2014/04/29 - 2014/04/29
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たびたびさん
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いわきは、私にとっては東北では最後のフロンティアと言ったところ。東京からは近いだけにいつでも行けるという過信もあって、今になってやっと訪問することになってしまいました。ただ、いわきは、合併もあったのでしょうが、とても広い。広すぎです。
今回は、いわき駅周辺の市街地と湯本温泉に、その間にある白水(しらみず)阿弥陀堂や常磐炭鉱発祥の地である内郷地区を回っただけで、スパリゾートも行ってないし、塩谷の岬などの沿岸部や勿来の関も全然行けてない。今回の範囲でも、一日たっぷりかかったのに、いわきって、どんだけ広いんだと思わざるをえません。分かった分だけ、またフロンティアが増えたような気持ちになっていて、改めてリベンジの必要を感じている次第です。
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郡山から朝一番の列車でいわき駅に到着。
JRいわき駅のすぐ北側にあるのが平城跡です。 -
慶長7年(1602年)、磐城大館城主、10万石の大名となった鳥居忠政が築いた城で、別名を龍城とも言います。鳥居氏以後は、内藤、井上、安藤と変わり、明治維新を迎えます。ちなみに、鳥居忠政は、関ヶ原の前哨戦で伏見城の守備を任された鳥居元忠の次男。家康の信認は厚かったものと思われます。
しかし、現在の城址は何の整備もされおらず、あちこち立ち入り禁止。 -
不思議に思って地元の人に聞くと、この一帯はN家が個人的に所有し、いわき市が買い取りを申し込んでも受け付けないのだとか。今どき、そんなことってあるんでしょうか。いわきの大切な資産が埋もれてしまっている状態は、本当に残念な限りです。
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丹後沢公園は、いわき駅の北側。うろうろしていたら、この公園の入口があって、そのまま下っていきました。
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ところが、その下り道は、青々とした草原の斜面に造りつけられた、木製の階段。
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下った先には、かつて城のお濠だったという沢が続いていて、
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まったくメルヘンのような光景でした。
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平城跡が荒れているので、地元でも、あまり、目立ってはいないようですが、素晴らしい公園だと思います。
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ところで、いわき市総合観光案内所は、JRいわき駅の外側に面して窓口がある、超便利な場所。しかし、開くのは10時なんですね。いわきの観光地は塩屋岬とか、遠い場所も多くて、バスを使うとなると早い時間に出ないといけないんですが、こんな時間にしか開かないなんて、何の役にも立ちません。あまりにもお役所仕事が過ぎるのではないかと思います。
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駅前の商業ビルのラトブに、
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いわき駅もこんなにきれい。
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さっきの平城跡の緑も街からよく見えるし、
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街の建物も、全体に新しい感じですよね。いわきって、こんな街なんですね。なんか若々しい感じすら受ける街です。郡山がちょうどそんな感じなんですが、郡山は明治以降に猪苗代湖の水を引いて発展した背景があるので、よく分かる。いわきはどんな背景があるのか、結局、分からずじまい。実は今もモヤモヤは晴れていません。
では、松が丘公園に行ってみたいと思います。 -
その途中にあったのは、子鍬倉神社。立派な石段の続く小高い丘の上に建つ神社です。
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創建は、大同元年(806年)と伝えられる古いもの。磐城四郡の総鎮守で、平城守りの神の「平城三社」の1つでもあったとか。
境内は、意外なほど広くて、桜の木も古木。清々しい雰囲気がありました。 -
松が岡公園の駐車場から少し入った場所にあるのは、天田愚庵の庵。
ちなみに、天田愚庵は、幕末、戊辰戦争では、薩長軍の攻撃を受け、藩兵として出陣。その後、戊辰戦争で亡くした肉親の行方を尋ねる旅を続けます。
ただ、山岡鉄舟の仲介で、清水の次郎長の養子となり、富士の裾野の開墾に従事したり、大阪内外新報社でジャーナリストとしても活躍しています。 -
いわきの市街地からはちょっと距離がありましたが、それでも中心部に一番近くて緑の豊かな公園は、この松ヶ岡公園なんです。
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始まりは、明治40年、日露戦争記念行事として整備したもの。
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その後、東京大塚にあった旧城主、安藤邸内の古つつじ千本を移植。全国からつつじの名木3,000本も集め、つつじ園と桜の名所となりました。
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小山全体が公園。緑が豊富で山頂のスペースには人の背丈ほどもある大きなつつじが密集していました。
しかし、さっきの平城跡が整備されれば、そっちが便利だし、ちゃんと歴史もあるんですから、そっちの方がいいに決まってます。返す返す、いわきは惜しいことをしています。 -
中心部に帰ってきて、これは喫茶店のブレイク。いわき駅のすぐそばです。
