2013/09/17 - 2013/09/24
2位(同エリア812件中)
わきさん
9月17日成田発トロント経由でハバナ入り
パルケセントラルホテルに滞在して、
ハバナ旧市街新市街の街歩きをメインに、
ハバナ全体の紹介など。
1,準備編からです。
ハバナ滞在を思い立ったのは、昨年9月リスボン滞在中でした。カミさんの意向が
強く、アルファマ地区で、財布ごと寄付?したにもかかわらず、来年の話が持ち上がり
コルメシオ広場のカフェテリアで決断。当方は、ふんふんと聞いていただけだったのに、
こちらもその気になったのは、今年4月BS日テレで放送した渡辺杏の案内で綴る「キューバ」
番組が決め手となりました。
①まず、滞在型で、ハバナ1都市だけとする。
②ホテルは、絶対にパルケセントラルにすること。朝食付きとする。(屋上プールから旧市街がパノラマで一望できて、泳ぐことができるー実際3日連続で泳いだ)
③入国ルートは、成田⇒トロント⇒ハバナ入とする。(成田18時から合計16時間飛ぶが
到着は日付変更線のマジックで、ハバナ着はその4時間後の同日に着く)
④その際トロントピアソン空港の乗り継ぎルートを予め正確に入手し、ターミナル1の
詳細図を手に入れておく(エアカナダサイトにあった)ー乗り継ぎ時間が1時間しかないため。
⑤ハバナ・ホセマルティ空港の詳細図も出来れば手に入れておくべく、色々とあたってみたが、社会主義国で未知な領域の国であるため、これは断念せざるを得なかった。
⑥全行程自由行動とするが、ホセマルティ空港⇒ホテル間の迎えと、
23日早朝復路パルケセントラル⇒ホセマルティ空港間の送りを現地人で、しかも日本語に堪能な人物に依頼すること。余計なことを考えずに済むので、これを検討、そして実行。
⑦キューバ2重通貨制度
外国人用兌換ペソ1CUC=日本円大体100円(1クックと呼ぶ、現地人はこれをチャビート
と呼ぶ。
現地の人民ペソ(ペソ・クバーノ)1CUP=日本円大体4円。現地の月給約1500円前後。
外貨獲得政策で、予め外国人は25倍の料金をとられることを、頭に叩き込んだ。
(所謂中国の1980年代~1995年1月まで続いた外国人兌換券制度と同様である。
因みに80年代娘が赤ん坊の頃北京動物園を訪れたが、入園料は外国人は、現地人より
5倍くらいの格差があったこと思い出した)
⑧日本円⇒CUCクックへの直接両替は可能かどうか、調査するに、情報はまちまちだったが、
空港内の両替所と、旧市街のCADECAと呼ばれる両替所は大丈夫の確信を得たため、
日本円を持参した。クレジットカードは勿論持参するが、一部だけしか使えない情報だった。
⑨交通機関のバス・タクシー料金の概略を頭に入れて行った。
⑩治安は比較的良好である旨の情報を、実際に体験した人間に聞いたりしたが、
行ってみぬ限りは肌で感じられない。
以上のことを概略決めて、実行に移す内に9月中旬となった。
上記⑤を除いて、すべてクリヤ。当日となった。
旅立ち
成田発17時50分 少し早めに行って、チェックイン、PM2時40分。エアカナダ。
それから、JCBラウンジで、スーパードライ飲みながらくつろぐ。搭乗券見ると、44番ゲート。
1時間くらいゆっくりするもまだ少し時間あるので、今度は4Fにて、更に同じビール。
17時過ぎたので、44番行くとどうやら飛ぶのが遅延するようだ。
17:50が、18:15となっていた。これで、ピアソン空港で、うまくCONNECTION
Flightできるだろうか?若干不安がよぎる。
18:25やっと離陸。さよなら日本、しばしの別れ。
ほぼ満席、トロント経由で世界中に行くのだろう。3列-3列-3列の機。予め予約したとおりaisle seatから横並びで、2席、もう1席はカミさんである。21D 21E
離陸後40分ほどで、飲み物。赤ワインで喉を潤す。その後30分で1回めのめし。
チキンを頼み、また赤ワイン・そしてトマトジュース。
その後6時間ほどして、日本製のカップヌードルが出た。もうお湯は張ってあって、
食べごろ、他にサンドイッチとビスケット。飲み物はまた赤ワイン。
その後東京時間真夜中3時30分に3回めの食事、オムレツかおかゆ、お粥を食べて
また赤ワインとトマトジュース。
トロントピアソン空港着、現地時間17日16時55分(飛び立った日本よりも、
まだ以前の時間で16時を2度体験)
乗り継ぎ50分しかないが、connectionルートを辿り、大きなパネルで、
ハバナ行き搭乗口確認、そして動く歩道(これが走るように速い)で移動。
Egate 入り口で簡単なイミグレション入国管理あり、パスポート税関申告書等書いて出したら10秒でOK。E68までまた走る歩道に乗って行くと、68番ゲート到着。
途中で、日本人団体客26名のクラブツーリズムの人たちに会った。
同じ便だった。
トロント⇒ハバナは、2列-2列の小型機。
ホセマルティ空港17日午後9時45分到着(時差のマジック)
IMMIGRATIONで、連れ合いにちょっとあり、なかなか出て、来なかった。
仕切りで向こうが見えないようになっている。今後改善すべきだ。
PM10時45分めでたくパルケセントラルホテル到着。
(以下本編へ後日続くと思います)
2、ハバナ滞在の序章は、ホセマルティ国際空港のいわれから、記載します。
ホセ・マルティ、対スペイン第2次キューバ独立戦争の英雄として、現在でも彼の記念館が
