2014/04/08 - 2014/04/09
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たびたびさん
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娘が急に時間が出来たというので、スカイツリーの辺りを一緒に歩いてみることにしました。私のペースに合わせてくれただけで、あまり面白くはなかったかもしれませんが、私の方は、久しぶりに道連れがいるとなにか足取りも軽くなったような。
スカイツリーの周辺なんて、一人歩きではさみしすぎますし、とってもありがたいことになりました。どこかで、また埋め合わせが必要かと思いますね。
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街歩きのスタートは浅草の仲見世通りからです。
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花月堂は、浅草寺の真ん前にあったはずなんですが、ここはまだ雷門に近い場所。こっちに引っ越したのかと思ったら、ここは雷門店なんですね。
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メロンパンが超有名でいつも行列ができるのですが、こっちの方が空いている感じ。朝飯代わりに一個買って、街歩き再開です。
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釜飯と串焼き 麻鳥は、仲見世通りから少し入ったところ。平日のお昼でしたが、行列ができていて、人気のお店です。
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いただいたのは、サービスランチといった位置づけの鶏肉丼。ワイルドな味わいで、ボリュームもそこそこ。お勧めは釜飯だけではないようです。
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雷門三定は、天保8年創業の江戸前天ぷらの老舗。江戸近郊の新鮮な小魚をごま油で揚げたのが三定の始まりだそうですが、花揚げまんじゅうという看板が気になって、これをいただきました。
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玄関の脇に揚げ場があって、閑散としていたのですが、声をかけると作業開始。
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揚げたてをいただきました。餡子の味が弱くて、トータルすると揚げまんじゅうの方が上のような。しかし、ゴマ油の香りが印象的で天ぷらの老舗が作った片鱗はあったと思います。
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吾妻橋を渡ると、
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そこはもう墨田区。スカイツリーのあるのもこの墨田区なのですが、スカイツリー周辺の向島は、浅草と違って観光地が分散しているし、どちらかといえばマイナーなスポットが多いので、街歩きの際に観光案内所で情報を仕入れるのはどうしても必要です。ここは、吾妻橋を渡ってすぐの場所にあって、比較的すいているので、利用価値は高いと思います。
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ここから散策開始。
小さな硝子の本の博物館は、小さな硝子でできた本の博物館なのかなあと思っていたら、硝子に関係した本を集めた博物館なんですね。ルネ・ラリックの本などが並んでいて、工房では作業をしている人の姿も見えました。ちょっと見るというだけの人には楽しみにくいかもしれません。 -
イチオシ
勝海舟銅像は、隅田川沿い。
ちなみに、勝海舟は、文政6年(1823年)、江戸本所亀沢町(両国4丁目)で生まれます。咸臨丸の艦長として渡米したり、西郷隆盛との交渉では、江戸城の無血開城を取り決めたりと幕府の側にあっても、先見の明を持っていた英雄の一人です。 -
枕橋は、勝海舟の像から墨堤通りを北に上がる際に通る橋。北十間川が隅田川に合流するところに架かる橋で、その北十間川に架かっています。特にに何んということはなかったのですが、鬼平犯科帳シリーズでは、枕橋の北詰に「さなだや」という蕎麦屋が登場しているということを説明する案内板がありました。
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隅田公園に入ると、藤田東湖「天地正大気」の漢詩碑です。
幕末の尊王攘夷論者の指導者であった水戸藩士、藤田東湖は、この地にあった小梅の水戸徳川家下屋敷に幽閉されている際に、この詩を作りました。内容は日本の天地自然の美しさと古来の国体を賛美した内容。
この漢詩は、水戸の尊皇攘夷派や幕末の志士たちにも大きな影響を与え、明治維新の原動力になったといわれていますが、実のところはとても微妙。
ちなみに、水戸藩では、攘夷にはやる激派と守旧派の鎮派の対立で、血で血を洗う抗争が果てしなく続きます。
四男の藤田小四郎が起こした激派の天狗党は、鎮派の諸生党に敗れ、京都を目指しますが、頼みとした一橋慶喜に受け入れられず、敦賀で投稿。多くの者が処刑される惨めな結果となりました。しかし、その諸生党も戊辰戦争では賊軍となり、厳しい報復が行われたとも言われます。
