2014/03/28 - 2014/03/28
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empenguinさん
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アレキサンドリアに仕事で滞在中の休日にロゼッタ・ストーンのRosetta(現地名はRashid)に行ってきまました.
4travelでのロゼッタ旅行記は初めてのようです.
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
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アレキサンドリアからバスで行くのですが,バス・ステーションは街の中心から大分南に離れたモウイフ(Maw'if).ここは大バス・ステーション.
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大型バスもいるが,多くはこのようなセルビス(ミニバス).
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ロゼッタ行きはこの22番だったのだが,普通は入っている行き先表示が入っておらずで,聞きながら見つけた.Rosettaと言っても分からない人がいたが,町の名前は El-Rashid でありRosettaはこの訛りで,Rosetta Stoneはじめ海外で使われているようだ.
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Google Mapでもラシード(Rashid)になっている.
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この赤のセルビスで行くことに.東へ50kmなのだが,料金は5ポンド(80円).
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途中のナイルデルタは緑豊かな大穀倉地帯.アレキ周辺の砂漠とは大違い.
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ナイルデルタは水も豊富.
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約1時間でロゼッタに到着.
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セルビス・ステーションからナイル川に向かう東西の道はスーク(市場)通り.地球の歩き方の地図には,スークはもっと先から始まるようになっていたので戸惑った.
ロゼッタは人口4万で小さい町かと思ったが,もっと大きいような感じで,スークの人出も多い. -
これはナイルに向かうスーク通りの写真に偶然入っていたのだが,右にオスマン朝時代のオスマン商家の家(ラマダーンの家?)
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小魚はアレキよりもこちらの方が種類が豊富.
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小魚.
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ナマズも売っていた.動いていた.
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ナイル川沿いの道路.このナイル川沿いが整備され綺麗なところです.
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ナイル川沿い.
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このナイル川はデルタ地帯の1支流ですが,一番大きな支流なのでしょう.カイロのナイル川と同じくらいの川幅です.
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対岸への渡し船乗り場.
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対岸から来た渡し船は満員.この辺りに橋はないよう.
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ナイル川沿いのモスク.
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町中のモスク.
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ロゼッタ博物館のある広場方向に向かう南北のスーク通りをようやく見つけた.こちらも狭い通りで込み合っている.(地球の歩き方ではこの通りがスークとなっている.)
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肉屋さんの店頭はこれでダイナミック.店頭で切り裂いてます.
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中国なら豚足だろうが,こちらでは豚は食べないので「牛足」か?
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ロゼッタ博物館のあるファルーク広場.大した広場ではないですが,町一番の広場.
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ロゼッタ博物館のチケット売り場.料金は30ポンド(480円).
お兄さん達のいるところが入口かと思ったら,反対側の建物だと言われた. -
ロゼッタ博物館になっているのは,オスマン朝時代に当地の知事のアラブ・キリー家の家.
ロゼッタ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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お目当てのロゼッタ・ストーン.本物は大英博物館でこれはレプリカ.
上から順に,古代エジプトのヒエログリフ(神聖文字),古代エジプトのデモティック(民衆文字),ギリシア語で,同じ内容の文章が記されている. -
英語説明板と共に.
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ロゼッタ・ストーンが1799年にエジプト遠征したナポレオン軍の大尉に見つけられたのは,町から北へ7kmのこのカーイトゥベイ要塞.アレキサンドリアの同名の要塞とそっくりとのこと.行くならタクシーだが,止めた.
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発見当時ではなく,第2回国際東洋学者会議で専門家による検分をうけるロゼッタ・ストーン(1874年).
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オスマン軍の戦闘の絵.(イスタンブール軍事博物館にも同種の絵が多数あった.)
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オスマン朝の書記役人の様子.
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ロゼッタ博物館チケット売り場のところはツーリストポリス公園で,ここはよく整備されていた.
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ツーリストポリス公園.ここで一服.
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ツーリストポリス公園隣のRashid Hotel. 町一番のホテルのよう.
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17-19世紀のオスマン朝の家が多く残っていて観光スポットなので,行ってみた.
これは一番有名なアブーシャシーンの家.タイルと張り出し窓が特徴的.オスマン朝時代の家々 建造物
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アブーシャシーンの家の隣のアマスヤリーの家.
ここで共通入場チケットを売っているのだが,観光客はいないようで一人では厭なのと,ロゼッタ博物館になっている家と似ているようなので,入るのはパスした. -
Amasyali Houseの看板.1808年.
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町でランチを食べるところを探したが,私が食べるようなところなしなので,アレキに帰ることにした.アレキサンドリアのアラブ名は「イスカンダレーセ」であり,これのが通じるというので,そう言ってセルビスを探した.このセルビスでアレキサンドリアに戻る.
セルビスは席が埋まるのを待って12:15に出発.途中である出来事あり. -
セルビスは12:30に道端に止まってしまった.男性7人が降りたのかと思ったら,そうではなくモスクに礼拝に行くのだった.金曜正午の集団礼拝だった.
ドライバーと私を含む男性6名+女性2名は待つことに.私は急いでいたわけではないので,のんびり待ちました.セルビスの後ろに見えるのがモスク(ガーマ).セルビスは7人が戻ってきた30分待って出発した. -
金曜正午はイスラム男性には欠かせない集団礼拝で,モスクの脇に多数の車が停車していた.戦闘中でも(略式ながら)この礼拝は欠かせないよう.
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戻ったアレキのバスステーションに居たセルビス.「陽気ぐらし」が目についた.良く見たら「KYOTO ISUZU」とあり,日本の中古輸入車だったよう.
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