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2014年のゴールデンウィーク休暇も後半の5月4日。今日も朝から走りに出かける。今回は、平井山の秀吉本陣跡と竹中半兵衛の墓に行ってみようと思う。片道7.5km程度なので、ほどほどの距離じゃないかな(中学生当時は大塚とかは自動車でしか行けないくらい遠く感じていたのだが、ランニングが日常になると感覚的な距離は縮まるもんだなあ)。<br /><br />実家から別所橋を渡り、電鉄三木駅横の踏切を通るルートにしよう。前日は、給水不足でペースダウンを招いたので、途中のコンビニに立ち寄ってミネラルウォーターを購入。<br /><br />バイパスを横断してすぐに電鉄三木駅。車輌を模した外観のトイレが改札横にできていた。最近、三木市民病院が移転してしまったのだが、移転後がどうなったのか、ついでに見てくれば良かった。三木城の白壁を見ながら上津橋を渡る。<br /><br />突き当たりの信号の所に来てから、スマホのグーグルマップのナビ機能を使用。ん、このまま直進? って、車通れない路地を走って行くのか! ということで、路地裏を走って、戎神社前までやってくる。以前に来たことがあったような(ないような)。そのまま集落の中を斜めに突っ切って、永久橋にまでやってきた。向こうに見えるのが平井山かなー <br /><br />永久橋をわたってすぐに右折、またも集落の中を通ることに。やたら急な上り坂に続き、明らかに農道だろ? ってところを通る(一応、公道ではあるようだが)。しばらく走ってようやくまともな県道に合流。竹中半兵衛の墓って看板が見えてきた。<br /><br />ということで、けっこうあっさりと竹中半兵衛の墓に到着。今年の大河ドラマの前半では、脇役とはいえ主人公の友人兼師匠みたいな役回りなので、官兵衛&半兵衛みたいな扱いで幟が上がっている。正直に白状すると今回初めての訪問です。<br /><br />墓地自体は周囲を土塀で囲っているものの、墓石の年代がわりと新しいというか、単なる四角い石に俗名が書いてあるだけというシンプルなもの。江戸時代にこの地を訪れた江戸時代後期の儒学者、山田翠雨が読んだ漢詩が傍らの看板に書いてあった。<br /><br />竹中半兵衛の墓から300mで平井山本陣跡との看板。農道を走って、すぐに到着。農道をこのまままっすぐ行くと観光ブドウ園のはずだが、この季節はバリケードがあって先には進めない。史跡はその手前。駐車場を意図したものか、平らに整地した空き地ができていた。<br /><br />意外にちゃんとした登り口(木材で補強済み)が整備されている上、登り口に設置されているポストには、近年の発掘調査の結果である、推定縄張り図がA4用紙に印刷されたものが入っていて、ご自由にお取りくださいとのこと。三木市の教育委員会もやる気になったらちゃんとした調査できるんだなあ、と感心。<br /><br />ということで、縄張り図を片手に主郭あたりまで行ってみることにした。山道とはいっても全体的に緩やかな傾斜なので、それほど登るのに苦労はしない。小学生の社会科見学にちょうど良いのではなかろうか。あと、昔からの伝承上の呼び名(「太閤道」とか)がどの辺りかといったことが分かりやすくておもしろい。全体的に細い斜面を伝って、平坦な場所にでる。織豊系の城郭は野戦築城のレベルでも主郭周辺は結構高い技術水準の造り、と聞いてはいたものの、パッと見では、どうテクニカルな造りになっているのか、よくわからなかった。<br /><br />まあ、とにかく、主郭に到着。ステンレスのポールで作られた「櫓」が建っていた。梯子に足をかけるとギシギシ鳴るのでおっかないなあ。。。<br /><br />おっかなびっくり櫓の上に登ると、南側に三木市役所がはっきり見えた。この辺りが当時の三木城だったことを考えると、この辺りから監視もしつつ、包囲戦を続けるっていう様子がよくわかった。<br /><br />あと、今年の大河ドラマでは平井山滞陣中の竹中半兵衛がけっこう立派な造りの建物の中で、病の床に伏しているっていうシーンがあったのだが、たぶん、主郭の広さからは、なかなか一部将にあれだけの広いスペースは割り当てられないんじゃなかろうかなあ。。。<br /><br />まあ、なかなかいいものみせてもらった。どうせだから、帰りに三木城跡も寄って帰ろう。ということで、「大手」という住所(というより字(あざ)?)のところから、お城方面に向かって坂を上るが、お城とは反対方向にいってしまい、市役所の駐車場のところに出てきてしまう。この辺が昔グラウンドでサッカーの大会とかやってたの、最近の人は思いもつかないんだろうなあ(いや、まあ、母親に言わせると、昔はそこに三木高校があった痕跡すらないやろ、とか言い出すんだろうが)。<br /><br />三木市役所から今度は坂を下って、金物神社に到着。「村の鍛冶屋」の歌碑があるところです。神社を通り抜けて、上の丸公園(三木城跡)に到着。地元の人が公園の掃除をしていた。