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戦国時代には板島丸串城と言われ天正3年(1575)西園寺宣久(さいおんじ・のぶひさ,生誕不詳~1580)の居城、更に天正13年(1585)には小早川隆景(こばやかわ・たかかげ、1533~1597)の所領となりますが、天守を有する築城は慶長6年(1601)に藤堂高虎(とうどう・たかとら、1556~1630)によってであるといわれています。<br /><br />文禄4年(1595)高虎が宇和郡7万石に封ぜられ、翌年の慶長元年(1596)着工し、約5年をかけて近代的な城郭に仕上げます。<br /><br />慶長6年(1601)高虎が今治に転封、慶長13年(1608)富田信高(とみた・のぶたか、生誕不詳~1633)が10万石を以て入城しますがお家騒動により改易、暫く幕府直轄領となり幕命に高虎が代官となり、従兄に当たる藤堂良勝(とうどう・よしかつ、1565~1615)が城代として役割をはたします。<br /><br />慶長19年(1614)仙台藩主伊達政宗の庶長子秀宗(ひでむね、1591~1658)が宇和郡10万石に封ぜられ翌年入城し宇和島城と改め、以降明治維新を迎えるまで伊達氏9代の居城となります。<br /><br />尚寛文2年(1662)2代藩主伊達宗利(だて・むねとし、1635~1709)の代には藩財政厳しいなか、老朽化した天守を含む城郭の大改修に着手、寛文11年(1671)にようやく竣工に至ります。<br /><br />地勢的にはかつての宇和島城は五角形として城郭の西側二方は海に面し、東側三方は堀を施し海水を引き入れるいわゆる海城となっていました。<br /><br />また海や水堀に囲まれた城郭は海抜80mの丘陵地の本丸に天守を置き、本丸を二の丸が囲み、二の丸の北側中腹には藤兵衛丸、更にその北には長門丸、西側には代右衛門丸をそれぞれ配置しています。<br /><br />一方天守を配した丘陵地の東側麓には三ノ丸を造り、藩の政庁と共に藩主の居住館を置き、更に水堀の外側には武家屋敷エリアとして敵の侵入に対し万全の態勢を整えています。<br /><br /><br />2022年11月13日追記<br /><br />当該城跡の登城口に建てられた「宇和島城の沿革」については下記の通り記述されています。<br /><br />『 宇和島城の沿革<br /><br />戦国時代高串道免城主の家藤監物が、天文15年(1546)板島丸串城に入ったというのが、板島丸串城の記録に現れ始めである。<br /><br />その後、転生3年(1575)西園寺宣久の居城となったが、同13年(1585)には伊予国が小早川隆景の所領となり持田右京が城代となった。その後、同15年(1587)宇和郡は戸田勝隆の所領となり戸田与左衛門が城代となった。<br /><br />文禄4年(1595)藤堂高虎が宇和郡7万石に封ぜられ、その本城として慶長元年(1596)築城工事を起こし、城堀りを掘り、石垣を築いて、天守閣以下大小数十の矢倉を構え、同6年(1601)ごろまでかかって厳然たる城郭を築きあげた。<br /><br />慶長13年(1608)高虎が今治に転封となり富田信高が入城したが、同18年(1613)に改易となったので、約1年間幕府の直轄地となり、高虎が預かり、藤堂良勝を城代とした。<br /><br />形容19年(1614)12月、仙台藩主伊達正宗の長子秀宗が宇和島10万石に封ぜられ、翌元和元年(1615)3月に入城の後宇和島城と改めた。<br /><br />それ以後、代々伊達氏の居城となり、二代宗利のとき寛文4年(1664)天守閣以下城郭全部の大修理を行い、同11年(1672)に至り完成した。<br /><br />天守閣は国の重要文化財に、また城跡は史跡に指定されている。別称鶴島城ともいう。<br /><br />                   宇和島市教育委員会 』<br /><br /><br />日程<br /><br />3/17(月)JR大洲ー(各停ディーゼル)→JR宇和島<br />  

伊予宇和島 LCCX18切符で四国一周勝手気まま城跡訪問 藤堂高虎の今治転封後は伊達政宗庶長子秀宗が10万石で入部した『宇和島城』訪問

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2014/03/17 - 2014/03/17

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58

滝山氏照

滝山氏照さん

戦国時代には板島丸串城と言われ天正3年(1575)西園寺宣久(さいおんじ・のぶひさ,生誕不詳~1580)の居城、更に天正13年(1585)には小早川隆景(こばやかわ・たかかげ、1533~1597)の所領となりますが、天守を有する築城は慶長6年(1601)に藤堂高虎(とうどう・たかとら、1556~1630)によってであるといわれています。

