2014/01/30 - 2014/02/07
40位(同エリア181件中)
ペコちゃんさん
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旅も、いよいよ終盤になりました。
6日目はモン・サン・ミッシェルを出発し、約3時間のドライブでジャンヌダルクゆかりの街「ルーアン」に向かいます。
ルーアンの街については、よく知りませんでしたが、行ってみると、とても素敵な町で、今回のツアーで訪れた街の中では、一番印象に残りました。
ルーアンで昼食をとった後は、楽しみにしていたヴェルサイユ宮殿の観光です。
ここは、まさに太陽王・ルイ14世が造った、華麗で煌びやかな宮殿で、一度は訪れたい所でした。
その後、パリに向かい、2連泊です。
7日目は、午前中がルーヴル美術館の見学など市内観光で、午後はフリータイム。
オフ・シーズンのこの時期は、観光客があまり多くなく、ゆったり観光出来ると思っていたのですが、1月末からは中国の春節(旧正月)に当たり、ヴェルサイユやルーヴルは中国人だらけ!
2回目のパリでしたが、エッフェル塔の夜のシャンパン・フラッシュを間近で見たり、凱旋門に登ったりと、楽しかった旅の良い締めくくりが出来ました。
写真は、ルーアン大聖堂の見事なバラ窓。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 日本旅行
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<6日目>
朝食後、モンサンミッシェルを出発して、11時頃ルーアンの街に着きました。
パリを流れるセーヌ川がこの街を流れているなんて、知りませんでした。
セーヌ川の全長は780km・・・ロワール川に続いてフランスでは第二の長さで、パリから西北西に流れてルーアンを通り、大西洋のセーヌ湾に注いでいます。 -
ルーアンの街は、この大聖堂が、どこからでもよく見えます。
ルーアンは、セーヌ川の河川港としてローマ時代からの歴史を持ち、後にノルマンディ公国の首都としても栄えた古都です。 -
人口は約65万人で、フランスで12番目の都市です。
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ルーアン大聖堂(ノートルダム大聖堂ともいう)はフランス・ゴシック最高建築のひとつで、12世紀に工事が始まり16世紀に完成しました。
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大聖堂の南側。
尖塔は151mあり、フランスで一番高く、ゴシック様式の装飾が美しい教会です。 -
クロード・モネが30点以上の作品を描いた連作『ルーアン大聖堂』は、この聖堂を主題としたものです。
モネは、光の微妙な変化をとらえた連作に取り組み、印象派の代表的な作品を描きました。 -
この作品は1893に描かれたもので、オルセー美術館に収蔵されています。
モネは、大聖堂前広場の向かい側にある建物の2階から描き続けたそうです。 -
大聖堂西側の正面。
左側の塔の下部は12世紀に建築され、上部と下部とは様式が異なっています。
右側の塔は15世紀に建築が始まりました。
大聖堂は古い建物なので修復作業が続いていますが、何か月も続いている工事を見た日本の観光客が ” 日本の○○工務店なら、数週間で終わるよ ” と言ったとか・・・ -
大聖堂の北側・・・正面が工事中なので、こちらの扉から入ります。
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ここはカトリックの大聖堂なので、男性は帽子を取るよう、あらかじめ添乗員さんから注意がありました。
女性の帽子は被っているほうが、良いぐらいだそうです。
大聖堂内に入ると、静寂な森に足を踏み入れたような、いつも感じるヒンヤリとした石の空気感に包まれます。 -
中央祭壇。
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素晴らしい見事なバラ窓。
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ステンドグラスは、どれも鮮やかで、本当に綺麗!
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一つ一つ意味のあるステンドグラス。
本当は、もっと時間をかけて見たかったのですが、残念! -
溜息が出るほど素晴らしい!
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ジャンヌ・ダルクを描いたローソクも供えられ・・・
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その奥には、ジャンヌ・ダルクの像があります。
神の啓示を受けた少女は、イギリスとの百年戦争(1337~1453)でフランス軍を勝利に導きましたが、異端裁判によりルーアンで火刑の最期を遂げました。
子供の頃、ジャンヌダルクの物語を読んだ記憶がありますが、正直、詳しくは覚えていませんでした。
今回、この街を訪れたことにより、よく分かりました・・・今回の旅行の収穫の一つです。
やはり、そこに行ってみたり聞いたりする事が、正しい知識を得られる道だと思いました。(百聞は一見に如かず) -
子供達も大聖堂の話を聞いています。
” よそ見しちゃ、ダメよ! ” -
ルーアンは、古い木組みの建物が沢山残っています。
建物は古くても、1階にはお洒落な店が・・・ -
旧市街の中心にある「大時計通り」を散策・・・この通りは、カフェやブティックなどが並ぶ賑やかな歩行者天国となっています。
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大時計の下を通ります。
16 世紀に作られたこの時計は、今も正確に時を刻んでおり、時計台に上るとルーアン旧市街を見渡すことが出来ます。 -
大時計の針は1本だけ・・・つまり、分針がなくて時針のみで時間を表しています。
針の先には、ルーアン市の紋章にもなっている、右前足を上げたヒツジが付いています。 -
時計の下の方にあるアーチにも、ヒツジの彫刻が施されています。
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周りの彫刻も、なかなか立派です。
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この店は、フランス版マクドナルド・・・若い人中心に、人気があるようです。
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大時計を通り抜けると、木組みの家が続きます。
ルーアンのあるフランス北部・ノルマンディー地方の独特な建築様式は「ハーフティンバー様式」と呼ばれ、ドイツやイギリスとも共通した建築様式。
だから、街並みはドイツのような感じです。 -
この通りにあったお店の前に、気に入ったバッグがありました。
ところが、お店のガラス扉には鍵がかかっており、商品の一部は、外に並べられているのに誰もいません・・・声をかけても出てきてくれません。
理由は12時を過ぎていたためで、昼休みでシャット・アウト・・・何という事!