最後に訪れたのが小学生かそこらだったのだが、正直、こんな感じだったっけ? って印象が拭えない。明治以降の軍人さんの忠魂碑なんかとごちゃまぜになっている上、最近、地元のライオンズクラブが寄贈したという、悪趣味!な別所長治公像が目立つところに無神経に設置されていたりして、ちょっとクラクラしてくる。もうちょっとシンプルでも良いのと違うかな?<br /><br />ということで、少なからずガッカリしつつも、「カンカン井戸」横の石段を使ってナメラ商店街に出る。というか、朝早いとはいえ、この静まり返った雰囲気は商店街としてはどうなんだろうという寂れっぷりだ。これでは、三木城に観光に来てくれた奇特な人もガッカリして帰るわ。。。<br /><br />ナメラ商店街を通って「湯の山街道」沿いに帰宅することにするが、今年は新年に体調不良で初詣してなかったので、通り道にある大宮八幡宮にもお参りしてくる。御神輿が勇壮に石段を登る秋祭りで有名なところだが、朝も早いのでまあ静かなこと。<br /><br />そして、別所家廟所である法界寺にも立ち寄る。三木合戦の「絵解き」が4月中旬に行われた、とかこの前ニュースになってたけど、自分の記憶する限りでは、もっと寒い季節にストーブつけてもらいながら、話を聞いていたとおもうんだが。。。<br /><br />法界寺に立ち寄ったのは、最近「法界寺陣城跡」の発掘調査が行われるとともに、城跡が整備されたということを母から聞いたからで、ここでもやっぱりポストに城郭の縄張り図その他を記した図面が入っていた。この辺りの人の気質としては、考古学に類する分野には全く興味を示さないので、ここまで丁寧に調査をした人の熱意には正直頭が下がる。<br /><br />そしてその日の午後、法界寺からごく近くにある母の実家で、その旨を母の兄弟に話す(法界寺のある東這田はその日が春祭りだったのだ)。母を含め、近所の子供は法界寺裏山の陣城跡で(城跡とか全く気づかず)遊びに興じていたのだが、「のっぺらぼう」と呼ばれる平らな場所があった、とかいう話を聞く。たぶん、主郭に開削したところだったんだろうなあ。昔は薪やなにやらで山の木を利用することも多かったと思うから、現在よりも地形が顕わに理解できたのかもしれない。昔の人の伝承もバカにはできないなあと、思う次第。<br /><br />そして翌日。前日の春祭りですき焼き食べ過ぎて、「おなかずつない」状態から何とか回復。午前中はのんびりして、昼前に神戸空港行きの路線バスでUターンすることにする。バスなので、途中で渋滞することも考慮して、ちょっと早めにお出かけ。ちなみに妻は三宮で買い物ということで、朝早くから神戸電鉄で神戸に出かけしていきました。<br /><br />11:31 神鉄恵比須駅前−神戸空港<br />神戸電鉄の恵比須駅前ロータリーからバスに乗車。この時点では乗客は私一人だけ。バスは自由が丘、緑が丘を経由して、細かくバス停で乗客を拾いながら運行するが、緑が丘駅前からは、押部谷、栄、木幡と神戸電鉄の駅前バス停のみに停車してその都度、数人の乗客を乗せて行く。なんか、露骨に神戸電鉄の乗客を奪ってるなあって感じがする。<br /><br />木幡駅を出発してからは、しばし曲がりくねった山道を経由して、神戸電鉄藍那駅横に出て(改めて考えてみると、バスにすら抜かされる電車というのも情けないところが。乗客を増やすために高速化は必須と違うかなあ)、藍那ICから阪神高速北神戸線を通って新神戸トンネルを抜けると、そこはもう生田川。<br /><br />ということで、ゴールデンウィークのUターンラッシュ、とか全く影響なくスムーズに三ノ宮に到着できた。運行ルートも定時運行ができるように十分練られているようで、乗り心地の面でも電車に勝っていたような気すらする。運賃をバスよりも大幅に下げるか(現時点ですら電車の方が高い)、志染−>新開地を30分くらいで結ぶくらいのドラスティックな改善がなければ、いつまでたっても神戸電鉄ジリ貧なのは変わらないんじゃないかと、いっそう粟生線廃止の危機を実感する。<br /><br />三ノ宮バスターミナルで他の乗客は全て降車、結局、私一人で神戸空港へ。ポートアイランドへは赤い橋(神戸大橋)を渡っていくのかと思いきや、海の底のトンネル(港島トンネル。1999年に開通したんだそうな)を経由して、神戸空港に到着。想定以上にスムーズに到着してしまった。<br /><br />ということで、妻よりも早く空港に到着してしまったので、しばらく神戸空港内の上島珈琲で時間を潰すことにする。出発ロビーが見渡せる席に座って、しばし書き物(ため込んでいた旅行記とか!)をして過ごしていると、妻もちょっと早めに空港に到着。高速船桟橋への連絡バスの発車時刻が13時52分なので、それまで二人でのんびりくつろぐ。妻が内服式の酔い止め薬を買ってきてくれたので、一緒に飲んでおくことにする。<br /><br />13:52 神戸空港前−神戸空港海上アクセスターミナル<br />高速船利用者は無料でバスが利用できる。空港の駐車場を横切っていけば直線距離で200m程なのだが、駐車場スペースを回り込むため、わりと時間がかかっているような気もする。