2013/09/28 - 2013/09/29
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ryujiさん
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9月28日29日の2日間、奈良へ行きました。1日目は奈良市を中心に、2日目は明日香地方を廻った。主だった観光地を自身が観る、有意義な時を得たと思っています。
昨年11月、3泊4日の奈良旅行より今回で5回を数えました。云わば奈良にはまってしまった、そんなところなんでしょう。寺社巡りもしたい、古代の遺跡もいい、そうした魅力にとりつかれ今回の旅となりました。
28日早朝、我が家より奈良東大寺まで165kmを車で約2時間半、名阪を天理まで走り、169号線にて奈良公園まで。
これより旅行の始まりです。
(写真・東大寺大仏殿)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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浮見堂。
私の奈良旅行での最初の訪問地、ここが浮見堂です。これが我が奈良旅行の定番となりました。今回は3月と同様に快晴に恵まれました。風情、趣あるこの浮見堂、私好みなんでしょう。何度見ても素晴らしい景観です。。 -
同上。
池に浮かぶ美しいお堂。
奈良公園・鷺池に浮かぶ檜皮葺(ひわだぶき)、八角堂形式(六角形)のお堂です。 -
東大寺大仏殿。
東大寺大仏殿の池の前より。中学生修学旅行の生徒を、ここで団体記念写真を撮っていました。 -
同上。
「奈良の大仏」を安置する世界最大の木造建築。
東大寺と言えば、聖武天皇が建てたお寺として誰もが知っていると思います。 その経緯について。 728年聖武天皇が皇太子供養のために建立した金鐘寺が東大寺の始まりとされています。華厳宗大本山。743年になり聖武天皇が大仏造顕の詔を公布、745年に金光明寺にて造営が開始された際、東大寺となった。大仏は752年に開眼供養が行われた。 -
大仏さんの左となりにありました。
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春日大社。(南門)
多くの摂社や未社を抱える深い森に囲まれた聖域。
全国に春日神社が数多くあります。その総本山がここ春日大社です。歴史は平城京へ都が移された奈良時代から始まります。境内は古代から神域とされた御蓋山一帯に広がり、原始林に守られているかのように鮮やかな朱塗りの社殿が鎮座。 春日大社は世界遺産に登録されている藤原氏ゆかりの名社です。 -
同上。
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万葉植物園。
「万葉集」に詠まれた約27種の植物を栽培。
万葉集に詠まれた植物を植栽万葉園は神苑の中でも国内最古のものである。万葉名で詠まれた植物の8割以上の標本展示園として作られています。
ふようの花が咲いていました。 -
同上。
日頃より万葉の草花に興味ある私にとっては、この地を訪れるのがこの上ない楽しみである。
あさがお(桔梗)の花。 秋の七草でおみなえしの花はまだ咲いていませんでした。同様に尾花もこれからの様です。 -
興福寺。(南円堂)
藤原氏の栄華盛衰とともにあり、かって広大な寺域を誇った。
興福寺は2010年に創建1300年の節目を迎えた。 南都六宗の一つ法相宗の大本山の寺院である。 -
同上。(五重の塔)。
猿沢の池をはさんでの五重の塔、絶景の様です。 気持ちの良いこの日、スケッチブックを手にする人々を見た。 -
吉城園。
衣水園の隣にある杉コケが美しい日本庭園。
今日は名勝衣水園を楽しみにしていましたが休館でした。残念です。しかたなく、右隣にある吉城園を観る事にしました。 -
同上。
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名勝旧大乗院庭園。
大乗院の往時を偲ぶ名作庭家による美しい庭園。
明治初期に廃寺となった大乗院の庭園。銀閣寺の庭を造った善阿弥が室町中期に復興作庭。 -
同上。
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平城京跡。
平城京の中心だった宮殿跡。
朱雀門。平城京の正門にあり、その前では外国の使節の送迎を行ったりしました。
平城京(奈良の都)は710年に元明天皇により遷都され、1998年には平城京の遺跡として世界遺産に登録された。昨今では「遷都1300年」として広く催し物がここ平城京跡で行われた。 -
同上。第一次大極殿。
朱雀門の真北約800mに堂々とそびえる「大極殿」。国のもっとも重要な儀式のために使われていました。
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同上。東院庭園。
皇太子の宮殿があった場所で「東宮」あるいは「東院」と呼ばれていました。その東南に池があり、これを中心に構成されているのが東院庭園です。 -
薬師寺。西塔。
独特の伽藍配置が甦った法相宗の大本山。
天武天皇の発願(680)持統天皇によって本尊開眼(697)、文武天皇の御世に堂宇の完成を見ました。(飛鳥の地) 718年に現在の地に移され、平成10年(1999)に世界遺産に登録された。 -