ハバナ新市街の方にありました。彼の名前がそのまま空港の名前となったようです。
(丁度同じ時期、東洋のフィリピンでも、宗主国スペインからの独立運動があり、
国民的英雄となったのは、こちらはホセはホセでも、ホセ・リサールである。丁度10年ほど
前、岩波ホールで、映画「ホセ・リサール」を見たことを思い出したので、編集方々
付け加えておきます。)
空港を抜けると、迎えのナカタ氏が「ようこそおいでになりました」と迎えてくれました。
その横には、クラブツーリズムの団体客が来ないので、どうすべきか考え中の迎えの人、
「ああ、それなら、一緒の便だからまもなく来るでしょう」というと、その迎えの人間も
安心した様子。
何しろエアカナダは遅れることが殆どなので、(この便も30分近くは遅れて到着した)
行き便には、かなり当方も神経を使ったのです。
迎えのナカタ氏は、1956年生まれ、1927年に高知県からハバナへ入植した
日本人父上夫妻と、1958年に2歳の時に様々な事情から養子縁組して、中田さんの
養子になったとか。
恐ろしいほどの流暢な日本語で、28年間ハバナの三井物産で働き、2005年三井が
ハバナから撤退をしたので、やめざるをえなくなった経歴の持ち主でした。
ナカタ氏曰く「今では、ハバナの日本の企業は、住友商事と双日の2社だけです。
ハバナでは、外資系合弁会社もハバナ政府が出資を51%以上持つことが条件なので、
なかなか外資系は、リスキーなので、進出をするのを考えるようです」ということだった。
現在は、ナカタ氏は、ハバナ翻訳センターで、英訳作業と日訳作業をおこなっているとか。
「この、迎えはわたくしのアルバイトです。」と言われた。
日本には、ビジネスで、5回来日、東京・名古屋大阪に行き、父のふるさと高知県にも
行きましたとのこと。こちらは東京武蔵野市です、と言うと、
「私は、8年前東府中の研修センターで、1ヶ月間東京に滞在しまして、武蔵小金井などで
迷って、帰りは東府中までタクシーでした」とか言われた。
ナカタ氏の父上は、移民として1920年代ハバナ入、最初10年大変なご苦労をされて、1979年に祖国の土を踏むことなくハバナにて87歳にて他界、バティスタ政権・そして革命などをつぶさに見てきた珍しい日本人でもあった。
「父は、カストロに親近感を持っておりました」ナカタ氏の言である。
明後日、最大のエンターテイメントトロピカルショーを日本で予約していたので、
その送迎もお願いできますか?と言うと、「勿論です。ショーは車で25分ほどの
郊外ですから、そのほうがよろしいでしょう」
そうこうする内、ホテルパルケセントラルへ到着した。午後10時45分だった。
以下いよいよ歩きと外市街地へ続く。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- エアカナダ
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-
ホテルパルケセントラル1802室宿泊した部屋から
見た風景 -
-
ホテル屋上階から見た、ハバナ元国会議事堂です。修復工事中です。
皮肉なことに、模範としたのは、米ホワイトハウスだとか。 -
-
ハバナ旧市街ホテルイングランディ横通りの一部
-
とりあえず、オビスポ通り(旧市街最大の繁華な通り)歩きにしようということで、
歩き出す。アルマス広場方面へと、おもっていたが、何を勘違いしたのか、
180度違う全く逆の方向に歩き始めていた。約2か日間睡眠不足のためか、
体内羅針盤が狂っているようだ。途中逆方向に歩いていること気づいたが、
この際、こちらもどうせ来るんだからとそのまま歩く。
犬のおとしものが至るところにあるし、欧米人も一人もいなくて、現地人ばかりで、
時々はしょぼくれた野良犬が通ったり、輪タクがゆっくり走っていたりで、
道路も舗装さえないところまで歩いてきた。(位置を確認ー変な方角へ来て)
90度方向転換すると、何やら向こう側海の様子。
色々と狭い通りなど見ながら歩いたせいか、もう1時間30分ほども経過。
やっと海岸通りに出た。向こうに何やら銅像みたいなもの建っている。
詳細図で、確認するとアントニオ・マッセオ像だった、どうやら第1次キューバ
独立戦争時1868年〜の英雄らしい。 -
これを、海沿いの道に平行に東方向に歩いていくと早午前11時。
そろそろ歩き疲れたなと思っていると、丁度いい具合にカフェ、
呼び込みの若いのがいたが、英語が無理らしく、照れて何も言わない。
その内、人を誘うのが中々うまいオヤジが休んで行ったらと、誘いが
かかる、「まっ、いいか。セルベッサ ドス(ビール、2本)ブカネロね」
と注文。少し休憩した。↓2枚目
ブカネロは、ハバナのビール重厚でなかなかうまい。
30分ほどのんびりすると、尿意がにわかに、
「ドンデ エスタ セルビシオ?(トイレどこ?)」と店のお姉さんに
聞くと、すぐに教えてくれたのには驚いた。(完全に通じた -
店の真ん前にバス停があったので、それに乗ろうということになった。
ちょっとみっともない写真だけど、そのまま載せちゃえということで
このあと、T1ハバナバスツアーに乗り込み。
そこからデジカメ。 -
ハバナメイン通りのパセオ・デ・マルチ通り風景。
ところどころ、往年のクラシックカーが走ったり止まったりしておりました。 -
同上
-
同上
往年の50年代クラシックカー
Belgica通り風景 -
