたのかもしれませんが、伊古桟橋から見る“石垣の夜景”のきれいなこと!一生忘れません!!島一周12kmくらいと言われていますが、多分この距離は“島一周道路”の距離ではないかと思います。今回はその道から無数に枝分かれしている道を通って海辺まで走りましたが、多分倍くらいの距離は走っています。ここまでやろうとすると、やはり日帰りでは不可能ですね。

宿に戻ってからも“おじぃ”にいろいろ話を聞くことができました。戦争のことをはじめ、八重山諸島の宿泊事情、宿泊サイトの良いところ悪いところなどなど。ホント話は尽きず“徹夜”も良いかな~なんて思ったりもしましたが、やはり迷惑なんでほどほどにさせて頂きました。またいろんなはなし聞かせて下さい!というようにして、シャワーを浴びて、明日の予定を確認し、フトンに入るとzzz。そして黒島をたつ朝が来ます。

【2014年4月11日金曜日】
朝は7:00過ぎに起きましたが、なんかまだ眠い・・・、しばらくウダウダしたあと意を決し“一服(-.-;)y-~~~”へ。お母さんと挨拶し、しばらくして“朝食”を頂きます。美味しかったです!ご馳走さまでした!!

ホントもっとはなしをしたかったんですが、仕事もあるだろうし、私は次の予定へ。そして9:40頃、お母さんの運転で港へ送って頂きました。しばらく港でお話ししていたら、“おや?船遅れてる?”ってことになっちゃいました。石垣で15分の乗り継ぎで次の目的地“鳩間島”に向かいます。絶妙のタイミングゆえに“ちょっとした遅れ”が命取りになってしまうんで、まぁどうしようもないか~と思いながらもお母さんに“そういうときってどうなるんですか~?”って聞いたところ即座に“船員さんに言いなさい”と。そんなもんかなぁ~って思いながら“船員氏”に伝えたところ、万全の自信を持って“大丈夫です!”と。さすがに面食らってしまいましたが、私にはどうすることもできないので、お母さんに挨拶して石垣行き“安栄観光高速艇”の乗客となりました。

2日前に乗った25分間、どうこう思う前に着いてしまいます。ホントに間に合うのかな~?って気持ちをよそに、船は6番乗り場に到着します。あれ??、そうなんです。6番乗り場って鳩間島行きの乗り場です。つまり~黒島発石垣行きが鳩間島経由西表上原行きになるわけです!船員氏の自信に満ちた答えはここにあった訳ですハイ!おまけに遅れてると思っていた船は定刻に出航しています。私の勘違いでした。

ヒヤリとしましたが、石垣で“石垣~鳩間島”、“鳩間島~西表上原”、“西表上原~石垣”のチケットを無事発券し、改めて鳩間島行きの乗客とあいなりました。

今回石垣でのチケット発券で、ひとつわかったこと。それは“予約”を入れている行程の発券を一度にまとめてしてくれないってことです。多分天候不順などで欠航になったときの“払い戻し”の手間を考えて、最小限の区間のチケットしか発券してくれないみたいです。つまり私の場合、石垣~黒島の往復のみ発券し、あとの石垣~鳩間、鳩間~西表上原、西表上原~石垣の発券は使う寸前にとなりました。しかし船が遅れたりして“石垣”での滞在時間がほとんどない場合、“命取り”になる可能性があります。なのでそういう微妙な場合はカウンターで言って、まとめて発券してくれるように言った方が良いと思います。


これで第3弾現実逃避行八重山諸島の旅~黒島・鳩間島・西表島・石垣島~《その①関西~石垣島~黒島編》は終わりです。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
4.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
レンタカー JR特急 JRローカル 徒歩 Peach
旅行の手配内容
個別手配

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