2013/12/04 - 2013/12/05
208位(同エリア934件中)
おしどりさん
12月4日なばなの里へ行く途中三重県桑名市の六華苑(旧諸戸清六邸)へ行きました。六華苑は山林王と呼ばれた桑名の実業家、二代目諸戸清六の邸宅として大正2年に竣工しました。特にその洋館部分は”鹿鳴館”などを設計し日本近代建築の父と呼ばれた”ジョサイア・コンドルが手がけ、地方に唯一残る作品として注目されています。18000?の広大な敷地に洋館、和館、蔵などの建造物群と池泉回遊式日本庭園で構成されたこの邸宅は創建時の姿をほぼそのままにとどめている貴重な遺構です。
桑名市は平成3年に土地を取得し、建物は諸戸家からの寄贈を受け整備工事の後平成5年に六華苑という名称で一般公開しました。その建造物のうち洋館および和館は平成9年に国の重要文化財に指定され、他に6棟が三重県有形文化財、離れ屋は桑名市の有形文化財に指定され大切に保存されています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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駐車場から見える大銀杏の樹、太陽にキラキラ輝いています。
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六華苑の案内図。
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洋館です。全体的にはシンプルなデザインですが、圧倒的な存在感を持つ4階の搭屋が印象的です。また当時では珍しい搭屋の曲面ガラスのほかベランダとサンルームのデザインなど素晴らしい設計です。
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凄いですね、圧倒されます。
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左側が和館です。
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広々とした庭と左手の先には池が有ります。
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内玄関棟の手前の手入れの行き届いた五葉の松。
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綺麗な紅葉です。
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番蔵棟から見ました。
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旧高須御殿。高須藩(現在の岐阜県海津市)の御殿の一部を移築した建物。
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高須御殿内部、支藩だったので御殿とは程遠い質素な感じです。これなら商家にも立派な屋敷が沢山あります。
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床の間ですね。
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一旦内玄関に戻り洋館へ行きます。
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客室です。左側にはストーブがあります。窓は大きく光が一杯で明るく快適な客間です。
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センターテーブル(1910年)サイドテーブル(1930年)、応接3点セットは1880年です。
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食堂。素敵なダイニングテーブル、ダイニングチェアーですね。やはり暖房はしっかりしています。
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階段を上がって2階へ。
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女中室。当時のトランク、スーツケース。
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書斎
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2階のベランダ廊下。陽が一杯入ります。ロッキングチェアーがあります。冬でもぽかぽかお昼寝が出来そうです。
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居間。各部屋に暖房設備が整っています。
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英国人の建築家 ジョサイア コンドルの説明です。
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こちらは諸戸清六氏(初代)の説明です。
初代清六氏は父親の借金の返済から初めて一代で財を成した桑名の大実業家です。明治時代に活躍し、田畑・山林を精力的に購入し日本一の大地主になったそうです。
揖斐川河口の低湿地に発達した桑名の町は水に恵まれず、飲料水の不良による衛生面の不安を抱えていました。初代清六は桑名の人々の念願だった上水道の建設を独力で行い、水を無償で提供しました。 -
苑内の植物、樹木の分布図です。200種類以上あります。
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電気のスイッチ。
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ドアの蝶番です。右の蝶番は側面からビス止めされています。
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広い床の間です。旧高須御殿とはけた違いに立派です。
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襖引手のも家紋があしらってあります。
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欄間にも家紋があります。
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この床の間には”阿伽陀”の掛け軸が掛かっていました。あらゆる病気を治す薬で不死の意味と思います。
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釘隠しも家紋です。
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和館の板廊下。
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レストハウス前の花壇では手入れの行き届いたバラの花が見事に咲いていました。
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芝生広場から見た洋館。
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芝生広場から見た和館。
諸戸家お抱え大工であった伊藤末次郎が棟梁を務めた和館は木造平屋造り(一部2階建て)で、洋館の竣工に先立つ大正元年1912年)に上棟された。当時、洋館と和館を併設する場合、別棟とすることが多かったが、諸戸邸では洋館より広い和館が壁を接して直に接続されており、普段の生活は和館が中心だったそうです。 -
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池です。
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池越しの洋館。
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