同上往年の50年代クラシックカー
Belgica通り風景 -
同上
-
同上
-
カフェレストラン、ヘミングウェイの毎日行ったという
フロリディータが見えています。
バスの乗客たちもカメラ片手に -
マキシモゴメス像
この少しばかり南東に、
江戸幕府初期に、欧州スペイン等訪問した伊達藩支倉常長像があった。
支倉は、帰国したところ、キリスト教禁止の国策のため、
その後失意のうちに死去した。 -
フエルサ要塞一部
-
-
エントラーダ運河、
そのあとで、旧市街通りに入り
バスを降りて -
ガルシアロルカ劇場を背景に
-
後ろにホセマルティのセントラル公園。
もうホテルの真ん前まできました。右横が写っていませんが、
パルケセントラルになります。 -
後ろにホセマルティのセントラル公園。
もうホテルの真ん前まできました。右横が写っていませんが、
パルケセントラルになります。 -
オビスポ通りの入口には、フロリディータがあったので、中を入って見ると、
あふれんばかりのお客さん。混んでいるので、後ほどと、歩き始めました。
途中にあったCADECA両替所で、20CUC(外国人用クック)を、人民ペソ・ペソクバーノに
両替、ここのCADECAは、固定制ですから、どの通貨も相場が決まっていて、極めて楽
(他のアジア諸国・欧州諸国では、まず、万札を窓口の外側で見せて、ここでは、
為替レートはいくつか聞くところから始めて、計算機に額を打ち込ませ、納得できぬ限り
両替額をもっと上げろよと言って、よく交渉が決裂したものです)、すぐに480人民ペソ
CUPを入手しました。 -
いきなりフロリディータでの場面。
これは、午後3時半位の時刻でした。
店もこのときちょっとだけ、がらすき、このあと、またまた大勢で埋まりました。ヘミングウェイとともに。
ヘミングウェイといえば、大の猫好き、そしてその猫たちの
特徴は、有名な6本指あわせて、24本。
http://www.youtube.com/watch?v=g8C9F3yubJs -
フロリディータ店内様子
-
フロリディータ演奏中の画像。
飲んだのは、もち、パパヘミングウェイというダイキリ(砂糖抜きダイキリ)と、
香草濃ゆいモヒート各6CUCクックそれになんとかいうタパス1皿。 -
フロリディータ店内様子を経て、
色々と路地を観察。
現地の住民たちは、住んでいる路地の前に出て座り込み、前を通る人々を見ている。
必ずチーノチーノ(中国人中国人)と、呼びかけてくる。
何でも、ハバナ住民たち多くは、日本を中国の一部だと思っていたり、思い違いが
甚だしいと聞いていたが、これほどとは思わなかった
(それも無理はないと思ったのは、情報量の不足か、対貿易国は1位がベネズエラ2位が
中国で、観光客年間2百数十万人の内、過半数がダントツでカナダ人、それから欧州各国と
続き、日本人は年間三千人前後にすぎないという実態がなせる業かもしれない。それも
団体客がその内過半数を超えるとか)
しかし、カタコトの日本語で話しかけて来る奴は例外なくろくなもんじゃない。
素朴な住民は、寡黙である。 -
アルマス広場まで戻ると丁度夕方、ここいらで夕飯をと
ラ・ミーナというレストランへ行くと、中庭の奥へ通された。
ブカネロをまず、飲み、そしてキューバ料理を頼む。
カビリアンコンビネーションというセットメニュがあったので、
それを頼んだ。
ビール飲みながら待ってると、どこやらかネコ2匹現れ、テーブル脇そば下に正座。
その内料理運ばれて、ときどきこぼしてやると、下で食べている。
2分ほどは次の・・・・と正座で待っているが、長くなりそうだとすぐに、
楽な横たわり姿勢で待つ。
その内、こちらがちょっとびっくりだったのは、にわとりも現れ、
最後は中庭から孔雀が現れて、テーブルの上の料理を首をかしげながら
欲しそうにしていることだった。 -
次には、にわとりまで、現れた。
-
アルマス広場まで、ほろ酔いで歩いて
第1次キューバ独立戦争時その火付け役となったセスペデスを背景に -
アルマス広場横
後ろは、フエルサ要塞一部 -
ハバナ旧市街2日目は、ホテル朝食後9時40分出発。
ハバナバスツアーT3というのに乗る -
キューバ入国時必要書類は、ツーリストカードと呼ばれるビザ、英文保険証明書(旅行保険に入ることが2011年より必ず必要となった)それとパスポート。
ツーリストカードはエアカナダ便の最中に配布されるので、それに記載。
パスポートの摩訶不思議は、キューバに滞在した証拠がどこにもないこと。
通常は、パスポートにその国のIMMIGRATIONのスタンプが押されますが、
上記ツーリストカードにスタンプ押されるので、帰国時のパスポートは、
成田出国成田帰国の2つしかスタンプは押されません。どこに行ったのかが
パスポートのみでは不明のようになっています。(経由地トロントでも、入国スタンプは
税関申告書に押されるだけ、カナダ滞在日数はゼロと記載します)
ハバナでの博物館等では、入場料のほかに、必ずカメラ持ち込み代を取られ、カメラ1台につき、いくらいくらと決められています。
カメラ代1台大体3クックから5クック(外国人兌換ペソCUC)
一番カメラ代高かったのは、トロピカーナショー。
ミネラルウォーターは、500mmlで地元民だと8円くらい、2CUPペソクバーノ、
これが、外国人では、1CUC100円くらいが相場。
