2014/02/27 - 2014/02/27
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スタリモストさん
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ナワルガルから公共バスで、マンダワとジュンジュヌに出かけた。マンダワにも見応えのあるハヴェリがあり、ジュンジュヌにはこの地方最大と言われる階段井戸がある。
□経過=デリー(1/14.15.16)→ボーパール(1/17.18.19)→マンドゥ(1/20.21)→アーメダバード(1/22.23.24.25.26)→ジュナーガル(1/27.28.29.30)→ジャムナガル(1/31)→ブージ(2/1.2.3.4.5.6)→パタン(2/7.8.9)→ ジャイサルメール(2/10.11.12.13.14.)→ジョドプール(2/15.16.17)→ウダイプル(2/18.19.20.21)→ブーンディ(2/22.23.24)→ナワルガル(2/25.26.27.28)→ジャイプール(3/1.2.3)→デリー(3/4.5.6)→帰国(3/7)
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□45日目(2/27)
「バオリ・ゲート」近くのバスターミナルから、マンダワ行きのプライベートバス(30)に乗った。バスは田園の狭い一本道をフルスピードで走り45分程度で着いた。
※マンダワの中心 -
マンダワにもハヴェリがたくさん見られたが、その多くがホテルやレストランに改造されている。又、この街はシェカワティ地方の観光の拠点となっていることもあり、あこぎな態度の売り子も出現して、「why」を連発することも多かった。観光化が進むと致し方ないことだが、興ざめすることしきり・・・。
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ゲートの上の装飾がユニーク
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寺院もハヴェリ風・・・
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銀行として使われているハヴェリの東壁面に描かれていた絵は、とても楽しい内容でついニッコリ。こうした絵には、見聞したことやトップニュースを絵にして市民に披露する役割もあったのだろう。
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ホテルになったハヴェリ
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インドと思えないような街角が出現する。
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ハヴェリのレストラン・・
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マンダワを後にして、バス(2人で31)を乗り換え、ジュンジュヌに足を伸ばした。
ジュンジュヌには30分ほどで着いた。
この街はシェカワティ地方の中では一番大きな街だ。
階段井戸「メルタニ・バオリ」に行くためにリキシャを止めた。しかし英語が理解できないドライバーだったので、地図を広げ位置関係を示していた所、数人の男たちが集まってきた。私達の目的地を理解した男たちはその旨をドライバーに伝えて、やっとリキシャは走り始めた(言い値は50rp)。しかし、不思議な事に少し走り、後ろから来たリキシャを止めて、「バオリがどこだかわからん。おまえ知っているだろ。客を交換してくれ。(←憶測)」と言ったようだ。どうも目的地を理解していなかったか、又はそれがどこなのかわからなかったようだ。致し方ないのでリキシャを乗り換えた。ところが連れて行かれた所は「KHETANハヴェリ」・・全く理解に苦しむ展開で、「私たちは、メルタニ・バオリに行きたいのだ。」と主張したら、「そこは、ここから1km程ある。だから、あと30rsくれ。」と言う。「そんな馬鹿な」と抗議しても、はじめに乗ったリキシャドライバーが、「KHETANハヴェリ」と伝えたのだとしたら、抗議は的外れとなる。しかし、「KHETANハヴェリ」と伝えることが出来るのなら、自分で運転出来たはずだ。もう?????がたくさん点滅。引き続きリキシャに乗る気になれず、本当は運賃支払いを拒否したかったが50を席に置いて、歩いて行くことに決めた。(50-30=20でもよかった(>_<))。
※ジュンジュヌバススタンド前・・ -
周りはとても狭い道路が迷路のようにクロスする住宅地だ。ホテルで調達した地図は概念図で、到底役に立たない。子どもたち、大人たちの好奇心溢れる目にさらされながら、たくさんの住人に道を尋ねてバオリを目指した。
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そして、やっとそこに到達した。双六で上がった時のような達成感があった。