フランスでは、平均2時間は休憩をとるようで、日本ではあり得ない・・・ -
木組みの家は、上の階になる毎に、外にせり出しています。
少しでも広くするためとか、上から物を捨てるのに適しているとか・・・
建築当時、これらの家にはトイレがなく、家の中では、お丸のような物で用を足し、それを時間を決めて窓から外に捨てたのだそうです。
道の真ん中が窪んで水が流れやすくなっており、雨水が流してくれました。
ハイヒールも汚い道を足を挙げて歩きやすくするために考えられたものとか。
男性も履いている絵が残っています・・・アーア大変! -
ルーアンで有名なお菓子屋さん「オズー」。
15世紀後半の建築で、2階部分が張り出していて、特徴のある建物です。 -
お店の前には、マカロンタワーのワゴンが置いてあり増す。
日持ちしないお菓子のため、お土産には無理だと思っていましたので、是非ここで食べていくぞと、決めていました。
お店の中にツアー仲間の姿が見えましたので、私もこのお店に入りました。
ローマでジェラートを買う時に経験したやり方と同じで、先ず品物を決めると店員さんが、紙切れに金額を書いてくれます。
それをレジまで持って行き、お金を支払ってレシートを貰い、それを持って品物と交換です。
思ったより甘かったですが、心地よい甘さでした。
今、日本でも若い人たちに人気のお菓子ですが、グッド、グッドです。 -
旧市場(ヴィユ・マルシェ)広場。
ここで、1431年にジャンヌ・ダルクが火刑に処されました。
広場を囲んで、木組みの建物が軒を連ねています。 -
三角屋根から続く海のようなラインが特徴の「聖ジャンヌ・ダルク教会」。
1979年に建立された近代的な外観の教会は、ジャンヌ・ダルクが火刑にあった広場に面して建てられています。 -
15世紀、英仏100年戦争後期、大天使ミカエルのお告げによってオルレアンの開放とフランス王シャルル7世の復権に貢献したとされるジャンヌ・ダルク。
捕えられてイングランド軍に引き渡され、異端審問裁判の結果、19歳の若さで火刑に処されました。 -
教会の入口の横に、ひっそりと佇むジャンヌ・ダルクの像がありました。
足の周りには炎が彫刻され、胸が詰まる思いです。 -
教会内部の天井は船底のようなデザインで、壁一面には16世紀に造られたステンドグラス。
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このステンドグラスは、ルーアンのサン・ヴァンサン教会に設置されていたものです。
サン・ヴァンサン教会は第2次大戦中の1944年に破壊されましたが、ステンドグラスの窓は安全な場所に持ち出されて保管されていたため、命拾いをしました。 -
市民の市場・マルシェでは、新鮮な魚や野菜・肉類・お花などが売られています。
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この裁判所は、15?16 世紀にかけて建立された建物で、特にファサードの装飾が素晴らしい。
第二次世界大戦で大きな損傷を受けましたが、戦後修復されました。 -
壁には、かつてノルマンディーの戦いの時の空爆や戦闘機の傷痕が、今でも生々しく残っています・・・修復しないで、敢えて残しているという事でした。
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ヨーロッパで見かける「ガーゴイル」は、雨樋から流れてくる水の排出口です。
翼の生えたドラゴンや人間、あるいは鳥などを合成したような奇っ怪な姿をした怪物をかたどった石の彫像など、いろんなガーゴイルがありますが、悪霊を追い払う役目もあるそうです。 -
大聖堂の裏手にある「サン・マクルー教会」が見えました。
1517年に完成したフランボアイヤン・ゴシック様式の教会です。 -
若い女性達が、ファストフード店でランチしてます。
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可愛いお店が沢山あって、とても楽しいルーアンの街歩きです。
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ワンちゃんも寒いのか、冬バージョンでマフラーがキマっています。
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この本は、現地ガイドさんが持っていた、遠藤周作の「ルーアンの丘」。
遠藤周作は、戦後最初の留学生として、フランスの現代カトリック文学を勉強するため、1950年に約1ヵ月かけて船で渡仏し、マルセイユからルーアンに到着し、2ヵ月ほどルーアンに滞在しました。
この本は、遠藤周作の没後、発見された未発表のエッセイと日記ですが、リヨン大学に入学する前に、ルーアンでお世話になったホームステイ先のロビンヌ家の人達との、温かな心のふれあいが心を打ちます。
マダム・ロビンヌは、彼のことを「ポール」と呼びました。
一度、読んでみようと思います。 -
このレストランで昼食です。
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名物の鴨料理でしたが、ちょっとパサパサした感じです。
でも、お店は混雑していて、地元のお客さんも多く、席もギューギュー状態でした。 -
ルーアンは、伝統的な紡績工業に加えて製鉄・造船業などの重工業のほか・・・
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近年は石油化学工業の発展が著しく、フランス有数の大都市として経済的にも重要な位置を占めています。
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ルーアンを後にして、ヴェルサイユ宮殿に着きました。
前回パリに来た時は、ヴェルサイユとルーヴル美術館見学が、オプションで同じ時間だったため、ルーヴルを選びベルサイユは見ませんでした。