町を歩いて一番安いのを見つけましたが、同じ銘柄で、0,45CUC45円。
ホテルではこれが300円くらいでした。ビッグサイズは、1,5リットルまでしかなく、
日本のように、2リットルサイズは皆無。
アイスクリームは、地元民で2ペソクバーノ=8円、同じものを現地人よろしく並んで
現地通貨で8円で購入して、食べたところこれが大変にうまかった。
いたるところで地元の人たちが並んでいるところへも、行ってピザなども買って食べましたが、8円でこんなにいいのかというのが実際の感想です。
パンは、例外なく配給制。メルカド市場の中には、パンを配給するところが
決められているようで、配給パンを受け取っているのを
垣間見ました。もっとも、かなりジーッと辛抱して注意深く見てましたが。
2011年、キューバでも、一部だけ市場経済を取り入れ、自営業者参入を規制緩和
それにより、キューバでは自営業者が40万人(因みにハバナ人口は210万)に膨れ上がりました。その結果どういうことが起きるか、動き始めたばかりのようで、どうなるか
不明です。 -
ハバナ旧市街2日目は、ホテル朝食後9時40分出発。
ハバナバスツアーT3というのに乗る、乗り込む間に、地元の小学低学年の
遠足?見学?やら、可愛らしい行列が前を通る。
↓1枚目
バスは、10時10分に出発した。乗客は9名のみ。欧米人殆ど。
途中、カバーニャ要塞、そして郊外へと -
バスを降りてみた。
この、背景の後ろ側が、素晴らしい海だった。 -
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サンタマリア海水浴場だった。
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まだ、用意中、
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革命博物館
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元大統領執務室
右手に黄金?色の電話機。 -
元大統領官邸会議室
-
元大統領官邸会議室
革命が起きるまで、それまでのバティスタ政権は、
富を自らと米国・米企業・米マフィア・のほぼ4つで独占し、下の庶民まで下ろさず配分。
(思い出されるのは、フランシス・コッポラ監督のゴッドファザーパート2、
舞台はハバナの、旧市街2日目① ↓3枚目の旧大統領官邸でのシーンだった)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC_PART_II -
革命博物館にて
カストロ -
革命博物館で、多様な写真の前で
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チェゲバラとともに。
ゲバラがすっている葉巻は、モンテクリストか? -
ホセマルティ
空港の名前にもなった第2次独立戦争の父 -
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フロリディータ
ヘミングウェイとともに。 -
オビスポ通りにて。
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ビエハ広場近くの路地
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ビエハ広場にて。
-
ビエハ広場から入った路地
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同上
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ビエハ広場の小学校で、
父親とともに下校する女児児童 -
ビエハ広場の小学校
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トロピカーナショー
はじまり。
午後10時より、午前0時 -
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トロピカーナショー会場にて、
始まる前の1枚
Tシャツではまずいと思い襟付きで。 -
挨拶から
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華やかなショー幕開け
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Hotel Iberostar Parque Central
http://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g147271-d151444-Reviews-Iberostar_Parque_Central-Havana_Cuba.html
から、ハバナ最大のトロピカーナ会場まで、
車にて約30分ほどしたところにあった野外劇場。
収容人員1500名。席は、かぶりつきは、見上げる形になるので、
すぐその後ろの最も良い席を確保。一人16000円前後。
地元ビールブカネロが小ビンで、1本5CUC日本円約500円
かなり高額。 -
2時間ぶっ続けで、第1部が始まった。
午後10時から午前0時第1部。
それから、午前3時半までは、観客とともに、
