2013/06/02 - 2013/06/02
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たびたびさん
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正直言って、耶馬渓は、意外に感動がないんですよね。しかし、久しぶりだし、観光バスは楽なので、体を休める意味もあって、耶馬渓観光を組み合わせることにしました。青の洞門に深耶馬渓はほどほどでしたが、羅漢寺はけっこう見応えあり。大友宗麟の焼打ちを逃れたそうですが、険しい山に展開する伽藍の面白さは想像以上でした。
中津の市内散策は、観光バスツアーの前後に分けて。池大雅のコレクションや医家の資料館は、圧巻。これは中津の素晴らしい財産でしょう。福澤諭吉旧家や中津城や周囲のこまごました観光スポットも回ってみましたが、昨日の宇佐・国東半島も合わせて、何か不思議な感覚。古いものが残っているだけではなくて、今につながる何かが残っているような。田舎には違いないのですが、どんな場所に行ったとしても単なる田舎の旅にはならないのが九州の旅のいいところでしょう。
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耶馬渓観光バスの出発が10時なので、それまで中津市内を散策します。
金谷町という、かつての武家が暮らしていた古い一角を目指します。途中の中央公園は、中津駅の南口から、113号線を西へ行ってすぐ。観光スポットではないのですが、つい寄ってみた次第。中ほどに噴水があって、周囲は梅の林。雨に濡れた緑がとてもきれいでした。秋には紅葉のスポットになっているようですが、ただ、地元の方が楽しむ公園だと思います。 -
金谷町にやってきました。
磯村豊太郎の生誕地。逓信省から日本銀行、三井物産から北海道炭礦汽船の社長へ。日本工業倶楽部四代目総裁も務めた、明治の実業界の大物のようです。 -
こちらは中津市金谷本町、「水島公園」に建つ水島銕也の生誕地碑。水島銕也は、中津出身の教育者。神戸高等商業学校(神戸大学の前身)の創立者であり、初代校長です。神戸高等商業学校は、東京高等商業学校に続く2番目の官立高等商業学校。横浜正金銀行勤務等を経て、初代校長に就任します。
碑は立派で、病気で引退しますが、ずいぶん慕う人が多かった人のようですね。 -
これも近くにある中上川彦次郎の誕生地。中津市金谷森ノ丁の生家跡は、金谷児童公園となっています。
井上馨の誘いで三井銀行の改革に乗り出し、三井銀行の副長として不良債権の処理や工業化路線を進める辣腕をふるった明治の傑物で、福沢諭吉の姉・婉の長男でもあります。 -
奥には、貴船神社。
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鳥居が古びていて、中津藩時代の雰囲気を残しているようです。
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この辺りが金谷武家屋敷跡。武家屋敷が残っているわけではありませんが、城下町の雰囲気がそこはかとなく漂っています。
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ここは、海にも近い場所。側溝にカニさんがゴソゴソ動いていました。
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金谷口は、中津城から金谷町に入る入口です。ここから中津城周辺のエリアに向かいます。
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ここはどうしても来たかった自性寺。
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中津藩主、奥平家の菩提寺です。
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そして、有名なのがこの大雅堂。池大雅が残した書画47点を保存・展示しています。気力の充実していた42歳ごろの作品で、どれもが素晴らしい。池大雅の南画の画風はちょっと堅苦しいイメージもありましたが、全然違う。伸びやかで、こちらが楽しくなるような、さわやかな作品ばかり。書と絵を組み合わせた配置もとてもいいです。私は、特に、日を受けてキラキラ輝くようなぶどうの作品が強く印象に残りました。
京都にも池大雅の美術館がありますが、申し訳ないですが、比べ物にならないと思いました。中津では必見の場所でしょう。 -
中津駅に向かいながら、途中に寄ったのは中津市歴史民俗資料館。ここは、慶応義塾では福澤諭吉に次ぐ中心的な役割を担っていた小幡篤次郎の生誕地。
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篤次郎の遺言により、当初は小幡記念図書館が建設されましたが、その後、現在の歴史民俗資料館の衣替え。古墳時代の発掘遺跡から、
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江戸期の生活用品まで、
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幅広く展示が行われていました。なお、建物は、国の登録文化財です。
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ついでに、中津市木村記念美術館へも。ここは、地元の医師、木村又郎氏によって設立された私設美術館を中津市が引き継いだものです。
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日本を代表する洋画家、中山忠彦の作品が目玉。ちなみに、中山忠彦は、小倉出身で中津に疎開、中津西高校を卒業した中津ゆかりの画家。所蔵する作品は出世作となった若き日の作品ですが、既にアンティーク調の服地の描き方など、その後の活躍を予感させるような輝きがあって、今では貴重なコレクションとなっているのではないかと思いました。