装飾的なレリーフがある訳ではないが、深い所では地下30mになるという規模の大きさには圧倒された。堂々たるステップウェルだ。気品と風格もそなえている。
この「MERTANI BAWARI」は1783年に造営されたというが、いかほどの期間、貯水の用を果たしたのだろうか。全体の姿は残しているものの、割れた瓶やゴミが散乱し雑木や雑草が繁茂し損傷が進行中で、階段井戸オタクとしてはとてもとても痛ましく感じた。 -
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この街には、「BADAL GARH FORT」など見所はあったか、時計を見れば午後3時を回っていたので、バススタンドへ戻った。捕まえたリキシャは30でOkだった。
ナワルガルとマンダワ、そしてジュンジュヌは三角形の頂点に位置し、ナワルガルにはマンダワを経由しないで帰ることができる。ナワルガル方面バス(32←何故か公共バスなのに女性割引なし・・)に乗る乗客は大変多かったが、何とか席を確保し、1時間後バスターミナルに着いた。もうヘトヘトだったので、当然リキシャに乗るつもりでいたが、又60とか言うので、ジュンジュヌの件が頭をもたげ、怒りのスイッチが入って歩いてホテルまで戻ることにした。1.5~2kmほどあって、だんだん足が重くなっていったが、これも身体には良いエクササイズになったと納得しよう。有り難いことに、一昨晩も昨晩も気になった夜半の騒音にわずらわされることなく、爆睡出来た。 -
□46日目(2/28)
まだ夜が明けやらぬ5時頃から、稲妻が走り雷鳴がとどろいた後、激しい雨が降り始めた
。立て付けの悪い窓からは雨が吹き込むし、天井からは雨漏りが始まった。シャワー室からバケツと手桶を持ち出して雨漏りを受けたが、トントンと刻む音を聞いたのは何年ぶりだろうか。雨は午前中断続的に降り続いた。訪ねてみる価値のある近隣の町もあったが、昨日から風邪気味のスタリモストのために今日は休養日と決めていたので、問題なし。(考えてみると、風邪気味と承知の上で昨日はよく歩かせたものだ。反省・・<(_ _)> )
スタリモストの調子も空模様も回復した午後2時、この街最後の散歩に出かけた。
一昨日見学出来なかった「モラルカ・ハヴェリ」(50)を見た。 -
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木彫の出来映えがすばらしい。
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水瓶をつくっている家があった。手招きされるのでお邪魔した。
手回しロクロで壺状の原型を造り、少し乾燥させた後にそれをたたき伸ばしおなじみの水瓶の形にしていくようだ。
以下はスタリモストの感想・・・「水瓶職人はドバイに3年働きにいったと言う。そして今は1個何ルピーになるか知らないが、一日中水瓶をたたき続けている。瓶をたたきながら、美しい目をして、『私はあなたの国の言葉が話せない。申し訳ない。』と言われると、こちらこそあつかましくも『こんにちは』と『ありがとう』しか覚えないで2ヶ月もインドをウロウロさせてもらって・・という気になる。ほんの数分のふれあいで、その人の人間性とか生き方の芯がわかる(気になる)ことがある。ナワルガルには美しいハヴェリを見に来た。確かに素晴らしかったのだけど、先日偶然招かれた結婚式とか、今日の瓶造りの人を『ナワルガル・・』と聞いて思い出すだろうな。結局、遺跡とか文化遺産は、その街に行くきっかけに過ぎないだろう・・・」 -
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少年たちがグループをつくり、そこかしこで「ビー玉」に興じていた。とても懐かしい光景であり、私の少年時代がここでは現在進行中だ。
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年少の子らはドラエモンやビカチューが登場する「カードめくり」の最中だった。
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道路がヤギの牧場だ
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ヤギもリキシャのお客さん・・
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子どものヤギが乳を吸わないように、乳房に袋をかぶせている。
横取りをしているのは人間なんだけど・・ -
ミルクマン登場
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ホテルに戻ったら、アンバサダーは快音を轟かせていた。エンジンの解体修理が完了したようだ。
余韻が残る良い思い出を、ナワルガルの街は与えてくれた。
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