ダンサーたちは踊るそうである。
(午前0時には、明日のためにも引き上げたため) -
ダンサーすべて国家公務員である。
因みに、キューバ国民の平均月収は、日本円換算で、約1500円前後だという。 -
外貨獲得の目玉ショー
-
ダンサーたちの、日夜の練習及び体型維持の努力も
並大抵ではなさそう。 -
ここからは、コメントよりも
写真を見て、少しでも臨場感味わってください。 -
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真ん中、バレエの鍛錬積んだことが一目瞭然分かりました
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トロピカーナショー第1部終了
この時、午前0時。
迎の車があるので、さよならしました。 -
3日目は、郊外の
ヘミングウェイ邸宅
を辿る道です。 -
同上
ぽつんと、1軒だけの豪邸だったが、彼の
心の奥をのぞき見たような気がしました。
ヘミングウェイ、62歳にて、
ライフル型猟銃で、自らの命を絶つ。 -
ヘミングウェイ邸宅
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老人と海は、このタイプライターで、
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コヒマル海岸
ヘミングウェイがこよなく愛した漁村 -
コヒマル
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コヒマる海岸
ヘミングウェイがこよなく愛した海岸。 -
-
-
コヒマる海岸
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-
フロリディータ
パパヘミングウェイダイキリ
モヒート -
ヘミングウェイの定宿
オビスポ通りにある、
アンボス・ムンドス -
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パルケセントラルホテル新館正面入口
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ショッピングモール入口
旧市街ガルシアロルカとホテルイングらテーラの間の道
入ったところにあった。 -
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9月20日午後コヒマルを後にして、パルケセントラルにつくが
セントラル公園到着後、ヘミングウェイ行きつけの店フロリでイータへ、3回目直行し、
ダイキリ・モヒートを一飲みし、
ホテルの部屋へ
屋上プールでひと泳ぎしようと行くが満員。
一旦部屋に帰り後半をどうするか、練り直し。
午後2時ハバナクラブ博物館へ徒歩にて繁華な通りをくぐり抜け、南へ
地図通りに歩いて辿り着く。何やら30分も工場説明を受けるがどうでもいいよ。
ここの、ショップで葉巻・ラム酒をまた購入。
(ちなみに整然としたショップには、必ず葉巻もラム酒も何処にでもあった)
それから、まだ南へ下ると、何やら大きな建物サンホセ民芸市場だった。
サンホセ民芸市場は、キューバ製品が何でも揃うとかの謳い文句があったが、
買ったのは水・アグアシンガス、Tシャツとその他珍しい首飾り
↓1枚目画像は、ビエハ広場の小学校で下校する児童を迎えに父親が。
また徒歩にて、帰路につくと途中人民ペソアイスクリーム屋で、アイスを食べながら歩いた。アイス1個4ペソクバーノ16円
午後5時ホテル着、その後屋上プールどうかなと思ってのぞくと今度は大丈夫で、ひと泳ぎ
この日快晴だったので、デッキチェアーにて一眠り、泳いでジャグジーにも入る。
プール後部屋にて休憩。
夜になったので、ナカタ氏に教えられたパスタ屋に行った。ホテルの大通りからすぐ。
パスタは、ナカタ氏云ったとおり実に美味、
ワインを飲もうとして、ワインメニュー プリーズというが、
ウェイターはフレンドリーだがきょとんとしている。そうか、それならと、エルメヌ・ヴィノティント ポルファボル(ワインリスト下さい)
やっと通じて、オー、シ・ラカルタ・ヴィノ(はい、ワインメニュですね)
ボトル頼んでいると、何やら高齢者女の人が、レストラン外側ウインドーからしきりに当方達に話しかけていたが、それは無視。
夕食後は、ホテルラウンジで、ダイキリをたんのんで、音楽を聞きながら、楽しんだ。
既に夜10時、部屋へ。ここで、そうだ日本から関西行った際ゆーぼからもらった菓子を持ってきていたこと思い出し、京菓子1個。
4日め21日
9時半行動開始。ホテルを出て西側へ歩いてゆくと国立美術館がある。そこに入る。撮影禁止。
荷物は貴重品だけ、その他はクロークへ。
キューバ人芸術家達の絵画作品等目白おし。19世紀から現代までのものいちおう真剣にみて、フラフラ、魂を吸い取られたみたいだ。
(何年前かウイーン国立美術館で、アントワープ出身の大家ルーベンスを見て魂を吸い取られたようにフラフラとなったこと思い出した)
あまり、真剣に見ないほうが当方には無難。
2時間後、今度はまた換金したあと、元国会議事堂まで、歩きパルタガス葉巻工場まで行った。
その時の出来事は、ちょっとやばかった。
