2007/08/17 - 2007/08/19
2526位(同エリア4761件中)
kenichi291さん
- kenichi291さんTOP
- 旅行記105冊
- クチコミ28件
- Q&A回答2件
- 137,061アクセス
- フォロワー0人
この旅はバスツアーですが、ホテルの朝食と観光地までのバスが用意されているだけのツアーとなっています。観光地の見学は全て自由散策、自分達のプランで巡るというもの。昼食、夕食ももちろんです。自分達の好みで組立てられる旅なので参加してみました。金沢兼六園をじっくり鑑賞。楽しい旅となりました。写真は「唐崎の松」。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
-
2007年8月17日、新宿を朝8時25分に出発。関越自動車道〜長野自動車道を通り小布施に向かいます。妙義山を正面に見ながら進むバス。お盆休みの最中ですが、渋滞も無く快適な道中となりました。バス旅行はこの渋滞が無いのが一番。渋滞の中をのろのろ進むのは興ざめですから。
-
-
小布施。最初の訪問地、栗の産地小布施で一休み。栗ソフトアイスなど戴く。栗がいっぱい入ってました。
-
葛飾北斎の肉筆画を収蔵する北斎館を見学。北斎の肉筆で飾られた祭り屋台を見る。7台ある屋台のうち2台がここに展示されています。なかなかのものでした。
-
バスはひたすら高速道を走り金沢に18時到着。ホテルに案内されて自由時間となります。添乗員さんから、観光マップをもらって街に。本日の夕食を戴くことに。ホテルの場所が香林坊、金沢一の繁華街のようで金曜日の夕方でもあり、大変な賑わい。居酒屋割烹の「ぶん家」に入る。
-
加賀太きゅうり。普通のきゅうりが添えてあるのがにくいところ。
-
加賀料理の名物、鴨の治部煮 「ひとつの料理が専門の椀を持つというのもちょっと珍しいのではなかろうか。この「じぶ煮」は吸い物椀より浅い「じぶ煮」なる専用椀があり、それだけ加賀料理として工夫されてきた証拠である。旬の根菜や、茸など小麦粉を付けた肉を煮込んだ汁で食べる。和風料理としては一風変わった料理法である。薬味にはわさびが添えられる。昔ながらの鴨肉を用いたのは絶品。」以上この料理の能書きです。
-
ごりは半分食べちゃった後の写真でごめんなさい。「金沢の秋から冬にかけての味覚として知られるゴリは、淡水に棲む雑魚の総称で、「カジカ」を指している。ゴリは、唐揚げ・照焼き・甘露煮・さしみ・あらい・柳川・骨酒・吸物などに料理されるが、浅野川の常盤橋たもと「ごり屋」が元祖といわれ、鏡花・秋声・犀星の作品にも描かれている。」これがごりの能書きです。
-
本日一番の楽しみ、のど黒の塩焼き。
-
-
いしる焼き。「いしる」は、イワシやイカの内臓を塩漬けにし一夏寝かせて自然発酵させ、その汁を煮詰め、こしてできたもので、日本には珍しい動物性蛋白質の熟成によるものであり、三大魚醤の一つと書いてありましたがやはりちょっと甘い。三大魚醤って何、秋田のしょっつるもその一つかななんて考えたりしておりました。金時草、「藩政時代に金沢へ伝えられ、葉の色が金時サツマイモの色に似ていることから名付けられたともいわれています。おひたしや酢の物が親しみのある料理ですが、近年、その色をいかした加工品も開発されています。抗酸化性物質が多く含まれていることから、がんや糖尿病、脳卒中など生活習慣病を予防する効果があります。」以上金時草の能書き。なかなか美味しい。ほかに、刺し盛りなどを戴く。加賀料理はやや甘口のようです。五百数十キロを一気に走り抜けて来ましたので今日はホテルでお休みなさい。
-
8月18日。明け方ホテルの裏の通りにパトカーが5〜6台駆けつけてきました。付近のお店でなにかトラブル発生の様子。トラブルの元の男性が連行されたようで、朝まで騒がしい。この片町、香林坊一帯は歌舞伎町と原宿・渋谷が隣り合わせになった街のようで、ちょっと物騒な面もあります。
-
ホテルのすぐ先を流れる犀川まで、朝の散歩に出かける。左の写真の橋が犀川大橋、右の写真の両岸の道が犀星のみちです。左の写真のベンチの横の石は芭蕉翁の句碑。
-
何の説明文も無く、ひっそりと建っています。奥の細道で詠まれた「あかあかと 日は難面も 秋の風」の句が刻まれています。
-
