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日本海側には、北前船の歴史があって、あちこちかつては意外に豊かな街があったことを知って驚かされることがあります。<br /><br />一方で、日本海側では、酒井や新潟、三国などよりずっと後背地に恵まれていたのは金沢だったはず。しかし、金沢ではそんな気配があんまりなくて、ちょっと奇妙だなあという感じを持っていました。調べると銭五という豪商の物語があるようです。<br /><br />今回は、これをメインに、天気も悪いので、残りの時間は金沢の寺町を回ってみることにしました。加賀藩の隠れた歴史がまた発見できるといいんですが。。さあ、出発です。

冬の金沢から能登半島の旅(前泊・一日目)~北前船の歴史を辿り、後はひたすら寺町を丁寧に巡ります~

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2014/01/10 - 2014/01/11

729位(同エリア4761件中)

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たびたび

たびたびさん

日本海側には、北前船の歴史があって、あちこちかつては意外に豊かな街があったことを知って驚かされることがあります。

一方で、日本海側では、酒井や新潟、三国などよりずっと後背地に恵まれていたのは金沢だったはず。しかし、金沢ではそんな気配があんまりなくて、ちょっと奇妙だなあという感じを持っていました。調べると銭五という豪商の物語があるようです。

今回は、これをメインに、天気も悪いので、残りの時間は金沢の寺町を回ってみることにしました。加賀藩の隠れた歴史がまた発見できるといいんですが。。さあ、出発です。

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  • 小松空港から、雪の金沢の到着です。<br />金沢駅の東広場は、金沢の玄関といった場所。おもてなしの心を表わしたガラスのドーム「もてなしドーム」と街に向かった場所にそびえるのがこの「鼓門」です。伝統芸能に使われる鼓をイメージしたデザインですが、とにかく大きいので、初めて見る人は見上げる感じに驚くのではないかと思います。<br />

    イチオシ

    小松空港から、雪の金沢の到着です。
    金沢駅の東広場は、金沢の玄関といった場所。おもてなしの心を表わしたガラスのドーム「もてなしドーム」と街に向かった場所にそびえるのがこの「鼓門」です。伝統芸能に使われる鼓をイメージしたデザインですが、とにかく大きいので、初めて見る人は見上げる感じに驚くのではないかと思います。

  • 雪の積もった金沢市内。

    雪の積もった金沢市内。

  • 灯りの演出が、少し心を和ませてくれます。

    灯りの演出が、少し心を和ませてくれます。

  • もう遅いんですが、少し寝る前に食べておきたい。<br />で、向かったのは、この味楽ゆめり。金沢駅からも近いし、ネットでの評判もすごくいいようです。

    もう遅いんですが、少し寝る前に食べておきたい。
    で、向かったのは、この味楽ゆめり。金沢駅からも近いし、ネットでの評判もすごくいいようです。

  • で、いただいたのは、<br />

    で、いただいたのは、

  • 刺身の盛り合わせをメインにご飯とみそ汁という晩飯バージョン。カウンターで魚や味噌汁の具材などを聞いたりしながら楽しく過ごしました。刺身の美しい盛り付けに、旬真っ只中の深みのある味わい。

    刺身の盛り合わせをメインにご飯とみそ汁という晩飯バージョン。カウンターで魚や味噌汁の具材などを聞いたりしながら楽しく過ごしました。刺身の美しい盛り付けに、旬真っ只中の深みのある味わい。

  • アオサの入った味噌汁でもすっかりあったまりまして、本当にごちそうさまでした。申し分ないお店だと思います。<br />これで、ゆっくり寝れるでしょう。<br />

    アオサの入った味噌汁でもすっかりあったまりまして、本当にごちそうさまでした。申し分ないお店だと思います。
    これで、ゆっくり寝れるでしょう。

  • そして、翌朝は近江市場から。まだ準備中のお店も多いようです。

    そして、翌朝は近江市場から。まだ準備中のお店も多いようです。

  • いきいき亭は、近江町いちばの入口にある名物のお寿司屋さん。以前から気になっていたんですが、今回初訪問。<br /><br /><br />

    いきいき亭は、近江町いちばの入口にある名物のお寿司屋さん。以前から気になっていたんですが、今回初訪問。


  • 朝は7時からやっていて、私は一番乗りだったのですが、7時半にはもうほとんど満席で、やはり人気のお店です。

    朝は7時からやっていて、私は一番乗りだったのですが、7時半にはもうほとんど満席で、やはり人気のお店です。

  • いただいたのは、ミニ丼1200円。しっかりした朝飯になりました。ごちそうさまでした。<br />なお、安倍晋三の色紙もありまして、これにはちょっと意表を突かれました。

    イチオシ

    いただいたのは、ミニ丼1200円。しっかりした朝飯になりました。ごちそうさまでした。
    なお、安倍晋三の色紙もありまして、これにはちょっと意表を突かれました。

  • 近江市場も、だんだん賑わってきました。

    近江市場も、だんだん賑わってきました。

  • シーズンの蟹がゴソゴソ動いています。

    イチオシ

    シーズンの蟹がゴソゴソ動いています。

  • さっきいきいき亭で海鮮どんぶりを食べて、でもなんかもうちょっと欲しい感じ。で、この蒲鉾屋さんが目に入りました。<br />

    さっきいきいき亭で海鮮どんぶりを食べて、でもなんかもうちょっと欲しい感じ。で、この蒲鉾屋さんが目に入りました。

  • 出来立てみたいなごぼう天をいただきまして、やっぱり、市場ではこういう買い食いも楽しいですよね。お勧めです。<br />では、朝飯も食べたし、銭五の金石地区に向かいましょう。まずは、金沢駅に戻ります。

    出来立てみたいなごぼう天をいただきまして、やっぱり、市場ではこういう買い食いも楽しいですよね。お勧めです。
    では、朝飯も食べたし、銭五の金石地区に向かいましょう。まずは、金沢駅に戻ります。