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評判のモーニングをいただきました。650円は、モーニングとしては立派な値段なのですが、お客さんがけっこういっぱい。すごいですね。
出てきたモーニングは、トーストがかなりぶ厚くて、サラダの赤いトマトも鮮やか。目玉焼きも二つ付いてボリュームたっぷり。若い女性が何人かいて明るい雰囲気だし、やっぱり人気のお店は違います。 -
さて、元気が出たところで、内郷駅に到着。ここからは石炭の道というのを目指します。
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まずは、近代化遺産の内郷山神社相撲場跡を訪ねようと思うのですが、山を登って、
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けっこうな道のり。厳しい行程、いきなりですかあ。
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イチオシ
山を越えたところにやっとありました。これが、相撲場ですね。円形劇場のような相撲場は炭鉱で働く人のささやかな楽しみのために作られたもの。しかし、石造りのずいぶん立派な構造物です。それにしても、ここで相撲に限らず、いろんなイベントをやったら、それは楽しかったことでしょう。テレビもない時代。こうした楽しみが炭鉱の苦しい仕事を癒してくれたんですね。確かに、これは近代遺産です。
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さらに、進んで。
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清光院は、内郷駅から白水(しらみず)阿弥陀堂も含む石炭(すみ)の道を歩くコースの途中。内郷公園の中腹といった場所です。
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ここは、北郷の領主、小川刑部大輔が、生前に自分の菩提寺として創建したものです。
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境内は広いし、裏山一帯には墓地が広がって、今でも栄えている感じがする寺です。
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さて、今回のハイライトの白水阿弥陀堂。駐車場に観光案内所があって、石炭の道の詳しい地図をいただきました。
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それにしても、白水阿弥陀堂は、以前から気になって仕方がなかったところ。どんなところなんでしょうか。気持ちがはやります。
ちなみに、歴史は、平安時代末期、 藤原清衡の娘(徳姫)が夫、岩城則道の菩提を弔うために建立したもの。「白水」という地名は、平泉の「泉」という文字を2つに分けたとも言われています。
阿弥陀堂は、太鼓橋と平橋を渡っていく先。ずっと奥の方に建っていて、遠くに見えています。 -
なるほど、周囲が小高い山に囲まれていて、限られた特別な場所という雰囲気は尋常ではないような。本家の毛越寺の庭園も好きなんですが、もしかしたら、こちらの方が上かもしれません。山の緑と池の潤い。穏やかな浄土の世界が見事に表現されています。
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ゆっくり、ゆっくりと
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向かいますが、雰囲気がたまりませんね。このドキドキ感は、永保寺を最初に見た時のことを思い出します。銀閣寺に匹敵する美しさだと思います。
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だんだん近づいてきました。
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イチオシ
白水阿弥陀堂は、方三間の単層宝形造、柿葺の阿弥陀堂。
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静かな佇まいです。
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堂内には、阿弥陀如来像を中心に、両脇侍の観世音菩薩像と勢至菩薩像、ならびに二天像(持国天像、多聞天像)の5体の仏像。さほどの大きさはなく、ゆったりと並んでいらっしゃいました。
いずれにしても、浄土庭園と阿弥陀堂に仏像。この三拍子が当時のままに揃っているのは、めったにないこと。東日本大震災で傷ついていた3体の像の修復も終わり、元の姿に戻ったのだそうですが、これにもほっとさせられました。一つ一つで見た時は、国宝にはならないのかもしれませんが、総合的に考えてとにかく一級品の史跡だと思います。 -
阿弥陀堂から入口を振り返るとこんな具合。
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阿弥陀堂の周囲も、けっこうな広さがあって、
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イチオシ
美しい空間が広がっています。ちょっと、日が陰っていますが、これはこれでまたいいでしょう。
この池中立石の感じは、毛越寺よりも栗林公園の南湖の感じですね。出島石組はないですが、この立石だけでも十分美しいです。 -
改めて、池の外周の道を歩きます。こっち側は、あやめの畑があるようですね。
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阿弥陀堂は、脇の木に隠れて、見えるか見えないか、ぎりぎりの加減。
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静かな湖面や石組み。木々の一つ一つにさえ、仏の気配を感じるような気もします。
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反対側はごろた石の州浜。さりげなく、趣向に変化を持たせてありますね。四季の移り変わりや天気の具合。そういったものをきちんと受け止めてくれる庭だと思います。お見事!!
