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北陸旅行2日目はまず100名城の七尾城に行きます。<br /><br />朝一、タクシーで本丸近くの駐車場まで行き城跡を見学した後、七尾駅まで徒歩で向かいました。<br /><br /><br />標高300mほど城山の7つの尾根上に砦が築かれたため、七尾城と呼ばれた山城です。<br /><br />七尾城は1420年代に畠山氏により築かれましたが、後に上杉謙信により攻め落とされました。<br /><br />しかし、その攻略には1年以上もの歳月がかかり、鉄壁の山城だったと云えると思います。<br /><br />関が原前に廃城となったため、遺構はあまり残っていませんが、楽しみにしていた城跡です。<br /><br />実際に城跡をめぐってみて、難攻不落だった理由がよく分りました。<br /><br />地形を上手く利用し、石垣を積み、要塞のような山城だったと思います。<br /><br /><br /><br /><br />

青春18きっぷ一人旅 北陸一泊二日 (2日目 七尾城)

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2014/03/19 - 2014/03/19

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北陸旅行2日目はまず100名城の七尾城に行きます。

朝一、タクシーで本丸近くの駐車場まで行き城跡を見学した後、七尾駅まで徒歩で向かいました。


標高300mほど城山の7つの尾根上に砦が築かれたため、七尾城と呼ばれた山城です。

七尾城は1420年代に畠山氏により築かれましたが、後に上杉謙信により攻め落とされました。

しかし、その攻略には1年以上もの歳月がかかり、鉄壁の山城だったと云えると思います。

関が原前に廃城となったため、遺構はあまり残っていませんが、楽しみにしていた城跡です。

実際に城跡をめぐってみて、難攻不落だった理由がよく分りました。

地形を上手く利用し、石垣を積み、要塞のような山城だったと思います。




旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 七尾駅前のホテルに泊まりました。<br /><br />綺麗なホテルでぐっすり眠れました。<br /><br />バイキングの朝ごはんもおいしかったです。<br /><br />7時にホテルを出て七尾駅から七尾城に向かいます。<br /><br /><br /><br />

    七尾駅前のホテルに泊まりました。

    綺麗なホテルでぐっすり眠れました。

    バイキングの朝ごはんもおいしかったです。

    7時にホテルを出て七尾駅から七尾城に向かいます。



  • 七尾駅から七尾城本丸近くの駐車場まで、タクシーで20分位です。<br /><br />駅から歩くと2時間弱ほどの距離のようです。<br /><br />料金は2,750円でした。<br /><br />

    七尾駅から七尾城本丸近くの駐車場まで、タクシーで20分位です。

    駅から歩くと2時間弱ほどの距離のようです。

    料金は2,750円でした。

  • 誰もまだいません。<br /><br />まぁ下山するまで誰とも会いませんでしたがw<br /><br />うぐいすが鳴いて、空気も綺麗で気持ちいいです。<br /><br />

    誰もまだいません。

    まぁ下山するまで誰とも会いませんでしたがw

    うぐいすが鳴いて、空気も綺麗で気持ちいいです。

  • 展望台の表示がありました。<br /><br />登り道を10分ほど歩きましたが着きません。<br /><br />諦めて駐車場に戻ります。<br /><br />

