美保関・大根島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ご訪問ありがとうございます。<br /><br />以前は島根県八束郡美保関町でしたが、現在は松江市美保関町です。<br />八束郡が懐かしく感じます。そして島根半島の多くが八束郡となっていました。現在は市町村合併で松江市になりました。<br />美保関町は古来からの神事が行われています。また美保神社へは大晦日に若き頃、参拝に行った思い出があります。<br />そして「八百屋お七」の恋人、吉三のお墓が仏谷寺にあります。<br />近世日本文学の研究に是非ご訪問ください!!<br /><br />交通<br />山陰本線松江駅から車で50分 一畑バス(美保関ターミナル行)で40分、美保関ターミナル下車、美保関コミュニティーバス乗り換え(美保関線)30分、美保神社入口下車<br />米子鬼太郎空港からタクシーで20分

日本の宝 島根県 美保関町 ☆日本の面影が残る漁港☆八百屋お七の恋人、吉三が眠る町☆

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2014/02/19 - 2014/02/19

32位(同エリア169件中)

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地球の迷い方

地球の迷い方さん

ご訪問ありがとうございます。

以前は島根県八束郡美保関町でしたが、現在は松江市美保関町です。
八束郡が懐かしく感じます。そして島根半島の多くが八束郡となっていました。現在は市町村合併で松江市になりました。
美保関町は古来からの神事が行われています。また美保神社へは大晦日に若き頃、参拝に行った思い出があります。
そして「八百屋お七」の恋人、吉三のお墓が仏谷寺にあります。
近世日本文学の研究に是非ご訪問ください!!

交通
山陰本線松江駅から車で50分 一畑バス(美保関ターミナル行)で40分、美保関ターミナル下車、美保関コミュニティーバス乗り換え(美保関線)30分、美保神社入口下車
米子鬼太郎空港からタクシーで20分

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
グルメ
5.0
ショッピング
4.5
同行者
一人旅
交通手段
自家用車

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  • 無料駐車場があり助かります。

    無料駐車場があり助かります。

  • 美保関町の漁港。

    美保関町の漁港。

  • 美保関町の漁港。

    美保関町の漁港。

  • 美保関町の漁港。

    美保関町の漁港。

  • 沢山の宿があります。

    沢山の宿があります。

  • 海山物の匂いがたまらない。

    海山物の匂いがたまらない。

  • うみねこが沢山くつろいでいます。

    うみねこが沢山くつろいでいます。

  • 遊覧船もあります。<br />まだ乗ったことはないですけど。

    遊覧船もあります。
    まだ乗ったことはないですけど。

  • 何を思っているのかな?

    何を思っているのかな?

  • 美保神社の御祭神は、三穂津姫命(みほつひめのみこと)・事代主神(ことしろぬしのかみ)の二柱である。三穂津姫命は、高天原から稲穂を持って地上へお降りになり、大国主神の御后神となられ、「五穀豊穣・家内安全・子授安産・子孫繁栄・歌舞音曲」の神様として崇敬を集めている。事代主神は大国主神の御子神であり、「ゑびす様」の名で世に知られ、「海上安全・大漁満足・商売繁昌・福徳円満・歌舞音曲」の神様として篤く信仰されている。

    美保神社の御祭神は、三穂津姫命(みほつひめのみこと)・事代主神(ことしろぬしのかみ)の二柱である。三穂津姫命は、高天原から稲穂を持って地上へお降りになり、大国主神の御后神となられ、「五穀豊穣・家内安全・子授安産・子孫繁栄・歌舞音曲」の神様として崇敬を集めている。事代主神は大国主神の御子神であり、「ゑびす様」の名で世に知られ、「海上安全・大漁満足・商売繁昌・福徳円満・歌舞音曲」の神様として篤く信仰されている。

  • そして『古事記』『日本書紀』の国譲り神話では、御父神である大国主神から、天神に対する国土奉献の可否を委ねられた神様であると伝えている。毎年4月7日の青柴垣神事(あおふしがきしんじ)、12月3日の諸手船神事(もろたぶねしんじ)は、この国譲り神話の故事を再現するもので、出雲地方の代表的な古伝祭である。<br />

    そして『古事記』『日本書紀』の国譲り神話では、御父神である大国主神から、天神に対する国土奉献の可否を委ねられた神様であると伝えている。毎年4月7日の青柴垣神事(あおふしがきしんじ)、12月3日の諸手船神事(もろたぶねしんじ)は、この国譲り神話の故事を再現するもので、出雲地方の代表的な古伝祭である。

  • 美保関は美保神社の門前町として繁盛した町であるが、美保神社から仏谷寺に至る青石畳は江戸時代の参拝道の遺構である。<br /> 

    美保関は美保神社の門前町として繁盛した町であるが、美保神社から仏谷寺に至る青石畳は江戸時代の参拝道の遺構である。
     

  • 美保関の歴史を紹介した展示館で、鷦鷯(ささき)家に代々伝わる貴重な資料・中世からの遺物を展示している。なかでも二千両箱は珍しく、中世から近世の美保関の繁栄振りを伝えている。

    美保関の歴史を紹介した展示館で、鷦鷯(ささき)家に代々伝わる貴重な資料・中世からの遺物を展示している。なかでも二千両箱は珍しく、中世から近世の美保関の繁栄振りを伝えている。

  • もともとこの地は、「三明院」と呼ばれ後鳥羽上皇や後醍醐天皇が隠岐に配流される折の行在所。<br />

    もともとこの地は、「三明院」と呼ばれ後鳥羽上皇や後醍醐天皇が隠岐に配流される折の行在所。

  • 今でも港から寺に向かう道が行幸(みゆき)の路と呼ばれており、他に美保小路、月名小路の名も残るなど都の面影を偲ばせてくれますが、その後は衰退し、天正年間に再興されたのがこちらの仏谷寺です。<br />