いつか必ずと、思っていた場所でしたので、とても期待して楽しみにしていました。
この宮殿は、1682年にフランス王ルイ14世(1638~1715)が建てた豪華な宮殿で、広大な美しい庭園も有名です。
これは、ベルサイユ宮殿入口の正門ゲート・・・門の上には、王冠をあしらったブルボン家の大きな金の紋章が輝いています。 -
フランス絶対王政の象徴的な建造物で、ルイ14世だけでなく、約千人の貴族や約1万人の使用人が共に住み、さまざまなルール・エチケット・マナーが広まりました。
門をくぐり、ヴェルサイユ宮殿の広大なエントランスを進むと、宮殿が両翼を大きく広げて、人々を迎え入れます。 -
もともとパリのルーブル宮殿に住んでいたルイ14世ですが、父親のルイ13世がこの地に建てた狩猟の館を改装・増築し、1682年に政府と宮廷をここに移しました。
フランス革命の勃発まで、この宮殿には代々のフランス国王が住み、自分の好みでこの宮殿を美しく飾り、フランス革命後の1837年、国王ルイ・フィリップの時代にフランス歴史博物館として生まれ変わりました。 -
ここは、16時で入場打ち切りです。
私たちが到着したのは数分前、現地のガイドさんも、ハラハラしながら待ってました。
入口を閉めたがってる係員の手を押し切って、とりあえず入場、ヤレヤレでした。
もたもたしてて入場できなかった観光客を横目に、良かったー! -
ヴェルサイユ宮殿は2つの翼棟を持つ左右対称のバロック様式。
内部は3階建で部屋数は約700もあり、見学は2階部分です。 -
ヴェベルサイユは、「宮殿の中の宮殿」・・・その影響力は絶大で、18世紀以降に建てられたドイツのサンスーシー宮殿、オーストリアのシェーンブルン宮殿、スウェーデンのドロットニングホルム宮殿、ロシアのペテルゴフ宮殿など、私達が以前、行ったことがあるこれらの宮殿は、多かれ少なかれヴェルサイユ宮殿の影響を受けています。
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「ヘラクレスの間」・・・フランソワ・ルモワンヌ作「ヘラクレスの神格化」という天井画がある部屋のため、ヘラクレスの名が付いています。
この部屋は、ヴェネチア共和国からルイ14世に贈られたヴェロネーゼ作「シモン家の宴」を飾るために造られました。
10mもある壁一杯の巨大な絵画です。 -
「豊穣の間」・・・天使が描かれています。
この宮殿は、天井画が本当に素晴らしい! -
「ヴィーナスの間」・・・太陽王と称されたルイ14世を讃え、太陽の装飾や神話を題材にした天井画があり、中央には金星を司る愛と美の女神・ヴィーナスが描かれています。
つがいの鳩が引く凱旋車に乗っているのがヴィーナスで、その後ろには三美神がいます。
ヴィーナスの間は、大理石の壁面や柱が重厚な感じで、部屋の中央には、ルイ14世の像が。 -
「ディアナの間」・・・ベルリー二作のルイ14世の胸像があります。
装飾はすべてディアナ女神の伝説のもので飾られています。
ルイ14世はこの部屋にビリヤード台を置かせ、玉突きを楽しんだんだとか。
扉の装飾も見事です。 -
「マルスの間」・・・壁やカーテンの赤と金の装飾との対比がとても美しい部屋です。
マルスの間では、夜会などが行われていました。 -
「アポロンの間」・・・かっては王の玉座が置かれ、天井の装飾には金が施されて宮殿内で最も豪華な装飾です。
天井画は、部屋の名前になってるアポロンの絵、「太陽の戦車」。 -
この時計は、からくり時計だそうです。
-
この部屋には、3人の王様の肖像画があります。
(右)ルイ14世(1638~1715)
彼はバレエに魅せられ、15歳で舞台デビューしたそうです。
また、この絵にもあるように、美しい脚線美を維持するために高いヒール靴を好みました。
ルイ14世の身長は160センチ程度しかなく、王としての威厳を演出するためにも背を高く見せようとしてハイヒールだけでなく、かつらで髪を盛り上げ、大きな姿を演出したそうです。
(中)ルイ15世(1710~1774)
ルイ14世のひ孫で、わずか5歳で即位しましたが、政治には無関心で、閣僚に政治を任せ、多くの愛人を持ち、特にポンパドゥール夫人とデュ・バリー夫人はルイ15世の治世に大きな影響を与えました。
(左)ルイ16世(1754~1793)
ルイ15世の孫で、マリー・アントワネットと結婚し、4人の子供に恵まれましたが、彼等は子供を残さなかったため、直系の子孫はいません。
「狩猟と錠前造りが趣味で、妻マリー・アントワネットに操られる無能な王」との評価があります。
在位中の1789年にフランス革命が起こり、1792年に王権が停止し、翌年、ギロチンで処刑されました。 -
宮殿見学のクライマックス「鏡の間」・・・眩い光彩に、一瞬、息を呑む絢爛豪華な回廊です。
儀式や外国の賓客を謁見するために使われた鏡の間ですが、1919年にベルサイユ条約の調印がなされた場所でもあります。 -
全長73m、幅10.5m、高さ12.3mの回廊で、庭園側の壁に巨大な17の窓があり、窓の反対側の壁には扉のような17枚の鏡が壁一面を覆っています。
窓から入ってきた光彩を反射し、部屋全体が明るく照らされる仕組みです。
窓側の大燭台は、ルイ16世とマリー・アントワネットの成婚時に新調されたそうで、現在のは復元されたものです。 -
外を見ると、見事な庭園が広がっています。
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丸天井に描かれたル・ブランの作品。
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ボヘミアングラス のシャンデリア・・・当時使われていた蝋燭の寿命は1本45分程度で、燃え尽きる前にロープを下げて交換しました。
その間、何事もなかったように舞踏会は続けられていたそうで、さぞかし大変な作業だったろうと思います。
ルイ16世とマリー・アントワネットの婚礼舞踏会も、ここで開かれました。 -
