2012/12/29 - 2012/12/29
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滝山氏照さん
やがて小田原に拠点を置き関八州に覇権を唱えた北条氏の始祖である、北条早雲(1432~1519、当時は伊勢新九郎盛時)が駿河今川家の家督争いに奔走した結果甥の氏親(うじちか、1471~1526)から恩賞として与えられた興国寺城(こうこくじじょう、静岡県沼津市根古屋)を訪問しました。
北条早雲の出自は一介の素浪人だったとか多数の説がありますが、どうやら室町幕府の政所執事を世襲していた伊勢氏の庶流とされる「備中伊勢氏の説」が有力のようです。
早雲は彼の生存中は北条姓を使用したことはなく、第二代目の氏綱(うじつな、1487~1541)が当時の関東管領の上杉氏に対し鎌倉時代の執権職(公卿出身の将軍を補佐する立場として)によって関東統治した北条姓を名乗ることにより自らの立場を明確にしたものと思われます。(ここでは便宜上「早雲」に呼称を一本化します)
早雲は備中伊勢氏の高山城主の伊勢定盛の子、新九郎盛時として生まれ、母方の京都伊勢氏の伊勢貞高の養子となります。
寛正5年(1464)、室町幕府第八代将軍足利義政(あしかが・よしまさ、1436?~490)の弟である義規(よしのり、生没不詳)の近習となりますが、将軍後継争いに巻込まれ京都から伊勢に逃れます。
その後義規と別れた新九郎は妹(北川殿)が嫁いだ駿河守護今川義忠(いまがわ・よしただ、1436~1476)が遠江戦役で戦死、その家督争いを知り駿府へ移動します。
即ち一族・家臣は幼子竜王丸(氏親、母親は北川殿で早雲の甥)支持はと一族の今川範満(いまがわ・のりみつ、生誕不詳~1487)支持派に分かれて争います。
具体的には堀越公方足利正知(あしかが・まさとも、1435~1491)は山内上杉政憲(うえすぎ・まさのり、生誕不詳~1487?)を、扇谷上杉定正(うえすぎ・さだまさ、1443~1494)は家宰の太田道灌(おおた・どうかん、1432~1486)をそれぞれ派遣させ家督争いに介入します。
早雲は状況をよく見極め、上杉政憲と太田道灌と交渉し竜王丸が成人するまで範光が後見するという条件で解決します。
長享元年(1487)に範光を攻めて滅ぼし、晴れて竜王丸は今川家の家督を継承し、早雲は範光を倒した功績により興国寺城を与えられます。
今川範光を倒して4年目の延徳3年(1491)に堀越公方足利家内紛に乗じて伊豆に攻め込み公方家を滅ぼし、韮山に拠点を移した事により興国寺城は韮山城の支城の立場に転じます。
やがて明応4年(1495)、扇谷家当主上杉定正が没し朝良(ともよし、1473~1518)が家督を引き継いだタイミングを捉え臣下である大森藤頼(おおもり・ふじより、生誕不詳~1503)の拠点小田原城を突如攻め大森氏を放逐し、以降北条氏の拠点となり以降天正18年(1590)の滅亡まで続きますが早雲は永生16年(1519)の死亡まで韮山城を離れることはありませんでした。
2023年8月22日追記
現地に建てられた説明板には下記の通り記述されています。
「国指定史跡
興 国 寺 城 跡
興国寺城は、戦国大名北条早雲(伊勢宗瑞)が初めて城主となった城であり、彼の旗揚げの城として有名な城です。
早雲ははじめ伊勢新九郎長氏と称し、駿河守護今川義忠の側室であった妹を頼って今川家に身を寄せてが、義忠の急死後、今川家の相続争いをまとめた功績によりこの城を与えられ、その後伊豆国を治めていた堀越公方の内紛に乗じて足利茶々丸を滅ぼし、伊豆国の領主となって韮山城に移り、戦国大名へと成長しました。
その後、興国寺城は、駿河・甲斐・伊豆の境目に位置していたために、今川・武田・後北条氏の争奪戦の渦中に置かれ、城主が目まぐるしく変わりました。
天文年間に今川義元が小規模な構造の城であった興国寺城を普請し、城地を拡大しました。永禄年間には駿河に侵入した後北条氏の城となり、武田信玄の攻撃を受けました。
元亀年間の武田・後北条の同盟成立以降は武田方の城となり、武田一門穴山梅雪の持城となりました。天正10年(1561)武田勝頼が滅亡した後、城主の曽根下野守正清が開城し、徳川方の城となり、家康の関東移封後は豊臣秀吉の武将、中村一氏の家臣河毛重次が城主となりました。
関ヶ原の合戦後には、三河奉行の一人で「どちへんなしの三郎兵衛」と称された天野三郎兵衛康景が城主となりましたが、康景の蓄電により廃城となりました。」
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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興国寺通
南北に走る通りでこの道を北進します。別名竹田通(=武田氏の道)と言われています。 -
根小屋交差点
東西に走る根方街道と興国寺通が交差する「根小屋」は三の丸跡で現在は根方街道で分断されており、南北方向に走る竹田街道とが交差じており交通の要衝地に築城されていることが解ります。
興国寺城跡整備計画図の案内板が建っている事から今後の整備進捗が期待されます。 -
大手道
三の丸跡から二の丸跡へと続きます。 -
二の丸跡
大手道の右手には二の丸跡が見えます。 -
二の丸跡
同様に左手には二の丸跡があります。そして一段高くなった奥には本丸跡とそれを左から囲む高い土塁が認められます。 -
本丸跡
背後の大土塁と繋がっている西側の長い土塁が見事です。 -
本丸と天守台
比較的広めの本丸の奥には天守台が控え、続く土塁が右手に伸びて本丸を囲んでいます。 -
土塁
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天守台と大空堀案内板
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清水郭
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沼地跡
本丸跡の土塁の外は沼地であり、敵の進入を防ぐ役割を果たしています。 -