途中、コイーバコイーバと寄ってくるニセ葉巻の呼び込み男たち、あまりにうるさいので、当方もかなり頭にきて、バスタ!デへメ!デへメ・エンパス・・・どかんかい(やメロ!失せろ!ほっとけ!)と大きな声で言うと、
何やら怒って捨て台詞など吐きながら去っていく。
中のショップで、いろいろとみる。一面葉巻の陳列台。中のおやじは、国家公務員よろしく、蝶ネクタイだったが、葉巻片手に自分で吸いながら売ろうとはしない。
他の客にも売ろうとするようなそぶりもない。もう一人女性の係員がいて、カードOKか聞くと大丈夫とのこと。
それで、カード決済で、買おうとすると、女性係員は蝶ネクタイおやじと相談している。
どうも、カードダメらしいということが判明。結局売るためにいるのに、どういうことや、と思っているうち、80年代中国のことが蘇ってきた。
メイヨウメイヨウ(ない、ない)かなりの店では、当時の中国やる気がなく、目の前に商品があっても、メイヨウメイヨウ(ない、ない)だったこと思い出した。
(今現在は、中国は様変わり、市場経済で、売らんかな主義)
そこから、すぐのところに中華門(中華街)があったので、そこに入ってみる。門があるだけで、中国人が居住しているわけではなさそうだった。
その昔の名残。
その中華門横に何か人だかり。人が並んでいたので、こちらも並ぶと
多様なスイーツ売り場だったので、エクレアみたいなもの買って、
正面に大きな公園があったので、人々であふれる公園のベンチに座って、食べてみた。
1個やはり、16円くらいのもの。
公園は、たくさんの人で賑わっている、そうか、きょうは、土曜日でみんな休みなのか?
人々の様子は、ビデオにおさめた。
中華門から奥の方へどんどん歩いて、メルカドがあったので、そこでミネラルウォーター0,45cucだった。また歩いてゆくと
なにやら大きなショッピングモール、地元の大きなマーケットで、大変な人人人。サンホセ民芸品市場と変わらぬくらいの規模
そこを出ると、また、地元民の行列、
ピザを売っていたので、これも試食。人民ペソで、2ペソ8円。食べるとかなり美味い。
右に行ってどんどん歩くと見たような通り。向こうにセントラル公園が。
午後1時30分、一旦ホテルラウウンジで、休憩。ダイキリフラッペ。
その後部屋に。
にわかに、屋上プールへまたまた行く、そして泳ぐ。
15時25分1時間ほど泳いで帰り、部屋にて少し仮眠。
また出かけて、T1ルートのバスに乗り込む。90分。
ホテル2fのショップにて、みやげ葉巻購入コイーバ最高級のもの8本
ラム酒など。
午後7時過ぎ、きのううまかったイタリアンに今日も行く。
ここの、パスタは、大変にうまい、のに価格は外為格差を除いて考えて見ればの話だが
日本人からすればかなりリーズナブル。
ヴィノテイント(赤ワイン)ボトルで頼むとこれは、かなり値がはった。
5日目日曜22日
午前10時バスにてサンタ・マリア海水浴場へ行く。
その近くに大きな建物、1階部分はプールとなっていた。
ここには、かなりのショップがあり、パルタガス葉巻購入
サンタマリア海岸は何10キロにもわたっって白砂海岸が続く膨大な海水浴場だ。
昨年行ったナザレの海水浴場を何十倍にもした膨大さ。
泳ぐつもりだったが、慌てて出てきたため、海パン入れ忘れ、泳げない。
しょうがないので、ビデオなどとって、近くのカフェテラスで、ビールなど飲む。
再びバスに乗る。
ホテルへ戻り、そして再び外出、ビエハ広場、などうろうろして、部屋へ帰り、今度はまた屋上プールで、オールド・ハバナ旧市街を眺めながら泳ぐ。
泳いだ後、また外出、メイン通りをサラトガホテル近くまで歩き、町の人々を観察。
必ず声がかかる。面白いのは、
外国人と見れば挨拶代わりに、何かよこせと手をだしてくること。
特に嬰児を背負った女の人は、必ずこのこのために、ミルク代をと、そこら中に言っている。
また白い細い紙束に、ピーナッツを入れて売り歩く姿が異様に多い、
ピーナッツも歯が悪くなければ買おうかなとは思ったが、やめにした。
新聞らしきものを(いつの日付か不明)売り歩く人たちもいた。
野良犬もかなりいた。大通りでも、平気でうろついていたが、
ハバナのノラ公は、一様に痩せていて、しょぼくれている。
(アジア・タイや、ボルネオコタキナバルでの、野犬たちは勇ましかったことを
思い出したりしていた)
旧市街は、異様に生命力にあふれ、その生活のためか、皆一様に必死なような雰囲気
当方にはわからぬが、多分日本だったら昭和20年代末頃の姿か、
高度経済成長が始まる以前の風景なのだが、グローバル化のせいか、平成時のものまで時代的には混ざっているような光景だった。
歩いている人々が多様な人種のためか、アジアの例えば中国の地方都市や、ベトナムなどの都市のような昭和30年代の懐かしい匂いがしてこないことが不思議な特徴だったと思う。
その内にヘミングウェイが旧市街で定宿にしていたホテルアンドスムンドスが目の前にあった。
そこから更に3ブロックほど南側にあったレストランで、キューバ料理を。
ちょっと、大味のような、塩が少しばかり効いていて、喉がかわくので、ブカネロを飲んだ。
夕食がおわり、また歩いてホテルまで。
明日は、帰国23日午前6時ホテルチェックアウトということで、
ホテルラウンジで、ゆっくりし、ピアノソロの時、
何かリクエストは?というので、一昨日日本の歌「さくら」をリクエストしたが、
本日は、ピアノということもあって、As time goes byならOKだというので、