この大回廊のシャンデリアは54、蝋燭の数は何と3000本・・・夜でも昼間みたいに明るかったとか。
鏡の扉から、「王の寝室」に入ります。 -
「王の寝室」・・・この寝室で、ルイ14世は「プチ・クヴェール」と呼ばれる軽い晩餐をとったそうです。
さらに、王の「朝の引見」と「夜の引見」も毎日ここで行いました。
72年間の治世の後、1715年に亡くなったのもこの寝室だったそうです。 -
ルイ14世は、この寝室の中でしか一人になれなかったそうで、ご愛用のカツラもここでしか外さなかったとか。
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王の寝室からは、正門が見えます。
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「王妃の寝室」・・・もともとは、ルイ14世が妃のマリー・テレーズのためにつくった部屋で、その後、ルイ15世妃マリー・レクザンスカ、ルイ16世妃マリー・アントワネットの部屋になりました。
歴代のフランス王子が生まれた部屋でもあり、マリー・アントワネットも、この部屋で50人もの人達に見守られながら出産しました。 -
調度品の宝石箱(レプリカ)・・・アントワネットは国民からプレゼントされて、大喜びしたそうです。
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「貴族の間」・・・王妃の謁見に使用されたそうです。
肖像はルイ16世。
絨毯は特別製で、家具類は英国式のものになっています。 -
「大膳式の間」・・・王と王妃が、公式の食事を共にした部屋で、『マリー・アントワネットとその子供たち』の絵画が飾られています。
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「戴冠の間」・・・ダヴィッドの大作『ナポレオン1世の戴冠式』の原画はルーヴル美術館にありますが、ここには複製画が飾られています。
ナポレオン崇拝者だったダヴィッドは、ナポレオンが失脚した時、原画が焼却されることを恐れ、亡命先のベルギーで同じ物を書きました。
ノートルダム大聖堂で行われた戴冠式を題材に描いたものですが、ダヴィッドの創作画です。
ナポレオンは自ら冠を被ったので、ナポレオンが王妃ジョゼフィーヌに戴冠する絵としました。
複製は、オリジナルと一部異なる絵にする必要があるそうですが、違いがよく分からなかったので、明日のルーヴルで確認することにしました。
この大作を観ようと、私は先に部屋に入りましたが、ちょうど16時半で扉が閉められ、夫や多くの人達はタッチの差で入れません!
入ろうとする人達と入れまいとする係員が本気で押し合いです・・・信じられません!
目の前でドアは無情にも閉められ、中に入っていた私は、一瞬何事かと目を疑いました。
日本では、こんなことは、あり得ない・・・夫は、本気で悔しがっていました。 -
宮殿の中のショップでベルサイユのお土産でもと思ったのですが、ここもタイムアップ。
まだ5時までには時間があるのにドアを閉めてしまいます。
私は大急ぎで、選んでいる余裕はありませんでしたが、数点買うことが出来ました・・・商売っ気は全くありません! -
この後、集合時間が近づきましたが、大急ぎで庭園に・・・
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この時期なので、花はありませんが、池と彫刻だけ写真に・・・
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庭園側から見る宮殿も、立派です。
慌ただしいヴェルサイユ見学でした。
思い描いていた宮殿とは、少し違う所もありましたが、素晴らしい!の一言です。 -
夕方、パリに入りました。
景観を大事にしている街ですが、セーヌ川沿いにモダンなオフィスビルが建っていました。(右側は、マイクロソフトのビル) -
セーヌ川とエッフェル塔・・・2度目のパリに到着です。
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コンコルド広場の観覧車は、毎年、11月中旬~2月中旬まで設置され、パリのパノラマを楽しむことが出来ます。
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このレストランで夕食です。
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パリに来たら、やっぱりエスカルゴ。
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メインは牛肉のワイン煮でした。
明日は午後からフリータイムなので、ツアー仲間とは最後の晩餐です。
最後とあって、何となく今までとは違う雰囲気の夕食・・・でも、皆で乾杯して盛りあがりましたね。
仲良くなった頃、いつもお別れです。 -
パリでは「ノボテル・パリ・トゥール・エッフェル」に2連泊します。
30階建ての大きなホテルで、目の前はセーヌ川が流れ・・・ -
ホテルの前の通りからは、すぐ近くにエッフェル塔が見え、歩いても15分ほどの絶好のロケーションです。
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2階のフロントやロビーも、広々・・・
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私達夫婦のお部屋は、客室最上階の29階。
ワオー! 窓を開けるとこんな風景が!
「パパーッ! エッフェル塔も、セーヌ川も見えるわよ~」
「Tres Bien!!」 -
部屋から見たエッフェル塔の夜景は綺麗でした。
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21時になった途端に、シャンパン・フラッシュ!
