2012/08/19 - 2012/08/21
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hide-bachさん
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(芭蕉像、看板に奥の細道最北の地とある)
(象潟(きさがた)
鶴岡から船で坂田(現酒田市)へ七里、
酒田は、米、大豆、紅花などを出荷して、
塩、木綿、木材などを入荷する。
四〜11月までの間に2,500艘の船が出入した港と言う。
大商業地であったらしく、
芭蕉も歓待されたのであろう、
滞在途中、酒田から象潟へ向かい、
九十九島、八十八潟を眺めて、
四日後には酒田に戻り、
酒田には実質九日間も逗留している。
その象潟へボクも尋ねた。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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-
芭蕉の頃は、仙台の松島に似て、
海に点々と浮ぶ美しい小島であったに違いない、
九十九島、八十八潟と言われる海に浮ぶ島々は、
今は稲穂がたれる田圃の中の小山に過ぎない。
(象潟九十九島の一部) -
しかし芭蕉は、象潟で船に乗り象潟の島々を眺め、
蚶満寺(かんまんじ)を訪ねている。
その蚶満寺で船を止め上陸し、
西行法師が詠んだ桜の老木を見て、
蚶満寺の方丈に座り簾を上げて風景を眺めている。
(奥の細道蚶満寺)
(南に鳥海山が聳え、西にはうやむやの関が道を塞ぎ、
東には堤が築かれて、秋田への道が続いている。
北には海があり、その面影は、
点々と島がある松島に似ているようであるが、
似て非なるもののようである。)
(ボクの勝手な現代語訳)
と感想を述べている。
「奥の細道」の原文では、
松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。
寂しさに悲しみをくわえて、
地勢魂をなやますに似たり。
(松島は笑顔をたたえた様であるが、
象潟の有様は、憂いに沈む美人の風情である。)
(岩波文庫「おくのほそ道」注記より) -
(西施像)
「象潟や雨に西施がねぶの花」
「汐越や鶴はぎぬれて海涼し」
と詠んでいる。
西施とねぶの花については、
いずれも名前は知っていても、
さて、どんな人、どんな花と聞かれると、
説明が出来ない。
「西施(せいし)」について、
絶世の美女と言われるが、世界三大美女の中には入っていない。
入っているのは「楊貴妃、クレオパトラ、小野小町」となっている。
美女というと、その容姿は時代によって左右されるから、
何とも言えないが、
切れ長の目でうりざね顔の柳腰が美女の時代、
おたふくで代表される美女の時代もあったに違いない。
今はAKB48に代表される美女群がちやほやされる時代である。
「楊貴妃」もその時代の肖像では、
でっぷり太ったふくよかな女性というから、
美人の定義も今とは違っている。
さて、その「西施」であるが、
これもその時代の美女であったことには、
間違い無さそうである。
「呉越同舟」で表現される、
「呉」と「越」の国が争っている時代の事である。
越王 勾践が、呉王 夫差に、復讐のための策謀として献上した美女、
西施と言う名の美女がいた。
貧しい薪売りの娘として産まれた西施は、
谷川で洗濯をしている姿を見出されたといわれている。
呉の国に送り込まれた西施に、呉の国王夫差は夢中になり、
呉の国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。
中国では美女の事を「傾城(けいせい)」ともよぶ。
(傾城=美女にかまけて国の運営をないがしろにし、城を傾けるから。)
西施は胸の病があったらしく、
彼女が胸元を押さえ、眉間にしわを寄せ悩む姿にはなんともなまめかしく、
か弱い女性の美しさがにじみ出ていたという。
西施にも弱点があったとされる。
それは大根足であったとされ、
常にすその長い衣が欠かせなかったといわれている。
しかし、この当時は大根足が美女の条件であったかもしれない。
西施を知らなければ、芭蕉の句を理解できない。
「象潟や 雨に西施が ねぶの花」 -
(ねぶの木)
「奥の細道」の原文に、芭蕉は、
<strong>「面影松島にかよひて、又異なり。
松島は笑うが如く、象潟はうらむがごとし」</strong>
と言っているが、
美女西施の悩める姿と合歓の花を混ぜ合わせて、
雨にけむる象潟を表現したかったものと思われる。
岩波文庫「おくのほそ道」の注記によれば、
芭蕉のこの俳句の意を次のように解説している。
(雨にけぶる象潟は、
悩める美女西施を思わせる、
合歓の花の風情と通い合い、
美しくもさびしさを深めている。)
そして次が「ねぶの花」である。
「ねぶの花」は「合歓の花」のことであるが、
合歓の木は、夕方から夜の間は葉が閉じることから、
ねむる木と言われ、それが「ねむの木」と呼ぶ事になったという。
この木を実際には見たこともなく、
象潟の西施像の前にあった合歓の木でしか知らない。
まして花はどんな花かボクは知らない。 -
さて、蚶満寺には松並木に囲まれたひなびた参道があり、
左手は一面の緑の稲穂の中に象潟の島々がみえ、
参道右手には芭蕉像と句碑、
造ったばかりに感じられる西施像がある。
(ひなびた長い参道) -
(左手の島々)
-
(芭蕉像)
-
ながい参道の突き当たりに、
古色蒼然とした佇まいの山門があり、
その先に六地蔵が出迎えて、
赤い帽子と前掛けをつけて建っている。
本堂へはうっそうとした木立の中を抜けていかなければならない。
(古色蒼然とした山門) -
(林がかぶさるような本堂への道)
-
(六地蔵)
-
すぐ目の前に鐘楼があり、手前に芭蕉の木が目に入る。
芭蕉があるということは、
東北とは言え、このあたりは温暖なのであろう。
左手に本堂が見える。
(鐘楼前の芭蕉の木) -
(本堂)
-
本堂左横を潜り抜けると、裏庭に通じており、
西行が歌を詠んだ桜の木(何代目かの若木)と歌碑が左手にあり、
・きさかたの桜は波にうずもれて
花の上漕ぐ海士(あま)のつり舟
とある。
(西行の歌桜) -
その手前に芭蕉が船から降りた「舟つなぎ石」があり、
イヌクスの大木が枝を広げ、
右手は盛り上がった小山があり芭蕉句碑が置かれている。
(芭蕉句碑)
芭蕉句碑には、
・象潟の雨に西施がねぶの里
と初案の句が刻まれている。 -
(舟つなぎ石) -
(イヌクスの木)
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