2014/02/08 - 2014/02/08
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長崎ランタンフェスティバルは、今回で三回目。なぜか、いつも晴れに当たっていて、私との相性はとってもいいみたいです。
中国ランタンは絹でできていて、色彩が鮮やか。祭りの華は、日が暮れ、灯りがともってからと考えている人も多いかと思いますが、青空の下のランタンも実はとってもきれいで素晴らしいんです。
今回の旅は、五島列島をメインにしたんですが、せっかくのいい天気。市内で気になっていたエリアの街歩きと合わせて、改めて、ランタンフェスティバルの美しい景色を堪能しました。
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長崎空港から、リムジンで長崎市内へ。
リムジンは、新地中華街経由と浦上経由長崎駅行きのルートがあるんですが、今回は長崎駅に向かいます。 -
長崎駅の龍のバルーン。
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鼠の嫁入りのランタンも、お馴染みの飾り付けですね。
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駅の長崎市総合観光案内所。フラワーフェスティバルの期間中と言うこともあって、ごった返していました。ここからたいていの人は市内電車を利用するんで、一日乗車券はここで買うと便利。車内での販売はありません。
ちょっと、迷ったんですが、市電は使わずに歩くことにしましょう。 -
その前に、ちょっと買い食い。
まるなか本舗は、アミュプラザ長崎の長崎おみやげ街道を入ってすぐ。 -
朝飯代わりに、ここのたまねぎ天ぷらをいただきました。見るからに肉厚でおいしそうだったのですが、実際に食べてもプリプリの食感がたまらない。すごい天ぷらです。
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そして、長崎ぶたまん桃太呂。
長崎市内にはあちこち店舗があるんですが、ここはJR長崎駅前アミュプラザ店。角煮饅頭の岩崎本舗と並んでいます。この二つは、長崎B級グルメの双璧で、長崎に来たらこれも食べないわけにはいきません。 -
岩崎本舗は、長崎のB級グルメ角煮饅頭。試食も積極的にやっていて、いつも活気があります。ただ、今回は様子をチェックしただけです。
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ここから街歩きです。
日本二十六聖人殉教地は、長崎駅から歩いてすぐ。小高い丘の上に西坂公園として整備された場所あります。そして、その奥に建つのが日本二十六聖人記念聖堂となった聖フィリッポ教会。二本の塔が力強く天にそびえ立って、現代アート風のデザインが印象的です。
ちなみに、日本二十六聖人は、慶長元年(1597年)、豊臣秀吉の命令によって長崎で処刑された26人のカトリック信者のこと。日本でキリスト教徒の処刑が行われた初めての事件であり、これを「二十六聖人の殉教」といいます。
教会の中に資料館があって、以前、見学したことがあります。
26人は京都から長崎に護送されてきますが、かなり時間をかけた護送だったよう。そして、その間に、棄教をすると言えば死罪は免れ得たのですが、脱落者は出ず。理解を越える行動であったことがじわじわ伝わってきて、ちょっと鳥肌が立ちました。 -
ここから筑後通りを抜けて新地に向かいます。
本蓮寺は、日蓮宗の寺。江戸時代の初期、加藤清正が発願した寺で、題目の五ヶ寺の一つとされます。 -
本堂はこの石段の上。
江戸の末期、4年間、長崎海軍伝習所で学んだ勝海舟が寓居した寺としても知られます。 -
原爆で全焼しますが、昭和29年に再建されました。これは、焼失した山門跡です。
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中町教会は、もう桜町電停からほど近く。山側に建つカトリック長崎教区の教会です。明治時代、フランス人女性からの寄付を受け大村藩の蔵屋敷跡に建築されたもの。大きな建物で白い外観がとても清々しい印象です。
ただ、美しくはあっても、実は長崎に現存する数少ない被爆建造物のひとつなんですよね。 -
福済寺は、中町教会から再び筑後通りに戻った山側。
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参道を上がって、市内を見下ろす高台には、
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イチオシ
あっとびっくりするような観音様の像。それが巨大な亀に乗って、青空の下、優雅な姿で立っていました。この観音は、原爆被災者と戦没者の冥福を祈って建てられた「万国霊廟長崎観音」といいます。
なお、当寺は黄檗宗。興福寺、聖福寺、崇福寺の「三福寺」と併せて「長崎四福寺」に数えられる名刹です。 -
幣振坂は、長崎市内には3か所あって、諏訪神社、東本願寺、長照寺の辺り。寺社に使う石材を運ぶ際、頭領が御幣を振って人夫達を鼓舞したことに由来するとされます。こちらは、東本願寺へのもの。けっこう急な石段が続いていまして、坂道の多い長崎ならではの苦労が偲ばれます。
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さらに進んで、勧善寺。
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山門を入ると、長崎市指定天然記念物というクスノキの大木が石段の中腹に、空を覆うように立っていました。樹高は20m、胸高幹囲8m。主幹は9mの高さという堂々とした大木です。
なお、さだまさしの小説「解夏」にもこの寺が登場するそうです。 -
イチオシ
聖福寺は、日本に黄檗宗を伝えた隠元の孫弟子、鉄心道胖が開山。
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長崎奉行の後援もあって、長崎三福寺とよばれる唐寺3ヶ寺の目付寺という格式。三つの屋根からなる山門も風格があるし、奥の本堂に向かう石段も雰囲気があります。
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本堂は。最後の山門をくぐった先。
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山門の布袋は中国寺ならではですね。
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さて、当寺は、坂本龍馬の海援隊のいろは丸と紀州藩船・明光丸が衝突した「いろは丸事件」の談判が行われた場所。
ほか、キリシタン史を物語るじゃがたらお春の石碑もあって、石碑の裏には、歌人・吉井勇の歌。「長崎の鶯は鳴く 今もなほ じゃがたら文の お春あはれと」が刻まれています。 -
この通り沿いには、寺がいくつもあって、
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山の斜面を利用して、それぞれが長崎らしい景観を醸し出しています。
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長崎歴史資料館に出てきました。長崎奉行所の跡地に造られた、比較的新しい施設です。評定の様子とかをリアルに再現しているのがウリなんですが、今回はパスして。。