同上。
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唐招提寺。(金堂)
天平の甍が建ち並ぶ鑑真和上の教えを守る律宗の総本山です。
この寺の開祖(創立者)は鑑真である事は余りにも有名である。小説「天平の甍」で広く知られるようなった。僧鑑真が晩年を過ごしたとされる寺であり、金堂、講堂を初め多くの文化財を有する。 -
同上。
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法隆寺。
日本で初めて世界遺産に登録された聖徳太子建立の飛鳥時代の仏教寺院。
五重の塔と西院伽藍。 法隆寺は聖徳宗の総本山であり、別名を斑鳩寺という。7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える伝教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。 -
同上。
夢殿。 53年ぶりに見る夢殿です。修学旅行で来た京都・奈良は、過ぎし昔の思い出にすぎません。 -
白豪寺。
貴重な仏像を数多く安置、花の寺としても人気が高い。
この寺は志貴皇子の山荘の跡に建てられたといわれています。 -
同上。
萩の花と笠金村の歌碑。 この歌は志貴皇子が亡くなられたときに笠金村が詠んだとされる歌で、萩をこよなく愛でたとされる皇子の心情がよくでている。 -
同上。
この地、白豪寺では萩の花とあさがおの花が仲良く咲いていました。 -
29日早朝、散策しました。垂仁天皇御陵より、朝日を撮ってみました。 (今回の奈良旅行では尼ヶ辻駅の近くのホテルを利用しました)
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垂仁天皇陵。
のどかな田園に溶け込む巨大な前方後円墳。
尼ヶ辻駅の西にある垂仁天皇(11代目)の御陵を見学しました。 -
同上。
垂仁天皇とその時代。
垂仁天皇の父は崇神天皇(実在したとされる最初の天皇)、子は景行天皇である。 この時代あたりから歴史がはっきり見えてきた、私はそのように思っています。
垂仁天皇の治世で有名なのは殉死を禁止したことです。代わりに埴輪を埋めるようにした開明的な人物とされています。
この時代になり、古事記(日本書紀)の内容も人間味があり、豊富で信憑性が高く感じます。狭穂姫(さほひめ)とその兄狭穂彦の謀反、物言わぬ皇子〔誉津訳命)の物語は興味深いものと思っています。
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同上。
垂仁天皇陵。 中央の沼の中に田道間守(たじまもり)の墓がありました。(写真) 天皇が田道間守に持って来るように命じた、不老不死の薬(物語の中では「時じくのかくの木の実」という)といわれた橘(みかん)の物語りも有名です。 -
橿原神宮。南門。
奈良市から橿原市へやって来ました。モーニングコーヒーを飲み、さぁ〜明日香地区を頑張るぞぉ〜。
南門右側に、紀元二千六百七十三年(写真では見ずらい)と書いてありました。神武天皇が即位されたのは、西暦では紀元前660年です。学校での歴史では縄文時代になり、ちょっと信じがたいことです。 -
同上。(外拝殿)
初代天皇の神武天皇と皇后を祀った明治建立の神社。
本殿は京都御所の内待所、文華殿は織田家の藩邸を移築したもので、いずれも国の重要文化財。 -
同上。(鳥居)
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吉備姫王(きびつひめのおおぎみ)の墓。
明日香村の最初は吉備姫王の墓へ来ました。私は以前より、吉備姫王の存在に興味をいだいておりました。・・・・・・それは2ページ後に。 -
同上。
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吉備姫王の系図。
蘇我の血を現皇室に残す事になった!。
左の系図の中央が吉備姫王です。皇極天皇(斉明天皇)・孝徳天皇の生母であり、天智天皇そして有間皇子の祖母です。父は桜井皇子。(さくらいのみこ) 用明・推古天皇の同母弟でその母は堅塩媛(きたしひめ・蘇我稲目の娘)である。
欽明天皇(妃・堅塩媛)ー桜井皇子ー吉備姫王ー皇極天皇ー天智天皇・・・・・今上天皇
藤原不比等は蘇我の娘を娶り、武智麻呂・房前・宇合を儲け、広く藤原氏の繁栄の礎をきずいた。天皇家の於いては、この系図が示すように後にも先にも蘇我の血が現皇室に残されたのはこれのみである。その意味では、吉備姫王とその父桜井皇子の存在は忘れてはならないものと考えます。 -
欽明天皇陵。
日本に仏教が伝来した頃に、(538年説・552年説) 在位していた欽明天皇の墓とされる。 -
亀石。
このユーモラスな顔つきから明日香村観光のシンボルとなっている。 -
同上。
亀石の伝説。
いつ作られたかは謎である。言い伝えによれば、奈良盆地に湖があったころ、対岸の当麻のヘビと川原のナマズの争いの結果、当麻に水を吸いとられ、川原あたりは干し上がってしまい、湖の亀はみんな死んでしまった。亀を哀れに思った村人は「亀石」を造って亀を供養したという。 -
天武・持統天皇陵。
天皇夫妻がともに眠る墓。