まあ、せっかく無料で乗れるんだし、もったいないから乗っておけって感じかも。高速船のターミナルに到着すると、そのまま乗り込むよう、誘導される。<br /><br />14:00 神戸空港海上アクセスターミナル−関西空港ポートターミナル<br />海外から関空に戻ってくる旅行客は多いのだろうが、関空に向かう旅行客は絶対数が少ないのか、高速船の乗客はわりとまばら。数日前に乗ったときよりも揺れが少なかったような気もする。先に酔い止めを飲んでいた妻は既に効果が出てきたようでなかなか調子よさそう。うらやましいなあ。<br /><br />船の客も多くなかったので、空港へのバスも比較的余裕があり、のんびり坐って行けた。第1ターミナルに到着(バス停は4階)。<br /><br />さて、フライト時刻が16時なのですが、1時間ちょっとどうしたものかなあ、とちょっと悩ましいところ。とりあえず、妻は昼ご飯をまだ食べてなかったので、どこかで食べないと、ということになる。私も少し小腹が空いていたので、4階フロアにあった「英国屋」でサンドイッチを購入して傍らのテーブルで頂くことにする。各種電子マネーが使えないのは結構不便かな。<br /><br />帰りの飛行機はウェブチェックインをしてなかったので、出発ロビーのチェックインカウンターで搭乗手続をしないといけない。LCCの宿命か、出発ロビーの一番端っこまで行ってこないといけない。まあ、混雑してなかったのが救いか。<br /><br />16:00 関西空港−成田空港 GK800<br />JALとの共同運航便。なんだかんだといって、ボーディングブリッジが使えるので搭乗はものすごいスムーズだ。飛行機に乗り込んだ後は、酔い止めが効いてきたのか、あまり記憶が無い。機長さんの腕前はわりと良いと思う。座席の首回りがもうちょっと快適だったら全く言うことないんだがなあ。。。<br /><br />成田空港には、わりと定刻通りに到着。どうせ着陸してから駐機場まで延々と地上を走って行くんだろ、と思っていたら意外にそうでもなくて拍子抜けする。<br /><br />とりあえず、二人とも空港のトイレで用を済ませてから時計を確認するとまだ17時35分くらい。東京シャトルの早い便に何とか間に合うかも、ということで、到着ロビー横にある、京成電鉄の受付に向かう。ジェットスターの飛行機を予約するときに東京シャトルのバウチャーも購入していたので(ちなみに割引無し。旅の自由度という観点からは、バウチャー購入する必要は無かったかも知れない)、番号だけ申告したら即座に発券してくれた。<br /><br />17:45 成田空港19番バス乗り場−東京駅八重洲口<br />バスの出発が17時40分と思っていたら、北口(2番)乗り場の時刻だった。南口バス停に到着したバスはしばし客待ちして、あらためて17時45分に出発。予定では19時10分に東京駅前に到着とのことだが、あらかじめ、渋滞してるから遅れるよ、とのアナウンスが入る。行楽客とかUターンラッシュとかに巻き込まれてしまうん? と不安になる。とりあえず、宮野木JCTまではごくスムーズに流れていたのだが、そこから先、湾岸市川あたりまでは予告通り渋滞に巻き込まれる。ただ、そこから先はまた流れが良くなった上、到着時刻もほぼ予定通りだったので、結局、あの程度の渋滞は毎日起きてるってことなんだろうか?<br /><br />とりあえず、20時くらいの東海道線に乗ることにして、夕飯を食べて帰ることにする。ジェットスターの機内にある冊子を読んでて気になってたみそかつのお店「矢場とん」が東京駅グランルーフにあるようなので、とりあえずそこに行ってみる。カウンター・テーブル会わせて30席くらいの比較的コンパクトな店舗なんだが、わりと客の回転が速いみたいなので、メニュー眺めながら順番待ちすることにした。正面のカウンターが空いたので着席。<br /><br />酔い止め飲んでる影響で判断力が鈍っていたのかどうなのか、胃腸が弱っているにもかかわらず「わらじとんかつ」を注文してみた。わらじサイズのとんかつがお皿にドドンと載っかったボリュームたっぷりの一品(味噌だれとソースをハーフ&ハーフにできるそうなので、せっかくなので試してみた)。胃もたれとかこの際関係なく、うめー<br /><br />20:02 東京−藤沢 335M<br />東京駅8番ホーム始発の列車に並ぶ。上手い具合に2人席に着席できた。列車の揺れが心地よくて意識が遠のいていくような、ほわーんとした感じになる。妻が横で何かしゃべってた気もするけど、酔い止め効き過ぎかも。<br /><br />結局、藤沢の自宅に到着したのは9時前。実家を出てから約10時間強。成田−>関空のルートで移動するのは、職場から出発することを考えると利点があるかもしれないが、逆のルートはしんどいだけで余りメリットがないような感じだ(料金的にも圧倒的なアドバンテージはないし)。まあ、とりあえず、今回はそれがよく分かったということで、帰省の際には素直に東海道線経由にしておこうと思ったのでした。

