2014/04/17 - 2014/04/18
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Donkyさん
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三月下旬には早々と満開の時期を迎えたものの、時ならぬ春の嵐のいたずらに一瞬で散ってしまった近隣や都内の桜もすでに若葉の季節に突入しています。
そこで北上する桜前線を追って、数多くの桜の名木があることで知られている福島県三春町や会津鶴ヶ城でお花見をすることになりました。 都心部の満開期間がすこぶる短期間であったため、この時期に有名な桜の数々を鑑賞できるなんて とても得した気分です。
今回のお花見ツアーにご一緒するのは昨年「十和田湖・八甲田山」などをご一緒した妹の同期の方々4名と、私の友人を加えて総勢7名です。
まずは 日本桜の名所百選の一つ 白虎隊の悲話で知られる松平藩23万石のシンボルである鶴ヶ城を訪ねます。
その公園内では約1000本のソメイヨシノを中心にエドヒガン、シダレザクラ、ヤマザクラが咲き乱れているそうです。
鶴ヶ城は現存する日本唯一の赤瓦の天守閣にリニューアルし、白虎隊士も見ていた幕末時の姿を楽しめます。
17日(木) 19:30には戸田公園を出発し、外環浦和インター 川口から東北 高速道で佐野SAへ そこでファミリーロッジ旅籠屋・佐野SA店へ泊ります。
18日(金)07:30佐野SA出発ー東北高速道郡山インターから(08:30)ー常磐道会津若松インターを降りて 鶴ヶ城へ(09:30) 鶴ヶ城内の桜および天守閣見学(11:00)
初日から 天候に恵まれ 行く先々で開花状況はベストコンディション。 どこもかしこも満開状態の連続でとても恵まれたお花見ツアーとなりました。
市内で昼食後 猪苗代湖へ
会津若松インターからー東北道三春インター(16:00)を経由し夕方前に二日目の宿泊先若松屋旅館でチェックインを済ませた後 ライトアップされるという「滝桜」を観に出かけました。
19日(土)は 桜の里 三春を散策します。
三春の桜は 次回詳細をご報告します。
まずは鶴ヶ城 城内散歩と天守閣からの眺望 それから酒蔵「宮泉」と猪苗代湖へ 以上が初回のご報告内容です。
注)記事中 各地の記述は 公式HPおよび関連WEBサイトから抜粋・加筆したものです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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初日はファミリーロッジ旅籠屋・佐野SA店へ泊りました。
ファミリーロッジ旅籠屋・佐野SA店は アメリカンスタイルのロードサイドホテルで、文字通り高速の佐野サービスエリア内にあります。
(写真は同行のKさん撮影) -
● 広い客室(バストイレを含め約25?)に、幅1.5m超の大型ベッドが2台。
● 朝軽食無料サービス、全室ネット無料接続可、無料駐車場完備。 ● トイレは暖房洗浄機能付き、コインランドリー有り。禁煙室あり。● チェックインは午後11時まで。チェックアウトは午前11時まで。 -
ファミリーロッジ旅籠屋の朝軽食
無料サービスです。 -
サービスエリア内の宿なんていつものパックツアーでは考えられない宿泊先です。
なんだかちょっと得した気分です。 -
佐野SAを出発
これから東北高速道郡山インターを経て 常磐道会津若松インターを降りて 鶴ヶ城へ向かいます。 -
鶴ヶ城は 至徳元(1384)年、葦名直盛が東黒川館を築いたのが始まりといわれています。
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その後、会津領主だった葦名盛氏が改築し、現在の城郭の原型を築きました(黒川城)。
鶴ヶ城 (若松城、鶴ヶ城城址公園) 名所・史跡
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文禄2(1591)年には蒲生氏郷が7層の本格的な天守閣を築き、名前も「鶴ヶ城」と改められました
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まずは 満開の桜がお出迎え。いっぱんに ソメイヨシノ が多いのですが・・・。
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白虎隊の悲話で知られる松平藩23万石のシンボルである鶴ヶ城、その公園内では約1000本のソメイヨシノを中心にエドヒガン、シダレザクラ、ヤマザクラが咲き乱れています。
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ソメイヨシノとはそれぞれ日本原産種のエドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれたと考えられる日本産の園芸品種で、ソメイヨシノはほぼ全てクローンです。
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日本では明治の中頃より、サクラの中で圧倒的に多く植えられた品種であり、今日では、メディアなどで「桜が開花した」というときの「桜」はソメイヨシノ(の中の、気象台が定めるなどした特定の株)を意味するなど、現代の観賞用のサクラの代表種となっています。
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江戸末期から明治初期に、江戸の染井村(現在の駒込のあたりです)に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成されました。
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初めサクラの名所として古来名高く西行法師の和歌にもたびたび詠まれた大和の吉野山(奈良県山岳部)にちなんで「吉野」「吉野桜」として売られ、広まったのですが、
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藤野寄命による上野公園のサクラの調査によってヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり(1900年)
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この名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあるため、「日本園芸雑誌」において染井村の名を取り「染井吉野」と命名したといわれています。
なぜ そんなに「ソメイヨシノ」にこだわるかって?