中央集権国家体制の礎を作った天武天皇と皇后の持統天皇が合葬された陵墓。被葬者が確定できる唯一の天皇陵である。火葬された持統天皇の骨壷と天武天皇の棺が並んで安置されているという。 -
石舞台古墳。
飛鳥のランドマーク的存在。
飛鳥時代の豪族、権威を誇った蘇我馬子の墓と伝えられている。巨石30数個を積み上げて造った石室古墳で7世紀の建造物では日本最大級。 -
同上。
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橘寺。
聖徳太子が生まれ育った地に太子みずからが建立した寺。
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同上。
橘寺の入り口に「聖徳太子誕生の地」の石碑がありました。 -
岡寺。
奈良時代末期制作の巨大な如意輪観音像が鎮座する。
西国33カ所の第7番札所にあたる真言宗豊山派の寺院。約1300年前、天智天皇の勅願によって義淵僧正が建立したと伝わる。 -
同上。
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犬養万葉記念館。
「万葉集」の研究では第一人者。長年の「万葉集」研究の功績で文化功労者のも選ばれた犬養孝の記念館。 -
伝飛鳥板蓋宮跡。立て札。
大化の改新はここから始まった。天武天皇の飛鳥浄御原宮跡。
中大兄皇子・中臣鎌足が大化の改新を断行し、蘇我入鹿を倒したといわれる場所である。現在はこの地に当時の遺構を復元、整備されている。
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同上。
復元された石敷き広場に、今日私はこの地に立った。日本史の一大事件(大化の改新)を回想し、万感の思いに浸った。
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蘇我入鹿首塚。
飛鳥寺の西側にある五輪塔。乙巳の変で中大兄皇子にはねられた蘇我入鹿の首は、飛鳥寺方向に飛んでいったといわれ、その怨念を鎮めるために建てられたという。 -
同上。
後方には蘇我氏縁の甘樫の丘が見えます。 -
飛鳥寺。
壮大なスケールで創建された蘇我馬子発願の日本最古の寺。
当時は塔を中心に3つの金堂が並ぶ伽藍様式を誇っていた。鎌倉時代の火事で多くを焼失。本尊の釈迦如来坐像は、傷だらけだが、飛鳥大仏として親しまれている。 -
同上。
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甘樫の丘より畝傍山を眺める。
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甘樫の丘(豊浦展望台)
眼下の飛鳥のみならず、大和盆地の遠景を見渡せる。畝傍山と耳成山(右)
標高148mの小高い丘。蘇我入鹿の屋敷があった場所とも伝えられる。歴史公園として整備され、「万葉集」や「古事記」などに出てくる万葉植物が観賞できる。
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同上。
耳成山と天の香具山(右) -
同上。
天の香具山 -
奈良県立万葉文化館。
「万葉集」を中心に日本の古代文化を体感・学習できる。
「万葉集」の歌をもとに、人形や映像、アニメーションなどを用いて当時の生活文化を紹介する劇場や、ジオラマなど、体感的に万葉文化を学べる。日本画展示室やカフェ、ショップコーナーもある。
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同上。
館内前には遷都くんがお迎え。 -
この地一体を流れる明日香川。
古代には水量豊かで流れが激しく、しばしば氾濫しては飛鳥人を悩ましていた。この川のすべての風物を愛し、日常の生活感情を結び付けては歌を詠んでいた。それらの歌は万葉集の中に数多く残されている。 -
かぎろひの丘。(大宇陀)(昨年11月撮影)
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柿本人麻呂像。
柿本人麻呂公園。(大宇陀)(昨年11月撮影)
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この旅行記へのコメント (8)
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- 前日光さん 2013/12/25 23:45:54
- 「寧楽」という文字がまた素敵ですねぇ〜
- ryujiさま、こんばんは。
コメントをと思いつつ、気楽に書くには素晴らしすぎるお写真と内容ですので、なかなか時間が取れませんでした。
どの写真を拝見しても、今すぐに奈良に飛んで行きたくなるものばかりで困ります。
思えば今上天皇は、蘇我氏と繋がっていることになるのですねぇ〜
吉備姫王が、その要となっていたのですね。
この人が存在しなければ、天智天皇も天武天皇も、彼らに纏わる一連の壮大なストーリーもなかったわけですから、確かに重要な人物なのですね。
この時代の、複雑この上ない人物関係のドロドログチャグチャが大好きな私としましては、この吉備姫王にもう少し着目しなくてはいけませんね。
飛鳥板葺きの宮跡は、ぜひとも行ってみたいところです。
あのクーデターがあった現場に立ち追体験するって、いったいどんな気持ちになるのでしょうか?