水戸がリードした尊王攘夷の思想は、薩摩・長州に影響を与えたことは事実ですが、水戸自体は、その後も、内部抗争で多くの有為の人材が失われ、明治維新でもほとんど何もできていません。尊王攘夷が討幕に昇華できた薩長と幕府を捨てきれない水戸の運命は大きく分かれることになりました。 -
公園内には、旧水戸藩下屋敷石碑もあります。
幕末の不穏な時代に、尊王攘夷を掲げる水戸藩の動きは先鋭を極めていました。斉昭が謹慎蟄居させられるなどして、井伊大老の圧政に不満をもつ水戸藩士が大挙して江戸を目指す動きも発生。ここもかれらを収容する場所となります。
また、斉昭に連座して謹慎した藤田東湖も、ここで幽閉されています。 -
堀辰雄は、向島ゆかりの文人の一人。明治37年生まれ。2歳の時に、向島小梅町に引っ越してきます。戦時下に発表した「風立ちぬ」が代表作。私小説が主流であった日本の小説界にあって、意識的にフィクションによる「作りもの」としての文学形式を確立しようとした作家と言われています。
隅田公園の一角に旧居の案内板がありました。 -
二峯先生之碑は、隅田公園の堀辰夫旧居跡と並んである高さ450?に及ぶ大きな石碑。二峯先生は、江戸時代の幕末から明治時代にかけて活躍した書家。碑は、息子で同じ書家の五峯高林寛が、二峯の墓所である円通寺の門前に建てた碑だったものだそうです。
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牛嶋神社は、貞観年間、第3代天台座主の円仁、慈覚大師が建立した神社。慈覚大師が一草庵で須佐之男命の権現である老翁に会った際に託宣を受けたと伝えられます。
明治時代には郷社。青い瓦葺の屋根がとてもきれいでした。 -
まだ桜がけっこう残っていますね。
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さらに進んで、言問橋は、国道6号・東京都道319号環状三号線の走る隅田川にかかる橋。名前は、在原業平の詠んだ、「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」という歌に因むものですが、車の通りは激しいし、今や風情はあまりないかもしれません。
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常泉寺は、日蓮正宗の寺。
江戸中期、6代将軍家宣の御台所、天英院が帰依し、繁栄。大伽藍を築きました。また、幕末、島津斉彬が13代将軍家定の御台所となる篤姫の輿入れ成就を祈願したりもして、幕府との特別な関係もあったようです。 -
三囲神社は、「みめぐりじんじゃ」と読みます。三囲神社のある向島は、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角、鬼門であったこと、三囲神社の「囲」の文字に三井の「井」が入っていることから、三井家では、享保年間に、三囲神社を江戸における守護社と定めました。
境内には、三井家当主たちを祀った「顕名霊社」もあります。 -
すみだ郷土文化資料館では、特集展示「資料館で雛まつり」が行われていました。
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享保雛、古今雛といった江戸時代のひな人形から、明治大正昭和にかけてのひな人形は、墨田区にゆかりの方から寄贈、寄託されたもの。
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イチオシ
丸顔の次郎左衛門雛というのは初めて拝見いたしました。
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それぞれの家で伝えられたものでしょうが、どれも比較的保蔵状態が良くて、
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見応えのあるものばかりです。
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向島の一角に佐多稲子旧居跡というのがあります。
ちなみに、佐多稲子は明治37年生まれ。プロレタリア文学者で、戦後は婦人民主クラブの創立に奔走して民主化運動にも貢献した女性活動家です。
11歳の時、父と祖母とともに叔父を頼って長崎から上京。現在の隅田公園内の家に身を寄せ、その後、働きながら小説や短歌を寄稿。「キャラメル工場から」という作品が出世作となりました。 -
荻野医院跡は、日本の女医第1号の荻野吟子の晩年の開業地で、荻野吟子は、渡辺淳一「花埋み」のモデルとなった人物。明治17年、医術開業試験前期試験では女性の受験者が4名いましたが、吟子1人が合格。翌年、35歳にして開業医の資格を取得しました。
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源森橋は、北十間川にかかる、全長16m、幅35mの橋。もともとは「枕橋」だったのですが、墨田川寄りに新しく架けた橋を「枕橋」にしたため、こちらは「源森橋」に改名されました。
ただ、今では、東京スカイツリーの人気の撮影スポットとなっています。 -
本格石窯パン工房トムトムは、吾妻橋を渡ったアサヒビールのビルの裏手。