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だんだんバスの時間が迫っています。ちょっと焦りながらも、寺町へ。
円応寺は、黒田孝高の開基です。 -
寺には、河童にまつわる話が残っていて、「江戸時代中期、この寺の寂玄上人が河童を問答の末に仏門に入らせたというもの」というものです。境内には、立派な河童の墓に
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雰囲気のある河童の池が残っています。
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ほとんど隣りの円龍寺。
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檀家の武士が旅先で閻魔大王への懺悔と信仰によって、仏道に帰依し建立したものと言われ、この閻魔様のお寺として知られています。山門を入ってすぐ左の境内に祀られていて、
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ガラス越しに拝むことができました。
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さて、中津駅に急いで戻ります。これは駅前の福澤諭吉像。何とか時間に間に合いました。
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ここからは、定期観光バスに乗って出発です。
まずは、福沢諭吉旧居。福澤記念館に隣接しています。福澤諭吉は、1歳の時、父が急死したため、母子6人で大坂の中津藩蔵屋敷から中津に帰って来ました。 -
最初に住んだ家は、父が住んでいた小さな家でこれは残っていません。現在の旧居は、後に、母親の実家、橋本家を買い取って住んだもの。国指定の史跡となっています。
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こちらは、土蔵。
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この二階で、幼いころから学問にはげんだ諭吉です。
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福沢旧邸保存会福沢記念館は、諭吉が勉学に励んだ書物や西洋書を書き写したものなど、とにかく、才能豊かな人物であったことが窺われて、膨大な知識量には舌を巻きます。「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」も、とにもかくにも学問が大事であると訴えた言葉であることが実感されました。
旧居もいいですが、やっぱりこちらがメインです。私はちょっと時間配分を間違えたようです。 -
青の洞門にやってきました。
そして、この辺りからはもう耶馬渓で、中津から向かって入口にあたるこの辺りは本耶馬渓。耶馬渓は、山国川の上流域に広がる渓谷で、かなり広い範囲を指すようです。 -
イチオシ
青の洞門は、ここに立ち寄った禅海和尚が、難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘ろうと決心。
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ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたという話は有名です。
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今では、車が通るトンネルなので、
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当時とはずいぶん違ったものになっていると思いますが、 -
一部「禅海手掘りの洞門」が残っています。
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細い穴を想像したのですが、意外にこれもけっこう立派。手掘りの跡は片側で、これも後に広げられたものだと思います。
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広い駐車場の一角には、菊池寛の短編小説「恩讐の彼方に」の記念碑。青の洞門を開削した禅海の史実を元にした作品です。
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これが禅海の像。
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イチオシ
そして、善海の向こうに見えるのが競秀峰。
青の洞門を掘った禅海が難所で命を落とす通行人を見たというのは、この峰の中腹の道。岩肌を少し削り取られて作られた道は下からもよく見えて、通行を助ける鎖もかすかに見えていました。これを見ると、ここがいかに難所だったのかがよく分かります。 -
雨が降って、条件が悪いのですが、次の目的地、羅漢寺に向かいます。
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羅漢寺は、耶馬渓観光のもう一つのハイライト。
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羅漢寺に向かってまずあるのが禅海堂。リフト乗り場の手前です。
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このお堂の内部には、奥の方に30年の歳月をかけて青の洞門を掘り抜いた僧禅海のお墓がありました。そして、墓の前には禅海が実際に使用していたノミ、ツチなども展示されています。
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いよいよリフトを使って羅漢山へ。
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頂上からは、さらに