  • 金沢駅から、中橋のバス停までの間にあるのが平岡野神社。金沢駅からもすぐです。平安初期、相武天皇の時代に、天台座主泰範上人が勅命により北辺の鎮護として建立したのが始まり。富樫氏が代々尊崇したほか、足利尊氏が息災延命武運長久を祈願し、当社に奉納した愛染明王国絵塔婆もあるようです。<br /><br />

    金沢駅から、中橋のバス停までの間にあるのが平岡野神社。金沢駅からもすぐです。平安初期、相武天皇の時代に、天台座主泰範上人が勅命により北辺の鎮護として建立したのが始まり。富樫氏が代々尊崇したほか、足利尊氏が息災延命武運長久を祈願し、当社に奉納した愛染明王国絵塔婆もあるようです。

  • バスで、銭五の故郷、金石地区に移動しました。<br />まずは、大野湊神社です。<br />

    バスで、銭五の故郷、金石地区に移動しました。
    まずは、大野湊神社です。

  • 猿田彦大神を祭神とし、奈良時代の始まるという古い歴史があります。戦国時代には荒廃しますが、前田利家により再興。<br />

    猿田彦大神を祭神とし、奈良時代の始まるという古い歴史があります。戦国時代には荒廃しますが、前田利家により再興。

  • その後、神事能の奉納が前田利長によって始められ、現在も、境内には能舞台がありました。雪囲いで、こんな状態です。<br />

    その後、神事能の奉納が前田利長によって始められ、現在も、境内には能舞台がありました。雪囲いで、こんな状態です。

  • ここから、いよいよ今日のメインです。<br />大野湊神社から銭屋五兵衛記念館はすぐです。

    ここから、いよいよ今日のメインです。
    大野湊神社から銭屋五兵衛記念館はすぐです。

  • さて、ここが記念館です。<br />

    さて、ここが記念館です。

  • なかなか立派な施設ですね。

    なかなか立派な施設ですね。

  • 銭屋五兵衛は、北前船の寄港地、宮腰(現在の金石)で、最盛期には千石積みの持ち船を20艘以上所有、全国に34店舗の支店を構えていたという伝説の豪商。

    イチオシ

    銭屋五兵衛は、北前船の寄港地、宮腰(現在の金石)で、最盛期には千石積みの持ち船を20艘以上所有、全国に34店舗の支店を構えていたという伝説の豪商。

  • 蝦夷地や択捉島ではロシアと通商するなど、密貿易を行っていたのですが、

    蝦夷地や択捉島ではロシアと通商するなど、密貿易を行っていたのですが、

  • 加賀藩への献上金への見返りとして黙認されていたものだったとか。<br />

    加賀藩への献上金への見返りとして黙認されていたものだったとか。

  • しかし、藩政実務のトップにあった奥村栄実の後ろ盾を失い、最後は、河北潟の干拓で毒を流したと讒訴され、子の要蔵ら11名とともに投獄され、獄死。銭屋は財産没収、家名断絶の処分とされてしまいます。記念館では、こうした銭屋五兵衛の足跡を詳しく紹介していました。<br />

    しかし、藩政実務のトップにあった奥村栄実の後ろ盾を失い、最後は、河北潟の干拓で毒を流したと讒訴され、子の要蔵ら11名とともに投獄され、獄死。銭屋は財産没収、家名断絶の処分とされてしまいます。記念館では、こうした銭屋五兵衛の足跡を詳しく紹介していました。

  • 少し離れた場所にあるのは、銭五の館。

    少し離れた場所にあるのは、銭五の館。

  • 銭屋五兵衛の屋敷の一部を移築したものです。<br />記念館にも、祖父の身代わりとなって牢に入ることで釈放をもとめた嘆願書の「千賀女の代牢願」と言うのがありましたが、こちらにはその錦絵も。銭屋五兵衛は、密貿易の責任を一身に負わされた挙句、干拓の落ち度をきっかけに牢につながれることになるのですが、その際の孫娘、千賀女の必死の行動です。千賀女は病に倒れ、26才の短い生涯を閉じます。こうした悲劇も涙を誘い、理不尽な運命が広く知られるところとなったようです。<br />ところで、加賀の北前船の豪商では、銭五を上回る財力を持っていた木屋藤右衛門なる豪商もいて、江戸期の長者番付では、三井と並ぶほどの位置づけだったとか。しかし、加賀藩の保守的な気風がこれらの豪商を破たんに追いやり、時流から取り残される結果となったことは、興味深いことだと思います。<br />ちなみに、北前船自体の繁栄は、最終的には鉄道にその地位を奪われるのですが、明治20年くらいまでは続きます。活躍の場を失った船主たちが新たな活路を求めたことから、小樽の繁栄はその延長線上にありますし、幕末の開港によって中央支援のお墨付きを得た新潟の勃興もこれに関係しているのではないかと思います。やっぱり、今後も追っかけてみたいテーマの一つですね。

    銭屋五兵衛の屋敷の一部を移築したものです。
    記念館にも、祖父の身代わりとなって牢に入ることで釈放をもとめた嘆願書の「千賀女の代牢願」と言うのがありましたが、こちらにはその錦絵も。銭屋五兵衛は、密貿易の責任を一身に負わされた挙句、干拓の落ち度をきっかけに牢につながれることになるのですが、その際の孫娘、千賀女の必死の行動です。千賀女は病に倒れ、26才の短い生涯を閉じます。こうした悲劇も涙を誘い、理不尽な運命が広く知られるところとなったようです。
    ところで、加賀の北前船の豪商では、銭五を上回る財力を持っていた木屋藤右衛門なる豪商もいて、江戸期の長者番付では、三井と並ぶほどの位置づけだったとか。しかし、加賀藩の保守的な気風がこれらの豪商を破たんに追いやり、時流から取り残される結果となったことは、興味深いことだと思います。
    ちなみに、北前船自体の繁栄は、最終的には鉄道にその地位を奪われるのですが、明治20年くらいまでは続きます。活躍の場を失った船主たちが新たな活路を求めたことから、小樽の繁栄はその延長線上にありますし、幕末の開港によって中央支援のお墨付きを得た新潟の勃興もこれに関係しているのではないかと思います。やっぱり、今後も追っかけてみたいテーマの一つですね。

