2014/03/30 - 2014/04/03
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しんちゃんさん
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長崎2日目の宿は、風頭山からの夜景を期待して矢太樓に宿泊しました。
また日中は路面電車と徒歩で、十分に長崎観光を楽しみました。
2日目の日程は、
にっしょうかん梅松鶴→日本二十六聖人記念館→長崎原爆資料館→平和公園→長崎さるく「異留地プレミアムさるく」→長崎孔子廟 中国歴代博物館→矢太樓泊
- 旅行の満足度
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JR特急
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
宿を出て最初に訪れたのは、西坂の丘に建つ「日本二十六聖人殉教記念館」です。
記念館の正面にあるのは、1962年(昭和37)に建立された、高さ5.6m・幅17mの御影石の台座に、二十六聖人等身大のブロンズ像です。
彫刻家・舟越保武氏作です。 -
日本二十六聖人は、1597年、豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。
日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのです。
26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになりました。
日本人20名と外国人6名。
この中には、12歳、13歳、14歳の子供もいました。 -
日本二十六聖人記念聖堂の二本の塔です。
力強く天にそびえ立つ双塔の一方は、神からの、お恵み、罪の赦しを招き受け入れ、
もう片方は、庶民の、願い、感謝、賛美、奉献が、天に、神に、とどくように、突き出ています。
塔には、庶民生活を表す、置物や、食器のかけらが張りつけられています。
-
日本二十六聖人記念館記念館入り口に向かいます。
館内は撮影禁止になっています。
日本における聖フランシスコ・ザビエルの渡来から明治時代までのキリスト教の歴史を紹介しています。 -
日本二十六聖人記念館記念館の外に、潜伏キリシタンの墓碑があります。
強い信念のもと、隠れキリシタンとしてこの地浦上で伝導に励んだのでしょう。
日本二十六聖人記念館で1時間滞在しました。
その後10分歩いて長崎駅まで行き、
駅前から路面電車に乗り原爆資料館に行きます。 -
原爆資料館を見た後、平和公園へ移動します。
「原爆落下中心碑原爆落下中心碑」
この地の上空500メートルで炸裂した原爆は、一瞬のうちに多くの尊い人命を奪いました。
塔の前に置かれた原爆殉難者名奉安箱には原爆により爆死された方を奉安してます -
恒久平和を願う象徴として造られた平和公園です。
平和記念像の天にのびる右手は原爆の脅威を、
水平にのばした左手は世界平和を表し、
閉じたまぶたは犠牲者の冥福を祈っています。 -
「のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました 」
―あの日のある少女の手記からー
胸が痛む手記です。 -
動員学徒の碑・長崎の鐘
昭和52年7月20日建立 原爆投下後、33回忌を迎えるにあたり、動員学徒、女子挺身隊、徴用工、一般市民原爆殉難者の冥福を祈り、あのようなむごたらしい原子原爆が再び地球で炸裂しないためにも、この鐘を鳴らし続けて、恒久平和の確立を世界の人々に訴えるため建立された。。。。と書いています。 -
折り鶴の像
-
平和公園に通じるエスカレーターです。
桜が満開で美しい。 -
平和公園から松山町まで歩き、松山町から出島まで路面電車に乗ります。
あまり待つことなく電車が次々くるので、時間を気にしなくて良いです。 -
出島から出発する、長崎国際観光コンペンシヨン協会「長崎通さるく」に参加しました。2時間の観光です。
土休日はもっと多いそうですが、平日なので4名の参加でした。
オレンジの上着のガイドさんが、詳しく案内してくださいます。
さあー 出発! -
出島は、1641年から開国までの約220年間、日本で西洋に開かれた唯一の窓口としてオランダ商館が置かれた場所です。
扇型に埋め立てた土地は、1636に完成しました。 -
現在、出島内の復元建造物は10棟あります。
ここは、鎖国時代のオランダ商館員の食事風景が再現されています。
ミーティング?パーティー?この時代に豪華です。
畳にテーブル シャンデリアの和様折衷で壁も花柄模様でこれらも輸入品なのでしょう。。。 -
路面電車や車がにぎやかに行き交う一角に位置する出島。
商館員の住まいや、輸入品を収めていた蔵なども復元されています。 -
出島の復元模型です。
-
出島には船を使って渡ったそうです。
水門には見張りがいて、関係者以外の女性は渡船禁止だったそうです。 -
次は・・グラバースカイロード(斜行エレベーター)に乗りグラバー園へ行きます。
グラバースカイロードに降りればこの景色!
高台なので長崎の町を一望出来ます。
楽しみな、グラバー園入園前なのに、すでにテンションアップ・・・ -
旧グラバー住宅です。
洋館に見える建物の屋根には、瓦が使われています。 -
英国商人のトーマス・グラバーは、坂本龍馬と友好を持ち、
最新式の西洋銃をもたらしました。 -
西洋料理発祥の旧自由亭の建物も、移築されています。
-
ここは、長崎湾一望の絶景が望める場所です。
1859年の開国後、日本の近代化を担った外国人たちの居留地で・・・
異国情緒を味わえました。
この後、坂道を5分程歩いて・・・浦上天主堂へ。 -
1864年に建造された日本最古の木造教会大浦天主堂です。
正式名は日本二十六聖殉教者天主堂で、ここで浦上旧キリシタンの子孫が発見された場所です。
ステンドグラスや薔薇窓など美しい教会です。
大浦天主堂で「長崎通さるく」は解散。ガイドしていただきお世話になりました。 -
孔子廟・中国歴代博物館がすぐ近くにあるので寄ってみます。
明治26年に清朝政府と在日華僑が協力して建てた、日本で唯一の本格的な中国様式の孔子廟です。
鮮やかな朱色が主で絢爛豪華な飾りや彫り物が見応えあります。 -
屋根の曲線が美しいです。
孔子の高弟の72賢人の実物大の石像が館内にずらーと並んでいます。 -
孔子廟・中国歴代博物館を出て、西浜町からバスで風頭山行バスで終点下車。
バス亭からすぐの所に宿泊する矢太樓がありました。
温泉に入り疲れを癒した後頂く夕食は格別です。
夕食は海鮮会席の14品の料理でした。
鯛の姿造り。 -
グラタン
-
珍しいエビ
-
パイの包み焼き・茶わん蒸し・天ぷらなどが次々と。
名物のちゃんぽんは食べきれず・・・
美味しく頂きました。 -
食後、部屋から撮った失敗写真です。酒のせい??ではなく、技量がなくて・・・
この1枚しか撮りませんでした。確かめず悔しいな・・・ -
本館にある展望台です。
ここからも素晴らしい夜景を堪能しました。
写真失敗(~_~;)
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