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歩いて行くようです。
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先ほどの曲がり角を曲がると、
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中腹の険しい岩壁に張り付くように建物が建っています。
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ほー、これはこれは。山門も危なっかしいところに建ってますね。
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羅漢寺の名前は、洞窟の一つである無漏洞(むろどう)の五百羅漢から。
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山門の手前にある、これが
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その五百羅漢のようですね。
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中に入ると
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五百羅漢が
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ぎっしりです。なるほどー
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イチオシ
では、さらに進んで、これが本堂です。
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本堂の横の石の覆い。これは彫ったものではなくて、自然のままなんだそうです。
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他にも無数の洞窟や石仏が多数。
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大友宗麟の焼打ちを逃れたことで、
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これだけのものが無事残りました。圧巻です。
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これは、参道。リフトじゃなければ、これを登って来ることになるようです。
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ただ、私は当然リフトで降ります。
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羅漢寺への登り口には、2〜3軒のお土産物屋さんと食堂を兼ねたお店があって、松風堂はその一つ。
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耶馬渓の名物はそばなのですが、この日はちょっと冷え込んでいまして、温かいだんご汁をいただきました。
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気兼ねがないようなおばちゃんがコトコト煮込んだ汁を持ってきてくれまして、何の変わり映えもしないテーブル席でいただきます。お土産物屋さんに併設された、奥まった感じの食堂ではありますが、けっこう落ち着けるような雰囲気もあっていいかと思います。
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お昼を済ませて、最後は深耶馬渓です。深耶馬渓は、日本三大奇勝や新日本三景の一つとされる耶馬渓の中心。バスを降りて、歩いて展望所に向かいます。
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これはそばの花ですね。白い花が咲いています。
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さて、一目八景の展望所があって、
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周囲には海望嶺、仙人岩、嘯猿山、夫婦岩、群猿山、烏帽子岩、雄鹿長尾嶺、鷲の巣山という8つの景色が眺望できます。展望台の周囲には、峰の名前が出ているのですが、全部ではありません。ただ、まじかに見えるのは、
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この左手の鷲の巣山と
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隣りの
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右手の群猿山。これを確認すれば十分かもしれませんね。
ところで、前回来たのは紅葉の時期で、今回は2回目だったのですが、私としては正直やっぱりちょっと感動が薄いような。むき出しの岩と緑の組み合わせが見所なんでしょうが、 -
北海道の層雲峡や十和田湖の景色を見てしまうと、限られた規模であることで見劣りしてしまうのかもしれません。
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これで、バスは帰路につきます。
これは耶馬渓ダム。耶馬渓の下流、山国川水系に作られたダムで、高さは62.0メートル。重力式のコンクリートダムです。ダムでできた人造湖はかなりの規模で、水上スキーが盛ん。耶馬渓から中津市内に戻る際は、このダム湖の脇を抜けて行きましたが、雨の中、水上スキーを楽しむ人影が見えました。 -
これは耶馬渓橋。日本で唯一の8連石造アーチ橋で、日本百名橋のひとつ。そのうえ、日本最長の石造アーチ橋でもあるそうです。この辺りも大水害に見舞われたのですが、何んとか流されず残ったよう。しかし、通行はできないようで、迂回する車も見えました。