  • 以上で記念館を終えて、次は海月寺へ。<br />ここは、銭屋五兵衛の屋敷に女中として住み込んでいた「お鉄」という娘が、獄死した銭屋五兵衛や一族の菩提を弔うために、仏門に入り庵を結んだのが始まり。<br /><br />

    以上で記念館を終えて、次は海月寺へ。
    ここは、銭屋五兵衛の屋敷に女中として住み込んでいた「お鉄」という娘が、獄死した銭屋五兵衛や一族の菩提を弔うために、仏門に入り庵を結んだのが始まり。

  • 境内には、銭屋五兵衛の三男の墓がありました。また、室生犀星が若い頃、この2階に下宿したことがあり、小説「海の僧院」という作品を残しています。<br />なるほどです。<br />後はせっかくなので、例によって近所を散策してみましょう。

    境内には、銭屋五兵衛の三男の墓がありました。また、室生犀星が若い頃、この2階に下宿したことがあり、小説「海の僧院」という作品を残しています。
    なるほどです。
    後はせっかくなので、例によって近所を散策してみましょう。

  • そんな中で、なをや菓子舗は、何気なく寄ったお店。

    そんな中で、なをや菓子舗は、何気なく寄ったお店。

  • ふぐ最中というふぐの形をした最中をいただきました。この辺りでは、かつて、ふぐを加工するお店が何軒もあったんだそうです。で、いただくと、この餡子ってなんておいしいんでしょう。粒餡なんですが、これは私の一番好きな艶のある甘さの餡子。膨らんだふぐの中にぎっしり詰まって、これはいいものに出会いました。明らかに名店です。<br /><br />

    ふぐ最中というふぐの形をした最中をいただきました。この辺りでは、かつて、ふぐを加工するお店が何軒もあったんだそうです。で、いただくと、この餡子ってなんておいしいんでしょう。粒餡なんですが、これは私の一番好きな艶のある甘さの餡子。膨らんだふぐの中にぎっしり詰まって、これはいいものに出会いました。明らかに名店です。

  • 道入寺は、なをや菓子舗で、飴買い幽霊の話があるというのを聞いて訪ねました。話というのは、毎晩、飴を買いに来る女の人がいて、不思議に思って跡をつけると、実は幽霊。それも自分の子供に与える飴を買っていたというのです。境内には多くの地蔵が祀られています。<br /><br />

    道入寺は、なをや菓子舗で、飴買い幽霊の話があるというのを聞いて訪ねました。話というのは、毎晩、飴を買いに来る女の人がいて、不思議に思って跡をつけると、実は幽霊。それも自分の子供に与える飴を買っていたというのです。境内には多くの地蔵が祀られています。

  • 金沢の海側にある金石は、「かないわ」と読みますが、北前船の寄港地として発展し海運業で巨万の富を築いた銭谷五兵衛の地元です。なので、この辺りにも、寺院がポツポツあるんですね。<br />龍源寺は、曹洞宗の寺。各所に道案内の標識が立っていて、この地区では比較的大きな寺のよう。門の傍らに由緒が書いてありました。<br /><br />

    金沢の海側にある金石は、「かないわ」と読みますが、北前船の寄港地として発展し海運業で巨万の富を築いた銭谷五兵衛の地元です。なので、この辺りにも、寺院がポツポツあるんですね。
    龍源寺は、曹洞宗の寺。各所に道案内の標識が立っていて、この地区では比較的大きな寺のよう。門の傍らに由緒が書いてありました。

  • 樫田堂は、金沢市金石地区の中心部。酒まんじゅうが名物と聞いて、これは訪ねるしかないでしょう。

    樫田堂は、金沢市金石地区の中心部。酒まんじゅうが名物と聞いて、これは訪ねるしかないでしょう。

  • さっそくいただくと、正真正銘。これは麹をきちんと使って膨らませた酒まんじゅうです。生地と餡子との相性もいいし、特に特徴があるわけではありませんが、きちんとした酒まんじゅうです。<br /><br />

    さっそくいただくと、正真正銘。これは麹をきちんと使って膨らませた酒まんじゅうです。生地と餡子との相性もいいし、特に特徴があるわけではありませんが、きちんとした酒まんじゅうです。

  • 専長寺は、浄土真宗大谷派の寺院。赤い瓦の山門が美しくて特徴的。珍しい平唐門という形式で、金沢市の文化財指定。ほか、銭谷五兵衛の隠居にあったものを移築したという茶室もあるようです。<br /><br />

    専長寺は、浄土真宗大谷派の寺院。赤い瓦の山門が美しくて特徴的。珍しい平唐門という形式で、金沢市の文化財指定。ほか、銭谷五兵衛の隠居にあったものを移築したという茶室もあるようです。

  • 以上で、金石地区の散策は終了。市街中心部に戻ります。<br />ところで、金沢駅から兼六園、茶屋町などのエリアは、観光ルートを回る周遊バスが充実しているのですが、反対エリアへはこの路線バスを使うしかない。今回は、銭屋五兵衛記念館などがある金石地区を回ったのですが、乗り場は中橋のバス停。金沢市内の観光が少しディープになってくると、路線バスを使いこなす必要があるようです。<br /><br />

    以上で、金石地区の散策は終了。市街中心部に戻ります。
    ところで、金沢駅から兼六園、茶屋町などのエリアは、観光ルートを回る周遊バスが充実しているのですが、反対エリアへはこの路線バスを使うしかない。今回は、銭屋五兵衛記念館などがある金石地区を回ったのですが、乗り場は中橋のバス停。金沢市内の観光が少しディープになってくると、路線バスを使いこなす必要があるようです。