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名前からすると、ハード系のパンが得意なんでしょうか。ベーコンエピは、根本に行くにしたがって太くなっているような。その形が面白くて、それをいただきました。しっかり噛み切って味わうパンでした。
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そうこうしているうちに、もう夕方。
早めの晩飯は、上野駅近くのコリアンタウン焼肉大門にします。キムチストリートでは一番大きな焼き肉屋さんです。店頭にはサンプルがずらりと並んで、これでもかという勢いを感じます。 -
軽くカルビ丼と
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冷麺をいただきましたが、タレに漬け込んで肉の旨味を引き出した韓国焼肉の醍醐味を十分に味わうことができたと思います。
さて、一日目はこれで終了。 -
翌日は、錦糸町から歩きます。
乾燥木材工芸資料館は、釘を使わない「指物(さしもの)」という技術を使った民芸品やオブジェ、動物パネルなどを展示する施設。ビルの一階に事務所があって、見学を申し込むと地階にある展示室に案内してくれました。 -
木の良さをもっと知ってもらいたいという思いから始まったようですが、木の良さは日本人なら誰でも知っている。しかし、玩具とかもいいですが、日ごろ使いやすい実用的な製品を開発するといった全く商業的な努力の方がもっと貢献できる余地があるのではないかと思いますけど、どうなんでしょうか。
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次に向かったのは、すみだ江戸切子館。切子については、薩摩切子は値段が高いのに、何で江戸切子は安いのか。前々から気になっていたことを尋ねてみると、それはガラスの質。薩摩切子は厚いクリスタルを使っていて、江戸切子は薄いソーダガラス。
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確かに、江戸切子でも厚いクリスタルを使った作品もあって、それは薩摩切子と同じ値段でした。技術的には、むしろ、江戸切子から薩摩切子に技術を伝えたんだそうで、ルーツはこっちにあるということでした。
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町のステーキ屋さん加真呂は、都内に何軒かあるようですが、この店は、錦糸町駅から蔵前橋通りに出たところ。ステーキとハンバーグを組み合わせた、ちょっとお得なランチをいただきました。
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インド人みたいな店員さんが二人の店で、日本語はまだ堪能じゃないんでしょうか。それでも、笑顔と要所要所にドレッシングの使い方やコーヒーサービスのことを教えてくれたり、なんだか気持ちが和みました。お店のスペースもそれなりにあって、これもいいと思います。
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法恩寺は、日蓮宗の寺で、開基は太田道灌。江戸城築城にあたり、丑寅の方に城内鎮護の祈願所として本住院を建立したのが始まりです。その後、資高の代に、法恩寺と改称。
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家康が江戸に入り城内拡大にあたり、移転。現在の地に移ったのは、元禄の頃です。
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蝶谷本店も街歩きのパンフレットにも載っていて、けっこうな有名店のようですね。
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中に入ると、どら焼きがずらり。聞くと、17種類もあるんだそうです。
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私は、基本の潰し餡をいただきましたが、皮がハッとするようなきれいな卵色。一方で、びっくりするくらい甘さは抑えめ。これは大人の味だと思います。
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法恩寺橋を渡って、
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少し行くと能勢妙見山別院。ここは、大阪北摂の日蓮宗霊場、能勢妙見山の東京別院です。
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妙見大菩薩は、人の運命を司る星々の王と言われる北極星の神様だそうです。
勝小吉と海舟親子の熱烈な信仰を得ていた寺で、勝の筆による掛け軸や写真なども現存しているようです。 -
そのまま大横川親水公園へ。大横川の両岸を整備した1800mの公園です。北は北十間川、南は竪川までのその大横川には何本も橋が架かっていて、紅葉橋もその一つ。
桜の季節で、満開の桜に、紅葉橋の緑色がとてもマッチしていました。 -
ここをスカイツリーに向かって歩きます。
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みりん堂は、もうスカイツリーの近く。おしなりくんの家の並びにある煎餅屋さんです。