右の写真の両岸の道が犀星のみち。
-
倶利伽羅峠を越えて、金沢入りした芭蕉翁は京屋吉兵衛方に泊まり、翌日に宮竹屋喜左衛門方に宿を移し逗留したと言います。この宮竹屋があったのが片町スクランブル交差点あたりで、「芭蕉の辻」と刻まれた標柱があります。スクランブル交差点そばの植え込みの中にあり目立たないので沢山の人が通る所ではありますがほとんどの人はそれに気が付かずに通り過ぎていると思われます。写真右の植込みの左に建っています。
-
奥の細道には小杉一笑の追善の事が書かれています。一笑は金沢における芭風の先駆をなした俳人で、芭蕉翁はこの才能に注目しておりこの旅で会うのを楽しみにしていました。しかし芭蕉翁は金沢に到着したその日に前年に一笑が亡くなったことを知るのです。野町の「願念寺」で追悼会が催され芭蕉翁は「塚も動け 我が泣く声は 秋の風」とその悲しみを詠んだとされます。野町の「願念寺」にはその句碑があるそうですが、今回は訪れる事が出来ませんでした。
-
さらに香林坊の交差点あたりを散歩。北国街道の要衝で番所があった所。橋番人が橋を往来する人々を厳しく監視していたそうです。
-
-
香林坊橋の石柱。
-
香林坊の柳。吉田健一植樹と書かれた石柱が脇にありました。吉田茂の長男である吉田健一氏も金沢を愛した一人 であったそうで「金沢」という作品を残していますから、いわれは書いてありませんがそうかなと納得。
-
「百万石通り」香林坊から金沢城に向かう大通り。
-
百万石通りより犀川寄りの並行する道。原宿あたりに相当する所のようです。早朝にもかかわらず、若者で一杯。夜中中遊んでいるようです。大通りには客待ちのタクシーが並び、怪しい客引きもまだ見受けられます。
-
香林坊の交差点を入ると、用水が流れ、左手に割烹が立ち並んでいます。この左手が長町武家屋敷街です。早朝は観光客も少なく、散策にもってこいですが、後で紹介したいと思います。
-
テルで朝食後、兼六園に向かいます。香林坊交差点から「百万石通り」に入り、旧四高校舎の前を進み、
-
-
-
県庁の前の2本のしいの木の大木(国指定天然記念物)を眺め
「石川県庁本館正面玄関の左右にある2叢のスダジイ。向かって右のシイは、根元周囲7.4メートル、高さ12メートル、左のシイは根元12メートル、高さ13メートル。昭和27年(1952年)頃、衰弱が著しくなったため、クロカミキリ、シロスジカミキリなどの潜孔虫の防除をはかり、種苗を本株の周辺に補植し、施肥をし、樹形を整えている。現庁舎のあたりは、前田利家が文禄4年(1592年)に、京都の三十三間堂を模した堂形の的場を作らせたことから藩の米蔵(堂形米蔵)が置かれた。その後たびたびの金沢の出火で類焼の難にあったため、堂形前は火除地として広場とされ、万治3年(1660年)に馬場となり、天明元年(1781年)には、老樹が妨害になるというので多く伐り払われたという。日置謙氏の『加能郷土辞彙』は、このシイは、その折に伐採を免れたものであろうとするが、もとより推定にすぎない。」以上説明書き。 -
広坂緑地を過ぎると
-
兼六園真弓坂口に
兼六園 国指定特別名勝
「兼六園は、江戸時代の代表的な回遊林泉式庭園であって、水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに、日本の3名園と称されている。延宝4年(1676年)、加賀藩5代藩主前田綱紀が、蓮池亭を造り、その庭を蓮池庭と呼んだのが、本園の始まりで文政年間から嘉永年間(1818〜1853)にかけてほぼ完成した。兼六園は、「洛陽名園記」にいう宏大・幽すい・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼ねるという意から、松平定信によって名づけられた。園内の中ほどにある霞ヶ池を中心に回遊し、鑑賞・散策ができ、その間に築山・曲水・溪流・噴水・橋・滝・池泉・茶亭・燈籠・石塔などが配されて、変化に富んだ景観を構成している。広々としていて、しかも人里はなれた静かな環境を形成し、人工的ななかにも樹林鬱蒼と茂り深山幽谷を思わせる。眺望絶佳の高台にありながら、豊富な清流が曲水となり、池水をたたえ、飛瀑となる。本園は互いに兼ねることが困難な六勝の美を兼備した庭園である。」以上兼六園の説明書きより。