文禄4年(1595)高虎が宇和郡7万石に封ぜられ、翌年の慶長元年(1596)着工し、約5年をかけて近代的な城郭に仕上げます。

慶長6年(1601)高虎が今治に転封、慶長13年(1608)富田信高(とみた・のぶたか、生誕不詳~1633)が10万石を以て入城しますがお家騒動により改易、暫く幕府直轄領となり幕命に高虎が代官となり、従兄に当たる藤堂良勝(とうどう・よしかつ、1565~1615)が城代として役割をはたします。

慶長19年(1614)仙台藩主伊達政宗の庶長子秀宗(ひでむね、1591~1658)が宇和郡10万石に封ぜられ翌年入城し宇和島城と改め、以降明治維新を迎えるまで伊達氏9代の居城となります。

尚寛文2年(1662)2代藩主伊達宗利(だて・むねとし、1635~1709)の代には藩財政厳しいなか、老朽化した天守を含む城郭の大改修に着手、寛文11年(1671)にようやく竣工に至ります。

地勢的にはかつての宇和島城は五角形として城郭の西側二方は海に面し、東側三方は堀を施し海水を引き入れるいわゆる海城となっていました。

また海や水堀に囲まれた城郭は海抜80mの丘陵地の本丸に天守を置き、本丸を二の丸が囲み、二の丸の北側中腹には藤兵衛丸、更にその北には長門丸、西側には代右衛門丸をそれぞれ配置しています。

一方天守を配した丘陵地の東側麓には三ノ丸を造り、藩の政庁と共に藩主の居住館を置き、更に水堀の外側には武家屋敷エリアとして敵の侵入に対し万全の態勢を整えています。


2022年11月13日追記

当該城跡の登城口に建てられた「宇和島城の沿革」については下記の通り記述されています。

『 宇和島城の沿革

戦国時代高串道免城主の家藤監物が、天文15年(1546)板島丸串城に入ったというのが、板島丸串城の記録に現れ始めである。

その後、転生3年(1575)西園寺宣久の居城となったが、同13年(1585)には伊予国が小早川隆景の所領となり持田右京が城代となった。その後、同15年(1587)宇和郡は戸田勝隆の所領となり戸田与左衛門が城代となった。

文禄4年(1595)藤堂高虎が宇和郡7万石に封ぜられ、その本城として慶長元年(1596)築城工事を起こし、城堀りを掘り、石垣を築いて、天守閣以下大小数十の矢倉を構え、同6年(1601)ごろまでかかって厳然たる城郭を築きあげた。

慶長13年(1608)高虎が今治に転封となり富田信高が入城したが、同18年(1613)に改易となったので、約1年間幕府の直轄地となり、高虎が預かり、藤堂良勝を城代とした。

形容19年(1614)12月、仙台藩主伊達正宗の長子秀宗が宇和島10万石に封ぜられ、翌元和元年(1615)3月に入城の後宇和島城と改めた。

それ以後、代々伊達氏の居城となり、二代宗利のとき寛文4年(1664)天守閣以下城郭全部の大修理を行い、同11年(1672)に至り完成した。

天守閣は国の重要文化財に、また城跡は史跡に指定されている。別称鶴島城ともいう。

                   宇和島市教育委員会 』


日程

3/17(月)JR大洲ー(各停ディーゼル)→JR宇和島
  

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通
3.0
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • JR予讃線・大洲駅<br /><br />予土線(宇和島~窪川)ダイヤ厳しくやむなく大洲城跡訪問を断念、朝早くの宇和島行に乗車の為再びJR大洲駅にタクシーを飛ばします。

