2013/03/03 - 2013/03/03
521位(同エリア1377件中)
tajiさん
ホテルで朝食後出発。
9:00―10:00 60min
小倉ベイホテル第一関門海峡〜壇ノ浦〜赤松神宮
どうしても、壇ノ浦と平家の赤間神宮に行きたかったので無理して行く。
行きは関門トンネルを通り、帰りは上を通れたのは良かった。
赤間神宮の平家の武士のお墓や安徳天皇陵は感慨深い。
耳無し法一の像も思いがけず見られた。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ホテルを出発して関門海峡に向かう。
海峡ドラマシップが見えた。 -
昨日行った九州鉄道記念館を通って
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関門トンネルの入り口のインターへ。
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関門海峡トンネルの入り口はフグの壁画になっていた
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対面通行なので結構怖い。
ここでもし大事後が発生したら、、と。 -
高速のインターを降りて関門海峡へ向かう。
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“日の山公園”の入り口に着く。
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その目の前が『みもすそ川公園』になっている。
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復元された長州砲<八十斤加農(カノン)砲>
文久3年(1863)5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃した(攘夷戦)。翌年8月米・英・仏・蘭の四国連合艦隊17隻が報復のために下関にやってきて。連合艦隊に大敗し、全ての砲台が占領・破壊された。 -
関門海峡が真上に見える。
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長州砲と関門海峡
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外に飾ってあるのは復元した長州砲だが、一つだけ当時の物が展示されてある。
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天保15年(1844年)に作られた長州砲
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壇ノ浦古戦場跡なので、源義経と平知盛の像は、義経は八艘跳び、知盛は錨を担いだ姿。
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凛々しい義経も
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後ろ姿のお尻はちょっとマヌケ
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NHKの大河ドラマ『義経』で平時子を演じた松坂慶子さんの手形
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主役の義経を演じたタッキーの手形
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みもすそ川の欄干と関門海峡
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義経・知盛像と関門海峡
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関門海峡建設の碑
戦前から作っていたなんて驚き -
関門トンネル人門の入り口
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通行量は歩行者はタダ!
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ここのエレベータで行く。
20分位で門司のほうまで渡れる、というので行きたかったが時間が無いので断念。
ここでトイレに行ったがウォシュレットなのが嬉しかったな、、。 -
佐々木が赤間神宮のパーキングを通り過ぎてしまったので唐戸商店街まで行ってしまった。
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赤間神宮鳥居
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赤間神宮
文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の遺体は現場付近では発見できなかったが、赤間関(下関)に建久2年(1191年)、勅命により御影堂が建立され、建礼門院ゆかりの尼を奉仕させたのが始まりである。以後、勅願寺として崇敬を受けた。 -
二位の尼(清盛の妻)は、8歳の天皇に「波の下にも都の侍ふぞ」と言い聞かせて壇之浦で入水したという。朱塗りの水天門はその「波の下の都」を思わせる華やかな龍宮造。
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安徳天皇を御祀りしているので門には菊の御紋が
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拝殿
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手水で手を清め参拝。
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手水の後ろには日露戦争で使われた砲弾がなぜかある。
下関は日清講和条約が開かれた場所だからかな、。 -
拝殿の賽銭箱
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水天供養塔
案内板には、安徳天皇と戦時等の海難で亡くなった人々を供養するために昭和25年に建立された -
供養塔の裏
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平家一門の墓、入口。
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平家一門の墓。
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墓の隣には高浜虚子の句がある。
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耳無し芳一の芳一堂がある。
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耳無し芳一の由来案内看板
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芳一像
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鎮守八幡宮
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壇ノ浦の合戦の絵巻
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安徳天皇御陵
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場内の案内看板札
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パーキングからもう一度、赤間神宮を
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赤間神宮から壇ノ浦を通って再度高速へ向かう。
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門司へ向かう高速入り口
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行きと違って帰りは関門海峡の上を通って行く
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関門海峡
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関門海峡から壇ノ浦を見る
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高速を降りて和布刈公園に行く
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