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店頭には、山と積まれたお煎餅。
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スカイツリーを描いた煎餅もあって、見ているだけでも楽しませてくれるお店です。歩き食べをする煎餅もあって、パリパリ食べながら街歩きを続けました。
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東武橋は、スカイツリーの真下です。
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辺りは、おしなり公園。東武橋から京成橋までの間の水辺の公園です。スカイツリーが造られるにあたって整備されたのだと思いますが、
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イチオシ
この日は桜が満開で、桜を通して真上にスカイツリーを見上げるというベストアングルが楽しめました。
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ソラマチの方に
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入って行きます。
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すみだまち処は、そらまちの五階。街歩きの達人といった感じの案内人がいて、この人がとっても詳しいんです。
というのは、墨田区の街歩きのパンフレットは細かいところまで見どころが載っているのはいいんですが、それを見つけるのは実は容易ではない。見つけきれないところが何か所かあって、きっとパンフレットが違っているんだろうなあと思って文句を言おうと思ったんですが、何んと一つ一つ丁寧に解説してくれたのにはびっくり。これだけのスポットを自分でもちゃんと確認しているんですね。いやはや、お見逸れいたしました。 -
みちくさ餅は、ソラマチの一階。喫茶店に入るほどでもないけど、ちょっと腰かけておだんごでも食べたい。そういうニーズにぴったりのお店です。
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みちくさ餅は、串に刺した餡子入りの草餅。店内にはセルフサービスのお茶も用意してあって、しばし体を休めて寛ぎました。ありがたいお店です。
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続いての春慶寺は、観光の寺かと思って訪ねたのですが、立派な鉄筋のビル。入口も何だか入りにくそうな。。
ただ、表に説明板があって、池波正太郎氏の「鬼平犯科帳」に登場する鬼平の親友 岸井左馬之助の寄宿先として、この寺が登場するとありました。 -
同じ並びの、おしなりくんの家です。
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観光案内所でもあり、休憩どころでもありの施設。ほどほどの施設ですね。
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これは、小梅銭座跡。本所税務署が建っているのですが、江戸時代に寛永通宝の鋳造所があったというこです。
落語名人の五代目志ん生が住んでいた「なめくじ長屋」もこの辺りです。 -
東京バウムクーヘンは、美松製菓という会社の直売所。工場は、福島の白河にあって、そっちから持ってきているのだそうです。何の飾り気もない小さな売り場に何種類かのバウムクーヘン。一個300円くらいのものまであって、安いですねえ。せっかくなので、塩レモンというのをお土産にしました。
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パンフレットにも載っていた石窯パン工房KAMEYAは、スカイツリーに因んで作ったという、超ロング1mのウインナー入りフランスパンがテレビでも紹介されていましたが、
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お店に入るとすぐ脇に置いてありました。実物はなるほど、これはとんでもなく長いですねえ。半分に切ったのを買って帰りましたが、それでもかなりの長さ。食べごたえもあるし、けっこううまい。話題作りの店というだけではなくて、ちゃんと実力もある評判店です。
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文豪森鴎外も向島にゆかりのある文人の一人。10歳の時に、父静男に伴われて津和野から向島小梅村の津和野藩亀井家の屋敷内に上京。少年時代をこの地で過ごします。没後も、旧津和野藩の縁で向島弘福寺にいったん埋葬されました。なお、「鴎外」の号も、隅田川の都鳥をイメージした者と言われています。
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こんなところに、あんみつ屋さんなんかあったかなあと思ったら、最近出来た店なんだそうです。若いご主人が一人で切り盛りしていて、話を聞くと、新宿の追分だんごで修業をして、晴れて独立したのだそうです。追分だんご、有名ですよね。それはよかった。