    JR予讃線・大洲駅

    予土線(宇和島~窪川)ダイヤ厳しくやむなく大洲城跡訪問を断念、朝早くの宇和島行に乗車の為再びJR大洲駅にタクシーを飛ばします。

  • 大洲観光地図<br /><br />肱川の河畔に面して大洲城跡がある事確認するも今回訪問を断念せざるをえません。

    大洲観光地図

    肱川の河畔に面して大洲城跡がある事確認するも今回訪問を断念せざるをえません。

  • JR予讃線・大洲駅前<br /><br />朝靄がかかって視界が効きません。

    JR予讃線・大洲駅前

    朝靄がかかって視界が効きません。

  • 大洲城跡ポスター<br /><br />駅舎玄関先に掲示されている観光用ポスター、大洲城を背景に鉄橋を走行するJR車輛が撮られています。

    大洲城跡ポスター

    駅舎玄関先に掲示されている観光用ポスター、大洲城を背景に鉄橋を走行するJR車輛が撮られています。

  • 7:51発JR宇和島行ディーゼル<br /><br />2輌編成のディ?ゼル車輛(松山駅以西は非電化)が到着、通学の生徒たちが乗り降りしているなか行き違いの列車の到着を待ち合せます。

    7:51発JR宇和島行ディーゼル

    2輌編成のディ?ゼル車輛(松山駅以西は非電化)が到着、通学の生徒たちが乗り降りしているなか行き違いの列車の到着を待ち合せます。

  • 名所案内<br /><br />大洲城が紹介されています。案内板によると駅からの距離は1.8Kmで徒歩約30分と記載されています。

    名所案内

    大洲城が紹介されています。案内板によると駅からの距離は1.8Kmで徒歩約30分と記載されています。

  • 9:46着JR宇和島駅<br /><br />心地よいディーゼル音を聞きながら終着駅JR宇和島駅到着します。単線のため行き違いや特急追い越し等の理由でのんびりした旅でした。(途中の八幡浜駅では20分の停車でした)<br /><br /><br />

    9:46着JR宇和島駅

    心地よいディーゼル音を聞きながら終着駅JR宇和島駅到着します。単線のため行き違いや特急追い越し等の理由でのんびりした旅でした。(途中の八幡浜駅では20分の停車でした)


  • JR宇和島駅ホーム<br /><br />右手には下車した車輛、左手には松山行特急「宇和海8号」が出発を待っているところです。

    JR宇和島駅ホーム

    右手には下車した車輛、左手には松山行特急「宇和海8号」が出発を待っているところです。

  • JR宇和島駅ホーム<br /><br />松山行特急は漫画チックなラッピング車輛になっていますね。

    JR宇和島駅ホーム

    松山行特急は漫画チックなラッピング車輛になっていますね。

  • JR宇和島駅<br /><br />終着駅の為その先はレールは敷設されていません。

    JR宇和島駅

    終着駅の為その先はレールは敷設されていません。

  • JR宇和島駅舎<br /><br />駅前に出ますと明るい陽光を浴びた広場が迎えてくれます。駅構内の観光案内所にて女性から宇和島城に行く方法を尋ねます。早速地図を広げてマーカーにて道順を教えていただきました。

    JR宇和島駅舎

    駅前に出ますと明るい陽光を浴びた広場が迎えてくれます。駅構内の観光案内所にて女性から宇和島城に行く方法を尋ねます。早速地図を広げてマーカーにて道順を教えていただきました。

  • 宇和島城跡(遠景)<br /><br />駅前通りを右に歩き大きな交差点を左折、暫く歩きますと「宇和島城登口」の標識が見えるのでそこを右折して入ります。

    宇和島城跡(遠景)

    駅前通りを右に歩き大きな交差点を左折、暫く歩きますと「宇和島城登口」の標識が見えるのでそこを右折して入ります。

  • 宇和島周辺地図<br /><br />地図の中央部が宇和島城跡であることが確認できます。

    宇和島周辺地図

    地図の中央部が宇和島城跡であることが確認できます。

  • 宇和島藩家老桑折(こおり)氏武家長屋門<br /><br />城山東北の登城口に設置された長屋門で、家老桑折氏屋敷地に残されていたものを一部は失われていますが当地に移築されたものです。<br /><br />