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さて、バスの旅は終了。中津の散策後半戦の始まりです。
中津駅北口から日の出商店街に入りますと、海外出身の人なんでしょうか。ちょっとたどたどしい日本語で元気のいいおばちゃんが切り盛りしている今川焼のお店です。 -
手作りの生菓子も置いてあって、芋もちというのをいただきました。芋もちは、芋を蒸した小麦粉の生地で包んだいきなりだんごのようなものでしたが、全体にしっとり感もあるし、素朴な味わいがかなりのもの。餡子の入っているタイプと入ってないタイプがありまして、餡子の方もそんなに甘くないし、これはお勧めです。
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並びにある栗山堂。ここは、中津にある外郎のお店で、もう200年以上の歴史があるのだそうです。
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イチオシ
かつて、博多で外郎の製法を学んで、中津にそれを持ち帰ったのだそうです。外郎は、二種類。白と茶色で。白は普通の外郎なのですが、茶色はしょうが味。さわやかなしょうがの香りがして、これは絶品です。
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商店街を出たところにも和菓子屋さん。溪月堂 本店は、中津市内の老舗和菓子屋さんのようです。
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看板に柿のお菓子が謳ってあって、その「豊の柚子柿」を買ってみました。その名前の通り、全体としては熟した干し柿そのものなのですが、かじるとかなりしっかりとゆずの香りが口に広がります。あまりに名前の通りのお菓子だったので、食べた瞬間に笑ってしまいました。ボリューム感もあるし、実際に、柿は栄養価が高いのでしょう。これを一個食べれば、しばらくは腹持ちがいいくらいのお菓子だと思いました。
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お菓子巡りはこれくらいにして。
こちらの村上医家は、大江家と並んで代々御殿医を務めた家。 -
史料館では、村上医家の史料及び人体解剖に至るまでの医学の流れを中心に展示されていましたが、驚いたのは二つ。一つは、蛮社の獄で刑死した高野長英が潜伏していたと伝えられる土蔵が残あったこと。もう一つは、絵画や陶器など美術品・工芸品がそこそこにあって、格式の高い家柄に花を添えていました。それも含めて楽しめる史料館です。
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イチオシ
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これが長英の隠れていたとされる土蔵。
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大江医家は、村上医家と並んで、中津藩の御殿医を務める家だったそうですが、数千点におよぶ医学関係やその他の資料が残されています。
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イチオシ
日本で20冊くらいしかないという「解体新書」の初版本なども、きれいに残されていて、ちょっと驚きました。
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「医は 仁術ならざるの術、務めて仁をさんと欲す」という戒めの言葉も有名だそうです。
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後回しになっていましたが、これが中津城。
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黒田孝高が築城をし、細川忠興が完成させた城。この石垣は境目があって、黒田の時代と細川の時代に積まれた石垣の違いが分かるのですが、どっちがどっちだったか、忘れてしまいました。
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堀には海水が引き込まれていて、今治城や高松城と並ぶ日本三大水城の一つです。まず印象的なのは真っ黒な外観と石垣に対して、石垣から大きくはみ出てしまうような天守閣の姿でしょう。
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ここから入ります。
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天守閣からの眺め。
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中津の街も見えています。
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そして、もう一つは、長篠の戦の展示。江戸時代の藩主、奥平家は、武田勝頼の猛攻の中で長篠城を死守した輝かしい歴史を持っています。
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イチオシ
磔になった鳥居強右衛門の絵は、一度見ると強烈に記憶に残ってしまうと思います。
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周囲には神社がたくさんありまして。
奥平神社は、中津城天守閣のすぐ隣りにある神社。奥平家としての初代中津藩主、奥平昌成を祀る神社です。
中津藩は、黒田、細川、小笠原に次いで、奥平家が中津藩主となったのは、1717年。奥平家は、長篠の合戦では長篠城を死守して武功を上げ、徳川家康の長女亀姫を娶ることとなりました。江戸時代は、親藩の位置づけです。 -
隣りは、中津大神宮。「豊前の国のお伊勢様」呼ばれ、明治期に入ってから、伊勢の神宮の分霊を祀ったものです。本殿前の灯籠の位置には日露戦争で奉納された砲弾型の記念碑がありました。