    展望台の表示がありました。

    登り道を10分ほど歩きましたが着きません。

    諦めて駐車場に戻ります。

  • 駐車場から5分で本丸に着きます。<br /><br />今回はタクシーなので楽です。<br />

    駐車場から5分で本丸に着きます。

    今回はタクシーなので楽です。

  • 二代・畠山義忠の歌碑です。<br /><br />「野も山も みなうづもるる 雪の中 しるしはかりの 杉の村立」<br /><br /><br />

    二代・畠山義忠の歌碑です。

    「野も山も みなうづもるる 雪の中 しるしはかりの 杉の村立」


  • 調度丸跡です。<br /><br />弓矢などの武具を整えた場所です。<br /><br />

    調度丸跡です。

    弓矢などの武具を整えた場所です。

  • 2mほどの低い野面積みの石垣を数段に積み上げることによって、高石垣の役目を果たさせています。<br /><br />

    2mほどの低い野面積みの石垣を数段に積み上げることによって、高石垣の役目を果たさせています。

  • 本丸のすぐ西側に位置する遊佐(ゆさ)屋敷跡です。<br /><br />城主に次ぐ守護代の地位にあった遊佐氏の屋敷があったと考えられています。<br /><br />遊佐は上杉謙信に攻められたときに、最終的に謙信にねがえって、城門を開けるんですが・・・

    本丸のすぐ西側に位置する遊佐(ゆさ)屋敷跡です。

    城主に次ぐ守護代の地位にあった遊佐氏の屋敷があったと考えられています。

    遊佐は上杉謙信に攻められたときに、最終的に謙信にねがえって、城門を開けるんですが・・・

  • 本丸を守る石垣も高くはありませんが、段々になっており、攻めるのは容易ではないのが分かります。<br />

    本丸を守る石垣も高くはありませんが、段々になっており、攻めるのは容易ではないのが分かります。

  • 本丸跡です。<br /><br />東西50m、南北40mあります。<br /><br />

    本丸跡です。

    東西50m、南北40mあります。

  • 眺めも格別です。<br /><br />上杉謙信が七尾城を攻めた時にこの眺望に感嘆したのもうなずけます。<br /><br />

    眺めも格別です。

    上杉謙信が七尾城を攻めた時にこの眺望に感嘆したのもうなずけます。

  • 本丸の上に神社があり、違和感を感じました。<br /><br />この城山神社は昭和17年に建立されたもので、城があった当時にはありません。<br />

    本丸の上に神社があり、違和感を感じました。

    この城山神社は昭和17年に建立されたもので、城があった当時にはありません。

  • 桜馬場跡です。<br /><br />ここは東西45m、南北25mあり軍馬の調鍛を行った馬場といわれています。<br />

    桜馬場跡です。

    ここは東西45m、南北25mあり軍馬の調鍛を行った馬場といわれています。

  • 温井氏屋敷跡です。<br /> <br />温井氏は城主・畠山氏の八臣のひとつです。<br /><br />

    温井氏屋敷跡です。
     
    温井氏は城主・畠山氏の八臣のひとつです。

  • 九尺石までは近いのですが、道がせまく少し怖かったです。

    九尺石までは近いのですが、道がせまく少し怖かったです。

  • 九尺石です。<br /><br />城の鎮護のかなめ石で、大きな石です。<br /><br />名前からして3m弱ほどでしょうか。

    九尺石です。

    城の鎮護のかなめ石で、大きな石です。

    名前からして3m弱ほどでしょうか。

  • 二の丸へ続く階段と石垣です。<br /><br />

    二の丸へ続く階段と石垣です。

  • 二の丸跡です。<br /><br />本丸に次ぐ七尾城の拠点で、大規模に造成されています。<br />

    二の丸跡です。

    本丸に次ぐ七尾城の拠点で、大規模に造成されています。

  • 曲輪の中で最大規模の三の丸跡です。<br /><br />南北110m、東北25mと細長く、二の丸とは深い「堀切り」で区切られています。<br /><br />本丸を中心とした主郭とは別の曲輪群を構成しています。<br />

    曲輪の中で最大規模の三の丸跡です。

    南北110m、東北25mと細長く、二の丸とは深い「堀切り」で区切られています。

    本丸を中心とした主郭とは別の曲輪群を構成しています。

  • 安寧(あんねい)寺跡です。<br /><br />

    安寧(あんねい)寺跡です。

  • 畠山氏の墓碑です。<br /><br />

    畠山氏の墓碑です。

  • 七尾城攻防戦で滅んだ武士たちの慰霊碑です。<br /><br />領民たちも強制的に籠城させられたようです。<br /><br />

    七尾城攻防戦で滅んだ武士たちの慰霊碑です。

    領民たちも強制的に籠城させられたようです。

  • 七尾湾の七尾大橋が見えます。<br /><br />上杉謙信もこの景色を見たんでしょうか?<br /><br />当然、橋は当時はありませんでしたがw

    七尾湾の七尾大橋が見えます。

    上杉謙信もこの景色を見たんでしょうか?