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再び、石炭の道に戻って、これは常盤神社。
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大市姫命(阿弥陀堂を建てた徳姫)を祀る神社で、元々は阿弥陀堂の境内に祀られていたのですが、明治維新の神仏離令により現在の場所に移設されました。
高肉彫の鉄製懸仏聖観音像というのがあるそうですが、よく分かりませんでした。 -
続いては、隣りの願成寺。
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この寺のお堂が白水阿弥陀堂という関係です。
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内郷駅から、白水阿弥陀堂と常磐炭田発祥の地「みろく沢」を結ぶ2.5Kmのコースが「みろく沢石炭の道」。
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ここを曲がると
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急に山の中に入って行くのですが、
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途中には大きな木が倒れていたりして、決してよく整備されているとは言えません。
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ただ、途中途中にはあれこれと説明板もあって、
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それを読みながら進むと、人が石炭を背負って運んだ山道の様子が生々しく感じられるように思いました。
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やっと、自動車道に出てきて、
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みろく沢炭鉱資料館は、常磐炭田発祥の地であるみろく沢にある、個人が開設した資料館。
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石炭(スミ)の道では、これも大事な見どころの一つです。
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元は、養鶏場だったという建物に、
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炭鉱華やかなりしころの生活道具や当時の様子を伝える写真などが
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所狭しと展示されています。
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往時をどう考えるのかは様々でしょうが、多くの人が働き、活気があったのは当時の方。そして、景気がよかったのに寂れてしまったという見方もできなくはないのですが、では昔のようなことが今の人たちに出来るかといえば、それも無理でしょう。
産業の構造変化は、知的なもの、高付加価値なものに見事に転換がはかられたのです。例えば、何かのきっかけで大幅な円安になったら、これらの産業も採算があってくるはずなんですが、それは誰も望むことではないでしょう。 -
ただ、そのような時代を経て、今があるということも忘れてはならないことのような気がします。
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さて、ここからは内郷の駅までまっすぐ帰ります。
こちらは、いわきの石炭の父、片寄平蔵の関連で、これは発祥の地碑。 -
さらに歩くと、顕彰碑です。
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こちらは、つるし観音。別名「ツルカケ観音」。
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磐城三十三観音巡礼、第四番札所だということですが、川の崖のへこんだ場所に梯子がかけてあって、そこに観音様が祀られているんですね。ただ、対岸から見るしかないので、細かな様子はわかりません。
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さて、再び列車に乗って、内郷駅からいわき湯本温泉に到着です。ここが四日間の旅の最終地ですね。
正式名称は常磐湯本温泉というんだそうですが、駅名のとおり、いわき湯本温泉といった方が分かりやすいでしょう。ところで、「スパリゾートハワイアンズ」があまりにも有名なのですが、これは温泉街からは歩いて行ける範囲ではないし、ちょこっと寄ってみるという施設でもないようで、湯本の温泉めぐりからすると、ほとんど無関係のようです。
開湯の歴史は奈良時代と言われ、「日本三古泉」とも。明治時代に入って石炭採掘が始まると湯量が減ったようですが、今は、共同浴場がさはこの湯、みゆきの湯、上の湯と三つあって、それなりの温泉街が広がっています。
いわき湯本駅から温泉街に向かおうと思ったら、駅前に「久つみ」という和菓子屋さん。 -
で、よく見ると座布団のようなどら焼き。女将さんが一つ一つ包んでいましたが、ちょっと途方もない。「こんなの食べる人いるんですか」と聞いたら、「老人ホームの誕生会なんかでは切り分けて皆さんで食べたりして楽しんでもらってます」との答え。
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私は、温泉まんじゅうの小さいのをいただきましたが、なるほどそういうニーズはないことはないかもなあと感心させられました。