寺の方丈や御殿の書院から見て楽しむ座観式の庭園ではなく、土地の広さを最大に活かして、庭のなかに大きな池を穿ち、築山を築き、御亭(おちん)や茶屋を点在させ、それらに立ち寄りながら全体を遊覧できる回遊式庭園です。作庭における基本的な思想は一貫して神仙思想。大きな池を穿って大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配してあります。藩主たちは、長寿と永劫の繁栄を庭園に投影したのです。最初の作庭者、五代藩主綱紀(つなのり)は、瓢池に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)の三神仙島を築きました。また、十三代藩主・斉泰
(なりやす)も、霞ヶ池に蓬莱島を浮かばせています。 -
瓢池 瓢箪型の池。
-
-
海石塔。
-
翠滝。
-
-
-
-
竹根石手水鉢。椰子類の根と茎の化石を利用したもの。
-
伯牙断琴の手水鉢(はくがだんきんのちょうずばち)。
-
夕顔亭 瓢池の畔の茶室。安永3年(1774年)に建てられた兼六園内で最も古い建物。県指定重要文化財。
-
-
-
舟之御亭。
-
この辺りは細い水路がめぐらされています。
-
梅林。
-
辰巳用水
寛永9年(1632年)に、三代藩主利常(としつね)が、金沢城の防火用水を確保するためなどに設置した用水だそうで、後に兼六園の曲水として用いられる。用水の取り入れは、金沢の南を流れる犀川の11キロ先の上流との事。
辰巳用水と花見橋。 -
花見橋。
-
-
苔の緑が見事。
-
山崎山 小立野口付近にある築山。この山崎山はカエデ、トチノキなど落葉広葉樹林が多く植えられており、秋になると赤や黄に美しく色づくので「紅葉山」とも呼ばれているそうです。山腹には白川御影石でつくられた五重の塔(御室の塔)があり、京都仁和寺の五重塔を模したものです。
-
-
芭蕉翁の句碑。山崎山の麓にあります。
-
-
根上松。
-
-
-
七福神山。
-
-
雁行橋。
-
-
眺望台。
-
-
霞ヶ池、唐崎松。
-
-
-
-
-
-
蓬莱島。
-
-
徽軫灯籠(ことじとうろう) 霞ヶ池の北岸に配された兼六園を代表する景観。徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているので、その名が付いたと言われています。この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したものと言います。
-
旭桜。
-
内橋亭(うちはしてい)。
-
噴水
この噴水は霞ヶ池を水源とし、池の水面との高低差による自然の水圧であがっています。水の高さは約 3.5 mあり、霞ヶ池の水位の変化によって変わります。藩政末期、金沢城内の二ノ丸に水を引くため試作されたものと伝えられているそうです。日本で最古の噴水と言われています。 -
金沢城 兼六園から見る金沢城石川門(重要文化財)。
-
-
石川門。
-
-
五十間長屋
菱櫓に続く「五十間長屋」は、一般的には「多聞櫓」と呼ばれるもので、武器や什器等の倉庫です。 2階へ上がると、太い松の梁等、木組をそのまま見ることができます。2箇所の石落があります。近年再建された建物。 -
鶴丸広場を塀の丸窓から望む。外人の女性がこのアングルで写真を撮っていたのに興味を引かれまねして撮ってみました。塀は新しいものなのですが、この楽しみ方は京都あたりでも見られますね。長い塀に一箇所だけ丸窓を設けた設計がおしゃれで設計者のセンスが窺えます。
-
三十間長屋(重要文化財)
本丸付近にある 2層 2階 の多聞櫓で、石川門と同様に重要文化財に指定されています。安政5年(1858年)の築で、現在の長さは 26 間半あるそうです。南面は入母屋造り、北面は土台の石組よりも外壁がさがっており、切妻造りになっています。 -
-
-
-
-
-
-
-
切手門と旧第六旅団司令部。
-
-
菱櫓
手前二の丸広場から菱櫓を見る。二の丸でもっとも高い建物。金沢城は天守閣のないお城だったので城のシンボルとなる建物。こちら側は裏側にあたります。 -
内掘。
-
新丸広場。
-
大手掘(外堀)。
-
金沢城を出て尾崎神社に向かいます。
尾崎神社