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はす向かいにあるサント ドミンゴ教会跡資料館へ。
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この協会は、江戸の初期(1609年)に、ドミニコ会のフランシスコ・デ・モラーレス神父によって建てられた教会。鹿児島を逃れる際、鹿児島にあったロザリオの聖母聖堂を解体して、こちらに持ってきて、この教会を建てたのだそう。長崎を代表する教会だったようですが、この教会も、禁教令によって、5年後には壊され、短い命でした。
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資料館には発掘された基礎部分などを生々しく公開。
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瓦の十字の文様など。じっと見ていると思いがこもっているのを感じます。
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長崎カステラの大御所のひとつ、松翁軒 (本店) は、長崎公会堂の隣り。
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外観は近代的なビルなんですが、中に入ると、歴史を感じる雰囲気がプンプンしています。
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小さなカステラを買ったのですが、ここでも味見していきませんかとお茶を入れていただきまして、ステンドグラスの店内装飾なども眺めながら、お店の片隅で寛ぎました。
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では、眼鏡橋に寄ってみましょう。
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イチオシ
赤いペガサスが日を受けて輝いています。いいですねえ。
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イチオシ
黄色いランタンンもここのシンボル。
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ただ、何かちょっと汚れてきたような。もう何年も使っているので、仕方ないかもしれませんけど。。
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金魚の方は、
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さすがの色彩感覚。豪華で優雅です。
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西遊記も人気のテーマ。
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小さな作品の方も、
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イチオシ
よく見ると、
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味があります。
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眼鏡橋のたもとに、黙子如定禅師像という立派な立像があります。これは、江戸時代初めに中国から渡来した興福寺の第二代黙子如定禅師の像。興福寺は初代の隠元に続いて、中国の高僧が渡来しているんですね。
眼鏡橋は、禅師が興福寺への参詣者のために、参道を横切る中島川にアーチ型の石橋を架設したのが始まりです。日本における中国明朝式石橋として最初のものと言われます。 -
これは川の中のランタン。
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鯉の滝登りと
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イチオシ
牛に乗った賢者のランタン。
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鉄橋にあってフェスティバル全体の花形だったんですが、今年はこっちに移動しています。また新作ができたんでしょうね。
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錦鯉の
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ランタンもチェックして、
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大型の作品。
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ピンクや
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青の色彩感覚がど派手なんですが、
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イチオシ
キャラクターの個性も強いので
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全体としては違和感なし。
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この感覚は、日本人にはなかなか出てこないでしょう。異国情緒満点です。
長崎は南蛮文化の入り口ではあったんですが、中国人はその10倍以上いたし、鎖国時代にも中国文化はしっかり入ってきていて、日本に影響を与え続けました。柿右衛門の赤絵も基本的な技術は長崎の中国人から教えてもらったもの。こうしたことはあまり知られていないかもしれません。 -
眼鏡橋のすぐたもとにある異人堂です。
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カステラのお店なのですが、カステラばかりでも飽きるなあと思っていたら、生どら焼きというのがありました。何だろうと思ったら、餡子に生クリームが組み合わせてあるんですね。冷蔵庫で冷え冷えになっていたのをぱくり。カステラ生地のおいしさをよく引き立てていました。
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こちらは、匠寛堂。テレビなんかでも、時々紹介される有名店です。店内に入ると奥の方ではカステラを作る作業所がガラス越しに見えて、丁寧な製法をアピールしていました。
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いただいたのは、小箱のカステラ。ランタンフェスティバルの時期の特別対応だそうです。黄色のカステラ生地がきれいだし、しっとりしたきめの細かさがさすがです。
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今度は中央公園に移動します。
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虎の