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いわき湯本温泉には、駅の観光案内所はありません。訪ねると、温泉街の中心部に行く途中の大通り沿いにあるのだとか。それも、日曜日にやっているのかなあとか心細い説明。
訪ねると何とかやっていましたが、係の人はお弁当を食べながら、あまりやる気なし。それでも、海幸という食堂の情報をゲットして、街歩きの地図をいただきました。ただ、この街歩きの地図が非常によくできている。穴場みたいなお店も手書きでしっかり紹介しています。これは、是非、入手することをお勧めします。 -
さっそくやってきたのは、海幸。訪ねるとお店は満員です。
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待つことしばしで、これが刺身定食。
見ると、てんこ盛りの凄い量の刺身ですよ〜。本当にこれだけ食べれるのか不安になるくらいです。コハダの切り身なんかも、こんなに食べたのは初めてでしょう。新鮮なだけではなくて、締め方なんかもいい感じ。こんな破格のサービスで、お店のことが心配になってしまうくらいでした。 -
こちらのみつや食堂の名物は、笹餅。
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笹の葉に包まれたもち米は、プチプチとした粒々が残っていて、瑞々しい感じ。これに餡子が入っているのですが、このうまさはなんでしょう。そして、ちょっとありえないくらいにもち米と馴染みます。この笹餅すごい。変な話。買い占めたいくらいの衝動に駆られました。
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いわき湯本温泉の歴史は千年以上。そして、鶴のあし湯広場は、この温泉の中心的な場所です。鶴の伝説というのありまして、それは以下のようなもの。
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二人の旅人が、佐波古の里を訪れると傷ついた丹頂鶴が降りてきて、湯気たちのぼる泉に浸かっていました。二人が傷口を洗ってやると鶴は元気に飛び立っていきました。
その後、巻き物を持った高貴な美女が二人を訪ねてきました。巻き物には「この佐波古の御湯を二人で開いて天寿を全うし、 子孫の繁栄をはかるべし」と記してありました。これに従い、二人はさっそく、湯本温泉を開いたというのです。 -
という歴史の温泉の中心部へ向かいます。
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これは、野口雨情の童話館。
野口雨情は、北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人。北海道の新聞社を転々としますが、辞めて郷里の北茨木に帰ってきます。そして、病気療養のために訪れたのが湯本温泉なんですね。 -
このころから作詞活動を本格化させたようで、館内では、「十五夜お月さん」、「七つの子」、「赤い靴」、「シャボン玉」、「雨降りお月さん」、「証城寺の狸囃子」などの代表作の動揺が流れて、身近で馴染のある曲のオンパレード。
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素晴らしい足跡をまざまざと痛感させられました。
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いわき湯本温泉神社も、湯本温泉の市街中心部。
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野口雨情童謡館の向かい側から、山の中腹まで続く参道があって、手軽に訪れることができます。通称は湯泉様(ゆうぜんさま)。佐波古神社とも呼ばれた神社で、いわき湯本温泉のシンボル的な存在でもあります。
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イチオシ
さて、これが有名な「さはこの湯」。
変わった名前ですが、「三函の湯」から。建物は、火の見櫓や唐門風のくぐり門があったりして、とても特徴的。 -
風呂は、岩風呂の「宝の湯」と檜風呂の「幸福の湯」があり、男女入れ替え制。この日は、岩風呂の方に入りました。ちょっと狭いうえに、人気の風呂だけに混み合っていて、落ち着きません。なんか虫に刺されてしまうし、古いだけに細かいところはあまり掃除が行き届いていないかも。ソファもボロボロで、風呂としてはみゆきの湯の方がお勧めです。
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惣善寺は、さはこの湯の向かい側。大永2年(1522年)創建の古刹です。湯本村の領主、若松紀伊守が、温泉宿で布教していた良恩上人に信随し、寺を建立して寄進したというのが始まり。戊辰戦争で焼失しますが、明治10年に再建。下の寺という名前もありますが観音山のふもとであることを意味しているのではないかと思います。
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その横から登って行くのが観音山公園。
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さはこの湯がだんだん下の方になってきて、
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この公園は、いわき湯本温泉の市街に面した、街を見下ろす山の上です。
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途中に、石造りの観音像と
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野口雨情の詩碑。
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さらに登って、頂上の公園にはまた観音像。