  • にし茶屋街にやってきました。それにしても、今日は天気も悪いし、誰も歩いていません。<br />実は、昨年の今頃も金沢にいましたが、昨年もこんな天気。やっぱりこの時期の金沢はお天気を期待しても無理なようです。

    にし茶屋街にやってきました。それにしても、今日は天気も悪いし、誰も歩いていません。
    実は、昨年の今頃も金沢にいましたが、昨年もこんな天気。やっぱりこの時期の金沢はお天気を期待しても無理なようです。

  • 一角にある小さな青い洋館は、大正11年の建築物。西料亭組合事務所で、当時のままの姿が残っているのだそう。国の登録有形文化財です。現在は、芸妓衆の稽古場兼管理事務所として使用されているはずなんですが、何度見ていてもいつも人けはありませんね。<br /><br /><br />

    一角にある小さな青い洋館は、大正11年の建築物。西料亭組合事務所で、当時のままの姿が残っているのだそう。国の登録有形文化財です。現在は、芸妓衆の稽古場兼管理事務所として使用されているはずなんですが、何度見ていてもいつも人けはありませんね。


  • こっちの中谷とうふは、にし茶屋街にある評判の豆腐屋さん。ただ、冬場なのでソフトクリームは取り扱っていないし、「夏場だと醤油を貸してあげると近くの公園で豆腐を食べる人もいるんですけどねえ」という答え。この時期は、残念ながら商品を買って帰るしかないようです。<br /><br />

    こっちの中谷とうふは、にし茶屋街にある評判の豆腐屋さん。ただ、冬場なのでソフトクリームは取り扱っていないし、「夏場だと醤油を貸してあげると近くの公園で豆腐を食べる人もいるんですけどねえ」という答え。この時期は、残念ながら商品を買って帰るしかないようです。

  • さて、ここからは寺町の散策をしましょう。天気は悪くても、それなら関係ありません。これまでは適当にしか回っていなかったので、今回は、一気に潰してみたいと思います。<br />三光寺は、浄土宗の寺。<br /><br />

    さて、ここからは寺町の散策をしましょう。天気は悪くても、それなら関係ありません。これまでは適当にしか回っていなかったので、今回は、一気に潰してみたいと思います。
    三光寺は、浄土宗の寺。

  • 三光寺の住職は彫刻家なんだそうですが、山門の両わきにある石を彫った仁王像も住職が製作したもののよう。大きな作品で、割と見応えがあります。<br />また、ここはかつて大久保利通を暗殺した首謀者たちの活動拠点ともなっていたようです。<br />

    三光寺の住職は彫刻家なんだそうですが、山門の両わきにある石を彫った仁王像も住職が製作したもののよう。大きな作品で、割と見応えがあります。
    また、ここはかつて大久保利通を暗殺した首謀者たちの活動拠点ともなっていたようです。

  • 国泰寺は、臨済宗の寺。高峰譲吉の菩提寺ということで、山門前にこれを書いた杭が建っていました。<br />現在の地に移転してきたのは、1616年。その後も大火から逃れたことで、建築様式を残した寺院とされています。<br /><br />

    国泰寺は、臨済宗の寺。高峰譲吉の菩提寺ということで、山門前にこれを書いた杭が建っていました。
    現在の地に移転してきたのは、1616年。その後も大火から逃れたことで、建築様式を残した寺院とされています。

  • 少林寺には、「延宝5年(1677)当時第4世の代に宮崎彦九郎義一名」と寺誌が刻記された有名な梵鐘があります。第二次世界大戦の戦時供出で難を逃れた鐘の一つ。 <br /><br />

    少林寺には、「延宝5年(1677)当時第4世の代に宮崎彦九郎義一名」と寺誌が刻記された有名な梵鐘があります。第二次世界大戦の戦時供出で難を逃れた鐘の一つ。

  • 総高138cm、口径77cm。宮崎彦九郎義一は、加賀藩の御用釜師。以降、代々宮崎家は寒雉菴彦九郎を襲名して現在に至っています。<br />

    総高138cm、口径77cm。宮崎彦九郎義一は、加賀藩の御用釜師。以降、代々宮崎家は寒雉菴彦九郎を襲名して現在に至っています。

  • 泉野菅原神社は、二代利長の夫人、玉泉院が前田家長久のため、金沢に天満天神堂を建立したのが始まりです。

    泉野菅原神社は、二代利長の夫人、玉泉院が前田家長久のため、金沢に天満天神堂を建立したのが始まりです。

  • 隣りの玉泉寺は、時宗の寺。加賀藩主二代利長夫人であり、織田信長の五女、玉泉院が、三代利常に請うて創建したのが始まり。玉泉院が亡くなって、玉泉寺と改められ、玉泉院の位牌所となったということです。境内の奥には、玉泉院の供養塔と言われる五輪塔があります。<br /><br />

    隣りの玉泉寺は、時宗の寺。加賀藩主二代利長夫人であり、織田信長の五女、玉泉院が、三代利常に請うて創建したのが始まり。玉泉院が亡くなって、玉泉寺と改められ、玉泉院の位牌所となったということです。境内の奥には、玉泉院の供養塔と言われる五輪塔があります。

  • 今回、寺町で楽しみにしていたのは、もう一つ。四十萬谷本舗。かぶら寿司というのがあるんです。そろそろ、そっちに向かって歩きます。<br />今川酢造は、その途中。

    今回、寺町で楽しみにしていたのは、もう一つ。四十萬谷本舗。かぶら寿司というのがあるんです。そろそろ、そっちに向かって歩きます。
    今川酢造は、その途中。

  • 白い暖簾が気になってお邪魔すると、中にはこじんまりしていますが、きれいな商品の展示場がありました。絵のギャラリーと一緒になって、瓶に入ったきれいな商品が並んで。ちょっと、うっとりするような空間でした。<br /><br />