    当然、橋は当時はありませんでしたがw

  • 番所跡です。<br /><br />畠山氏の通用門で、城内臣下の出入り口を警備兵が交代で詰めていました。<br /><br />

    番所跡です。

    畠山氏の通用門で、城内臣下の出入り口を警備兵が交代で詰めていました。

  • 急カーブの山道です。<br /><br />敵に簡単に攻められないように、直線ではなく、道をカーブさせています。<br /><br />これは七曲がり(ななまがり)といわれます。<br /><br />上杉謙信の攻撃を長い間、防いだのもこのように地形を上手く利用したからだと云われています。<br />

    急カーブの山道です。

    敵に簡単に攻められないように、直線ではなく、道をカーブさせています。

    これは七曲がり(ななまがり)といわれます。

    上杉謙信の攻撃を長い間、防いだのもこのように地形を上手く利用したからだと云われています。

  • 朝夕、城内・城下に鐘で時刻を報せた時鐘跡です。<br />

    朝夕、城内・城下に鐘で時刻を報せた時鐘跡です。

  • 古城町からの登り口の赤坂口です。<br /><br />畠山氏の通用門、臣下の出入り口でした。<br /><br />遠来の人は通行を禁じられました。<br />

    古城町からの登り口の赤坂口です。

    畠山氏の通用門、臣下の出入り口でした。

    遠来の人は通行を禁じられました。

  • 妙国寺跡です。<br /><br />

    妙国寺跡です。

  • 山道から舗装道路に変わってきました。<br /><br />山ももうそろそろ終わりのようです。<br />

    山道から舗装道路に変わってきました。

    山ももうそろそろ終わりのようです。

  • 民家が見えてきました。<br /><br />山に入ってから誰にも会いませんでした。

    民家が見えてきました。

    山に入ってから誰にも会いませんでした。

  • 七尾城史資料館に9時前に到着しました。<br /><br />ここで100名城のスタンプを頂きます。<br /><br />開館前でしたがスタンプは入口に置いてありました。<br /><br />電車の時間がギリギリのため入館はしませんでした。<br /><br /><br /><br />

    七尾城史資料館に9時前に到着しました。

    ここで100名城のスタンプを頂きます。

    開館前でしたがスタンプは入口に置いてありました。

    電車の時間がギリギリのため入館はしませんでした。



  • 懐古館飯田家は七尾城史資料館に隣接する昔の庄屋の住宅です。<br /><br />重要文化財に指定されており見学できるようです。<br /><br />

    懐古館飯田家は七尾城史資料館に隣接する昔の庄屋の住宅です。

    重要文化財に指定されており見学できるようです。

  • あとは七尾駅を目指してひたすら歩きます。<br /><br />

    あとは七尾駅を目指してひたすら歩きます。

  • 9時40分に七尾駅に到着しました。<br /><br />少し迷いましたが、ギリギリ電車に間に合いました。<br /><br />

    9時40分に七尾駅に到着しました。

    少し迷いましたが、ギリギリ電車に間に合いました。

  • 9:43発の電車で津幡を経由して高岡に向かいます。<br /><br />この電車をのがすと、高岡到着が1時間以上遅れてしまうので助かりました。<br /><br /><br />この後、高岡の方に向かいました。<br /><br />長々と読んで頂き本当にありがとうございました。

    9:43発の電車で津幡を経由して高岡に向かいます。

    この電車をのがすと、高岡到着が1時間以上遅れてしまうので助かりました。


    この後、高岡の方に向かいました。

    長々と読んで頂き本当にありがとうございました。

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