人麻呂が顧みした大宇陀の「かぎろひの丘」、人麻呂の目に映じた宇宙には何が存在したのか、ここもものすごく興味があります!
ryujiさまの素晴らしい旅行記は、ひととき現実を忘れさせてくれる効用がありますね。
また奈良の美しい写真に期待しております。
前日光
- ryujiさん からの返信 2013/12/26 11:24:06
- RE: 「寧楽」という文字がまた素敵ですねぇ〜
- > ryujiさま、こんばんは。
>
> コメントをと思いつつ、気楽に書くには素晴らしすぎるお写真と内容ですので、なかなか時間が取れませんでした。
>
> どの写真を拝見しても、今すぐに奈良に飛んで行きたくなるものばかりで困ります。
こんにちは、前日光さま。
お元気ですか?、今年もあとわずかですね。月日の流れの速さに戸惑いを覚える日々を送っています。 今回書き込みメールを頂きありがとうございます。前日光さんならではコメント(古代史に造詣が深い)にどんな返事をと苦慮しているんですよ。
>
> 思えば今上天皇は、蘇我氏と繋がっていることになるのですねぇ〜
> 吉備姫王が、その要となっていたのですね。
> この人が存在しなければ、天智天皇も天武天皇も、彼らに纏わる一連の壮大なストーリーもなかったわけですから、確かに重要な人物なのですね。
旅行記でも述べましたが、私はかながね吉備姫王の存在に興味を持ち注視しておりました。仰るとおり、彼女がいなかったら天智天皇の存在はなく、現皇室もありえなかったと言えるでしょう。(天智天皇後曽我氏の血を引く弘文天皇〜称徳天皇の子孫は現皇室と関わりない) その理由かも知れませんが、私が墓にお参りが出来ました。(立派な墓石として今日に伝えられた)
>
> この時代の、複雑この上ない人物関係のドロドログチャグチャが大好きな私としましては、この吉備姫王にもう少し着目しなくてはいけませんね。
私も最も好きな時代です。今年9月29日、大化の改新の舞台となった飛鳥板葺宮跡に立った。吉備姫王の関連を含めてその子、皇極天皇と孫の中大兄皇子、そして蘇我入鹿が繰り広げたこの地で私なりに思いを再現したいと思います。(考察という程でない)
>
> 飛鳥板葺きの宮跡は、ぜひとも行ってみたいところです。
> あのクーデターがあった現場に立ち追体験するって、いったいどんな気持ちになるのでしょうか?