    白い暖簾が気になってお邪魔すると、中にはこじんまりしていますが、きれいな商品の展示場がありました。絵のギャラリーと一緒になって、瓶に入ったきれいな商品が並んで。ちょっと、うっとりするような空間でした。

  • 龍渕寺は、曹洞宗の寺院。通りからは、少し奥まったところに山門があり、何でも龍渕寺の寺地全域が金沢市の保存樹林に指定されているようです。境内に入ると、大きな木々に覆われて、薄暗いような感じでした。藩主公用の竹林や、杉、赤松、樫、欅など多くの樹木があるようです。<br /><br /><br />

    龍渕寺は、曹洞宗の寺院。通りからは、少し奥まったところに山門があり、何でも龍渕寺の寺地全域が金沢市の保存樹林に指定されているようです。境内に入ると、大きな木々に覆われて、薄暗いような感じでした。藩主公用の竹林や、杉、赤松、樫、欅など多くの樹木があるようです。


  • 四十萬谷本舗は、寺町を抜けた奥の方。多分、金沢では知らない人はいないという有名店。雰囲気のある店構えです。

    四十萬谷本舗は、寺町を抜けた奥の方。多分、金沢では知らない人はいないという有名店。雰囲気のある店構えです。

  • これが、かぶら寿司ですね。実は、寿司と言うのでご飯を使ったものかと思っていたのですが、あれ、ちょっと違うようです。

    これが、かぶら寿司ですね。実は、寿司と言うのでご飯を使ったものかと思っていたのですが、あれ、ちょっと違うようです。

  • ぶりをかぶらと一緒に半年以上も麹で漬けたというのですが、その味わいは何というのでしょうか。ほんのりと上品な魚のうまみがかぶらと融合して、絶品です。というか絶品中の絶品というべきでしょう。金沢にはこんなものもあるんですね。やっぱり金沢凄いです。<br /><br />なお、実は、後で見つけたんですが、金沢駅の百番街でも出店があって扱っていました。これなら便利。とても価値があるでしょう。<br />

    イチオシ

    ぶりをかぶらと一緒に半年以上も麹で漬けたというのですが、その味わいは何というのでしょうか。ほんのりと上品な魚のうまみがかぶらと融合して、絶品です。というか絶品中の絶品というべきでしょう。金沢にはこんなものもあるんですね。やっぱり金沢凄いです。

    なお、実は、後で見つけたんですが、金沢駅の百番街でも出店があって扱っていました。これなら便利。とても価値があるでしょう。

  • 元気が出たところで、またまた寺回りを続けます。<br />月照寺は、曹洞宗の寺。前田利家とまつの長女である春桂院(幸姫)の菩提寺です。現在の本堂は、明治時代に焼失。前田家の屋敷を移転して再建したもの。<br />山門は、門前に狛犬が並ぶ不思議な形。

    元気が出たところで、またまた寺回りを続けます。
    月照寺は、曹洞宗の寺。前田利家とまつの長女である春桂院(幸姫)の菩提寺です。現在の本堂は、明治時代に焼失。前田家の屋敷を移転して再建したもの。
    山門は、門前に狛犬が並ぶ不思議な形。

  • 傍らには、多くの石仏もありました。<br />

    傍らには、多くの石仏もありました。

  • そろそろお昼です。休憩しましょう。<br />梅の屋は、寺町の中にある小さな食堂。しかし、外からでも何か活気が感じられて、試しに入ってみました。

    そろそろお昼です。休憩しましょう。
    梅の屋は、寺町の中にある小さな食堂。しかし、外からでも何か活気が感じられて、試しに入ってみました。

  • いただいたのは、お勧めという「かきうどん」。かきは砂を噛んでいたり、生臭かったりするので、うどんのような柔らかいものと合わせるのは難しいだろうなあと思ったのですが、見事な仕上がり。煮干しの出汁もうまいし、こんなの広島でもありませんね。なかなかやるもんです。<br /><br />

    イチオシ

    いただいたのは、お勧めという「かきうどん」。かきは砂を噛んでいたり、生臭かったりするので、うどんのような柔らかいものと合わせるのは難しいだろうなあと思ったのですが、見事な仕上がり。煮干しの出汁もうまいし、こんなの広島でもありませんね。なかなかやるもんです。

  • 承証寺は、法華宗の寺。<br />安宅関の沖合より浮かび上がったといわれる鬼面や俵屋宗達の作とされる本堂板戸も。<br /><br />

    承証寺は、法華宗の寺。
    安宅関の沖合より浮かび上がったといわれる鬼面や俵屋宗達の作とされる本堂板戸も。

  • また、幕末に勤王説を唱えた藩士、福岡惣助の墓もあります。加賀藩は、徳川家との血縁が濃すぎて、幕末にはどっちつかずの対応しかできなかった藩。そうした藩にあって、勤王説を唱えた藩士は、異例中の異例ではなかったかと思います。<br />

    また、幕末に勤王説を唱えた藩士、福岡惣助の墓もあります。加賀藩は、徳川家との血縁が濃すぎて、幕末にはどっちつかずの対応しかできなかった藩。そうした藩にあって、勤王説を唱えた藩士は、異例中の異例ではなかったかと思います。

  • 宝勝寺は、臨済宗の寺。美濃の禅僧、千岳宗仞禅師が創建したのですが、千岳禅師は三代利常からの信頼が厚く、利常から小松の梯天満宮棟札の揮毫を命じられたりした人物のようです。山門および本堂は創建当初の建物。本堂の改造で茶室ができたらしく、喫茶もやっていました。<br /><br />

    宝勝寺は、臨済宗の寺。美濃の禅僧、千岳宗仞禅師が創建したのですが、千岳禅師は三代利常からの信頼が厚く、利常から小松の梯天満宮棟札の揮毫を命じられたりした人物のようです。山門および本堂は創建当初の建物。本堂の改造で茶室ができたらしく、喫茶もやっていました。