ここはカサブランカではないが、良しとした。
http://www.youtube.com/watch?v=Do2olZ49M54
午後10時40分部屋に戻り、帰りのパッキング。
翌6時チェックアウトしていると、ナカタ氏が登場。
ホセマルティ空港着、午前7時。
エアカナダでチェックイン済ませ、空港内カフェで、またブカネロ。
ホセマルティ空港ターミナル3は、極めて小さく全体がすぐに見渡せる。
午前9時30分15分遅れにて離陸。
さよなら、ハバナ。
今度いつになるか分からぬが、それまで旧市街は、どうなるのか。
5日間歩いたおかげで地図なしでも何処にでも行ける自信はついたが・・・。
23日午前に離陸して、成田着は翌24日午後3時50分だった。
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この旅行記へのコメント (11)
-
- trat baldさん 2016/04/06 07:01:47
- オバマ君が半世紀以上ぶりで訪れたキューバ!
- 長編大作を見させてもらいました。
お手持ち品は扇子ですかね、奥様のメモ&ガイドブックチェックがてらのビールが色濃くて美味しそう。
禁輸措置のせいで車もトコトン直して乗るんでしょうね。
奥様の目隠しは止めちゃったの?許可を頂きましたか、美しい個人情報ですよ(^o^)
叱られるけど政治って時々ヤボでくだらない事をしちゃうのね、庶民のレベルでなら十分触れ合えるのにね、中日ドラゴンズなんかドンドン招聘をして野球交流してるのに。
さすがにわきちゃんさんご夫婦以外の日本人は見なかったでしょう!
- わきさん からの返信 2016/04/06 12:13:02
- RE: オバマ君が半世紀以上ぶりで訪れたキューバ!
- あははは。
健やかな諧謔に満ちあふれた
メッセージをいただき、
誠にありがとうございます。
> お手持ち品は扇子ですかね、
そのとおりです。
いつも愛用しておりますが、
一度東欧旅行した際、扇子をリュックの中に
入れていましたら
イミグレで、ナイフと勘違いされて
扇子取り出して扇いで実演で、
OKだったことがありました。
> 目隠しは止めちゃったの?
件のハバナ旅行記は、当方の4トラ1作目にて、
要領をえず、顔部分目隠しを使用しようかどうか
迷い、途中からあのような仕儀になった次第です。
お見苦しいところをお見せして申し訳もございません。
> 中日ドラゴンズなんかドンドン招聘をして野球交流してるのに
ハバナ中央公園では、現地男たちが集まって
カンカンガクガクの話をしているので、
何だろうかと耳を立てると昨夜の野球談義花ざかりで、
盛り上がっていました。
> 長編大作を見させてもらいました。
誠に嬉しき限りです。
今後ともまたよろしくお願い致します。
愉快なコメントいただきありがとうございました。
-
- のんき茂野さん 2015/12/17 11:00:08
- ありがとうございます
- http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/40/82/25/src_40822505.jpg
この旅は、お初お立ち寄り頂き
ありがとう御座いました。
キューバですか?ある4トラトラベラーさんの
旅日記を拝見したことがあるのですが、
それにしても、勇気・決断に敬意を表します。
のんき茂野なんぞ怖がりでとても行けません・・・
東宝?は、ご覧の通りのご近所お出かけ日記ばかりですが、
お気が向かれましたら4トラサーフィンの足安めにでも
お立ち寄りください。
播磨の国から のんき茂野
- わきさん からの返信 2015/12/17 22:11:07
- RE: ありがとうございます
- こんばんは。
ユニークすぎる元禄快挙録
面白く拝見しておりました。
当方の方へも、かたじけなく御礼申し上げます。
また、いずれご訪問させて頂きます。
わき
> http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/40/82/25/src_40822505.jpg
-
- fuzzさん 2014/07/13 15:21:17
- キューバハバナ
- わきちゃんさん、こんにちは(^◇^)
ハバナへ16時間ですか。
結構ヘビーですね。
外貨獲得のために外国人は25倍の料金が取られるんですかぁ。
まあ月給1500円の25倍でも37500円でしかないのですね。
奥様、カッコいいお方ですね。
奥様のお写真があると、追いかけるように見てました。
レストランに珍客(#^.^#)
ネコならまだ可愛いモノの、にわとり(@_@;)
トドメは孔雀ですか(笑)
すごいですね。
トロピカーナショーが16000円ですか。月給が1500円の国で。
ダンサーが国家公務員っていうのも日本の感覚で考えると面白いです。
東南アジアの発展途上国でもそうであるように、
物乞いやら押し売りってハバナもそうなのですね。
大昔の日本でも、そういう時代があったのかもしれませんが
ハバナが今の日本になる可能性はあるのでしょうか。
どうなんでしょうね、ないでしょうね。
fuzz
- わきさん からの返信 2014/07/13 21:07:09
- RE: キューバハバナ
- fuzzさん毎度
シュクランございます。
母上と弟さんとのトライアングル
UAEですか?
