2013/04/03 - 2013/04/06
33位(同エリア399件中)
ミッキーさん
おやじ達は、現存する国内最古の現役下関南部郵便局舎内のレトロな「多羅葉カフェ」をあとにし、191号線を長門方面に向かいました。
走ること1時間で、予定していた昼食場所の川棚温泉入り口付近の「元祖 瓦そばのたかせ」に到着。
明治10年、西南の役において熊本城を囲む薩摩の兵士たちは、長い戦野の合間に瓦を用いて、野草・肉・などを焼いて食べたという古老の話にヒントを得て、初代の高瀬慎一が数十年経過した日本瓦を用い、独特の製法で開発したものを「瓦そば」と名付けたとのことです。
本館は定休日で、別館の建物に入り、「瓦そば定食」を注文、まず、熱々の大きな瓦に茶そば・牛肉・錦糸玉子・海苔などが乗って出てきました。
温かいだし汁にそばを付けて食べ始めましたが、そば・牛肉共けっこう量がありましたが、美味しくいただきました。
そして、次の目的地「角島・つのしま大橋」に向かいました。
途中、ちょうど1年前にオープンした北長門海岸国定公園の「道の駅 北浦街道豊北」に寄り、ここから角島など美しい海の景観を楽しむことができました。
それから、15分ほどで、角島大橋を渡り始めました。
通行料のいらない橋としては、日本屈指の長さ1780メートルで、テレビのCM・旅行ツアーのチラシなどでなんどか見て知っていたのですが、印象として、桁下から海面が近く、真っすぐな道路で「車」のCMにはピッタリだと感じました。
そして、今日最後の目的地、長門市にある「童謡詩人・金子みすゞ記念館」に1時間で到着。
金子みすゞ記念館の案内版の近くに大きな「向かいあう2人のみすゞ」の壁画(5m×10m)があり、そこから歩いて、2,3分で金子みすゞ記念館があります。
みすゞ通りにある記念館には、生家が営んでいた「書店」や、みすゞが育った「部屋」の様子が再現され、奥には「みすゞギャラリー」「みすゞの本・CD」等のショップがあり、かなり広い記念館で、来客のほとんどが女性でしたが、昨年テレビで「金子みすゞ物語」を見たおやじとしては、26歳の若さでこの世を去った「みすゞ」が残念です。
次に続く
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ANAセールス
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おやじ達が入った「たかせ別館」の玄関。
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靴を脱いで、庭が見わたせる、広い和室に案内されました。
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まず、3人分の瓦そばがでてきました。
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手前の温かいつゆに付けて、そばをいただきます。
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すぐ向かいにある「たかせ本館」は定休日でした。
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道の駅「北浦街道 豊北」から見た角島大橋。
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角島大橋に入りました。
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海面は、透きとおっています。
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この辺りから真っすぐな道路です。
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真っすぐな道路。」
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渡り切った所の見晴らし台から。
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金子みすゞ記念館の案内版。
見る角度によって、タイル画のデザインが変わります。
この角度からは、女学生時代の「みすゞ」と夕日が沈む青海島になります。
女学生の時の「みすゞ」は、成績優秀、おとなしく、読書好きで、誰にでも優しかったようです。 -
正面から見ると、向かい合った「2人の金子みすゞ」になります。
右側が20歳の時の「みすゞ」。
この20歳の頃から童謡を書き始め、4つの雑誌に投稿した作品全てが掲載され鮮烈デビューとなったようです。(本名は金子テルで、みすゞはペンネーム) -
2万枚の三角ピースで、昨年11月に完成。
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少しアップで。
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長門市全ての小・中学校、企業・団体すべての人が、2万枚のタイルに言葉を書いたようです。
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みすゞ生誕100年目の2003年4月11日に、生家跡に再現された「金子みすゞ記念館」。
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みすゞ通りにある「金子文英堂」の玄関。奥に記念館があります。
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金子みすゞ記念館の入り口。
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帳場からのみすゞ通り。
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2階のみすゞの部屋を再現。
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4畳半あるかないかの狭い部屋です。
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26年間で、512編の詩を書いたみすゞ。
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