加賀四代藩主前田光高が、寛永20年(1643年) 金沢城北の丸に建造。明治9年に現在地に移った。本殿、拝殿、幣殿、中門などの建造物はすべて朱を基調とする漆塗りで、各種の彫刻、刳形、飾金具で装飾が施され、その豪華絢爛たる建築美は、日光東照宮の縮図といわれています。重要文化財。天照大神、東照大権現(徳川家康)、三代藩主利常を祀る神社で前田家のお家安泰を図るごますり的なものかも? -
-
-
-
-
-
-
-
このすかし塀も重要文化財。
-
尾山神社
明治 6 年に、歴代の加賀藩主が住んでいた旧金谷御殿跡地に創建された比較的新しい建物。御祭神は初代加賀藩主の前田利家公とお松の方。ギヤマンをあしらった神門が有名。この門は差し詰め裏門。 -
尾山神社庭園 旧金谷御殿庭園
県指定名勝。以下説明書き。
「尾山神社が建てられた明治6年(1873)以前は、加賀藩主の別邸金谷御殿のあったところで、現在の庭園は、江戸末期から神社の創立までの間に作庭されたと思われる。辰巳用水を分流して当庭に水を引き入れた池泉回遊式の庭園であるが、藩邸としての書院庭園の形式をそのまま伝えている。池泉を中心に、中島とそれを結ぶ種々の形の趣向を凝らした橋が架けられ、背後に小高い築山があり、池畔に迫っている。東南部の上流部には、滝口を設け、数段の流れを造り、池泉に導かれている。この庭の各部には、楽器にちなんだ命名が多く、神社にかかわりの深い雅楽を象徴的に表現している。池泉の島は、中央の手前に笙島、その背後に鳥兜島、琵琶島と三島を配し、島々を巡る形で、図月橋・琴橋・八ツ橋などが架けられている。左手奥には、滝石組があって、その名称を「響音瀑」と称し、美しい水流が音をたてて池泉へ流入している。対岸の大木の茂る築山が庭園の背景となっており、市街地中央部にかかわらず幽邃の境地を形づくっている。」 -
-
-
池につがいの蝶が舞っていました。
-
-
-
さし石(力石) 触ると健康になるそうです。
-
本殿。
-
お松の方の碑。利家公の像が隣にあります。
-
菊桜。
-
-
導水管
辰巳用水の水を兼六園からここまで引くのに使用された庄川上流金屋石の導水管。 -
-
神門
ステンドグラス(5色のギヤマンを嵌めたもの)の使われた変った門。重要文化財。
「設計及び造営工長に津田吉之助があたった。和漢洋の三様式の折衷様式とも見える異様な形で、竜宮城を思わせるといわれ、石積みのアーチなどは、当時大いに新風を誇ったものであったろうが、一方では文明開化の西洋かぶれともいわれた。しかし発起人長谷川準也の趣意書によれば、ことさらに珍奇をめざしたものではなく、強いて伝統を踏襲せず、堅固をめざしたものであるという。初層の3連アーチの骨組は、完全な木造で、日本建築の技法でできている。3層目は、4方に5色のギヤマンを嵌め、ここに灯をともして金石近海を通る船に灯台の役目をしたという。避雷針の先までの高さは約25メートルある。」以上この建物の解説より。 -
こちらが正面。
-
神門を出て武家屋敷跡に向かいます。
-
長町武家屋敷跡
加賀藩士、中級武士達の屋敷跡。木羽板葺きの屋根のついた黄土色の土塀や武士窓のある長屋門が当時の面影をしのばせる定番の見所。
足軽屋敷 清水家。 -
縁側。
-
厠。
-
納戸。
-
座敷。床の間と仏壇。
-
茶の間。
-
竹を半割にした雨樋。
-
高西家
手前、玄関の間、中、座敷、奥、土縁。 -
高西家 流し。
-
高西家 玄関。
-
-
厩
高田家長屋門 中級武士の屋敷跡。長屋門だけが保存されている。県指定重要文化財。 -
門部分。
-
仲間の部屋。
-
厩内部。
-
庭。
-
-
-
庭の見本園。
-
-
土塀。
-
-
-
金沢市老舗記念館
藩政時代からの薬種商「中屋薬舗」の建物を移築したもの。1階はみせの間、おえの間などを復元し、2階は金沢の金澤老舗百年會の協力で老舗に伝わる生活諸道具が展示されています。
あまりに暑いので休憩所で一休み。公営の施設のようで、地域のボランティアの皆さんが説明をしたり観光スポットを紹介したりしてくれます。ボランティアの方にどこからと聞かれましたので江戸からと答えたのですが、その言い方が気に入ったとかで、延々と金沢について説明していただき、有り難いけど、涼めないよー。このお方は、金沢に来る人達が「小京都」と観ているのが気に入らないらしく、この前来た大学の先生までそんな事をおっしゃるといきまいておりました。要するに金沢は武家文化、加賀百二十うん万石の城下町でそれも言うなら「小江戸」の方がより近いと言う事のようです。加賀百万石ではなく、端数の石高までおっしゃるのがすごい。