名前がわが家の娘みたいで なんだか他人事とは思えなくて・・・。 -
話を 鶴ヶ城に 戻しますが
慶長16(1611)年、会津地方を大地震が襲い、天守閣は大きく傾きました。
この天守閣を改修し、ほぼ現在の姿のような5層の天守閣に造り上げたのが、加藤明成です。 -
幕末、鳥羽伏見の戦いに端を発した戊辰戦争は、戦いの場が会津へと移り、約1ヶ月の籠城戦を戦いぬいた鶴ヶ城も、明治7年に政府の命令で取り壊されました。
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城跡は、旧会津藩士・遠藤敬士らの尽力により、陸軍省から払い下げられ、昭和9年に国から史跡として指定を受けました。
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現在の天守閣は、昭和40年に、昔の姿そのままに再建されたものです。
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会津藩歴代城主は
葦名氏が 1384〜1589年(206年間)長期間治めていましたが・・
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その後
伊達氏 1589〜1590年(2年間)
蒲生氏 1590〜1598年(9年間)
上杉氏 1598〜1601年(4年間)
蒲生氏 1601〜1627年(27年間)
加藤氏 1627〜1643年(17年間)
「領地変え」により 領主も多くの大名が入れ替わり -
やがて将軍秀忠の庶子である保科氏(保科正之)が城主となります。
保科家3代・正容が松平姓を幕府から与えられ 会津といえば松平氏となるのですが・・・ -
1643〜1868年 226年間もの長期間 松平氏がこの地を治め続けたことで結果的に領民や家臣を 避けられない歴史変革の悲劇的流れの中に巻き込んでいきます。
幕末に領主松平容保が京都守護職に任ぜられたことで ますます会津は賊軍の代表となる「負の遺産」を背負い込むことになりました。
NHK大河ドラマ「八重の桜」を見ていると 「勝てば官軍」とはいえ 薩長・会津のいずれが 日本国の賊軍であったのか疑わしい部分があります。
なお領主松平容保の家系は脈々と続き 現在も数多くの舞台で活躍を続けています。
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でもまあ 詳しくは NHK大河ドラマ「八重の桜」でも 思い返していただくとして、悲惨な激戦の果ての明治元年9月22日、1ヶ月におよぶ籠城の末、開城しました。
その後の松平家は1869年、容保の実子の11代容大に家名存続が許され、改めて陸奥国斗南藩3万石(現在の青森県むつ市)を与えられ、知藩事となります。
廃藩置県後は華族に列し、子爵を授けられました。 -
その戊辰の砲弾を浴びたこの美しい天守閣は痛々しいほど、ぼろぼろの姿を曝すことになりました。
写真は現在のリニューアルされた天守です。
その後の松平家はそのままネガティブスパイラルが続いたわけではなく、のちに徳川宗家の当主を輩出するほどにまで強く復活していきます。
まず 容大の後は、弟(容保の五男)の保男が容大の養子となって家督を相続しました。
保男は海軍軍人となり、巡洋戦艦伊吹艦長、横須賀海兵団長を歴任し、海軍少将まで昇進しました。 -
鶴ヶ城は今では すっかり観光地化し 家族連れでにぎわっています。
さて容保の次男健雄(伊佐須美神社宮司)の次男勇雄は福島県知事を三期務め、容保の六男恒雄は、外務省に入って駐米大使・駐英大使を歴任し、戦後は初代参議院議長となりました。
雍仁親王妃勢津子は恒雄の長女ですが、成婚前に本家当主・保男の養女となりました。恒雄の子一郎は東京銀行会長。一郎の子恒孝は、1963年に徳川宗家の第18代当主を継承しています。伊佐須美神社 寺・神社・教会
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会津松平家の現当主は保男の孫・保久であり、NHKエンタープライズにお勤めで管理職を務めています。(以上 敬称略)
今でもここでは お殿様なんですねえ、地元に愛されている人気者だとか・・・。 -
この時期 満開の桜をめあてに 多くの観光客であふれていますが・・・。
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籠城戦の際には、あまりに戦死者が多いため、
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やがて息を引き取った死者を葬る土地すら無くなるなど、
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随処に かつての いたましい 歴史の足跡を 残していたりするのです。