  • 作田蒲鉾店は、犀川大橋の辺り。<br />

    作田蒲鉾店は、犀川大橋の辺り。

  • お店に入ると、これも小さなショーケースにいくつかの蒲鉾が並んでいます。ただ、どれも手作り感がいっぱいでいい感じ。歩き食べしましたが、ちょうどいい大きさだし、意外にお勧めです。<br />

    お店に入ると、これも小さなショーケースにいくつかの蒲鉾が並んでいます。ただ、どれも手作り感がいっぱいでいい感じ。歩き食べしましたが、ちょうどいい大きさだし、意外にお勧めです。

  • 極楽寺は、後醍醐天皇の第八皇子、明心仏眼法親王による創建。足利尊氏との争いで、各地を転々とし、身を隠した親王は、越中で目竜上人という浄土宗の僧と出会い、これが寺を作るきっかけとなりました。現在は、総本山知恩院の直轄寺院であり、公室ゆかりの寺院として、本堂及び屋根瓦には菊のご紋が使われています。珍しい赤の配色も特別な寺であることを表しているのだそうです。<br /><br />

    極楽寺は、後醍醐天皇の第八皇子、明心仏眼法親王による創建。足利尊氏との争いで、各地を転々とし、身を隠した親王は、越中で目竜上人という浄土宗の僧と出会い、これが寺を作るきっかけとなりました。現在は、総本山知恩院の直轄寺院であり、公室ゆかりの寺院として、本堂及び屋根瓦には菊のご紋が使われています。珍しい赤の配色も特別な寺であることを表しているのだそうです。

  • 浄安寺は、浄土宗の寺。ここの見どころは山門の柱。<br />

    浄安寺は、浄土宗の寺。ここの見どころは山門の柱。

  • 柱の下部には、押し込められている邪鬼の石像があって、こんな造りは見たことありませんね。柱が仁王様の代わりで、邪鬼だけが残ったということでしょうか。<br />なお、寄木造り阿弥陀如来座像は金沢4大仏の1つと数えられています。<br />

    柱の下部には、押し込められている邪鬼の石像があって、こんな造りは見たことありませんね。柱が仁王様の代わりで、邪鬼だけが残ったということでしょうか。
    なお、寄木造り阿弥陀如来座像は金沢4大仏の1つと数えられています。

  • 雪道をさらにひたすら歩きます。

    雪道をさらにひたすら歩きます。

  • 寺町鐘声園は、寺町のバス道路沿い。

    寺町鐘声園は、寺町のバス道路沿い。

  • 周囲の寺と同じ立派な山門をくぐって中に入ると池や築山を配した回遊式の枯山水庭園があって、公園のように整備されています。お手洗いも整備されていて、知っていると便利だと思います。<br /><br />

    周囲の寺と同じ立派な山門をくぐって中に入ると池や築山を配した回遊式の枯山水庭園があって、公園のように整備されています。お手洗いも整備されていて、知っていると便利だと思います。

  • 法光寺です。バス道路に面した寺は大きな寺が多いのですが、ここの山門もかなり立派です。日蓮宗の寺で、開基壇越は、加賀藩主前田利常の側室、お保の方。了覚院日養とうのは、開山の人でしょうか、境内に墓碑が建立されています。<br /><br />

    法光寺です。バス道路に面した寺は大きな寺が多いのですが、ここの山門もかなり立派です。日蓮宗の寺で、開基壇越は、加賀藩主前田利常の側室、お保の方。了覚院日養とうのは、開山の人でしょうか、境内に墓碑が建立されています。

  • 立像寺は、日蓮宗のお寺。日像上人が福井県武生市に建立した立像庵が始まり。後に、日治の時代に立像寺と号し、前田氏に従い、小松・高岡・金沢と移ってきており、金沢でももっとも古い寺と言われます。<br />なお、寺には飴買い幽霊伝説があり、本堂と鐘堂が金沢市指定文化財。横綱のお墓もあります。<br /><br />

    立像寺は、日蓮宗のお寺。日像上人が福井県武生市に建立した立像庵が始まり。後に、日治の時代に立像寺と号し、前田氏に従い、小松・高岡・金沢と移ってきており、金沢でももっとも古い寺と言われます。
    なお、寺には飴買い幽霊伝説があり、本堂と鐘堂が金沢市指定文化財。横綱のお墓もあります。

  • 実成寺の始まりは室町期のようですが、加賀藩主10代重教の生母・実成院がこの寺に国家安泰の祈祷を命じ、その実成院が没すると当寺において葬礼が行われ、霊屋が設けられたということです。<br />

    実成寺の始まりは室町期のようですが、加賀藩主10代重教の生母・実成院がこの寺に国家安泰の祈祷を命じ、その実成院が没すると当寺において葬礼が行われ、霊屋が設けられたということです。

  • 実成院の法号は、当寺の号を採ったものだそうです。鉄鋲の打たれた豪壮な門が目を引きました。<br />

    実成院の法号は、当寺の号を採ったものだそうです。鉄鋲の打たれた豪壮な門が目を引きました。

  • 宇野甘源堂は、寺町寺院群の一角。といってもバス通りに面したお店です。看板にはおせんべい処と書いてありまして、<br />

    宇野甘源堂は、寺町寺院群の一角。といってもバス通りに面したお店です。看板にはおせんべい処と書いてありまして、

  • いただいたのは、石川県伝統菓子の生姜せんべい「小判柴舟」。しょうがの香りがけっこうして、甘いけれども、これは大人の味ですね。女将さんが他の店とも食べ比べしてみてくださいと言っていましたが、ちょっと自信のひと品なんだろうと思いました。<br />

    いただいたのは、石川県伝統菓子の生姜せんべい「小判柴舟」。しょうがの香りがけっこうして、甘いけれども、これは大人の味ですね。女将さんが他の店とも食べ比べしてみてくださいと言っていましたが、ちょっと自信のひと品なんだろうと思いました。