2904号室から目の前に見えます・・・本当に綺麗で感動しました。
翌日、皆さんに聞いたら、こんな景色が良い部屋は私達だけだったようでした。
神様からのご褒美かな? -
エッフェル塔のそばまで行って、もう1回、22時のシャンパン・フラッシュを見てみようと外に出ました。
ホテルの近くにはショッピング街があり、ブランド品だけでなくユニクロやスーパー・モノプリもあります。
ここのモノプリには、いろいろお世話になりました。 -
セーヌ川の中洲・シーニュ島の人工堤防「白鳥の散歩道」の西端にある「自由の女神像」・・・ホテルの近くにあります。
ニューヨークにあるオリジナルの1/4のスケールで高さ約11m、重量約9t。
フランスがアメリカに自由の女神像を贈ったことの返礼として、アメリカがフランス革命100周年を記念して贈りました。
この像は、1998.4.29から1999.5.9までの間、東京のお台場海浜公園へ・・・パリに帰国した時、パリっ子たちは「家出娘が帰ってきた」と大喜びしたそうです。
なお、お台場にはその後、レプリカが設置されました。 -
セーヌ川のクルーズ船・・・前回は、正装してバトームーシュからディナークルーズを楽しんだナーと、思い出しました。
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エッフェル塔まで来ました。
シャンパン・フラッシュのないエッフェル塔も趣きがあります。
よく見ると、鉄の刺繍と言われる所以がよく分かります。
ここで一句 『鉄の糸 紡いで光る エッフェル塔』 -
22時のシャンパン・フラッシュが始まりました。
シャンパン・フラッシュは、日没から午前1時まで毎時5分間、2万灯が点滅し、キラキラと光輝くショウ・タイム・・・本当に素晴らしい!
間近で見ると、感激、感動・・・今、私、パリにいます! -
<7日目>
良いホテルは、朝食もGOOD。 -
午前中は市内観光です。
昨日までのゆったりバスに代わり、今日は3列シートのデラックスス・バス。
このバスも、座席間隔が広い! -
先ずは、シャイヨー宮でバスから下車し、写真タイム。
昨夜のエッフェル塔も素敵でしたが、シャイヨー宮からのエッフェル塔も全体が見渡せて、写真にはうってつけです。 -
フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建てられたエッフェル塔・・・錬鉄製のエッフェル塔はあまりにも奇抜な外見のため、当時は賛否両論あったそうです。
取り壊し案まで出た中、それでも電波塔としての役割が見直され、現在はエッフェル塔なしのパリは考えられないほどの存在感を誇っています。
建設当時の高さは312.3mで、1930年にニューヨークにクライスラービルが完成するまでは世界一高い建造物でした。
現在は、放送用アンテナが設置されたため、324mとなっています。
1889年の完成からエッフェル塔を訪れた観光客は2億人を超え、世界中の有料建造物の中で、最も多くの人が訪れている建造物です。
ガイドさんが言っていましたが、フランス人は1割の天才と9割の凡人の国だとか・・・兎に角、造ることを優先し、後のことはあまり考えない・・・ コンコルドも然り。 -
写真タイムの後は、バスに乗ってルーヴル美術館に向かいます。
これは「アレクサンドル3世橋」・・・パリで一番美しい橋と言われ、4隅にはペガサスや女神の黄金像があります。
この橋は、寄贈したロシアのニコライ2世の父親の名前に由来し、1900年のパリ万国博覧会にあわせて建設されました。 -
セーヌ川沿いにバスが走ると、オルセー美術館が見えました。
前回、フリータイムの時に来て、印象派の有名な作品を堪能しましたので、今回はパス。
この美術館は、1889年のパリ万博開催に合わせて造られたオルセー駅が前身です。
美術館として生まれ変わる際、駅舎時代の面影を残した現在の建物が完成しました。
2つの大時計がシンボルマークです。 -
2回目のルーヴル美術館です。
1983年に、当時のミッテラン大統領が推進した「パリ大改造計画」の一環で「大ルーヴル計画 」で建物が改築されるとともに、それまでルーヴル宮殿内にあった財務省が移設され、宮殿施設全体が美術館となりました。
そして、ナポレオン広場に設けられた新たなエントランスに、このガラス製のピラミッドを建築し、直下の地下ロビーが1989年に落成しました。 -
ガラスのピラミッド下のナポレオン・ホール・・・673枚のガラスが使われているそうです。
ガラスのピラミッドを内部から見上げると、伸び伸びした気分になります。
以前は多数の来館者をさばききれないため、行列が出来ていましたが、この広場のおかげで解決し、ルーヴル美術館入場者数は、倍増しました。 -
前回と違って、お店のスペースが拡張され、何とプランタンまで入っています!