お断り。前日光さん、これからのコメント笑わずに聞いてくださいね。まず前日光さんが認めるクーデター、私も同感まさにクーデターですね。(歴史教科書では、曽我氏を打ち滅ぼし新しい時代を迎えたとなっています)
時の政権の権力者を倒した、それは曽我氏(蘇我入鹿)だけだったであろうか?。 私は微妙に皇極天皇も同罪に思います。 入鹿と言う男は天皇家をないがしろにし、横暴だったとされています。多分に性格はそうであったにしても、天皇にとって代わろうと考えていたとは私は思えない。 曽我氏の血を引く皇極天皇とは親密な関係だった事が資料にみえます。(それ以上の蜜月状態とも言える) このクーデターは綿密に計画され、まさに青天の霹靂とは皇極天皇であったに違いない。その時斬りつけられた入鹿は、天皇に「なに故、私が」と叫んだと云われています。一番信頼していた天皇(愛人?)に裏切られた思いで息を引きとったと私は思っています。こうしてクーデター成功し、皇極天皇は責任を取ったか形で譲位した。
天皇、入鹿、中大兄皇子を全く異なった思惑があったのです。(これは私、相当確信しています) 天皇は幾分事なかれ主義、多分に女性の部分があった様に思います。入鹿は天皇の権威のもとでより権力を得たい。いずれは庶腹とは言え、故舒明天皇の長子の古人大兄皇子(母曽我氏出)を天皇にと展望していたと思います。一番切羽詰まった状態が中大兄皇子ですね。先年、入鹿に上宮家が滅ぼせて気が気ではなかったと思います。殺ったら殺り返すでなく、殺る前に殺ってしまおうですね。
>
> 人麻呂が顧みした大宇陀の「かぎろひの丘」、人麻呂の目に映じた宇宙には何が存在したのか、ここもものすごく興味があります!
今回人麻呂は省略させてください。 それはそうと前日光さんの家持への思い又聞きたいなぁ〜、出来れば宜しく。
>
> ryujiさまの素晴らしい旅行記は、ひととき現実を忘れさせてくれる効用がありますね。
ありがとうございます。
>
> また奈良の美しい写真に期待しております。
>
>
> 前日光
今回、何かまとまりのないつまらないコメントをしてしまい申し訳ありません。 これに懲りずお付合いして頂ければ幸いです。
ryuji
-
- のんき茂野さん 2013/11/04 08:25:25
- これは・・・
- 一瞬絵葉書かとおもいました。
ニコンを使用されているのですね〜
やはり機材ではなく腕なんでしょうね〜
私はどうもカメラの事に詳しくなく
イザという時に思ったように撮影できず
焦ってしまいます。
特に夜景や流水など、単純にシャッタ速度を
落とせば?程度しか思い浮かばず
メニュで困っています。
またアドバイスお願いします
のんき茂野
- ryujiさん からの返信 2013/11/04 09:21:18
- RE: これは・・・
- > 一瞬絵葉書かとおもいました。
>
> ニコンを使用されているのですね〜
>
> やはり機材ではなく腕なんでしょうね〜
> 私はどうもカメラの事に詳しくなく
> イザという時に思ったように撮影できず
> 焦ってしまいます。
>
> 特に夜景や流水など、単純にシャッタ速度を
> 落とせば?程度しか思い浮かばず
> メニュで困っています。
>
> またアドバイスお願いします
>
> のんき茂野
おはようございます、のんき茂野さん。ご無沙汰しています。
え・え・えっ、絵葉書? のんき茂野さんはご冗談がきつい。
ニコンはニコンでもお値打ち1眼デジです。2年6ヶ月前新品同様品を安く手に入れました。夢はフルサイズのデジカメですが、年金生活の小生と致しましては叶わぬ夢といったところです。
写真の技術ですが、小生はシロウトです。綺麗に撮ろう、そんな思いだけは結構あるんでしよねぇ〜。思い通りにいかないのが現実のようです。のんき茂野さんは、小生より巧く撮ってお見えになる。お若いからもっと上手になられると思います。
メールを頂きありがとう。
ryuji
-
- rinnmamaさん 2013/10/20 14:21:04
- 橿原神宮
- ryujiさん、こんにちは
御無沙汰しております。投票有難うございました。
私はryujiさんもお泊りになった、ウィーンのアストリアホテル辺りを
再ブログ中です。
4tに投稿するきっかけになりました、初ブログのドイツ旅。
ただ、訳もわからず投稿しましたので、写真が沢山残っていましたので、
整理しながら、ノンビリUP中です。
ryujiさんのように中身の濃いブログには、追いつけませんね〜。
いつも、ふむふむと思うのですが、知識として残らず(汗)です。
以前、奈良の旅に書き込みさせて頂いたかもしれませんが、橿原だけは