  • 妙法寺は、タイコー妙法寺と言うそうです。と言うのは、開基、円智院妙浄法尼は、前田利家の弟、佐藤籐八郎良之の息女で、生母は太閤秀吉の愛妾淀君の乳母。父亡き後、利家とまつに養女として愛育されたとあります。当寺は、1573年、まだ本能寺の変の9年前ですが、亡き父のために建立したものです。<br /><br /><br />

    妙法寺は、タイコー妙法寺と言うそうです。と言うのは、開基、円智院妙浄法尼は、前田利家の弟、佐藤籐八郎良之の息女で、生母は太閤秀吉の愛妾淀君の乳母。父亡き後、利家とまつに養女として愛育されたとあります。当寺は、1573年、まだ本能寺の変の9年前ですが、亡き父のために建立したものです。


  • 長久寺は、曹洞宗のお寺。江戸時代初期の創建。前田家とのつながりも深く、前田利家の妹、津世の菩提寺。境内には、樹齢400年を越えるギンモクセイやケヤキなど。また、芭蕉の句碑もあります。<br />

    長久寺は、曹洞宗のお寺。江戸時代初期の創建。前田家とのつながりも深く、前田利家の妹、津世の菩提寺。境内には、樹齢400年を越えるギンモクセイやケヤキなど。また、芭蕉の句碑もあります。

  • 高岸寺は、日蓮宗のお寺。バス道路に面していて、周囲の寺と比べても比較的大きな構えの寺。裏手が市内を見晴らせる地形から、見張り台として有事には城に通報する役目を果たしていたということです。<br /><br /><br />

    高岸寺は、日蓮宗のお寺。バス道路に面していて、周囲の寺と比べても比較的大きな構えの寺。裏手が市内を見晴らせる地形から、見張り台として有事には城に通報する役目を果たしていたということです。


  • 妙典寺は、寺町五丁目の交差点にある日蓮宗のお寺です。仏蔵院日敬が越中高岡で創建。その後、三代藩主前田利常に請うて、金沢に移ったということです。<br />なお、春に塀を越えて咲くシダレ桜が美しいようです。<br /><br /><br />

    妙典寺は、寺町五丁目の交差点にある日蓮宗のお寺です。仏蔵院日敬が越中高岡で創建。その後、三代藩主前田利常に請うて、金沢に移ったということです。
    なお、春に塀を越えて咲くシダレ桜が美しいようです。


  • 本妙寺は、法華宗の寺。江戸時代の初期、越中高岡本陽寺の弟子、円重院日覚が創建しました。開基は二代利長に仕えた中将という女中ですが、これは日覚の姉。<br />また、境内には、三大お家騒動と呼ばれる加賀騒動の際のお貞(真如院)と関係があった半田家の墓もあります。<br />

    本妙寺は、法華宗の寺。江戸時代の初期、越中高岡本陽寺の弟子、円重院日覚が創建しました。開基は二代利長に仕えた中将という女中ですが、これは日覚の姉。
    また、境内には、三大お家騒動と呼ばれる加賀騒動の際のお貞(真如院)と関係があった半田家の墓もあります。

  • こちらの諏訪神社は、室町初期に創建の「八幡宮」が起源。三代利常の時代、野村宗順と太平右京が上申し、鷹狩の祈祷のため信州、諏訪明神を勧請、合祀したものです。<br /><br />

    こちらの諏訪神社は、室町初期に創建の「八幡宮」が起源。三代利常の時代、野村宗順と太平右京が上申し、鷹狩の祈祷のため信州、諏訪明神を勧請、合祀したものです。

  • 伝統神事「三光(さんこ)さん」が知られていて、これは卯辰山から昇る月を拝み、無病息災を願う神事です。<br />

    伝統神事「三光(さんこ)さん」が知られていて、これは卯辰山から昇る月を拝み、無病息災を願う神事です。

  • 八坂神社は、寺町通りの蛤坂交差点に入口があります。名前の通り、京都の八坂神社から勧請したという神社です。古そうな鳥居は、戸室石の鳥居というのですが、まあそうかなあという程度でしょう。藩政時代は京都祇園祭りに合わして祇園会が行われ、賑わったということです。<br /><br />

    八坂神社は、寺町通りの蛤坂交差点に入口があります。名前の通り、京都の八坂神社から勧請したという神社です。古そうな鳥居は、戸室石の鳥居というのですが、まあそうかなあという程度でしょう。藩政時代は京都祇園祭りに合わして祇園会が行われ、賑わったということです。

  • 妙慶寺は、浄土宗の寺。天狗さんの寺と言って、何度かの大火からも無事に逃れたそうです。<br />基は、越中の寺。前田利家の家臣、松平康定は、佐々成正と戦った際、極楽寺を本陣としましたが、この寺が松平康定に従い金沢に移って妙慶寺と改められました。<br />元バレーボール協会長で男子金メダル監督の松平康隆の祖先の墓があります。<br />

    妙慶寺は、浄土宗の寺。天狗さんの寺と言って、何度かの大火からも無事に逃れたそうです。
    基は、越中の寺。前田利家の家臣、松平康定は、佐々成正と戦った際、極楽寺を本陣としましたが、この寺が松平康定に従い金沢に移って妙慶寺と改められました。
    元バレーボール協会長で男子金メダル監督の松平康隆の祖先の墓があります。

  • 犀星のみちは、犀川の右岸。犀川大橋から川沿いを遡って桜橋までの道です。文豪、室生犀星はこの道を好んで歩いていたそうで、「抒情小曲集」では、「美しき川は流れたり、その畔りに我は住みぬ」と記し、生涯に渡って犀川をこよなく愛した気持ちがよく表れていると思います。<br /><br /><br />