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少し離れた中津神社は、中津城址の片隅にあって、目立たない神社なのですが、十万石の城下町中津を代表する祭り「中津祇園」は、下祗園の闇無浜(くらなしはま)神社と上祇園であるこの神社のお祭り。毎年7月下旬の金、土、日曜日の3日間に、12台の祇園車と御神輿が城下町を回ります。
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これも中津城址にある独立自尊の碑。独立自尊は、慶應義塾の基本精神であり、福澤諭吉の代表的な言葉。福澤諭吉の偉業を称えるため、その「独立自尊」を刻んだ碑が中津城公園に立っています。見上げるような高い碑で、まさに福澤諭吉の思いを表現している碑だと思います。
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城井神社は、黒田孝高に、中津城内で謀殺された前領主の宇都宮鎮房を祀る神社。宇都宮鎮房は、黒田孝高が豊前国に入るのに合わせて四国今治に移封されることになったのですが、それを鎮房が断り、黒田家と争いになったようです。謀殺とは、中津城に嫁いでいた鎮房の娘、鶴姫を利用して鎮房を中津城に招き入れ、その場で殺したもの。 合元寺の赤壁もこの時のものです。
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中津城公園の一角の石垣を登った場所に、あまり目立ちませんが、小幡英之介の像があります。小幡英之介は、日本の歯科医師免許第1号を取得、西洋歯科医学に基づく日本初の歯科医師と言われます。慶應義塾塾長となった小幡篤次郎の従弟でもあるようです。
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この辺で中津城を後にして、中津駅に戻りながら散策を続けます。
中津カトリック教会は、明治20年に設立。現在の聖堂は昭和13年に建てられたもので、その後、昭和57年にステンドグラスが入れられています。その48枚のステンドグラスには、「中津の殉教者」や「細川ガラシャの信仰」などがあって見たかったのですが、拝観時間は月曜日から土曜日の9:00〜16:00。時間に間に合わず、外観を確認するだけとなってしまいました。 -
これはお囲い山。中津はこうした土塁で市街が囲まれていたようで、こうして遺構が所どころ残っているようです。
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で、これも寄って見たかった「豊国畜産 ぶんごや」さん。中津のから揚げでも、超有名店です。けっこう楽しみにして訪ねたのですが、何んと、日曜日はお休みだったんですね。住宅地の中にあって、外観は普通のお肉屋さんのような店舗です。私としては、取りあえず、場所とお店の雰囲気を確認することができただけ。観光客の方は気を付けましょう。
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ぶんごやでがっかりしてしまいましたが、挽回のために桃屋に向かいます。
中津駅の南側113号線沿いの和菓子屋さんです。車の人には便利なのでしょうが、観光客にとっては、近場に全然観光スポットもないし、とてもわざわざ行くような場所ではないのですが、人気のようだし、思い切って訪ねてみました。うーん、予想通りけっこう遠いですねえ。 -
お店でお菓子を選んでしたら、どうぞどうぞとお茶と羊羹を勧められて、これをいただきました。雨の中をよくいらっしゃいましたと本当に丁寧な応対に心が温かくなるようでした。羊羹の薄い甘さも上品で、人気の理由がよく分かりました。
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もう一つの挽回はチキンハウス。113号線沿いでもあり、車で立ち寄るお客さんばかり。
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私のような観光客というより、普段から車でこの辺りをよく通るといった感じの地元の人が多いような。そして、皆さん、かなりの量を買っていきます。
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さて、いただいたのは基本の骨なしムネ肉。いい感じの塩味に、からりと上がった軽い感じがさすがの味わい。さりげないけど、確かに中津ならではの雰囲気がありました。これでやっと落ち着きました。
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隣りの殿畑双葉堂。ここは、いくつか店舗があるようですが、113号線沿いのお店です。笹ういろうをいただきました。大きな店構えなんですが、全体にちょっと古びた感じだし、中津のういろうといえば栗山堂なので、ここのういろうはどうなんでしょうか。
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最後もバタバタでしたが、中津からは今夜の宿、小倉に向かいます。
そして、列車の中で、さっきの笹外郎をいただきます。しかし、笹の香りがういろうに程よくマッチしていて、けっこううまい。元祖じゃなくてもしっかりしたういろうだと思いました。いけてます。 -
小倉に到着。
博多は屋台が有名ですが、小倉にもあるようで。それが、この丸和前ラーメン。日曜の夜でやっているかなあと心配しながら訪ねたのですが、しっかりやっていました。お店の真ん中に、どーんとおでんの鍋が置いてあって、ちょっと圧巻。 -
私は、豚骨ギトギトのラーメンをいただきましたが、細くて、ちょっと固めの麺とのバランスがとてもいい。この麺のおかげで、全体としてはすっきりした味わいになっていまして、締めの一杯としてはたまらない味だと思いました。
明日の門司港に向けて、また元気が湧いてきました。
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