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ランタンもすごいのですが、
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ここのシンボルは、
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イチオシ
豚ちゃんです。
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イチオシ
表情が人間みたいで、これも強烈な印象の作品です。
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中心部に移動します。
途中、賑町の電車通り沿いに島原ふるさと館がありました。長崎市にいても、島原はとても遠い場所です。以前食べた「かんざらし」がないかなあと思って寄ってみましたが、それは置いていないとのこと。ただ、漬物やお菓子などは豊富に置かれています。 -
鉄橋。この反対側に今回のシンボル、龍のランタンがあったのですが、逆光過ぎて、写真は断念。
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浜ん街へ。
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天井から、龍と
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鳳凰のランタンが下がっているんですが、昼間はいまいち写りが悪いですね。
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ベルナード観光通りは、浜市アーケードと交差するアーケード商店街。約300mあって、浜町から眼鏡橋エリアを結びます。
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ランタンフェスティバルの期間中だと、浜市アーケードの方が赤いランタンでやや単調ですが、
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こちらは人形やドラゴンなど高い天井を活かしたリッチな装飾です。
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浜屋百貨店は、浜ん町商店街の真ん中にある地元百貨店。昭和14年に、長崎の財界から出資を集め、藤木喜平と言う人物が設立したのが始まりです。
アーケード街にあってあまりにも溶け込んでしまっているので、入口など百貨店の雰囲気が薄くて、見過ごしてしまいそうです。 -
長崎には、カステラ屋さんが本当に多くて、この浜町アーケードにある和泉屋さんもその一つ。大手や老舗ではないようですが、そういうお店は独自色が必要かも。
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ここでは、チョコレートを組み合わせたカステラがありました。マッチするのかなあと半信半疑だったのですが、そこはさすが。かなりいいバランス。チョコとカステラ合いますね。新発見の味わいでした。
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白水堂は、思案橋のそば。奥は喫茶スペースになっていて、夏場だとかき氷とかが人気のようです。
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ただ、今は冬場。定番の桃カステラをいただきました。カステラに、白砂糖の甘い固まりがよく合います。
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店内にはおひがしを作る木の型も飾られていて、老舗のお菓子屋さんであることがちらりと匂います。
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思案橋の交差点を渡って、
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思案橋横丁は、思案橋グルメ横丁と言っていたような気もしますが、ここで一番有名なのは、中華料理屋の康楽(カンロ)でしょう。皿うどんもちゃんぽんもうまいんですが、昔、ソースを足しながら変化をつけて皿うどんを食べる食べ方を教えてもらったのはこの店。懐かしいです。
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福砂屋 (長崎本店)は、思案橋から進んで、かつての長崎の花街、丸山町の入口といった場所です。漆喰の重厚な店構え。長崎には文明堂と言うメジャーなカステラ屋さんがあるのですが、なぜか地元の人は、文明堂より福砂屋じゃないとダメって言うんですよね。文明堂の方があちこちに暖簾分けして、長崎色が薄れているのをやっかんでいるのかもしれません。
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「行こうか戻ろか」思案しながらの思案橋と、さらに進んで遊郭の入口では、この思切橋で立ち止まり、思いを決して二重門をくぐる。そうした情景を表しているのが思切橋です。現在は、見返り柳の脇に跡が残されているだけです。見返り柳は、思案橋から行くと丸山町の入口といった場所。1本の柳の木があります。丸山町の花街遊郭へと足を運び遊んだ男達が帰り道、ここで振り返り遊女との別れを惜しんだ情景を見返り柳の名前にしています。明治時代に植えられたそうですが、比較的小さな木です。
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銅座の通りには、
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桃太呂。
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入り口は、南蛮船です。
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みつや太閤焼は、電車通り沿いの今川焼のお店。のれんがしっかりあって、それなりに目立っています。中に入るとおばちゃんが忙しそうに、今川焼を焼いていました。
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太閤焼きは、白餡と黒餡の二種類。ちょっと肉厚の今川焼は、皮にほんのり甘みがあります。
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最後は新地中華街に移動します。
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ダイエーの脇を抜けて、
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こっちはピンクのランタン。これは初めてですね。黄色もいいけど、ピンクもなかなかいい感じ。これは中華街の新しいイメージカラーになるでしょう。
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巨大な柱には、龍が巻きついています。
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蛇と龍。