    今でも港から寺に向かう道が行幸(みゆき)の路と呼ばれており、他に美保小路、月名小路の名も残るなど都の面影を偲ばせてくれますが、その後は衰退し、天正年間に再興されたのがこちらの仏谷寺です。

  • 大日堂に安置される古色の美しい薬師如来、日光・月光・虚空蔵・聖観音菩薩の5体仏像は、出雲様式と呼ばれる一木造りで、天平様式を残す貞観時代の作。山陰最古の木仏像は国指定重要文化財にも指定されています。<br /><br />

    大日堂に安置される古色の美しい薬師如来、日光・月光・虚空蔵・聖観音菩薩の5体仏像は、出雲様式と呼ばれる一木造りで、天平様式を残す貞観時代の作。山陰最古の木仏像は国指定重要文化財にも指定されています。

  • また寺には、浄瑠璃など芝居の題材として度々取り上げられる「八百屋お七」の恋人、小姓吉三の墓があります。<br />

    また寺には、浄瑠璃など芝居の題材として度々取り上げられる「八百屋お七」の恋人、小姓吉三の墓があります。

  • 伝えによると、お七の処刑後、吉三は発心して「西運」と称し江戸より巡礼の旅に出発。各地にお七の地蔵を建てながら、元文2年(1737年)に70歳で亡くなり、それを葬ったのがこの地であるといわれているのです。

    伝えによると、お七の処刑後、吉三は発心して「西運」と称し江戸より巡礼の旅に出発。各地にお七の地蔵を建てながら、元文2年(1737年)に70歳で亡くなり、それを葬ったのがこの地であるといわれているのです。

  • 美保神社の創建年代は不明だが、境内からは古墳時代の勾玉の破片や、雨乞いの儀式などで使用されたと推測される土馬が発見されており、すでに古墳時代において何らかの祭祀が行われていたことが窺える。奈良時代の天平5年(733)に成立した『出雲国風土記』にはこの社の記載があり、また延長5年(927)成立の『延喜式』にも当社の名前がみえる。中世の様相は不明な点が多いが、伝えによれば戦国時代には毛利・尼子両氏の合戦の最中、兵火にかかり本殿以下附属社殿が焼失したと伝わる。後の文禄5年(1596)5月、吉川広家の寄進により、二柱の神を祀る本殿が再建された。江戸時代には松江藩からの崇敬も篤く、出雲大社・佐太神社のいずれにも属さない一社一令社(いっしゃいちれいしゃ)の社格となった。寛政12年(1800)には「美保関大火」とよばれる大火事にかかり、本殿以下、地域一帯が灰燼に帰したが、文化10年(1813)に松江藩主の寄進によって本殿を再建し、これが現存する本殿である。明治維新を経た明治18年(1885)には国幣中社に列格、昭和3年(1928)には大造営を執行した。社地の後背部を切り開いて本殿を移築、新たに設計した拝殿を建立し、現在の社殿・境内地の基礎となっている。戦後の昭和57年(1982)には本殿が国の重要文化財に指定された。平成10年(1998)からは「平成の大造営」として本殿等の解体修理、遷宮が行われている。<br />

    美保神社の創建年代は不明だが、境内からは古墳時代の勾玉の破片や、雨乞いの儀式などで使用されたと推測される土馬が発見されており、すでに古墳時代において何らかの祭祀が行われていたことが窺える。奈良時代の天平5年(733)に成立した『出雲国風土記』にはこの社の記載があり、また延長5年(927)成立の『延喜式』にも当社の名前がみえる。中世の様相は不明な点が多いが、伝えによれば戦国時代には毛利・尼子両氏の合戦の最中、兵火にかかり本殿以下附属社殿が焼失したと伝わる。後の文禄5年(1596)5月、吉川広家の寄進により、二柱の神を祀る本殿が再建された。江戸時代には松江藩からの崇敬も篤く、出雲大社・佐太神社のいずれにも属さない一社一令社(いっしゃいちれいしゃ)の社格となった。寛政12年(1800)には「美保関大火」とよばれる大火事にかかり、本殿以下、地域一帯が灰燼に帰したが、文化10年(1813)に松江藩主の寄進によって本殿を再建し、これが現存する本殿である。明治維新を経た明治18年(1885)には国幣中社に列格、昭和3年(1928)には大造営を執行した。社地の後背部を切り開いて本殿を移築、新たに設計した拝殿を建立し、現在の社殿・境内地の基礎となっている。戦後の昭和57年(1982)には本殿が国の重要文化財に指定された。平成10年(1998)からは「平成の大造営」として本殿等の解体修理、遷宮が行われている。

  • 美保神社。

    美保神社。

  • 美保神社境内の展示写真。

    美保神社境内の展示写真。

  • 美保神社境内の展示写真。

    美保神社境内の展示写真。

  • 美保神社境内。

    美保神社境内。

  • 勇壮な美保神社。

    勇壮な美保神社。

  • 境内展示の絵画に国立公園大山の姿が描かれている。<br />

    境内展示の絵画に国立公園大山の姿が描かれている。

  • 美保神社境内。

    美保神社境内。

  • 美保神社境内。

    美保神社境内。

  • 美保神社境内の竹が美しい。

    美保神社境内の竹が美しい。

  • 美保神社境内。

    美保神社境内。

  • 美保神社境内。

    美保神社境内。

  • 美保神社境内。

    美保神社境内。

  • 美保神社境内を一周する。<br />

    美保神社境内を一周する。

  • 美保神社境内。

    美保神社境内。

  • 美保神社境内。

    美保神社境内。

  • 美保神社境内。

    美保神社境内。

  • 美保神社境内。

    美保神社境内。

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