2014年ゴールデンウィークに実家に帰省(後半・三木合戦関連の史跡をみてまわる)

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2014/05/04 - 2014/05/05

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まいこさん

2014年のゴールデンウィーク休暇も後半の5月4日。今日も朝から走りに出かける。今回は、平井山の秀吉本陣跡と竹中半兵衛の墓に行ってみようと思う。片道7.5km程度なので、ほどほどの距離じゃないかな(中学生当時は大塚とかは自動車でしか行けないくらい遠く感じていたのだが、ランニングが日常になると感覚的な距離は縮まるもんだなあ)。

実家から別所橋を渡り、電鉄三木駅横の踏切を通るルートにしよう。前日は、給水不足でペースダウンを招いたので、途中のコンビニに立ち寄ってミネラルウォーターを購入。

バイパスを横断してすぐに電鉄三木駅。車輌を模した外観のトイレが改札横にできていた。最近、三木市民病院が移転してしまったのだが、移転後がどうなったのか、ついでに見てくれば良かった。三木城の白壁を見ながら上津橋を渡る。

突き当たりの信号の所に来てから、スマホのグーグルマップのナビ機能を使用。ん、このまま直進? って、車通れない路地を走って行くのか! ということで、路地裏を走って、戎神社前までやってくる。以前に来たことがあったような(ないような)。そのまま集落の中を斜めに突っ切って、永久橋にまでやってきた。向こうに見えるのが平井山かなー 

永久橋をわたってすぐに右折、またも集落の中を通ることに。やたら急な上り坂に続き、明らかに農道だろ? ってところを通る(一応、公道ではあるようだが)。しばらく走ってようやくまともな県道に合流。竹中半兵衛の墓って看板が見えてきた。

ということで、けっこうあっさりと竹中半兵衛の墓に到着。今年の大河ドラマの前半では、脇役とはいえ主人公の友人兼師匠みたいな役回りなので、官兵衛&半兵衛みたいな扱いで幟が上がっている。正直に白状すると今回初めての訪問です。