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チケット売り場。
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入館を待つ子供達。
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ルーヴルは、先史時代から19世紀までの様々な美術品35,000点近くを収蔵し、毎年800万人を超える入場者が訪れる、世界で最も入場者数の多い美術館です。
この美術館は、フランス王・フィリップ2世が12世紀に、もともと要塞として建設したルーヴル城(ルーヴル宮殿)に収容されており、現在の建物にも、このように要塞として使用されていた当時の面影が一部残っています。 -
先ずは、彫刻の部屋から・・・
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「ミロのヴィーナス」・・・この像が、ルーヴルを出て海外へ渡ったことは、1964年の東京・国立西洋美術館および京都・京都市美術館の特別展示のみ。
当時、京都で学生だった私は見に行きました。
ミロのヴィーナスは、1820年にミロス島で発見され、オスマン・トルコから買い上げたフランス海軍提督デュルヴィルは、ルイ18世(1755~1824)に献上し、王はルーヴル美術館に寄付しました。 -
ミロのヴィーナスは、紀元前130年頃ギリシャで制作され、高さは203cm、材質は大理石。
私の人生で、三度目のご対面です・・・四回目はもうないでしょうね。
今回は、後ろ姿もじっくりと鑑賞させて頂きました。
残念ながら、「サモトラケのニケ」は現在修復中でしたが、今年の夏から再び見ることが出来ます。 -
「アポロンの間」を彩る天井画・・・この天井は、ヴェルサイユ宮殿の内装を手がけたシャルル・ル・ブランが作った豪華なものです。
絵と絵のすきまを埋め尽くす金の模様、立体的な彫刻・・・本当に見事です。 -
「聖母子と6人の天使」(チマブエ)・・・1270年頃の作品で、ルーヴルで一番古いキリストの絵です。
金の背景に金の天使の光輪・・・まるでビザンチン絵画のようです。 -
「聖アンナと聖母子」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)・・・最晩年期の1508年頃に制作された、未完の大作です。
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ルーヴルもニューヨーク・メトロポリタン美術館のように、模写する人が結構います。
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「洗礼者ヨハネ」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)・・・女性的な恥じらいに満ち、「モナ・リザ」にも似た不可思議な微笑を浮かべている半裸の男性像は、ダ・ヴィンチが描いたどの女性よりも、官能的です。
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「岩窟の聖母」(ダ・ヴィンチ)・・・ダ・ヴィンチ(1452~1519)は、ミケランジェロ・ラファエロと並ぶ、ルネサンスの三大巨匠の一人。
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「聖母子と幼児聖ヨハネ」(ラファエロ)・・・「美しき女庭師」ともいわれるこの作品は、1507年に描かれました。
聖書に手を伸ばしているのがイエス、十字架を持っているのがヨハネ・・・優しい表現が、心地良い気分にさせてくれます。 -
ルーブルを訪れる殆どの人が、そこで一人の永遠の美女に会うことを楽しみにしている・・・それが、ドゥノン翼の2階にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」です。
モナ・リザの前は、黒山の人だかり!・・・さすがに、ルーブル美術館の一番人気の作品ですね。
他の美術品と違い、モナ・リザだけは別格で、しっかりとガラスケースで厳重に警備されています。
モナ・リザは、今までに2回海外に旅をしています。
1963年のアメリカ、1974年の日本への貸し出しですが、3度目の貸し出しはないといわれています。 -
ダ・ヴィンチによって制作された、あまりにも有名なこの肖像画は、彼自身にとっても特に重要な作品であったと考えられます。
1516年にフランソワ一世の招きによりイタリアからフランスに渡り、死去するまでの3年間、「聖アンナと聖母子」「洗礼者ヨハネ」と共に「モナ・リザ」を手元に置ていました。 -
「グランド・オダリスク」(アングル)・・・オダリスクとはハーレムの奴隷女のことです。
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「ナポレオン1世の戴冠式」(ダヴィッド)・・・ルーヴル美術館の所蔵作品の中で、2番目に大きな絵画で、縦6.3m 横9.7m。
左側の女性たちは、ナポレオンの姉妹達で、左から3番目の女性は、ナポレオンの二番目の妹「ポーリーヌ」です。
ヴェルサイユ宮殿の複写絵では、彼女のドレスはピンク色でした。
また、祭壇の中央に座っているのは、妻のジョセフィーヌが嫌いで、実際にはこの場所にはいなかったナポレオンの母親です。
ヴェルサイユの絵は、頭からベールを被っていました。 -
「レカミエ夫人」(ダヴィッド )・・・当時流行した古代ローマの貴婦人のような衣装を身に纏い、物言いたげに、こちらを見つめています。
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「メデューズ号の筏」(ジェリコー)・・・1816年に、セネガル沖でメデューズ号が難破し、150人の乗組員が13日間、筏で漂流。
生き残ったのは15人のみという事件を題材にした絵で、ショッキングな実際の事件をリアルに表現したため、当時は物議を醸したそうです。 -
「民衆を導く自由の女神」(ドラクロワ)・・・フランス革命を題材に描かれたた作品で、女性は自由を、乳房は母性=祖国を表しています。
シルクハットの男性はドラクロワ自身。 -
左は「抵抗する奴隷」、右は「瀕死の奴隷」・・・ミケランジェロの2作品(1513~1515年)。
ミケランジェロらしい筋肉のリアルさで、瀕死の奴隷にはとても見えません。
ルーヴルの素晴らしい芸術作品を再び鑑賞することが出来て、至福のひと時を過ごしました。 -
美術鑑賞の後は、セーヌ川沿いをドライブ・・・この建物は「コンシェルジュリー」。
もともとシテ宮として建てられ、10世紀から14世紀にかけて使用されましたが、1370年に牢獄として使われ始めました。
あのマリー・アントワネットも投獄され、処刑される前の2か月半を過ごした独房も、現在再現されています。 -
ノートルダム寺院があるシテ島の西にあるボン・ヌフ橋の次に懸るポン・デ・ザール橋の両端のフェンスに、南京錠が大量に取り付けられています。
この南京錠たち、永遠に離れないと誓ったカップルたちによるもので、決して外されることのない南京錠が2,000個以上も取り付けられています。
「愛の南京錠」といわれており、カップルが2人で南京錠に名前を書き込み、フェンスに取り付け、鍵をセーヌ河に投げ込みます。
二度と解かれることのない南京錠・・・2人の愛が永遠に解かれないようにと、願掛けの意味があります。 -
パリのセーヌ川には、37の橋が架かっています。
これは、カルーゼル橋・・・この橋の向こうはルーヴル宮で、ルーヴル宮に通じていることからルーヴル橋という名も与えられました。
橋の四隅にはルイ・プティトーによる豊饒・産業・セーヌ・パリを意味する4つの彫像があります。 -
オペラ座の近くでツアーは解散し、午後からはフリータイム。
先ずは、昼食を・・・そろそろ日本食が恋しくなってきたので、「前回も、このあたりで、おうどん食べたわね」と、探してみることにしました。
オペラ座からオペラ通りを400mほど行って左に入り、ラーメン屋さんの近くに「国虎屋」という、うどん屋さんがあり、入って見ました。
1階は満席で、日本人のスタッフに案内され地下へ・・・地下は結構広く、落ち着いていましたが、周りは、外人ばかり!