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話をしていたら、同業の若い人でしょうか。やってきて、お菓子の技術なんかを含めて、しきりと情報交換。まだまだ技術の向上に意欲的な様子。これからも新境地を切り開いていきそうなお店だと思いました。
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向島めうがやも、同じ並びの言問通り沿い。慶応3年の創業の足袋屋さんです。日本橋にあった「めうがや足袋総本店」から暖簾分けして、現在は、五代目だそう。「平成25年度 東京都優秀技能者(東京マイスター)知事賞」も受賞しています。
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この日も、風情満点の店先でミシンを踏む姿が外からでもよく見えました。
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そのはす向かいにあるのが、江戸木目込人形博物館。
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東京都の伝統工芸士である塚田詠春氏が、息子さんと二人で営む人形工房内にある小さな博物館です。
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木目込人形をまさに製作している傍らで見させてもらいまして、ちょっと緊張しながらの見学です。
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イチオシ
「分からないことがあったら、何でも聞いてください」と声を掛けられましたが、先代が作ったという人形の見ごたえはさすが。動きの中に気品も感じられる作品だと思いました。
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少し歩いて、長命寺は、墨田区にある天台宗の寺。隅田川七福神のうち、弁財天を祀ります。
長命寺の名前は、江戸幕府3代将軍、徳川家光の命により改められたもの。家光が鷹狩の途中、軽い病いのためここで休息。境内の般若水で薬をすすめると、病いが治癒したことから、家光は喜んでその井戸水を長命水と名付けたのだそうです。
境内に、長命水と書いた井戸がありました。 -
境内には、松尾芭蕉の雪見の句碑。
句は、「いささらは 雪見にころふ 所まで」。芭蕉が伊賀への帰郷に際した 「卯辰紀行」で、名古屋の本屋風月堂において吟じたもの。碑は、3世自在庵祇徳により、安政5年(1857年)に建立されました。 -
野口晴雨の文学碑は、長命寺の裏手、隅田川近くにあります。野口雨情は、北茨木の出身で、北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人です。詩は、「都鳥さえ 夜長の頃は 水に歌書く夢見る」。在原業平の都鳥の歌もこの辺りで詠まれたもの。少し頭にあったかもしれません。
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同じエリアにある弘福寺は、黄檗宗の寺。
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大雄宝殿は工事中でしたが、かなりの迫力。大きなお寺です。
江戸時代、黄檗宗の僧鉄牛道機の開山。相模小田原藩第2代藩主、稲葉正則の開基により、建てられましたが、鳥取藩池田氏の菩提寺でもあったようです。
ほか、隅田川七福神のうち布袋像を祀ります。 -
淡島寒月旧居跡も、この境内。
ちなみに、淡島寒月は、明治の趣味人。実体験に基づく小説や江戸にまつわる話などを洒脱なタッチで著わし好評を博した作家。井原西鶴を再評価し、それを幸田露伴や尾崎紅葉に説き、世に出すきっかけを作った人物でもあります。 -
そこから、鳩の街通り商店街は、けっこう遠かったのですが、せっかくなので足を延ばしました。
東向島にある小さなレトロな商店街ということでテレビでも紹介されたのを見たことがあります。昭和3年に設立された寺島商栄会から続く、80年以上の歴史。東京大空襲をまぬがれ、通りの道幅も戦前のまま。かつては、赤線のあった場所だそうですが、そう思えばそんな気がしないでもないような。。 -
吉川英治も住んでいたようで、その旧居跡は小さな公園になっていました。
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露伴児童遊園も同じエリア。露伴は、「五重塔」などで知られる明治の文豪、幸田露伴が明治41年から大正13年まで、蝸牛庵と名付けて住んだ住居の跡です。
当時の露伴は門弟を相手に剣道、弓道、相撲などして、よく庭で遊んだそうで、露伴を思慕する地主の菅谷辰夫氏が区に寄贈され、児童遊園として残ったということです。子供たちの歓声が響く、賑やかな公園でした。 -
少し離れますが、これは依田学海旧居跡。佐倉藩士の家に生まれ、維新後は、文部省に勤務して漢文教科書の編集に携わりました。森鴎外の師としても知られているそうです。
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並んで建つ成島柳北の碑は、長命寺の境内にもあるようですが、こちらは旧居碑。