楽しませて頂きました。
世界一大きなふかふかの絨毯
手触り心地はどうなんだろうと。
そんなこと考えてました。
アッサラーマ
わき
> わきちゃんさん、こんにちは(^◇^)
>
> ハバナへ16時間ですか。
> 結構ヘビーですね。
>
> 外貨獲得のために外国人は25倍の料金が取られるんですかぁ。
> まあ月給1500円の25倍でも37500円でしかないのですね。
>
> 奥様、カッコいいお方ですね。
> 奥様のお写真があると、追いかけるように見てました。
>
> レストランに珍客(#^.^#)
> ネコならまだ可愛いモノの、にわとり(@_@;)
> トドメは孔雀ですか(笑)
> すごいですね。
>
> トロピカーナショーが16000円ですか。月給が1500円の国で。
> ダンサーが国家公務員っていうのも日本の感覚で考えると面白いです。
>
> 東南アジアの発展途上国でもそうであるように、
> 物乞いやら押し売りってハバナもそうなのですね。
>
> 大昔の日本でも、そういう時代があったのかもしれませんが
> ハバナが今の日本になる可能性はあるのでしょうか。
>
> どうなんでしょうね、ないでしょうね。
>
> fuzz
>
>
-
- konomiさん 2014/05/11 11:53:50
- 遠いキューバ
- こんにちは! 旅行記に投票ありがとうございました。
キューバ・・・・・なかなか行けるところではないですよね。
行くだけでも大変ですし。
でも、ヘミングウェイゆかりの家や海にはとても惹かれるものがあります。
シンプルで快適な家、老人と海を執筆したタイプライター・・・まじまじと見てしまいました。
最近、車の輸入がやっと許されたものの、関税で1台2400万円というとんでもない値段がついている・・・というニュースを見たばかりなので、どんなところなんだろう・・・と思っていました。
- わきさん からの返信 2014/05/12 08:27:16
- RE: 遠いキューバ
- konomiさん
おはようございます。
はじめまして。
投票いただき、ありがとうございました。
konomiさんの ギリシャ サントリーニ島
や、アルベロベッロのトウルリなど
素晴らしいですね。
今後とも、よろしくお願いします。
わき
> こんにちは! 旅行記に投票ありがとうございました。
>
> キューバ・・・・・なかなか行けるところではないですよね。
> 行くだけでも大変ですし。
>
> でも、ヘミングウェイゆかりの家や海にはとても惹かれるものがあります。
> シンプルで快適な家、老人と海を執筆したタイプライター・・・まじまじと見てしまいました。
>
> 最近、車の輸入がやっと許されたものの、関税で1台2400万円というとんでもない値段がついている・・・というニュースを見たばかりなので、どんなところなんだろう・・・と思っていました。
>
-
- わんぱく大将さん 2014/04/07 05:42:21
- カタルニアとキューバ
- わきちゃんさん
病院の旅行記を見ていただき有難うございました。
さて、貴殿のキューバ旅行記、拝見させていただきました。私が今住んでるカタルニアはキューバは勿論、北、中南米で膨大な富を得た人がカタルニアに戻り、企業を始め、邸宅を作りといったおかげで今があるようなものです。 それがなければ偉大な芸術家もでてこなかったでしょう。
大将
- わきさん からの返信 2014/04/07 11:34:06
- RE: カタルニアとキューバ
- 大将さん、
当方の拙い旅行記ご訪問誠にありがとうございます。
カタルニアにお住まいのご様子、
貴重な情報を提供頂き、深謝です。
わき
> わきちゃんさん
>
> 病院の旅行記を見ていただき有難うございました。
> さて、貴殿のキューバ旅行記、拝見させていただきました。私が今住んでるカタルニアはキューバは勿論、北、中南米で膨大な富を得た人がカタルニアに戻り、企業を始め、邸宅を作りといったおかげで今があるようなものです。 それがなければ偉大な芸術家もでてこなかったでしょう。
>
> 大将
-
- わきさん 2013/10/07 21:50:57
- サンタマリア
- サンタマリア海岸海水浴場での・・・。
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