最近のフランスでは、日本食が大ブームです・・・胃にもたれない料理なので、健康志向にも合っているからというのも理由でしょう。 -
美味しかったけど、月見うどん(11ユーロ)、かつ丼(14ユーロ)は少々高い!
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昼食後、オペラ座に向かう途中、「BOOK・OFF]の店が・・・パリには、ユニクロも何店かあります。
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1875年完成の国立オペラ座(オペラ・ガルニエ)・・・前回の時も行きましたが、あの素晴らしい内部を見に、また行きました。
ここで、事件が発生!
添乗員さんから聞いていたのですが、オペラ座周辺はスマホや携帯のスリ・置き引き・ひったくりの被害が最近増えているそうで、特に署名詐欺のスリが激増中だそうです。
左側の屋根を撮ろうと夫がカメラを上に向けた途端、全身黒ずくめの衣服で頭からは黒いベールを被った若い女性3人が夫に、「署名して」と紙を差し出しながら近づいて来ました。
夫の少し後ろを歩いていた私は、思わず ” パパー、気を付けて! ”
すると、一人が「邪魔しないで!」と言わんばかりに、私を車道のほうに突き飛ばし、残る二人が夫に抱き付き、ショルダーバッグの中に手を入れて来ました・・・まさに、署名詐欺のスリです。
夫も、 ” 何やっているんだ! ” と日本語で大声をあげて叱り飛ばすと、彼女たちは凄い目つきで、何事か喋りながら逃げて、事なきを得ました。
あの時、突き飛ばされた、いやな感触が今でも鮮明に残っています・・・本当にこういうことがあるんですね。 -
オペラ座の中に入って荷物検査のチェックを受けて、入場料(10ユーロ)を払います。
1860年、ナポレオン3世の命を受け、15年の歳月をかけて建造されたオペラ座・・・内部は5階層で2167の座席があり、当時は最大規模の劇場でした。
現在のオペラ本拠地は、1989年(フランス革命200周年)に完成したバスチーユのオペラ座で、ここは主にバレーが演じられ、設計者シャルル・ガルニエの名をとって「ガルニエ宮」と呼ばれています。
入るとすぐに、磨きぬかれた大理石の大階段が。 -
大階段の天井画・・・天井には正方形の窓がつけられ、日の光を入れるようになっています。
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2階に上がると・・・
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舞台衣装が展示されています。
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これは、「オテロ」の衣装。
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前ロビーの奥には大ロビーと呼ばれる、オペラ座内で最も豪華な場所があります。
金色をベースにしたきらびやかなこのロビーは、天井画や装飾にいたるまで、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間以上の豪華さです。 -
ここは観光客も少なくて、大ロビーを落ち着いて鑑賞できました。
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天井画にも魅せられます。
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大ロビーから外のバルコニーへ出ると、真っ直ぐ伸びるオペラ大通りからルーブル美術館まで一望出来ます。
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圧巻は、シャガールの天井画と、中心に吊るされた巨大なクリスタルのシャンデリア。
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地下鉄・オペラ座駅から8号線に乗り、凱旋門を目指します。(料金は1.5ユーロ)
パリのメトロには、1号線から14号線まであり、1号線が開通したのは、パリ万博の1900年。 -
地下鉄の車内。
パリの地下鉄は、初体験です・・・チョット、緊張。 -
凱旋門に着きました。
凱旋門がある場所は、今はシャルル・ド・ゴール広場と呼ばれていますが、以前はエトワール広場の名前がついていました。(エトワールとは星のこと)
凱旋門から12本の道路が、星の光のように放射状に延びています。
凱旋門自体は戦勝記念碑で、パリだけでもカルーゼル門、サン・ドニ門、サン・マルタン門など多数あります。
この凱旋門はエトワール凱旋門と呼ばれています。 -
凱旋門に行くには、地下道が1カ所あります。
道路を横切って、直接歩いて凱旋門には行けません。
この場所がなかなか分からなくて、近くの外人さんに教えてもらいました。
ついでに、上の写真のシャッターもお願いしました。 -
エトワール凱旋門は、高さが49.54m、横幅が44.82m、縦幅が22.21mあり、中央アーチの高さは36.6m、中央アーチの幅は14.6m・・・古代ローマの凱旋門に範を取ったもので、新古典主義の代表作の一つ。
エトワール凱旋門は、1805年のアウステルリッツの戦いの勝利記念に1806年、ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まり、1836年に完成しました。
ナポレオンは、凱旋門が完成する前に既に死去しており、彼がこの門をくぐったのは1840年にパリに改葬された時でした。
第二次世界大戦では、ナチス・ドイツがパリを占領した際にハーケンクロイツが掲げられ、ドイツ軍兵士が凱旋しています。 -
シャンゼリゼ大通り側から見た正面の門。
右のレリーフは、フランソワ・リュ―ド作「1792年の義勇軍の出陣」、別名「ラ・マルセイエーズ」。
1792年、王政を否定して共和制を唱えるフランスに対して、神聖ローマ帝国(オーストリア)とプロイセンが同盟を結び、フランス国境を脅かします。