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現在では、毎年9月22日に会津秋まつりが開催されていますが、それは、戊辰戦争に斃れた先人の霊を祀るためでもあるのだそうです。
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難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月、城は落ちなかったのです。 おそるべし、会津魂!
お城も それを守った人も 只者ではなかったのです。 -
石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年のことです。
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多くの方々の寄付により鶴ヶ城がよみがえったのは昭和40年9月のことでした。
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今や 城址は 歴史の博物館で
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城内には 展示物がいっぱいです。
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平成23年春には幕末時代の瓦(赤瓦)をまとった天守閣としてリニューアル公開されました。
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公開された天守閣からの眺望です。
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天守閣からの眺望です。
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天守閣からの眺望です。
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城内には お土産屋さんもあります。
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帰路城内散策 場所ごとに由来が
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帰路城内散策 見事な桜のお見送りです。
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この土地の 福祉タクシー(高齢者・妊産婦・障害者など10%オフ)
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お昼は 市内の「かみしろや」で
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「かみしろや」にて
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「かみしろや」 天ざる定食ランチ
大根のおろし汁(高遠)とうまみのある鴨の汁2種類があります。
東京から行くと北へ行くほど その味は塩分が少し濃くなっていく感じがします。 -
昼食後 酒蔵「宮泉」を見学しました。
鶴ヶ城から最も近い酒蔵、宮泉銘醸株式会社は昭和29年に宮森啓治氏が創業した現在で4代続く酒蔵です。
(写真はMさん撮影) -
創業者の宮森啓治氏は、かつて会津で一番の規模を誇る老舗蔵「花春」の家に生まれますが長男では無かったため分家として独立されました。
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蔵が建つこの場所は、かつて白虎隊寄合二番隊長、一ノ瀬加寿馬邸があった場所です。
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第二次大戦の企業整備令によって統廃合され使わなくなっていた酒蔵を買い取り、現在の場所で酒造業を始めたというのが創業の経緯です。
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酒蔵「宮泉」代表銘柄は
寫楽 純米酒
寫楽 純米吟醸 ささめゆき
大吟醸 宮泉 -
近隣の 歴史を感じるたたずまい
蔵の周囲には鶴ヶ城の家老級の武家屋敷が立ち並んでいます。 -
酒蔵「宮泉」は
杜氏:社員による製造です 昔ながらの季節労務でなく会社員です。
仕込み水:弱軟水 -
蔵の創業銘柄は宮泉です。
現在、地酒ファンから人気急上昇中の寫楽(しゃらく)は、廃業した東山酒造という酒蔵が持っていた商標を引き継ぐ形で、平成17年に宮泉銘醸で造りはじめた銘柄です。
(写真はKさん撮影) -