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結局、この山自体が
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観音信仰の
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対象となっているようです。
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公園を降りて今度は、はせ川餅菓子店。いわき湯本温泉街にある和菓子屋さんで、さはこの湯の少し南側の筋です。看板商品という豆大福が目当てです。
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ぼてっとした大福は、深みのある甘さを感じる重厚な餡子。これは年月を重ねていますね。一方で、お赤飯のようなものも置いていましたが、これらも見た目がとてもきれい。いいお店はいろんなところが違います。
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和菓子工房 しら石の本店は、さはこの湯の少し先にあるのですが、現在、改装中。残念だなあと思ったら、
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郵便局の隣りに支店があって、そちらで、温泉まんじゅうをいただきました。こちらも老舗だけに、手堅いうまさ。皮のもっちり加減に程よい甘さの餡子のバランスがいいと思いました。
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そして、最後の目玉が、いわき市石炭 化石館ほるるです。湯本温泉の市街からは、少し外れで、車がビュンビュン通る道をしばらく歩きました。
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施設は、常磐炭鉱の中心地であったいわきの全盛期の姿を紹介するもの。恐竜の展示室が始まりで。。
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実は、その後の炭鉱の坑道を再現した本格的な展示が超すごい。
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立て坑を降りるエレベーターから始まって、ワクワクするような内容です。
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イチオシ
裸同然で、男も女も
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石炭の粉で真っ黒になりながら、
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汗を流して働きます。
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だんだん、機械化が進んで
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仕事が効率よくなっていくのが
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ちょっとほっとするところ。ただ、筑豊炭田でも、当初、多くの炭鉱は家族掘り。零細な資本で、家族が経営する劣悪な炭鉱が普通だったようです。この常磐炭鉱でも、国策だとか大資本での炭鉱はだいぶ後になってからじゃないのかなあとか想像をしましたが、それはちょっと分からずじまい。
事実をきちんと伝えることは、とても難しいのですが、こんなテーマパークのような展示でも、やっぱりその意義は小さくないように思います。 -
日常生活の再現シーンもあって、
最後に、まだ、11億トンもの埋蔵量が眠っているという説明。これにもちょっと驚かされました。筑豊で一番大きかった炭鉱でも掘り出したのは1億トン位だったと思います。 -
さて、ほるるから戻ってきて、これは湯本駅のすぐ前にある愛湯物語広場。最近出来た屋根つきの足湯が注目されていて、確かに、この日も足湯に入っている人がいまして。多分、駅がすぐそばなので、ここで時間合わせでもしているのかもしれません。温泉街は駅から少し距離があるので、そういう場合は、ここが圧倒的に便利です。
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傍らには、目立ってはいませんが、いわき温泉を訪れた著名人の紹介もありました。
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新高パン店は、いわき湯本駅近くの、昔ながらの小さなパン屋さん。総菜パンを楽しみしていたのですが、
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もう閉店間際だったので、品数がかなり限られてしまって、フランクソーセージを挟んだのを買いました。ピリ辛味のソーセージにしっくりしたパン生地。派手さはないですが、地元密着で続いてきた実力の片鱗を感じました。
まだ列車の時間までは余裕があって。では、最後まで温泉と行きましょう。 -
いわき湯本温泉には、さはこの湯という風情のある建物が有名な公衆浴場があるのですが、これに対して、みゆきの湯は新しくできた公衆浴場。新しいだけにすっきりした造りで、中も悠々。さはこの湯よりもぬるめなので、長湯もしやすい。駅にもずっと近いし、便利です。
ということで、予約していたスーパーひたちの時刻ぎりぎりまでここでまったり。これで、四日間の旅は終了です。お疲れ様でした。
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