何て言ってるうちに、ちょうど昼時になりました。
金沢はおでん屋さんの多い街でもありますので、創業昭和2年の老舗「赤玉本店」で昼食を摂る。お盆の真っ最中で昼の定食はお休み。一品のおでんをつまみ、名物の牛筋の煮込みを食べる。一杯飲みたい気分ながら茶飯で我慢。
しばらくホテルで休憩。 -
午後二時半に輪島の朝市見学組と合流してツアーの目玉の一つ東尋坊に出発。
東尋坊 お馴染みの景観。 -
柵がありませんので、安全確保は自己責任。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
帰りは北潟湖を通り。
-
車窓から日本海に沈む夕陽を眺めながら金沢に戻ります。
-
午後7時過ぎ金沢に到着。
今晩は加賀懐石を戴く事にしました。香林坊の「蛇の目寿司本店」割烹に入りコースを注文。
写真は八寸。 -
-
-
-
-
具を巻いてあるのは太きゅうり。
-
-
-
8月19日 今日も雲一つない良い天気。兼六園にギラギラとした朝日が昇ります。
-
のツアー一番の目玉、世界遺産、白川郷に向かいます。その後飛騨高山を散策と言う超ハードスケジュール。
それでは出発。
北陸自動車道から東海北陸自動車道五箇山を抜けて白川郷に入ります。写真は五箇山と白川郷の中間にある椿原ダム -
やって来ました世界遺産の白川郷。
白川郷
真夏の白川郷です。
旅番組でお馴染み絶景ポイントの展望台から荻町集落を眺める。ここは個人の所有地でシャトルバスが一台しかなく、ピストン輸送しています。混んでいると大変待たされる事になります。今回のようにたいして混んでいない時期でも、バス待ちがかなりありました。地域保存に大変な努力をしている地区だけに、見応えあります。 -
-
-
内部を公開している和田家住宅。
-
-
-
-
-
-
-
真宗大谷派のお寺。お寺も合掌造り。
-
-
-
-
-
-
真夏の雲を背景に。
-
白川郷を後に、飛騨高山に。ダム湖と杉の森続きます。東京の水がめなんですね。
-
-
飛騨高山
ツアー最後の目玉である飛騨高山に到着。弥生橋から宮川を望む。左側の川沿いの通りは宮川朝市で有名。 -
古い街並みを散策。地区保存に努力しているだけに立派な街並みが保存されています。ただ観光客が多すぎて風情が無いな。
-
-
歯医者さん。
-
-
-
-
時間が無いので高山屋台を見ることが出来ませんでした。残念。
-
-
赤かぶ検事こと柊茂が活躍する和久峻三先生のおなじみ「赤かぶ検事シリーズ」で毎回必ず登場する中橋。と言ってもテレビドラマの話ですが、寅さん、釣り馬鹿、2時間ミステリーなどご当地物を観る楽しみは、「ここには行ったもんね」なんて言いながら画面を見る所にもありますよね。京都太秦の製作物には必ず京都の町やお寺が登場します。殺人事件は大抵保津川の河畔で起きたりします。そういえば、保津川下りの船頭さんも「ここが殺人現場、定番のロケ地」なんて説明してました。黄門様の船下りには保津川下りの船頭さんもよく出演しているなんて話もしてました。里見黄門はロケの後必ずご馳走してくれるなんて話もしてたっけ。黄門様はやっぱりいい人なんですね。話は横道にそれましたが、赤かぶ検事が毎回歩く橋がこの赤い欄干の中橋です。
-
高山陣屋 史跡です。
-
-
-
-
平湯で休憩を取り、野麦街道を抜け、安曇野を通り、松本に向かい帰途につきます。
-
-
長野自動車道に入り、夕闇迫る信州の山並みを見ながら一路東京に。
渋滞 26 キロ の中央自動車道を途中大月インターで降り、上野原インターでまた入り、うまく渋滞を避けて新宿に。午後8時過ぎに到着。今日も五百数十キロの長い道中。ドライバーさんご苦労様でした。急ぎ旅のバスツアーも好天に恵まれ、渋滞が無ければ大変満足。さらに目指す観光地が観光シーズンの絶好機であれば言う事無し。三拍子揃うのは無理でしょうね。そんなツアーを捜して行きましょう。ただ今回は無茶苦茶暑かった。とほほ・・・・・
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
206