祖国の危機にマルセイユから駆けつけた義勇兵は、「ラ・マルセイエーズ」を歌いながら出陣しました。この歌は現在のフランス国歌になっています。
この彫像は、翼を持った勝利の女神ニケに導かれ、戦いに出発するフランス帝国軍の姿を描いたもの。
左のレリーフは、ジャン=ピエール・コルトー作「1810年の勝利」・・・女神から勝利の月桂冠を授かるナポレオンを描いています。
勝利を祝ってラッパを吹きながら飛んでいるのは、勝利の女神ニケ。 -
正面と反対側のレリーフ。
右の彫刻は「1814年・抵抗」、左は「1815年・平和」。 -
エトワール凱旋門の下には、第一次世界大戦の無名戦士の墓があります。
1914年に勃発した第一次世界大戦が終結してから2年後の1920年に、犠牲になった兵士を悼んで「無名戦士の墓」が造られました。 -
凱旋門のアーチの内側には、革命家や将軍の名前がぎっしり彫り込まれています。
前回は、バスで周りを回っただけでしたので、今回は上まで登ろうと思ってました。
9.5ユーロのチケットを地下の窓口で買い、左側にある入口から屋上まで、272段の螺旋階段を登ります。 -
しかし、場所は分かりにくいのですが、車椅子利用者・身体障害者のためのエレベータが、右側の柱に設置されています。
ガイドさんから ” エレベータもありますよ ” と聞いていたので、高齢者の私達はお世話になります。
高さ約50mもの螺旋階段を自力で登るのは骨が折れるでしょうね。 -
凱旋門の屋上からは、高層ビルや高い建物が少ないパリの素晴らしいパノラマ風景が楽しめます。
モンマルトルの丘の頂にそびえるサクレ・クール寺院・・・前回、モンマルトルの丘に行ってサクレ・クール寺院で写真を撮ったことを思い出します。 -
眼下には、シャンゼリゼ大通りがまっすぐに続いています。
幅約100m、長さ2km、並木が続くパリの目抜き通りです。
そしてその先には、昨日見たコンコルド広場の観覧車が望めました。 -
209mある高層オフィスビルのモンパルナス・タワー。
前回は、このそばのホテルに泊まりました・・・懐かしかったです。 -
エッフェル塔もよく見えます。
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シャンゼリゼ大通りと反対の西側には、ブローニュの森が広がっています。
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更にその先には、日本では新凱旋門と呼ばれる、門のようなビル、「グランダルシュ」が見えました。
グランダルシュは、1989年に落成した超高層ビルで、最上階の35階に展望台があり、パリの観光名所となっているそうです。 -
素晴らしい眺めを楽しんだ後は、下の階に降ります。
いろんな展示物がありましたが、これは凱旋門の外壁に彫られた「ラ・マルセイエーズ」の部分レプリカ・・・翼を持った勝利の女神ニケの険しい顔です。
無料のお手洗いもこの階にありました。 -
これは、凱旋門のミニチュア。
部屋の飾りに良いかも・・・ -
このフロアの床に、地上の状況が分かる枠がありましたが、枠と言っても穴が開いているわけではなく、モニターで真下の様子を映しています。
無名戦士の墓の周りで凱旋門を見上げている人や、歩いている人達が、豆粒のように小さく見えます。
とても面白くて、一人興奮して見ていました。
この階から、再びエレベータで下に降ります。 -
<8日目>
朝食後、ノボテルの2階テラスに出てみると、自由の女神のミニチュア像がありました。 -
楽しかった思い出を胸に、日本に帰ります。
7時半にホテルを出発し、日の出前のエッフェル塔を見ながら・・・ -
CDGに着きました。
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スイス航空のカウンターでチェック・インし・・・
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近未来の建物のようにチューブがはりめぐらされ、空中を進む動く歩道で上に進んで行きます。
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第1ターミナルは円筒形のメインターミナルと、地下道で結ばれたサテライトからなる特徴のある構造で、更に、ながーい、動く歩道で延々と進んで行きます。
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やっと、63番ゲートに着きました。
ここから11時発のチューリッヒ行に搭乗します。 -
第2ターミナルは、モダンな建物です。
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チューリッヒが近づくと、原発が見えてきました。
スイスの電力生産は、アルプスの水を使った水力が55%、原子力は40%もありますが、福島第一原発事故を受け、スイス政府は段階的な脱原発を決めて、エネルギー消費量の35%削減と太陽光発電を推進し、2050年には太陽光発電だけで現在の原発の発電量がほぼ賄えると計算しています。 -
スイス・アルプスが綺麗に見えます。
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チューリッヒに着き、再びスカイ・メトロで空港を移動し・・・
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成田に向けて出発します。
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スイス・アルプスは、本当に美しい。
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ビーフ・シチューの昼食。
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成田到着前のオムレツの軽食。
楽しかった9日間のフランス旅行が、無事終わりました。
翌日の東京は大雪だったので、1日前に帰国しておいて良かった!
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