墓地自体は周囲を土塀で囲っているものの、墓石の年代がわりと新しいというか、単なる四角い石に俗名が書いてあるだけというシンプルなもの。江戸時代にこの地を訪れた江戸時代後期の儒学者、山田翠雨が読んだ漢詩が傍らの看板に書いてあった。

竹中半兵衛の墓から300mで平井山本陣跡との看板。農道を走って、すぐに到着。農道をこのまままっすぐ行くと観光ブドウ園のはずだが、この季節はバリケードがあって先には進めない。史跡はその手前。駐車場を意図したものか、平らに整地した空き地ができていた。

意外にちゃんとした登り口(木材で補強済み)が整備されている上、登り口に設置されているポストには、近年の発掘調査の結果である、推定縄張り図がA4用紙に印刷されたものが入っていて、ご自由にお取りくださいとのこと。三木市の教育委員会もやる気になったらちゃんとした調査できるんだなあ、と感心。

ということで、縄張り図を片手に主郭あたりまで行ってみることにした。山道とはいっても全体的に緩やかな傾斜なので、それほど登るのに苦労はしない。小学生の社会科見学にちょうど良いのではなかろうか。あと、昔からの伝承上の呼び名(「太閤道」とか)がどの辺りかといったことが分かりやすくておもしろい。全体的に細い斜面を伝って、平坦な場所にでる。織豊系の城郭は野戦築城のレベルでも主郭周辺は結構高い技術水準の造り、と聞いてはいたものの、パッと見では、どうテクニカルな造りになっているのか、よくわからなかった。

まあ、とにかく、主郭に到着。ステンレスのポールで作られた「櫓」が建っていた。梯子に足をかけるとギシギシ鳴るのでおっかないなあ。。。

おっかなびっくり櫓の上に登ると、南側に三木市役所がはっきり見えた。この辺りが当時の三木城だったことを考えると、この辺りから監視もしつつ、包囲戦を続けるっていう様子がよくわかった。

あと、今年の大河ドラマでは平井山滞陣中の竹中半兵衛がけっこう立派な造りの建物の中で、病の床に伏しているっていうシーンがあったのだが、たぶん、主郭の広さからは、なかなか一部将にあれだけの広いスペースは割り当てられないんじゃなかろうかなあ。。。

まあ、なかなかいいものみせてもらった。どうせだから、帰りに三木城跡も寄って帰ろう。ということで、「大手」という住所(というより字(あざ)?)のところから、お城方面に向かって坂を上るが、お城とは反対方向にいってしまい、市役所の駐車場のところに出てきてしまう。この辺が昔グラウンドでサッカーの大会とかやってたの、最近の人は思いもつかないんだろうなあ(いや、まあ、母親に言わせると、昔はそこに三木高校があった痕跡すらないやろ、とか言い出すんだろうが)。

三木市役所から今度は坂を下って、金物神社に到着。「村の鍛冶屋」の歌碑があるところです。神社を通り抜けて、上の丸公園(三木城跡)に到着。地元の人が公園の掃除をしていた。最後に訪れたのが小学生かそこらだったのだが、正直、こんな感じだったっけ? って印象が拭えない。明治以降の軍人さんの忠魂碑なんかとごちゃまぜになっている上、最近、地元のライオンズクラブが寄贈したという、悪趣味!な別所長治公像が目立つところに無神経に設置されていたりして、ちょっとクラクラしてくる。もうちょっとシンプルでも良いのと違うかな?

ということで、少なからずガッカリしつつも、「カンカン井戸」横の石段を使ってナメラ商店街に出る。というか、朝早いとはいえ、この静まり返った雰囲気は商店街としてはどうなんだろうという寂れっぷりだ。これでは、三木城に観光に来てくれた奇特な人もガッカリして帰るわ。。。

ナメラ商店街を通って「湯の山街道」沿いに帰宅することにするが、今年は新年に体調不良で初詣してなかったので、通り道にある大宮八幡宮にもお参りしてくる。御神輿が勇壮に石段を登る秋祭りで有名なところだが、朝も早いのでまあ静かなこと。

そして、別所家廟所である法界寺にも立ち寄る。三木合戦の「絵解き」が4月中旬に行われた、とかこの前ニュースになってたけど、自分の記憶する限りでは、もっと寒い季節にストーブつけてもらいながら、話を聞いていたとおもうんだが。。。