    宇和島藩家老桑折(こおり)氏武家長屋門

    城山東北の登城口に設置された長屋門で、家老桑折氏屋敷地に残されていたものを一部は失われていますが当地に移築されたものです。

  • 長屋門説明

    長屋門説明

  • 長屋門一部

    長屋門一部

  • 桑折氏長屋門標柱

    桑折氏長屋門標柱

  • 宇和島城沿革

    宇和島城沿革

  • 宇和島城登城口

    宇和島城登城口

  • 登城口

    登城口

  • 長門丸跡石垣

    長門丸跡石垣

  • 長門丸跡石垣<br /><br />石垣角の上部には西角櫓がありました。

    長門丸跡石垣

    石垣角の上部には西角櫓がありました。

  • 長門丸跡石垣<br /><br />野面積み石垣が確認できます。

    長門丸跡石垣

    野面積み石垣が確認できます。

  • 土塁の一部

    土塁の一部

  • 長門丸跡<br /><br />広場の一隅には遊園機具が設置されています。

    長門丸跡

    広場の一隅には遊園機具が設置されています。

  • 長門丸跡<br /><br />

    長門丸跡

  • 長門丸跡石標

    長門丸跡石標

  • 藤兵衛丸跡

    藤兵衛丸跡

  • 「宇和島城保存整備事業」説明

    「宇和島城保存整備事業」説明

  • 案内板<br /><br />左方向は天守、右方向は上り立ち門(搦手道口の位置)に繋がります。

    案内板

    左方向は天守、右方向は上り立ち門(搦手道口の位置)に繋がります。

  • 藤兵衛丸 山里倉庫(郷土資料館)<br /><br />宇和島城パンフレットによりますと、弘化2年(1845)三の丸に建てられた武器庫で希少価値の高い建物だそうです。昭和41年伊達家より譲渡を受け城山内に移築後、郷土資料館として民族資料や古写真などが展示されています。(自分が訪問した日は休館日でした)<br /><br />

    藤兵衛丸 山里倉庫(郷土資料館)

    宇和島城パンフレットによりますと、弘化2年(1845)三の丸に建てられた武器庫で希少価値の高い建物だそうです。昭和41年伊達家より譲渡を受け城山内に移築後、郷土資料館として民族資料や古写真などが展示されています。(自分が訪問した日は休館日でした)

  • 仮設渡り橋<br /><br />仮設の橋から登ります。保存事業工事でしょうか。<br /><br />

    仮設渡り橋

    仮設の橋から登ります。保存事業工事でしょうか。

  • 二の丸<br /><br />遺跡などは見られず芝生だけの広場です。

    二の丸

    遺跡などは見られず芝生だけの広場です。

  • 二の丸跡説明

    二の丸跡説明

  • 本丸への仮設渡り橋

    本丸への仮設渡り橋

  • 一之門跡(櫛形門)

    一之門跡(櫛形門)

  • 天守閣<br /><br />三層三階の層搭式の天守で小規模ながら現存ならでの格式の高さを思わせます。この天守閣は日本に12しかない現存天守の一つで【国の重要文化財】に指定されています。

    イチオシ

    天守閣

    三層三階の層搭式の天守で小規模ながら現存ならでの格式の高さを思わせます。この天守閣は日本に12しかない現存天守の一つで【国の重要文化財】に指定されています。

  • 御台所跡(台所跡)

    御台所跡(台所跡)

  • 鉄砲櫓跡<br /><br />

    鉄砲櫓跡

  • 天守全景

    イチオシ

    天守全景

  • 天守(近景)

    天守(近景)

  • 天守見学案内

    天守見学案内

  • 天守内部<br /><br />当寺の天守模型が展示されています。

    天守内部

    当寺の天守模型が展示されています。

  • 天守内部<br /><br />急峻な階段は当時の状況をよく示しています。

    天守内部

    急峻な階段は当時の状況をよく示しています。

  • 天守頂上

    天守頂上

  • 天守からの展望<br /><br />宇和島湾方向です。

    天守からの展望

    宇和島湾方向です。

  • 天守からの展望

    天守からの展望

  • 天守からの展望

    天守からの展望

  • 天守からの展望

    天守からの展望

  • 天守内部<br /><br />最階上から降りる階段風景です。階段は横に狭く角度が急でスム−ズに降りることができません。

    天守内部

    最階上から降りる階段風景です。階段は横に狭く角度が急でスム−ズに降りることができません。

  • 天守内部<br /><br />天井を見上げると大きな梁が見えます。

    天守内部

    天井を見上げると大きな梁が見えます。

  • 二の丸広場

    二の丸広場

  • 天守<br /><br />天守を囲む芝生の先にはベンチが配置されています。

    天守

    天守を囲む芝生の先にはベンチが配置されています。

  • 天守石垣

    天守石垣

  • 天守石垣

    天守石垣

  • 井戸跡

    井戸跡

  • 天守<br /><br />本丸に建つ三層の天守が見えます。

    イチオシ

    天守

    本丸に建つ三層の天守が見えます。

  • 宇和島湾

    宇和島湾

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