東山酒造も花春から分家した蔵で、商標を引き継ぐなら同じ家の出が良いという事で寫楽を引き継がれたとのことです。
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酒蔵の次には 猪苗代湖へ立ち寄りました。
猪苗代湖 自然・景勝地
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猪苗代湖(いなわしろこ)は、福島県の会津若松市、郡山市、耶麻郡猪苗代町にまたがる、日本で4番目に広い湖です。
猪苗代湖 自然・景勝地
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別名、天鏡湖(てんきょうこ)。 -
阿賀野川水系所属の一級河川の指定を受けています。
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福島県のほぼ中央に位置すし、面積は琵琶湖、霞ヶ浦、サロマ湖に次いで日本第4位(日本の湖沼の面積順の一覧参照)で、福島県では最大です。
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また、湖面の標高514mは、全国でも有数の標高の高い湖であり、磐梯朝日国立公園に属します。
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宿へ向かう途次 車窓にあの山が・・・。
これが会津の磐梯(ばんだい)山です。
福島県会津(あいづ)地方の民謡「会津磐梯山」に登場するのが小原庄助さん磐梯山 自然・景勝地
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朝寝・朝酒・朝湯好きで財産をつぶしたという小原庄助さんは本当にいたのでしょうか?
民謡「会津磐梯山」に登場する人物ですが、元禄(げんろく)時代の材木問屋,戊辰(ぼしん)戦争で戦死した会津藩士などの説もありますが,実在については不明です。(酒蔵「宮泉」見学コースにて) -
今夜のお宿である若松屋旅館に到着です。
ここで 地元にお住いのOBご夫婦が加わります。
同期の4名とは 久々のご対面。 -
若松屋のキャッチコピーは次の通りです。
福島県郡山市にほど近い、田村郡「桜の里」三春町にある若松屋旅館は、めずらしいラジウム温泉と地元料理でおもてなし。
春には、三春の滝桜を観光に来るお客様も多く、四季折々で楽しむことも。若松屋旅館 宿・ホテル
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若松屋旅館へチェックインしました。
若松屋旅館のラジウム泉は 体への活性作用が強く自然治癒力を高める効果があるとも言われています。
けっして高級旅館ではありませんが、丁寧で素朴な感じが じんわりと伝わってくる 良いお宿といえます。 一言で言ってプライスパフォーマンスが良いのです。 -
有名なラジウム泉入浴後
皆さんお待ちかねの 若松屋旅館 夕食です。 -
夕食 三春名物の「三角油揚」
三春町の名物の三角油揚げは、通常の油揚げより中の豆腐分が多く、油揚げと厚揚げの中間くらいの食感です。
そのままでも美味しいのですが、きざんだねぎをはさんだり、木の芽や柚子みそをぬって食べました。 -
若松屋旅館 夕食です。
多品種 豪勢ですが 決して割高感を感じないおもてなしといえます。 -
若松屋旅館 夕食「がんもどき」みたいな食感でしたが・・・。
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若松屋旅館 夕食「おそば」です。
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若松屋旅館 夕食「カキ玉汁」です。
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若松屋旅館 夕食「山菜釜飯」です。
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若松屋旅館 夕食デザート「餡団子」です。
このころは おなかいっぱいで食べきれませんでしたね。 -
若松屋旅館 夕食「船盛り」つき豪華版です。
これだけでもおなかいっぱいなのに・・・おおむね満足度の高い料理でした。
同行の皆さんは、話が弾み 楽しそうに・・・。 友達っていいなあ。 -
若松屋旅館 朝食です。
丁寧さと誠実さを感じました。若松屋旅館 宿・ホテル
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夕食の前に お目当ての「滝桜」鑑賞に出かけたのですが 詳しくは次回の
桜前線を追って観桜ツアー(2)「三春の桜」でご紹介します。
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