ちなみに、成島柳北は、将軍侍講から武官となり、風流文人でもあり、明治維新後に新聞の世界に入ってジャーナリストとしても活躍したという人物。外遊時代に得た生命保険制度の知識を活かし、日本の生命保険会社の草分けと言われる「共済五百人社」の創設に協力した人物でもあります。外遊時代に得た生命保険制度の知識を活かし、日本の生命保険会社の草分けと言われる「共済五百人社」の創設に協力している。 -
再び、長命寺の辺りに帰ってきました。隅田川のほとりにある墨堤常夜灯は、明治4年に、牛嶋神社の氏子によって奉納されたものです。
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隅田川を往来する川舟のための灯台であり、墨堤の燈明の役割もあった石燈籠。墨堤の桜と常夜燈の組み合せが向島の風情とされ、愛されてきたのだそうで。
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イチオシ
その風情は、今も違う形で引き継がれているということでしょう。
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台東区側に戻って、隅田公園の中に、竹屋の渡し跡というのがありました。奥州や総州に向けての街道筋につながるものですが、江戸の防衛のために、橋を架けるのが制限されていたことが背景です。
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隅田公園の一角には、文部省唱歌「花」の歌碑もあります。
春のうららの隅田川 のぼりくだりの 船人が
櫂のしずくも花と散る ながめをなににたとうべき
知らない人はいないほど知られた歌ですが、武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲。東京音楽学校(現、東京芸術大学)教授、羽衣自筆の歌詞が刻まれています。 -
今日もかなり歩きました。もうヘトヘトです。
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最後は、葵丸進。雷門通りの天ぷら屋さんです。浅草の天丼なら大黒屋が一番人気だと思いますが、それはこちらの方がちょっとお高めということなんでしょうかね。
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尾がピンと立った海老の姿がいいですね。
プリプリの海老にはたっぷり衣が覆っているんですが、その衣がまたおいしい。姿は豪快なのに、繊細な味わい。究極の天丼をイメージさせるような逸品です。
さて、以上で前半の二日が終了です。
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この旅行記へのコメント (4)
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- fuzzさん 2015/03/30 19:21:38
- 東京散歩
- こんばんは、たびたびさん。
スカイツリー周辺散策、拝見しました。
来月、母を連れてスカイツリーへ観光します。
東京は昨日今日で桜が満開とか。
今年は早いのですね。
私達が東京に行く頃にはもう葉桜になってることと思います。
岩手県にいらっしゃったのですね。
ありがとうございます。
宮古の旅行記、先程拝見しました。
富士乃屋、私達地元民の味。おなじく蛇の目も。
盛りだくさんの宮古の旅行記を拝見して嬉しかったです。
fuzz
- たびたびさん からの返信 2015/03/31 09:47:04
- RE: 東京散歩
- 本当は、多良福に行きたかったのですが、店が早く閉まっていて、富士乃屋にした次第です。なんか、いい店のようなオーラがありましたので。
蛇の目の方は、焼きうにがイマイチだったような。この方が香りがあると言われたのですが、やっぱり生の方がおいしいように思いました。
どっちにしても、宮古は二回目でしたが、遠いですよね。三陸鉄道も運賃が高いのでびっくり。子供が田野畑から学校に通うのに定期代で三年間で百万円かかりましたというお母さんがいましたが、元々高コストだっただけに、そこに復興費用がかかる。口で言うほど容易ではないとしみじみ感じました。ただ、さっぱ船や観光船の痛快さは他には比べようのないもの。もっと広く知られていいように思いました。
では、東京の旅も楽しんでください。
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- M-koku1さん 2014/07/19 08:53:13
- スカイツリー周辺情報
- たびたびさん
いつもご訪問ありがとうございます(^-^)
身近な東京のこのエリア、よくフラフラ歩くのですが、写真を撮るばかりで、こんなに詳しい情報を頭に入れていなかったので、とてもためになりました。
観光案内に寄らなくても、この旅行記片手に歩いたら、充分そうですね!(^-^)
今度はそうしてみましょう!
Mより
- たびたびさん からの返信 2014/07/24 10:50:39
- RE: スカイツリー周辺情報
- スカイツリー周辺の観光パンフレットはとてもよくできていて、かなり情報が細かいです。しかし、一方で詳しすぎて玉石混交。なかなか見つけられないくらい微妙なスポットもあるので、その辺りが難しいところです。これからだんだんと定番スポットというのが出来てくるのではないか。まだ発展途上のエリアじゃないかと思いました。
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