石垣
本丸跡が果てる東端には石垣が認められます。 -
清水郭
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沼地跡
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清水郭
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沼地跡
沼地跡から南方向を一望します。かつては一帯は沼地あり自然の要害として攻略困難にさせています。 -
土塁風景
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蓮池跡
城郭の古絵図では蓮池があったと記され、この辺りの情景が蓮池と重なってしまいます。 -
沼地跡
三の丸跡の外にも沼地が広がります。 -
沼地跡
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市街展望
本丸跡寄りの大手道から市街を一望します。大手口からなだらかな上り坂から振り返ると高台に来ていることが判ります。 -
穂見神社
樹木に囲まれて小振りな神社が建っています。 -
穂見神社
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北条早雲霊碑
「初代城主」を示す北条早雲の石碑があります。 -
天野康景石碑
三河時代からの譜代重臣で関ヶ原戦いの翌年、慶長6年(1601)に1万石を与えられ興国寺城主に任ぜられます。 -
興国寺城跡説明板等
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興国寺城跡と歴代城主一覧
歴代城主の入れ替わりが北条ー今川ー北条ー武田ー徳川ー豊臣ー徳川と目まぐるしく変わり戦略的な城であったことがうかがわれます。 -
天野康景説明板
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市街展望
本丸跡から一望します。 -
背後の土塁
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天守台登口
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根小屋の力石
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背後の土塁
急崖の土塁に向かって階段を登ります。 -
イチオシ
高峻な土塁
天守台に繋がる土塁が本丸跡を背後で防御しています。 -
天守台案内
更に高峻な土塁の尾根を前進します。 -
土塁
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大空堀
高峻な土塁の外側には深い大空堀が施され、北側からの敵の進入を防ぎます。 -
天守台跡
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天守台跡礎石
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大空堀
堀底の道は曲線になったり高低差をつけたりして、敵の進入に際には見通しの効かない状況に陥らせます。天守台跡から堀底まで15m以上の深さはあると思われます。 -
北郭
大空堀の向こうは北郭が続き、途中で東海道新幹線により分断されています。 -
天守台から一望
真下の神社を見下ろしますと天守台が急崖土塁によく造られたものだと正直に感心します。 -
市街展望
樹間の向こうに南北に走っている興国寺通りの直線ががはっきりと確認できます。 -
天守台風景
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長い土塁
長く伸びる土塁が西側から本丸跡を囲んでいます。 -
土塁
天守台を過ぎて土塁の尾根を更に西進します。 -
土塁西端
大土塁はここで終了、数段下がった所から長い土塁が南下します。 -
市街展望
大土塁の西端地点から市街を展望、手前の本丸跡、二の丸跡そして三の丸が続く典型的な直線蓮郭式平城を改めて確認できます。 -
再び大空堀
本丸土塁の西端からでも背後の深い空堀がしっかり施されています。 -
天守台石垣
いわゆる「野面積み」でしょうか。 -
天守台石垣
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本丸土塁案内板
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本丸土塁
本丸跡に戻り西側から土塁を見上げます。 -
興国寺城跡周辺展望
興国寺通を眼前にして住宅化された周辺を一望します。 -
再び本丸跡
本丸跡と二の丸跡との間には幅広い空堀があったそうですが、現在では埋め立てられかつての姿はありません。 -
二の丸跡
二の丸との境目には土塁があったようですが今はその遺構がかろうじて残っています。 -
三の丸跡
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西側土塁外側
埋め立てられて道路になってますがかつては城郭東側と同様に沼地であったとされます。 -
ため池
土塁の外側には沼地がため池となったと思われる情景が発見されます。 -
急崖
土塁の西側を離れて捉えます。 -
分断された三の丸跡
根方街道で分断された南側の三の丸跡を見渡します。 -
分断された三の丸跡
手前が三の丸跡、その向こうはなだらかに上り坂となっている三の丸跡、二の丸跡及び本丸跡が続きます。 -
分断された三の丸跡
三の丸跡の先には側溝がありますが、かつては水堀だったのかもしれません。 -
分断された三の丸跡
三の丸跡が広々としています。 -
神社
三の丸跡の隅には池と神社が建っています。
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