法界寺に立ち寄ったのは、最近「法界寺陣城跡」の発掘調査が行われるとともに、城跡が整備されたということを母から聞いたからで、ここでもやっぱりポストに城郭の縄張り図その他を記した図面が入っていた。この辺りの人の気質としては、考古学に類する分野には全く興味を示さないので、ここまで丁寧に調査をした人の熱意には正直頭が下がる。

そしてその日の午後、法界寺からごく近くにある母の実家で、その旨を母の兄弟に話す(法界寺のある東這田はその日が春祭りだったのだ)。母を含め、近所の子供は法界寺裏山の陣城跡で(城跡とか全く気づかず)遊びに興じていたのだが、「のっぺらぼう」と呼ばれる平らな場所があった、とかいう話を聞く。たぶん、主郭に開削したところだったんだろうなあ。昔は薪やなにやらで山の木を利用することも多かったと思うから、現在よりも地形が顕わに理解できたのかもしれない。昔の人の伝承もバカにはできないなあと、思う次第。

そして翌日。前日の春祭りですき焼き食べ過ぎて、「おなかずつない」状態から何とか回復。午前中はのんびりして、昼前に神戸空港行きの路線バスでUターンすることにする。バスなので、途中で渋滞することも考慮して、ちょっと早めにお出かけ。ちなみに妻は三宮で買い物ということで、朝早くから神戸電鉄で神戸に出かけしていきました。

11:31 神鉄恵比須駅前−神戸空港
神戸電鉄の恵比須駅前ロータリーからバスに乗車。この時点では乗客は私一人だけ。バスは自由が丘、緑が丘を経由して、細かくバス停で乗客を拾いながら運行するが、緑が丘駅前からは、押部谷、栄、木幡と神戸電鉄の駅前バス停のみに停車してその都度、数人の乗客を乗せて行く。なんか、露骨に神戸電鉄の乗客を奪ってるなあって感じがする。

木幡駅を出発してからは、しばし曲がりくねった山道を経由して、神戸電鉄藍那駅横に出て(改めて考えてみると、バスにすら抜かされる電車というのも情けないところが。乗客を増やすために高速化は必須と違うかなあ)、藍那ICから阪神高速北神戸線を通って新神戸トンネルを抜けると、そこはもう生田川。

ということで、ゴールデンウィークのUターンラッシュ、とか全く影響なくスムーズに三ノ宮に到着できた。運行ルートも定時運行ができるように十分練られているようで、乗り心地の面でも電車に勝っていたような気すらする。運賃をバスよりも大幅に下げるか(現時点ですら電車の方が高い)、志染−>新開地を30分くらいで結ぶくらいのドラスティックな改善がなければ、いつまでたっても神戸電鉄ジリ貧なのは変わらないんじゃないかと、いっそう粟生線廃止の危機を実感する。

三ノ宮バスターミナルで他の乗客は全て降車、結局、私一人で神戸空港へ。ポートアイランドへは赤い橋(神戸大橋)を渡っていくのかと思いきや、海の底のトンネル(港島トンネル。1999年に開通したんだそうな)を経由して、神戸空港に到着。想定以上にスムーズに到着してしまった。

ということで、妻よりも早く空港に到着してしまったので、しばらく神戸空港内の上島珈琲で時間を潰すことにする。出発ロビーが見渡せる席に座って、しばし書き物(ため込んでいた旅行記とか!)をして過ごしていると、妻もちょっと早めに空港に到着。高速船桟橋への連絡バスの発車時刻が13時52分なので、それまで二人でのんびりくつろぐ。妻が内服式の酔い止め薬を買ってきてくれたので、一緒に飲んでおくことにする。

13:52 神戸空港前−神戸空港海上アクセスターミナル
高速船利用者は無料でバスが利用できる。空港の駐車場を横切っていけば直線距離で200m程なのだが、駐車場スペースを回り込むため、わりと時間がかかっているような気もする。まあ、せっかく無料で乗れるんだし、もったいないから乗っておけって感じかも。高速船のターミナルに到着すると、そのまま乗り込むよう、誘導される。

14:00 神戸空港海上アクセスターミナル−関西空港ポートターミナル
海外から関空に戻ってくる旅行客は多いのだろうが、関空に向かう旅行客は絶対数が少ないのか、高速船の乗客はわりとまばら。数日前に乗ったときよりも揺れが少なかったような気もする。先に酔い止めを飲んでいた妻は既に効果が出てきたようでなかなか調子よさそう。うらやましいなあ。