思いが深い地です。そして、橿原神宮にも日参いたしました。
次男が、奈良医大で心臓手術をいたしましたので、此の地に1ヶ月以上
滞在いたしました。ただ、畝傍山を仰ぎ見たのと、橿原神宮に願掛けに
行った記憶のみですが・・・。
奈良も歴史を紐解いて旅しましたら、奥深くて永遠に続きそうです。
今年は酷暑でしたので、9月末でも暑かったのでは・・・。
天候不順ですので、御身体御自愛くださいませ。rinnmama
- ryujiさん からの返信 2013/10/21 11:02:25
- RE: 橿原神宮
- > ryujiさん、こんにちは
こんにちは、rinnmamaさん。こちらこそご無沙汰です。
いつもいつもありがとうさんです。
>
> 御無沙汰しております。投票有難うございました。
> 私はryujiさんもお泊りになった、ウィーンのアストリアホテル辺りを
> 再ブログ中です。
アストリアホテル、懐かしいですね。まぁ〜この辺りは(例えがオペラ座・ホテルザッハーの辺りと云ったほうがいいですね)素晴らしくグログに事欠かないでしょう。
>
> 4tに投稿するきっかけになりました、初ブログのドイツ旅。
> ただ、訳もわからず投稿しましたので、写真が沢山残っていましたので、
> 整理しながら、ノンビリUP中です。
ドイツ旅行(再投稿・続編?)を手がけてみえるんですね。ソレは楽しみなこと、出来上がりを待っていますよ。いい〜ですね〜rinnmamaさんは、持ちネタが沢山お有のようで。海外旅行の少ない小生は羨ましい限りです。(昨今、何とかイタリアを載せましたが後がない)
>
> ryujiさんのように中身の濃いブログには、追いつけませんね〜。
> いつも、ふむふむと思うのですが、知識として残らず(汗)です。
いえいえ中身が濃いなんて、とんでもない話です。でもこうして旅行記を作ること、楽しい発見です。現役の時には考えられなかった事ですから。
>
> 以前、奈良の旅に書き込みさせて頂いたかもしれませんが、橿原だけは
> 思いが深い地です。そして、橿原神宮にも日参いたしました。
橿原神宮は38年前1度行きました。
>
> 次男が、奈良医大で心臓手術をいたしましたので、此の地に1ヶ月以上
> 滞在いたしました。ただ、畝傍山を仰ぎ見たのと、橿原神宮に願掛けに
> 行った記憶のみですが・・・。
> 奈良も歴史を紐解いて旅しましたら、奥深くて永遠に続きそうです。
ご次男様の大手術、大変でしたね。きっと神武天皇が助けてくださったんでしょう。 奈良の旅ですが、小生この1年ハマってしまいました。魅力にとり憑かれた思いは当分続きそう。rinnmamaさんも是非奈良の旅を、そして素敵な思い出を!。
>
> 今年は酷暑でしたので、9月末でも暑かったのでは・・・。
> 天候不順ですので、御身体御自愛くださいませ。rinnmama
ありがとうございます。無理せず、ほどほどに頑張りやっていきたいと思っております。
ryuji
>
-
- satom4traさん 2013/10/12 09:41:20
- 奈良についての博識に恐れ入ります
- 前任地が広島で、冨塚という国鉄の書記長がストを打って当時西宮から大阪に阪急電車で通勤していたが、この近鉄のみは改札口ストで動いていたのが便利と思い奈良に土地を求めて住んで30年のよそ者ですが、それなりの奈良県人であるが新たに知ったことも多く、詳しい史実と生き生きした素晴らしい写真に感銘。
- ryujiさん からの返信 2013/10/12 15:01:20
- RE: 奈良についての博識に恐れ入ります
- > 前任地が広島で、冨塚という国鉄の書記長がストを打って当時西宮から大阪に阪急電車で通勤していたが、この近鉄のみは改札口ストで動いていたのが便利と思い奈良に土地を求めて住んで30年のよそ者ですが、それなりの奈良県人であるが新たに知ったことも多く、詳しい史実と生き生きした素晴らしい写真に感銘。
はじめまして、satom4traさん。
書き込みのメールを頂きありがとうございます。タイトルのお褒めの言葉に恐縮してしまいます。この様に自身の思いを旅行記のかたちにしたのはごく最近の事です。奈良につきましては昨年の秋(万葉の世界前編)からです。好きな旅行も定年退職後の事、興味ある出会いを楽しみにこうした旅行記とつき合っています。幸いにもこのフォートラは、特に制約なるものがなく自由奔放に行動できるのがいいですね。旅の楽しさとあわせて又一つ趣味が増えた思いで毎日を過ごしています。
ryuji
>
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