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武将のランタンも、
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イチオシ
鮮やかです。
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長崎新地中華街の東西南北、四方の入口には、朱塗りの門があります。浜町から向かってあるのが南側に建つ朱雀門です。四つの門の中では一番立派。
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そして、ここから北に延びる通りが長崎新地中華街のメインストリート。
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ランタンフェスティバル期間中は右側通行の規制がかけられます。
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中国貿易公司は、新地中華街を入ってすぐのところ。中国の雑貨を置いている店。中華街には、時々こんな店があって、やはり街の雰囲気を盛り上げる存在。食品以外のものもありますが、お菓子の類が充実していると思います。
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蘇州林は、新地に複数店舗があるんですが、こちらは長崎唐菓子店の方。
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店頭に山と積まれた「麻花兒(マファール)」、 別名「よりより」をいただきました。油で揚げてある小麦粉のお菓子。ちょっと堅いんですが、またそれが深い味わい。スナック感覚でおいしいです。
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石橋蒲鉾店は、新地中華街のまんなか。中華街にあって蒲鉾屋さんなので、ちょっと異質な感じもないことはないんですが、長崎は五島列島を始め、魚がうまいことで有名なところ。そう考えると当然蒲鉾もうまいでしょう。ごぼうてんをいただいて、食べ歩き。すり身の締まった味わいが印象的でした。
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江山楼は、人気のお店なので待ち時間があって、どうしようかと思っていたら、肉まんなら特設売店がありますよと教えられて、この特設売店に回りました。
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肉まんをいただきましたが、びっくりするくらい皮があっさりしていて、淡白な味わい。桃太呂もそうですが、長崎の肉まんは、あっさり系が多いようです。
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旧出島神学校は、明るい青の建物。明治初期に建てられた、現存するわが国最古のキリスト教の神学校です。その後、明治末から病院として使われていたそうですが、今は出島史料館。出島和蘭商館跡には、いくつか建物があって、それぞれに資料が展示されているのですが、ここの展示は一番充実しています。食器などの交易品には東インド会社の紋章が入っていたり、当時の世界とのつながりがリアルに実感できます。
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旧内外クラブ記念館は、オランダ商館跡に建つ緑の縁取りが美しい洋館です。内外クラブというのは、明治32年に、グラバーの息子倉場富三郎、横山寅一郎、荘田平五郎等の発起によって長崎に在留する外国人と日本人の社交の場として設立されたもの。建物は明治36年に建てられた英国式明治洋風建築。現在、一階はレストランになっています。
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出島和蘭商館跡は、出島の全体を「出島和蘭商館跡」として国指定史跡としたもの。鎖国の時代には、この出島が海外との交流の唯一の窓口。
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特に幕末には、ここを通じてもたらされる世界の情勢が明治維新に向かうエネルギーに勢いをつけ、大きな貢献をすることとなりました。
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出島表門は、探番とよばれる長崎奉行所の役人がここに常駐し、出島の出入りを監視したということです。
現在の門は、平成2年に、長崎市制100周年記念で復元されたものです。 -
カピタンは、オランダ商館長のこと。カピタン部屋は、出島のトップが暮らしていた建物です。
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二階からはいると、すぐに豪華な食堂や大広間。シンプルな間取りなので、ちょっとがらんとした雰囲気もありますが、それがすべて畳敷きなので、余計ちぐはぐかも。
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建物はこんなに広くても、出島の一角に押し込められているし、やっぱり窮屈さはそれなりに感じていたかもしれません。
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ヘトルは、オランダ商館長次席のこと。カピタンが商館長です。和蘭商館跡には、カピタン部屋とヘトル部屋が並んで建っています。2階が住まいで、日本人の使用人もいたようですが、内部の復元までは出来ていないので、外観から想像するしかありません。一階はお土産物屋さんです。
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出島を出て振り返った景色です。
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大波止の鉄玉は、夢彩都の敷地内。周約175cm、短径約52cm、長径約55.7cm。江戸時代の鋳物であることは確かなのですが、大砲の弾丸なのか、そうでないのかよく分かっていないよう。古いものだし、長崎では長く親しまれてきたもののようで、市の指定文化財となっています。
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大波止の文明堂本店の真向かいにある小さな中華料理のお店が三角亭です。かなりの年のおばあちゃんが応対してくれて、いただいたのは皿うどん。
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本当は皿うどんは太いのと細いのがあって、太い方を頼んだつもりだったのですが、出てきたのは揚げた細い方。ちゃんと聞いてくれよなとも思ったのですが、たぶんこっちの方が人気があるんでしょう。少し甘ったるい、長崎らしい味わい。昔ながらの味を伝えているまじめなお店だと思います。
さて、そうこうしているうちに五島行の時刻が迫ってきました。港に向かいましょう。今日は、五島に渡って宿に入るだけ。明日からが、いよいよ今回の旅の本番です。
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