船の客も多くなかったので、空港へのバスも比較的余裕があり、のんびり坐って行けた。第1ターミナルに到着(バス停は4階)。

さて、フライト時刻が16時なのですが、1時間ちょっとどうしたものかなあ、とちょっと悩ましいところ。とりあえず、妻は昼ご飯をまだ食べてなかったので、どこかで食べないと、ということになる。私も少し小腹が空いていたので、4階フロアにあった「英国屋」でサンドイッチを購入して傍らのテーブルで頂くことにする。各種電子マネーが使えないのは結構不便かな。

帰りの飛行機はウェブチェックインをしてなかったので、出発ロビーのチェックインカウンターで搭乗手続をしないといけない。LCCの宿命か、出発ロビーの一番端っこまで行ってこないといけない。まあ、混雑してなかったのが救いか。

16:00 関西空港−成田空港 GK800
JALとの共同運航便。なんだかんだといって、ボーディングブリッジが使えるので搭乗はものすごいスムーズだ。飛行機に乗り込んだ後は、酔い止めが効いてきたのか、あまり記憶が無い。機長さんの腕前はわりと良いと思う。座席の首回りがもうちょっと快適だったら全く言うことないんだがなあ。。。

成田空港には、わりと定刻通りに到着。どうせ着陸してから駐機場まで延々と地上を走って行くんだろ、と思っていたら意外にそうでもなくて拍子抜けする。

とりあえず、二人とも空港のトイレで用を済ませてから時計を確認するとまだ17時35分くらい。東京シャトルの早い便に何とか間に合うかも、ということで、到着ロビー横にある、京成電鉄の受付に向かう。ジェットスターの飛行機を予約するときに東京シャトルのバウチャーも購入していたので(ちなみに割引無し。旅の自由度という観点からは、バウチャー購入する必要は無かったかも知れない)、番号だけ申告したら即座に発券してくれた。

17:45 成田空港19番バス乗り場−東京駅八重洲口
バスの出発が17時40分と思っていたら、北口(2番)乗り場の時刻だった。南口バス停に到着したバスはしばし客待ちして、あらためて17時45分に出発。予定では19時10分に東京駅前に到着とのことだが、あらかじめ、渋滞してるから遅れるよ、とのアナウンスが入る。行楽客とかUターンラッシュとかに巻き込まれてしまうん? と不安になる。とりあえず、宮野木JCTまではごくスムーズに流れていたのだが、そこから先、湾岸市川あたりまでは予告通り渋滞に巻き込まれる。ただ、そこから先はまた流れが良くなった上、到着時刻もほぼ予定通りだったので、結局、あの程度の渋滞は毎日起きてるってことなんだろうか?

とりあえず、20時くらいの東海道線に乗ることにして、夕飯を食べて帰ることにする。ジェットスターの機内にある冊子を読んでて気になってたみそかつのお店「矢場とん」が東京駅グランルーフにあるようなので、とりあえずそこに行ってみる。カウンター・テーブル会わせて30席くらいの比較的コンパクトな店舗なんだが、わりと客の回転が速いみたいなので、メニュー眺めながら順番待ちすることにした。正面のカウンターが空いたので着席。

酔い止め飲んでる影響で判断力が鈍っていたのかどうなのか、胃腸が弱っているにもかかわらず「わらじとんかつ」を注文してみた。わらじサイズのとんかつがお皿にドドンと載っかったボリュームたっぷりの一品(味噌だれとソースをハーフ&ハーフにできるそうなので、せっかくなので試してみた)。胃もたれとかこの際関係なく、うめー

20:02 東京−藤沢 335M
東京駅8番ホーム始発の列車に並ぶ。上手い具合に2人席に着席できた。列車の揺れが心地よくて意識が遠のいていくような、ほわーんとした感じになる。妻が横で何かしゃべってた気もするけど、酔い止め効き過ぎかも。

結局、藤沢の自宅に到着したのは9時前。実家を出てから約10時間強。成田−>関空のルートで移動するのは、職場から出発することを考えると利点があるかもしれないが、逆のルートはしんどいだけで余りメリットがないような感じだ(料金的にも圧倒的なアドバンテージはないし)。まあ、とりあえず、今回はそれがよく分かったということで、帰省の際には素直に東海道線経由にしておこうと思ったのでした。

旅行の満足度
3.5
観光
4.0
グルメ
3.5
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩 ジェットスター
旅行の手配内容
個別手配

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