    犀星のみちは、犀川の右岸。犀川大橋から川沿いを遡って桜橋までの道です。文豪、室生犀星はこの道を好んで歩いていたそうで、「抒情小曲集」では、「美しき川は流れたり、その畔りに我は住みぬ」と記し、生涯に渡って犀川をこよなく愛した気持ちがよく表れていると思います。


  • 谷屋生菓子店は、犀川大橋南詰めの大通り沿いにある小さな和菓子屋さん。白い暖簾の掛かったお店です。店内は、種類は少ないですが、丁寧に作ったことを窺わせる生菓子が並んで、うーん。職人さんが作ってますという雰囲気がムンムンしています。<br />

    谷屋生菓子店は、犀川大橋南詰めの大通り沿いにある小さな和菓子屋さん。白い暖簾の掛かったお店です。店内は、種類は少ないですが、丁寧に作ったことを窺わせる生菓子が並んで、うーん。職人さんが作ってますという雰囲気がムンムンしています。

  • いただいたのは、ふくさ。緑の皮に、餡子がパンパンに入っていました。店内に少しスペースがあって、そちらでお茶もサービスしてもらいました。餡子が、水分を少し多く含んだような柔らか系で、これはしっとりとした味わい。和菓子談義などにも付き合っていただき、気さくなご主人でした。 <br />

    イチオシ

    いただいたのは、ふくさ。緑の皮に、餡子がパンパンに入っていました。店内に少しスペースがあって、そちらでお茶もサービスしてもらいました。餡子が、水分を少し多く含んだような柔らか系で、これはしっとりとした味わい。和菓子談義などにも付き合っていただき、気さくなご主人でした。

  • 神明宮は、春と秋に行われる「あぶりもち神事」が有名。<br />江戸時代から金沢市内にある五つの神社、宇多須神社、小坂神社、神明宮、椿原天満宮、安江八幡宮は、金沢五社と言って、「五社参り」が盛んに行われたのだそうです。<br /><br /><br /><br />

    神明宮は、春と秋に行われる「あぶりもち神事」が有名。
    江戸時代から金沢市内にある五つの神社、宇多須神社、小坂神社、神明宮、椿原天満宮、安江八幡宮は、金沢五社と言って、「五社参り」が盛んに行われたのだそうです。



  • ところで、寺町で幼少期に一年半ほど暮らした中原中也ですが、その詩「サーカス」は、この神社の境内で見たサーカスのことを書たものです。<br />

    ところで、寺町で幼少期に一年半ほど暮らした中原中也ですが、その詩「サーカス」は、この神社の境内で見たサーカスのことを書たものです。

  • 成学寺は、浄土宗の寺。本堂は、創建当時のままの切妻・平入・桟瓦葺・向拝付き。江戸初期の書院造り風の建築様式が見られる建物です。<br />境内には、芭蕉の句碑。「あかあかと日はつれなくも秋の風」の句が刻まれています。この句は、おくのほそ道の旅で、加賀の北枝亭で披露したものとされています。<br /><br />

    成学寺は、浄土宗の寺。本堂は、創建当時のままの切妻・平入・桟瓦葺・向拝付き。江戸初期の書院造り風の建築様式が見られる建物です。
    境内には、芭蕉の句碑。「あかあかと日はつれなくも秋の風」の句が刻まれています。この句は、おくのほそ道の旅で、加賀の北枝亭で披露したものとされています。

  • 真宗王国の北陸にあって、金沢でも真宗の寺は多いのですが、常徳寺も浄土真宗大谷派。本願寺5世、綽如の実子、鸞芸法師が能美郡西山に一宇を創建し、浄徳寺と号したのが始まりです。梵鐘は初代宮崎寒雉の作です。宮崎寒雉は、京都に上り、大西浄清のもとで釜作を学び、その後、加賀藩主前田利常に召され御用釜師となった人物です。<br /><br /><br />

    真宗王国の北陸にあって、金沢でも真宗の寺は多いのですが、常徳寺も浄土真宗大谷派。本願寺5世、綽如の実子、鸞芸法師が能美郡西山に一宇を創建し、浄徳寺と号したのが始まりです。梵鐘は初代宮崎寒雉の作です。宮崎寒雉は、京都に上り、大西浄清のもとで釜作を学び、その後、加賀藩主前田利常に召され御用釜師となった人物です。


  • 片町で漆器の店がないかなあと以前から探していたのですが、今回見つけたのは、石田漆器店。明治2年創業の老舗です。外観はそうでもなかったんですが、店内の商品はやはり層が厚い感じ。輪島塗のお箸は1万円くらいする高級品もそれなりに置いてあって、これは京都のお店ではないことです。輪島塗にまず目を慣れさせるにはこういう店じゃないといけないと思いました。<br /><br />

    片町で漆器の店がないかなあと以前から探していたのですが、今回見つけたのは、石田漆器店。明治2年創業の老舗です。外観はそうでもなかったんですが、店内の商品はやはり層が厚い感じ。輪島塗のお箸は1万円くらいする高級品もそれなりに置いてあって、これは京都のお店ではないことです。輪島塗にまず目を慣れさせるにはこういう店じゃないといけないと思いました。

  • パンブラザーズアベは、香林坊から長町の方に少し入ったところ。小さなパン屋さんですが、バナナドーナッツの看板が目に入って寄ってみました。<br />

    パンブラザーズアベは、香林坊から長町の方に少し入ったところ。小さなパン屋さんですが、バナナドーナッツの看板が目に入って寄ってみました。

  • バナナの香りがプーンとして、いい感じ。おやつにはちょうどよくて、街歩きの元気をもらいました。<br />さて、金沢はこれでおしまい。これから和倉温泉に移動して、明日の能登観光に備えます。

    イチオシ

    バナナの香りがプーンとして、いい感じ。おやつにはちょうどよくて、街歩きの元気をもらいました。
    さて、金沢はこれでおしまい。これから和倉温泉に移動して、明日の能登観光に備えます。

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